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マリーパビエ。2010年10月中旬。マリーパビエ。2010年12月中旬。ヘルメス。2010年11月中旬。マザーズデイ。2010年11月下旬。スプレーウィット。2010年11月中旬。スイートチャリオット。2010年10月上旬。スノードロップス。2010年11月上旬。ショートケーキ。2010年11月上旬。コペンハーゲン。2010年10月中旬。オールドファンタジー。2010年10月中旬。アンヌマリードモントラベル。2010年11月下旬。ロゼドアンジュ。2010年12月中旬。ロズマリン89。2010年11月下旬。レトランジェ。2010年10月中旬。2010年12月上旬に、新しいバラ達が届いた。上は、ミニバラの薔薇の海。他には、ミニバラで、香茶、雪舟、イングリッシュローズで、イングランズローズ、キューガーデン。
2011年06月22日
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フェリシア。2010年11月下旬。スピリットオブフリーダム。2010年11月中旬。バフビューティー。2010年10月下旬。ブラッシュノアゼット。2010年11月下旬。スノーグース。2010年11月下旬。マダムアルフレッドキャリエール。2010年11月下旬。
2011年06月21日
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モリニュー。2010年11月下旬。メアリーローズ。2010年11月中旬。マダムフィガロ。2010年12月上旬。マサコ。2010年11月下旬。フェアビアンカ。2010年10月中旬。ハッピーチャイルド。2010年11月下旬。パットオースチン。2010年11月下旬。ワイルドイブ。2010年11月下旬。ローズムーア。2010年11月中旬。ルデュテ。2010年12月下旬。ラプソディーインブルー。2010年11月下旬。リッチフィールドエンジェル。2010年11月上旬。ラジオタイムズ。2010年10月中旬。
2011年06月21日
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アンブリッジローズ。2010年11月上旬。イエローサブマリン。2010年11月下旬。エブリン。2010年10月下旬。スキャボロフェアー。2010年11月上旬。セントセシリア。2010年10月下旬。ジュビリーセレブレーション。2010年10月下旬。ジェームズギャルウェイ。2010年11月下旬。ウィリアムシェークスピア2000。2010年11月中旬。ダーシーバッセル。2010年10月中旬。ダーシーバッセル。2010年11月中旬。 アブラハムダービー。2010年11月中旬。タモーラ。2010年11月下旬。
2011年06月21日
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天の川。2010年11月中旬。ムーンスプライト。2010年11月中旬。ブリリアントピンクアイスバーグ。2010年11月中旬。芳純。2010年11月中旬。プリンセスドモナコ。2010年10月下旬。 ピース。2010年11月上旬。パパメイアン。2010年10月下旬。パパメイアン。2010年12月中旬。クリムゾングローリー。2010年11月中旬。イブピアジェ。2010年11月中旬。クイーンエリザベス。2010年11月中旬。
2011年06月20日
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すでに今年の春バラも咲き終わっているのですが、とりあえず、2010年の秋バラの残った写真を簡単に載せます。オールドブラッシュ。2010年11月中旬。 コンテドシャンボール。2010年11月。ルイーズオーディエ。2010年11月下旬。粉鐘楼。2010年10月下旬。 アイスバーグ。2010年11月中旬。 アイスバーグ。2011年1月上旬。 エーデルワイス。2010年11月下旬。ファビュラス。2010年11月上旬。マチルダ。2010年11月上旬。 マーガレットメリル。2010年10月中旬。
2011年06月20日
