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オイラは通勤の際、自動車の中で常に音楽を聴いている。音楽に没頭していると自分が「運転をしている」という感覚を忘れるらしく、ふと気がつくと会社または自宅に着いていたりする。たまに興が乗ると、曲に合わせて歌うこともある。オイラの聴く曲はもっぱらオルタナティブのロック系なので、ボーカルは「歌う」というよりも「唸る」とか「叫ぶ」とか「喚く」といった方が実際に近い。ただ、聴く曲のボーカル・レンジ(キイの範囲)は広範に及ぶため、昔応援団幹部として鳴らしたオイラの声帯を以ってしても、ついていけない低/高音域がある。以下、オイラが自動車の中で聴く曲のボーカル・レンジを最低から最高まで分けてみた。[高の高]: クラウス・ノミ:この人はオルタナティブというよりかは「特殊オペラ歌手」であるが(笑)、基本的にボーカルはソプラノである。オイラも調子が乗れば裏声で合唱することもあるが、他人に聞かれたら最後、人格を疑われる可能性が高いので注意している。[高]: キュアの ロバート・スミス: このバンドの曲をはじめて聴いてしばらくの間、オイラはずっとスージー&バンシーズのような「ギャル・バンド」だと思っていた。声変わり間もない少年のようなボーカル。裏声を使わずこれだけの高音を出せるのはロバ・スミしかいないのではないか。はっきり言って、キュアと合唱するときはつねに1オクターブ下げないとついていけない。[高]: Jane’s Addiction のペリー・ファーレル: コイツの声もかなり高い。ロバ・スミのような透明感はないが、ヤンチャ坊主が絞り出すようなキンキン声。秩序を無視した快感原則を直接刺激するような不思議な開放感がある。コイツの声域にも常人の咽喉ではついていけない。真似をすると鼻血を出しそうになる。[中の高]: ピクシーズのブラック・フランシス、Radioheadのトム・ヨーク、モーマスをはじめとするオルタナティブのボーカルの大多数: Holesのコートニー・ラブとか、ピクシーズのキム・ディールなんかの「低めの女性ボーカル」と同じ程度の声の高さだな。この辺からようやく常人の声帯でも届くくらいの声域になるが、それでも2-3曲一緒に歌うと咽喉がヒリヒリする。[中]: レッドホット・チリペッパーズのアンソニー、ニルバーナのカート・コベインをはじめとするロックのボーカルの大多数。合唱するのは容易だが、この声域で大音量を出すには地声がかなり太めでないと実際には無理なんだなあ。フツウの日本人男性にロックが歌えないのは声域がロックには高すぎるからなんだよなあ。[中の低]: バウハウスのピーター・マーフィー、 And Also the Treesのサイモン・ヒュー・ジョーンズ、Joy Divisionのイアン・カーティス、Interpol のポール…等々、「暗めのオルタナティブ」の大多数はこのレンジに属するんだよなあ、不思議と。合唱するには腹筋に力を入れるのがコツ。英語を喋る前のウォーミング・アップにも便利(笑)。[低]: Einsturzende Neubautenのブリクサ・バーゲルト、 イギー・ポップなど: 東洋人にはマネのできない太くて熱い声。カッコ良いのでつい真似したくなるのだが、合唱しようとするとたちまちセキが出る(笑)。[低の低]: Fields of the Nephilim、Skinny Puppy: レコードの回転数を間違えたかと思うようなドロドロの低音。ブリクサやニック・ケイブまでは男声のセクシーさがあるが、ここまで低いともはや暗黒世界しか歌えないよなあ。合唱を試みたことさえない。そもそもこんな暗い曲を出勤時になんて聴きたくないけどな(笑)。
2005.01.31
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年をとること・老いることに抵抗はない。体力が低下するとか、皮膚がハリを失うとか、腹が出てくるとか、朝勃ちしなくなるとか、そういったことは加齢に必然的にともなうものとして素直に受け入れているつもりだ。…しかし、これだけはちょっと情けなくて不快に思っていることがある。それは老化による「小便とクソの切れの悪さ」だ。こればっかりは日頃の心掛けで食い止められるというものでもないだけに、あまりにも無力で情けない。いつ頃からだったろうか。便所にショーベンに行って、用を足したあと、陰茎をパンツの中にしまう。手を洗って便所から出る。…すると、廊下を歩いているうちに、フトモモを股間から冷たいものがツーっと脚を地面に向かってつたっていくのを感じる。小便のしずくである。用を足した後、陰茎をプルプルと振ってしっかりと滴を切ったつもりなのに、トイレを出てから膀胱の中に残っていた尿がジワジワと漏れてくるのである。老化により括約筋が緩くなるからだろうか、小便をしても尿が一気に放出されなくなるらしい。トイレから出た後の、陰茎の先に接触しているパンツの部分の、否定のしようが無いあの湿り気、あの不快な感じというのは、まさに加齢の情けなさを象徴するかのような感覚である。