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今日はオットと鍼治療に。私は腰が少し痛くて、オットは先週、肩を痛めました。オットの方は重症で、私はそうではないと思っていたのですが、先生はどちらも重症だと。(苦笑)仰向けに寝た姿勢を見ただけで、重症度がわかるみたいです。体が緩んでいれば、ぺたんとベッドにつくはずの部分が浮いてるから。鍼をうっていただいた後は、体が緩んでほわほわっとして眠くなります。腰は痛みがあったので、悪いという自覚はありましたが、方の方は特別凝っている感じがなかったんです。でも、肩がずいぶん浮いているので、肩の状態も悪いと。鍼をうつ前に、マッサージで筋肉を緩めるのですが、やはり肩も結構硬かったです。凝ってたのね。マッサージだけでもずいぶん緩むんですよ。そのあとで鍼をうってもらうと、もっと緩みます。その状態がずっと続いてくれればいいんですけど、普通の生活をしている間にまた固まってきちゃうのです。腰の鍼は全然痛くなかったのだけど、左肩の鍼は少し痛かった~。先に右肩をうってから、左肩にうったんですけど、「koalaさん、手のひらを上にしてください。この鍼は上でないと無理」と言われ、手のひらの向きなど何も気にしていなかった私は、ホントだ、左の手のひらが上を向いてる~とびっくりして手のひらを上に。そう言われて見てみると、右の手のひらは上に、左は下になってました。左肩が凝ってこわばっているので、リラックスできていれば上に向く手のひらが、下に向いちゃうのだとか。今日はゆるゆるです。(笑)もう寝ます。おやすみなさい~。
January 31, 2015
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シュウトメちゃんはぼろぼろの鏡台を持っているのだけれど、あれは深い思い出の品かどうか、ちょっと探りを入れました。部屋でなく、廊下に放置されていて使われていなかった鏡台ですが。深い思い出は特になくて、義姉の独身時代使っていたのを捨てるのはもったいないと思って使っていたとか。でも、部屋には入らず、廊下にずっと放置されていました。では捨てていいよねと思った私のココロを見透かすように、「わしだって女なんだから、部屋に鏡台ぐらいいるだろう」とおっしゃる。「あれはボロいが、使えんわけじゃない。」今まで使ってなかったじゃないと思ったけど言わずに施設から帰ってきて、後で帰宅したオットに報告。オットは「女なんだから、だとぉ~!」とそこに反応。可愛い発言じゃないの。オトコにはわからんか、この可愛さ。ババァは女じゃないと思ってるでしょ、オットよ。ついでにオバサンも女じゃないと思ってるでしょ。ふん!(爆)私はシュウトメちゃんの弁護をしましたよ。「そこは大事なんだよ。呆けないためにも。」でも付け加えて言いました。でも、思い出がないなら、あの大きな鏡台は邪魔だよね。部屋のすぐ前が洗面所だし、部屋にも鏡はあるし、それじゃダメかな。」「そうだよ。洗面所までバリアフリーで車椅子ですぐ行けるようにしてくれって言うから、両方のドア替えて、廊下も高くしてバリアフリーにするんじゃないか。トイレにも鏡を付ければいいよ。鏡台はいらんな。」---------------------------------------シュウトメちゃんとのことを振り返って考えると、無茶な人、ひどい人だとずっと思ってきたけれど、シュウトメちゃんはシュウトメちゃんなりに一生懸命生きてきただけ。私とは違う経験を重ね、違う視点で一生懸命生きてきただけ。それを私の視点から見ると、無茶な人、ひどい人に見えただけ。私は私の視点から、シュウトメちゃんの言葉が暴言に思えたし、命令される立場じゃないと思ったので、不満を表明しただけ。義姉たちについても、心の中で非難してきました。シュウトメちゃんの面倒を見るのは嫁の仕事なのに嫁が至らないから、始終シュウトメちゃんの愚痴電話に悩まされたとか、一切迷惑をかけるなとか、会いに来るのは大変だなどという発言を聞くたびに、何を言ってると不満一杯でした。義姉たちは、それぞれ私と全く違う経験をしてきた中で、母親と係ることが大変すぎて嫌だという立場で、自分たちの視点から、もっともと思える発言をしただけです。私への非難もあるので、頭にくるのは凡人の私には仕方ないですが、「娘なんだから母親にそんなことを言うべきでない」などの感想は、ホント、余計なお世話ですよね。自分だって「べき」という押し付けにうんざりしてきたのに、義姉に対して「べき」を使ってるじゃないの~と思いました。---------------------------------------あの頃、そう思えたら、あんなに苦しむ必要はなかったのだけれど、それが理解できるようになるためには、あの苦しみも必要だったわけで、究極のところ、「これでいいのだ」ということなんでしょうね。私がにこやかに「これでいいのだ」と言い切れる背景には、当のシュウトメちゃんが今はもちろん、まだ当分施設にいて、私はそういう意味でストレスないから、お気楽な立場で言えるんです。短期間でも帰ってきたら、「これはいやなのだ」と言います、きっと。(笑)義姉たちにお説教されても同様です。物事は、どんな立場で、どんな視点で見るかで、全然違って見えますね。な~んてコーヒー飲みながらお気楽ばブログを書いていられる今のお気楽な環境に大感謝。(爆)
