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Wikipediaに 「青木まりこ現象」 という項目がある。まだ書き掛けなのだそうで、とても短い記述であるから全文を下に引用する。 青木まりこ現象(あおきまりこげんしょう)とは、書店(古書店、図書館などを含む)に長時間いると便意を催すという現象。 椎名誠が編集長を勤める『本の雑誌』第40号(1985年)の読者投書欄に、「杉並区在住の29歳会社員・青木まりこ」というペンネームで投稿された体験談が発端となったため、こう命名された。 原因については、「本のインクの匂いによる」という説や「書店に入るとトイレに行けないという心理的プレッシャーによる」という説、「好きな本を買えるんだという期待感による」という説など諸説あるが、まだ定説はない。 下で紹介する笠原敏雄という方によれば、この現象については、『AERA』 の2003年11月号でも、吉岡秀子という人の 「『青木まりこ現象』不滅の掟」 という記事で取り上げられたらしい。 言われてみると、こういう現象は確かにある。30年以上も前の高校生のころの話だが、当時福岡の中心街を抜けて、市の南部から西部にある高校までえっちらおっちらと毎日通っていた。直通のバスもあったのだが、本数は少なく、たいていはそこで乗り換えを余儀なくされていたのである。 行きはもちろん道草を食う暇などないし、どこの店もまだ開いてはいないから、前のバスを降りたら、まっすぐ乗り換えの停留所まで急ぐのだが、帰りは時間があるので(帰宅部だったし)、よくそこで降りたあと、天神の繁華街をうろうろしていたのだった。 当時、天神周辺は古い小さなビルやアーケード街のかわりに、大型商業ビルが次々と開業するなど、再開発が盛んだった時期であり、その北側に 「リーブル天神」 というビルのフロア全体を占める、広々としてありとあらゆる書籍が並んだ大型書店が進出した時期でもあった。 それで、よく学校の帰りがけに寄り道をしたのだが、やはり書棚を眺めながら、あれこれ本を手に取っているうちに、途中で便意を催し、あわててトイレに駆け込んだ記憶が何度もある。 そこで、この現象について、もっと詳しく説明したサイトがないかと探してみたら、そのものずばり 「青木まりこ現象」 というサイトを見つけた。筆者は笠原敏雄という方で、「前世を記憶する子どもたち」 や 「もの思う鳥たち―鳥類の知られざる人間性」 などの翻訳を手がけ、また 「幸福否定の構造」、「なぜあの人は懲りないのか困らないのか ― 日常生活の精神病理学」 などの自著もあるらしい。 どれも読んだことも手に取ったこともないので、詳しいことは分からないが、どうやら精神医学者か心理学者の方らしい。もっとも、氏のサイトでの超常現象に関する記述を読むと、やや、うーんと言いたくなるところもあるのだが、それは今は関係ないので不問にふすことにする。 さて、笠原氏による 「青木まりこ現象」 の説明はこうである。 このような実例からすると、“青木まりこ現象”を持つ人が、もし書籍を扱う仕事に就いても便意が起こらないとすれば、この現象は心因性のものであることがかなりの確度で推測できます。この点は、“青木まりこ現象”を持つ人を対象にしたアンケート調査などを通じて、実際に調べることができるでしょう。ついでながらふれておくと、仕事中に、絶えず(あるいは頻繁に)便意や尿意を催す人もいないわけではありませんが、それは、書籍や読書とは無関係の原因によるものです。 (中略) では、その症状の原因は何なのでしょうか。まず、結果を見るとはっきりしますが、本を探したいのに、そうした症状が出てしまうと、それが容易には許されないことになります。自分が望んでいる行動を妨げる形で症状が出ているからです。これこそが、この症状の目的なのです。これを理解するには、人間観を根本から変えるしかありません。それはともかく、その症状が心理的原因で出ることは、ごく簡単な“思考実験”で確かめることができます。次に、どのようにするのかを説明しましょう。 (以下省略) 笠原氏の理論の紹介としては、中途半端になってしまったが、素人としては、下手に要約を試みてもあまり意味はないだろうし、詳細に批評する能力もないので、笠原氏についてはこれだけにしておく。もし興味がある方があれば、リンク先の記事を読んでみて貰いたい。 ところで、大人になってからは、あまりそういう書店で便意を催したという記憶がない。なにしろ、高校生の頃は小遣いが限られていたから、文庫本一冊を買うのでも、あれにしようか、これにしようか、と、店内をうろうろしたり、ときには書棚の前で買おうか、買うまいかと、小一時間も逡巡することも珍しくはなかった。 今でも、むろん新刊の、それもあまり売れそうにない単行本を買うとなると、結構値がはるが、少なくとも文庫本を買うのに、どうしようか、やめようかなどと、逡巡する必要はない。たぶんその違いが、自分の場合「青木まりこ現象」が昔ほど発現しなくなった原因の1つではないのかという気がする。 ちなみに 「すばらしき愚民社会」 や 「帰ってきたもてない男」 などの著書で知られる小谷野敦氏は、そのブログ 「猫を償うに猫をもってせよ」- 書店の便意 の中でこんなふうに書いている。 さまざまに、買いたい本があって、しかし全部買うわけに行かないから、どれを選ぼうかという心理的重圧が便意につながるのだと、私は考えている。その証拠に、碌な本が置いていない小さな書店や古書店では、便意を催さない。大きな書店や古書店、特に、普段いきつけでないところへ行くと、激しく催す。 今のところ、私としては、「自分が望んでいる行動を妨げる」 ためという笠原氏の複雑で逆説的な理論よりも、むしろこの小谷野氏の単純な説明の方に説得力を感じるのだが、はたしてどんなものだろう。
2008.11.27