一方、クソの切れの悪さは括約筋の問題というよりかは、年をとって大便をする回数を重ねるにつれ、少ぉーしずつ肛門が外側に突出し、脱肛気味になってくる結果である。若いころは、排便のたびにクソと一緒に外界に一瞬顔を出す肛門の内部は、クソが切れるとヒュっとケツの中に引っ込む。この「本来は肛門の内部」だった部分が、年をとるとケツの中に戻らず、「外に出っ放し」になってしまうのだ、若者諸君よ。ケツの穴を指で触ると、ほら、ゴム風船をふくらませて吹き込み口を結んだときにできる、あのゴムの結び目みたいな感じになっているのだ。…何、感じが分からない?今に分かるさキミも。当然、クソはこの「ゴムの結び目」みたいな脱肛部にこびり付き、拭いても拭いてもケツはキレイにならない。若い頃は2回もふけばキレイになったはずが、3回拭いてもベットリ茶色のままの紙を見たときのあの絶望感。年をとることの情けなさというのはこういう形で顕れるものなのかと悲しくなってしまう。…しかし、年をとってから経験した「切れの悪さ」すなわち「自分でどうしようもないシモの問題」にこれほどショックを受けているのは、オイラが男だからなんだろうと思った。女性は人生がはじまって10年やそこらのうちから「股間がなんかフケツな感じ」というのを毎月定期的に経験せざるを得ないわけで、アソコが湿ってグチャグチャした感じのままで政治経済の授業を受けたり簿記の計算をしたりしてるんだろうしな。オイラも多少ショーベンがパンツににじんだりクソの色がついたりするくらいで気になるうちは、まだまだガキだということですかね、母上。
2005.01.25
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オイラの住んでいるマンションのジムが、さいきん「24時間オープン」に変更になったらしい。これまでは「7AM~11PM」だった。出勤前はとても時間がないし、いつも仕事を午後9時前になんとか切り上げ、かろうじて帰宅直後の10時から11時までの1時間トレッドミルを走ることができていたのであった。これからは思う存分遅くまで働いて、深夜に帰宅してから好きな時間に走ることができる(そんな元気があればだが)。「国の最南端」に住んでいるとは言え、ここはカナダ。1月~2月のあいだ、最高気温が氷点上になる日はマレである。マレに外を走れる程度に暖かくなったとしても地面が雪に覆われていたりして、けっきょく冬場はもっぱらトレッドミルにお世話になるほかない。はっきり言ってトレッドミルの上を走るのは常人にとって30分から1時間(5~10キロ)が限界であろう。フィットネス・クラブのようにテレビでもついていれば別だが、風景の変わらない室内でベルトコンベヤーの上を延々と走り続けるには、よほどタイクツになれていないと苦痛なハズだ。ちなみにオイラは常人とはかけ離れた水準の“退屈への耐性”を持つ驚異的なヒマ人であるため、だいたい2時間くらいは飽きずにトレッドミルの上を走れる。ちなみにこれまでの最高記録は「4時間弱」で「36キロ」である。このときはさすがに2時間半くらい経った頃から次第に飽きてきて、3時間を過ぎる頃には脚がダルくなったが、はじめから「35キロ走る」と決めていたので脚を引きずりながらトレッドミルの上を4時間弱走り続けた。ジムのガラスの向こうの廊下を歩いているマンションの住人たちの呆れている表情がトレッドミルの上からよく見えた。トレッドミルで走り始めて最初の5分くらいは、走ることに意識を集中している。走るフォームのこととかスピードのことをあれこれ考えながら走っている。だいたい8分くらいから汗が流れてきて、自分が「運動している」という気分になってくる。15分くらい経つとだんだん集中力が落ちてきて、25分くらいで「十分走った」気分になる。ほとんどの人はだいたいこの時点でトレッドミルを停止する(…しかし、体が「炭水化物燃焼モード」から「脂肪燃焼モード」に変わるのはこの「20-25分」地点であり、それまでは「食ったものを燃焼」しているだけで、脂肪はほとんど減っていなかったりする)。この「25分地点」を越えるといわゆる「セカンド・ウィンド」がやってきて、いったんは疲れたダルい感じがしたのが、また元気になってくる(これが“脂肪燃焼開始”のサインである)。あとはだいたい「クルーズ・コントロール」モードに突入し、走っていることを意識せずに走り続けることになる。過去の思い出とか今日の出来事を走りながらあれこれ考えたりしているうちに、10分、20分と経過していく。ときには45分地点くらいに「ランナーズハイ」がやってきて、そのときに何か面白いことを考えていたりすると、トレッドミルの上でゲラゲラ笑い始めることもある(笑)。ジムの中にほかの人が居たりすると笑いをこらえるのが大変なこともある。1時間以上トレッドミルを走れるか否かは、「クルーズ・コントロール」モードからさらに「瞑想」モードに入れるか否かに掛かっている。…というのは、だいたい1時間もするともう考えることがなくなってしまい(笑)、また「走ること」を意識せざるを得ない状況に戻るからである。常人はだいたいこの時点で苦痛を感じ、トレッドミルを停止する。「瞑想モード」に入れる人は、何も考えることがなくなった後「何も考えない」状態で走り続けることができる。