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台風の影響もあって天候不順が続く。広瀬川は赤濁りが続いて、鮎釣り人の姿も消えた。しかし、デモの日曜日はほんとうに恵まれて、雨の降らない曇り空で暑さが和らいでいる。 集会@錦丁公園。(2016/8/28 14:08~14:32) 多少遅れ気味だが集会には間にあうだろうとたかをくくっていたが、錦町公園入り口ではスピーカーから流れる主催者挨拶の声がもう聞こえている。公園を横断し終えたときには主催者の挨拶は済んでいて、シンガーソングライターの苫米地サトロさんが「ラッキー・ドラゴン」を歌い出すところだった。 ビキニ環礁で被爆した第5福竜丸を歌った反核ソングである。辛い内容の歌だが、聞いていると何か反核のエネルギーが湧き上がるような応援歌として聞こえるような歌だ。 続いて、映画『太陽の蓋』の案内があった。3・11後の政府の動きをドキュメンタリー風に描いた映画で、主要な政治家は実名で登場するという。「危うい真実をあなたは目撃する」という惹句が示すように、原発事故に対処する政治について問題含みであっても重要な内容が描かれているという。 映画は、仙台フォーラムで8月28日から9月2日まで上映される。1日2回の上映だが、時間は日によって異なるので仙台フォーラムのHPで確認するのが良いということだった。 昨日(27日)、仙台市民活動サポートセンターで開催された「風の会」の公開学習会「原子力のい・ろ・は」は会場が満杯になる40人以上の参加で行われたという報告がなされた。次回の学習会は12月頃を予定しているという案内もあった。 続いて、二人の参加者がその学習会の話題からスピーチをされた。一人は、日本で原発を止められない理由は日米原子力協定があるからだという考えは矢部宏治さんの著書『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』[1] で主張されていることだが、それに対して弁護士の河合弘之さんは協定には日本が原発を止められないような条文はないと主張していることが紹介された。 日米安保条約や日米原子力協定に明文化されていなくても、日米合同委員会などを通じての縛りがある可能性もないではないが、いずれにせよ、日本国民が廃炉を選択すれば国家主権を基に外交を進めることは可能なはずだ(少なくとも独立国家としてはそうでなければならない)。 もう一人は、昨日の学習会のような集まりに参加することの意義を強調された。いろんなことを知ることはもちろんだが、新しい出会いもあるし、仲間がいることが確認できて勇気づけられるのだと話された。 定禅寺通り。(2016/8/28 14:38~14:43) 集会の間に40人になった参加者は、強い日射のない曇り空に助けられて錦町公園を出発して定禅寺通りを西に進む。 勾当台通り(国道4号の大通り)の手前では、お巡りさんに誘導されて直進車線に進んでいく。初めてのコース取りだが、いつもの歩道寄りの車線では左折車とデモ列が重なってどちらも時間がかかっていたのだが、今日はスムーズに進んでいく。直進車線が2車線あるから可能なコース取りである。 お巡りさんもいろいろ考えていてくれるのである。 一番町(広瀬通りまで)。(2016/8/28 14:45~14:51) 定禅寺通りから一番町に左折すると、三越前近くにおそろいの衣装の子どもの集団とそれを取り囲む(付き添っている)大人の集団が固まっている。これから何かのイベントがあるらしい。何とはなしに「すずめ踊り」でも始まるのかと思ったのだが、どうだったのだろう。 ぶらんどーむ一番町。(2016/8/28 14:52、14:57) 昨日の学習会は、ジャン=リュック・ナンシーの次のような言葉 [2] で話を締めくくったのだが、予定時間をだいぶオーバーしてしまったので話しそびれてしまったことがある。アウシュヴィッツとヒロシマのいずれも、それまでめざされてきた一切の目的とはもはや通約不可能な目的のために技術的合理性を作動させるにいたったのだ。というのも、こうした目的は、単に非人間的な破壊ばかりではなく 、完全に絶滅という尺度にあわせて考案され計算された破壊をも必然的なものとして統合したからである。(原文を部分的に省略している) 人類は、ソフトウエアとしての人種殲滅のナチズムという思想と人類殲滅のハードウエアとしての原水爆(そして原発)を手にしてしまった(思想的・技術的合理性を作動させてしまった)、という意味のことを話したが、その後に付け加えたかったのは次のようなことだ。 