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先週あたりから九州もいよいよ寒さが増しており、日中の最高気温も十数度にしかならない。気がつくと、ついこないだまでは夕方6時を過ぎてもまだ明るかったのに、今や6時でもう真っ暗である。 急激な寒さのおかげで、数日前には熱を出してしまった。夜になって体がぞくぞくしてきたので体温計で測ってみたところ、38.5℃もあった。こりゃ大変だ、と家人に訴えたところ、「そんなもん、たいしたことない」 と軽く一蹴されてしまった。それどころか、「あんた、私が熱を出したときになんかしてくれた?」 と、逆ネジを食らってしまった。とんだ薮蛇であった。 ところで、巷では 「未曾有」 を 「みぞゆう」、「踏襲」 を「ふしゅう」 と読んだとかで、麻生首相による数々の読み間違い、言い間違いが話題のようである。言い間違いの心理についてはフロイトの説明が有名だが、『精神分析学入門』 には、昔、ある国の議会の議長が、議会の開会を宣言しようとして、つい 「閉会」 を宣言してしまったという話が引用されている。 この話は 『日常生活における精神病理』 の中により詳しく書かれており、これによるとそもそものねたは、メーリンゲルという人の 「いかにして人は話しそこなうか」 という論文にあるのだそうだ。フロイトはこの人の論文から、次のように引用している。訳が古いのでちょっと読みにくいが、そこはご勘弁を。 私どもは近頃オーストリア衆議院議長が議事を開いたときの様子を今もなお記憶している。 「諸君! 一定数の諸君の出席がありますから議事を閉じます!」 と彼が言い、満場の哄笑にあってはじめて彼は気づいてその誤りを訂正したのである。この場合においては議長はあまり良い結果を期待しえない会議を早く閉じうる立場にいたいと希望したということに説明すべきであろうと思われる。(以下略) 時代は19世紀末、音楽の都ウィーンを首都とし、名門ハプスブルク家が治めるかつての栄光あるオーストリア帝国も、東はロシア、北はドイツ、西はフランス、さらに南はイタリアにはさまれ、おまけに国内では皇帝陛下に反抗的な社会民主党の伸張著しく、帝国東部ではスラブ系諸民族のナショナリズムも高まっていた時代であるから、議長閣下が頭痛のあまり議会を早く閉じてしまいたかったというのも分からないではない。 昔、塾に務めていたころの話だが、中学生相手の地理の授業中に、福岡県の特産として有名な果物は何か、という質問をしたところ、いきなり大声で 巨乳! と答えた生徒がいた。むろん、これは巨峰の誤りであり、本人は巨峰と言うつもりでの単純な言い間違いである。 巨乳! という言葉が室内に響き渡った次の瞬間、もちろん教室中が爆笑の渦に巻き込まれ、当の本人もすぐにその言い間違いに気付いて真っ赤になってしまったのだが、これなどは日頃からエロエロな妄想で頭がパッツンパッツンしている、純情可憐な男子中学生ならではの言い間違いである。 首相は母校の学習院大で開かれた 「日中青少年歌合戦」 のあいさつで、日中韓首脳会談について 「1年のうちにこれだけ 『はんざつ』 に両首脳が往来したのは過去に例がない」 と言ったそうだが、これなども、やはり無意識のうちに、ああ、面倒やな、煩わしいな、これじゃ好きなサンデーもマガジンも読めねえよ、という日頃の心理が働いて、原稿の中の 「頻繁」 という文字が目に入った瞬間、自動的に字面が似た 「煩雑」 に置き換えられ、そう言ってしまったのだろう。まさか、「ひんぱん」 と 「はんざつ」 の言葉の違いを知らなかったわけではあるまい。 また、漢字が使われている熟語などは、その正しい読み方をきちんと確認せぬまま、間違って覚えていても、意味だけは用例や話の前後などから、それなりに理解しているということもありうる。「未曾有」 を 「みぞゆう」、「有無」 を 「ゆうむ」 と読んだなどという例は、たぶんそういうことだろう。 いくらなんでも、還暦をとうに過ぎ、議員歴もすでにほぼ30年になろうという人が、そういう言葉そのものを知らなかったとは考えられない。それに 「未曾有の危機」 なんて言葉は、首相が好きだと公言している漫画でも、かわぐちかいじの 「沈黙の艦隊」 あたりならごく普通に出てきそうなものである。 ただ、そういう覚え間違いは、たいていは若い時分の話であり、他人の話を聞いたり、会話をする中で次第しだいに訂正されていくものである。言い間違いや読み間違いをして、他人から指摘されたというような経験は、たぶん誰だってあるだろうが、そういう指摘を受ければ、恥をかかされたなどと怨みに思わずに、教えていただいたと思って感謝すればいいだけのことである。 しかし、その種の間違いが、還暦過ぎてもまだこれほど多く残っているということは、この人はそもそも人の話や指摘にほとんど耳を貸さない人なのか、それともこれまでは、その種の言い間違いに対して、誤りを指摘する人がほとんどいなかったのかのどちらかということになるだろう。むろん、その両方ということもありうるが、彼の周囲には、アンデルセン描くところの 「王様は裸だ!」 と指摘するだけの勇気ある少年がいなかったということは、十分に考えられることだ。 話を元に戻すと、どうやら首相自身、ああ、面倒だ、煩わしい、という心境のようだから、ここは与党の皆さん、党内で一致団結して首相をその椅子から引きずりおろして差し上げるのが、ご本人のためにもなるのではあるまいか。二転三転、朝令暮改を繰り返し、悪評紛々となった全家庭への一律給付金の発表以来、麻生氏への風当たりは強まる一方であり、政権への求心力はとうに失われている。このままでは、解散総選挙など夢のまた夢であろう。 そもそも麻生氏が将来の総裁候補と呼ばれるようになったのは、小泉時代に 「麻・垣・康・三」 などというキャッチコピーで持ち上げられるようになったのがきっかけだが、そのうち二名はすでに過去の人となり、また一名もいまや気息奄々の状態である。 小泉政権の終了からわずか二年ちょっとで、四人もいた将来の総裁候補のうち、残りは古賀派と和解して、宏池会の代表世話人とやらに納まった谷垣禎一氏ただ一人になってしまった。時の流れというものは早いものであり、まことに残酷なものである。追記: 偉そうなことを言いながら、「西はロシア」、「東はフランス」 と東西を間違えてました。面目ありません。なお、当時の オーストリア=ハンガリー帝国 とフランスは、直接に国境を接してはいません。直接国境を接していたのはスイスですが、とりあえずオーストリアを四方から包囲していた大国の1つということで、名前をあげました。
2008.11.22