この領域で走っている人はウツロな表情で憑かれたように走っているのですぐにそれと判る(笑)。たまにふと我に返り、トレッドミルの表示を見ていつの間にか2キロくらい過ぎていて驚いたりする。ちなみに瞑想モードで走れるようになると、フルマラソンの大会に出たとき便利だったりする。いい加減走るのがイヤになったときに頭をシャットダウンし、「生ける屍」として、走るという行為を「魂の抜けた体」に任せると、次に我に返ったときは5キロ先を走っていたりする。いずれにしても、カナダのような寒い国にでも住んでいない限り、屋外を走れるに越したことはない。まあ、ベルトコンベヤーの上をウツロな表情で延々と走っている人を見て友達になりたいと思う人がまず居ないであろうことは確実に言える。
2005.01.22
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明日会社に何を着ていこうか。知ってると思うが、アメリカでは「カジュアル・フライデー」とか「カジュアル・ウェンズデー」とか言って、週の特定の曜日を「自由な私服の日」に指定しとんねん。金曜日を指定してる会社が多いんやろけどな。もともと毎日スーツを着てネクタイを締めて定刻に通勤する生活などムリだと思ったから、大学を卒業してから就職もせずに渡米したオイラなのだが、あれから15年経ち、ついに「スーツ姿がいちばんラクだなあ」と思える境地にようやく辿り着いたらしい。数着しかないスーツの中からその日の気温にあったものを選択し、とりあえず洗濯の済んでいるシャツとそれに合った柄のネクタイを選ぶのには、毎朝何の苦労も要らないもんなあ。これまでは金曜日といえば「多少派手め」ではあるが、いずれにしても「ジャケットにネクタイ」というイデタチで出社していた。「花柄のネクタイ」とか、「模様の入っているカッターシャツ」とか。自分にしてみればこれでも“カジュアル”のつもりだったのだが、自分の上司たちでさえジーンズと普段着のシャツを着て出勤しているので、これまでのオイラの「カジュアル」はまだ「ビジネス・カジュアル」のレベルであるらしいことをようやく理解した。東京だのニューヨークに住んでいれば「ファッション」とやらにも多少は気をつかうだろうが、アメリカだのカナダの地方都市に住んでて着るものに気を使う野郎なんて、ゲイを別にすれば、まず居ない。夏はTシャツと短パンと野球帽、春と秋はシャツとジーンズと野球帽、冬はセーターとジーンズとニットキャップ。これだけ(笑)。オイラなんて年中「トレパン」と「スウェットシャツ」だもん。セーターとかタートルネックシャツも持っているが、どれも20代前半に買ったものばかりで、どれも会社に着て行くにはさすがにくたびれている。ジーンズに至っては20歳の時からはいているのであちこち擦り切れていて、とても会社でははけない。オイラもいちおう管理職だし(笑)。ましてや「トレパン」と「スウェット」なんかで出社する度胸なんてない。仮にそんな格好で出勤しようものなら、条件反射的に緊張感を失ってしまい、PCに向かいながらブーブー屁をこいたり、股間に手を入れてボリボリ掻き始めたりしかねない(笑)。バブル景気の頃、「ファッション・フレックス・デイ」などという曜日を設けているオサレな会社に勤めていたオイラの日本の友人に、「半ズボン」に「ビーチサンダル」を引っ掛け、しかも首からは「手拭い」を下げて出社したというツワモノが居たが、オイラもさすがにそんな無茶はマネできない年齢になってしまった。「仮装の日」とかがあれば、オイラも全力を尽くす用意はあるんだが。高校時代は応援団の先輩の命令で自主的に「仮装の日」が設けられ、年に一度くらい指定された時刻に一番人通りの多い駅前に「法に触れない範囲で最も奇抜な服装」で集合させられたりしたものだ。オイラの定番であった「モンペ」に「カッポウ着」に「ゾウリ」に「風呂敷包み」という姿は、毎年先輩から絶賛されたものだ。もうそんな格好で人前に出ても、誰からも喜ばれない年齢&立場になってしまったのが、ちょっとだけ悲しい。
2005.01.20
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ひさびさに9時前に帰宅した。このところいつも自宅に着く頃は9時を過ぎていて、それから日課の1時間のジョギングをしたりメシを食ったりしているといつも11時を回ってしまう。結果として、オイラの数少ない楽しみのひとつであるゴールデンタイムの「テレビドラマ」をまったく見れていなかった。今日、おかげで今年はじめて「午後8時台のテレビ番組」をちょっとだけ見れた。たまたまTVを点けたらやっていたのは 「Biggest Loser」といういわゆる“リアリティTV”番組。アメリカ中からデブを1ダースくらい集めダイエットさせて、一定期間中に一番やせた“優勝者”に100,000ドル(1千万円ちょい)の賞金が与えられる、という趣向の番組である。ご存知のとおり英語で“Loser”というのは「敗者」のことだが、ここでは「体重を(最も)失った人(=優勝者)」と掛けているらしい。日本でこんな番組をやったらきっと単なるゲテモノ趣向の「お笑い」や「見世物」にしかならないだろう。