1

愛媛県が本社のスーパー、フジは、子会社のレデイ薬局の全株式を売却すると発表しました。売却の方法は、少し変則的な形です。現在、レデイ薬局の株式はフジが49%、ツルハホールディングスが51%を保有しています。フジはこの株式を、自己株式取得を実施するレデイ薬局と、ツルハホールディングスに譲渡するということです。譲渡は12月22日の予定です。譲渡価格は、レデイ薬局の自己株式取得が190億500万円、ツルハへの売却が4億9,500万円です。ツルハからフジに対し、レデイ薬局の完全子会社化による迅速な意思決定や、積極的な投資を実現したいと提案があったということです。フジは、株式売却後もレデイ薬局との協力関係を継続していく予定だと説明しています。このスキームは、多くがレデイが自己株式として取得する形となります。ツルハが51%を取得する、という方法がオーソドックスですが、あえてフジが自己株式で取得というスキームを採用したところは興味深いです。フジの親会社であるイオンは、間もなくツルハの連結子会社化を予定しています。イオンの意向が大きく影響しているのは、間違いないでしょう。フジ側の立場で考えると、税負担が大きく違うことが考えられます。自己株式で取得すれば、みなし配当と判定される部分があり、法人には配当控除が効くため、税額が大幅に軽減されるケースが多いです。一方で、ツルハに売却すれば、完全に株式譲渡益課税となります。他の所得とも合わせて法人税等が生じるため、フジの税負担が大きく上昇し、親会社であるイオンの連結PLにも影響してきます。また、ツルハが49%を取得すれば、多額ののれんが発生すると想定されます。これを、一部だけの取得としたことで、のれんの発生は極めて少額で済みます。こう考えると、イオンとしては、ドラッグストア事業はツルハHDに一本化し、GMS・SM事業はフジに集中することができます。その結果、イオン → ツルハHD → レデイ薬局、というグループ構造が完成します。よく練られたスキームだと思います。12月1日に誕生する巨大ドラッグストアグループの傘下に、すぐ後にレデイ薬局が加わることとなります。
2025年11月26日
閲覧総数 351
2

少し前ですが、サントリーが来年10月以降、「金麦」シリーズをビールとして展開すると発表しました。2026年10日の酒税法改正で、ビール系飲料の税金が統一されるため、金麦も麦芽比率を上げてビールに切り替えることになりました。対象は、「金麦」「金麦<ザ・ラガー>」「金麦<糖質75%オフ>」の3商品です。現在は、いわゆる「第3のビール」といった新ジャンルに分類されていますが、麦芽比率を50%以上に引き上げ、ビールとして販売します。「金麦」は、サントリーが2007年に発売した第3のビールで、発泡酒に麦原料スピリッツを加えています。サントリーでは、「金麦」のビール化で価格以上に納得できる価値を付け、低価格帯のニーズにしっかり応えていきたい、としています。現行の酒税法では麦芽比率50%以上をビール、50%未満を発泡酒や新ジャンルと定義しています。現在はビールの方が税率が高いですが、改正後は350mlあたり54.25円に統一されます。これにより、新ジャンルとビールの店頭価格差は、現在の40~50円程度から、25~35円程度まで縮小する見通しだということです。「金麦」は麦芽比率をビールと同じ水準に引き上げつつ、価格は発泡酒と同じくらいに抑える方針です。ビール系飲料の税金も統一され、今後はビールと発泡酒の2種類だけになります。サントリーはここに着目したと思います。知名度の高い「金麦」のブランド力を活用し、中身をビールに格上げするという、異例の戦略をとります。また、サントリーではビール系アルコール飲料は「プレミアム、スタンダード、エコノミー、健康系の4つのニーズが市場に残っていく」ともしています。これに沿って、ザ・プレミアム・モルツをプレミアム、サントリー生ビールをスタンダード、金麦をエコノミーに位置づけていると説明しました。健康系のノンアルコールビールの活性化にも力を注ぎます。サントリーの調査でも「できるだけ安価なお酒を選びたい」「価格に見合った価値があるか吟味する」といったニーズが増えているということです。私はお酒を完全にやめて1年半ほど経ちますが、お酒、特にビールを飲んでいる頃は同じように思っていました。アサヒのサイバー攻撃でビール業界も先行き不透明ですが、サントリーらしい取り組みに注目したいと思います。お酒をやめたので、ビールの写真が見つからないことに気付きました。
2025年11月25日
閲覧総数 244
3

