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岩国市長選以来、最近は次々といろんな事件や事故の報道があいつぎ、一つ一つの報道を追いかけるのもなかなかたいへんな状況だが、その中でもひときわ異彩を放っていたのが、国際派ジャーナリストを自称している、ドイツ在住のクライン孝子とかいう人の発言である。 彼女自身の経歴紹介によれば、この人は 「チューリッヒ大学でドイツ文学」 を学び、「フランクフルト大学で近代西欧政治経済史」 を学んだのだそうだ。この経歴については、本当かどうか疑う声もちらほらとあるようだが、まあ、それはどうでもよい。 このおばさん、沖縄の事件でもイージス艦の事件でも、なかなかぶっとんだ読者メールを次々と自分のブログで紹介している。たとえば、次のような 5. 本日になって,あれだけ熱心に行方不明者の捜索に連日 出港していた漁船が,遺族側の申し入れ,と云うことで急に 捜索を中止したこと。 その収束の仕方も唐突で,あれだけ遺体確認に拘っていた 遺族及び漁業関係者が突然中止を申し出たこと。 6. そして,先生ご指摘の通り,遺体が発見できないこと。 これは,現場の海流のせいかもしれませんが,極端な想像をすれば 衝突した船には,衝突の時点で人が乗っていなかったか, 衝突後遺体が片付けられてしまったか不明です。 ミステリーの領域に入ってしまいますが。 7. 事件の進行と,マスコミ,漁業関係者の動きの早さが, 沖縄の諸事件と類似のパターンを描いていること。 バックに沖縄とおなじ団体なりが存在して,指揮を執っているの ではないか,と思わせる統制ぶりです。 これは、米島勉という名前の 「昭和9年10月4日生まれ,73歳。早稲田大学大学院理工学研究科化学工学専攻博士課程修了」 という経歴の人から、送られてきたメールなのだそうだ (追記:どうもこれもかなり怪しそうです)。 ご本人は上のメールの中で 「極端な想像力」 と称しているが、こういうのは 「想像力」 とは言わない。正しくは、「妄想力」 と言うべきである。その違いは、客観性に対する関係にある。自らの主観性のみに立脚し、対象への客観的な眼差しを欠いた想像というものは、「想像力」 などではなく、ただの愚劣な 「妄想力」 の産物でしかない。 本当の想像力というものは、むしろそのような独断的な先入観だけに立脚し、しかもまったくもって陳腐でしかない 「妄想」 にふけることを自らに抑制するためにこそ、働かせるべきものである。 おそらく、このような人たちにとっては、「国家」 や 「軍隊」 といった非人格的な存在は、なにやら崇高な使命を帯びたものとして 「感情移入」 しやすい存在なのだろう。それに対して、日々自分の腕や足で生活の糧を稼いでいる具体的な個人は、尊厳や崇高さという感情も呼び起こさない、ただの豆粒のようなものに過ぎないのだろう。 行方不明の親子の無事を祈って、海岸で読経し、また泣きの涙で親子の捜索を諦めた漁民らは、彼らにとってはおそらく、古臭い習俗にまみれた 「無知蒙昧」 で軽蔑すべき存在なのであり、そのような姿からは、まっとうな想像力を刺激されることすらないのだろう。 だが、そのような 「板子一枚下は地獄」(なごなぐ雑記) という危険と隣りあわせで日々暮らしている人間と、その生活に思いを寄せることのできない人間らこそ、もっとも無知蒙昧な存在というべきなのではないだろうか。 倒錯しているのは、いったい誰なのだ。まったくもって、人間、無駄に歳をとりたくはないものだ。
2008.02.29
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報道によれば、国公立大入試の二次試験(前期日程)が始まったそうである。自分のことを振り返れば、共通一次もセンター試験もなかったある意味牧歌的な世代であり、文字どおり入試は一発勝負だったのであるが、最近の受験生はあれやこれやの試験と、なかなかたいへんのようである。 そこで、今年の受験生諸君に、次のような言葉を贈ろうと思う。 プロレタリアートの権力奪取がひきつづいて起こるだろうような政治的危機の過程の中で、また長期にわたるしつような闘争の炎の中で、はじめてプロレタリアートは、自分自身が終局的な大変革を遂行する能力の所有者となるのに必要な程度の政治的成熟に到達することができるのだから、プロレタリアートの時期の 「はやすぎる」 攻撃は、じつにそれ自身、終局的な勝利の政治的条件を作り出すひとつの、しかも非常に重要な要因なのだ。 それゆえに、国家権力の時期の 「はやすぎる」 掌握は避けることができないことなのだ。