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昨年のレヴィ・ストロースのときと同様、JDサリンジャー死去のニュースを聞いて「まだ生きてたのか?」と思った人は多いのではないか。91歳だったそうである。世代としてはオレの祖母さんと同じである。オレより2世代も上のジイさんが、全世界で6000千万部以上を売ったとされる“青少年のバイブル”『ライ麦畑でつかまえて』を書いていたのである。出版されたのはもう60年も前のことだ。日本の大学時代、親友が自殺する数ヶ月前に『ライ麦畑...』の和訳版を読んでいた。白水社かどっかの新書版だった。読むように勧められたが、既読であるフリをして断った。あら筋は何かで読んで知っていた。実際どっかで立ち読みしたことがあったかも知れない。訳文の文体が気に入らなかった。アメリカ人少年の主人公に「僕は、○○だと思うんだな。」みたいな、裸の大将山下清が気取ったみたいなセリフをしゃべらせている訳に無理があると思った記憶がある。その後、アメリカの大学に留学中、古道具屋で『ライ麦畑...(Catcher in the Rye)』と『Nine Stories』(の原書)を見つけた。出版されて間もない頃の、古臭いカバーデザインのペーパーバックだ。発売当時の価格が50セントくらいだったろうか。オレはそれを古本でそれぞれ2ドルくらいで買って読んだ。今思えば初版本だったかも知れないが、保存状態がよくなかったので、読んでいるうちに装丁が崩れてボロボロになり、『ライ麦畑...』の方は捨ててしまった。『Catcher in the Rye』はもはや誰も使わないような口語表現がたくさん出てきたが(2世代前のアメリカの話だ、無理もない)、どこに行くのか先行きが予想できないストーリーはなかなか面白かった。和訳ではとぼけたキャラに描かれていた主人公は、原書で読んだら結構アグレッシブで、やっぱり原書で読んでよかったと思った。コドモがオトナになる過程で経験するホンネとタテマエだとか真実と虚偽との葛藤だとか、自分がどこに行くのかといった不安だとか空虚感だとかいったテーマが少年の視点でストレートに書かれているのは、60年前にはたしかにショッキングだったに違いない。半世紀も前に書かれた小説が国境や世代を超えて青少年の心にアピールするというのは、近代以降の青少年がみんな同じような葛藤や不安を経験しているからなんだろうと思った。ただ、出版当時は内容が「衝撃的」だったので、禁書扱いにされたこともあったらしいが、現代人が読んでも何が衝撃的なのかピンと来ないに違いない。オレも読んだ当時は20代半ばになっていたこともあり、「衝撃」を受けて人生が変わったり、ましてや自殺を考えるような内容ではないと思った。たとえばジョン・レノンを射殺した犯人がこの本を愛読していた話は有名だが、オレの親友が自殺したのはこの本とは直接関係はないだろうと思った。『Nine Stories』のほうは文字通り9つの短編を集めた本だが、これはなかなか面白かった。あちこちで禅や俳句といった日本文化への言及があったが、単なる東洋趣味ではなく、ホントに理解しているっぽかった。サリンジャー自身の話と思われる作品も面白かったが、主人公が最後に自殺するような、虚無感に満ちた文体や雰囲気の短編が好きだった。あれはきっとサリンジャー自身の戦争体験が影響してるよなあと思って読んだ記憶がある。サリンジャーが人嫌いのマスコミ嫌いで、前述のような作品をいくつか発表したあとは高さ2mの塀に囲まれた片田舎の自宅で半世紀以上にわたって隠遁生活を送っていた話は有名だが、先日ニュースで聞いて興味深く思ったのは、彼は発表・公表していないだけで、過去50年の間自宅にこもって延々と創作活動を続けていたという話だ。オレなんかは、誰かが読んだり見たりして「いい」とか「面白い」とか言ってくれもしないものを書いたり描いたりする気がしれないのだが、彼は誰に読んでもらわなくとも、独りで創作していて幸せだったようだ。サリンジャーが妙な遺書でも残していない限り、それらの莫大な草稿は、おそらく彼の遺族(10年くらい結婚していた元妻との間に2人の子供がいるらしい)によって公表・出版されることになるのだろう。マイケル・ジャクソンではないが、それらの遺作はきっと死去のニュースが後押しして、売れるに違いない。オレもいちおう書評をチェックした後で買うだろうと思う。何年か前に、「JDカリフォルニア」を名乗る者が『ライ麦畑...』の“続編”と称する作品を発表してサリンジャーに訴えたれていたらしいが(笑)、もしかしたら彼自身がひそかに続編を書いていた可能性もある。最後に余談だが、喜劇王チャップリンがロリコンで、10代の少女と結婚した話は有名だが、実はその少女はチャップリンの前にサリンジャーと交際していたという話がある(笑)。ウィキペディアの日本語版ではサリンジャーの「イノセンス(無垢さ)」へのこだわりについて強調されていたが、彼自身にロリコンの傾向があったとしたら、オレとってかなり納得のいく話である。
2010.01.29
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放浪の達人さんの日記に掲載されていた写真にインスパイアーされて、ファンのひとりとして同氏のブログのバナーを作りたくなったので、作成しました。どうですか、放浪の達人ブログのホームページにもピッタリだと思いませんか。このバナーの元画像は、ほうろうさんとVeryBerryさんの両名がモデルになっているので、ほうろうさんのバナーだけでは片手落ちだと思ったので、ベリーサンのブログのバナーも作りました。ほうろうさんとベリーサンの切っても切れない強い絆を感じませんか。コピーとしてはほかに「ベスト・フレンズ・フォーエバー」というのも考えたんですが、それだと両者のうちどっちか片方のブログのためのバナーとしては不適切だと考え、断念したしだいです。あと、ほうろうさんのブログのバナーについては、もう1つカッコいい写真があって、こちらも使わないでおくのは勿体ないと思ったので、別デザインのバナーも作ってみました。どうですか、これもシブいですよね、ほうろうさんの一匹狼的な、自分の縄張りを示すための本能に駆り立てられたような、野性を感じるバナーですね。放浪の達人さんやVeryBerryさんのブログのファンは、ぜひこのバナーを自分のブログにコピーして、2人のブログへのリンクを貼って、応援してあげてくださいね。
2010.01.28
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34人もツアーに参加してるし、いい写真が後になってからいろいろと送られてくるのである。ということで、ちょっといい写真を追加で公開 オレと犬と海海を遠望するラバの背上から水遊び(サン・イグナチオ)耳に水が...キャンプ地までの遠い道程風雨の中での野外炊飯ツアー仲間との激しい交わりでかいロブスターを捕獲茹でてバター焼バニラ色の日没背景の女性が美しい
2010.01.27
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昨日ドイモイさんから「ロリコンになっていかないことを祈ります」とのコメントをもらいました。ボクがこの年末年始の旅行で、20歳以上も年下のアメリカ人の娘といかに親密な時間を過ごしたかを連日の日記に書いていたからです。ほかにも風任さんからは「ロリコンよりも犯罪性が低い年増好みにシフトするという手もあるかも知れない」というコメントもいただきました。そのアメリカ人の娘はもう20歳を過ぎた大学3年生ですから立派な成人ですし、ルックスに幼い感じはありますが、厳密には「ロリータ」ではありません。とは言え、あくまで仮想としてですが、ボクが彼女とほんの5年前に出会っていたら、たしかに彼女に対するボクの好意は誰が見てもロリコン的な、禁じられた愛と見られたに違いありません。…というか、いかに可愛くても、相手がまだ10代半ばだと知った時点でボクは彼女に近づくことをはばかったと思います。だって、「42歳のオッサンと21歳の娘」というのはまだ社会的に許容範囲かも知れませんが、「37歳のオヤジと16歳の女の子」というと、たった5歳ずつの違いでも、一気にスキャンダラスな、犯罪的な印象が出てくるからです。しかもこれが「東洋人のオヤジと白人の少女」という組み合わせとなると、もはや誰が聞いても「ロリコン変態中年が清純な少女にイタズラ目的で接近している」という印象しか与えません(笑)。だから、ボクはツアーの期間中彼女と身体的な接触を持ちながら、心の奥底では漠然とした罪悪感を感じていました。でも意識的には、「これは何んら問題のある行為ではないんだ」と自分を納得させていました。それというのも、ボクはたしかに42歳の中年オヤジですが、精神年齢も外見も32歳くらいで、相手もきっとボクがそれくらいの年齢のつもりで接していたと思われるからです。それに、彼女に対してヘンタイなスケベ心はなかったし、…いや、正直に言うと、スケベ心はありましたが(笑)、少なくとも少女を陵辱するような気持ちで彼女に接していたわけではないからです。いわばボクは、学生時代のガールフレンドの面影を彼女に重ねながら、15年前の自分に還って彼女と接していたのです。実を言うと、ボクは、彼女がボクの胸元に頭をもたれ掛けたり、ボクに肩を揉むよう気軽に頼んでくるのを「ボクに対する好意」と解釈し、すっかり有頂天になっていました。そして、今思えばとてもおそろしいことですが、アットホームなキャンプファイヤーの時間を終えて自分のテントに戻り、寝袋にもぐって星空を見上げながら「この娘と結婚できるなら、すべてを失ってもいい」とか本気で思いかけていました(笑)。あまりに長い間女性との接触が途絶えていたため、たかが肩もみだとか、頭をもたれ掛けられただけで、脳内では話が一気に「結婚」にまで飛躍していたのです(笑)。…しかし、その発想にはまたちょっとした背景があります。ボクの血縁者には、若くしてアメリカ大陸に移民し、40歳を過ぎてから20歳の娘と結婚した伝説の人物がいて、ボクはかつてその人との不思議なつながりを指摘されたことが記憶に刻印されていたからです。その人はボクの(昨年他界した)祖母の叔父に当たる人で、ボクの祖母が生まれる頃(大正初期)にペルーに移民したそうです。