ナチズムの国、ドイツではいまや徹底的にナチズム批判をしている。ホロコーストはなかったなどという妄言は犯罪として訴追される。加えて、フクシマ以後、ドイツは原発の廃棄へ舵を切った。つまり、人類殲滅に繋がるソフトもハードも敢然と放棄する道を選んだのである。 ところが、わが日本はどうだろう。南京虐殺はなかった、慰安婦の強制連行はなかった、侵略などしていないなどと歴史を歪曲して、戦争を遂行した戦犯を靖国神社に奉じて閣僚が参拝までしている。その上、フクシマの悲惨にもかかわらず原発を再稼働させたうえ、「プルトニウムは抑止力になる」だとか「憲法は核兵器所有を禁じていない」などと口走る始末である。 ドイツと日本は真逆の道を進み始めた。その日本で、原発に反対する意思表示をすること、反対しつづけることには、単にどんな技術的手段で発電するか、どういうふうにエネルギー問題を解決するかなどというレベルをはるかに超えた意味がある。ジャン=リュック・ナンシーが言おうとしているのはそういうことではないか。 原発に反対することは、人類殲滅へ向かう歴史に抗うことに繋がる。日本の政治ばかりではなく、世界の政治へ向かう重要な道筋のはじめに「脱原発デモ」は位置している。 大げさでもなんでもなく、私はそう付け加えたかったのである。 青葉通り。(2016/8/28 15:07~15:08) デモのコールも少しずつ変化する。先週あたりからこんなコールも加わった。「女川原発、トラブルつづき!」「運転資格は、な・い・よ!」 故障続きは女川原発ばかりではない。伊方原発もトラブル続きである。長い間休止していた原発を動かすのは無理があると主張する専門家もいる。 電力会社は原発にしがみつくことが経営上必要だと考えているらしいが、しがみつく分だけ将来の負債が極端に増加するとしか私には思えないのだが………。 いや、電力会社が原発にしがみついているのではないのかもしれない。原発が電力会社に取り憑いているのかもしれない。あたかも「滅びの亡霊」のように。 もしかして、私たちは脱原発デモで電力会社のお祓いをしているのか。 [1] 矢部浩司『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル、2014年)。[2] ジャン=リュック・ナンシー(渡名喜庸哲訳)『フクシマの後で』(以文社、2012年) pp. 32-33。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2016.08.28
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台風が仙台を通過していって2日目、湿度が高くてじっとしていても汗がじわじわしみ出してくる。蒸散がほとんどなくて冷却作用が働いていないのだ。 Tシャツを脱ぎ、アンダーシャツと半袖を重ねてきただけで汗の量が増えだす。デモの前に市民図書館に寄って利用者カードを更新しなくてはならないが、その余分の道のりが恨めしくなるような天候である。 若いころはよく「夏負け」をしたが、もともと痩せていたので「夏痩せ」にはならなかった。少しは健康になって夏負けをしなくなったと思っていたが、この数日、少し食欲が落ちてきた。夏負けかもしれない。若い時と違って少し前方に張り出し始めたお腹の容積が減りはしないかといくぶん期待感もげんなりした気分に混じっている。集会@元鍛冶丁公園。(2016/8/19 18:36~18:54) 今日の主催者挨拶も伊方原発の再稼働の話で始まった。伊方原発の再稼働に合わせて原発ゲート前で行われた「伊方原発動かすな! 現地行動」に全国から応援のメッセージが寄せられたが、その中に参議院議員山本太郎さんのメッセージもあって、その全文を朗読して紹介された(引用は「再稼働阻止全国ネットワーク」のHPから)。ゲート前の皆さまへ今日、再稼動の日に、皆さんを、抗議の場に立たせてしまう事は、明らかに政治の失敗です。政治に関わる1人として、責任を感じます。申し訳ありません。せめて現場に駆けつけ、連帯したかったのですが、それも叶わぬ、不甲斐ない山本太郎から、現場の皆さんへのメッセージです。愛媛県の伊方原発が再稼動。正気ではない。収束の方法もわからない東電原発事故を受け、行けるところまでトコトンいってやろう、沈みかけの泥舟から、最後の一滴まで搾り取ってやろうと言う、一億総玉砕、一億総火の玉作戦に転換したのが、現在の政治。