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せっかくクリスマス用のネタを考えていたのだが、あいにく仕事と重なってしまい、あっという間にクリスマスは去ってしまった。そういうわけで、そのネタは来年まで大事に取っておくことにしよう。 法学や倫理学の教科書によく出てくる話に、「カルネアデスの板」 という話がある。カルネアデスという人は、紀元前のギリシアにいた哲学者であるが、彼が提出した問題だということで、こう呼ばれているらしい。もっとも、カルネアデス本人は著作を残さなかったらしく、この話はキケロの 『国家について』 という著作での話が基になっているということだ。以下は、Wikipediaからの引用である。 一隻の船が難破し、乗組員は全員海に投げ出された。一人の男が命からがら、一片の板切れにすがりついた。するとそこへもう一人、同じ板につかまろうとする者が現れた。しかし、二人がつかまれば板そのものが沈んでしまうと考えた男は、後から来た者を突き飛ばして水死させてしまった。その後救助された男は殺人の罪で裁判にかけられたが、罪に問われなかった。 この法理は、現在では 「緊急避難」 と呼ばれており、日本の刑法でも、外形的には違法行為に当たるが、法による処罰を免れる場合として、「正当防衛」 と並べて次のように定められている。(緊急避難)第37条 自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。 東大の元教授で最高裁判事を務めたこともある団藤重光は、著書の 『刑法総論』 の 「緊急避難」 の節で、「緊急は法を持たない」 という法格言を引用し、それに付した注で 「グローティウス、プーフェンドルフ等の自然法学者は、緊急状態では法秩序そのものがなくなると考えていたらしい」 と書いている。 グロティウスは 「国際法の父」 として教科書にも載っている有名なオランダの法学者、プーフェンドルフはドイツの法学者であり、いずれも17世紀の人だが、そこにある思想は、せんじ詰めれば、人間の肉体的な生存そのものの要求は、法的秩序や合法性よりも優先されるということだろう。 法学的に言えば、この場合に違法性が阻却される理由としては、そのような場合には、もはや法の順守を期待できないために責任が阻却されるためだという 「期待可能性理論」 であるとか、いろいろ議論があるようだが、ややこしいことは抜きにすれば、その根拠はやはり上に書いたことに尽きるだろう。 むろん、誰も彼もが勝手に 「緊急避難」 を主張すれば、それこそ 「万人の万人に対する闘争」 といった事態も生じかねない。だから、そこには 「緊急性を要する」 とか 「ほかに手段がない」 といった制限があるのは当然である。また 「緊急避難」 が違法性阻却事由として認められているからといっても、侵害された法益がきわめて軽微な場合を除いて、その主張がそのまま認められることも、実際にはそうあることではない。 しかし、もし目の前に緊急の医療処置を必要とする者がいれば、たとえ医師免許を持っていなくとも、それがそう難しい行為でない限り、それなりに心得がある者や、場合によってはただの素人であっても、そのような行為を行うことは可能であるし、そのために医師法違反で処罰されることもあるまい。その場合には、形式的な合法性よりも目の前の人を救うことのほうが優先される。 また操縦士が失神して飛行機が墜落しかけているとなれば、免許は持たないが多少は心得はあるという者が代わりに操縦したとしても、無免許操縦で罪を問われることはないだろう。なんと言ったって、そのまま放置して落っこちてしまえば、元も子もないことだし。 では、たとえば、気温が零下にも下がるような真冬の夜に、このままでは凍死しかねないと考えた者が、屋根があり外気を遮断することのできる駅の構内や公共施設に制止を無視して、あるいは壁を乗り越えたりして無断で立ち入ることは、法的に言っていかなる問題を惹起するだろうか。 そのような行為は、やはり 「住居侵入」 などの罪に問われるのだろうか。むろん、そのような行為を行わずに戸外にいた場合、実際に凍死したかどうかは、そうなってみなければ分からない。しかし同時に、そうなってからでは手遅れという話でもある。 少なくとも理念として言う限り、法は万人のためにある。つまり、法とは単にあれやこれやの禁止事項をお上が勝手に定めた掟ではなく、それを守ること、言い換えればそれが万人によって守られることが、たとえ直接的にではなくとも、万人にとってめぐりめぐって利益になるからこそ法なのであり、法としての意味がある。 終戦直後の食糧難時代に、山口判事という人が闇米を食べることを拒否して餓死したという話がある。この話は、しばしばその遵法精神の高さを表す美談として語られる。それが妥当かどうかははともかくとして、判事として国民に対し法を強制する立場にあった人間としては、それは一つの責任の取り方だったのかもしれない。 しかし、法を守ることが 「生きる」 ということと相反するなら、そのときに法を守るということにいったいいかなる意味があるだろうか。「法律で決まっているから」 とか 「規則でそうなっているから」 ということは、理屈を言う限りでは、そのような法律や規則に従うことを他人に要求する根拠にはならない。言うまでもないことだが、この世に完全な法などは存在しないのであり、だからこそ法は万能ではない。 法や規則を守ることが、その人自身にとっても、なんらかの利益をもたらすものでなければ、少なくともその人にとっては法を守ることに意味はあるまい。むろん、現実には法律や規則を独断で無視すれば、様々な不利益を被ることも予想されることであり、それが人々がしばしば、内心では不合理だと思っているような法にも、文句を言わず従っている理由の一つでもあるわけだが。
2008.12.28