しかし、もともとはアメリカへの移民を希望していたので、農業労働などでお金を貯めながらペルーからメキシコへと北上し、やがてアメリカ国境の街メヒカリでひと財産を成して農場経営をするまでに至ったところで、熊本から移民してきたばかりの20歳の娘と結婚したそうです。結局その段階で太平洋戦争が勃発して日系人はみな財産を没収されメキシコシティの強制収容所に移動させられたので、彼はアメリカへの移民の希望を果たせぬままメキシコに落ち着き、20歳も若い妻との間に10人近い子供を作ったそうです。ボクの妹が会ったある霊能者の話では、兄のボクが北米に引き寄せられるのは、その祖母の叔父が、血縁者で自分によく似たヤツを“呼んでいる”からだと言われたそうです。テントの中でそんなことをふと思い出したボクは、「この出会いはもしかして祖母の叔父のお導きであろうか」などと常軌を逸したことまで思いつき、メキシコにおける20歳以上年下のそのアメリカ娘との出会いに“運命”さえ感じつつあったのでした(笑)。さいわい、日が経つにつれてボクも次第に冷静さを取り戻し、「結婚」だの「運命」だのいった妄想を脳内から消却できましたが、彼女への好意(及び身体の反応)は旅が終わるまで消えることはありませんでした。同時に、20歳以上年下の美人の白人女性と親密になれた経験は、「もしかして、オレってまだイケるのかも!」という妙な自信を与え(笑)、この期に及んで自分よりずっと若い女性との交際の希望を抱かせたのでした。ところで、ボクは10数年前に、祖母の叔父一族をメキシコに訪問したことがあります。祖母の叔父はもうとっくに他界していましたが、20歳以上年上の祖母の叔父と結婚した20歳の娘(妻)はまだ存命で(あいにく5年くらい前に90代で亡くなりました)、遠い親戚のボクをとても歓待してくれました。結婚当時の写真も見せてもらいましたが、40過ぎのオッサンとうら若い娘のカップルの写真を見て「これってホントにロリータ婚だよなあ」と思ったのを覚えています。上掲は、その訪問時、70年ちかく経ったそのロリータと並んで撮ってもらった写真です。後方のカップルは、10人兄弟の末っ子(歯医者)とその奥さんです。どうやら、祖母の叔父が60近くになって作った子供のようですが、何せ奥さんは当時まだ30代の盛りですから、60歳近くになってもまだまだビンビンに反応したのでしょう。ボクも見習いたいと思っています。
2010.01.26
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長くなるので昨日の日記には書かなかったのだが、バハ・カリフォルニアから帰ってからずっとしっとりスベスベだった肌が、実は帰国後2週間ちょっと経過したあたりからやや荒れ始め、3週間が過ぎたこの週末あたりにはついに頭髪の生え際に小さな吹き出物まで出てきた。バハの旅2週間で変わった肌質は、バハから帰って2週間しかもたなかったようである。吹き出物のほうの要因は容易に推察できる。きっと汚染物だ。呼吸している空気や食べ物といった体内に摂取するものが汚染されていて、それが発汗などで対外に出る際に毛穴に詰まるのだろう。去年ペルーから帰国したときは下痢が2~3週間も続いたが、実は今回もバハから戻ってから下痢気味の日が続いていた。缶スープだの冷凍ピザだのいった不健康な食べ物を消化するのを身体が拒否していたような感じだ。一方で、肌荒れの方は何が要因であろうか。というか、逆に、バハの2週間で何が肌質をしっとりスベスベに変えたのだろうか?メキシコの温暖な気候は要因ではないと思う。というのも、去年の年末年始は夏の最中のペルーに10日ほど滞在したが、肌質は気づくほど変わらなかった。ソープやシャンプーを使わなかった、というのは要因の1つだとは思うが、それだけではあるまい。というのも、バハから帰ってからソープやシャンプーの使用を抑えているのに、やはり肌が荒れ始めたからである。一方、バハの汚染のない環境や食事というのは、前述したとおり大きな要因だとは思う。しかし、それですべては説明できまい。なぜなら、去年のペルー滞在中の前半はインカ・トレイルからマチュピチュまでの山中でキャンプ生活の毎日を過ごしたが、気づくような肌質の変化はなかったからである。そこでいろいろ考えていてオレは重要な要因に思い当たった。「性ホルモンの分泌」である。前の日記で何度か言及したとおり、バハのビーチ・キャンプでは、10歳も20歳も若いビキニ姿のネーちゃんたちに囲まれて過ごした。ここ数年禁欲的な生活を続けていたオレは、キャンプの当初はネーちゃんたちがビキニ姿で身を寄せてくるだけで股間が反応してしまい大いに当惑していた。それまで休眠していた性ホルモン系統が急速に目を醒まし、体内をめぐり始めたわけである。なんとかビキニのネーちゃんたちに慣れた後も、容姿が学生時代のガールフレンドを思い起こさせる“バディ”だけはどうしても克服できなかった(笑)。ビキニ姿でなくとも、彼女がほんの半径4~50センチ以内に接近しただけで、そのフェロモンを吸入したオレはなんらスケベなことを考えているわけでもないのに自動的に股間が反射してしまうのである(こんな経験は当時のガールフレンド以来、初めてのことであった)。それでも、つねに接触しているわけではない日中はまだよかった。これが、キャンプ・ファイヤーを囲んでずっと後ろから“抱っこ”状態になる夜とか、バス車中泊などで身を寄せて寝るときなどは、もう何時間にもわたって勃ちっぱなしである(笑)。これはまさに“若返り体験”(局部的だが)であった。話がやや逸れるが、体外受精などの不妊治療の手段を一切用いず、自然に妊娠・出産した最高齢は、59歳のイギリス人女性である。この女性は50歳やそこらでいったん閉経していたが、50代後半に出会った現在の夫と出会いデートするようになって、生理が一時的に復活したのだそうな。ただ、量も少なく期間も一瞬だったので彼女はまさか生理が復活したとは思わずに交接を続け、やがて産婦人科で自分が妊娠したことを知らされてぶったまげたそうである(笑)(医者もぶったまげたに違いない)。何が言いたいかというと、60歳近い更年期をはるかに過ぎた女性であっても、恋をしてデートをするといった性的な刺激によって性ホルモンが分泌されるようになると、生理が復活してしまうくらい強力な“若返り”作用があるらしい、ということである。同じように、20代のネーちゃんたちと2週間を過ごしたオレは心身ともにすっかり20代の頃に還り、それが肌の状態にも表れていたということが大いに考えられるわけだ。この仮説が正しければ、荒れ始めたオレの肌は、つね日頃から性ホルモンの分泌を促すような刺激(若いネーちゃんとの接触とか)に曝されることによって回復する可能性があるということである。あいにく職場では女性自体が少ない上、一番若くても30代半ば、ティーンエージャーを持つ母親とかそんなのばっかりなので、あまりホルモン分泌が促されるような機会は乏しい(そんな状況になったら仕事に差し障りがありそうだが)。同様にトライアスロンチームの女性たちも40歳以上か高校生以下で、その間の適齢の女性がいない(笑)。なので、この仮説を証明するためにどうすれば自分を刺激できるか、頭をひねっている昨今なのである。
2010.01.25
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バハ・カリフォルニアでのキャンプ・ツアーから帰ってから、生活習慣が変わった点がいくつかある。1つがシャワーである。シャワーを浴びる頻度自体が減った。シャワーを浴びるときも、ソープやシャンプーを使う頻度が減った。それというのも、バハで過ごした2週間のうち、シャンプーやソープを使ってシャワーを浴びたのは中間地点(1週間目)のラパスでホテルに泊まった時の1回だけだったのだが、自分で気になるほどの体臭もしないし、至って清潔なものだったからだ。それに、帰ってきてから驚いたのが、空気が乾燥する冬場には必ずガサガサになっていた肌が、その2週間でしっとりスベスベに変わったことであった。肌の状態が変わったのには、シャワーやソープを使用しなかった以外にも、汚染のない環境での生活とか、新鮮な素材を使った食事など、いろいろな要因があるとは思われる。いずれにしても、ソープで洗顔しなくとも顔は脂ぎることはなく、むしろ吹き出もののたぐいが消え去り理想的な状態に変わったのである。そんな経験からオレがふと思ったのは、文明生活でソープやシャンプーを使って毎日洗顔したりシャワーを浴びたりしているが、これは身体を清潔に保つどころか、むしろ身体を傷めていたり、あるいは自浄作用を弱くしているのではないかということであった。考えてみると、先進国でも毎日のシャワーの習慣が一般化したのは家庭内での温水の配管が発達した戦後しばらく経ってからの話で、20世紀の前半までは先進国でも週に1回(土曜の晩)、ドガのパステル画みたいなブリキのたらいみたいなのに水を汲んで体を洗うのが一般的な習慣だったのだ。それでも十分衛生的な生活は成立していた。要するに、現代人は「毎日シャワーを浴びてシャンプーする」みたいな生活に身体が慣れてしまい、自浄能力を失ってしまった可能性はないだろうか。たとえば、歯みがきの習慣がなかった古代人の頭蓋骨を観察すると、虫歯が見当たらないらしい。これは、歯磨きが習慣化した現代人が口内の自浄能力を失ったからだという説がある。同じように、もともとシャワーを毎日浴びるようなことが習慣化しなければ、週1回なり2回のシャワーで清潔が維持できるように身体が適応するのではないか。まあ、日本みたいに湿度も人口密度も高くて満員電車で赤の他人の身体に接触するような環境では、衛生を保つ上で毎日シャワーを浴びるに越したことはないのかも知れない。でも、もしかしたら体臭を防ぐのには「水洗いする」くらいで十分で、実際には洗顔剤だのソープだのシャンプーだのは不要なのかも知れない。ソープでわざわざ必要な肌の脂分を除去しておいて、それを風呂上りにクリームを塗りたくって補うというのは、実は相当ムダなことをしている可能性がある。…つーか、現代人は、総じて「不潔恐怖症」というか、抗菌だとか高齢臭だとか口臭防止だとかいっては、別にそのままでもさして困らないものを、わざわざ「不潔な」「臭い」ものにして「清潔化」の市場を掘り起こしているような気がする。殺菌・消毒が行き過ぎた環境で育った子供がアレルギーや病弱になりやすいように、ある程度“不潔な”状態に置かないせいで、現代人は人間本来の抵抗力だの自浄能力は退化させているのかも知れない。実はオレはトライアスロンのトレーニングのために毎日走ったり自転車に乗ったり泳いだりするたびにシャワーを浴びていたので、シャワーの頻度は1日平均2回以上だった。しかしバハから戻ってからはジョギングや自転車で汗をかいたくらいなら「汗を拭く」くらいに留めることにした。バハでキャンプ生活をしていたときと同様、シャワーを浴びるときもソープやシャンプーを使わずに温水を浴びたらタオルで拭いて終わりである。おかげで皮膚は至って清潔、乾燥肌もなく快適である。頭髪はやや脂っぽいが、そのうち慣れるだろう。ちょっと臭いはするが、そのうち慣れるだろう、周りの人も(笑)。