こうして国家権力に対するプロレタリアートの時期の 「はやすぎる」 攻撃そのものは、終局的勝利の時期を招来し決定する重要な歴史的要因であることが明白になる。・・・ だがこのように、プロレタリアートは国家権力の時期の 「はやすぎ」 た獲得をなす以外にまったくどうしようもない、あるいはことばを変えて言えば、プロレタリアートは、終局においては国家権力を永久に奪い取ってしまうために、一度ないしいくたびか、時期の 「はやすぎる」 権力奪取を絶対にやらなければならないのである。だから 「はやすぎる」 権力奪取に反対することは、国家権力を自己の手におさめるためのプロレタリアートの努力一般に反対することにほかならない。ローザ・ルクセンブルグ『社会改良か革命か』(1900) ローザ・ルクセンブルグが言うように、どのような闘いの場合でも、終局的な勝利にいたる過程においては、緒戦の敗北は必至なのであり、むしろ、そのような緒戦の敗北を通してのみ、最終的な勝利は確保されるのである。 であるから、たとえ緒戦において敗北したとしても、「今日の試験は失敗した」 などと思い悩む必要は決してないのであり、それを糧とし教訓とすることで、最終的な決戦において勝利しさえすればよいのである。ことわざにも、「最後に笑うものが最もよく笑う」 というくらいである。 むろん、緒戦において決定的勝利を収めるのなら、そのほうが良いにこしたことはない。それから、ローザのこの言葉は、ただ漫然と敗北を続けていても、いつかは必ず勝てるさ、というような安易な意味に解釈してはならないことは言うまでもない。追記: たまたまYoutubeを見ていたら、20年以上前に活動していたらしい 「ローザ・ルクセンブルグ」 というロックバンドの画像を見つけてしまった (パンクになるのかな)。結構人気があったらしいのだが、全然知らなかった。参考: モンゴル放送局/ローザ・ルクセンブルグ
2008.02.25
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ヘーゲルというと難解な哲学者の代表格のように言われていて、とくに昔の岩波の翻訳などでは、「対自」 だの 「即自」 だの 「定有」 だのと、意味不明な術語が乱舞していて、なにを言っているのかさっぱり分からない。 かのラッセルも若い頃はヘーゲル主義の影響を受けていたそうだが、後年の彼に言わせると、ヘーゲル哲学なんてものは、ただのナンセンスなのだそうだ。まあ、たしかに、彼が書いたものや、残された講義録の中には、そう言われてもしかたがない部分もあるのかもしれない。 ところで、人間、人様から意見されると、ついつい 「お前なんかに、オレのことが分かるもんか」 とか、 「人のことに、余計な口出しをするな」 などと言ってしまいがちである。むろん、それはなにも他人の話ではなく、自分が一番そうだったりするわけではあるが。 確かに、肉体的な傷の痛みだとか、頭痛、歯痛、腹痛などというものは、まさにそういうものであるし、心の中に抱えた苦しみなどというものも、他人にはなかなか分かりづらいものではある。であるから、そのような言い方もまんざら間違っているわけでもない。 だが、その一方で、人間はなんといっても主観性の虜であるから、自分を客観的に見るということはなかなか難しいものでもある。世の中には、明らかにその人の自己評価と他人による評価とが、あまりにずれすぎていると思わざるを得ない人がいくらでもいる。 そもそも、人間に限らず、目というものは外を見るためにできているのであって、自分の中を覗き込むようにはできていない。これは、確かにずいぶんと難儀なことである。意識というものは自分の意識ではあるが、必ずしも自分についての意識ではない。 いや、というよりもそのような状態こそが、むしろ普通なのであり、自分の意識が自分自身ばかりに向いてしまえば、人はかえって自分の本当の姿が見えなくなってしまうものである。そういう状態のことは、通常 「自意識過剰」 などと呼ばれているわけだが、そもそもそれでは、他人とうまく意志を疎通することも、ちゃんと生活することも困難になってしまうものである。 同様のことは、器官としての目についても言えることである。対象というものはあまりに長く凝視しすぎていると、かえって奇妙に歪んで見えてきたりするものであり、暗闇の中の小さな光源をじっと見つめていると、やがて動いてもいないものが動いているように見えてきたりもする。巷でよく聞く、「あっ、UFOだ!」 とかいう話のなかにも、そういう例がけっこうあるらしい。 