しかし肥満体が人口の過半数を占めるアメリカの場合、この番組はダイエット食品のスポンサーとタイアップしたりしてまったくもってマジな趣向でやっている、というのがスゴい。ゴッド・ブレス・アメリカ。女王陛下万歳。リアリティTVといえば、無人島とかの出口のない環境に1ダースくらいのヒマ人を集めて共同生活をさせ、定期的に多数決で “仲間はずれ” を決めて誰が最後まで残るかを決める 「サヴァイバー」とか、高所から飛び降りさせたり、ゴキブリを食わせたり、自動車のスタントをさせたりとかいった人の恐怖を煽ることに次々とチャレンジさせて、誰が最後まで残るかを決める 「Fear Factor」とかいった老舗番組は、いまや誰もリアリティTVである事実を意識しないくらいアメリカのお茶の間に定着しつつある。リアリティTVが流行ったのは、あらゆるメディアにヤラセが氾濫し視聴者がウンザリした結果なんだろう。加工に加工を加えたこってりした番組に飽きて、演出のないナマの出来事をそのまま番組に仕立て上げた、“素材の味を生かした”モロキュウとかオヒタシみたいなあっさりしたものの中にドラマを見出す、みたいな。一方、アメリカ中からブスを集めて整形手術させ、鏡を見て「これが私!?」驚かさせる番組(「The Swan」)とか、離婚や死別で独り身となった母親や父親の再婚相手を、連れ子に1ダースくらいの候補者の中から選ばせる「Who Wants to Marry My Dad?」といった番組は、オイラ自身は見たことはないけど、オゲレツ過ぎてリアリティTVとは言ってもちょっとやり過ぎではないかと思っていた(ちなみに後者は巷では正式な番組名ではなく「Vagina Auction」(オメコの叩き売り)と呼ばれてバカにされていた(笑))。どっちも視聴率低迷だったみたいだけど。リアリティTVといえば、5年くらい前に「トゥルーマン・ショー」とかいう、ある無名のシロウトの毎日を隠しカメラで24時間追跡するという設定のジム・キャリー主演の映画があったが、高速インターネットやウェブ・カメラが普及した今では、実際あるシロウトの居間や寝室に固定されたウェブカメラで」若い女性が自分の生活を24時間“放映”している」(もちろん有料で)ウェブサイトもあるらしい。ただ、この“シロウトのウェブカム”放送がちっとも話題にならないところを見ると、「トゥルーマン・ショー」は現実のものにはなっていないようだ。そりゃ、若い女が屁をこいたりハナクソをホジったりする“リアリティ”は、初めて見る分にはなかなかショッキングで刺激的かも知れないけど(笑)、誰もカネまで出して見たがらないだろう。…ま、総理大臣が秘密クラブでパンティを頭にかぶって興奮している姿とか、有名女優がトイレでドゥビドゥバのゲリ便を豪快に放つ様子とかいったリアリティは、いちど見てみたい気もするけどな。
2005.01.18
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きょう、クソをしたら「クソ柱」が立った。一本グソが、便器の水中で見事に直立して浮いているのである。水洗レバーに手を掛けた瞬間、流すのがもったいない気がして「写真でも撮っておくべきか」とか一瞬ためらってしまった。いわゆる“茶柱”はべつに緑茶でなくとも縁起がいいらしいが、クソでもいいことあるのだろうか。半年前から年を越して続いている痔でもよくなってくれればいいのだが。--------久々にリアルな性夢を見た。「It’s been a while since... I would appreciate your cooperation. (久々だけど頑張るよ。協力してくれよな)」…などとベッドの中の相手に言って、いざ挿入するかというところで目が覚めた。むかし「崖っぷちに必死にぶら下がって、手を離して落ちそうになる寸前で目が覚めホッとする」という夢をよく見たものだが、「本番に突入する直前で覚める性夢」というのは初めての経験で、それはそれで結構悔しいものであった。夢とはいえ「…ああ、ひさびさだなあ。」というちょっとした感慨にせめてもう少し浸らして欲しかったのだが(せっかく見た性夢の中での自分の感想が「ひさびさだなあ」というのもちょっと情けないけどな(笑))。-------毎日とまではいかないが、このところようやく週5回ペース程度で走れるようになってきた。昨年の日本長期出張期間中は殺人的な過労働でロクに運動する時間も気力もなく、体重は出張前より7キロ増、北米に帰国後も低下した体力のせいでマトモに走れなくなっていたのであった。しかしこの1月半でようやく調子が上向いてきた。帰国直後は時速9.5キロで30分走るのが精一杯だったところが、時速10.5キロで1時間走れるまでに回復した。…しかし、「時速10.5キロで1時間」というのは、ジョギングを始めて間もないちょうど2年前のレベルなのである。おまけに体重の方は1ヶ月前にようやく3キロ減ったところで頭打ち、出張前より4キロ増の状態から回復していない。マラソンレースに出場できるレベルにはまだ程遠い。まあ、でも楽しく走れるようになればジョギングもこのまま習慣づくだろうし、しばらく焦らず様子を見るとしよう。…でも、万が一またここで「日本長期出張」の指示でも下れば、オイラのマラソン人生は元の木阿弥だろうな。