2010.01.24
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長くなるので昨日の日記には書かなかったが、愛する異性の身体と接触した時に知覚する官能的ディテールには、ニオイ・嗅覚も欠かせない要因である。体臭については過去ブログで何度か考察しているが、オレがかねてから一貫して主張しているのは、現代人が嗅覚や体臭というものを何か野蛮な、あるいは変態なものとしてタブー視しがちなのは間違っている、ということである。体臭や嗅覚をいくら否定したり無視しようとしても、それは頑として存在し、自分の気づかないところで自分の行動を左右していたりする。…で、オレは個人的に異性と交際する上で「その人のニオイが受け容れられるか」という一点は不可避な条件だと考えている。いくら性格の良い自分好みの美人であっても、その人のワキガに耐えられなかったら交際は続けられないと思う。オレはかつてこのブログで「舞茸(エノキ茸)離婚」の存在を提唱したことがある。たまたま性交渉の最中に恋人の後門から未消化のエノキ茸がペロンと顔を出しているのを見てしまって以来、会うたびに「肛紋からぶら下がっているエノキ茸」が頭に浮かび、以来その彼女に対してすっかり欲情できなくなり離別に至るようなケースを総称したものであるが、同じようなことは相手の体臭や口臭についても起こりうると思う。オレは過去に性交渉を持った相手の体臭は、漠然とだが記憶に残っている。牧師の娘だったJの胸元や首筋からいつも立ち上ってくる、暗鬱な重みを持ったちょっと甘い体臭。小柄だったKを抱き締めた時の、微かな苦味とミルク臭さが混じったような頭の臭い。化粧っ気のないSの身体が発散する干草を薄めたような自然な臭い。いずれも個々人の紛れもない体臭だが、どれも彼女たちのパーソナリティや、快い記憶と結びついて思い起こされる。さいわいそれらのニオイのせいで幻滅したり好意を減じるようなことはなかった。念のため言っておくと、オレは決して“ニオイ・フェチ”ではない。もともと彼女たちに好意を持っていたからそれらのニオイを臭いと思わずむしろ親しみを感じたわけであって、彼女たちが仮にオレの好みのタイプでなければ、これらの体臭をクサい、不快なものと思ったに違いない。しかし、いくら好意を持っていても許容度には限界があって(ニオイ・フェチであれば話は別だが)、相手の強烈なワキガだの口臭を、親しみを持って快いものと感じられるかと言えば、それらのニオイよりもはるかに強烈な愛情でも持っていない限り、難しいと思われる。「つねに鼻をつまんで交際」というわけにも行くまいし。一方、体臭や嗅覚は前述のような否定的な意味だけでなく、「相手を選ぶ」という積極的な局面でも役立っているという説があるらしい。男性10名の脱いだ衣服のニオイを女性10名がそれぞれ嗅いで好きなタイプを選ぶという実験では、皆自分の体臭とは最も組成が遠いタイプを選定しているという結果が出たという。要するに、なるべく遺伝的に自分と“遠い”相手に好感を持つよう、人間は本能的にプログラムされているらしい、ということである。かように、本人が意識していなくとも、「ニオイ」は相手の魅力のカギになっていたりするわけである。ちなみにオレが年末年始に参加した半月に及ぶバス・ツアーは水道も電気も通っていない辺鄙な土地でのキャンプ生活とバス移動が中心であり、行程中間地点で街に泊まった2日間を除けば温水シャワーを浴びる機会はない。キャンプ地でも、水シャワーを浴びるときは自然保護の観点からシャンプーや石鹸の使用さえ禁じられていた。だから、制汗剤などの使用を例外とすれば、基本的に参加者全員“体臭全開”といった状態だったのである。ただ、毎日みんな新鮮な食材を使った健康的な食事をし、汚染のない土地で自然な生活をするので、(約1名、中国系のワキガ持ちがいたのを除けば)とくに誰かの体臭が気になるようなことはいなかった。もちろん、近くに寄れば“その人なり”のニオイはするが、必ずしも「体臭」=「不快な気分にさせるニオイ」というわけではない。考えてみると、このツアーで参加者同士が恋に落ちたりする背景には、実はこの“体臭全開”というのが見えないところで一役買っていた可能性がある。誰かの体臭を意識的に「好ましい」と感じているわけではないものの、自分が誰かに惹かれる場面では“体臭”がBGMのように流れていたかも知れない。ちなみに、親密な接触があった“バディ”であるが、頭髪から脇腹まで嗅いだが、「好ましい」とまでは思わなかったものの(笑)「これは十分許容できる」と思った。ただ、下半身については、野グソ・野ションベンの日々が続いていたこともあり、すぐに「…ああ、これは止めておこう」と思った。開放したら本人でも気づきそうな臭度だったので、年頃の娘がそれに気づいてきまりが悪い思いをさせてはならないと思ったのである。(教訓:キャンプでの性交渉は、日常的な環境での交際が深まるまでは控えたほうがよい)
2010.01.22
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去年の今頃、たのしいペルーの旅から帰国したオレは、毎晩寝るたびにペルーの夢ばかり見ていた。夢の中で、毎晩インカ・トレイルの続きをやっていたのだ。そんな状態が2週間も続いたであろうか。身体はカナダに戻っても、頭の中は寝るたびにペルーに還っていたわけだ。今年も年末年始の半月を楽しい仲間と過ごしたバハ・カリフォルニアのバス・ツアーからカナダに戻り、同じような症状が出るだろうかと心配していたが、それほどでもなかった。たしかに旅の場面は多く登場するが、夢の中で年末年始の旅の続きをやっているようなことはなかった。ただ、1つ特徴的なことがあった。旅から戻ってからこのかた、何度かリアルな性夢を見たのだ。オレはここ数年性交渉のない生活を送るようになってから、性夢じたい滅多に見なくなった。まれに見たとしても、ごく即物的な性夢であったと思う。即物的というのは、要するに性器と乳以外はディテールに欠けた、いかにも野郎が見そうな素っ気のない性夢ということだ(笑)。ところが、過去2週間に見たのは細部が充実した実に濃厚な性夢なのだ。たとえば、オレはキスには非常に鈍感でキスという行為にも女の唇に対しても性的な関心がないので夢にあまり出てこないのだが、昨日見た性夢には唇のクロースアップが登場して自分でも驚いた。理由はすぐに思い当たった。年末年始のバス・ツアーでの体験からのフィードバックに違いない。ツアーではオレの半分くらいの年の若い女性(バディ)と親密な時間を過ごす機会があったのだが、そのときにオレが感動したのは、皮膚を通して感じる相手の脈動だとか、首筋から立ち上る湿気を含んだ熱だとか、外気に触れて鳥肌が立った白い肌だとか、間近で見ないと気づかないくらいの、紅い唇の端の白い傷痕だとか、そういった官能的なディテールである。まあ、日常的に配偶者やGF・BFと寝ている人にとっては別に特別な経験ではないのだろうが、ガールフレンドのいない独身オヤジにとって、愛すべき他人の身体の詳細を久々に身近に感じた経験というのは、スケベ心とはまた別に(笑)、実に感動的だったのだ。しかも相手は学生時代のガールフレンドを思い起こさせるような美人である。オレはこのような性的興奮と官能的な感動に懐かしさの入り混じった、実に充ち足りた感情を、このツアーの半月もの期間にわたって反芻していたわけである(笑)。ところで、そんな夢を見てオレがふと思い出したのは、20年以上も昔、日本の学生時代にイギリスに短期留学した際の記憶である。オレは当時クラスメートだった3歳年下のイタリア娘と急速に仲良くなり、週末にデートをしたりするようになったのだが、どんなタイミングでどこまで手を出してよいのかがつかめないのであった。当時のオレは童貞であったが、問題はそんなことではなく、文化の違いなのであった。欧米では、別に愛する男女でなくとも、仲のよい友達であれば気安く肩や腰に手を回すとか、ハグしたり頬にキスしたりという接触はごく自然である。ところが日本では、いくら友達だったとしても、異性の肩や腰に気安く手を回したり、ましてやハグしてキスするような行為はご法度である。そもそも相手が恋人だったとしても、公衆の面前でベタベタするのははばかられるような空気がある。だから、日本の場合、相手の腰に気安く手を回すような間柄になる頃には当然キスもしているだろうし、逆にちょっと腕を組んだり手をつないだりという程度の接触でも“ただ事”ではなかったのである。たとえば、オレの高校時代、合コンの帰りに「女の手を握った」クラスメートは、そのことを翌日みんなに自慢していたりするくらいだった。要するに、欧米文化のように「異性の身体にカジュアルに触れる」ような経験がないので、「異性の身体への接触」=「性的接触」という等式が頭の中に出来上がっていたのである。そんなわけで、日本文化に生まれ育ち、さらに性経験も皆無に近いという二重のハンディキャップを背負っていたオレは、ある日デートの後に彼女のアパートに招かれたのを機会に、「手を握る」とか「ハグする」とか「腰に手を回す」とかいった前段階をすっ飛ばしていきなりキスに挑み、前フリがなかったためにまったく準備ができていなかった彼女の歯に自分の歯を思い切り激突させてしまい、イタリア訛りの英語で怒られてしまったのであった。まあ、幸いそんな失敗をキッカケに、彼女とは一気に親密度が増したのではあったが。その後、何年かに及ぶアメリカでの生活を通じて、数々の異性と性的に接触する経験を経たものの、「カジュアルに触れる」という感覚にはいつまで経っても慣れることがなかったように思う。たとえば、ハグのタイミングとか強度などの勘はある程度つかめるようになっても(笑)、親しい異性の「肩や腰に気安く手を回す」とか「頬に軽くキスする」とかいった行為をスケベ心抜きでカジュアルにやってのける域にはついに達することがなかったのである。だから、今回のバス・ツアーで、バディの彼女と接触しているときに皮膚を通して感じた官能的なディテールは、オレにとっては十分過ぎるほどに強烈な刺戟だったのだ。なんだか、酒に弱いヤツがシャンパンで酩酊していい塩梅になっている…みたいな話だが(笑)、夢にまで見るシャンパンがあるとすれば、あれはまさにそんな絶妙なシャンパンだったということだ。オレもそのうち“酒に強く”なり、そんな接触に何の感動も感じず、気安く腰に手を回せるようになる時が来るだろうか。まあ、こんな夢を見ている間は無理だろう(笑)。