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昨日は 「天皇誕生日」 だったらしい。われわれのような純然たる昭和世代にとっては、いまだに 「天皇誕生日」 というと、ついつい4月29日を連想してしまう。平成もすでに20年目に入っているものの、いったん脳裏に刷り込まれた人間の記憶というものは、コンピュータのメモリのように、簡単に上書きして書き換えるというわけにはいかないものだ。 ついさっき、元タレントの飯島愛が、自宅で死亡していたのが発見されたというニュースがあった。死因はまだはっきりしないが、自殺の疑いもあるらしい。タレントとは、他人に見られること、つまりは不特定の多くの他人の視線に 「曝される」 ということを商売にした職業のことだ。 そういうことが、人によってはどれだけのストレスをもたらすものなのか。彼女の死が 「自殺」 によるとはまだ断定はできないし、そうだとしても、その理由ももちろんまだ分からないが、そんなことを考えた。 ところで、麻生首相が言っていた 「百年に一度」 の金融危機というのは、どうやらただの脅しではなかったようだ。かつての世界恐慌は、英仏のブロック経済による保護主義の台頭と通貨の切り下げ合戦、日独伊による 「三国同盟」 結成というように、強国どうしの利害対立の尖鋭化を招いて、最終的には世界戦争に突入することになった。「ニューディール政策」 を推進したアメリカの場合も、最終的にこの恐慌の痛手から立ち直ったのは、戦争参加にともなう軍需拡大のおかげである。 現下の危機の中で、世界においていまだに 「鬼っ子」 的位置にあるロシアは、すでに保護主義的政策を打ち出しているようだ。しかし、日本はむろん、中国や韓国、インドなどのように、近来の成長は著しいものの、アメリカや欧州などの国外市場への輸出に大きく依存している諸国には、そのような政策は採りえない。どの国も、かつての英仏のように 「ブロック経済圏」 として囲い込むだけの専属的市場など持ち合わせてはいない。それだけに、アジア経済はこの危機によって最も大きな打撃を受けることになるだろう。 むろん、世界経済の収縮と危機の拡大を防ぐには、各国の協調は欠かせない。しかしながら、どの国にとっても、かつてのように不況による国内危機を大規模な対外危機へと転化することが不可能なだけに、その危機は必然的に各国の内部へ内向せざるをえなくなるだろう。もはや、事態は麻生政権の動向だの命運だのという、チンケな問題ではすまなくなっているようだ。 というわけで、仕事の合間をぬって、書棚に陳列してあった経済学関係の本を、まずはシュンペータあたりから覘いてみようと思ったのだが、なかなか先に進まない。やはり読書にも体力は必要なようで、やっぱり若いときにもうちょっとちゃんと勉強しておけば良かったかなとも思う。とにかく、根気が続かないのだ。少し読むと、すぐに飽きがきて、ついつい別の本に手を出してしまう。 そういうわけで、あれを齧りこれを齧りで、中途半端な読みかけや、途中で読むのを放棄した本ばかり溜まっていく。しかも、その合間にも、あちこちの古本屋などで面白そうな本を見つけると、読む当てもないのに、ついつい買ってしまうのだからしょうがない。 しかし、とりあえず、シュンペータの 『資本主義・社会主義・民主主義』 だけは最後まで読み通してみようと思う。いわゆる 「近代経済学」 というのは、まったく勉強したことがないし。もっとも、今頃半世紀以上も前のシュンペータの著書など読んで、それで今の世界経済が分かるようになるかと言われれば、それはなんとも言えない。 つい先日、Book Off で現代詩文庫の 『黒田三郎詩集』 を300円で購入した。その中から、「九月の風」 という詩の最後の一節を引用する。 悔恨のようなものが僕の心をくじく 人家にははや電灯がともり 魚を焼く匂いが路地に流れる 小さな小さなユリに 僕は大きな声で話しかける 新宿で御飯たべて帰ろうね ユリ 「九月の風」 より 黒田の詩は、観念的な言葉やメタファを多用した、難解と言われる現代詩の中では平易で分かりやすい詩であり、そこが今なお人気のある由縁だろう。昔、「赤い鳥」 というフォークグループが、彼の 「紙風船」 という詩に曲をつけて歌ったこともある。上の詩が所収されている詩集 『小さなユリと』 は、黒田の奥さんが入院していた間の、黒田とまだ幼かった娘との生活を詠ったものだそうだ。 一読すると、その詩には幼い娘と、その娘を愛おしむ父親との、どこにでもあるさりげない小市民的な日常が描かれているにすぎないように見える。しかし、そこに詩人の優しさや、まるで家族のお手本のような優しい父親の姿だけを読み取るのは、たぶん間違っている。 「小心で無能な月給取りの僕」(月給取り奴) と自嘲し、「小さなユリが寝入るのを待って / 夜毎夜更けの町を居酒屋へ走るのは / 誰なのか」 「深夜に酔っぱらって帰って来ては / 大声でユリを呼んで泣かすのは / 誰なのか」(僕を責めるものは) と書き付ける黒田の姿は、ほとんど性格破綻者と言ってもいいような、どうしようもない酔っ払いのダメ親父である。
2008.12.24
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自動車業界を始めとする製造業での派遣社員解雇は、いよいよ大きな社会問題になりつつあるようだ。浜松では、解雇されたブラジル人労働者らがデモを行ったそうだが、年末のこの寒風の中に、多くの者を解雇だけでなく、解雇とほとんど同時に寮からも出て行けとは、随分な話である。 当たり前のことだが、現場で働く労働者がいてこその企業というものだろう。島根県や大分県の知事など、各地の行政の長は、この問題に対して、職員の一時採用だとか他業種への採用の呼びかけなど、いろいろな策を練っているようだ。それはむろんないよりましだろうが、まず一番にすべきことは、寮や社宅からの即時退去というような暴挙に抗議し、撤回させることではないだろうか。 民間アパートのように、今の居住者を退去させたら、すぐ次の入居者を募集するというのならともかく、大量解雇ではそのような予定があるはずもなかろう。それなのに、なにを急いで、今この時期に大量のホームレスの発生が確実に予想されるようなことをする必要があるのだろうか。政府も地方の行政も、まずはそのような企業の処置に抗議すべきだろう。抗議しないということは、そのような処置を良しとし、瑕疵のない前例として認めることでもある。 前長野県知事で、今は 「新党日本」 とやらの党首と参院議員を務めている田中康夫は、党のHPで、「会社や組合という組織の都合ではなく、個人や地域という人間の未来に根ざした政治を求める、ユナイティッド・インディヴィジュアルズ=自律した個々人が連携するムーブメントなのです」 などとたいそうなことを言っているが、そんなものはただの自画自賛にすぎない。 一部の既成の組合やこれまでの労働運動に、下請け企業や臨時社員、派遣社員らの利害を無視した、「企業組合主義」 と呼ばれるような閉鎖性があったことは否定できまい。しかし、現在行われているような 「派遣社員」 という名による人間の使い捨てが可能になったのは、そもそも労働運動が弱体化したことに一つの原因がある。 そのような組織と運動の弱体化は、むろん歴代の指導者らや組織自体にも責任があるだろう。