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地震のまとめに、いろいろな被災の写真はみたと思いますが(載せるかどうか迷いましたが)、、 石巻漁港の近くの湊地区。4月中旬頃。スーパーのビックハウスは、平屋の鉄骨造りでしたが、骨組みを残して破壊されていました。この辺の木造住宅は、一部は流され、残ったものも一階は壊されていました。大きな道路の手前側が、漁港近くの水産施設が集まったところで、コンクリートや鉄骨のため建物は残っているものの1階から2階相当までかなりの被害でした。南浜町。右が海側で左が日和山。4月下旬。海岸線には3m程度の堤防があったのですが、地震の地盤沈下で2mぐらいになってしまい、5mの津波をまともに受けてしまいました。石巻市立病院などコンクリートの頑丈な建築物を除いて、ほとんど基礎とガレキになってしまいました。また、この辺りと、渡波地区の海沿いは、今でも満潮の時は冠水して問題になっています。石巻港(工業港)。4月下旬。右端にみえる海が、内港で波もなくとても穏やかですが、外港に防波堤があっても船舶の出入り口から津波は入ってきますし、海面の上昇対策はされていませんから、5mの津波をそのまま受けてしまいました。工場地帯なので、建物は残っていますが、津波の高さまでかなりの被害でした。一部の船も打ち上げられていました。石巻港うらの住宅街も、港をおそった津波をくらって、ほとんど壊滅してしまいました。以上が、石巻市街(旧石巻市)で特に被害が大きかったところです。やはり、海沿いの堤防が低くて乗り越えられたところ、旧北上川河口で堤防がほとんどなかったところ、港の周辺、これらの地域がひどかったです。きちんとした堤防があれば防げたところもありますから、早急に、海と川の堤防の整備、そして、全国有数の水産都市の石巻に港は絶対必要ですから、港の復旧と津波対策が必要でしょう。あとは、大好きだった日和山からの景色を。今年は、4月下旬が桜の見頃でした。いつもは渋滞するのですが、人はまばらで、桜を見るというよりも、眼下の南浜町や門脇町の荒野をながめて、おもいおもいにふけっていました。きれいに咲いたチューリップや花束が、被災した街を見つめていました。桜で分かりづらいですが、日和大橋右側の市立病院や青の屋根の工場(マルハニチロ)以外は、ほとんどガレキと化していました。日和大橋を超えて、旧北上川の向かい岸も荒れ地になってしまいました。2年前の同じ場所からの眺めです。桜の奥には、びっしりと住宅街がありました。もう少し分かりやすい角度から、市立病院、青の工場、ほかのコンクリートなど頑丈な建物以外は、まっさらになってしまいました。市立病院も、1階は大被害で、今は別の建物を借りて、仮営業しています。さらに石巻の大半の医療機関が被災したこともあり、蛇田にある石巻赤十字病院に患者が集中する状況になってしまいました。9年前の写真です。以前は、小さな住宅が密集して、海沿いの下町みたいな感じでした。いったい、どれくらい尊い生命と財産がなくなったのでしょうか、心よりご冥福をお祈りいたします。日和山からのもう一つの眺め、中州方面。下は、2年前の同じ眺めです。旧北上川の中州は、まったく堤防がありませんでしたから、そのまま津波に襲われ、奥の漫画館など一部を除いて、ほとんど更地になってしまいました。また、写真では分かりづらいですが、川の両岸はほとんど堤防がなく、それが石巻らしい港町の風情を醸し出していたのですが、川沿いの建物は、かなりの被害を受けました。さらに、川近くの地域は2階近くまで浸水してしまいました。あとは、石巻の市街地が左側からしばらく続くのですが、駅前、中里を超え、蛇田の一部まで約3kmにわたって、大半の地域が浸水してしまいました。最後にもう一枚、日和山から南浜町を。とっくに春は過ぎて、桜も咲き、バラも咲き、ガレキや泥もそこそこ片付いて、街は復興に動いています。あまりにも被害が大きくて、いつになったら石巻が回復するのか、どうなるのか、膨大な年数と費用とパワーがかかるでしょう。それでも、桜は咲きますし、海はやっぱりきれいです。いつかまた、日和山から、大好きなきれいな石巻の街並みと海と川を眺めることができる日が来ることを信じて、頑張っていきたいです。そして、たくさんの人たちが、石巻や宮城に訪れ、昼も夜も働いています。三陸道から蛇田バイパスにかけては、いまだに渋滞(朝の石巻行き、夕の仙台行き)がひどいです。本当に「ありがとう」です。
2011年06月16日