これが、自分の顔かたちや姿格好であるとか、動作だとかであれば、よく磨いた鏡で確かめることもできるのだが (もっとも左右反対ではあるが)、では、自分の心とか内面みたいなものは、どうやったら確かめられるのだろうか。 『資本論』には、「人間は鏡を持って生まれてくるものでも、フィヒテ流の哲学者として、我は我であると言って生まれてくるのでもないのであるから、まず他の人間の中に自分を照らし出すのである」 という、明らかにヘーゲルを意識した一節がある。 この意味は、自己に対する他人の振る舞いには、自己の他人に対する振る舞いが反映されているということだろう。それは言い換えるならば、人間の本質というものは、たとえ本人が隠そうとしていても、いずれおのずと表明されるものであり、他人はそれに対して反応するものだということだろう。 そして、そのような他人の反応は、ときには本人自身がまったく気付いていない、自己の本質というものを教えてくれることもある。「自己意識」 というものは、本来そういう他人という存在を媒介にすることで、はじめて成立するものなのである。 ヘーゲルが指摘しているように、「本質」 というものは現象するものであり、現象しない 「本質」 などというものは単なる無にすぎない。ちょうど、なんの作品もいまだ作り出していない作家や芸術家の自称卵が、自分には芸術家としての素晴らしい才能が埋もれていると考えるのが、しばしばただの妄想であり、たんなる慰めにすぎないように。 たとえば、人々はよく、人間において大切なことはその本質であって、その行為や行状ではないという。これには確かに正しいところもあって、人間の行為はその直接態においてではなく、彼の内面によって媒介されたもの、彼の内面の顕示としてのみ見なければならない。 ただこの場合、看過してならないのは、本質および内的なものは、現象することによってのみ、そうしたものであるという実を示すということである。人々が、自分の行為の内容と相違する本質を引き合いに出す場合には、普通その根底に、自分の単なる主観性を主張し、主観的かつ客観的に妥当するものを回避しようとする意図があるのである。ヘーゲル 『小論理学』 もっとも、「論語」 によると、かの孔子様ですら、他人の意見を率直に聞けるようになったのは、やっと60を過ぎてだそうだから、やっぱり人間というものは、なかなか人の意見など素直に聞けるものではないのかもしれない。 ただ、他人というものは自分を映し出す鏡であるということぐらいは、とりあえず心得ておいた方がいいのではないかと思う。むろん、他人の振舞いのなかには、ときにはまったく理不尽なものもあるのではあるが。 それにしても、たまに 「ほどほどに自分を見つめなおされることをお勧めいたします」 というようなことを、偉そうに他人に説教している人間を見かけるのだが、そのたびに 「お前がいうなー!」 と思ってしまうのは、いったいなぜなのだろうか。
2008.02.23
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なんだか、つい最近の産経の 「『反基地』勢力が叫ぶいかがわしさ」 なる記事の題名に似てしまったが、あの記事とはなんの関係もない。あの記事について言えば、あのようなことを言う花岡某という記者と、それを載せた産経のほうがよっぽどいかがわしいという意見に全面的に同意する。 この国の 「反権力」 を標榜する人たちがしばしば見落としがちなのは、イタリアのファシズムもドイツのナチズムも、既成の権力と支配体制に対する 「異議申し立て」 という、下から広がった大衆的な運動によって支えられることで、権力への階段を駆け上がっていったという歴史的な事実である。むろん、最終的な権力の掌握は、既成支配層から労働者や農民に対する反革命としての承認を得たことによるものではあるが。 ムッソリーニはもともと親父の代からの筋金入りの社会主義者であったし、ナチスの正式名称がドイツ国民 (国家) 社会主義労働者党であり、反ユンカー、反資本主義を標榜していたことも忘れてはならない。彼らが一部の大衆から熱狂的な支持を得たのは、そこに 「擬似革命」 としての社会変革という夢が託されていたからでもある。 戦前の日本の場合は、天皇制という牢固たる支配構造ゆえに、そのような大衆的支持に支えられた本格的なファシズム国家は成立しなかった*1。しかし、明治憲法解釈における定説として、少なくとも大多数の政府官僚や知識人らの間には定着していたかに見えていた美濃部達吉の 「天皇機関説」 *2 が、国体に反するとして右翼勢力から猛烈に攻撃されたことに現れているように、明治以降、それなりに定着しつつあった議会政治を麻痺させ、最終的に崩壊させたのも、やはり一種の 「反権威」 主義的な運動ではなかったのだろうか。 