2010.01.20
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世界最高齢出産は、インドの70歳の婆さんだそうだ。もちろん人工受精である。やはり自然分娩ではなく帝王切開だったそうだ。インド人女性の平均寿命は60代半ばなので、インドで70歳というと日本の感覚でいえば85歳くらいかも知れない。五体満足で生まれた子供はすでに1歳を過ぎ、ふつうに育っている。初産だったそうなので、“婆さん”呼ばわりは失礼かもしれない。“老婦”と呼ぶべきか。オレはこの話を昨晩テレビで見たのだが、いちばん驚いたのが、この老婦が母乳を与えていたことである。ホルモンの関係なのだろうか、出産すると、70歳でもちゃんと乳が出るのである。番組中に授乳シーンが何度か登場したが、垂れてはいるが立派な妊産婦の乳であった。70歳というとオレの母親の年だが、70過ぎの自分の母親が赤ん坊に乳を与えているのを想像して、寒気がするほど怖ろしく感じるのはオレだけだろうか。ほんの15年前には比較的高度かつ高価な技術であった人工受精も、15年前には比較的高度で高価なテクノロジーであった携帯電話が今では発展途上国のガキでも日常的に使用しているのと同様、比較的入手しやすく安価な技術になった。別に欧米のような医療技術最先端の国に行かなくとも、インドの片田舎の開業医が10数万円で体外受精診療をしてくれる時代なのである。どうやら現代では、70歳であろうが90歳であろうが、技術的には何歳の老婦であっても体外受精による妊娠・出産は可能なのだそうだ。ただ、妊娠・出産による母体への負担や高齢出産に関連する倫理的な問題を考慮し、先進国ではそうカンタンに70歳の老婦に体外受精診療を施したりしない。たとえば、ほんの16年前、アメリカで55歳の女性が人工授精で妊娠・出産した時は物議を醸した。アメリカ人女性の平均寿命は70代半ばである。出産・育児の体力があったとしても、子供が成人するまで生きられるかどうかも分からない老婦が子供を作るなんて無責任だという非難の声が上がったのである。そんな理由で、先進国のたいていのクリニックではだいたい50歳くらいを体外受精診療の上限としているようだ。オレの母親の時代は30歳を過ぎただけで母子手帳の表紙に“高齢出産”を意味する「マル高」(漢字の「高」を○で囲む)マークが付けられたそうだが、欧米でもほんの数年前までは多くの医療機関が人工授精診療の対象を39歳以下に限定していたようである。しかし、インドのような国は違う。「子供=(売買できる)財産」であるインドでは多産な女性が血族に歓迎される一方、子供が出来ない女性に対する世間の目は冷たい。不妊の女性は健康や命のリスクを冒してでも子供を作ろうとするし、世論も高齢の人工授精出産に対し好意的、医者も「倫理」の心配をしなくてよい。前述の70歳のインド女性の場合、費用は2頭の水牛と畑の一部を売って捻出したそうだが、帝王切開出産による老体へのダメージは避けられなかったようで、歩くときには辛そうにしている。また、インドのような国の場合、母親が死んだ後の子供の養育の心配もない。大家族というか、血族が総出で子育てをするので、必ずしも生物学的な母親が生きて子供の面倒を見る必要がない。スペインでは何年か前に67歳の独身女性が人工授精で双子を出産し、もっぱら一人で子育てしていたが、昨年子供が2歳の時に癌で死んでしまい、超高齢出産の養育の問題がクローズアップされた(結局は女性の兄が一時的に子供の面倒を見ているらしいが、スペイン人男性の平均寿命まではあと数年の命である)。まあ、あいにくインドではなく、現代の先進国に生きる女性はえてして「仕事か、子育てか」という二者択一を迫られやすい環境にあり、我々以上の世代ではキャリアのために後者を犠牲にしたという女性も少なくない。しかし、少なくとも医療技術的には、キャリアで目標を達成した後に50代で妊娠・出産するというオプションが残されているという事実は多少の気休めにはなるかも知れない。ところで、男性は女性と違って閉経もないし、一般には何歳になろうが生殖能力は尽きないとされているが、子種が高齢になるほど障害のある子供が生まれる確率は高くなるそうである。というのも、高齢になるほど、精子上の遺伝子コピーのエラーが起きやすくなるからだ。「バイオロジカル・クロック(生物学的時計)」というのは独身女性だけでなく男性にとってもある程度切実な問題だと考えるべきなのだろう。
2010.01.18
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さらにバハの旅仲間から写真が届いたので公開小移動用スクールバスの内部ボートでアシカが群れる岩場を目指す 気持ち良さそうに寝ているアシカ(これってアザラシか?)アシカは写ってませんね温泉で温まって、またスノーケリングキャンプファイヤーの空き缶・空き瓶ドラマーオレの脇で安眠するバディ枢軸国の仲間と、カフェにて
2010.01.14
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このバス・ツアーでちょっと感心したことがあったのだが、それは、30代の参加者が、60~70年代にヒッピーだった親の子供である、ということであった。愛や自由や平和といった理念を掲げて体制にアンチを唱え、フリーセックスやドラッグに溺れた青年時代を過ごしたヒッピー世代に育てられた子供がいったいどんな大人に成長したのか…というヤジウマ的な興味をオレはかねてから持っていたが、それに対する回答がこれらの参加者だったのである。彼らの子供時代の話を聞いたら、親に連れられて世界中をブラブラして周ったとか、すでに幼児の頃から親に連れられてバケーションをバハやメキシコのほかの地域で過ごしていたとか、そんな話ばっかりだった。そんな話を聞かされてオレは、「…そうか、彼らはもう親の世代から今のオレみたいなことをしていたんだよな」「彼らはオレより一世代先の人間なんだ」という、彼らに対するちょっとした敬意の混じった関心を抱いた。しかし、そんなヒッピーとしての“英才教育”を受けた連中が、いかにグローバルな視点を持つ、愛と自由と平和を体現した素晴らしい人間になったかというと、決してそういうことはなかった。彼らはいずれも面白い人間であったが、親の世代よりさらに進化した人格者といった感じではなく、そのパーソナリティの特徴をひと言で表すとすると、「confused(混乱/困惑している)」と形容詞が適当であった。1人は前々日の日記で触れた、ドイツ人女性と結婚したアメリカ人男性である。定職はなく、固定した収入源は妻がマッサージ師として稼ぐ収入である。自分は知人から依頼を受ける「犬の散歩サービス」で日銭を稼いで家計を補っている。いかにも「マリファナを常用しています/いました」といった感じのヘラヘラした無責任キャラでツアーに溶け込んでいるが、基本的な知的レベルが高いことを窺わせるような、ドキッとするような鋭いことをたまに言う。彼は、大学時代はライター(物書き)となるための教育を受けていたが、ある授業の課題で自分の子供時代のある記憶思い出した途端、深刻な鬱状態に陥り、現在に至るそうである。なんでも、彼の両親は無神論者のヒッピー大学教員で、親の研究だかボランティア活動だかで幼い頃から発展途上国を中心に海外を連れまわされていたが、いちどアフリカのど田舎で深刻な病気に罹ってしまい、ロクに医療施設もないところで生死の境をさまよったそうである。彼はそんな記憶をずっと抑圧していたのが、その大学時代の課題をキッカケにその不快な記憶に再度直面し、鬱になって大学のライティングのカリキュラムからドロップアウトしたのだという。要するに、子供時代から世界のさまざまな土地を見てグローバルな人間になったかというと全然そんなことはなく、むしろ途上国での経験はトラウマとなって彼の精神を蝕んでいる。彼はバハを旅行中も、「ちょっと“醜いアメリカ人”を演じてやるか」などと言って、地元のメキシコ人商人などを相手に購入する気のない商品の代金を散々値切った上、最後に「やっぱり買わない」などと言ってアハハと笑っていたりする。日本人のオレに対しても意識的に典型的アメリカ人っぽい“差別ギャグ”を口にしたりする。もう1人の例は、電気も水道も通っていないバハのキャンプ地のケア・テイカーである。30代後半で、1年のうちの半分近くを妻と共にこのキャンプ場で、残り半分近くをカリフォルニアの自宅で過ごしているらしい。職業は何なのか分からないが、このバスツアー会社からケア・テイカーとして収入をいくらか得ているらしい。ヒッピー世代の親の影響であろうが環境問題などに造詣が深く、子供の頃から莫大な期間をメキシコで過ごしているのでスペイン語もペラペラである。30年前の子供時代のバハの話とか、バハの原住民の話といった、ふつうのアメリカ人ならあずかり知らないような面白い話が次から次へととび出すが、その素振りからはちょっと挙動不審な感じがする。見ると、いつもマリファナを吹かしている。バハのビーチで魚介類を捕獲して食ったり、ツアーのバスが来ているとき以外は時間の感覚のない野生に近い生活をしており、ツアーバスに乗って文明の地から運ばれてくる我々との接点を、話の反応を見ながら常に探っているような感じがする。自我の確認というか。どちらの例も知的に優れていて人並み以上の教養がありながら、それを社会の中でどう活かしてよいか分からず、自分の居場所が分からない。ひと言でいえばそんな感じである。考えてみたら、60~70年代のアメリカのヒッピー・ムーブメントは発展を見ることなく、80年代のレーガン政権による保守への揺り戻しが起こって実質立ち消えたのだ。彼らが幼児期に受けたヒッピー教育は、80年代に学童期を迎えるとともに記憶の奥底に抑圧され、彼らは以降のアメリカ社会に対し不適応または過剰適応に陥ったのだ。ヒッピーの親が目指した愛と自由と平和の理想は彼ら子供の世代で体現されることはなく、彼らはその理想と現実の狭間で、混乱を内面に抱えたまま、その場しのぎの妥協的な居場所を見つけてその日その日を行きながらえている、といった感じだ。身もふたもない言い方をすれば、ヒッピー世代は社会における理想の実現だけでなく、育児にも失敗したらしい、ということだ。もちろん彼らと違って社会的に成功した彼らの同世代もいるだろうが、それはヒッピー世代が進化したものというより、ヒッピー親の教育と社会との矛盾を独力で克服して止揚したものであろう。ヒッピー親の子供といえば、コートニー・ラブとかシド・ビシャスなんかを想起するが、どうもこの世代は「親のラブ&ピースの理想の犠牲者」といった感じがして、同情してしまうのである。