立行司、木村庄之助が9年振りに誕生します。日本相撲協会は、理事会で第41代式守伊之助の木村庄之助への昇進を承認しました。来年初場所の番付が発表される12月25日付で昇格となります。木村庄之助は、第37代が15年春場所限りで定年退職してから空位となっており、9年振りの復活となります。ここまで長く木村庄之助が空位になることは、これまでになかったと思います。現在の第41代式守伊之助は、2019年初場所から立行司に昇格しました。私からすると、前々名の木村和一郎さんの印象が強い方です。伊之助昇進後は、約5年間で11度の軍配差し違いによる進退伺を申し出て、慰留されていました。裁きが安定しない、という声も出ており、庄之助昇進の声はなかなか出てきませんでした。伊之助は来年9月に65歳の定年退職を迎えるため、庄之助としての任期は9ヶ月となります。第38代木村庄之助として、頑張っていただきたいと思います。【中古】 大相撲行司さんのちょっといい話 双葉文庫/三十六代木村庄之助【著】 【中古】afb伊之助が庄之助に昇進しますが、後任の式守伊之助は今回は選任されませんでした。次の式守伊之助は1年間かけて、4人の三役格行司の中から見定める方針だといいます。これに反発したのでしょうか、現在No.2の三役格行司の木村玉治郎が、協会に退職届を出したと報じられました。協会からの正式発表はなく、退職の理由も明らかになっていませんが、所属部屋の立浪親方が、退職届を提出した事実を認めるコメントが報道されました。木村玉治郎は先日亡くなった第27代木村庄之助の弟子で、裁きや佇まいも師匠によく似ています。風格もあり、三役格行司としては最年長なので、伊之助に昇進してもおかしくないところです。これが昇進出来なかったことで、今回の退職につながったのは間違いないと思います。協会ほホームページにも、既に木村玉治郎の名前は掲載されていませんでした。何となくスッキリしないのですが、来年初場所からの土俵に注目したいと思います。
2023年10月13日
閲覧総数 1036
4

アメリカ系ハンバーガーチェーン、バーガーキングが日本事業を売却する見通しとなったことが明らかになりました。アメリカの金融大手ゴールドマン・サックスが、バーガーキングの日本事業を買収するということです。バーガーキングはアメリカ発祥のハンバーガーチェーンです。私の子供の頃は印象になかったですが、一時日本からは撤退し、その後再上陸した、という話は耳にしていました。調べてみると、1993年に西武グループ系列企業の西武商事が、米バーガーキング社とフランチャイズ契約を結び、1993年9月22日、西武池袋線入間市駅の駅ビルに日本1号店となる入間店を開店したのが始まりのようです。その後、西武商事は既存店の運営をJTに継承し、米バーガーキング社とは提携を解消しました。メニュー単価が高いバーガーキングの店舗は客足が遠のき、経営が悪化したことで、2001年3月末でバーガーキング・ジャパンは営業を終了し、日本から撤退しました。これに伴い、首都圏を中心に展開していたチェーン店の25店舗は、2001年3月末までに営業を終了しました。その後2006年、ロッテ(日本法人)と、ロッテリア再建に携わる企業支援会社リヴァンプが共同出資した新会社「株式会社バーガーキング・ジャパン」が設立され、日本再上陸第1号店として2007年6月8日、新宿アイランドタワー内に「新宿アイランドイッツ店」が開店しました。この法人は後に韓国ロッテリアに売却され、さらに2017年に投資ファンド、アフィニティ・エクイティ・パートナーズが買収しました。アフィニティは、ビーケージャパンホールディングスを日本事業の運営会社として設立、事業運営にあたっていました。今回、このアフィニティが、売却に向けた優先交渉権をゴールドマンに与えたということです。買収額は700億円程度とみられています。日本国内の店舗数は、308店舗まで増加しています。ゴールドマンは、今後も日本国内での成長が見込めると判断したと思われます。日本から撤退している頃、上海の静安寺にあったバーガーキングでハンバーガーを食べた思い出がありますが、今後も日本での店舗拡大は加速していくでしょう。
2025年11月21日
閲覧総数 301
5