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報道によれば、田母神前空幕長は自衛隊内部に向けた 『鵬友』 という冊子の中で、「身内の恥は隠すものという意識を持たないと、自衛隊の弱体化が加速することもまた事実ではないか。反日的日本人の思うつぼである」 と書いていたそうだ。 これはまた、ずいぶんと呆れた話である。「反日的日本人」 とは、いったいどういう意味なのだろう。言うまでもなく、日本という国はすべての国民によって構成されているのであり、国民の外部に 「日本」 なる国があるわけではない。彼はいったいいかなる根拠に基づき、またいかなる権利によって、国民の一部に対して 「反日的」 などという愚劣な言葉を用い、レッテルを貼っているのだろうか。 この言葉の意味は、明らかに戦前に頻繁に使われた 「非国民」 という言葉と同じである。憲法に従えば、自衛隊もまた 「国家機関」 のひとつとして、国民全体に責任を負う機関である。いかなる政治信条を有していようとも、すべての国民は、それぞれが国家を構成する国民の一部なのであり、国民の一部をその政治信条などによって、国家を構成する国民から勝手に排除するような権利など、誰も持ってはいない。 憲法で保証されている思想や信条の自由、思想や信条による差別の禁止とは、そういう意味である。自衛隊のトップが自己の個人的な信条と異なるからといって、一部の国民を恣意的に敵視するような発言をしていたことは、それだけで立派に 「懲戒処分」 に相当すると言っていいだろう。 自衛隊は、言うまでもなくこの国において最大かつ最強の武装組織である。したがって、そのような武装組織には、厳正な政治的中立が要請されなければならない。ところが、田母神氏は渡部昇一やアパグループのような、イデオロギー的にきわめて偏向した特殊なグループと交際していたのであり、これはそれだけで重大な問題である。武装組織の幹部がこのように公然とイデオロギー化し、「政治化」 していることこそが、今回の一連の騒動における最大の問題と言うべきだ。 60年安保のときに、岸首相からデモ対策としての治安出動を要請されたさい、ときの赤城宗徳防衛庁長官(安倍内閣で自殺した松岡農水相の後任を務めた赤城徳彦議員の祖父)は、自衛隊を出動させれば益々デモはエスカレートするとして、その要請を拒否したという。そこには、少なくとも国民の目に対する意識というものがあった。今の田母神氏を始めとする一部の自衛隊幹部に欠けているのは、まさにそのような意識であり自覚だろう。 田母神氏の先輩に当たる佐藤守という自称 「軍事評論家」 は、そのブログで同氏の言動について、「憲法解釈の制約などで十分な活動が出来ない自衛隊の現状に一石を投じる狙い」で行った、彼独自の「無血クーデター」ではなかったのか と書き、「昔だったら226だ!」 などという隊員OBの 「意気盛んな」 意見を紹介している(参照)。しかし、そこには国民との関係、国民に対する責任という意識が完全に欠落している。まったくあきれ果てたものだ。 自衛隊の前身である警察予備隊が創設されたのは、朝鮮戦争が勃発した直後のことであり、当初は旧軍の関係者がその多くを占めていた。その中には、かつての旧軍の轍を踏んではならないということを肝に銘じていた人もいたはずである。 だが、一般に 「過去」 というものは、そのリアルな記憶が忘れられるほど、美化されるものだ。年をとると皆口々に 「昔はよかった」 と言いたがるのはそのせいだが、今の彼らは、まさにそのような 「老人性健忘症」 に掛かっているように思える。 自衛官の教育に関して、防衛省側からは 「歴史教育をしっかりやりたい」 という発言があり、これに対して、自民党の国防関係合同部会では、「政治将校をつくるのか」「憲法違反の恐れがある」 などという批判が出たそうだが(参照)、これまた頓珍漢な話である。政治将校(コミッサール)というのは、ロシア革命でトロツキーが赤軍を創設したさいに、革命政府への忠誠心が疑わしい帝政時代の将校を監視するために置いた役職のことだ。 したがって、それは本来 「シビリアンコントロール」 と対立するものではない。通常の軍隊にそのような役職がないのは、たんに通常の国家においては、その必要がないからにすぎない。しかし、こうまでも、政府と憲法に対する一部の自衛隊幹部の忠誠心が怪しくなってきては、それもやむを得ないというものだろう。そもそも、自衛隊内において歴史的事実を無視したきわめてイデオロギッシュな 「政治教育」 をやっていたのは、ほかならぬ田母神氏らではないか。 産経新聞の花岡信昭のような自称 「愛国者」 の中には、この田母神 「論文」 を擁護している者もいるようだ。しかし、その政治的立場の如何にかかわらず、この 「論文」 を評価している学者や研究者は一人もいない。彼が依拠しているのは、渡部昇一やユン・チアン、それに櫻井よしこなど、とうてい学術的な検証に耐えない、非専門家によるあやふやな 「資料」 ばかりである。 スターリンが毛沢東率いる中国共産党の力をまったく信用していなかったのは、有名な話である。彼は、毛が装備においても兵力においても格段の差があった蒋介石に勝つとは、最後まで考えていなかった。だからこそ、旧満州を占領したさい、赤軍は満州内の工場施設など一切合財を自国へ強奪していったのであり、そのことが後の 「中ソ対立」 の伏線にもなっている。そのようなことを考えれば、ソビエトが指導するコミンテルンが、中国共産党の勝利のために様々な陰謀を画策したなどという話は、まったくありえない馬鹿話である。 空自のトップが、このような現代史の常識もわきまえずに、馬鹿げたガセ情報に踊らされるような愚か者であることを見て、腹の中でいちばん嘲笑っているのは、おそらくは 「愛国者」 諸氏が日頃から蛇蝎の如くに嫌っている中国や朝鮮・韓国の識者や指導者たちだろう。世の中には 「情報戦」 などという言葉を得意げに振り回している連中がいるが、そのために必要なのは、なによりもまず情報の真偽を確かめ、誤った情報に踊らされないという能力のはずである。 アメリカもまた、自衛隊の幹部がこのような愚かな人間であることを見て、口には出さずとも、おそらく腹の中では 「自衛隊なんてしょせんこんなレベルだ」、「日本の自立なんてただの夢物語さ」 などと笑っていることだろう。マッカーサーは帰国後の米国議会で、日本人を指して12歳の子供と言ったそうだが、「国辱」 とはこういうときにこそ使うべき言葉である。 それにしても、そのトップが 「ルーズベルト陰謀論」 などという馬鹿げたお話の信奉者であることが暴露されて、いちばん迷惑しているのは、日常的に米軍に協力し、米軍と協同している彼の部下や同僚たちではないだろうか。まったくもって、愚かな上司を持つと部下が迷惑するという典型的な例である。
2008.11.16