2005.01.15
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3)オイラが昨年の後半日本に長期出張している間に、米国本社のトップマネジメントに若くて美人の女性が入社した。“美人”と言っても顔だけの話ではなく、肥満人口の高さで知られるミシガン州で生まれ育ったとはとても思えないようなすばらしいスタイルの持ち主。それにアメリカで“美人”というと「ブリトニー・スピアーズ」とか「マライア・キャリー」とかいった派手な女性をイメージしがちかも知れないが、彼女はいわばオイラたちの両親の世代が若い頃に見た欧米の映画女優のような、慎ましやで落ち着いた美女なのである。米国企業の重役職なのでやはり修士卒。紛れもない才媛である。一緒に仕事をしていて「久々にリクツの通じるマトモなアメリカ人と仕事ができるなあ…(涙) 」と感動してしまうくらいだ(笑)。それに、アメリカで“才媛”とか“女性重役”とかいうと、ほら、ヒラリー・クリントンとか、ヒューレット・パッカードのCEO、 フィオリーナ女史みたいな、いかにもヤリ手で自我の強そうな女性が頭に浮かぶが、彼女はアメリカ人女性としてはちょっと控えめ過ぎるくらいにソフトで、威圧感を感じさせないキャラクターの持ち主なのである。そういう意味ではきっとある種日本人好みの美人かもしれない。まあ、オイラ個人の好みとしては同じ白人女性でも彼女のような8.5頭身よりかはもう少し重心の低い7頭身くらいが好きだし、滅多に冗談も言わないくらいマジメでスキがなさ過ぎる人よりかは、オイラが気軽にエッチな冗談を言えるような人の方が理想なのだが(笑)、個人的な好みのことはさておき才色兼備の魅力的な女性とひさびさに同じ職場で仕事ができることに、オイラは勝手にかなりワクワクしている。一対一で話をしているときに、上目遣いに目を見つめられてニコッと微笑まれると、オイラはここ10年くらい使用されていなかった脳のある部位からホルモンが分泌し始めるのを明白に感じる(笑)。...ただし、彼女は既婚者である。彼女が結婚していることを誰かに明確に聞いたわけではないのだが、オイラが5年前にこの会社に入社する直前まで、彼女がうちの関連会社に“別の苗字”で勤めていたのをオイラは何かの文書でたまたま見て知っていたからである。「…配偶者がいるなんて、残念なことだ」...などと、アチラ様がオイラみたいな東洋人の中年に興味を示す可能性をまったく度外視して、オイラは勝手に思っていた。…ところが、先日会社のマネージャー会議の休憩の時、彼女が隣の席のスタッフに「私のボーイフレンドが…」云々と話しているのを聞いて、「オヤ…?」と思った。既婚者だったら当然「私のハズバンドが…」といった話になるハズなのだが、「ボーイフレンド」ということは、彼女は離婚していたのか?アメリカでも、「ビジネスネーム」というか、離婚(あるいは別居)した後も女性が「別れた夫」の苗字を維持しているケースは少なくないらしいから、もしかすると彼女もそんなケースなのかも知れない。…なんせ、うちの会社で管理職として働いていたら「家庭」とか「関係の維持」とかいったことに費やす時間とエネルギーなんて残らないもんなあ(笑)。まあ、お互いこの会社に勤めていたらバランスがとれるかもしれないけど(笑)。…どーれ、それじゃあ今度ためしに彼女にエッチな冗談でも言ってみるか。
2005.01.14
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1) 現地採用の若い日本人社員が、日本支店の社員から頼まれた米国本社の責任者との交渉事がはかどらず困っていたので、オイラが代わりに交渉して譲歩を引き出してやった。さっそくその日本支店の社員に交渉結果をEメールで報告し、その現地採用社員にもいちおう「CC.」を送信しておいた。…すると、その若い社員がオイラのメールを読んで感心するどころか、ゲラゲラ笑っていることに気づいた。「マジメな内容に終始したEメールだったハズなのだが…」と訝しがっていると、様子を察した彼女は「○○(←本名)さん。社名が『(株)サドー○○』になっていますよ(笑)」と報告してくれた。そうか。顧客名の「サトー」が「サドー」になっていたのが可笑しかったのか。オイラは「とりあえずこの彼女の報告をごく軽いフォローのセリフで受け流そう。」と考え、ふと思いついたのは以下の2つのセリフであった。a) 『「お国なまり」は書き言葉にも出るもんなんだね。(注.オイラは仙台の出身である)』b) 『「錯誤行為には意味がある」ってフロイトの説、聞いたことある?』オイラは0.5秒くらい迷ったすえ、b)の方を選択して彼女に答えた。どうせ「“サクゴ行為”って何?…またこのオッサン、なんだかワケの分からんことを言ってるワ。」という反応のまま話が終わることを期待したのであったが、意外にも彼女はそのセリフを真剣に熟考した末、意味ありげにおもむろにこう言うのであった。「…○○(←本名)さん。それって、本当ですか。