いよいよつくばマラソンの日がやってきました。1週間前の肉離れから、AIのアドバイスを受けて、何とかここまで辿り着きました。故障をした時は、つくばを走れるかどうかわからず、不安に押し潰されそうでした。それを取り除いてくれたのは、AIのアドバイスでした。そのおかげで、つくばのスタートラインに立つことができました。今年からコースも変わり、新たなスタートのつくばマラソンを走れる喜びを感じ、多くの方とAIに感謝してスタートしました。ぶっつけ本番のレースですので、おっかなびっくりでしたが、足の痛みは全く感じませんでした。よし、と思い、最初の不安はとりあえず解消されました。AIのアドバイスでは、序盤をとにかく抑えること、と言われていたので、10kmまでは様子見としていました。新コースもどのような感じなのか、少し手探りで走っていました。走り慣れたコースも入っていて、快適に走っていきました。10kmまでは抑えるということでしたが、少しだけ速いペースになっていました。後半に異変が起きてはいけないと、とにかく焦るなと言い聞かせて走っていきました。途中から筑波大学も少し走れるようで、ここが今までのスタートだったなどと思い出しながら走ります。ここまで順調でしたが、中間点前に異変を感じました。5分30秒ペースにも関わらず、心拍数が180ぐらいまで上がっていました。様子を見ながら走りますが、平均心拍数は上がる一方で、とうとう190ぐらいになりました。体感的には全く感じませんので、5分30秒ペースを維持していきます。この後からしばらくすると、徐々に心肺がキツくなってきました。やはり1週間まともに走れなかったので、身体が反応しているのだと思います。まだ足は平気なので、心肺は我慢して粘り、足の力で前に進むようにしました。しかし、かなり苦しくなってきて、後半はペースもじわじわと落ちてきました。残りの距離が長く感じる、キツイ時のパターンです。とにかく粘るしかないと、前に進んでいきます。終盤は常にタイムとの闘いで、何度も時計を見ました。それでもペースは上げられず、最後の5kmほどはサブ4ペースを下回る苦しい走りになりました。目標タイム3時間55分は何とか達成したい、と思い、最後の1kmは振り絞りました。正に全て出し切ってのゴールは、久しぶりにガッツポーズが出ました。ネットタイムで3時間55分51秒、何とか目標タイムは達成できました。やり切って、しばらく動けませんでしたが、徐々に満足感が出てきました。1週間前の状態では、正直なところつくばを走れる状態ではなかったと思います。AIのアドバイスのおかげで、走ることができました。31回目のフルマラソンも、連続サブ4はつながりました。AIと共に挑んだつくばマラソン、マラソンの新たな調整方法となった、画期的なレースだったと思います。皆様ありがとうございました。
2025年11月23日
閲覧総数 247
6

長いことプロ野球の実況を務めた名アナウンサーが逝去されました。 ニッポン放送の「ニッポン放送ショウアップナイター」の実況でお馴染みの、深澤弘さんがお亡くなりになりました。 享年85歳、1970年代から1990年代にかけて、ニッポン放送ショウアップナイターの実況を務められました。 私も子供の頃から、よくラジオでショウアップナイターを聴いていました。 昔はテレビの野球中継は巨人戦ばかりで、それも19時から21時まででした。 BS放送などない時代でしたので、地上波の放送で、2時間弱の放送をよく見ていました。 ラジオはプレーボール前からの放送ですので、試合前の情報から放送してくれます。 そして、映像がないので実況も非常に細かく丁寧です。 子供の頃はテレビの放送の前にまずショウアップナイターを聴き、テレビの放送が終わったらまたショウアップナイターを聴く、と言うのがパターンでした。 時には、テレビの音声を消して、ラジオをつけながら野球を見ていました。 1976年、1978年の日本シリーズのDVDを持っていますが、試合の実況は深澤アナウンサーの出番が多々ありました。 ホームランが出た時にラジオでBGMが流れるなど、斬新な取り組みもありました。 そのBGMは、今でも覚えています。 個人的には、解説の関根潤三さんとのコンビが最高でした。 ベテラン同士の聞きやすいアナウンスに解説は、記憶に残っています。 野球は深澤アナウンサー、相撲は北出清五郎アナウンサー、杉山邦博アナウンサーだと、今でも思っています。 また、自宅に帰ったら、あの日本シリーズのDVDを見て、深澤アナウンサーの名実況を聴きたいと思います。 謹んでご冥福をお祈りいたします。
2021年09月09日
閲覧総数 193
7