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一昨日(11日)、オウムの麻原の家族が、再審請求を行ったというニュースがあった。オウム真理教:松本死刑囚の家族が再審請求 オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(53)の家族が、東京地裁に再審請求したことが分かった。請求は10日付。一連のオウム事件では5人の死刑が確定しているが、再審請求は元幹部の岡崎(宮前に改姓)一明死刑囚(48)に次いで2人目。 再審請求中の死刑囚に関しては、刑の執行が避けられる傾向にある。刑事訴訟法では、家族による再審請求は、有罪判決を受けた者が死亡した場合か心神喪失の状態にある場合とされている。 松本死刑囚は04年2月、東京地裁で死刑判決を受け控訴したが、弁護団は「意思疎通できない」と期限内に控訴趣意書を提出しなかったため、東京高裁が06年3月に控訴を棄却。最高裁が同9月に弁護側の特別抗告を退け、死刑が確定した。【北村和巳】 麻原の精神鑑定については、2年前に東京高裁から依頼を受けた精神科医から、「訴訟能力はある」 との鑑定意見書が提出されている。その詳細は不明だが、麻原の行動に異常があるのは、軽度の拘禁反応か詐病によるものであり、訴訟能力までは失われていないということらしい。 しかし弁護人によると、麻原は面会の際、質問に反応せず、意思表示もなかったという。結局、麻原という人物がなぜあのような行為を行ったのか、そしてなぜ彼と彼の教義が、なぜあれほど多くの者を引き付けたのかという最大の謎は、いまなお完全に明らかになっているとは言い難い。 国王や貴族だけでなく貧民や子供など、西欧の社会全体を捉えた十字軍の熱狂から16世紀の 「宗教改革」 にいたるまでの、中世における様々な異端派について描いた、ノーマン・コーンという人の 『千年王国の追求』 という著書にこんな一節がある。 自由心霊派異端の核心は、信者達の自分自身に対する態度にあった。彼らは自分が罪を犯すこともできないほど完全な人間になりきっていると信じたのである。この信仰の実際の結果はさまざまあっただろうが、一つ考えられることはまぎれもなく、道徳不要論すなわち道徳律の拒否であった。 この<完全な人間>は、一般には禁じられていることでも自分はそれを行うことが許されており、また行うことが義務づけられているという結論をつねに導き出す傾向があった。貞潔に特別な価値を置き、婚外の性交をとくに罪深いものとみなしたキリスト教文明の中で、そのような道徳不要論は原則として男女雑交の形態を取るのがごく一般的であった。 (同書 P.150) この 「自由心霊派」 というのは、著者によれば13,14世紀頃にドイツを中心に広まった 「神秘主義的」 な異端の一派なのだそうだが、「神との融合」 という神秘体験を経て「真理」を得た者は、それによって人間が原罪により堕落する前の無垢な状態に戻るだけでなく、神と同じ高みに昇ることができると主張したという。 普通に考えれば、神と同じ高みに昇ったとなれば、「貪欲」 だの 「性欲」 だのといった、通常の人間の抱える 「煩悩」 は消えてなくなりそうなものだが、彼らはそうは考えなかった。それを支えているものは、「いきとし生けるものは皆神なれば、万物はひとつ」 であるという一種の汎神論である。 世界のすべてに神が宿るというこのような汎神論から、彼らはさらに人間の自然ともいうべき種々の 「欲望」 もまた、そのまま 「神性」 を持ったものとして肯定し、「すべてが許される」 という結論を導き出した。神と同じ高みに昇った者は、もはや善と悪の区別を超越しているがゆえに、なにをやっても罪とはならない。その欲望もまた 「神的」 なものであるがゆえに、むしろそのような欲望を抑圧することこそが罪なのだと、彼らは主張した。 彼らの 「神秘体験」 なるものがドーパミンかなにかの作用によるものか、というようなことは、このさいどうでもよい。どんな体験も、その意味はそれを体験した者によって付与されるものであり、「神秘体験」 によって、神との融合をはたし神性を得たと考えるのも、「凡人」 をはるかに凌駕する高みに到達したと妄想するのも、とりあえずはその人の勝手である。 だが、ある人が 「神」 とするものは、彼らが 「神的」 なもの、すなわち至高のものとしている理念であり、ある人々がその 「神」 のものとする性質は、その人らがつねひごろ最も憧れていた性質である。だから、神とは善・悪の区別を超えた存在であると思念する者は、ただたんに自分自身がそのようにありたいと望んでおり、そのような存在に憧れているというにすぎない。 体力はホメロスの神々の特性である。ゼウスは神々のうちで一番力が強い神である。それはなぜであるか?なぜかといえば体力がそれ自身においてある光輝あるもの・ある神的なものと認められていたからである。戦士の徳は昔のドイツ人にとっては最高の徳であった。そのためにまた、昔のドイツ人の最高の神は軍神オーディンであり、彼らにとっては戦争が 「根本法律または最高の法律」 であった。 フォイエルバッハ『キリスト教の本質』 麻原がそのような 「神秘体験」 の持ち主であったのかどうかは分からない。彼には、もともと虚言癖や誇大妄想といった性癖があったことは間違いないだろう。しかし、彼をたんなる詐欺師と断じるわけにもいくまい。金銭などの物質的利益に対する欲望もむろんあっただろうが、彼の行為のすべてがそれだけによるとは思えない。 そもそも、世間によくいる宗教家を装ったただ計算高いだけの詐欺師であれば、銃や毒ガスの密造、はてはサリンの散布といった、国家と正面からぶつかるような無謀な行為になど走るはずがない。また、もとは優秀な外科医であったという林郁夫のように、けっして無知でも愚かでもなかったはずの者らが彼に魅せられたという事実も、それでは説明できないだろう。 なんらかの 「体験」 によるのか、あるいは精神的・人格的な障害などによる妄想の進行のせいなのかは分からないが、麻原はおそらくいつからか、自己を普通の人間をはるかに超える存在とみなすようになったのだろう。その結果、それまで永く抱えていた 「劣等感」 や 「怨恨」 のようなものが、逆に社会一般に対する 「優越感」 と手段を問わない攻撃へと反転するにいたったのだろう。 それは、彼をただの詐欺師とか卑劣漢などと非難するだけでは説明できない。彼自身がおそらくは、そのような妄想の一番の虜であったのだろうし、だからこそ、遠くから見ればただ図体がでかいだけのヒゲオヤジにすぎない男が、一部の者らにとっては、「現世」 を超えた神のような存在であり、「救世主」 であるとして見えたのだろう。 今回の再審請求が受理される可能性は、おそらくあるまい。死刑判決が確定した今となっては、麻原は拘置所内でただ 「処刑」 を待つだけの身となっている。また、彼自身からなんらかの事情を聴取することも、もはや不可能な状況のようである。 だが、このまま刑が執行されても、なにか釈然としないものが残る。そういう気分は、今もなお彼を 「尊師」 として崇めている現役の信者だけでなく、おそらくは今は教団を離れ、彼を否定しているかつての信者らの中にも確実に存在しているだろう。