January 30, 2015
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昨日はショック~という気持ちで日記を書きましたが、1日経って、落ち着いております。シュウトメちゃんの施設からの帰宅日はまだ決まっていないですし、本人の希望で決めるという話になっているので、間に合わないということは起きません。最初は2月後半で大丈夫だろうというお話でしたし、前回の打ち合わせ時に、もう職場に2月の勤務について希望を出す期限で2月のいつから休みを取るかわからないと困ると言いましたところ、後半で休みの申請をとのことでしたので、24日から休暇申請していました。今日、出勤した際に、その休暇申請は取り消してきます。シフト担当の方を悩ませて申し訳なかったけれど、工事日程は未定で変動があると申し出た際、後から欠勤になるのは困る、後から出勤になるのはかまわないと言われていました。2月に長い休みを取る必要はなくなりました。仕事についても、工事中は休むつもりになっていましたが、1日3~4時間勤務という形にしていただいて、仕事しようかなと。日曜日は工事は休みなので、普通に働けますが。午前中在宅すれば、何か連絡事項などあっても対処できますし、基本は午後6時までの仕事で、仕事の段取りで多少前後するので、例えば5時まで仕事で、5時半までに帰宅すれば問題ないはず。貴重品は、お互いの精神衛生のため、離れの方に置いておけばいいです。工事代金は私の年収に換算すると、4年強ほどかかるので、考えようによっては工事開始が遅くなったことで、私の気持ちが変わって、工事期間にも少し働く気になりました。たくさん貯金を切り崩すことになるので、少しでも働いて足しにした方が、koala家の経済状況にはいいので、結果オーライだったかも。何しろ、自分たちの部屋のリフォームやインテリアにお金を使ったばかりだし、今回シュウトメちゃんが車椅子で暮らすことになった!という急な事態での急な出費。正直なところ、痛いです。今年の5月にオットが55歳で役職定年というのを迎えるので、実は少々リッチなお疲れ様旅行など企画していました。そういう事情って、休みを取りやすいんですよ。でも、そんなのも予算的に、無理になっちゃった~って思ってました。工事中に、貧乏旅行なら行けるくらいのお金を稼いだ方がいいかもね。(笑)
January 29, 2015
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シーリングライト LED電球対応 スポット照明 プルスイッチ ナチュラル 照明 北欧 おしゃれ 白熱...価格:2,990円(税込、送料込)この灯り、お洒落でいいな~と思うのです。通常13990円が今だけ2990円でLED対応。でも、シュウトメちゃんの部屋にはあまりに不似合いなので買えません。2灯だったら、廊下に買いたいですが、4灯あるので、廊下には明るすぎ。プルタイプにすれば2灯になるけれど、廊下にプルタイプは変。残念だ~。送料無料 4灯 ペンダントランプ 吊 天井照明 おしゃれ 照明 インテリア照明 間接照明 リビング ...価格:2,990円(税込、送料込)こちらは通常15990円が2990円。これは可愛い鳥もつけられるんですよ。好みなんだけど、シュウトメちゃんの部屋には・・・以下同文。でも、貧乏性なので、これ好きな人、お買い得よ~!と言いたくなって投稿。たまたまこれを照明の欲しい人が見て即決する可能性は限りなく低いけど・・・。
January 28, 2015