ビックカメラが、今後5年以内をめどにメーカーからの販売員の派遣を取りやめることを明らかにしました。店頭での販売のスタイルを、大きく転換します。家電量販店では大型店が多く、自社の社員の販売員のみで展開している企業は極めて少ないです。営業スタイルは、メーカーから派遣される販売員が店内に常駐し、自社の社員と一緒に消費者への説明や販売を行っています。どうかすると、メーカー派遣員は自社製品を売り込みたいので、本当に消費者にあっているか、という点では疑問です。私も、メーカー派遣員から違うメーカーの製品を買って、少し気まずい思いをした経験もあります。家電量販店では、先日書いたノジマが自社の社員での販売を行うスタイルで、それを全面に出しています。ビックカメラもこれに続こうというものです。派遣を取りやめていく代わりに、自社の管理職などの社員を販売員に配置転換し、段階的に切り替えていきます。ビックカメラよると、メーカーから派遣されている販売員は全販売員の約3割いるそうです。今後、理解を得ながら調整し、切り替えを進めていくということです。これは個人的には、とても良い取り組みだと思います。課題としては、コスト増をどう吸収するか、という点だと思います。メーカー派遣員と自社社員を比べれば、人件費差が生じるのは明らかです。それを踏まえてもこの方針を採用したということは、大きな経営判断だと思います。たまたま、自宅や仕事部屋の近くには、ビック&コジマやノジマがあります。これからも、これらの店舗を積極的に利用しようと思います。
2022年02月08日
閲覧総数 466
8

つくばマラソンから一夜明けました。今朝の調子はいつものフルマラソン明けと同じ状況で、肉離れの影響などは全くありませんでした。久しぶりの朝ランは、ダメージを確認するための超スロージョグでした。普段と違い足の指などにはほとんど影響はないものの、筋肉の張りはかなりありました。今回のレースは、まず出走できるかが大きなポイントでした。AIに毎日アドバイスをもらって、何とか回復させることができました。言われる通りに過ごしていると、本当に1週間でレースに出られるまで回復しました。スタートラインに立つまで、1週間全く走れない状況で、よくサブ4ができたものです。今回のつくばマラソンは、新コースになった最初の大会でしたので、どうしても出場したかったです。無事に走れたのも、AIのおかげです。新コースは、これまでよりもさらに走りやすく、また景色や応援など、とても素晴らしかったです。沿道の応援が今回は特に多く感じました。レースでは、中盤から心拍数が異常値になり、苦しみました。何とか気力で走り切った感じですが、苦しくて早く終わりたい、と思ったレースは久しぶりでした。ゴールした時は、自然とガッツポーズが出ました。苦しみ抜いたからこそ、完走、そして目標達成は本当に嬉しかったです。ゴール後に大会公式YouTubeチャンネルのインタビューがあり、思わず立ち寄りました。先週の肉離れから復活して完走できたのは、沿道の皆様の応援の力と、感謝いたしました。その後に、ランナーズでおなじみのアールビーズの方と思しき方が、インタビューをしていました。つくばマラソンの取材だと思い、声をかけて、同じようにインタビューしていただきました。3月の東京マラソンでも、直前に膝の激痛、レースでは1kmで接触されて転倒と、悲惨な目に遭いました。このところ、本調子で走れないレースがあるのは、大きな反省です。それでも、AIのアドバイスのおかげで完走できました。今後、このAI活用はマラソンにも大きな意味を持ってくると思いました。今朝、AIに最後の質問をして、この1週間あまりのサポートに心から感謝を申し上げました。AIからは「6日間走れない状況から、コンディションを整えてのサブ4達成に、心から敬意を表します」とありました。今日が振替休日なので、珍しく余韻に浸りました。また、次のレースを目指して、まずは体調を万全に戻し、走っていきたいと思います。
2025年11月24日
閲覧総数 222
9