2010.01.12
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ほかのツアー仲間たちから写真が届いたので掲載。美女に挟まれたバスの旅にご満悦のオレスノーケリングを終えて上陸するオレキャンプファイヤーを囲むオレと仲間罰ゲームでチョコ・バナナを無理矢理食わされるドライバーとオレ長旅で凝った仲間の肩を揉んであげているオレ砂にはまったバスを押す仲間とオレ谷の岩場を這い上がる仲間とオレ
2010.01.10
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聞き手 …そうそう、夫婦やカップルで参加していた男女についてちょっと聞かせてください。郡山ハルジ えーと、5組いましたけど、アメリカ在住のドイツ男性とアルゼンチン女性の夫婦、アメリカ在住のドイツ人女性とアメリカ人男性の夫婦、結婚してないけど一緒に生活してるアメリカ人のカップル、オーストリア人のカップル、そして、前の日記で触れた、3年前のこの会社のバス・ツアーで出会って婚約した、ニュージーランド在住のNZ人男性とアメリカ人女性のカップルと。これで5組ですよね?聞き手 国際色豊かですね。郡山 まあ、アメリカ人同士のカップルだったらクリスマスはどっちかの実家で過ごしそうなもんだし、クリスマスを挟んだこんなツアーに参加しないでしょうねやっぱり。聞き手 乱交的…じゃなく、リベラルな参加者たちの人間関係の中でも、やっぱりカップルは2人一緒に行動してるわけですか。郡山 はい、そうでしたね。たいていは群れから離れて2人で行動してました。例外はドイツ人女性とアメリカ人男性の夫婦でしょうかね。聞き手 2人バラバラなんですか?郡山 はい。2人と話したんですが、夫の方が言うには、妻の前にもドイツ女性と付き合ったけど、ひとりで放っておいても平気なんでドイツ人女性は付き合いやすいって(笑)。聞き手 …で、奥さんのほうは?郡山 夫の言うとおりだと(笑)。これがフランス人やイタリア人妻だったら、妻を放って別行動の挙句、ほかの女と親しげに話したりしたらもうタダじゃ済まないだろうって(笑)。聞き手 そうなんですね。勉強になります(笑)。郡山 女性の参加者の中でヌーディスト・ビーチで全裸になってたのはこのドイツ人女性だけでした、そういえば。スレンダーないいスタイルで...いいものを見せてもらいました!b>聞き手 そういう郡山さんも、当然全裸で…。郡山 もちろんです。聞き手 相手も全裸の日本男児なんて見たことないでしょうから、いい経験をしたと思ってるかも知れませんね(笑)。聞き手 1組だけアメリカ人同士のカップルがいたようですが、この2人はやっぱり例外的な背景があるわけですか。郡山 はい、そうでした。男性の方はヒスパニック系で、女性の方は父親が日本人、母親がオランダ人の混血で、日本人の父親は彼女が生まれる前に姿を消したので見たこともないと言ってました。さすがに会ったこともないから日本人的な影響は受けずに成長してるし、「言われてみれば日本っぽい特徴もあるかな…」って程度で、一見すると普通の白人でした。聞き手 それはなかなか複雑な背景ですねえ。妊娠した母親を棄てて姿をくらましたわけですから、やはり日本人男性に対してはあまり好い感情は抱いていなかったりするんでしょうか(笑)。郡山 (笑)。…たしかにそんな話を聞かされると、自分に対する言動や挙動が気になりますよね(笑)。会ったこともないとはいえ、やっぱり自分のルーツとして(父親に対する)漠然とした思慕はあるんでしょうし、いつそんな複雑な感情をボクに投影されるかと、ちょっとビクビクしましたよ(笑)。聞き手 結局そんなことはなかったんですか?郡山 なかったと思います。彼女はどうもそのヒスパニック系のボーイフレンドの子供を妊娠中だったようで、2人はいつも仲睦まじくしてました。めでたしめでたし(笑)。聞き手 めでたしめでたしといえば、この会社のツアーで巡り会ったというニュージーランド人とアメリカ人のカップルですけど、どんな感じなんですか。郡山 婚前ハネムーンという感じで、朝から晩まで2人の世界でした。どちらも30過ぎくらいで、女性の方は元体操選手とかで、アメリカ人女性にしては珍しいくらい無口で行儀がよい、たぶんどっかの良家のお嬢さんだと思います。男性の方はキウィー訛りのキツイ、ひょろっとした長身でアーチストっぽい感じの、実際にはエンジニアだとか言ってましたけど、まあ、ちょっとアメリカにはいそうにないタイプの線の細い優男でした。聞き手 今回のバス・ツアーではカップルは誕生しませんでしたか。郡山 あんまり注意して見てなかったんでよく分からないですけど、昨日の日記の写真でカーボーイハットを被ってたドイツ人男性、彼はベルリン出身でサンフランシスコ在住なんですけど、ツアーの最後の方では同じくサンフランシスコ在住のアメリカ人女性と一緒に寝起きしてましたね。拠点が近いんで、あれはもしかしたら真剣な交際に発展したかも知れません。聞き手 ほかには?郡山 昨日の日記の写真のドライバー兼ガイドのニイちゃんと、やはり昨日の日記のカーリーヘアーのドイツ人の娘とが結構いい感じでしたけど、彼女がやがてドイツに帰国した後でどう展開するかがちょっと微妙なところですね。聞き手 ...あれ、写真を見た限りでは、あのカーリーヘアーの娘は隣のイタリア人青年といい感じなのかと思ってました。郡山 うーん、あのイタリア人青年は押しの強さでドライバーのニイちゃんにちょっと負けてましたねえ。…あ、そうだ、あと、ドイツ人の50代のオバチャンと、アメリカ人の元海軍の50代のオッサンの微笑ましい交際の様子がツアー中の密かな話題になってたんですが(笑)、ツアー最終日の2日前ついにオッサンが土産屋で買ったアクセサリーをオバチャンにプレゼントしているのが目撃され、あれは結構マジだろうという噂になってました。聞き手 いいですね。ちょっと純愛話っぽいじゃないですか(笑)。郡山 はい。あのドイツ人のオバチャンを狙っていた高齢参加者のオッサンはほかにもいたみたいですが、あの元海軍のオッサンは無口で純朴なジェントルマンで、参加者はみな彼の方を応援してたと思います。聞き手 それはそうと、郡山さん自身はどうなんですか。バディの彼女と。郡山 …ああ、はい、真剣な交際に発展する可能性、2~3%といったところでしょうか(笑)。聞き手 彼女とは「親密な時間」を過ごしたんじゃなかったんですか!郡山 …ええ、それは、ワタシの方はこのところ女性関係がご無沙汰だったこともあり、また、学生時代のガールフレンドの面影を重ねてしまったこともあって(笑)、年甲斐もなくすっかり夢中になってしまったのは事実ですが、相手はなにせ自分の半分の年齢の学生ですし、たまたま旅行中の2週間で「親密な」時間を過ごしたことがあったからといって、彼女がワタシに何らかの永続的な感情は持つことはないだろうと分析しています。聞き手 ずいぶん冷静というか、消極的な分析ですね(笑)。郡山 いや、正直なところ、「自分は本来やってはいけないことをしたのではないか」という疑念はずっとあるんですよ、20歳以上も年下の初心な娘を相手に。聞き手 …たしかに、同じことを同じ相手に5年前にやってたら、たぶん犯罪だったんでしょう、どこまで「親密な」ことをしたのかは知りませんが(笑)。郡山 中3の姪がこれを読んでる可能性が高いので、具体的な話は控えますが(笑)。聞き手 …もうツアー以来、音沙汰なしですか。郡山 いや、Eメールとかでやり取りはしてます。またいつかほかのバス・ツアーで会おう、とかね。聞き手 …まあ、今は半分の年齢かも知れませんが、あと10年経てば5分の3、20年経てば3分の2の年齢ですから、そうやって気長にやりとりを続けたらいいじゃないですか。郡山 ...次のバス・ツアーで会う頃には、彼女もカップルで参加してる可能性、2~30%といったところでしょうけどね(笑)。聞き手 また別のツアーで新たな出会いがあるかも知れません。郡山 はい。もうツアーの期間限定での付き合いでボクは十分ですけど(笑)。聞き手 こんなバラエティに富んだグループと、私もいつか一緒に旅行してみたいと思いました。郡山 そうですか。たしかにこんなバラエティに富んだ濃い面子と一同に会せる機会は、このバス・ツアーを置いてほかにないかも知れません。参加者もみんなそう言ってました。聞き手 でも、参加者の面子の濃さに恐れをなして、尻込みしてしまいそうです。野グソ・野ションベンは平気なんですけど(笑)。郡山 日本人女性はモテるし、珍しがられるでしょうから、平気だと思いますけどね。いずれにしても、この会社のほかのバス・ツアーには、ボクもいずれまた参加したいとは思ってます。
2010.01.09