2008.11.12
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前航空幕僚長の田母神俊雄氏が、アパ・グループの 『真の近現代史観』 なる懸賞論文(審査委員長はかの渡部昇一先生)に応募して、「最優秀藤誠志」 賞(賞金300万円、副賞が全国アパホテル巡りご招待券なのだそうだ)を受賞した件は、すでにあちこちで評判になっている。 もっとも 『日本は侵略国家であったのか』 なるこの 「論文」 のおかげで、田母神氏は航空幕僚長を解任され、その結果、定年に引っかかって退職するはめになってしまった。そのうえ、浜田防衛大臣からは退職金6000万円の 「自主返納」 を求められているそうで、そうなっては、アパからもらった300万円の賞金と全国のアパホテル巡りだけでは、割りが合うまい。 報道によれば、懸賞に応募した235人のうち94人が自衛官であり、しかも田母神氏が10年前に司令を務めていた、小松基地(石川県)の第6航空団からの応募が突出して多い(参照)。 同航空団ではアパの募集要領を見て、幹部教育の一環として幹部に提出を求めた課題論文のテーマを、アパの懸賞の課題と同じにしたのだそうだ。隊内で提出された論文のうち62本が懸賞にもそのまま応募論文として提出された結果、同航空団からの応募がとくに多くなったということらしい。 しかし、アパグループの元谷外志雄代表は石川の出身で、「小松基地金沢友の会」 なる組織の会長を務めており、しかも田母神氏の10年来の友人なのだそうだ。これでは今回の懸賞と授賞そのものが、アパと田母神氏、それに小松基地によるできレースと疑われてもしかたがあるまい。 だがそれにしても、この田母神 「論文」 なるもの、内容はずいぶんとお粗末である。日米開戦をはじめとして、戦前の事件はあれもこれも 「コミンテルン」 の陰謀ということになっている。しかし、それほどまでにコミンテルンが有能だったのなら、なぜスターリンはヒトラーの電撃戦の前に敗走を重ね、レニングラードとモスクワ、さらにはスターリングラードにまで迫られ、包囲されるという憂き目にあったのだろうか。さっぱり理解できない。 たとえば、田母神氏は 「論文」 の中で、「しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない」 と言っている。これは、まるで、世界のすべての抑圧された人民大衆に決起を呼びかけるかのような、ずいぶんと過激な発言である。 なんだか、「万物は争いより生じる」 といった古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトス(もっともこの場合の 「争い」 とは、実際の争いというよりも、対立や矛盾一般を意味するという説もあるようだが)や、「持続的な平和でさえも諸国民を腐敗させるであろう」 とか 「国民の自由は死ぬことを怖れたために滅びたのである」(法哲学)といったヘーゲルを連想させるが、田母神氏は、きっとどこかで聞きかじった言い回しを意味をよく考えもせずに使っただけなのだろう。 さらに、田母神氏は 「日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない。ロシアとの関係でも北方四島は60年以上不法に占拠されたままである。竹島も韓国の実効支配が続いている」 と言っている。 先の言葉とあわせると、これではまるで、アメリカから基地を返して貰いたければ、もう一度アメリカと戦う覚悟をしろと言っているように聞こえる。この 「論文」 は英訳されて広く世界に発信されるそうだが、そんなことをして本当に大丈夫なのだろうか。 ところが、今度は 「但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている」 とくる。田母神氏は、日本の 「自立」 を主張しているようだが、であればなによりも、現状の 「対米従属」 から脱却することこそが、一番の課題ではないのだろうか。 田母神氏によれば、「日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない」 のだそうだ。だが、その 「古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国」 である日本が、わずか200年ちょっとの歴史しか持たないアメリカを 「親」 として、「良好な親子関係」 とやらを結ばなければならないというのだから、これは笑止としか言いようがない。 そんなことでは、田母神氏によれば、欧米列強という 「白人国家の支配」 からの 「アジア解放」 と 「人種平等の世界」 実現のために戦ったという、靖国の 「英霊」 も泣くというものではないだろうか。ようするに、この人は、そもそも自分がなにを言っているのかすら分かっていないのだろう。 矛盾はそれだけではない。論文の頭のほうでは 「もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない」 といいながら、結論は 「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である」 となっている。 「日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない」 ということは、少なくとも日本が 「侵略国家」であることを認めたことになる。だとすれば、これはどう考えても、「日本が侵略国家とは濡れ衣だ」 という結論とは両立しない。どうやら、この人は、初歩的な論理すら操れないようだ。 自衛隊はいうまでもなく、大砲や戦車、ミサイル、航空機などを装備した 「軍隊」 である。そういう武装した組織のトップが、あまりに切れ者であるというのもいささか怖い気がするが、こうも愚かな人間だというのも、これはこれで問題だろう。 トップの人間には全体を統括し管理する責任がある。とりわけ、軍のような武装組織では、現場が武器を保持しているだけに、その責任はきわめて大きい。そのトップがこれではちと心配になる。どの組織でも、トップが愚かであれば、実権はより下の中堅層に移り、しばしば下部による勝手な独走を許すことになる。それは、かつての旧陸軍でも見られたことではないだろうか。 