毎回楽しみにしている番組に、NHKの「ドキュメント72時間」があります。見始めて何年になるかわかりませんが、いつも録画をして見ています。この番組は、いつも年末にスペシャル番組を放送します。その年に放送した回から、もう一度見たい回を投票で募集し、ベストテンを放送します。この投票は10月後半頃から始まり、今年は11月16日が締切日です。視聴者がもう一度見たい回を3本選び、その理由やエピソードなどと共に投票します。この投票の時期になると、今年もそんな時期になったかと実感します。私も毎年、楽しみながら考えて投票します。投票ページには、今年の放送一覧が載っています。タイトルを見ると、これはこのような回だった、これはとても面白かったなど、懐かしく思い出すものです。先日、投票を済ませました。3本を選ぶのはとても悩ましいのですが、2本は割とすぐに決まりました。まず、1月10日放送の「多国籍食材店 ニッポンに生きる」です。このブログにもリアルで書くほど、印象的な回でした。日本に暮らす、外国人向けの食材店からの72時間です。本当に色々な国の人が買いに来ており、ドラマ性と共に、仕入れの力が凄いなとも思った回です。次は、5月1日放送の「韓国・ソウル"日本居酒屋"で乾杯を」です。ソウルで、日本人女性が経営する居酒屋からの72時間です。海外ではあまり居酒屋のようなお店がなく、専門店が多いです。ソウルの現地の方向けの居酒屋に、どのような方々が集い、どんなことが起こっているのか、とても興味深く見た回でした。そして最後は、7月18日放送の「千葉 100年の金物店」です。この回は、過去の年末スペシャルの中で、ぜひ取り上げてほしい場所の一つとして上がった金物店が、本放送で採用されたものです。今では数少なくなった、金物店からの72時間です。親子二代に渡って利用する方、近所の農家の方や色々な方から、よろず屋的に利用されている金物店で、とても地方のアットホームさを感じた回でした。今年も投票を済ませましたので、あとは年末スペシャルを楽しみにしたいと思います。今から放送がとても楽しみです。
2025年11月14日
閲覧総数 288
10

上野動物園のパンダの赤ちゃんが可愛いですね。定期的に動物園のHPに掲載される成長記が、なんとも言えず癒されます。生まれた時は本当に小さかったのですが、あっという間に成長するものですね。ところで、この上野動物園のパンダは、中国から借りているものです。調べてみると、絶滅危惧種のパンダはワシントン条約で売買は禁止されていて、繁殖の研究目的であれば、借りることが可能だそうです。そのため、シャンシャンの両親のリーリーとシンシンは、中国からお借りしているものであり、会計上はリース資産になるものですね。そうすると、上野動物園のBSにはリース資産としてパンダが資産計上されていて、毎期減価償却されているわけですね。リース期間は10年らしく、定額法で償却するのですね。シャンシャンは日本で生まれましたが、無償というわけにはいかないでしょうから、取得価額を決めて、同じようにリース資産として計上ですね。パンダは借り物ですが、そうでない動物の場合、赤ちゃんが生まれたら取得価額はどうなるのか、勘定科目は「生物」で固定資産でしょうかね。なかなか奥深くて面白いです。中国駐在時に中国語を習っていて、先生から「パンダの印象を教えてください」と質問されたので、「可愛」(可愛い)と答えたら、実物は「脏」(汚い)ですよ、と言われて、笑ったことがあります。確かその先生は重慶のご出身で、パンダはよく見ていたと記憶しています。会計は奥深く、世界は広いなぁと感じますね。シャンシャンの健やかな成長を祈りたいですね。
2017年11月01日
閲覧総数 1150
11