そうなんですか…?」...自分の仕事に戻りながらオイラは、オイラの知的なセリフの選択に何をそんなに不可思議な意味ありげな反応を示したものか、5秒くらい考えた末、ふと気づいた。そうか。「サトー」が「サドー」になったのは、オイラが“サディスト”であるという意味の表われだと解釈したのか。この何気ないフォローのセリフが、オイラの職場での今後の立場にどんな悪影響を及ぼすかも知れないので、彼女にはこのやり取りの一件をとっとと忘れてもらいたいものだ、と思った。2) 日本人の同僚のひとりが、オイラに何の相談もなしに、1週間後にいきなり5日間ほど休暇をとることを社内メールで告知したまではよかったのだが、そのメールの最後に「なお、休暇中の米国本社への連絡は一切○○さん(←オイラの本名)宛てにお願いします。」…などとわざわざ改行し丁寧に行間まで空けて書いてくれているのを見て、思わず「そりゃないぜセニョリータ。」と心の中でつぶやいてしまった。帰りがけにオフィスでたまたま彼女とすれ違ったオイラは、ちょっと彼女にひとこと言ってやるべきかなあ...と思い、ほかの日本人スタッフに聞こえる程度の音量を意識して「あれ、○○さん。休暇のEメールを配信されてましたが、突然どちらに行かれるんですか。」と尋ねた。「...うーん、ちょっと…」とか口を濁すので、「事前にご相談いただけないなんて水臭いじゃないですか。…さては、あの『1978年生まれ』の彼とバカンスですねー?」…とだけ付け加えて、あとはごくさりげなくその場を去った。昭和30年代生まれの独身の彼女が『外出中に自動車が道路で立ち往生した際に、車を停めて助けを申し出てくれた若いアメリカ人男性が別れぎわに「電話番号」を置いていったのだが、彼が見せてくれた免許証には生年月日が「1978年生」と書かれていた』というエピソードを、先日の社長とマネージャー陣とのランチ・ミーティングの際に「みんなに話したくて仕方がない」といった様子でうれしそうに話していたのを、オイラはその瞬間にふと思い出したのであった。今後、彼女の「15歳(以上)年下のアメリカ人の彼氏(?)」の話がどれくらい社内に浸透しホットな話題となるかは、オイラにもちょっと想像がつかない。…ただ、オイラに友人が少ないのは、このような日々の「さりげないセリフの選択」を過っていることに起因するのだろうということは、今日1日を振り返っただけでも明白だと思った。(終)
2005.01.13
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90年代なかば。アメリカで肉体労働系のサラリーマンをしていたオイラが、毎週金曜日は必ず早めに帰宅し、欠かさずに見ていたテレビ番組があった。 DueSouthという、カナダで製作され、アメリカ・カナダ両国で放映されていた一風変わった刑事モノである。金曜日はいつも夜9時からこの番組に釘付けになり、その後の夜10時からはXファイルを見るのが当時のオイラの毎週の習慣であった。テレビドラマの水準の高さ(及びそれに掛ける費用の高さ)は、オイラがアメリカに住んで感動したことのひとつであるが、DueSouthとXファイルに関しては毎週駄作にお目に掛かることは滅多になく、視聴者の予想を裏切る毎回の良くできたストーリー展開に、番組が終わるたびに「やられたー」とか「すげー」とか思ったものだ。Xファイルは日本でも放映されていたので背景はおなじみだと思うが、DueSouthというのはある事件を追っているうちに北極に近いカナダのド田舎からアメリカのシカゴまでやって来てしまったカナダ名物の騎馬警官(こんなヤツね→)が、そのまま犯罪都市シカゴのスラム街に住み着き、ボーイスカウトのような朴訥&実直なカナディアン・スタイルで身の回りの難事件に立ち向かい、ペットのオオカミ(笑)を相棒に次々と事件を解決し、街角に小さな感動の輪を広げていくというドラマである。当時、全米のアメリカ人はこの番組を見てカナダ人のバカ正直なまでの実直さに大笑いし、カナダ人の視聴者は登場するアメリカ人のすれっからしな態度を見てお互いに大笑いしていたのであった。シカゴのような都市で起こる凶悪犯罪には本来通用するはずのないカナダの野生の論理で真っ向から立ち向かい、とっとと挫折するかと思いきや、犯人をまんまと見つけ出して逮捕あるいは自首に導いてしまうその毎回の鮮やか手口には、視聴者は毎回さわやかな視聴後感を味わったものである。とくにこの騎馬警官と、そのアメリカ側でのパートナーなるシカゴ市警のチャランポランな刑事との友情や、その騎馬警官とオオカミとのほのぼのしたやり取りは、オイラのようなスレッカラシでも毎回必ずや感動させられたものだ。どちらの番組も90年代の終わりには放映が打ち切られたものの、Xファイルに関しては日本でも放映され、一時ブームを巻き起こしたようであった。一方、DueSouthはオイラがずーっと日本でも紹介され放映されるようになればいいなあと思っていたのであったが、日本での放映もアメリカ・カナダでの再放送も実現せぬまま2005年になってしまった。たまたま先日HMVに寄ったら、このDueSouthがDVDになってお手頃価格で売っていたのを発見し、迷わず購入した。