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前に「これでいいのだ」という日記を書いた際に、飯田史彦さんの「これでいいのだ」という本を見つけたのでポチしたと書きました。その本の前書きに、昨日の日記の「欠け」通じるところを感じたので、ここに書かせていただくことにします。---------------------------------はじめに ~読んでいただきたい人、いただきたくない人世の中には「これでいいのだ」と思うことのできる人々と、「これではいけない」と思ってしまう人々がいます。もちろん、人生のあらゆることについて、その全てを「これでいいのだ」の一言で済ませるわけにはいきませんから、私たちの生活は「これでいいのか?」という疑問の数々で満ちているものです。しかし、私の長年にわたるカウンセリング経験に基づけば、少なくとも、次のように指摘することができるでしょう・・・・「最も悩み苦しむ人生を送るのは、何事においても、『これでいいのだ』と思うことのできない人々である」と。ところが、私の見るところ、世の中では「これではいけない」と自己変革していただきたい困った方々ほど、「これでいいのだ」と自己満足なさっており逆に、「これでいいのだ」と自己肯定して楽になっていただきたい素晴らしい方々ほど、「これではいかん」と悩み苦しんでいらっしゃるのです。ああ、なんと、皮肉な現象なのでしょうか。しかも、私のもとに相談においで下さる方々の多くは、その真面目さゆえに、世の中にはびこっている「自己変革の人生論」をむさぶり読み、「今のままの自分のままではいかん、何とかして変わらなければ!」と自己否定することで、ますます、「悩みごとの底なし沼」にはまってしまわれているのです。そのような悲惨な状況の方々を、ぜひとも、「悩みごとの底なし沼」から救い出して差し上げたいと願って、本書が生まれました。そのため、本書は「これでいいのだ」と自己肯定して、もっと楽になっていただきたい素晴らしい方々にこそ、ぜひともお読みいただきたい内容です。したがって、逆に、「これではいけない」と自己変革していただきたい困った方々は、決してお読みになりませんよう、重々お願い申し上げます。(笑)引用はここまでです。---------------------------------言葉は生き物で、どんな人にもぴったりする真理の言葉などないといつも賢者テラさんが書かれています。これは「これが普遍的な真実の言葉」という罠に読者が落ちないためと思いますが、飯田史彦さんのこの前書きも、同様の意図で書かれたものだと思います。「今の自分は×でなく○」「これでいいのだ」というのは、「そのままで何も努力しなくていい」とイコールではないんですよね。他者重視の視点は不要ですが、、自分が良ければいいわけではありません。自分は○!正しい!以上!の人には、「これでいいのだ」は向かないんです。(↑この言葉、日記の後半に出てきます。)「これでいいのか?」という内省の言葉が向くのでしょう。人それぞれ、いろんな環境で育ち、いろんな経験をして、今に至っています。いろいろな智慧のある言葉の中にも、今の自分に必要な言葉は人それぞれ。極端に走れば、「欠けがあるから生きている値打ちがない」とまでいってしまう感覚、そこでいう「欠け」は幻ですからね、問題があるように見える状態が起きる、波乱万丈に見える、それ自体が人生が順調な証で欠けではなく○ですからね、幻に騙されないで、他者との比較でへとへとにならないで、さてこの人生で、自分はどうしたい?何を選択したい?この思いにエネルギーを注ぐか、人からどう見えるかにエネルギーを注ぐか、あなたはどちらを選択しますか?後者でしょ?それを始めるのは今でしょ?他者との比較視点から、自分視点にシフトしましょうよ、という話だと思うんです。今の自分は○。この欠けのない私というしっかりした土台の上に私が建てたい家はどんな家?育てたい気はどんな木?咲かせたい花はどんな花?底なしの穴を埋めるんじゃなくて、土台の上に何か作ろうよということだと思います。○だからずっと昼寝でもして楽してていいよということじゃなくて。もちろん昼寝が必要な時は必要なだけ昼寝していいんですが。土台の環境にケチ付けないのも大事かと・・・。雪の降る寒い土地には、モルティブの水上リゾートコテージは不向きだし、寒さに弱い木や花は枯れてしまうので、環境にあったものがいいんです。その環境でできることがあるから、私たちはその環境に生まれたのでしょう。まあ、ついないものねだりの気持ちもわきますけど、こういう願望があるんだな、私~って気が付くのも面白いですよね。ないものねだりして「欠けてる!」って被害者にならなければいいかなって思います。---------------------------------前書きにある「『これではいけない』と自己変革していただきたい困った方々」これ、私は他人事には思えませんでした。私は自分の「世の中を見るメガネ」を通して世界を見ているのですが、基本的に「自分は正しい」という前提で見ています。シュウトメちゃんや義姉などが、そのメガネから見て「とんでもない」と見える言動をすると、「自分は正しい」という思いは強化されていったように思います。目の前で見ている事柄が、シュウトメちゃん、あるいは義姉と、同じものと思っていたから。でも、みんなメガネが違うんです。同じものを同じように見ているようでいて、実は違うのでありました。違う風に見えていたんだ!と言うことに気が付くと、「自分は正しい、シュウトメちゃん(あるいは義姉)は間違っている」その思いも違っていたんだと気が付きました。みんな、自分のメガネで見えものにふさわしい反応をしているだけでした。自分のメガネで見えることだけが真実だという思い込み。これはまだまだ私の中にたくさんありそうな気がします。自分は○!正しい!以上!の人って、私自身でもありました。自分は○、でも相手は×めちゃくちゃ傲慢なことですよね。(苦笑)「『これではいけない』と自己変革していただきたい困った方々」それは実は私自身でもありました。