今日は、先日の聖地30km走の続きを走ります。柴又100Kの30km地点から、中間点の50km地点までの20kmです。前回の時は雨風の厳しい中でしたが、日差しはありませんでした。そのせいか、30kmまで走ることが出来ました。今日は朝から強い日差しが出ており、気温も上がることが予想されています。そのため、無理をせずに20kmを目標として、難しければ途中で止めることとします。前回の地点まで、まずは電車で移動します。意外とこの移動が遠く、1時間ぐらいかかりました。南桜井駅から江戸川まで、2kmほどあります。ようやくコースに辿り着き、スタートします。既に気温は32℃あります。景色も単調な中を淡々と走っていきます。やはり暑さのせいか、前回のようにはいきません。6分30秒ぐらいのペースで、ゆっくり行きます。前回、2箇所の未舗装のコースがありましたが、今回は残り2箇所を走ります。この未舗装のコースは、やはり走りにくくイヤなものです。日差しを遮るものがないコースなので、ランナーの姿もほとんどありません。5kmごとに休憩をして、無理せず行きます。10kmほど走ると、ガーミンが左折の指示を出してきました。指示通りに走っていくと、エイドとなる杉戸町の施設に辿り着きました。【ふるさと納税】【キユーピー五霞工場】マヨネーズ・ドレッシング食べ比べセット【1248571】ここで水のシャワーを浴び、そばを食べて休憩したことを思い出しました。懐かしいです。また江戸川河川敷に戻り、暑さの中を粘っていきます。途中で茨城県に入ったことが分かりましたので、五霞町のドロップバッグをもらったエイドを目指します。辿り着くと、今日は単なる駐車場だったと気付きましたが、あの時はゆるキャラのごかりんと写真を撮った思い出があります。このあたりから、五霞の町の中を走っていきます。本番の時もこのあたりからだいぶキツくなってきましたが、今日も同じような感じです。途中、飲料の自販機を見つけて、水をさらに買います。普段よりも喉が渇き、さらにジンジャエールもその場で1本飲みました。コースは50km地点まで、何とか走り切りました。確かにこのような景色だったと、思い出しました。何とか走り切れたのですが、ここから電車で帰るためにはさらに4kmほど先の南栗橋駅まで走る必要があります。このあたりになるとだいぶキツくなり、ペースも7分ぐらいまで落ちました。暑さの中を粘っていって、何とか南栗橋駅まで走り切りました。前後の移動を含めて26.5km、2時間57分10秒のランニングでした。やはり夏の柴又100Kコースは過酷です。残りの50kmは、気が向いたら走ろうと思います。
2024年07月28日
閲覧総数 161
12

NTT東日本と西日本が、電話番号案内サービスを終了するというニュースがありました。NTTが終了の方針を固めたということで、近く発表される模様です。この電話番号案内は、104の番号にかけると、登録されている電話番号を教えてくれるというものです。過去に私も何回も利用したことがあります。オペレーターの方に知りたい相手の名前と住所を伝えると、電話番号を教えてくれますが、近年では利用者が激減していたようです。携帯電話が普及したことと、個人情報に対する社会の意識や扱いの変化が、背景にあるでしょう。このサービスは有料で、利用する時間帯や頻度に応じて、1回あたり66円から165円かかるということです。有料だったのは何となく覚えていますが、金額感までは全く記憶に残っていませんでした。意外でしたが、このサービスが始まったのは1989年度だということで、平成に入ってからのことです。昭和の時代に利用していたものだと思い込んでいましたので、驚きました。電話番号 丸ゴシック体 黒 5cm カッティングシート 文字 文字シール 切り文字 製作 通販 屋外耐候 販促 集客 売上アップに 看板 案内板 必要な文字を作れます。 オリジナルグッズ報道によりますと、1989年度には利用回数が約13億回あったようですが、2022年度には約2,000万回まで減少したそうです。インターネットの普及など、電話番号を知ることが出来る手段が増えたことで、わざわざ有料で電話番号を調べなくなったということは、容易に想像出来ます。NTTでは、企業や飲食店などの電話番号を記載した、タウンページの紙の冊子の廃止も決めています。こちらも、昔に比べると格段に薄くなり、近年では配布されても開くこともありませんでした。これも時代の流れです。色々なものが新陳代謝していきますので、その時代に乗り遅れないよう、意識を変えていきたいと思います。
2024年07月29日
閲覧総数 132
13