この週末はほとんど徹夜状態でこのDVDに収録されたエピソードを6~7話くらいぶっ続けで見て、当時の感動を思い出していた。あれから10年弱が経ち、当時は知らなかった単語や各国の社会・文化的背景がより分かるようになった現在この番組を見返してみると、当時は気づかなかった微妙な伏線やジョークのポイントにあらためて気づいたりして、同じ番組を二度味わえるのであった。ところがこの番組、2-3年前にNHKのBSで 「騎馬警官」という邦題で放映されていたことをつい先日知った。オイラがそのことを知らなかったくらいだから、あんまり日本では話題にならなかったんだろう。たしかにアメリカ文化とカナダ文化の対比がある程度理解できる人じゃないと、この番組の鑑賞のポイントが半減して面白みが分からないかもなあ。ヒマな人はぜひ一度ビデオでも探して見て欲しい貴重な番組である。
2005.01.11
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ビザの関係で去年からしばらくアメリカに入国できなかったのだが、年が明けてようやくビザが下り、カナダからアメリカへの越境自動車通勤を再開した。制限速度90キロの高速道路を飛ばして片道3-40分。オイラは自動車の運転が好きではない。厳密に言うと、けっして運転そのものが嫌いというのではない。上げたくもないスピードを上げて走らなければならないのがツライのである。制限速度を遵守しないほかのドライバーに囲まれて運転しているのが苦痛なのである。カナダだろうがアメリカだろうが日本だろうが(日本の免許は持ってないけど)がどこを走ろうが、ひょっとしてこの世で法定速度を守っているのはオイラだけではないかと感じるくらいだ。言っておくが、オイラは基本的にいつも制限速度いっぱいいっぱいで走っている。ホントはもっとゆっくり走りたいのだが、「周りに迷惑にならないように」という配慮から妥協しているのである。たまーに「…悪いなあ。」とか思いながら、3キロくらいオーバーすることさえある(笑)。…それでも、オイラが前の車を追い越すことが仮にあるとすれば、それはせいぜい週に1度あるかないかである。つまり、オイラが自動車を運転している最中はほとんどつねに追い越されっぱなしなのである。言っておくが、オイラはけっして遵法精神に篤い人間ではない。未成年で喫煙していたし、高校時代に応援団幹部だったときはコンパのたびに(仕方なく)飲酒もした。万引きも(20歳まではしたことがなかったが)成人してから何度かやった。中学時代に盗難バイクを(“付き合い”で)無免許で乗り回したこともある。教えてくれよ、皆の衆。そんなオイラでも守っている法定速度をだ、基本的につね日ごろ法律を守って生活をしているはずのフツウの人たちが、どうしてヘーキで破れるのだろう?…しかも、「そういう人もたしかにいるけど…」といった現象じゃないぞこれは。どう考えてもほとんどすべての運転手が法定速度をオーバーしているとしか思えない。きっと、10キロオーバーでカローラを走らせているあの紳士は、マリファナを吸ったこともないようなまっとうな一市民であろうし、追い越し車線を20キロオーバーで走り去るあのアコードのお嬢さんだって、万引きの経験さえないようなマトモな常識人だと思うのだ。交通法規遵守の度合いには、国や都市によっても差異がある。オイラがいちばん呆れたのはシカゴだ。それまではだいたい「平均10キロ未満オーバー」で走っていたのが、シカゴ郊外に入るなりみんな「平均15キロオーバー」で走っているのだった(笑)。オイラのようなドライバーはほんとにハラハラし通しで、そのうち死ぬんじゃないかと思ったくらいだ。犯罪の発生率と相関でもあるのか?日本だと大阪や名古屋が法定速度の遵守度が低そうだけど。カナダはスピードに関しては国境の向こう側とそんなに変わりないけど、交通マナーは基本的にいいと思う。とくに街中の道路を走っていると、「お先にどうぞ、ありがとう」の精神を感じる。ドイツでヒッチハイクしたときは、例の速度無制限のアウトバーンを時速200キロ近い速度で走るポルシェをホントに何台か見た。その傍らで、ジーさんバーさんがフォルクスワーゲンのハンドルにしがみついて時速60キロくらいでノロノロと走っていた。法定速度がないならないで、かえってオイラみたいにゆっくり走りたいドライバーにイラついたり煽ったりするヤツがいなくなることによって、よりストレスの少ない交通環境が実現する可能性もあるんだろう。…ま、日本やアメリカでドイツのマネをしたら、高速道路はたぶん「死の無法地帯」になるだろうけどな(笑)。どうでもいいけど、オイラをゆっくり走らせてくれや、お前ら。
2005.01.06