「国体論」 の名を借りて美濃部を攻撃した連中にとっては、美濃部もまた近代的=西欧的な知と学問を修めた帝大教授という 「権威」 だったのである。その彼に対する攻撃の根底にあったのは、明治以降の急速な 「西欧化」=「近代化」 によって様々な社会の歪みが蓄積してきた結果、明治政府の急激な方針転換によりいったんは抑え込まれていた幕末の復古思想が、「近代化」 そのものに対するイデオロギー的な反動として息を吹き返したということだろう*3。 既成の権力や権威に対する反抗であれば、なんでも賞賛しありがたがる者はただの愚か者である。それはときには、歴史を巻き戻そうとする 「反動」 と結びつくこともあることを見落とすべきではない。 たとえば 「常識」 を捨てれば直感で真理が見えてくるなどという人がいるが、本当にそうであれば、誰も苦労はしない。コペルニクスやガリレオの 「地動説」 にしても、常識を疑うというような単純なことで成立したわけではない。彼らが乗り越えた困難をそのように単純化することは、彼らの業績を称揚するどころか、愚弄することにしかなっていない。 9.11同時テロのような複雑な事件の真相が 「直感」 で分かるのなら、世の中、どんな事件も直感で犯人が分かるというものだろう。それは、複雑な法律も司法制度も、また科学的な捜査や証拠による立証も不要であり、したがって弁護人による反論も不要だというのと同じである。 ただの無知に基づき、無知に居直っただけの安易な 「反権威」 主義や 「専門家」 たたきのいきつくところは、人間が困難を乗り越えて築いてきた歴史と文明の成果を破壊し、放り捨てることにしかならないだろう。 馬鹿を言うのもいい加減にしろというところだ。*1:戦前の日本に体制としてのファシズムが成立していたかどうかには、様々な議論がある。保守的な立場からの 「日本ファシズム」 否定論者には、しばしばそのことを、「戦前の日本はナチスほど酷い体制ではなかった」 というような弁護論と結びつける傾向があるのは事実である。しかし、これは、本来 「ファシズムとはなにか」 という優れて理論的な問題なのであって、政治的評価の議論と結び付けるべきではない。*2:むろん、明治憲法は厳密な意味での近代憲法ではない。美濃部の 「天皇機関説」 は、復古性と近代性を兼ね備えていた折衷的な明治憲法を可能な限り近代的な方向で解釈しようとした学説であったということができる。*3:そこには、欧米列強との対立の先鋭化による、ナショナリズムの高揚という背景があったことも、むろん無視はできない。http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080131/1201781124
2008.02.21
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昨日、こんなニュースがあった。神功皇后陵を初調査 宮内庁は15日、日本考古学協会など考古学、歴史学の計16の研究団体に、奈良市の神功皇后陵(五社神古墳)への立ち入り調査を許可し、22日に調査が実施されると発表した。 これまでも補修工事などの際に見学が認められることはあったが、学会側の要望に基づく陵墓の立ち入り調査は初めて。 宮内庁や協会によると、陵に入るのは各団体の代表16人。墳丘の外観を目視で観察するのが中心。立ち入りは墳丘第一段目の平らな場所までで、発掘は認められていない。 宮内庁が過去に作成した図面を検証するほか、埴輪の確認などで詳しい築造時期を明らかにするのが目標で、4月上旬に奈良市でシンポジウムを開き、調査結果を公開する。来年度以降も、京都市の明治天皇陵(伏見城跡)など全国の陵墓調査を申請する方針だ。 神功皇后は第14代仲哀天皇の妻。陵は古墳時代のものとされ、全長約270メートルの前方後円墳。〔共同〕 神功皇后という人は仲哀天皇の奥さんであり、戦前には教科書にも必ず載っていたという 「三韓征伐」 の話で有名である。「古事記」 によれば、仲哀天皇が熊襲征伐のために福岡の香椎にいたとき、住吉の神様が天皇のもとに現れて、「西の方に黄金ざくざくの国があるから攻め取ってこい」 と言われたのだそうだ。 この神様の言葉を、そんな馬鹿なといって信用しなかった天皇は、バチが当たって死んでしまい、驚いた皇后はお腹の中に子供がいたにもかかわらず、乱暴にも海を渡って新羅や百済と戦い、これを従えたとのことである。 