6月の函館マラソンで、初マラソンから26回連続でのサブ4を達成出来ました。タイムはネットタイムで3時間44分24秒でした。2014年の初マラソンから26回、よくここまで何とかサブ4を続けられていると思います。自己ベストは2017年のソウル国際マラソンの3時間4分19秒で、この時は真剣にサブスリーを目指していました。26回のフルマラソンの中で、3時間59分というギリギリのレースが3回あります。2018年の堀切橋マラソン、2019年の東京マラソン、そして2019年の横浜マラソンの3回です。東京マラソンと横浜マラソンは、グロスタイムでは4時間を超えました。大規模大会ならではで、スタートのピストルが鳴ってから実際にスタートするまでにかなりの時間がかかるので、このような事態になります。堀切橋マラソンは、荒川河川敷の片道直前2.5kmをひたすら往復するコースです。あまりの単調さにめげそうになりましたが、何とかメンタルを保ってサブ4を維持出来ました。東京マラソンは、ずっと雨の中で寒いレースでした。大迫傑選手がリタイヤするほどの状況で、最後の田町駅からの折り返しで膝に激痛が走り、止まっては走りの繰り返しになった厳しいレースでした。横浜マラソンは、終始ペースが掴めないレースでした。この大会は高速道路を走りますが、これと大桟橋の折り返しがダメージにつながり、最後まで苦しいレースになりました。【マラソン期間中。ポイント2倍】函館北斗ジョリ・クレール スフレケーキ12個セット【産直】【代引き不可】【冷凍】【お取り寄せグルメ】コロナ禍以降はフルマラソンのブランクもあり、厳しいレースが続きました。2022年8月の北海道マラソンが3時間57分、11月のつくばマラソンはコロナ陽性明けもありましたが3時間58分も、ギリギリのレースが続きました。これが、ここ1年ほどはタイムがまた伸びてきました。3時間50分を切るレースも多くなり、函館マラソンでは、アップダウンの多いコースでしたが3時間44分で走ることが出来ました。これは、この5年ほどの間のベストタイムです。ウルトラマラソンをしっかり走るための練習を積むようになってから、フルマラソンにも成果が現れてきました。それでも、過去26回のフルマラソンはもちろん、楽なレースなど一度もありません。いつも常に苦しい思いをしながら、レースを走っています。函館マラソンでは3時間44分で余裕のサブ4ですね、と言われたことがありますが、決してそんなことはありません。中間点あたりからかなりキツく、後半もまだ◯kmも残っているのか、と感じるくらいの苦しいレース展開でした。マラソンに楽なレースなどありません。だからこそ、完走の喜びや達成感もひとしおなのだと思います。
2024年08月09日
閲覧総数 168
14

今日は父の7回忌法要です。2019年11月19日に亡くなってから、早いもので6年になります。その前年に母が亡くなり、1年ほどで父も亡くなりました。あっという間に両親が亡くなってしまい、覚悟はできておりましたが、少し寂しい想いでした。母が亡くなってからは、父の心身の衰えは本当に早かったです。私も父の独居の実家に何度も行き、様子を見ていました。病院にもこまめに連れて行きましたが、ある日家で倒れていたのを、ヘルパーさんが見つけてくれて、そのまま救急搬送されました。搬送先の病院に1ヶ月ほど入院し、その後転院しました。その時には、すでに歩けなくなっていました。老人が1ヶ月ほど入院すると、ここまで衰えるのかと実感しました。転院先にも数ヶ月お世話になり、その後探していた施設に入居できました。それでも、施設では半分寝たきりになっていました。ある日施設から連絡があり、病院に搬送されたと聞きました。仕事中でしたので、仕事が終わってからすぐに病院に行きました。それから亡くなるまで、10日ほどでした。本当にあっという間でした。それでも最期は看取ることができましたので、良かったです。そして、慌ただしく葬儀を済ませました。あれから時間が経ち、お墓も引越しました。3回忌の時と同じように、新しいお墓で7回忌の法要を無事に執り行うことができました。秋の空の下、静かに手を合わせて故人を弔うことができました。両親とも、天国で穏やかに過ごしていることと思います。心が穏やかになった秋の日でした。
2025年11月02日
閲覧総数 283
15

経営再建中の日産自動車が、横浜国際総合競技場の命名権について合意したようです。サッカーの横浜F・マリノスの本拠地でもある、日産スタジアムの2026年3月以降のネーミングライツについて、横浜市と合意しました。横浜市の山中竹春市長が明らかにしました。日産自動車と5年間で、計6億5,000万円の契約更新で合意したということです。契約金額は1年目に5,000万円、2年目に1億円、3年目以降は1億5,000万~2億円で合意したということです。山中市長によると、10月31日に日産側から「5年で6億5,000万円」の提案があったということです。今年度まで5年間の契約額は総額6億円となっており、5年単位で見れば現行と遜色ない額となっています。日産は9月に、1年5,000万円での単年契約を市に提示したものの、市は当初これを受け入れて2027年以降の契約先を公募する方針だったが、市議会から反発があり再協議していました。この時、新たなスポンサー候補として、家電量販店大手のノジマの名前なども上がりました。結局は、日産が現在と遜色ない条件を提示して、5年間は「日産スタジアム」として継続することとなりました。日産を巡っては、追浜工場などの生産停止、本社ビルの売却など、さまざまな経営再建策が報じられております。その一方で、野球部は活動を再開し、業績は継続して低調です。今後どうなっていくのか、注目していきたいと思います。日産にとって、5年で6億5,000万円は大した額ではないのかと思いますが、それで良いのかは疑問です。
2025年11月18日
閲覧総数 237
16

