WOがキライ!(R)

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2025/04/05
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カテゴリ: 街の記憶
〔20050405〕
大学3年になり専門課程に進むと、高知市の隣の
南国市 に引っ越した。

とってつけたような名前だが、ここは高知空港がある街だ。
大学の校舎、牛の放牧場、空港が整然と並んでいたが、考えてみれば不思議な光景だった。

農家の離れなどに下宿する学生も多かったが、私は市の“中心部”に家を借りた。
中心部といっても当時人口7万人足らずの市だったから、全くたいしたことは無かった。
しかし、本屋さんとかのお店が近くに無いと、どうも落ち着かない性分だったのだ。

また特筆すべき事があった。それは駅の名前だ。

当時国鉄の土讃線の駅も、土佐電鉄(トデン)の駅も 「後免(ごめん)」
なんでも、年貢を免除されて「天下御免」と言ってたのが、いつの間にか「後免」に変わったのだそうだ。
昭和55年5月5日に、何かの記念になるかな?と国鉄後免駅で切符を買ったことを覚えている。

さらに、トデンの後免駅は終着駅だったので、間抜けなことに平仮名で「ごめん」という表示をつけて走っていた。
初めて高知に来た人にとっては「なんのこっちゃ?」という風景でもあった。

この後免両駅の間がなんとか“中心地”を形成しており、そこに小さな一戸建てを借りていた。
なりゆきから友人と2人で借りていたのだが、友人は1年足らずで大学をリタイヤしてしまい、その後は1人で住むハメになった。

そこで問題となったのは家賃だ。
2人で月3万円を払うことは可能だったが、1人で3万円はつらかった。
で、隣に住む大家さんと直談判することになった。

「このまま住みたいんで、なんとか2万円くらいになりませんか?」
「居てもらいたいんやけんど、2万5千円は貰わんとねぇ…」

交渉の結果、間をとって2万3千円になった。
よくよく考えてみると 毎月7千円OFF だ。よく承知してくれたものだと思う。

家の裏には神社があり、日曜日になると境内に鶏を持ち寄って人が集まって来た。
なんと、 闘鶏 をやっていたのだ。
もちろん賭けていたようだが、土佐の“日常”にはいつも驚かされた。

また、家のすぐそばには乾物屋があり、美味しそうなものがずらりと並んでいた。
特に フグのみりん干し は絶品で、ポロポロする食感は忘れられない。
道路の拡張でもあったらすぐに無くなりそうな小さな店だったが、あの店はまだあるのだろうか?





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Last updated  2025/07/18 03:06:25 PM
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みさみさこ@ Re:腰痛?晴天の霹靂(4)(11/30) 腰痛に悩む友人にも緩消法をすすめていま…
くらもち@ Re:14歳6ヶ月、元気です。(01/29) あの子たちがもうそんなお年ですか。そり…
トラのコ(uTu) @ Re:いよいよ「日本vsコートジボワール」(06/14) 日本、韓国、ドイツ、南アフリカ、ブラジル
マツや@ Re:中国人選手の名前の読み方って…(08/07) コリアン語と日本語は同じ語系ですので、…
ミュウミュウ 店舗@ blqgjzji@gmail.com お世話になります。とても良い記事ですね…

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