このときのお腹の中の子供がのちの応神天皇であり、その息子が仁徳天皇、さらにそのまた息子が履中と反正という兄弟天皇ということになっている。 いっぽう、中国の歴史書である 「宋書」 の倭国伝には、「倭の五王」 と総称されている、讃・珍・済・興・武 という五世紀にいたらしい五人の王様の話がある。 この中国の史書と記紀の記述との関係は、昔からいろいろと論じられていて、たとえば歴史学者の藤間生大などは、讃は履中天皇、珍は反正天皇、それから済は允恭天皇で、興は安康天皇、武は雄略天皇としている (岩波新書 「倭の五王」)。 しかし、ほかにも讃は仁徳天皇だとか、いやいや応神天皇だとかいう説もあるし、古田武彦のように、そもそも 「倭の五王」 と天皇家とは無関係だなどという説まであったりもする。 ようするに、どの説も決め手がないわけである。これは互いにあちこちに矛盾がある文献資料の解釈だけで議論しようとすると、必ずぶつかる壁のようなものである。そもそも、どの資料もむちゃくちゃ古いものであるから、完全な信憑性など求めるのが、どだい無理というものなのである。 であるから、そういった資料だけに頼って論じることには、どうしても 「机上の空論・砂上の楼閣」 といった感じがつきまとう。というわけで、ここはどうしても、やはり考古学的な資料による裏付けというものが必要だろう。 とすれば、今回の宮内庁の決定はいちおう歓迎すべきものではある。しかし、ただ墳丘の一番下の部分の見学を許すだけで、発掘は認めないというのはいかにも不充分である。それに、やっぱり調査の本命は、なんといっても大阪にある、仁徳天皇陵や応神天皇陵などに指定されている巨大古墳群だろう。 それにしても、こういった 「陵墓」 の発掘調査は、いったいいつになれば許可されるのだろうか。全国の古代史研究者や古代史ファンの皆さんは、きっと首を長くしてその日を待ち望んでいるはずである。 別に発掘調査の結果として、これまでの伝承だとかになにか間違いが見つかったからと言って、いまさら誰かが恥をかくというわけでもあるまいに、と思うのだが、やっぱりまだまだ反対する人もいるのだろうね。参考HP: 天皇陵 (宮内庁)
2008.02.16
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報道によると、鳩山邦夫法務大臣がまたわけの分からぬことを言ったらしい。 鳩山邦夫法相は13日、法務省内で開かれた検察長官会同で訓示し、違法な取り調べが問題となった鹿児島県議選の買収無罪事件について「冤罪(えんざい)と呼ぶべきではないと考えている」と述べた。 鳩山法相はその後、記者団に対し「定義がはっきりしない冤罪というものをこの事件まで適用すると、無罪事件は全部冤罪になってしまう。裁判の結果、無罪になったケースととらえたい」と説明。 一方で「捜査、取り調べ上の問題があったことはよく分かる」とした上で、「検察官の士気を上げるために、十分反省した上で『積極的に前を向いてくれ』と言いたかった」と釈明した。時事ドットコム:鹿児島事件「冤罪ではない」 ようするに、この人の発言の意味は、被告人の無実が証明された場合には、「冤罪」 であると言ってもかまわないが、たんに有罪であることが証明されなかったがために無罪となった場合には、本当に無実であるかどうか分からないから、「冤罪」 とは言うべきではないということのようである。 だが、言うまでもないことだが、犯罪の立証責任は警察と、その捜査を受けた検察の側にあるのであって、被告人の側にはない。それは、たんなる法的手続きの問題ではなく、被告人と弁護人の側には、警察や検察のような組織も強制的な捜査権もないという現実的な理由によるものである。 したがって、法相のこの発言は、強制的な捜査権もなければ、そのような組織による支援も受けられない被告人に対して、「冤罪」 と言ってほしければ、自分で証拠を集めて無実であることを立証してみろ! と言っているのと同じである。 この人、いちおう東大法学部を出ているそうだが、いったいなにを学んだのだろうか。それとも、もうずいぶん昔のことだから、すっかり忘れてしまったのだろうか。とにもかくにも、摩訶不思議な人である。 安倍内閣退陣のさいの最後っ屁のような例の放言以来、アルカイダ発言やらなんやらと、つぎつぎに繰り返される迷言・放言に、今やこの人がなにを言っても、誰も驚かぬという状況のようである。 それはともかく、昨年末に続く今月初めの二度目の死刑執行のさいに思ったのだが、この人は例の 「ベルトコンベヤー」 発言で、お前はたんに死刑執行命令に署名するのがいやなだけなんだろう、みたいなことを言われたのを、相当気にしているのではないだろうか。 