January 27, 2015
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昨日は浜名湖でスピリチュアルなコラボライブがありました。賢者テラさんと堀木綿子さんのコラボ。お二人とも好きなので、同じくお二人が好きな友人と一緒に。コラボライブは1時からでしたので、友人とカフェでランチしました。ここは最寄り駅から会場に向かう途中にあるカフェなのですが、とっても美味しいランチがいただけるんです。場所は堀木綿子さんのご自宅にある風のサロン。目の前は穏やかな浜名湖です。帰りにサロンの前の道から撮影した浜名湖の画像はこちら。ピントが甘くてごめんなさい。いつでも目の前に、水平線と遮るもののない空が広がってるのって素敵じゃない?私の今の住処では無理ですが、たまにこういう景色に見とれるのは必要ね~。今の住処には今の住処なりの、素敵な景色があるので、すみれがきれいに咲いている、光が気持ちいいとそれを味わうのも大事だけど、昔から、水平線や水面に映る景色を見るのが大好きで、昨日も嬉しかったです。------------------------------------------------昨日のお話で一番印象的だったのは「欠け」の話でした。「今の自分は欠けがあるので、それを直して将来は欠けのない自分にしたい」そういう発想はもうやめませんか?という話がありました。自分には欠けがある。欠けがない状態が本当の自分。だから一生懸命その欠けを埋めないといけない。これは全部勘違い、思い込みですから!ここまでは驚きません。しかし、その「欠け」に思える穴ぼこは、底なしなんですって!いや、いい話を聞きました。この話だけでも来た甲斐ががあったというもの。私がテラさんやゆっこさんの話を聞くのが大好きなのは、自分にない視点の話が聞ける新鮮な驚きがあるからなんです。このお二人、死後の話とか霊の話なんてしません。生きてる今が大事、鼻から息をしてれば勝ち組、って言います。欠けに思える穴ぼこが底なしだったら、今の自分は×で、頑張って穴を埋めて将来○になる という図式は・・・そう、○になる日は永遠に来ないんです。だって底なしなんだもの。今の自分は○で、ここをこうしたら◎になるな~というのがお勧めとのこと。今の自分が○というのは、自己肯定できるということです。でも・・だって・・・という言葉が続くのは「欠け」があると思ってるから。でもね、欠けって、本当はないですから。------------------------------------------------地面があって、そこに欠けに思われる穴があると感じます。それは自分の直すべき欠点の穴。それが気になって仕方のない人は、穴ばかり見つけてしまいます。そもそも「欠け」という思い込みは、人との比較から生まれます。○○さんに比べて、自分は~が出来ない、というのが欠け。そういう風に自分を鞭打つ人は、人の欠けも気になります。○○さんって~だよね~という非難を始終していたりします。誰かと比較して上か下か。そういう視点が優先しています。「本当は欠けていないんだよ」というのを出発点にできたらどうでしょう?思い込みの穴(欠けている部分)に意識を向けるのではなくて、欠けていないしっかりした地面に何を積み上げようと思えたら、欠けばかり見ている人生より、格段に生き甲斐がありそうじゃないですか。------------------------------------------------誰かと比べて上か下かなんて、もうどうでもいいじゃない。他者優先の視点をやめて、自分はどうしたい?と自分優先に考えよう。一見、欠けの穴に見えるものがない現実世界って、そもそもありえないし。社会の中で生きるというのは、特に職場で、正社員でとなると、他者との比較で成り立っている部分が大きいです。特に現代は、スピード社会。物事をパッと把握できて、効率的に、正確に動ける人材が使える人。たくさんの仕事を同時進行的に片づけていかなくてはいけないから、優先順位がすぐつけられない人が役立たず。こういう社会に生きていながら、他者との比較をやめてみようとか、本当は欠けなんてないから、とらわれなくていいとか言ってみても、なかなか難しいのも事実だとは思います。