だが、田中のように、既成の組織を味噌とクソのように一緒くたにして、すべて 「既得権益者」 であるかのように一律に攻撃するのは、少なくともまだ存在しており、たとえ微力ではあっても、今なお社会的な抵抗の砦として役立ちうる組織の足元をさらに切り崩すものでしかない。 「自律した個々人」 などというと、なんだか聞こえはいい。しかし、たとえば 「国籍法改正」 問題で田中が実際にやっていたことは、「偽装認知奨励法、人身売買促進法、小児性愛黙認法」 などと、おのれの無知のみを根拠にしたデマゴギーを振り撒いて、おのれと同じ程度に無知な 「大衆」 を扇動するという、正真正銘のデマゴーグに相応しいことでしかない。既成の組織が様々な動脈硬化を起こしていることも否定はできまいが、田中のようなやり方は、いつの時代にもよくあるただの扇動家の手法にすぎない。 ところで、「科学」 というものが、あちこちで話題になっているようなので、一知半解の素人考えをちょっとだけ言ってみたくなった。 近代科学というものの起源がどこにあり、誰を祖とするかは面倒な話だが、一般にガリレオやケプラー、ニュートンあたりをその画期をなした人とすることには、たぶんそう異論はないだろう。 ガリレオにしろ、ニュートンにしろ、その時代の科学者のほとんどが、同時に神への信仰の篤い人であったことは言うまでもない。それは、むろん時代のせいでもある。しかし、彼らには、神と神が創りたもうた世界の秩序に対する信仰があり、同時に神によって、神に似せて造られた理性的存在である 「人間」 には、そのような秩序を知ることが可能なはずだという信念も所持していた(と思う)。 たとえばラッセルのお師匠であったホワイトヘッドという人は、『科学と近代世界』 という著書の中で、「広く人々の間に、事物の秩序、とくに自然の秩序に対する本能的確信がなければ、生きた科学はありえない」 と書いている。初期の科学者らにとってのそのような 「自然の秩序に対する本能的確信」 とは、ようするに、神によって創造された世界には必ず美しい秩序が存在するはずだ、という確信のことであった。 むろん、このような神とは、もはやギリシアの神々のようにお酒を飲んで酔って暴れるような神でも、イスラエルの神のように、些細なことで癇癪を起こして 「大洪水」 を引き起こすような神でもない。そのことを、ホワイトヘッドは 「エホバの人格的力とギリシャ哲学者の合理的精神とを併せ持つものと考えられた<神>の合理性を、中世の人々があくまで強調したことに由来する」 というように指摘している。 現在の科学は、中世の 「哲学」 の中から生じ、そこから分化したものである。ニュートンは、自分の主著に 『自然哲学の数学的諸原理』 という題をつけている。そこに違いがあるとすれば、彼ら科学者は、もはや中世の哲学者や神学者のように、抽象的な思弁だけで世界を理解し、それによって一挙に 「絶対的真理」 を把握するといった野望は持っていないということだけだ。 話はかわるが、星雲からの星の誕生を説いたことでも有名なカントは、『純粋理性批判』 の中で、神の存在を証明する論法として 「自然神学的証明」 と 「宇宙論的証明」、さらに 「存在論的証明」 の三つをあげている。 「自然神学的証明」 というのは、ようするに宇宙を含めた自然の素晴らしさや美しさに感嘆するところから始まる。夜空に瞬く星や野原に咲き乱れる花、色彩豊かな動植物などを見て、ほほぉーと感嘆し、そこに偉大な力の存在を感じて、これこそ神が創りたもうたものなり、と感激するということである。 次に 「宇宙論的証明」 とは、リンゴはちゃんと木から落ち、太陽は毎日ちゃんと東から昇り、決められたとおりに運行するというような世界の秩序正しさに感嘆するところから始まる。誰かが自分の作った設計図に従って、合目的的に世界を創造したのでないとすれば、なぜにこのように世界は秩序正しく進行し、存在しているのかということだ。 最後の 「存在論的証明」 というのは、デカルトも用いたもので、「神とは完全な存在である。完全であるということは 「存在」 ということを含む。したがって、神は存在する」 という、ようするに一種の詭弁でありただのトートロジーにすぎない。 ホワイトヘッドが指摘しているような、初期の科学者による自然探求の背後にあった 「確信」 とは、まさにカントが二番目にあげた 「神の宇宙論的証明」 に通じるものだろう。不可知論的な結論を引き出した量子力学に対して、アインシュタインが 「神はサイコロを振らない」 と言ったというのは有名な話である。もっとも、この場合はしゃれた言い回しという以上の意味はないだろうが。 たとえば、惑星の公転法則で有名なケプラーは、宇宙は音階と同じ調和的法則によって支配されていると信じていたピタゴラス主義者であった。そして、宇宙を支配する秩序に対するそのような強い信念があったからこそ、今のような望遠鏡もない時代に、視力がどんどん衰えるのも気にせずに、毎夜観測とそこから得たデータの計算に励み、その結果、画期的な業績をあげたのである。 しかし同時に彼は、星が人間の運命に影響を及ぼすことを信じて、占星術に凝るような魔術的人物でもあった。ニュートンもまた、晩年には交霊術にはまったことで有名である。だが、そもそも人間の活動というものは、すべてなんらかのそれ自体は非合理的な信念や情念に根拠を持つものである。それは、科学者の場合でも同じだろう。バルカン星人のようにつねに冷静であって、なんの情念も情熱も持たない者には、科学的真理を追究するというような面倒なこともできはしまい。 ただし、そのような研究者の背後にあり、彼らを研究に駆り立てた、非合理的な 「信念」や 「信仰」、「情熱」 と、その結果や成果の妥当性とはまた別の問題なのである。もしも非合理的な 「信念」 だけで暴走すれば、たとえニュートンのように、どんなに過去に業績をあげた一流の科学者であっても蒙昧に陥る。そういう 「落とし穴」 の存在は、今も昔も変わりはしない。 上で言ったように、科学的思考というものは、たとえ合理的であったとしても抽象的な思弁だけで一挙に 「絶対的真理」 なるものを獲得することを断念し、目前の経験から思考を始めることから始まる。そこで求められるものは、絶対的で普遍的な真理などではなく、あくまでも限定的な、しかしその限りにおいて確実な真理である。だから、科学的真理なるものが 「絶対的真理」 などではないことはそもそも自明のことなのだ。 ただ、科学というものに 「限界」 がないとすれば、それはその研究者たちによって、つねにその 「限界」 が意識されている限りのことでもある。なんの問題であっても、「限界」 を意識するということは、その 「限界」 を超えていくための前提である。それは、いつの時代でも、おのれの 「無知」 と 「未熟さ」 を知っている者のみが、その先へ進むことを許されるというのと同じことだ。