内閣交代による、本人自身思ってもいなかったような法相残留以来、前任者を上回るペースで執行命令に署名していることには (昨年末に3名、今年2月に3名)、そのときに受けた批判に対して、オレはチキンなんかじゃないぞー、ということをことさらに誇示するという意識が働いているように思えてしかたがない。追記: いちおう謝罪したらしい。もっとも、あまり謝罪になっているとも思えない。しかし、この人、次はなにを言い出すのだろう。楽しみだと言ったら、いささか不謹慎ではあるが。 鳩山邦夫法相は14日午後の衆院予算委員会で、被告全員の無罪が確定した鹿児島の事件を 「冤罪(えんざい)と呼ぶべきではない」 とした自身の発言について、「今後、冤罪という言葉は公式の場では一切使うまいと思う。被告の方々が不愉快な思いをしたとしたらおわびしなければならない」 と陳謝した。 社民党の保坂展人氏への答弁。 法相発言を巡っては町村信孝官房長官も同日午前の記者会見で 「冤罪である、ないという議論よりも不適切な手法による捜査は是正しなければならないということを強調すべきだ」 と苦言を呈していた。 (14日 23:31) NIKKEI NET:社会ニュース さすがに、官房長官はできが違うようである。 なお、日本国憲法では、次のように規定されている。 第四十条何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。
2008.02.15
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柳田国男の 『山の人生』 の中に、「山に埋もれたる人生あること」 という一節がある。 今では記憶している者が、私のほかには一人もあるまい。三十年あまり前、世間のひどく不景気であった年に、西美濃の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人までまさかりできり殺したことがあった。 女房はとくに死んで、あとには十三になる男の子が一人あった。そこへどうした事情であったか、同じ歳くらいの小娘を貰って来て、山の炭焼小屋で一緒に育てていた。その子たちの名前はもう忘れてしまった。 なんとしても炭は売れず、なんど里に降りても、いつも一合の米も手に入らなかった。最後の日にも空手で戻って来て、飢えきっている小さい者の顔をみるのがつらさに、すっと小屋の奥に入って昼寝をしてしまった。 眼がさめてみると、小屋の口いっぱいに夕日がさしていた。秋の末のことであったという。二人の子供がその日当たりの処にしゃがんで、しきりに何かをしているので、傍へ行ってみたら一生懸命に仕事に使う斧を磨いていた。 おとう、これでわしたちを殺してくれといったそうである。そうして入り口の木材を枕にして、二人ながら仰向けに寝たそうである。それを見るとくらくらして、前後の考えもなく二人の首を打ち落としてしまった。それで自分は死ぬことができなくて、やがて捕らえられて牢に入れられた。 この親爺がもう六十近くなってから、特赦を受けて世の中へ出てきたのである。そうしてそれからどうなったか、すぐにまたわからなくなってしまった。 東京で昨日に起きた事件の報道を聞いて、ついこの話を思い出した。むろん、事件の様態は異なるし、住む人も訪れる人も少ない、さみしい山の中で起きたわけでもないのだが。追記: 報道では、父親が経営していた商店が上手くいっていなかったことが、事件の背景にあるらしい。その限りでは、どこの地方でも、またいつの時代でも起こりうる事件と言っていいだろう。苦境を乗り切るだけの勇気と才覚を持っていなかった父親を責めることは、きわめて簡単なことだ。 どんな苦境にもめげない強い精神や、社会の変化に振り落とされないだけの才覚を持つことは、もちろんいいことだ。だが、そのような人間しか生き残れない社会というものは、どこかが根本的に間違っていると言うべきだ。
2008.02.12