戦前の話だが、かつて 「皇道派」 と称された 「天皇親政」 と 「昭和維新」 を主張する陸軍の上層部は、大川周明や北一輝らの民間右翼と手を結んで、「国体明徴化運動」 を唱導し、美濃部達吉の天皇機関説を排撃するなど、多くの学者を大学から追放した。その結果、軍内部に種々の超国家主義思想が流入し、青年将校らによる様々な暗殺やクーデターなどの事件が頻発することとなった。 彼ら 「皇道派」 は2.26事件をきっかけに、東条ら 「統制派」 との抗争に破れて、軍の一線からは退くことになる。しかし、政党政治の崩壊と軍国主義、そして戦争への道を掃き清めたのは、まさに彼らのように馬鹿げたイデオロギーを振り回すばかりで、自分がなにを言いなにをやっているのかも理解できていない、愚かな連中なのであった。 田母神氏をはじめとする一部の自衛隊幹部と、渡部昇一やアパグループとの関係には、なにやら、そういうかつての軍部と民間右翼の連携を思わせるものがある。もっとも、今回の場合には、どちらも戦前の軍人や右翼思想家に比べればはるかに小物であり、まさにマルクス言うところの、繰り返された二度目の 「喜劇」 というべきではあろうが。 結論を言えば、どう見ても、これはとうてい 「論文」 などという代物ではない。せいぜい、高校生の夏休みのレポート程度のものである。それで賞金300万円とは、平均的な日本人の年間所得の半分以上にはなるだろうから、なかなかいい商売である。もっとも、6000万円の退職金を取り上げられては収支が合うまいが。 ちなみに、田母神という姓、なかなか珍しいのでちょっと調べてみたら、福島県郡山市に田村町田母神というところがあるのを見つけた。郵便番号は963-1243で、田母神小学校というのもある。田母神氏は、ひょっとしてここの出身なのだろうか。むろん、彼自身がということではなく、数代前のご先祖さんが、という可能性もあるが。追記(11/14): 田母神氏の「歴史認識」があやしげな「著作」のあやふやな「証言」に基づいた妄言にすぎないことは、 下のようなサイトを参照すれば十分に明らかです。盧溝橋事件 中国共産党陰謀説「日本は侵略国家であったのか」を読む また、保守的な立場にある秦郁彦氏ですら、この「論文」の低レベルぶりには呆れています。要するに話になりません。「愛国者」を気取る方々が、本当に国を憂えるというのであれば、とんでもな情報に踊らされるような愚かな人がこの国の「国防」のトップにいたという事実をこそ、まず憂えるべきでしょう。「マンガ的な低レベルのやりとりで不快でした。肝心の国防について、『これでは国を守れないから困る』といった注文が出ているわけでもない。戦争を巡るコ ミンテルン陰謀説は、徳川埋蔵金があるとかないとかいったレベルの話です。懸賞論文で最優秀賞を取ったのが不思議でならない。『村山談話』への挑戦とも言われているが、論文には『む』の字もない。本人は『そんな談話あったかな』といった程度の認識でしかないのでしょう」 現代史家・秦さん「低レベルで不快」
2008.11.08
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アメリカの大統領選挙は、民主党のオバマ候補が当選した。これが今後の日本や世界にとってどういう影響をもたらすかはわからないが、とにかくキング牧師らによる公民権運動からわずか40年で、明確に 「有色人種」 の血を引く大統領が誕生したということは、アメリカの歴史にとって画期的なことだと言っていいだろう。 公民権運動が始まる前の、学校やバスの座席、出入りする公園や飲食店の類にいたるまで、黒人と白人とが別々に分けられていた時代を知る人らにとっては、おそらく隔世の感があるに違いない。心配されていた 「ブラッドリー効果」 は、たいした影響がなかったようだ。オバマ陣営と彼を支持する人たちには、そのような 「効果」 など吹き飛ばすだけの勢いがあったということなのだろう。 とはいえ、先日、白人青年らのネオナチグループによる暗殺計画が発覚したように、黒人の血を引くという理由だけで、彼を敵視する人々はアメリカ国内に明確に存在する。選挙期間中も危惧されていたことであり、当たって欲しくはない予想だが、今後はさらに、彼に対するそのような攻撃を目論むグループが出てくることが心配される。 日本では、選挙期間中、福井県の小浜市がオバマつながりで一躍脚光をあびたが、長崎の雲仙にも温泉で有名な小浜という町がある。こちらのほうも、きっとオバマ人気にあやかって客を集めたいところだろう。 さて、以前に 「過剰なる自信についての戒め」 なる雑文を書いたが、世の中には、明らかに自己評価が高すぎるとしか思えない人というのが存在する。人間というものは複雑なものであり、また日々変化しているものでもあるから、その評価はもともと簡単ではないが、これが客観視が難しい自分のこととなるとさらに困難である。 したがって、そういう評価というものは、つねに高すぎるか低すぎるかのどちらかということになるだろう。そもそも、なにがどうなったときが、誤差なしのぴったんこに正確な評価なのかということも判然とはしないのだから。 ただ、人はいろいろな経験を重ね、失敗と成功を繰り返し、あるいは他人を鏡とすることで、過小評価と過大評価をたえず修正しながら、自己の客観的な評価に務めるものだということは言えるだろう。 それに対し、自己評価が高すぎる人というのは、一貫して自己を過大に評価し続けている人のことだ。そのような人というのは、おおまかに言うと、つねに周囲からちやほやされてきたために、自己を客観視する機会に恵まれなかった人らと、決して最初から恵まれていたわけではなく、そこからの努力によって成果を収めたのであるが、そのような成功がかえって過剰な自信となり、慢心に陥っている人らの二種類に分けられるだろう。 岸信介の孫で、総理の座を目前にして亡くなった安倍晋太郎の次男でもある安倍元首相は、明らかに前者のタイプである。それに対し、吉田茂の孫である麻生現総理の場合には、麻生グループの経営者として石炭不況を乗り切ったという 「実績」 もあるようだから、後者の要素も少しはあるのかもしれない。 ただし典型的な後者のタイプというのは、一代で会社を育て上げ、財をなしたような人とかによく見られる。ダイエーの中内氏のように大きな成功をあげた人というのは、それがカリスマ的な権威となるため、周囲の人間としてはなかなか意見が言いにくいものである。これが嵩じると、他人の意見には耳を貸さないワンマン経営者が誕生するのである。 いずれにしても、こういう 「自己評価」 の高い人というのには、他人から意見されたり、反対されることを嫌うものである。