2008.12.22
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早いもので、今年もあと10日あまりということになってしまった。一年が経てば、当然誰もが一年分、また年齢を重ねることになるわけだが、はたしてそれだけの時間に相当する積み重ねがこの一年でできたのかというと、残念ながら、はなはだ覚束ないと言わざるをえない。ようするに、あまり変わってないなということだ。 先日のことだが、近所の大型スーパーの階段で、乳飲み子を抱えた母親が目を放したすきに、2,3歳ぐらいの子を乗せたショッピングカートが、ごろごろと踊り場まで落ちていく騒ぎがあった。そこはちょうどトイレの前で、ひょっとすると母親は上の子をカートに乗せたままトイレの外に待たせておいて、中で下の子の世話をしていたのかもしれない。 カートに取り残された子がむずがりだして、その反動でカートが動き出したのか、それとも何かが触れたのか、あるいは床にわずかな傾斜でもあったせいなのか、そのへんは見ていないから分からない。 ただ、がたがたと音がし、おまけにぎゃあっという声までするので何事かと思って覘いたら、すでに一番下までカートが転がり落ち、横倒しになったカートで女の子が泣いていたのだった。すぐに母親と店員も駆けつけてきたが、階段にはリノリウムも敷いてあり、季節も冬で厚着をしていたからか、幸いたいした怪我はなかったようだった。 さて、ネット上では、つねにいろいろと騒動や議論のネタが尽きないものだが、そこでいろいろと感じたことを少々。 なんでもよいが、なにかしら微妙な問題について、いささか不用意なことを書いた文を公開したりすれば、批判的な意見を含めて、多くの人から即座に様々な反応が返ってくることはしかたのないことである。とりわけ、その発言者がそれなりに名のある有名ブロガーだったりすれば、そういうことが起こる可能性はそれだけ高くなる。 そういう反応の中には、当然ただの早とちりや感情的で教条的な反発、あるいはただ便乗しようという者もいるかもしれない。しかし、そのような多くの反応が返ってくるということは、基本的にはその問題に対して関心を持っている人がそれだけ多いということであるにすぎない。そこで、本人が対応を間違えれば、それこそ 「炎上」 といったことにもなりかねないが、多くの反応が返ってくること自体は、別になにも問題視すべきことではあるまい。 騒ぎが大きくなれば、自分もちょっと一言なにか言ってみたくなるというのも、人間の悲しい性というものである。しかし、反応の瞬時性と、その燎原の火のごとき拡大の早さというのは、ネットの特徴であり、これだけネットが普及した現在にあっては、しかたのないものだろう。良くも悪くも、それがネットというものだ。もともとの発言者が、そこそこの有名人であったりすれば、良し悪しは別として、それもまた本人が負わざるをえないリスクのようなものである。 そこで、集中的な批判を浴びた本人がびびり上がるのは分からないでもない。しかし、その人がネット上に、なにか自分に対する巨大な 「敵意」 や 「悪意」、ましてや一枚岩に組織された 「敵の陣営」 なるものが存在するかのように思い込んでいるとしたら、それは被害者意識の昂進によるただの妄想に過ぎまい。それに、そんな騒動など、しょせんは 「コップの中の嵐」 というものである。 多くの場合、一人一人は、それぞれ自分の関心に応じて、各自の意見を述べているにすぎないのであり、たまたま同じようなことを言う人がいたとしても、それはもともとの考え方が近いからにすぎない。なにも、特定の綱領だか方針だかに基づいて一致団結した、「反××同盟」 だとか 「打倒××連合」 みたいなものがネット上に存在しているわけでもあるまい。証明はできないが、それはたぶんただの思い過ごしである (ただし、ネットが持つ 「匿名性」 というものには、たしかにそういう一種の 「妄想」 を育むところがあるのかもしれない)。 それに、たとえ考え方が近いからといって、一から十までまったく同じはずはなく、そこにも多少の差異はあるはずだ。ところが、いっせいに批判を受けたりすると、相手がみな同じに見えてくる。相手の数があまりに多いと、その言葉や主張を混同してしまうのはしかたないにしても、そこで 「お前らは~」 などと、味噌もクソも一緒にするようなことを言い出しては、もはや理性的な対応など望めるものではない。 そうなると、見かねた善意の第三者が、「ちょっとちょっと」 というように声をかけても、「どうせ同類」 だと頭から決め付けて、またまた 「お前らは~」 などと言い出すのが関の山である。とりあえず、そういう人は、いっぺん頭を冷やして出直したほうが良い。 また議論の過程で、おかしなことを言ったり、的外れなことを言ったりして、相手から揶揄されたり笑われたりするのは、それこそ 「自己責任」 というものである。あまりに的外れな回答が返ってきたりすれば、誰しも揶揄の一つぐらい言いたくなるものである。そうでもしなけりゃ、たとえばちょっと合意ができたと思ったら、すぐにそれを引っくり返して元に戻ってしまうような人だとか、いつまでもぐだぐだと管を巻き続けるような人など、相手にしてはいられまい。 そういう揶揄というのは、別に相手を怒らせるためにやっているのではないだろう。揶揄されれば、誰しもむっとはするだろうが、揶揄というのも一つの反応なのだから、なんで自分が揶揄されるのか、とりあえずは考えてみたほうがよい。ただ、自分を怒らせることだけが、相手の目的なのだと思ってしまえば、そこですべては止まってしまう。 もちろん、そういうことをやる人間も、世の中にいないとは言わない。しかし、本当にそうだと思うのなら、それ以上、自分が相手にしなければいいだけのことである。そう決め付けておきながら、自分が逆切れしてしまっては、それこそしょうがあるまい。それなのに、まだぐだぐだと訳の分からぬことを言い続け、しょうもない罵倒返しをやり続ける人というのは、いったい何がしたいのか、さっぱり分からない。 風の噂によれば、東工大の東浩紀という人の講義で、なにやら一騒ぎが起きたらしい。しかし、自分でブログに 「文句があるなら来いよ」 というのに近いことを書いておきながら、それに応じた人らが来ると、今度はヒステリックに対応して排除にかかるとは、なんだかずいぶんとお尻の穴の小さな人のようである。 