現代の社会のニーズに合うキャラでないと辛い思いをしやすいでしょう。だからこそ、そういう視点が必要なのだとも思います。このスピード社会、効率の悪いものは切り捨てがちな社会に合っていない自分は「欠け」ていて、社会に合わせていくことが「欠け」を埋めることになるのなら、その「欠け」は底なし穴だと知っていないと怖いよ、と思います。------------------------------------------------テラさんはあるとき、ブログにこんなことを書いたそうです。生きていてもみじめだからと今思っていたとしても、今までがこうだったから、これから先もこうとは限らない。生きていたら、突然、すごい変化が起こるかもしれない。こんな風に書いた直後に、本当に大変化が起きて、例えば講演をしてみませんか、個人セッションしませんかなどと言われ、自分にはそんなことは無理だというような思いがわいたけれど、そういえば、「今までがこうだったから、これから先もこうとは限らない。」と自分で書いたばかりだっけ、と思われて引き受けたそうです。そして現在に至ると。(笑)このコラボライブ、18名限定のアットホームな雰囲気の中で自己紹介しあったり、質問が飛び交ったりして、本当に面白く、中身の濃い時間で楽しかったです。午後1時から夕方までのコースと、夕食も一緒に頂いて、夜9時までのコースがありまして、私も友人も9時まで粘りました。夕食はとてもおいしい鰻をいただきましたが、画像はありません。浜松の鰻はやはりレベル高いです。でもこの美味しい鰻屋さんは、このあたりで2番目に美味しい所で、1番のお店は4時間待ちも珍しくないような人気店なのだとか。美味しくいただいて、風のサロンに戻って、コーヒーを頂きながら夜9時までお話を聞いて帰宅しました。9時15分に最寄駅の電車に乗って、2回乗り換えして。楽しい時間に感謝です。
January 26, 2015
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転載記事です。たまたま読んで、本当のその通り!と思ったので転載しました。安倍首相の年頭所感を読んで、なぜだかとても不安になった。「なせば成る」などという言葉を持ち出し、「日本を、再び、世界の中心で輝く国としていく」という決意で締めくくっている。でもって、安倍さんがいう日本が世界で輝いていた時代の説明が、戦後の高度成長期。少子高齢化で人口がどんどん減っていっているのにぃ?この国の偉い人たちは、口を開けば、経済、経済、っていう。それってさ、この国がふたたび焼け野原になっても、大多数の国民が犠牲になってもってことなのかしら。戦争が起これば一部の企業、一部の人たちは儲かるしな。それは今の経済戦争においてもだ。一部の人間は儲かるが、その他大勢は低賃金労働を強いられることになるだけだ。まだみんなは信じるのか。いつまで信じるのか。安倍さんやそのお友達、御用学者や御用エコノミストのいう話を。一部の上の人間(大企業など)が儲ければ、次第に下(庶民)の懐具合まで良くなるって話だよ。違うんじゃないか。一部の上にいる人間の安定した生活を維持するため、多数の下の人間の犠牲が必要なんじゃないか。今がそうなのに、これから先、変わるなんてことがあるんだろうか。「なせば成る」ってかけ声で、うちらにどこまでも頑張れって?まあ、去年の年末の選挙結果を見れば、まだみんな信じたいみたいだし、まだ騙されていたいようだ。けど、この話はどうなの?元日の東京新聞に書いてあった、「武器購入国に資金援助 途上国向け制度検討」という記事。「防衛省が、日本の防衛関連企業から武器を購入した開発途上国などを対象とした援助制度の創設を検討していることが分かった。武器購入資金を低金利で貸し出すほか、政府自ら武器を買い取り、相手国に贈与する案も出ている。政府開発援助(ODA)とは別の枠組みとする方針だ」というもの。日本の兵器メーカーは儲かるわな。安倍さんとそのお友達からすれば、上が儲ければ下にも波及する、人を殺すための武器で儲けても、このことは正義って話になるのか。けれど、先に書いたように、あたしはそんな風にならないと思う。いいや、違う。あたしがいいたいのはそんなことじゃなかった。一部の上にいる人間(日本)の安定した生活を維持するため、多数の下の人間(開発途上国)が犠牲となってもいいのだろうか、ということ。途上国が金をかけなきゃならないのは、武器なんかじゃない。途上国を本気で支援したいなら、胸を張って誇れるほかの日本の技術力にすればいい。その国の国民生活が豊かになるようなものだ。結局、儲かればなんでもアリかい。恥ずかしい。あたしは。※週刊朝日 2015年1月23日号 転載元 転載元: 北海道は素敵です!!