そのため、そういった意見をする独立心と自尊心を持った人らは、やがて一人去り二人去りと、その周囲から離れていくことになる。 それに、そういう 「自己評価」 が高い人自身、どちらかというと自分と対等とか自分より上だと見た人よりも、自分より下と見た人との付き合いを好む傾向がある。それはむろん、そのほうが高すぎる自分の 「自己評価」 が損なわれる恐れがないからである。 そういう 「自己評価」 の過大さというものは、たいていの場合、本人自身、どこかで気付いているものだし、利休に腹を切らせた、かの秀吉のように、どこかに劣等感が潜んでいる場合というのもあるだろう。 実際、一部で 「お友だち内閣」 と揶揄された安倍内閣がそうだったし、現在の麻生内閣にも、その傾向はあるように見える。麻生首相はなんでもかんでも 「オレがオレが」 という人のようだが、そうなると自分より格上の人が近くにいたりすると、邪魔で邪魔でしょうがないということになる。 少女マンガはよく知らないが、昔から学園ドラマなどでは、あるとき、あまり目立たず、どこといってとりえのない平凡な少女が、クラスの女王様から声をかけられ、交友が始まるといった話が演じられてきた。 こういう話は、たいてい華やかな女王様から 「お友だち」 認定されたと思って有頂天になっていた少女が、あることがきっかけで、自分は対等な 「お友だち」 ではなく、女王様の地位を脅かすおそれのない、ただの無害な召使いとして扱われていたのに気付いて、ショックを受けるというような結末になる。 こういうことが、現実の 「学園」 で実際にあるのかどうかはともかく、麻生氏と、鳩山弟を始めとする彼の取り巻きの間には、なんとなくそのような関係があるような気がするのだ。 むろん、こういう関係も、ただの個人的な関係であればどうでもいいことだ。だが、これが組織の長となると、そうもいかない。そういった人間が組織の頂点に立てば、当然その周りには、彼より劣る、彼にとってその地位を脅かす恐れがないと目された人間ばかりが集まることになる。 そういった組織が二代、三代と代を重ねれば、当然ながら組織はそれだけ劣化が進み、崩壊の一途をたどることになるだろう。維新以来の長州閥を始めとする、地縁血縁で結びついた様々な派閥によって壟断されていた、かつての大日本帝国陸軍がそうであったように。 海の向こうでは、初の 「黒人系」 大統領の誕生でわいているが、こちら側では吉田、鳩山、岸という、互いに争いながら良くも悪くも戦後史に名を刻んだ宰相の孫らによる、「仲良し」 政治の真っ最中である。 9月の自民党総裁選では、秋葉原での 「オタク」 人気を強調して、あたかも全国民的に人気があるかのようなプレゼンをした麻生氏が選挙に勝ったが、その後の世論調査では実際の支持率はそれほどでもないことが暴露された。これは、ようするに一部の 「オタク」 人気のみで全体を図ろうとした、サンプリングの誤りということである。 就任当初、早い段階での選挙を考えていたらしい麻生氏は、景気対策を理由に選挙の引き伸ばしを図っている。しかし、ずるずると引き伸ばしたところで、麻生内閣の支持率が上がるとも思えない。実際、テレビにあの周囲を睥睨してだみ声でしゃべる、いかにも傲慢そうな顔が映るたびに、支持率は下がっていくばかりではないだろうか。 選挙に勝てる総裁ということで麻生氏を選んだ自民党内からは、そろそろ 「話が違うじゃないか」 という声が聞こえてきそうである。関連記事:麻生内閣が誕生した (2008.09.24) 「無知の知」あるいは「無能の能」(2007.07.26)
2008.11.06
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いよいよ、注目のアメリカ大統領選挙の投票が始まった。報道では、日本時間で今日の昼頃には、当落が決着するのではないかという話である。選挙期間中、劣勢を伝えられていたマケイン陣営は、女性のペイリン現アラスカ州知事を副大統領候補に抜擢したものの、これはあまり効果がなく、むしろ逆効果になったように思える。 なにしろ、アラスカ州というのは、総人口が70万にも達しない地域であるから、そこの知事というだけでは、政治家としての経験や見識に疑問がもたれてもしかたない。マケイン候補はすでに72歳と高齢であるから、任期をまっとうできずに、途中で副大統領が昇格する可能性というのも十分にある。それを考えれば、彼女とのコンビではちょっとと、二の足を踏むという人が出てきても不思議ではない。 思い出すのは8年前のゴアとブッシュの戦いである。このときは、有権者の投票総数では民主党のゴア候補がブッシュを上回ったものの、全米で獲得した選挙人の数でブッシュが上回るという逆転現象が起き、ブッシュ弟が知事を務めるフロリダで票の再集計が行われるなどのすったもんだのすえに、ブッシュ現大統領が僅差で当選することになった。 投票前の世論調査では、民主党のオバマ候補の優勢が伝えられている。しかし、電話などでの調査に回答する場合と、実際に投票する場合とでは有権者の行動は必ずしも一致しない。日本でも、実際に投票が済んでふたを開けてみたら、事前の予想と大きく違っていて、「開けてびっくり玉手箱」 ということもある。 これは、ひとつには選挙前に公表された世論調査がもたらす、アナウンス効果のせいだろう。だがそれと同時に、個々の有権者にとって、とくに現実的な意味を持たない調査への回答と、実際に効力を持つ投票の場合とでは、その意味合いがまったく違うということもやはり無視できない。 アメリカの政治学者らが使う言葉に 「ブラッドリー効果」 という用語があるそうだが、Wikipediaではこの言葉について、次のように説明されている。 1982年のカリフォルニア州知事選挙で黒人の元ロサンゼルス市長トム・ブラッドリーが白人の共和党候補ジョージ・デュークメジアンと争った。事前に行われた世論調査ではブラッドリーが圧倒的有利な状態で、ほとんどのメディアはブラッドリーの勝利を予想し、サンフランシスコクロニクルは 「BRADLEY WIN PROJECTED」 の見出しをかかげた。しかし、いざ選挙当日になってみると、それまでブラッドリーを支持していた白人有権者がデュークメジアンに投票し、多くの票がデュークメジアンに流れた結果、当選確実といわれていたブラッドリーは敗れてしまった。 これは、白人に投票するという意見の表明自体が、調査者に人種差別主義的イメージを以て解されるのを嫌った一部の人が、「ブラッドリーに投票する」 と世論調査で答えた結果だと社会心理学的な解釈が行われている。