昔から、名のある先生の講義に、他校の学生や偽学生が潜り込むというようなことは珍しくなかったはずで、そういう潜りがいることは、先生にとってはむしろ名誉なことだろう。むろん、潜りが多すぎて、肝心の正規の学生が教室に入れないとか、講義に支障が生じるといったことになってしまっては困るだろうが。 別に、東氏に限らないが、実名と勤務先を公表してブログを書いているような大学の先生であれば、自分が教えている学生たちに自分の文章が読まれており、あっちやこっちでの言動も筒抜けになっていることぐらいは、覚悟しておくべきだろう。その覚悟がないのなら、最初から余計なことなど書かなければよい。 おかしなことを言って、学生たちに内心で馬鹿にされるようなことになっても (単位をくれる有り難い先生であれば、口に出して言ったりはしないだろうが)、これまた 「自己責任」 というものである。まあ、もっとも大学の先生だからといっても、しょせんは普通の人間なのだろうし、この世に完全な人間などいないのは、これまた自明の真理というものだが。
2008.12.20
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報道によれば、師走恒例となったその年の世相を漢字1字で表す 「今年の漢字」 で、今年は 「変」 が選ばれたそうだ。そのニュースを聞いて、思わずそうだ、そうだ、今年は 「変」 な事件が多かったし、「変」 な人も多かった、なによりもまず、現在の総理大臣が 「変」 な人である、と思って膝をたたいだのが、話をよく聞いてみると、どうもそういうことではなかった。 この 「変」 という字は、アメリカの次期大統領に選ばれたバラク・オバマ氏がスローガンに掲げた 「チェンジ」 を漢字1字で表したものなのだそうだ。そう言われればそうかもしれないが、それって海の向こうの話でしょ。だいいち、「変」 と一文字で言われたら、普通の人は、「変化」 の 「へん」 より、「変な人」 とか 「変な話」 とかの 「へん」 のほうを連想するのじゃないのかな。 昨年の 「今年の漢字」 は 「偽装」 の 「偽」 であったから、今年はもうちょっと希望の持てる字を選びたいという気持ちは分からないでもない。しかし、であれば、海の向こうの話じゃなくて、ノーベル賞の 「賞」 とかを選んだらどうだったのだろう。 なんといっても、今年は南部陽一郎氏と小林誠氏、それに益川敏英氏と、一挙に三人ものノーベル物理学賞者が誕生したのだから。そういう投稿をした人は、あまりいなかったのだろうか。 (もっとも正確に言うと、南部博士は40年近く前に、アメリカ国籍を取っているので、法律的には米国人ということになるらしいが) しかし、師走だというのに、巷はさんざんな不景気らしい。麻生首相は、内閣で出しているメールマガジンの中で、「今 世界は、「百年に一度」 とも呼ばれる金融危機の中にあります。」 と言ったそうだが、「百年に一度」 というと、あの世界恐慌からもまだ80年しか経っていないわけで、ということは、今回の不況はそれを上回るか、でなくとも少なくとも同程度という話になる。 1929年のニューヨークはウォール街での株暴落から始まった、世界恐慌がいったいどうなったかというと、言うまでもなくヨーロッパではヒトラー政権の誕生、アジアでは日本の大陸侵略、そして最後には世界のほとんどの国を巻き込み、膨大な死者を生んだ世界大戦ということに終わったのである。 たしかに、国内の低所得層を対象にしたサブプライム問題から発生したアメリカの経済不安は、保険会社の破綻から公的資金投入といった金融危機へと拡大し、その結果、世界的な不況が現実化しつつある。日本でも雇用不安が発生しており、実際に、自動車業界などでは派遣社員の大量解雇や、新規卒業者の内定取り消しなども報道されている。 このような現在の経済危機が深刻なことは、疑いようがない。しかし、「危機」 を煽るというのは、かつては左翼の常套的なアジテーションであったのだが、どうやら現代では、こういう論法は、政権を担っている保守政治家が用いる武器庫の中にも入っているらしい。 もっとも皮肉を言えば、これは単純に 「危機」 の大きさを宣伝することで、おのれの無為無策ぶりを糊塗しようということなのかもしれない。「百年に一度」 というのを誰が言い出したのかは知らないが、どうも麻生首相は、例によって例のごとく、その言葉が持つ重さというのが分かっていないのではないのかという気もする。ただし、ときの政権や与党の政治家とかが本気で 「危機」 をアジるようになり出したら、とりあえずはむしろ警戒したほうがいいだろう。 さて、そういう経済危機というのは、いろいろなところへと波及するものであり、企業の接待費などの経費削減のあおりで、タクシー業界や料亭、飲食業などの風俗営業関係もたいへんのようだ。そういう影響というのは、わが家が飯の種としている実務翻訳業界にもどうやら押し寄せてきているようであり、最近ちょっと仕事が減ってきているような気がする。 もっとも、暇ができれば、長年書棚に備蓄・保存してきた活字の山を少しは減らすこともできるのだが、次の仕事の依頼はいったいいつ来るのだろうとか、このままどこからも仕事の声が掛からなかったらどうしようか、などと考えていると、読書にも身が入らず、ぜんぜんページが先に進まない。小人というものは、これだから困るのである。 ところで、昔 現代思潮社から出ていたオレンジ色の表紙の選集に収められていた、ローザ・ルクセンブルクの 『社会改良か革命か』 の中にこんな一節がある。この論文は、マルクスの弟子であったベルンシュタインという人が発表した著書 『社会主義の諸前提』 を批判したものであり、ベルンシュタインというと、かつては正統マルクス主義に対する 「修正主義者」 の代表のように言われた人であるが、その話をしだすと面倒なので、そこは割愛する。 まず信用についてのべると、信用は資本主義経済において多様な機能を持っているが、その最も重要なものは、周知のように生産の拡大能力を増大させ、交換を媒介し容易にすることにある。無制限に拡大しようとする資本主義生産に内在する傾向が、私的所有の限界や私的資本の限度に突き当たったとき、信用は、資本主義的な方法でこの限界を克服するための手段としての意味を持つ。 (中略) 周知のように生産の拡大能力、拡大傾向と、限られた消費能力との間の矛盾から恐慌が発生するとき、上述したところにしたがえば、信用こそまさにこの矛盾を機会あるごとにしばしば爆発へともっていく特別の媒介をなす。なによりもまず、信用は生産の拡大能力を巨大なものへと高め、それをたえず市場の限界をこえるまでにかりたてるような内的成長力を作り出す。 