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お久しぶりです。また少し落ち着いてきたので、再開します。もう少し、地震の話におつきあいください。まだ、宮城では、毎日のように小さな余震が続いています。沿岸部では、地盤沈下で冠水してしまう問題も続いています。行方不明者の捜索も続いていますし、津波で破壊されてしまった地域の後片付けも残っています。自衛隊、警察官、役場関係者、工事関係者、ボランティア、いろんな人が頑張っています。浸水したエリアでも少しずつ営業する店も増え、仮設住宅が公園などいろんな空き地にできて新しい生活が始まりつつあります。と同時に、補償の問題、壊滅地域をどうするか、失われたインフラや家や職場をどうするか、復興の遅れ、被災者間のトラブル、貧富の差の拡大、いろんな問題がでてきています。数年規模で莫大な費用とパワーがかかることですから、行政の助け、一人一人の努力が必要でしょう。さて、個人的に、被災して大切だと実感したことを。まず一番、大切なことは、一番、難しいことですが、地震が少なく津波の危険もなく、地盤も安定しているところに住むことです。ただ、地震の多い太平洋側の方が発展してますし、便利な平地に都市がありますし、生まれ育った土地とか仕事のからみもありますから、なかなか難しいところです。次善の策としては、海沿いと川沿い、過去に浸水のあった土地は避け、地域でも安全なところに住むことでしょう。また、ユーラシアのように広大なプレートには大きな浸食平野があって地盤も固いですが、日本の平野はほとんどが川の堆積でできた堆積平野(扇状地・氾濫原・三角州からなる沖積平野)ですから、肥沃で平らで開発はしやすい反面、地盤が弱いところが多いです。地下水くみ上げによる地盤沈下、地震による液状化の問題もあります。できるだけ、高台に住む、低地でも湿地や水田を埋め立てたところは避け、必要に応じて地盤改良が必要です。今回、津波で壊滅的な被害を受けた地域は、石巻など5m程度の津波なら堤防道路で防げるでしょうが、10m以上の津波にやられたところは堤防で防ぐことは無理でしょう。堤防・公園・港や工場など必要最低限のみとし、住宅地の移転はしかたがないでしょう。次に、重要なことは避難と備えです。今回は千年に一度の災害と言われていますが、自然災害に予測はつきません。あらかじめ最悪を想定して、避難する準備をして、危ないと感じたら、最低限の備えで逃げるのが大切です。今回は、きついようですが、津波を甘く見て、逃げ遅れた人もいると思います。あとは、行政側にも、防災設備や避難所の確立、日頃の訓練、備え、起きた後の適切な対処と補償が求められます。その次ぐらいが構造です。一般的に、木造軸組工法、木質パネル工法やツーバイフォー、鉄骨、鉄筋コンクリートの建物の順に耐震性が強くなります。ただし、設計と施工も重要で、総二階で窓などが小さく、吹き抜けや広いLDKなどがなく、耐力壁をきちんと配置して、ていねいな施行が重要です。また、重い瓦屋根やクラックの入りやすい塗り壁も、地震には弱いです。今回、地震で壊れた建物の多くは、地盤の弱いところにあった古い建物でした。津波で破壊された地域でも、ほとんど基礎だけになっている中で、コンクリートや鉄骨などがっちりした建物は1階などはかなりの被害でも建物は残っていますし、意外に木造でも丈夫な家は残っていました。あとは、細かい地震対策を。震度6を越えると、突っ張り棒や固定金具程度では倒れる家具もありますから、やはり、壁にきちんとくっついた備え付けの家具が一番です。マイホームの場合、本棚、収納棚、食器棚などが該当すると思います。あとは、棚に入れたものが落ちたり壊れたりしないように、、本棚の場合、扉を付ける、奥行きを深くする、奥の方を低くする、シートを敷く、隙間を詰めて動かないようにする、上の方は落ちてもいいものをおく、食器棚では、シートを敷いたり、無理な積み重ねはしない、など工夫が必要でしょう。といいつつ、自宅の本はほとんど落ちてしまいましたが、、4月7日の余震の震度6では一部しか落ちなかったので、効果はありました。 耐震シートも有用でした。市販のものは高いので、普通にホームセンターで売っている厚めのビニールのシートで十分です。床に置いてあるテーブルなどには、すべて下敷きしていたので少しずれたぐらいでした。(最近の液晶テレビは固定も必要です。)固定系の耐震グッズも、使えるところには使っていました。