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新年から部屋が荒れている。年末にリビングルームを大掃除しようと思って家具を動かしているうちに、ふと模様替えがしたくなった。...で、家具をあちこち移動するために本棚をカラにしたりCDだの書類を整理しているうちに、収拾がつかなくなってしまったのである。さいわい、バスルーム→ベッドルーム→クロゼット→リビングの順番で掃除をしていたため、トイレ・寝室・クロゼットはキレイになっている。…が、リビングとキッチンが散らかし放題。いちばんはじめにリビングに着手していたら、きっと脱ぎ捨てたままの衣類やらホコリにまみれた書類や本やCDの山に埋もれた状態ですさんだ気分の新年を迎えているところであった。オイラの部屋は、きわめて殺風景である。リビングにある家具はソファ(いわゆる“フートン(futon)”ね)とコーヒーテーブルと小さな本棚だけ。電化製品はテレビとミニコンポとPCだけ(あとは滅多に弾かない楽器が少々)。カレンダーと時計を別にすればポスターも額も飾っていないので、四方の壁は白一色。「広くて快適な独房」があればきっとこんな感じか。ベッドルームはベッドとランプテーブルのみ。マトモな神経の持ち主だったら、何もなさ過ぎてさぞかし落ち着かないだろうなあ。模様替えでソファを壁際に寄せたら、もともと広いリビングがさらにだだっ広くなってしまった。だってリビングだけで日本のウィークリーマンションの1.5~2倍くらいあるのだ。リビングの半分がただのムダな空間になっていて、殺風景さを際立たせている。室内家庭菜園でも作ったろか…とか思うくらいの広さだ。小型のダイニングテーブルとか、ソファをもうひとつとか置いたらちょうどバランスがいいくらいのスペースなのだが、基本的に訪問者が皆無なオイラの部屋に複数のソファとかテーブルとかを置いても孤独感を強調するだけなんだよなあ。あるいは「ドラムセット」とか「ピアノ」があれば、このくらいのスペースにはピッタリだ。…でも、どちらも音量的に近所メイワクだからちょっとムリだろうなあ。イーゼルでも置いてまた絵でも描き始めるかなあ。何かトレーニング用のマシーンでも買って部屋で運動するというテもあるけど。…それよりもまず、この散らかりようを何とかしろってか。…なーどということを考えている比較的平和な年明け。
2005.01.05
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ついに2005年かあ。明日をも知れない大卒長髪フリーターをしていた15年前には、こんな西暦の年になるまで自分が生きてるとは想像もできなかったゼ。しかも「社会人満10年」だもんなあ。“30キロ関門突破”を目標に参加したフルマラソンのレースで、気づいたら思いがけず40キロ関門を通過していた、そんな気分だなあ。だいたい「200X年」なんてのはSFの世界の話だという感覚がいまだに抜けないのはオイラだけか?2005年っつったら、ホラ、空中都市みたいな街の中を縫って「透明の移動チューブ」が縦横無尽に走っていて、ハネのついた自動車が空を飛び、月や火星にコロニーが作られてるとか、あんな「ブレードランナー」とか「トータルリコール」みたいな世界をイメージしてたけど、実際は「ケータイ」とか「インターネット」とかいったテクノロジーを除けば外観は1985年と何も変わらないよなあ。オイラ自身が惰性で年を重ねているのと同じように、きっと世界も基本的に惰性で動いているんだよな。2025年もきっと外観は2005年と何も変わらないんだろう(ま、それまで人類とか文明が終わってない、と仮定して)。仮にそれまでに人類や文明が終わったとしても、地球は惰性で回り続けるけどなー。さて、オイラの愛用している「高嶋暦」によると、昭和41年生まれにとって2005年は「迷いが多くなり、判断を誤ると取り返しのつかないことになる」年なのだそうだ(笑)。おまけに健康運は「体調が変わりやすく、ストレスをためて情緒が不安定になりがち」だそうだ。仕事でいろんなトラブルに見舞われ、すべて投げ出したくなっちゃったりする予感。…ま、そんなの頻繁にあることだけど(笑)。今年の高嶋暦さまのアドバイスは「波風を立てないように」とか「慎重に」とか「謙虚に」「目上との対立を防ぐように」とか「安易な方向転換をしないように」とか「積極的行動は控える」とか「独断専行は避ける」とかそんなフレーズのオンパレードだ(笑)。まさにオイラのためにオーダーメイドで用意してくれたような、身にしみるありがたいお言葉ばかりです。でもさ、オイラのような短気で幼稚で根がパンクなオッサンに限らず、フツウの常識的なオトナでもすべてを投げ出したくなり、啖呵を切って会社を辞めたくなることはきっと日常的にあるんだろうな。それでもそれをやらずにガマンできるのは、「(妻や)子」を食わせねば…という義務感なんだろうか。上司や顧客に罵詈雑言を浴びせて席を立ちたくなる瞬間に、「(妻や)子」を脳裏に思い浮かべ、グッと堪えて呑み込んでいるんだろうか。...そうだとすると、妻も子(も恋人)も居ないオイラの場合、「抑止力」になるものがないんだよなあ(笑)。2005年はガチンコ対決になる場面を徹底的に避けて低姿勢を貫くか、さもなければいずれ「啖呵を切って辞め」た末に、38歳にして「長髪フリーター」に返り咲くか(笑)。...でも、20年経っても世の中の外見は変わりなくとも、人間の外見はちゃんと20年分年をとってますからねえ...。
2005.01.02
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