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聞き手 参加者の面々について聞かせてください、バディ以外にも(笑)。郡山ハルジ はい(笑)。最高齢は70代のアイルランド出身のオバチャン。この人はこの会社のバス・ツアーの20年来の常連みたいです。聞き手 我々の母親の年代ですか。ちょっと考えられない...(笑)。しかし、このバス・ツアーってそんな昔からあるんですか?郡山 創業者は現在41歳だそうです。学生時代に起業したんでしょうね。聞き手 へえ。少しサンフランシスコという土地柄を感じます。郡山 このバス・ツアー会社、「Green Tortoise」(緑の亀)っていうんですけど、どうもかつて「Grey Rabbit」(灰色のウサギ)というライバル会社があったそうで(笑)、 最終的にカメが競争に勝ってウサギの会社を買収して現在に至る…というウソみたいなホントの逸話を聞きました(笑)。聞き手 イソップ寓話ですか(笑)。じゃ、最年少は?郡山 18歳の、高校を卒業したばかりのユダヤ人の少年。どうやら、知能の高い子供ばかり集めた特別な学校に通ってたらしくって、やたら難しいことばかり言って参加者にアピールしたがって、煙たがられてました(笑)。聞き手 参加者の大多数が自分の親みたいな年だし、対等にやり合うために背伸びしてたんでしょうかね。郡山 ええ、でも両方とも心理学者の両親は、もう60代だとか言ってましたけどね。そういえば、中学の時に自然研修旅行で北海道に旅行したことがあるとかで、カタコトの日本語のフレーズをしゃべってました。あと、同級生にはロビン・ウィリアムズの息子がいたとか言ってました。聞き手 ロビン・ウィリアムズというのはすごいですね。でも、ユダヤ人ってクリスマスを祝う習慣がないから、この時期に家族を離れてこんな長期バス・ツアーに参加しているというのも納得ですね。郡山 はい。ほかにも同じユダヤ人で、元メリルリンチの副社長だったという50代のオッサンも参加してました。今は仕事を辞めて学生に戻ってるそうですけど。聞き手 メリルリンチの副社長と言ったら、きっと年収が億単位だったんじゃないんでしょうか。郡山 たぶんそうなんでしょうね。このオッサン以外にも、ニューヨークの銀行家だったオッサンとか、金持ちなんだろうにどうしてこんな低予算のツアーに参加してるのか疑問に思うようなオヤジが何人かいましたね。聞き手 みんな1人で参加してるわけですよね。郡山 そうです。離婚してひとり暮らしとか、たぶんそんな感じの身の上だと思います。聞き手 いくらお金があっても、中年が1人で、たとえば豪華客船クルーズに参加して旅しても、寂しいし場違いでしょうから、クリスマス休暇に人恋しさにこんなアットホームなバス・ツアーに参加したりするのかもしれませんね。郡山 はい、ボクもそう思いました。聞き手 あと、印象に残ってる参加者は?郡山 いっぱいいて、その人たちの話だけで終始しちゃいそうです。そうだなあ、個人的にはドイツ系は働き者で規律正しくて、一緒に旅をしてて気持ちいい連中でしたね。聞き手 ははあ、ツアーだしある程度団体行動で、しかもキャンプ生活だし、参加者の国民性や性格によっていろいろ軋轢も発生してくるんでしょう。郡山 そうなんです。設営とか料理とか後片付けとか、積極的に労働する参加者のメンツはだいたいいつも決まってて(笑)、また集合時間の遵守とかでも、遅れてくる連中のメンツがやっぱり決まってる(笑)。聞き手 その点、ドイツ系は日本人と一緒でしっかりしてると。郡山 そうなんです。女の子はスタイルもいいし、ビキニを着せたらそれはキレイでしたねえ。聞き手 やっぱり話はそっちに行くんですか(笑)。ちなみにどんなドイツ系の女の子がいたんですか?郡山 フランクフルト近辺の出身の大学生の子は、8月からずっとアメリカに滞在してるそうで、もう英語ペラペラでしたね。性格も円満で、いつもニコヤカでねえ。聞き手 上の写真の娘ですか。郡山 左端のカーリーヘアーの娘です。一番右が前述のユダヤ人少年。聞き手 カーリーヘアーの子は14日目の写真に出てきてますよね。郡山 はい。あの日の日記に、カフェのテーブルを囲んでいる写真がありますが、彼女の右隣の2人はオーストリア人のカップルで、左の男はイタリア人。聞き手 まさに第二次世界大戦の枢軸国の会合といった感じですね(笑)。郡山 やっぱり気が合いますね、独・伊とは(笑)。だいたい、アメリカ人とかオーストラリア人とか、連合国系の出身者は労働に消極的で、時間にもルーズでダメです!聞き手 (笑)。まあ、それは冗談でしょうけど。でも、規律の問題などで、働き者と怠け者が口論に発展するような場面も出てくるわけですか?郡山 うーん、半月の間で参加者が口論してたのは、バスの車中で寝場所を確保するのに、アメリカ人同士が口論してるのを一度見ただけですね。聞き手 スペースの限られた車中での寝床の確保にはさすがにみんな殺伐とするわけでしょうか(笑)。でも、さすがヒッピー・バス、みんな基本的に平和的なんですね。郡山 はい。ドイツとイタリアはいつも文句を言わずに黙々と作業をしていて、ついブツブツ文句を言いたくなる日本人のボクは、「自分も見習わなきゃ。」と反省しました(笑)。聞き手 (笑)。...で、怠け者はやっぱりアメリカ人と(笑)。聞き手 いや、働き者のアメリカ人もいましたよ、もちろん。ただ、いつも作業時に姿を見かけない連中は、決まってアメリカ人でした。聞き手 アメリカ人って、「やりたい人がやればいい」みたいな暗黙の行動原理があるような気がしますけど。郡山 どうでしょうかね。「1日2回の料理のうち、どちらかには参加するようにしましょう」とか「調理に参加しなかった人は、後片付けに加わりましょう」といった、ツアー上のガイドラインは一応あるんですけど(笑)、ガイドの人も含め、誰も強制はしませんでしたね。聞き手 なるほど。まったくの自主運営、自主管理と。聞き手 ところで、ガイド兼ドライバーの人は、どんな人物なんですか?郡山 2人とも地元サンフランシスコ在住のアメリカ人です。聞き手 上の写真はそのガイド兼ドライバーの1人ですか。郡山 そうです。右側はツアー常連の、サンフランシスコ在住のメキシコ人のネーちゃん。ガイドは2人とも一見すると20代のアンチャンにしか見えないんですが、実際にはどちらも30代で。ちなみに1人は大学で政治科学を専攻してたとか言ってました。聞き手 皆さん高学歴なんですねえ。郡山 そうなんですよ。ガイドも参加者も、会話をすると、いろんな作家名とか書籍とか史実とかがポンポンと出てきて、日本では人並みの教養を持つボクも着いて行けませんでした。聞き手 アメリカでリベラルなヒッピー系というと、どちらかといえば教養のある層ですよね。郡山 そうですね。典型的なアメリカ人だったら、こんなツアーに参加して、ヨソの国から参加してる人たちと会話が成立しそうにないですから(笑)。聞き手 (笑)。オーストリア人が何語を話すとか、ニュージーランドがどこにあるとか、一般のアメリカ人は知らなさそうですもんね(笑)。聞き手 ところで、写真の女性ですけど、メキシコ人が自国を旅するのに、わざわざこんなアメリカのツアーに加わったりするわけですか?郡山 う~ん、この娘はおそらく金持ちのメキシコ人の娘で、好きでアメリカに住んでるみたいでしたよ。聞き手 家族はメキシコに住んでるんですよね。郡山 そうみたいです。もともと写真を撮りながら海外をブラブラしてたようです。過去のボーイフレンドの話をし出したら、オーストラリア人、アメリカ人、イギリス人、フランス人…と、全部で6カ国くらい国籍が挙がりました(笑)。聞き手 インターナショナル・プレーガールですね。郡山 ツアーの最中もいつも誰彼かまわずベタベタしてて、ネコみたいな、明るくて人懐こくてみんなから愛されるけど、労働はしない(笑)、そんなお嬢さんでした。聞き手 ところで郡山さんって結構、人の働きぶりにこだわりますよね(笑)。郡山 そうかも(笑)。自分が怠け者だからというのがバレバレですね。(つづく)
2010.01.08
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聞き手 ズバリ、今回の旅では何がいちばん楽しかったですか。郡山ハルジ Cabo Pulmo でのスノーケリングがすごかったです。1泊したバヒア・デ・ロサンヘリス、4泊したプラヤ・エスコンディダ、2泊したカボ・プルモの3箇所でスノーケリングをする機会があったんですけど、カボ・プルモはケタ違いにスゴイ。聞き手 カボ・プルモって、バハの最南端のところでしたっけ?郡山 いや、最南端はカボ・サンルーカスで(カボ caboは英語の cape (岬) と同義)、カボ・プルモはそれよりも100キロくらいコルテス海側にある場所です。前の2箇所は完全にコルテス海に面してますが、バハの南端のカボ・サンルーカスやカボ・プルモは太平洋とコルテス海が合流しているところなので、魚介類の種類が豊富らしいんです。聞き手 スキューバ・ダイビングでなく、スノーケリングなんですよね。郡山 そうです。前の2箇所は電気も水道も通ってない未開発地なので、自分が持ってきたスノーケルのギアでスノーケリングをするほかないですけど、半島の南端は観光開発の波が押し寄せ始めていて、多くの場所はスキューバやスノーケリングの業者が事務所を構えています。なので、業者にギアだけ借りるとか、あるいは業者が主催する半日や1日ツアーに参加してダイビングスポットまでボートを出してもらい、スキューバやスノーケリングに興じるような形になります。別に深く潜らなくとも透明度が高くていろいろ見れたので、ボクは今回はスノーケリングしかしませんでした。聞き手 どんな魚や動物がいるんですか。郡山 あんまり魚の名前は知らないんですけど、沖縄やカンクンでスキューバダイビングしたときに見たような、エンジェルフィッシュみたいな色とりどりの熱帯魚やサンゴ礁はその前のキャンプ地でも見れたんですけど、カボ・プルモで圧巻だったのは回遊している魚群です。何千匹ものイワシみたいな魚が銀色の腹をキラキラと煌かせながらシンクロして泳いでいる。「ウォー!」とか思いながら、海中に潜ってその魚群に紛れて泳いでいると、今度はそのイワシの魚群を追ってマグロみたいな大型の魚の何百匹もの群れがワーっとどこからともなく現れる。テレビの海洋ドキュメンタリーでしか見たことのないような、大小の何千という魚群が、海中で腹をギラギラと光らせながら上下左右に舞い踊る姿を目の前で見れる。聞き手 写真やビデオがなくって残念ですね。郡山 もう写真撮ってるどころじゃないですよ、それを経験するのに夢中で。ダイビング用のカメラを持参してる仲間がいましたけど、もう魚と一緒に泳ぐのに夢中で写真を撮るのをすっかり忘れてましたよ。ボクは午後のツアーに参加したんですけど、午前のツアーでスノーケリングした連中は、マグロみたいな大型魚を追ってさらにサメがやってきたのを見たと言って興奮してました。聞き手 イワシ<マグロ<サメですか(笑)。最後はクジラまで出てきたりして。郡山 イルカもウミガメも見ましたが、クジラだけは時期が早すぎたみたいで見れませんでしたねえ。クジラが出産&子育てにバハを訪れるのは1月下旬からみたいです。でも、何10匹もの大型のエイが海底をヒラヒラと飛ぶように泳いでいる姿も見ましたし、あと、アシカと一緒に泳ぎましたよ。聞き手 そういえば去年はペルーでアシカと泳ごうツアーを逃してましたが、ついに一緒に泳げたんですね(笑)。郡山 はい。岩場で何10匹ものアシカが日光浴してるんですが、1匹だけ海でトロトロ泳いでるヤツがいたんです。ボートの舵取りのメキシコ人のオヤジが近寄ってもいいというんで泳いで近づいたら、不思議と逃げないんです。