大地震のさなか、佐田岬半島の住民を船で逃がす、と言う、津波の影響も無視した避難計画、と言う現実逃避。この国に生きる大切な人々を人柱にしてでも儲けてやろう、 という気持ちがこの一点だけからも、透けて見える。怒りに震えます。結局、有事の際、権力が下す判断は、問題ない、安全です、と言う棄民政策です。今だけ、カネだけ、自分だけ、と言う政治の犠牲になるのは、この国に生きるひとり1人。大地震がいつ起きてもおかしくない状況で、中央構造線の側に立つ原発を躊躇なく再稼動させる政治も、知事も、議会も、入れ替えなければ、私たちの生存権が剥奪された状態が続きます。まずは、愛媛、広島、大分の差し止め訴訟を、全国で、全力で支えましょう。私も原告を応援し、国会活動においても、微力ながら、全力で、政権に対し、デッドボールを投げていく所存です。あらためて、今日からが始まり。美しい愛媛を、四国を、日本を守る為にも、原発即時停止、即時撤退を勝ち取りましょう。 ただ単に四国電力や自公政権を批判するばかりではなく、「政治に関わる1人として、責任を感じます。申し訳ありません。」と表明する篤実さに感動したことを強調しての紹介だった。篤実な政治家は絶滅危惧種だが、まだ絶滅種ではないのである。 また、川内原発に続く伊方原発の再稼働など原発をめぐる動きばかりでなく政治全般にわたる最近の状況がとても心配で、なんとしてでもきちんと意思表明をしていきたいと強い決意にみちたスピーチもあった。 続いて、8月27日18:30から仙台市民活動サポートセンター研修室5で開催される学習会の再度の案内があった。「原子力のい・ろ・は」と題し、「いまさら聞けない原発・放射能のことを「金デモカメラマン」がやさしく解説します!」という惹句が付けられた企画である。 「金デモカメラマン」とはほかならぬ私のことで、ただいま資料準備で四苦八苦している最中である。私はたしかに原子核工学科で修士課程まで勉強したのだが、所属した研究室は材料系(核燃料工学講座)だった。原発そのものについては講義で(単位がもらえる程度におざなりに)聞いた程度なのでいくぶん不安である。 就職した固体物理学の研究室では「原子核物理学を応用した固体物理学の実験研究」をやっていたので、原子核や放射線は守備範囲と言わざるをえないが、原子核や放射線そのものは研究対象ではない。 やる前の言い訳めくが、ただ、私の研究人生での最初と二番目の論文は固体材料の放射線損傷に関してだったので、物質にたいする放射線の破壊力はそれなりに知っているつもりである。 この秋に200回を迎える金デモでみんなで歌いませんかと提案されている「民衆の歌が聞えるか」の歌詞カードが配られ、歌の紹介があった。私が覚えている歌詞とは微妙に異なるが、昨年の8月30日に国会前で自由の森学園の高校生たちが歌った歌詞そのものらしい。 最後に、第3回目の「市民による女川原発の安全性を問うシンポジウム」の計画が来年1月29日(日)を目途に進行中だという案内があった。 元鍛冶丁通りを一番町へ。(2016/8/12 19:05~19:17) 40人のデモは元鍛冶丁公園を出発する。夏の闇は深い。私の思い込みだろうが、飲食店の明るい広告照明を取り囲む夜の闇にじっとりとした重みのある質感が感じられる。空気が熱くて重い。 こんな時にいつも思い出すのが、大学院修士1年の夏に研修で行った和歌山県境近くの熊取町にある京都大学原子炉実験所のことだ。冷房の効いた原子炉棟から出てくると、立ちくらみするのではないかと思うほどに泉南地方の空気は熱かった。空気そのものがとても重くて、歩き出すと熱風に押し戻されるような圧力を感じた。生まれ育った宮城県から出たことがなかった若い時の話である。 一番町(広瀬通りまで)。(2016/8/19 19:05~19:09) 京都大学原子炉実験所で思い出すもう一つは、食堂のカレーライスである。実験所の宿泊施設に泊まり込みの二週間の研修中、食事は三食とも食堂でとるのだが、昼食でカレーライスを頼んだら生卵が1個ついてきたのだった。 カレーライスに生卵というのは初めての取り合わせで戸惑ったが、まわりの人のやり方を真似て、カレーの上に割り落して混ぜて食べた。味が柔らかくなってそれなりにおいしいのだった。たしかその時だったと思うが、肉が入っているとはいえカレーはタンパク質が足りないので卵で補っているのだと教えてくれる人もいたように思う。 