不正な会計処理を行っていたことが明らかになり、2025年の大会が中止となった松本マラソンが、大会を終了する方針だということが明らかになりました。先日、このニュースが報道されました。長野県松本市などでつくる松本マラソン実行委員会が、方針を固めたようです。実行委員会でさまざまな検討を行った結果、来年以降の大会継続は困難だとして、大会を終了する方針を固めたということです。赤字決算になると、大会そのものの継続に大きな影響を及ぼすのではないかと懸念した担当職員が、粉飾決算を行ったと報道されていました。一昨年の大会で赤字を黒字に装う不正な会計処理が見つかり、今年の大会は運営の検証が必要だとして中止とし、来年以降の開催の可否について検討していました。参加者の減少で収支改善が見込めないことや、契約方法や事務局体制を見直した場合に必要となる職員の増員が難しいなどの理由から、大会を終了する方針になったようです。近日中に開催される実行委員会の総会で、正式に決定する見通しです。不正会計を検証した市設置の第三者委員会は8月に、赤字による大会継続への影響を危惧した実行委事務局の市職員が不正を主導したと認定していました。そして、ガバナンスの欠如について市の責任を指摘し、事務局体制の再構築など再発防止策を提言していたということです。マラソン大会を巡っては、運営が厳しい状況にある大会が多いようです。参加者の減少によって、収入が大きく減少していることや、諸経費の高騰、ボランティア確保が困難など、複数の理由が挙げられます。大会が乱立し、ランナーのマラソン大会を吟味する目も厳しくなり、不採算の大会も多くなっていると思います。大会の終了は大変残念です。こういうこともありますので、出ておこうと思った大会には、早いうちに出ておくべきだと思います。体力的な面だけでなく、大会の運営がいつまでも継続されることが保証されない、ということを、ランナーも認識しておく必要があります。
2025年11月20日
閲覧総数 371
17

海外で生活していると、なかなか日本に帰れるものではありませんので、色々なものやことを現地で調達することとなります。駐在期間が長くなるにつれて、そのレベルがどんどん高くなっていきます。まず簡単なところでは、出張者でもできるコンビニやスーパーでの買い物ですね。これはほとんど会話をしなくとも出来ます。次が英語が通じそうな店での飲食でしょうか。スターバックスやマクドナルドあたりです。ローカルの飲食店だと、現地の言葉ができないと、若干厳しいかもしれません。そして、現地の銀行での両替、ATMでの入出金、郵便局での郵便物の発送、など、生活していると色々あります。自宅のウォーターサーバーの水を電話で注文することなども、最初はハードルが高かったです。地下鉄や電車の移動は出張者でも出来ますが、路線バスでの移動はかなりハイレベルです。美容院や床屋での散髪あたりになると、上級者に近いでしょう。私が一番苦戦したのが、コンタクトレンズを作る時でした。当時はまだワンデーコンタクトはほとんどなく、2WEEKや1年ものなどが主流でした。日本から持っていったコンタクトが寿命になり、しばらく帰国する機会もないので、現地のアイシティに行きました。日系の店だから、なんとかなるだろうと思います。大抵日系の店では日本語が話せる人がいます。ここで「日本語わかりますか?」と尋ねたら、「ちょっとだけ」と言われました。ちょっとだけでもわかれば大丈夫だと思ったのですが、この店員さんは本当にちょっとだけしか話せません。接客の挨拶程度のレベルです。仕方がないので、片言の中国語で必死に対応します。視力検査では上下左右の開いている方を言い、赤と緑の見え方はどうだとか、結構大変でしたがなんとかなるものです。無事にコンタクトレンズを入手して帰りました。今でもよく覚えている思い出です。
2018年03月07日
閲覧総数 15