WOがキライ!(R)

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2025/04/01
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カテゴリ: 街の記憶
〔20050401〕
当時父親が働いていた、兵庫県養父郡八鹿町(現養父市?)の八鹿病院で私は生まれたらしい。

今は昔、昭和30年代のことだ。
生後3ヶ月で引っ越したそうなので、当然全く記憶はない。
しかしそのおかげで、「お生まれは?」と聞かれれば「兵庫県」と答えざるをえない。
いつのことだったか忘れたが、“風にあおられて鉄橋から電車が落ちた”場所がこの辺りだったと思う。

その後、愛知県の弥富町というところにも住んでいたというが、ここについても全く記憶がない。
昔、父親が撮った写真を見たことがあったが、そのせいか“つくしがいっぱいの土手”というイメージしかない。

私の記憶が始まったのは、その後に住んでいた山梨県の河口湖町だ。

幼稚園に入る前のことだからかなり断片的な記憶でしかないが、縁側の雨戸をガラガラと開けると小さな池のある庭があり、その背景には富士山がどーんとそびえていた記憶がある。
この池では、カエルの卵を獲ってきてママゴトの“ご飯”にして遊んでいたようだ。
ポカポカと陽があたる縁側でよく遊んでいたが、何かのひょうしにレコードを踏んで割ってしまい母親に怒られた覚えがある。
以後、現在に至るまでレコードを割ることはなかったから、生涯一度の経験だった。
また、裏の台所の窓から外を覗くと、下方に河口湖が見え隠れしていたような気がする。
後から聞いた話では、確かに河口湖畔の富士山側の斜面に住んでいたようだ。

およそ20年後に関東に住むようになり、ちょくちょく富士山を見に行く機会ができたのだが、富士山は何やら懐かしい特別の山だった。
ただし、すっかり観光地になっていた河口湖はどうもイメージが違い、人が少ない西湖の方が落ち着ける場所だった。

人間のメモリーには限度があるから、どうでも良い事や都合の悪い事はどんどん忘れていくようになっている。
しかし、“最初の記憶”というのが必ずある。
それが富士山の姿と重なっているというのは、結構幸せなことではないかと思っている。






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Last updated  2025/07/18 02:48:36 PM
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みさみさこ@ Re:腰痛?晴天の霹靂(4)(11/30) 腰痛に悩む友人にも緩消法をすすめていま…
くらもち@ Re:14歳6ヶ月、元気です。(01/29) あの子たちがもうそんなお年ですか。そり…
トラのコ(uTu) @ Re:いよいよ「日本vsコートジボワール」(06/14) 日本、韓国、ドイツ、南アフリカ、ブラジル
マツや@ Re:中国人選手の名前の読み方って…(08/07) コリアン語と日本語は同じ語系ですので、…
ミュウミュウ 店舗@ blqgjzji@gmail.com お世話になります。とても良い記事ですね…

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