48年も前のことだが、原子炉研修の記憶が泉南の暑さと食堂の卵付きカレーだけというのだ。学習能力の問題なのか、学習意欲の問題なのか判然としないが、どちらにせよまったく自慢にはならない記憶である。 ぶらんどーむ一番町。(2016/8/19 19:15) 青葉通り。(2016/8/19 19:17~19:25) 元鍛冶丁公園を40人で出発したデモだが、途中からの参加者を何人もファインダー越しに見つけた。それなのに、後で写真を眺めていると、元鍛冶丁公園から参加している人で写ってない人がいる。 もちろん、全員を写さなければなどと思っているわけではない。それでも、100枚近い枚数になる写真のどれにも写っていないなんて………。写真に写っていなかった人とは解散地点で挨拶をしているので、デモに参加していなかったわけではない。 偶然なのか、本人の意思なのかわからないが、どこから撮っても人の陰になってしまうような位置取りがあるような気がする。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2016.08.19
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伊方原発が再稼働された。「狂気の沙汰だ」とか「正気の沙汰ではない」と言う友人や知人の声が聞こえてくる。私も「狂気の沙汰だ」と思う。この自公政権や電力会社の再稼働の決断、それを歓迎する地方政治家の「狂気」は何に支えられているのか。 60年以上も前に、この地球には「核アポカリプス不感症」が蔓延している、とギュンター・アンダースが喝破している。ヒロシマ、ナガサキにそれぞれウラニウム型原爆、プルトニウム型原爆が落とされ、ビキニ環礁で水爆実験が行われた後の人類の話である。まだ読み終えていないが、そういうことが『脱原発の哲学』[1]に書かれていた。 私たちが生き死にする世界、つまり生化学的な生存環境の次元とはまったく異なる物理的レベルで生じる原子核分裂を利用した軍事技術の対象はまちがえようもなく人間であるが、その技術水準は人類殲滅の段階に達してしまっている。しかし、それを現実世界で目の当たりにしても、私たちは黙示録的な世界の終焉を想像することができない。それが「アポカリプス不感症」である。 ヨハネの黙示録に示された神の目的としての世界観は私たちにはなかなか馴染めないが、『脱原発の哲学』の著者ら(佐藤嘉幸、田口卓臣)は「核カタストロフィ不感症」という言葉も用いている。 世界の政治権力が「原子力の平和利用」と言い換えても、原子力発電は技術水準としては原爆とほとんど変わらない。スリーマイル島、チェルノブイリ、フクシマで起きたことは、原発の事故が原爆の人類殲滅への道とまったく変わらないことを示している。あと2、3か所で原発事故が起きたら、おそらく日本列島に人間は住めなくなってしまう。理としては、誰でもそんなことはわかる。しかし、リアルな未来の現実として想像することができないのだ。 それでも原発を止められない人たちがいる。想像力がないのではない。想像することを拒否する「病」に侵されている。その病名を「核アポカリプス不感症」あるいは「核カタストロフィ不感症」と呼び、それが亢進すると「川内原発再稼働」、「伊方原発再稼働」という狂気として発症するのである。集会@錦町公園。(2016/8/12 18:40~18:57) 仙台人は、「七夕を過ぎれば秋風が吹く」とか「暑さも盆までだ」とかよく口にする。そのとおりに、日中は暑いが朝晩はめっきり涼しくなった。朝の5時ころ、Tシャツ一枚で犬と散歩に出かけると風邪をひくのではないかと思うほど涼しい。 夕方の冷え込みはどうだろうと心配しながら家を出るが、じっさいは歩いていれば汗ばむのである。 さすがに今日は伊方原発再稼働の話で主催者挨拶は始まった。原子力規制委員会は安全を保証せず、事故時の避難路も避難方法も吟味しないまま、ほぼ中央構造線の上に位置する伊方原発は再稼働したのである。政権と電力会社のつまらない都合が国民(とくに愛媛県民)の重大な不都合を押しつぶそうというのである。愛媛県知事は「福島と同じことが起きることはない」と念仏のように唱えるばかりである。「核アポカリプス不感症」どころかフクシマがまったく見えていないのである。 福島から参加した人は、フクシマを忘れたかのような伊方原発再稼働にいたたまれずやって来たと語り、伊方原発ではMOX燃料が使用される危険性や日本が原発を止めるためには障壁となっている日米原子力協定をどうにかしなければというスピーチが続いた。 