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土曜日の朝、家を出て、午後2時ごろ新下関に着き、妹に迎えに来てもらっていて、2時半には、実家。荷物を置いて美容院に行き、白髪を染めて帰宅。4時を少し回っていたので、母は、デイケアから戻っていて、エアコンも入ったところだった。まだまだ暑いし、エアコンも効かないので、台所でお茶を飲んでから自室で休んでいた。その後、6時前に、母に呼ばれて、台所に行くと、母が深刻な表情で切り出した。「ご飯食べながらする話やないから、先にしておくけど・・・」で、話の内容は、私の高校の同期で、山口県で中学の教員をしている人の、2歳年下のご主人が亡くなったと。そのご主人とも、私の同窓生とも、母は以前に勤務した中学で、共に働いたことがあり、特にご主人は、母のかつての勤務した中学校の同僚の集い(年一集まっていた仲間)の中で、最も若いメンバーだった。と言っても享年58歳だったが、あまりにも突然なことで、母は、とてつもない衝撃を受けていて、それを私に、とにもかくにも、伝えたかったのだった。実際は、高校時代、理系の落ちこぼれで、体育も3年生は見学だった私と、学年一の理系の秀才だった同窓生、しかも運動部でインターハイに出場していた彼女とは、まあそれほどの接点は無い。彼女は優秀で、奨学金で国立大学に行き、授業料も免除で、大学では高校数学の専修免許状と中高の体育の免許状を取っていた。むしろ、妹や妹の主人の方が、同じ県内でかつての知り合いなんじゃないかと思われた。それに、その58歳の中学校教諭の亡くなり方は、熱心に部活動の顧問をしている56歳の妹の主人にこそ、聞かせたいことだった。 先週の木曜日、終業式の前の日、全校生が40人という小さな中学校で、2学年の主任をしながら、一人で3学年の体育を受け持っていたその教員は、2時間の水泳の補講をし、その後、放課後は部活動をしていたようだ。勿論、猛暑日だ。後で調べて分かったことだが、その部活はサッカーだった。泥だらけで帰宅し、先に帰っていた奥さんに、食事の前にシャワーを浴びると言って、シャワーを浴びていたらしい。いつまでも出てこないので、奥さんが見に行ったら、もう、こと切れていたと。一応救急車は呼んだが、無駄だったようだ。ただ、解剖は免れたようで、昨日土曜日が通夜、今日日曜日が告別式だった。母は、高齢だし、遠方だして、遠慮したようだが、親密度が高いだけに、辛すぎる体験だ。結婚式にも参列するほどの親しさで、毎年の年賀状にもラブラブの夫婦の写真が印刷されているくらいなので、長く会っていなくても、いろいろと思い出されることもあるのだろう。故人に対しても、また、私と同い年で、今年度末で定年退職を迎える奥さんに対しても、母は、深く悼み、深く悲しんでいる。今年の年賀状に、いよいよラストイヤーと、心躍る奥さんの字で書かれていた。まさかの展開となったなぁ。。。この二人にはもう両親ともに居なくて、独立された二人の娘が居るだけだそうだ。そういえば、私の同窓生のほうは、お父さんが早世されていて高校時代にはもうお母さんだけだった。ご主人の方のご両親も非常に早くに亡くなられていたようで、心臓の弱い家系だったのかもしれない。ゆうべ、妹の主人から母に電話があって、母が詳しく話していた。妹の主人はやはり、よく知った仲のようで、特にクラブ活動を通じて、娘さん達とも面識があり、試合で出会って、親子とも知っている仲。妹の主人は、部活も熱心なまじめを絵にかいたような中学教員だから、本当に気を付けてほしい。再任用などもあり、体育の教員は、60歳前後でも実技指導をこの炎天下続けている。生徒を愛する人ほど、年齢を顧みず、生徒と同じ環境に身を置こうとするだろう。しかし、かつて教員の定年は55歳くらいだったものだ。その年齢から年金だって支給されていたのだ。今、65歳が支給開始年齢になって、勤務を続けることが家計支持者にとっては欠かせなくなっている。学期末、猛暑、無理も重ねていただろう、勤務校も、町村合併で、同じ市内とは言え、自宅からはとても遠かった。周囲は悔やんでも悔やみきれないが、亡くなった本人は、悔やむこともできない。命は二つ無い。年下のご主人を亡くしたら、彼女の人生設計は大きく狂うことだろう。辛い、辛すぎる、60歳の夏になった同窓生を、私も悲しんで、ここに記録する。
2018年07月23日
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加古川は、氾濫を繰り返してきた一級河川。今回もかなり危険だった。避難勧告のエリアメールを受け取った。仕事が立て込んでいて、それどころではないので、元夫君をほったらかして、ご飯の用意だけして、家を離れた。避難所が嫌いな彼は、何があっても家を離れないと言っていた。水没3m地帯だから、2階の彼の部屋はかろうじて大丈夫かもしれない。そう思って、自分だけ車に乗って家を出た。車が水没したら、仕事に支障が出るので、水没させるわけにはいかない。カルタの蔵でしばらく状況を見ていたら、水位が下がってきてようなので、一旦帰宅して、追加調理をして、また仕事に復帰した。丁度こんな時にニュージーランドからの客人が17人、分宿していて、その間の連絡とか調整とかで、昨日は忙殺された。今日は、その仕事はよりハイレベルの人がやってくれていて、私は報告を聞くだけ。ボスが状況を把握できていないままに指令を出すと、今回のように混乱する。末端は大変だ。。。すまじきものは宮仕えだが、まあ、している以上は仕方ない。こんな時に人間力に差が出ると思ったのは、担当部署の直属の上司が、ステイファミリーの避難所まで状況確認に行ってくれていたこと。居宅付近にも住所を手掛かりに確認に行ってくれたそうだ。昔ながらの災害に慣れた住民の家らしく、高台に家があって大丈夫そうだったと。普段「昼行燈」と思われている穏やかな人だが、我が家と同様に、自宅も危険な場所なのに、気にかけて行ってくれていた。岡山の水害や、千葉の地震や、気がかりは多い。岡山の水害に至っては、水が引いてからでないと被害の実態は把握できないだろう。千葉は、今回の水害から遠い地域での地震だったから地盤のゆるみをダブルで案じることは無いのかも知れない。天災のたびに、この国に絶対の安全な場所は無いと思わされ、気を引き締められる。yumiさんのところは高台だから水害の心配はない。junさんのところは、地震に強い新しいタイプの家だし、高台だし。大丈夫だろう。今回、一番危険なのは、自分の家だったと痛感した。。。次の台風の影響が出ないように祈っている。仕事では、退く勇気、計画を止める勇気の必要性を強く感じた。こんな年になっても、学ぶことは多い。母は、元気に、私を案じてくれる。ありがたいことだ。。。
2018年07月07日
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