WOがキライ!(R)

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2025/04/02
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カテゴリ: 街の記憶
〔20050402〕
幼稚園に入る前に、河口湖から港区に引っ越した。


ただし港区といっても、 名古屋市の港区 だ。
東京の港区とはかなりイメージが違い、簡単に言うと“労働者の街”だった。

子供の頃、つまり昭和40年代には、近くの臨港線に蒸気機関車が走り、ドブ川と共に“黒っぽい風景”をつくっていた。
港湾労働者の宿舎みたいなのも近くに多く、住宅地の中に鉄工所なども混在していてなんだか危うい雰囲気もあった。
ちょうど高度成長時代だったので、バイパス道路の建設に伴う立ち退きなども身近にみられ、完全に撤去される前の空家は秘密の遊び場にもなっていた。

あの頃の街は、しょっちゅう 物売り を見かけた。

「ロバのパン屋」 「飴細工」「わらび餅」はよく覚えている。
もちろん「ラーメン」の屋台や「さお竹」なども来ていた。

大学生の頃に友人と話していて思った事だが、田舎の人間は「ロバのパン屋」を全く知らなかったので、「ロバのパン屋」が来たことは都会の証明だったような気がしている。
また、かなり小さな頃の「ロバのパン屋」は、その名のとおり実際にロバが牽いていたのだが、同世代で記憶に残っているものはいなかった。

名古屋に落ち着いてからも、港区の中で2度引越しをしているが、現在の家が最も便利な地域にある。
小学校、中学校、区役所、郵便局、電話局、水道局、診療所など、殆どの公的施設に徒歩5~6分くらいで行くことができる。

現在は見る影もないが、当時は表通りにびっしりと店舗が並び生活面でも不自由はなかった。

ただし子供にとって重要だったのは、 「駄菓子屋」 のたぐいだ。

やきそば、お好み焼き、ところてん、カキ氷など、この手のものは「駄菓子屋」で買うものだと思っていた。
スーパーで「お好み焼き」を売っているのを初めて見た時は、少々驚いたものだった。

子供の行動範囲内に3軒あった「駄菓子屋」は、オモチャを買う店でもあった。

「凧」「鉄独楽」だけでなく、わけのわからない“駄オモチャ”が所狭しと並んでいた。
そうそう 「銀玉鉄砲」 を忘れるわけにはいかない。
ひとしきり“拳銃ごっこ”をした後に、皆んなでもくもくと銀玉を拾う姿は何だか情けない気もするが、やはりオモチャのエースは「銀玉鉄砲」だろう。
もし「駄菓子屋」がなかったら、どんなにか味気ない少年時代だったろうと思ってしまう。

今も両親が名古屋に住んでいるので、ここが「実家」ということになる。
「田舎はどこですか?」「郷里はどちら?」と聞かれた時は、ちょっと言葉のイメージが違うなぁと思いつつも「名古屋です」と答えることにしている。






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Last updated  2025/07/18 03:00:11 PM
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みさみさこ@ Re:腰痛?晴天の霹靂(4)(11/30) 腰痛に悩む友人にも緩消法をすすめていま…
くらもち@ Re:14歳6ヶ月、元気です。(01/29) あの子たちがもうそんなお年ですか。そり…
トラのコ(uTu) @ Re:いよいよ「日本vsコートジボワール」(06/14) 日本、韓国、ドイツ、南アフリカ、ブラジル
マツや@ Re:中国人選手の名前の読み方って…(08/07) コリアン語と日本語は同じ語系ですので、…
ミュウミュウ 店舗@ blqgjzji@gmail.com お世話になります。とても良い記事ですね…

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