…で、近くでよく見たら、横っ腹の皮膚がえぐれてて、肉がむき出しになってて。サメにでもやられたのか、あるいはケンカで仲間に噛まれたのか、あるいはボートのスクリューにでも接触したのか。聞き手 ケガのせいで弱って岩に登れなくて、仕方なく海面で泳いでたということですか。郡山 きっとそうだったんでしょうねえ。一瞬海中でそのアシカと目が合ったんですけど、助けを求めるかのような、なんだか哀しい目をしてました。アシカと泳ぐ姿は誰かほかの人が写真に撮ってくれてたかも知れません。ほかの参加者たちからの写真が回ってきたら後でアップしますよ。聞き手 ハイキングもあったんですよね。郡山 はい。でも、参加者のほとんどは海がお目当てなので、キャンプ中に有志でハイキング・ツアーを組んでも、小規模なものにしかなりませんでした。どうも、何ヶ月か前のバハのバス・ツアーで、ハイキングの最中にガイドの制止を振り切ってロック・クライミングを始めたヤツが落下して大ケガしたそうで、ガイドもあんまり積極的じゃなかったですね。聞き手 写真を見ると、水に腰まで浸かって、岩場を両手両足を使って登ったり、結構タフっぽそうですよね。郡山 そうそう、上の写真のは谷を遡るコースだったんですが、途中には腰くらいの深さの水が溜まっているところが何箇所かあるんで、みんな下に水着を着て行って、そこに達すると水着姿になって通過するんです。聞き手 ちょっとした冒険ですね。温泉もあるんですよね。郡山 温泉は2つのキャンプ地にありましたけど、1箇所のほうは途中まで車で行くんですが、ボクらが訪れたときにはその車道のルートが途中で閉鎖されてて、泣く泣く引き返しました。結局経験できたのは、2つめのキャンプ地の、引き潮の時だけ温かい海岸に湧いてる温泉でした。聞き手 おとといの日記の写真のヤツですね。郡山 そう、アレです。満ち潮になると海水が入り込んでぬるくなるので、温泉気分が味わえるのは1日のうち数時間だけなんですけどね。聞き手 屈斜路湖の砂湯を思い起こします。郡山 …ああ、ちょうどあんな感じです、砂と岩の違いだけで。みんなスノーケリングで海中に何10分もいて身体が冷えたら、温泉に入って温まって、また海中に戻る。みんな「ビールを持ってきて、夜に星空を見ながら浸かりたい」って言ってました(笑)。郡山 あと、単純に楽しかったのは、キャンプで自分たちで作ってみんなで食べる食事と、その後のキャンプファイヤーです。聞き手 キャンプには付き物ですね。郡山 はい。ギターを持ってきた参加者がコードを弾くのに合わせて参加者が歌うんですが、みんなアルコールが入ってるので、夜遅くまでノリノリです(笑)。ボクとかは知ってる歌があんまりないんで、空き缶やバケツを叩いてずっとリズムを取ってました。聞き手 そうか、キャンプ場と違って周りに誰もいないし(笑)、誰にも気兼ねなく夜更けまで大声で歌ったりバケツを叩いたりできるわけですね。それは楽しそう。郡山 あと、みんなが順番に、自分が畏敬する人物についてだとか、来世は何に生まれてきたいかとか、そういった“青春”っぽいとりとめもないテーマを、輪の中心にある炎を見つめながら語ったりするわけです(笑)。聞き手 真っ昼間にシラフではなかなかできない…(笑)。郡山 そう(笑)。まあ、そんなこともあって、参加者がみんな急速に打ち解けたりするわけですけどね。
2010.01.07
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郡山ハルジ とつぜんお呼び立てしてすいません。聞き手 お久しぶりです。ちょうど1年前のペルー以来ですね。ずいぶん日に焼けましたね。郡山 トライアスロンのシーズンが終わってからすっかり日焼けも褪めてたんですが、また黒くなっちゃいました。職場でも白い目で見られてます(笑)。聞き手 今回は何も下調べしてないし、バハに関する予備知識もないんで、あんまり的を得た質問はできないと思いますけど、ご了承ください。ブログは読んでましたけど。郡山 すいません、今回はもともとインタビューの予定はなかったんですけど、書きたいことがいろいろありすぎて、なかなかまとまらないので、急遽インタビューしてもらうことにしたんです。よろしくお願いします。聞き手 メキシコは何度か旅行されていますが、バハ・カリフォルニア半島はメキシコ本土とどう違いましたか。郡山 アメリカ国境付近のティファナから、100キロ南にあるエンセネダまではそれほど本土と変わりないと思います。こじんまりとしてて、こぎれいですけど。聞き手 エンセネダというと、2日目の写真のところですね。これってコスプレですよね。郡山 そうです。途中で停まったエンセネダの港を散歩してたら、どこからともなく日本語の歌が聞こえてきて、見たら、村祭りのステージみたいなところでメキシコ人のネーちゃんが何かのアニメのテーマソングみたいのをほとんどカンペキな日本語で歌ってる(笑)。意味は分かってないでしょうけど(笑)。ステージの下では仲間らしき女の子たちがやはりコスプレの格好で手拍子をとってる。聞き手 オタクの波はついにバハ半島にまで到達したかと(笑)。 郡山 感慨深かったです(笑)。女の子ばかりでしたけどね。でも、エンセネダからさらに南下すると、サボテンしかない手付かずの荒地になります。その荒地に、1車線のハイウェイが南北に1本だけ通っている。そのハイウェイ沿いに2~300キロ間隔くらいで人口数百人規模の埃っぽい集落があって、ガソリンスタンドとちょっとした雑貨屋みたいのが何件か並んでいる。バハというのはそんな所です。聞き手 旅先から写真を何度かアップされてましたけど、インターネットのコネクションはあったわけですよね。郡山 携帯電話がつながる程度の街であれば、インターネットはありましたね。雑貨店とか文房具屋みたいなところにネット接続したコンピュータを何台か置いていて、30分1ドル(10ペソ)くらいで使わせてくれる。接続スピードは遅いですけど。聞き手 でも、キャンプをした場所は、電気も水道も通ってないような土地なんですよね。郡山 そうです。バハは、その1本だけのハイウェイを離れると、あとは未舗装の道ばかりです。キャンプ地にはそんな未舗装道路を何10キロか走って到達します。聞き手 4日目の日記の写真でしたか、あんな険しそうな未舗装路を、あんな大型バスで走れるものかと、ちょっと感心しました(笑)。郡山 ああ、あのキャンプ地は大型バスで進入するのは危険なので、実は途中で荷物だけを小型バスに積み替えて、参加者は皆10キロ近く歩いて到達したんです。聞き手 やっぱり(笑)。ちょっとロスト・ワールドみたいな風景でしたもんね。郡山 そうですね。水から食料からすべて何100キロも離れた街で調達していきます。ただ、あのキャンプ地は、海でロブスターからマグロの類まで、海産物が簡単に獲れるんで、夕食では新鮮な海産物が食べられました。聞き手 え、自分で釣ってくるんですか。郡山 いや、キャンプ地には「ケア・テイカー」と呼ばれる自主的な管理人がいて、一定期間そのキャンプ地で自給自足みたいな生活をしてるみたいなんですよ。その人たちが浜釣りしたり海に素潜りして獲ってきたものを食材に使わせてくれました。聞き手 あの、それってもしかして、いわゆる密漁ですか…(笑)。郡山 そうだったのかも(笑)。漁をする人はメキシコ政府からライセンスを買わなきゃいけないんですけど、ケア・テイカーの人たちがライセンスを持ってたかどうかはちょっと不明です。聞き手 その人たちって、やっぱり休暇でそのキャンプ地に来てるわけですかね。郡山 うーん、何だったんでしょうね。学者くずれとか、環境保護運動家くずれみたいな感じの、教養のありそうなアメリカ人でしたけど、何をして生計を立てているのかちょっと不明でしたねえ(笑)。収入の一部はもちろんそのツアー会社から出ているんでしょうけど。スペイン語はペラペラで、1年のうち半分くらいはそのキャンプ地で生活してるみたいでしたよ。一種のナチュラリストでしょうか。郡山 そうそう、ケア・テイカーで思い出しましたが、キャンプ地で寿司を食いました。これです。聞き手 おお!もしかして、海で獲ってきたネタをそのまま…郡山 そうなんです。ケア・テイカー夫婦の奥さんは韓国人とのハーフで、我々キャンパーに巻き寿司の作り方を指導してくれました。寿司ネタの魚も4種類くらいありました。海苔はもちろんガリやワサビまでアメリカから調達してきていて、みんなで協力して本格的な寿司が出来ました。聞き手 焼き魚まで盛られてますね。郡山 はい。バター焼きのロブスターや生ハマグリまで出て、もうこれがどれも新鮮でホントに美味い。これらを食えただけでも、ツアー費用の元が取れたと思いました(笑)。聞き手 メキシコの人里はなれたキャンプ地で寿司とは(笑)。贅沢ですねー。郡山 バハには産業もないし開発されていないので、コルテス海は汚染がありません。海産物が美味いのも当然ですね。聞き手 汚染がないで思い出しましたが、1週間シャワーを浴びなかったんですよね。郡山 はい。毎日海に入ってたんで、それがシャワー代わりですね(笑)。海水自体がキレイなんで、海から上がって身体を拭けば、思ったより清潔なもんでしたよ。食器を洗うのにも海水を汲んできて使ってましたし。聞き手 うーん、それでも、1週間シャワーなしは女性にはちょっとツライものがありますね。さすがに海の中で堂々と股間を洗ったりとかはなかなかできないでしょうし(笑)。髪の毛も長いですからね。郡山 たしかに(笑)。キャンプ中に女性と緊密に接触する機会がありましたが、その時はたしかに臭いましたねえ(笑)。聞き手 臭うような行為をしたのか(笑)。郡山 でも、ケア・テイカーの人が自分のトレーラーで1回3ドルくらいで「簡易真水シャワー」のサービスを提供してたんで、女性の多くはキャンプの後半にはそれを利用してたみたいです。聞き手 写真を見た限りでは単なる寝グセと区別がつきませんけど、やっぱり頭髪はキレイさっぱりというわけにはいきませんよね。郡山 はい、頭髪の脂っぽいのだけは、いくら海水がキレイでも、どうにもならないです。飲料水を指になじませて髪を梳いたりはしてたんですけどね。あの1週間分のゴワゴワは初めての経験でした。聞き手 トイレは基本的に野グソに野ションベンとして(笑)、ゴミはどうしてたんですか?郡山 燃えるゴミ、燃えないゴミ、有機ゴミの3種類のバケツに分別して、キャンプの最終日に燃えるゴミは燃やし、有機ゴミは近くの集落で飼われている豚のエサになり、燃えないゴミは持ち帰って、街に着いたら処分します。聞き手 豚のエサですか…(笑)。郡山 まあ、中国あたりだと、人糞をエサにすると聞いたことがありますが、残飯や果物の皮なんてそれに比べれば贅沢ですよね。聞き手 ちなみに使用済みのトイレットペーパーとか生理用品とかは何に分別してました?まさか有機ゴミとか…?(笑)郡山 燃えるゴミとして燃やしてましたね。そういえば燃えるゴミの中にコンドームを棄てたヤツがいて、ゴム製なんで燃やしたら臭かったです。聞き手 誰が使ったものか、ちょっと気になりますよね(笑)。郡山 まあ、カップルで参加していたヤツらの誰かでしょうけど。そういえば、夜中に一度だけ男のヨガリ声を聞きました。100m以上は離れていたと思いますけど、波と風の音しかないようなところだし、一瞬のちょっとした声でもよく通る(笑)。ヨガリ声にもちゃんとアクセントがあるようで、「ああ、あのニュージーランド男とアメリカ人女性のカップルか」と…(笑)。聞き手 もうプライバシーもへったくれもありませんねえ(笑)。郡山 朝、顔を見たら2人とも「昨夜ヤリました」って顔に書いてあるし(笑)。まあ、2週間も一緒にいたら、ある程度お互い様ですけどね。(つづく)