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ひょいと思い出したが、今日は恐れ多くも畏くも 「建国記念日」 であった。調べてみたら、この日が政令で 「建国記念日」 として定められたのは、すでに41年も前のことである。 もっと正確に言うならば、「国民の祝日に関する法律」 で、「建国をしのび、国を愛する心を養う」 日として、「建国記念の日」 なるものが定められたのが42年前であり、その日が当時の佐藤内閣の政令によって2月11日とされたのが翌年、すなわち今から41年前ということである。 いうまでもなく、この日は戦前には 「紀元節」 と呼ばれていた日なのだが、今を去ること2600有余年前に、かの神武天皇すなわちカムヤマトイワレヒコノミコト、別名ハツクニシラススメラミコトが、日向の国の高千穂から始まった東征の末に、奈良の橿原宮で即位したという、由緒あるありがたい日なのである。 「古事記」 によれば、神武天皇という人は、雲の上から矛でどろどろの海をかき混ぜて日本列島を作った、イザナギとイザナミの娘である天照大神の孫として、その命を受けて天より降りてきたニニギノミコトのひ孫なのだそうだ。 また、たった一本の釣り針をめぐって、壮絶な兄弟げんかを繰り広げた山幸彦と海幸彦は、それぞれ神武天皇の祖父と大叔父にあたる。この山幸彦ことホオリノミコトが、海でなくした兄の釣り針を見つけてくれた海神の娘と結婚して生れたのが、神武天皇の父ということになる。 ただ、この兄弟、どう読んでも、天から降りてきた神様の孫というより、ただの海山の狩人としか読めないのだが、それはご愛嬌というものだろう。ちなみに、この祖父である山幸彦ことホオリノミコトは、なんと580歳まで生きたというから驚きである。 なお、神武天皇は137年生きたのだそうだ。旧約聖書の 「創世記」 によれば、箱舟の話で有名なノアは950年も生きたそうだし、神に自分の息子を生贄に差し出せという無理難題を言われたアブラハムは、175年生きたのだそうだ。まさに、両者、甲乙付けがたしというところである。 むろん、神話とか伝説とかいったものはどこの国にも民族にもあり、それはそれでよいのだが、もしも、外国の人に 「建国記念日」 の由来と根拠について尋ねられたら、いったいどのように説明したらいいのだろうか。これは、けっこう難しいだろう。やっぱり、日本は最先端の近代と神話的な古代とが同居した、世界にも珍しいアニミズム国家なのかもしれない。
2008.02.11
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今日は、四方を見渡しても、空に雲がほとんど見当たらないいい天気であった。調べてみたら、ちょうど104年前の今日は、旅順港に配備されていたロシア旅順艦隊に日本海軍が奇襲攻撃をかけて日露戦争が始まった日なのだそうだ。 それからSF作家のジュール・ヴェルヌや、三菱の創始者である岩崎弥太郎の弟 弥之助、おっぺけぺ節の川上音二郎、さらにはなんと、ジェームス・ディーンの生れた日でもあり、逆に、歌人の長塚節や、ロシアの有名な無政府主義者であるクロポトキンが亡くなった日でもあるらしい。 ところで、全国的に注目を集めている岩国市長選に、井原前市長の対立候補として立候補している福田良彦という人は、岩国市議と山口県議を1期ずつ務めたあと、先の小泉郵政選挙で、めでたく衆議院議員に初当選した人なのだそうだ。 別に、福田氏の愛郷心を疑うわけではないが、地方政治から国政への階段を三段跳びのごとくにとんとん拍子に駆け上がってきた人が、いきなり地元にUターンして、わずか人口15万人足らずの市の市長選に立候補するというのは、やはりいささか異常な事態のように思える。 こういう自治体の首長選で、必ずといっていいほどに一方の陣営から持ち出されるのが、「××××には、中央の政府や政治家との太いパイプがあります」 というような宣伝文句である。たしかに、いろんな人脈や関係というものは、ないよりはあった方がいいに決まっている。しかし、いつも思うのだが、そもそもそれって、そんなにおおっぴらに言っていいようなことなのだろうか。 そういう主張を聞くと、なにやらお馬鹿な子供の受験に悩んでいる両親とかに、「奥さん、奥さん、私、あそこの理事長と太いパイプがありまんねん。ここは、ひとつ騙されたつもりで、私に任してくれまへんか」 (なに弁だろう) というようなことを持ちかけて大金をふんだくるといった、不逞の輩の話などを連想してしまうのだが、どんなものだろう。 つまり、自分は中央と太いパイプがあるといったことを選挙で誇示する人は、自分が市長とか知事とかになったら、国や中央の政治家からひいきしてもらえますよ、と言いたいのだろうか。いやいや、いくらなんでもまさかそんなことはあるまい。 「公明正大」 なる国の政府が、かりにも地元の市民や県民の多数から支持された市や県の正当な代表者が、どんな立場を取っており、どこの政党から支持されているかだとか、いわんやその人と個人的に 「太いパイプ」 があるとかないとかによって、差別や贔屓をするはずはまさかないだろう (と思う)。 しかし、たかが一地方都市の市長が国の言うことを聞かないからといって、市庁舎建設の補助金を打ち切るというようなやり方は、いかがなものであろうか。そういうことを国が堂々とやるようでは、大手一流企業による下請けいじめや、流通業界による運送業者いじめ、一部派遣業者による労働者への不当なピンはね行為など、はたして非難できるものなのだろうか。そこのところは、おおいに疑問である。