しかし信用は二つの側面で打撃を与える。生産過程の要因としての信用がひとたび過剰生産を引き起こすと、それは恐慌の中で、商品交換の媒介者としての資格で、自分自身がよびさました生産諸力をそれだけ徹底的に破壊する。不景気の兆候が少しでも現れると信用は収縮し、交換が必要な場合でも交換を捨てて顧みず、信用がまだ現れるような場合でも、それは無能力、無目的なものとして現れる。そして恐慌のとき消費能力を最低のところまで減退させる。 むろん、恐慌における信用の役割を指摘しているのは彼女だけではないだろうし、これがとりたてて独創的な見解というわけでもないだろう。100年も前にローザが言ったことのすべてが、現代社会にそのまま当てはまるわけがないことも当然である。だが、こういうところを読むと、資本主義経済というものの本質的な部分は、今も昔もやっぱりたいして変わっていないのだなと、あらためて感じさせられる。 最近、たまたまテレビの地元ニュースを見ていたら、昔知っていた人が映っていた (別に悪いことをしたわけではない。ある団体の代表を務めている人である)。30年ぶりに顔を見たのだが、頭の上のほうが筆舌に尽くしがたいほど悲惨なことになっていた。あまりのことに、思わず心の中で、おいたわしや、と呟いたのだった。
2008.12.16
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先日、加藤周一の死去が報道された。最近の氏の活動や言論についてはあまり知らないのだが、この世代でまだ存命なのは鶴見俊輔と大西巨人、やや下って吉本隆明やいいだももぐらいということになるだろうか。 加藤の名前を知ったのはたぶん高校の頃で、筑摩書房から出ていた、「マチネ・ポエティック」 以来の盟友であった中村真一郎・福永武彦と一緒にあわせた黄色い表紙の叢書の一巻だったと思う。その中に、加藤の作品としては、たしか戦後すぐに三人で発表した 『1946・文学的考察』 や、一休禅師らを題材にした 「三題噺」 が納められていたような記憶がある。 『1946・文学的考察』 の最初に置かれている加藤の 「新しき星菫派について」 は、こんなふうに始まる。 戦争の世代は、星菫派である。詳しく言えば、1930年代、満州事変以後に、さらに詳しく言えば、南京陥落の旗行列と人民戦線大検挙とによって戦争の影響があらゆる方面に決定的となったのちに、二十歳に達した知識階級は、その情操を星菫派と呼ぶに相応しい精神と教養との特徴をそなえている。 加藤の言葉を借りれば、この星菫派とは 「かなりの本を読み、相当洗練された感覚と論理を持ちながら、およそ重大な歴史的社会的現象に対し新聞記事を繰り返す以外一片の批判もなし得ない青年」 たちなのだそうだ。 政党政治が崩壊して軍国主義が跋扈し、左翼だけでなく自由主義的な学問や運動までが徹底的に弾圧される中で、奇妙にも 「文芸復興」 と称される一種平穏な時代が訪れ、ヘッセやリルケ、カロッサが読まれ、また保田與重郎を中心とした 「日本浪漫派」 や西田哲学の流れをくむ京都学派などが 「近代の超克」 というテーマを掲げた、そういう時代である。 自伝である 『羊の歌』 のなかに、一高生だった加藤らが作家の横光利一を講演に呼び、その後の座談会でつるし上げたという話がある。当時、横光は 「西洋の物質文明と東洋の精神文明」 の相克をテーマにしたという長編 『旅愁』 を書き上げた直後だった。 『羊の歌』 には、このときの横光の言葉がこんなふうに書かれている。 「物質文明というのはだね……近代の物質偏重のことを、ぼくはいっているのだ。日本もこの 《近代の毒》 におかされてきたのです。だからこの厳しい時代を生き抜くために、われわれ文学者が召されているとぼくは思っている。その毒から日本を清める。これが 《みそぎ》 ということのほんとうの意味ですよ、《みそぎ》 の精神は、民族の心だ。今のこの時代ほど、偉大な時代はない。今こそわれわれは日本文学の伝統に還る……」 横光利一は、もともと西洋文学の影響を強く受けた翻訳調の新しい文体や表現、心理描写を特徴とした斬新な作品で登場した人である。その横光が、時代の圧力もあったとはいえ、このようなほとんど 「蒙昧」 といっていい状態にまで退化していたのは、悲惨としか言いようがない。 若い頃に欧米に憧れていた者が、年を経るに従い、日本の伝統なるものに回帰していくのは別に珍しいことではない。それは、明治の徳富蘇峰以来の伝統のようなものだ。むろん、日本の伝統がすべて無意味であり劣っているわけではない。だが、彼らが過剰に 「民族」 や 「伝統」 に回帰していくのは、もともと抱えていた西欧への劣等感の裏返しでしかないだろう。奇怪なのは、西欧を否定する 「近代の超克」 といった概念そのものが、ハイデガーだのシェストフだのといった西欧の思想家からの借り物でしかないということだ。 「雑種文化」 という言葉を一躍有名にした(たぶん)「日本文化の雑種性」 の中で、フランス留学から帰国した加藤はこんなことを書いている。 日本の文化は根本から雑種である、という事実を直視して、それを踏まえることを避け、観念的にそれを純粋化しようとする運動は、近代主義にせよ国家主義にせよいずれ枝葉の刈り込み作業以上のものではない。いずれにしてもその動機は純粋種に対する劣等感であり、およそ何事に付けても劣等感から出発して本当の問題を捉えることはできないのである。本当の問題は、文化の雑種性そのものに積極的な意味を認め、それをそのまま生かしてゆくときにどういう可能性があるかということであろう。 また、同じ 『雑種文化』 に所収された 「雑種的日本文化の希望」 には、こんな一節もある。 西洋伝来のイデオロギーは、長い間、多くの日本人から、ものを考える習慣と能力を奪ってきた。海外の新思潮は相継いで輸入され、流行し、忘れられ、あとになんらの影響も残さなかったばかりでなく、右往左往する人々にあたかもそこに思想問題があるかのような錯覚を与えた。 加藤がこれを書いたのは、サルトルの実存主義が盛んに喧伝されていた時代だが、サルトルが終わればフーコー、実存主義が終われば構造主義、そしてその次は××主義だとか、××イズム、ポスト××イズムだというように、最新の流行思想が次々と紹介され、もてはやされるといった状況は、たぶんそんなに変わっていない。 西洋伝来の概念と論理で、近代と西欧を否定するという曲芸を披露している者らも同様である。たとえば、西尾幹二のような男がやっていることは、ドイツ・ロマン派とニーチェから借りてきた言葉と論理で西洋を否定し、「日本」 なるものを称揚してみせているにすぎまい。もっとも、西尾の著書など、それほど読んでいるわけではないので、これはただのヤマ勘だが。 われわれは、今や、安全な哲学が哲学でないことを知っている。危険思想でない思想は御用学者の妄想のうちにしか存在せず、論理を操縦して矛盾を総合し、東亜共栄と日本の神国説、または民主主義と絶対王政のごとき絶対矛盾を同時に肯定する精神的サーカスは、断じて思想ではないことを知っている。 「方法序説」 の著者が言ったように、危険な 「人生を確実に歩むために真を偽から区別する」 ことを教えるのが哲学である、「ドイッチェ・イデオロギー」 の著者が言ったように、「解釈するのではなく、改造する」 ことを目的とするものが思想であることを知っている。 加藤周一 「新しき星菫派について」 より