また、スペインから里帰りされた一家が家族4人で参加され、スペイン語で話され、日本語へ翻訳するという形でご夫婦がスピーチされた。フクシマの後でも原発を止めない日本の不思議やスペインの原発の老朽化の問題を話されたが、スペイン政府が太陽光発電を進めるために補助金制度を作ろうとしたものの電力会社の強烈な反対で頓挫したという報告は印象的だった。 資本主義国家における政治権力は資本そのものに従属しているという見本のような話で、安倍首相が川内原発の再稼働をかなり早い時期に九州電力の社長に約束していたという報道を思い出した。電力資本の使いっ走りが自公政権の生命線であるかのようだ。錦町公園から定禅寺通りへ。(2016/8/12 19:05~19:17) デモに出発するころにはすっかり暗くなっている。暗闇の中でデモの列は並び終え、暗闇の中で大きなコールが上がり、暗闇の中で動き出す。 しょっちゅうカメラを覗き込む身には、暗さばかりが気になるのである。暗いし、人は動くし、写真を撮る条件はすごく悪い。「ええじゃないか」コールの時は踊り出す人までいて、こちらとしては「写らなくても、ええじゃないか」という気分でシャッターを押すのである。一番町に入る。(2016/8/12 19:20~19:23) 今日の参加者は40人とあまり多くはない。盆の休みに入って出かけてしまった人もいるのだろう。私も今日は祖母、両親、兄二人が埋葬されている生まれ故郷まで墓参に出かけた。 ヘルパーさんが義母の世話をしてくれる日でないと、妻と二人で出かけられない。盆の前だが今日しか時間が取れなかったのだ。故郷はとても近いので、日帰りであっという間に帰って来た。 妻と一緒に食べる外食はしばらくぶりだったが、とても不味い鮨を食べて二人で文句を言いながらの戻り道、口直しと称して食べたもろもろが運転中もあまりこなれず閉口した。どうもそれが悪かったらしく、デモが一番町に入った頃に少しおなかが痛くなった(すぐに収まったものの)。広瀬通りの信号待ち。(2016/8/12 19:27)青葉通り。(2016/8/12 19:39、19:49) どのような悲惨な歴史があったにせよ、確かに、人類は人類が生き延びられる条件が満たされた世界でのみ生きてきた。そのような人間たちが世界の終末を想像することは非常に困難だろう。黙示録に示された神の意思を理解することも難しい。 しかし、人間は人間が生み出した科学技術がもたらす世界なら想像できるのだろうか。ギュンター・アンダースが言おうとしたことは、人間には人間自身の技術でありながらその結果を想像できない技術があり、原爆はそのような技術そのものである、ということだろう。『脱原発の哲学』には、原爆と原発が全く同等のものだということが詳説されている。 人間を盲目にさせるもう一つの重要な要素は、その人間が帰属する階層(階級、クラス)の利害であろう。『脱原発の哲学』に次のような一文がある。〔……〕チェルノブイリ原発事故の影響については様々な評価があるが、IAEAなどからなるチェルノブイリ・フォ—ラムは、チェルノブイリ原発事故の被害を受けた三ヵ国(ベラルーシ、ロシア、ウクライナ)のうち、比較的被曝量の多い六〇万人を対象として、ガン死者数を約四〇〇〇人と評価している。また、グリーンピースは全世界を対象に、ガン死者数を九万三〇八〇人と評価している。さらに、ニューヨーク科学学会は、全世界の五〇〇〇以上の論文と現地調査を基に、ガン以外も含めた多様な死因による死者数を九八万五〇〇〇人と評価している。 (p. 34) IAEA(国際原子力機関)はもともと原発を推進する国々の政府からなる機関であるが、それにしても原発事故による死者数の違いに驚くほかはない。原発を推進しようとする権力イデオロギーにとっては実際に起きた(起きつつある)原発事故の死者の姿も見えないのである。 そういえば、福島事故に際して「死者は一人もいない」とその盲目ぶりを恥ずかしげもなく顕示した自公政権の閣僚もいる。無知(イデオロギー的盲目)が再稼働の狂気を煽っている図だ。[1] 佐藤嘉幸、田口卓臣『脱原発の哲学』(人文書院、2016年)。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2016.08.12
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