多くの白人有権者が黒人候補者に投票するといいながら、実際は白人候補者に票を投じる投票行動を政治学者は 「ブラッドリー効果」 と名づけた。 ようするに、「本音」 と 「建前」 が違うというのは、なにも日本人だけの専売特許ではないという話である。 オバマ氏が当選すれば、アメリカの歴史において、明確に黒人の血を引いた大統領が初めて誕生するということになる。「トゥエンティフォー」 などのドラマや映画では、すでに黒人大統領が何人も登場しているが、現実もようやくそのレベルに到達したということになるだろう。 むろん、黒人系の大統領が登場したからといって、これまでのアメリカの政治や社会が一気に変わるとは必ずしも言えない。たとえば、イギリスでは30年前に、サッチャーが女性として初めての首相になったが、その政治は男性が首相を独占していた時代ととくに違っていたわけではない。とはいえ、それでも女性の社会進出を促し、女性に対する不当な差別を解消するという点ではそれなりに意味はあったのかもしれない。もっとも、イギリスにだって、女王様なら400年前にもいたのだが。 ところで、アメリカの大統領選挙は、いうまでもなくアメリカの国内問題というだけでなく、日本はもちろん、世界中の国に対して重大な影響を及ぼす。2000年の大統領選挙で、もしゴアが勝っていたら、翌年のアルカイダによる9.11テロが同様に起きていたとしても、その後のアメリカの政策は違っていたかもしれない。そして、その結果としての国際社会の様相も、今とは相当に異なっていたかもしれない。 それを考えると、アメリカの大統領選挙に対しては、「あいつはちょっとだめだ」 という拒否権のごときものが国際社会にあればいいのではと思う。なにしろ、アメリカの大統領というのは、世界を破滅させるに足るだけの核兵器を発射するボタンに指をかけているのであり、つまりはアメリカ国民だけでなく、全人類に対して責任を負っているわけだから。 同じことは、ある程度中国やロシアに対しても言えるのだが、中国などがそういう要求を受け入れる可能性は、もちろんそれ以上に低い。逆に日本の場合はどうかというと、そもそも国際社会によって要求される規準に達する首相候補がいないということで、首相不在ということになってしまう恐れもある。というわけで、これはやっぱり無理な注文というべきかもしれない。 うーん、せっかくのいい提案だと思ったのに、竜頭蛇尾に終わってしまった。残念である。関連記事: オバマ候補は 「黒人系」 なのか
2008.11.04
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今年も早いもので、すでに11月となってしまった。余すところわずかに二ヶ月である。ようやく秋も深まり、北国や山の中ではすでに冬がすぐそこに来ているようだ。ところで、秋の代表的な童謡といえば、たぶん次の二つがもっとも有名だろう。 「もずが枯れ木で」 が発表されたのは、まだ日中戦争が本格化する前の昭和10年、一方の「里の秋」はといえば、戦前に発表されたもともとの詞を一部書き換えたうえで、曲がつけられて発表されたのが、敗戦間もない昭和20年の12月だという。もずが枯れ木で 【作詞】サトウ ハチロー 【作曲】徳富 繁1.もずが枯木で鳴いている おいらは藁を たたいてる 綿びき車は おばあさん コットン水車も 廻ってる2.みんな去年と 同じだよ けれども足んねえ ものがある 兄さの薪割る 音がねえ バッサリ薪割る 音がねえ3.兄さは満州に いっただよ 鉄砲が涙で 光っただ もずよ寒いと 鳴くがよい 兄さはもっと 寒いだろ里の秋【作詞】斎藤信夫 【作曲】海沼 実1.静かな 静かな 里の秋 お背戸に 木の実の落ちる夜は ああ 母さんとただ二人 クリの実 煮てます いろりばた2.あかるい あかるい 星の空 なきなき夜がもの 渡る夜は ああ 父さんの あのえがお クリの実 たべては 思い出す3.さよなら さよなら やしの島 おふねにゆられて 帰られる ああ 父さんよ ごぶじでと こんやも 母さんと 祈ります この 「里の秋」 の詞は、もともと 「星月夜」 という題で、太平洋戦争が勃発してすぐの昭和16年に発表された詞を一部書き換えたものであり、その三番と四番は次のようなものだったという。3. きれいな きれいな 椰子の島 しっかり護って下さいと ああ 父さんの ご武運を 今夜も 一人で 祈ります4.大きく 大きく なったなら 兵隊さんだよ うれしいな ねえ 母さんよ 僕だって 必ず お国を護ります 二つの歌の後半の歌詞を表面的に比べるならば、一方は厭戦的な気分を込めた 「反戦歌」 であり、一方はお国のために戦うことを称揚し、子供らに皇国の兵となることを求めた歌ということになるのかもしれない。だが、はたしてこの二つの歌に流れている感性に、それほどの違いはあるだろうか。どちらも、田舎の秋の自然と、そこで夜を過ごしている家族の情景が描かれている。 その違いをあえて探すとすれば、ただの素人である斎藤が描く 「家族」 がいささかおままごと風にきれいにまとまりすぎているのに比べ、サトウハチローの詞のほうは、さすがにプロだけあって、貧しい農家の暮らしがいくらかリアルに描かれているという程度にすぎない。 だからこそ、当初は 「星月夜」 という題で童謡雑誌に掲載されたという斎藤のもとの詞は、その三番を父親無事な復員を祈る詞に差し替え、四番は封印し、題名も 「里の秋」 に変えることで、父親を待ちながら、田舎の静かな夜を囲炉裏端で過ごす親子の歌として、戦後に蘇ることも可能だったのだろう。 伝統的な自然観や家族意識をそのまま引きずった素朴な感性は、たしかにその時代の庶民の意識にもっとも訴えかける力がある。なぜなら、そのような素朴な感性は、もっとも広範な大衆にとって、同調しやすく受け入れやすいものだからだ。 だが、そのような素朴な感性のみでは、時代の 「政治」 や 「国家」 の水準にまで到達することはできない。もしも、そのような素朴な感性のみで、「政治的国家」 という、いわば 「天上の世界」 にかかわる問題を扱おうとするなら、それはときには簡単に、一過的な時代の空気と流れに押し流され、飲み込まれてしまうだろう。 事実、サトーも戦争が本格化するにつれて、古賀政男と組んでアメリカの空襲に対する報復を歌った 「敵の炎」 など、いくつかの激越な軍歌を作っているという。「感性」 はむろんすべての人間の行為の基礎である。だが、いつの時代であっても、たんなる素朴な 「感性」 だけでは抵抗の砦にはならない。
2008.11.01
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