2008.12.09
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時代を越えて長く読み続けられる海外の名作というものは、多くの人によって翻訳されるものだ。たとえばルイス・キャロルの 『不思議の国のアリス』 であれば、亡くなった矢川澄子のほかに、SF作家の福島正実や詩人の北村太郎、柳瀬尚紀など、実に多くの版が出ている。 そこには、当然名の売れた作品だけに、市場に出しさえすれば、ある程度の売れ行きが見込めるという出版社側の思惑もあるだろうが、いっぽう、自分の手で翻訳し、それを多くの人に読んでもらいたいという訳者の側の願いもあるのだろう。 最近では、サン=テグジュペリの 『星の王子様』 がそうである。最初の翻訳は岩波から出ていた内藤濯のもので、長い間、その1種類しかなかったのだが、3年前に岩波の権利が失効して以来、池澤夏樹や倉橋由美子、河野万里子によるものなど、多数の版がいっせいに登場した。Wikipediaによると、2005年から2006年にかけて、なんと18種類もの訳が登場したそうである(参照)。 これだけ、新たな訳が登場すると、今度は読むほうも困る。とてもとても、全部読み比べて、これが一番、などと軍配を上げるわけにはいかない。それに、原文がおいそれと読めないわれわれ一般大衆の場合、どれが一番原作に忠実で、原作の雰囲気を伝えているか、などと言われても判断のしようがない。 通常、新訳が出るのは、日本語のほうの変化によって、昔の翻訳が時代に合わなくなったような場合が多いのだが、『星の王子様』 の場合に、岩波の独占的翻訳権の失効とともに、これほどいっせいに新訳が登場したというのは、それだけこの作品に思い入れのある人たちが多いということなのだろう。 とりあえず、冒頭の部分だけをいくつか比べてみる。 六つのとき、原始林のことを書いた 「ほんとうにあった話」 という、本の中で、すばらしい絵を見たことがあります。それは、一ぴきのけものを、のみこもうとしている、ウワバミの絵でした。 (岩波少年文庫 内藤訳) 6歳の時、原始林のことを書いた 『ほんとうの物語』 という本の中で、ぼくはすばらしい絵に出会った。それは、ボアという大きなヘビが動物を呑み込もうとしているところの絵だった。 (中公文庫 池澤訳) 六歳のとき、ジャングルのことを書いた 『ほんとうにあった話』 という本の中で、すごい絵を見たことがある。それは一匹の獣を呑みこもうとしている大蛇の絵だった。 (宝島社 倉橋訳) 僕が六歳だったときのことだ。『ほんとうにあった話』 という原生林のことを書いた本で、すごい絵を見た。猛獣を飲みこもうとしている大蛇ボアの絵だった。 (新潮文庫 河野訳) 冒頭だけを比べてどうこう言うわけにはいかないが、一読して分かることは、岩波少年文庫版の内藤訳が、明らかに子供向けということを意識した 「です・ます調」 であり、そのためどうしても冗長な感じがぬぐえないのに対して、新訳のほうはいずれも語調が簡潔になっているところだ。倉橋の場合は、作中の一人称も 「ぼく」 ではなく、大人が公式の場で使う 「私」 となっている。 これは、この作品が子供向けの童話やファンタジーではないという訳者の評価と、したがって、子供ではない、大人を含めたもっと年長の人々に、じっくりと読んでもらいたいという希望とを表してもいるのだろう。 彼はもともと、大西洋を横断して南米とフランスを結ぶ、民間航空郵便会社のパイロットだったのだが、その頃の経験を描いた二作目の小説 『夜間飛行』 からちょっと引用する。書きたまえよ、「監督ロビノーは、何々の理由により、操縦士ぺルランに何々の懲罰を命ず……」 と、理由は何でもかまわない、君が自分で見つけるんだ。支配人さん!いいから、僕の言うとおりにしたまえ、ロビノー。部下の者を愛したまえ。ただそれと彼らに知らさずに愛したまえ。 これは、郵便会社の支配人ロビノーが、配下のパイロットと個人的に親しくしようとした監督を叱責する場面である。叱責されている監督は、操縦士らに対し、ときには危険が予測される中での飛行をあえて命じなければならない立場にある。だから、馴れ合いの関係を作ってはならない、馴れ合いの関係になったとき、人は冷静な目を失い、それがかえって危険を招くことにもなるだろう。支配人が言っているのは、そういうことだ。 そういう理屈は分からないでもない。だが、わざわざ部下から嫌われるために、なんでもいいから適当な理由をつけて、部下に罰を与えろというのだから、話としてはずいぶんと無茶である。いい悪いは別としても、とても現代に受け入れられる話ではないだろう。 この場面が、彼の実際の経験にもとづくものかどうかは知らない。ただ、こう書いたサン=テグジュペリ自身は、結局、40歳に達してすでに年齢制限をこえ、過去の事故での負傷もあって、無理だと止められたにもかかわらず、前線を視察する偵察機のパイロットを志願し、最後はドイツ軍機に撃墜されている。 そのことは、上の作品では、部下の命を預かり彼らを危険にさらすという責任を負っているがゆえに、つね規律に厳しく、部下に対して冷厳な態度を崩さない支配人を現代の神のように理想化して描きながらも、彼自身はついにそのような態度を貫ける人ではなかったということの現れなのかもしれない。 サルトルが序文を書いている 『冒険家の肖像』 という本を書いた、ロジェ・ステファーヌという人がいる。ステファーヌのこの本では、映画にもなったアラビアのロレンス、ことT.E.ロレンスや、『王道』、『征服者』 などを書き、ドゴール政権下では文化相を務めたアンドレ・マルローらが扱われている。 ステファーヌのこの本ではサン=テグジュペリは扱われていないが、渡辺一民によれば、彼はこれとは別の戦後に書いた文章の中で、マルローとサン=テグジュペリについて、こんなふうに書いているということだ。 ……当時リセ(高等中学)の寄宿生だった私は、あらゆる規律というものを嫌悪していた。サン=テグジュペリは私に、自由意志にもとづく規律のありうること、人間の運命はそうした規律のひとつを受け入れることによって決定されることを啓示してくれた。 私をマルローとコミュニズムの誘惑へと導いていったのはサン=テグジュペリだったのである。人間が自分の生の混乱をひとつの規律にしたがわせることに同意するとき、その規律はとうぜん正義に役立つものであるはずだと、そのころ私は考えていたのだった。