2010.01.06
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今回のバス・ツアーは、バハ・カリフォルニアという場所もすごくよかったし、各キャンプ地でのスノーケリングやハイキングなどの活動も楽しかったが、いちばん楽しかったのは34人のツアー仲間との交流だったかもしれない。とくに、学生時代に還って若いネーちゃんたちと遊べたのがすごく楽しかった。半月もの間寝食を共にする(厳密に言うと、寝の一部と食のほとんどを共にする)ので、気が合う連中とは急速に親しくなっていく。昨日の放浪の達人氏のコメントにもあったが、実際にこのツアーで知り合い、結婚に至るカップルもいる。今回の参加者の1人はこのバス・ツアーの常連であったが、18歳の一人娘は19年前のこのツアーでバス・ドライバーとの間に出来た子供だと言っていた(笑)。今回のツアーに限って言えば、参加者の3分の1が夫婦または恋人同士で参加していたし、しかも50歳以上の高齢者が4分の1を占めていたため、不特定多数の参加者による派手な性的活動や露骨な行為はなかったものの、かつてはバス内での軽度の乱交的行為(参加者のみんながバスの座敷席に横たわり服を着たままで弄り合うとか)は恒例だったようだ。たしかにこの旅コミュニティにはそんなリベラルな側面はある。たとえば、初日に参加者AとBがバスの中で抱き合って寝ていたので「ああ、この2人はそういう仲なんだ…」と思っていたら、その翌日には2人とも別の参加者と肩を組んで歩いていたりする。30数人の大所帯で半月もの間旅をしているのに、特定の参加者をターゲットにして追い回すような行為はむしろヤボだということらしい。だから、みんなヘンなこだわりなく、いろんな参加者と積極的に活動をともにしている。(とはいえ、今回のツアーに限っていえば、複数の参加者とおおっぴらに精交に及んでいるヤツはいなかったようだ)ただ、参加者たちの所在確認のための「バディ・システム」というのがあって、参加者の2人ないし3人がひと組になり、ツアーの期間中お互いが行方不明にならないよう監視する仕組みになっているので、その“バディ”になった相手とは必然的に一緒にいる機会が増える。ちなみにオレの“バディ”は大学3年生のアメリカ人の娘であった。その娘はたまたま同じくサンディエゴから合流したので、「じゃあ、あなたが私のバディね!」ということになったのだ。彼女はフランス大統領サルコジの夫人によく似た美人で、オレがアメリカで学生だった頃のガールフレンドにもちょっと似ていた。バディが自分の倍の年齢だとは夢にも思わず「マイ・バディ」と呼びながら笑顔でオレに身を寄せてくる彼女に、オレはこの娘と半月もの間一緒に過ごせるのだと考えただけで、もうツアー費用の元がとれたと思った(笑)。実際キャンプ地では、この“バディ”をはじめとする、自分より10歳も20歳も若いビキニのネーちゃんたち(もちろん野郎どももいるが…)と泳いだり温泉に浸かったり、キャンプ地によってはヌーディスト・ビーチで全裸で日光浴したり(あいにく彼女たちのほとんどはビキニのままだったが…)、一緒にハイキングに出たり、夜はキャンプ・ファイヤーを囲んで肩を抱き合ったり歌を歌ったりとりとめのない話をしたりする。ところでオレは女性と最後に“親しい交際”をしてからかれこれ○年も経つので、最初のうちは若くてキレイな白人のネーちゃんたちがビキニ姿とかで親しげに身体を近づけきたりしただけで、もう反射的に股間が反応してしまい当惑していた。おまけに旅行期間中はプライバシーの乏しい環境で、否応なく禁欲的な状態にある。とくにオレの“バディ”は学生時代のガールフレンドによく似ていることもあって、反応ぶりは我ながら見事であった(笑)。彼女がオレの生理的反応に気づいていたかどうかは不明であるが、周りで見ていた連中の一部はオレの様子に気づき、「このジャパニーズのヘンタイオヤジめ!」と思っていたに違いない。まあ、“バディ”の彼女とはとくに親密な時間を過ごせて、オレは幸福であった。自分が40過ぎのオヤジであることを忘れて、学生時代に還って一回り以上も若い連中と毎日バカなことをして遊べた、ホントに幸運な2週間であった。
2010.01.04
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新年おめでとうございます。現在氷点下15℃のカナダの自宅です。サンディエゴからフライトを3つ乗り継いでようやく戻りました。いやあ、よかったよかった、とてもいい旅行でした。バハ・カリフォルニアもよかったが、30数名のツアー仲間もよかった、こんな旅行だったら何回やってもいいや。このツアーのリピーターが多いのも道理です。どんなバスツアーなのかをひと言で説明するのはかなり難しいが、近代的バスの形をとったひょっこりひょうたん島(←40歳以下は知らんか)というか、70年代にヒッピーどもを乗せてアメリカ中を走り回っていたフォルクスワーゲンのマイクロバスを組織化し大型化したものというか、要するに、同じバスに乗って一定期間をともにする一種の旅コミュニティがこのバスツアーなのである。朝のブリーフィングのひとこまいちばん象徴的なのが夜のバス泊。今回は15日間のうち4~5晩くらいをバス泊で過ごしたが、オレはてっきり夜行長距離バスみたいにシートが150°くらいに後ろに倒れるんだろうと思っていたが、そうではなかった。この特別仕様の大型バスは定員が34名で、車内の後方3分の1が座敷席(プラス、トイレとドライバー兼ガイド用の寝台)で、中央部の3分の1弱が4人掛けのテーブル席2つ、そして前方の3分の1が6人掛けシートを2つ向かい合わせた形になっている。ゆっくり休みたい連中は後方の座敷席で横になってくつろぎ、仲間同士でカードゲームに興じる連中がテーブル席に陣取り、車中からの景色を楽しんだり真っ先にバスから降りたい連中が前方の席に座ったりして、各自が好きな席で車中過ごすことができる。だいたい、高齢メンバーが後方座敷席、若い活動的な連中がテーブル席、オレみたいに黙って延々と景色を眺めていて飽きないような連中が6人掛けシートに座っている。この車中が、ツアーの仲間うちが「ミラクル」と呼ぶ大変貌を遂げる。後方の座敷席はそのまま7人分の寝台に、テーブル席はテーブル上とテーブル下にマットレスを並べてダブル2段ベッドに、前方席は、足元の通路が頭上棚の一時荷物置き場になり、そこにフタをすると9人分の座敷席兼寝台に変貌する。8つの頭上の荷物棚はマットレスを置けばそのまま8人分の寝台になる。これで32人分(プラス、ドライバー2名)の寝台バスに早変わりするわけである。 早朝のひとこま。クリックすると動画にジャンプ 乗客は原則的に寝袋を持ち込んで寝るわけだが、当然のことながら赤の他人、しかもしばしば赤の他人の異性と枕を並べることになる。要するに、プライバシーがないに近い状態で、他人のイビキや放屁を聞かされたりしながら、(荷物棚の寝台を別とすれば)これまで会ったことのない他人と枕を並べて寝起きすることになるのだ。「そんなの考えられない」と思った人はこのバスツアーは間違ってもお薦めできないが、一方で、こんな環境で日夜を共にするのからこそ急速に親しくなれるという一面もあるわけだ。ところで今回のこのツアーの参加者だが、ちょっと驚いたのは、50代~70代が8名もいたことだ。オレはてっきりこのツアーの最高齢かつ唯一の東洋人になるかと思っていたが、フタを開けてみたら平均年齢よりちょっと上といった程度なのであった。とはいえ、低予算のヒッピー風アドベンチャー旅行なので、やはりメインは20~30代の独身男女である。本来ならクリスマス休暇を家族と過ごすとか、長年連れ添った妻や夫とクルーズ船で過ごしていそうな50~70代の参加者の多くは皆どこか「ワケあり」といった感じで(笑)、離婚してひとり暮らしとか、休暇を家族とは過ごせない何らかの事情がありそうな様子であった。集合前のひとこま。クリックすると動画にジャンプ一方で参加者の国籍の構成であるが、半分強がアメリカ人で、残り半分弱がアメリカ在住の外国人または欧州やオセアニア出身の西洋人である。ドイツ人が一番多くて5人、珍しいところではイタリア人やオーストリア人、フィアンセと参加しているニュージーランド在住のアメリカ人なんかもいた。まあそんなわけで、国籍も年齢層も異なりしばしば人格的にクセのあるような連中が1つのバスで半月もの間旅をするので、日本のパック旅行のように「みんな仲良く団体行動」というわけにはいかない。たとえば車中泊を例にとれば、早く寝たい高齢組はバス後部の座敷席にさっさと寝袋を広げて早々と寝る準備を始める一方、元気のある若い連中は前方の座敷席で酒を飲みながら深夜までゲームに興じたりしている。キャンプ地でも、高齢者はビーチでのんびり読書をして過ごす一方、若い連中はカヌーだスノーケリングだハイキングだと忙しく飛び回る。そんな感じで、背景の異なる参加者たちが個々に自分らのやりたいことをしながら、全体としてはゆるいコミュニティを形成しているというのが、アメリカらしいこのバスツアーの魅力なのである。(つづく)
2010.01.03
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2010.01.01
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