物置は、どうしてもどうでもいいものは積み重ねて収納してしまいますので、つっかえ棒付きの間仕切りをしていたのですが、大丈夫でした。ライフラインが絶たれることも多いですから、備えも大切です。 やはり、水と食べ物が一番です。水は、オール電化なら電気温水器の水が使えます。飲用は推奨されてませんが、沸騰して使う分には問題ありません。460Lはデカイです。給水に並ばなくてすみます。お風呂水なども洗濯用途には使えます。飲料水は、断水になるまでタイムラグがあるので汲めるだけ溜めておく、ミネラルウオーターを備蓄しておくのがよいでしょう。また、給水が始まったら、水を運ぶ容器として、給水用ポリタンクなどが必要になります。地震後に、折りたたみ式ウオータータンク20Lを購入しました。置き場に困らなくて、便利です。非常食といえば、レトルトパックや缶詰になりますが、パンやごはんなどを冷凍していれば、1週間近くは持ちます。 カセットコンロも役立ちます。温かく調理して食べられるのは大きいですし、カップラーメンを食べるにもお湯が必要ですから。大災害では、都市ガスも止まりますし、プロパンガスも点検が必要で使えないことがあります。停電では、電気を使っているコンロやガス給湯器やガスストーブは使えません。水洗トイレは、電気がなくてもレバーで流せますが、水がないと使えません。断水中は、トイレに小便5L・大便15L程度も使うのは勿体ないですし、仮設トイレなども毎回行くのは大変ですから、小便は尿瓶に、大便はビニールの袋に紙をつめてバケツみたいなものに座ってするようになりました。地震後、サニタクリーンを購入しました。固める薬と消臭剤が入っています。洋式便器やバケツにかぶせて使います。小と大に使えて、1回分100円ちょっとです。停電では、電池と、電池で動作する懐中電灯、ラジオなどが大切です。充電式電池はいっぱいあったのですが、充電切れなども多く、やはり、エネループがいいです。しばらく、乾電池は購入できませんでしたが、最近は普通に買えるようになりました。単3は充電池が使えますので、コジマネットで、単1アルカリ4本390円、単2アルカリ4本280円、三菱製を購入しました。最近の携帯やデジカメはバッテリー時間が短くなってますから、替え電池も必要です。平常時でもセカンドバッテリーとして使います。携帯の電池は、ドコモならプレミアムクラブに入会して条件を満たせば、無料でもらえます。大災害後は、携帯はつながらないことが多いですが、連絡しようとアンテナが立つのをみているだけで電池は消耗しますし、ワンセグで情報を入手するにも電池は大切です。発電機は、1200Wクラスでガソリン4.2Lで6時間程度、20Lの携行缶で30時間ぐらいと短く、3万円弱と高く、騒音の問題もあって、なかなか使えませんから、携帯の充電などどうしてもという時には車のDC12V AC100Vコンバーターが役に立ちます。ちなみに、太陽光発電付きの家なら、停電でも大丈夫かというと、停電時専用のコンセントで使えるのは1000W程度なのと、曇れば使えなくなるので、一時使用程度です。エネファームなどの燃料電池は、電気がなければ使えません。 冬は暖房が必要ですが、昔の家なら電池式の石油ストーブが使えますが、最近の高気密住宅では換気が必要で常備してませんから、電気がないと無暖房状態になってしまいます。あとは、ホッカイロや厚着や毛布で温めるしかありません。夏の暑さは、うちわと薄着で我慢するしかないでしょう。被災が長引くほど、足りない物を調達するための足が必要になります。会社によっては、大災害でも休みにならないところもあります。停電では、ガソリンスタンドをはじめ、お店がほとんど休みになるので、ガソリンなど物資が不足していきます。地方では車がないと何もできませんし、スタンドが再開してもしばらくは大行列ができますから、ガソリン携行缶もあった方がいいです。震災後はどこも売り切れでしたが、ようやく買えるようになったので、20L用を購入しました。 あとは、最後の頼みは自分の脚。歩くのもよし、自転車で移動するもよし。そういった時に意外に必要になるのが、ナップサックです。備えあれば憂いなし、地震など災害の多い日本ですから、今回の被災を教訓に、今後の災害にも備えたいものです。
2011年06月13日
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