2008.12.05
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早いものでもう12月である。今年も余すところ、あと一月ということになってしまった。太陽は日々その高度を下げながら、敵の前に敗走を続ける戦線のように南へ南へと後退を続けている。日の出は日々遅く、日の入りは日一日と早まり、昼は日を追って短くなりながら、それとは反対に長くなる夜に押しつぶされていく。 12月の太陽は、天空の端を夏の陽の半分にもならぬ高さで移動する。その高さは最も高い南中時にあってすら、夏の西空の太陽よりわずかに高いに過ぎず、影は一日中長いままで、光も弱まる一方、空気も日々冷たさを増している。 視線を窓外に転じれば、こないだまで青々としていた団地の中のイチョウ並木も、いつのまにかすっかり鮮やかな黄色に変じている。あともう少しすれば、今度はいっせいに葉を落とし始めるだろう。以前は塾に勤めていたので、年末の数日を除いて12月はたいへん忙しかったのだが、今は先生を辞めたおかげで、走り回らなくともよくなった。まことにありがたいことだ。 古代の人々らにとって、このような一年の周期は、まさに 「死と再生」 の連鎖として受け取られたことだろう。彼らにとって、今日と同じように、また明日も日が昇るという保証など存在しないように、これまで冬のあとには必ず春が来たからといって、またこの冬のあとも春が訪れるという保証もどこにもない。だからこそ、彼らは太陽が沈むたびに明日も昇ってくれることを念じ、また太陽の力が弱まる冬には、太陽が再びその勢いを盛り返し復活することを強く願ったに違いない。 そのような天体の規則的な運行を保証するために必要なのは、なによりも彼ら自身の神々に対する感謝であり、また強い願いであると彼らは考えていたのだろう。だから、神々に願うことと感謝を怠り忘れたならば、太陽はその規則的な運行を停止し、世界は崩壊するかもしれないという恐れすら、そこには存在したのかもしれない。 そういう日々衰えゆく太陽に向かって、再び力を取り戻してくれることを念じ、また感謝する人々によって生み出されたのが、世界各地に残された冬至に関する様々な神話や伝承であり、冬至に関する種々の祭儀であるということになるだろう。 古事記にある、須佐之男の粗暴な振る舞いに怒って天照が洞窟に閉じこもったという 「天岩戸」 説話は、日食とその後の太陽の復活を意味するという説もあるが、一方では、このような冬の太陽とその復活を意味するという説もある。 ギリシア神話には、豊穣の女神デメテルが愛する娘を冥界の支配者ハーデスに奪われた悲しみのために老婆に変身し、神としての仕事を忘れて大地を放浪しながら嘆き悲しんだという話がある。このときに彼女を慰めたのも、ある王の侍女による、あの天照を笑わせたアメノウズメと同じような踊りなのだそうだ。 巷のニュースによれば、麻生首相への支持率は就任からわずか3ヶ月でとうとう30%を切ったそうだ。これでは、どう見ても正月を越すのが精一杯だろう。もともと、党内基盤が弱く、「選挙の顔」 という一点でのみ総裁に選ばれたのに、その人気すら実はただの上げ底であり、回収不能な空手形であることが露呈したのだから、党内からの反発が噴出するのは必至である。 「金枝篇」 を書いたフレイザーによれば、未開人の作った原始的な王国では、そのように無能さをさらけ出すことで、もはや神々の恩寵と世界を支配する呪術的な能力を失っていることが暴露された王は、怒った民によって即座にその座から引きずりおろされ、みじめにも打ち殺されたそうである。麻生首相はいくら支持率が低くなっても、そのような恐れはないのだから、なによりも現代に生まれたことをまずは神に感謝せねばなるまい。 ところで、某所での議論を見ていて思ったことを少々。 そこでは、5月に起きたネット上のある 「騒動」 についての議論が延々と続いているのだが、話がまったくかみ合っていない。なぜかというと、一方は具体的な話をしているのに、もう一方はそれとはまったく関係のない、「教科書」 から引き写したようなことしか言わないからなのだ。 そもそも 「教科書」 や 「辞書」 の世界から一歩も出ない限りでは、人は間違ったことを言う恐れはない。むろん、それはその 「教科書」 や 「辞書」 の記述が正しいことを前提とはする。だが、論争において必要なのは、相手がなにを言わんとしているかを正確に理解することではあるまいか。そのような理解を怠って、全然関係のない 「教科書」 に書いてあるとおりのことを一方的にただ繰り返していても、議論がかみ合うはずもない。 そのあまりの勘違いぶりを相手から揶揄されると、今度は反射的に稚拙な罵倒を返すこととなり、最後は頭に血が上って、「お前らはみな、~~を理解していない」 などと言い出すのだが、そもそも肝心の論点はそんなところにないのだから、おいおいと言わざるをえない。 早い話、誰も争ってなどいないところで、術語の定義のような 「教科書」 から引き写したようなことを言っても、なんの意味もないのだが、議論に熱中して、自説を主張し、相手を圧倒することに没頭するあまり、そういうまわりを見渡す余裕というものがなくなっているらしい。どうにも困った人である。 結局、議論において最低限必要なのは、相手がどのような問題意識を持っているかを察知し、そのうえで相手の論点と主張を理解することなのだが、「相手の言っていることはそもそも理解するにも値しない無意味なことだ」 というはなからの独断と偏見だけで、相手の言うことに最初から耳を貸そうとしない人というのは、まことにしょうがないものである。それでは、最初から議論になるはずがないというものだ。 「教科書」 に書いてあることを書き写すだけでは、議論にならないし、そんなところからは何も生まれないのだが。 おいおい、だから、論点はそこじゃないのだってば。
2008.12.03
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