2008.02.08
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今年はうるう年である。ということは、2月29日生れのひとにとっては、4年に1回のめでたい誕生日がまもなくやってくるわけである。ところで、1年の12の月の中で、2月だけがなぜ28日とか29日みたいに極端に短く、他の月と対等に扱われていないのかというと、そこにはふかーい訳がある。 なんでも、昔々、ローマ帝国の初代皇帝であり、かの英雄カエサルの甥っ子であり養子となったアウグストゥスを讃えて、彼の生れた8月にその名前が付けられたときに、8月が30日しかないのはまずかろうということで、2月から取ってきたのがその理由のひとつなのだそうだ。 おまけにユリウス・カエサルとアウグストゥスの名前がそれぞれ7月と8月についたもので、本来の7月以降の名前が2月ずつ後ろへずらされるというおかしなことになってしまった。きっと、当時の一般庶民の皆様は、ずいぶんと迷惑したことだろう。 もっとも、これはどちらも本人が命じたことではなく、元老院だとか有力な市民だとかが率先してやったことらしい。つまり、いつの世にも、権力者や有力者に媚を売ったり、先回りして手を打ったりして取り入ろうとするような小利口な連中はいるということだ。 さて、世の中にはよく、「そんなことを言っている暇があったら、現実を見ろ!」 なんてことを言う人がいる。たしかに、世の中には 「現実」 を見ていない人というのもいるわけで、こういう言い方もときには有用であり、それなりに意味がないわけではない。だが、その人が言っている 「現実」 とは、いったいなんなのだろう。 たとえば、世界の中では、日々どこかでリンゴやナシが木から落ち、ミミズやカエルが道端でひからび、イヌやネコが毎晩のように草むらで恋をささやいているわけだが、「現実を見ろ!」 と仰っている方は、なにもそのような 「現実」 に目を向けろ、と言っているわけではあるまい。 つまり、その場合にその人が言っている 「現実」 とは、なによりもその人にとって重要であり、その人が重要であると考えている 「現実」 のことなのである。したがって、そこで彼が指摘する現実とは、すでに彼の意識と思考によって、あらかじめ選択され解釈された 「現実」 ということになる。 うーん、なんだか迷路にはまりそう。 それはともかく、人はしばしば本当の困難から逃れるために、なんやかんやの 「現実」 に逃避したりするものである。たとえば、夫婦や親子の間になにかややこしい問題があるときに、「オレには大切な仕事があるのだ!」 などと言って会社に出かけるお父さんは、まさに 「仕事」 という 「現実」 に逃げ込むことで、本当の問題から目を背けているのだろう。 失恋の痛手だとかを忘れるために、勉学とか仕事とかに打ち込むなどというのも、これに少し似ているかもしれない。ただし、この場合はそれはそれで役に立つものだろうが。 同じようなことは、いろんな社会的運動とかについても言える。運動がなんらかの壁にぶつかり、わいわいがやがやの議論になったときに、一部の人らから必ず出てくるのが、「議論より行動だ!」 という言葉である。 しかし、たいていの場合、そのような言葉は、現実に抱えている問題について 「考える」 という、本当の困難から目を背けるための口実にすぎない。そして、言うまでもなく、そのような問題は、伝説のダチョウが砂場に頭を突っ込んで身を隠そうというのと同じように、スケジュールと化した 「活動」 や、定型化した 「思考」 に逃げ込こんだところで存在しなくなるわけでもない。 「現実」 というものは、むろん重要であり大切なものである。だが、困ったことに、「現実に目を向けろ!」 だとか 「議論より行動だ!」 などと言っている人らが、本当に現実を直視し、現実を理解しているとは必ずしも限らないものである。それに、そもそもどんなに正しそうな言葉でも、ただ振り回すだけなら、誰にでもできる簡単なことでもある。
2008.02.05
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