January 24, 2015
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昨日は仕事はお休みで、友人とランチ、その後喫茶店に行きました。ランチの画像はないの~。残念。メインとご飯が選べるシステムで、私はお魚のあら煮と牡蠣の佃煮ごはん、友人はお刺身の盛り合わせと高菜ごはんを選びました。喫茶店の画像はあります。入店時は空いていました。素敵なコーヒーカップがたくさん並んでいました。和の小物も。販売しているのもしていないものもあって、素敵でした。コーヒーが鉄瓶で出てきてびっくり。白玉団子の黒蜜・きなこ添えをオーダーしました。コーヒーも白玉団子もとても美味しかったです。和のインテリアがしっくりとして、落ち着いた空間を作っています。昨日おしゃべりした友人は、介護施設で働いています。直接、入所者さんを介護する人ではありません。知り合ったのは昨年で、普段はメールでおしゃべりしています。彼女のスピ好きは周囲に内緒なので、ご紹介はこのくらいで。私も実は周囲には内緒なんですけどね、こんな怪しいブログ(爆)になるとは思っていなかった頃、そこそこ詳しい個人情報を書いちゃっていますから、今更って感じ。おしゃべりしていて感じたのは、この人と出会ったのは、同じ人生のお題を持っているから引き寄せ会ったのかなということ。おっちょこちょい誠実でありたいと一生懸命になるタイプ断定的なものの見方をする人に攻撃されやすい相手にコンプレックスを抱かせる発言など厳禁だと思っているこんな共通項をあげてみましたが、彼女は職場の人間関係がごちゃごちゃしていて悩んでいます。職場に限定すると、これまた私たちは似ています。------------------------------------------お客様(施設では利用者様)の利益を第一に、誠実で 一生懸命でありたい考えたいと思っているそのポリシーは強く持っているので、そこで感覚の食い違う人と お互いに違和感を感じつつ、穏便にやっていきたいと思っている 価値観が違うので、その点で言い争っても無駄と思っているお客様はどう思うかという視点はあるのだけれど、 ポリシーの違う仕事仲間、特に権威的性格の人の目に 自分がどう映っているかという視点が普段欠落している、あるいは わかっていても、そちらを優先する気持ちになれなくて睨まれやすいおっちょこちょいなので、仕事のできる切れ者というイメージはない優等生にはなれない、でも性格のいい人でいたい文句を言うことや怒ることがほとんどなく、この人は 気を遣わなくていい相手という認識をされやすい------------------------------------------さて、どんな人物像が浮かびますか?(笑)「優等生にはなれない、でも性格のいい人でいたい」私、この部分に最近引っかかっているんですよ。今まで、自分はそういうキャラだと思ってきたので、問題には感じなかったのですが。この点が引っかかり始めて、出会った友人が同じタイプって、もしかしたら、大事な意味があるのかもと思いました。------------------------------------------この件については自分の考えもまだ煮詰まっていないのですが、性格のいい人でいたい自分って何だろう?と最近思います。例えば、ジャイアンは相変わらず自信満々で、失礼なことを言います。私にだけではなくて、気に入らない人の悪口ばかり言っています。(ジャイアンはいつも、自分より相手はここがダメ、と決めつけて批判して、それで自分は立派だという安心感を持ちたい人なので、その発言はおかしいなどと言おうものなら、自分の立派さの証明のために、猛反撃してくるのを私は知っている、だからそんな面倒なことはしたくない)私は、昔は何度か言い返したりしたのですが、後で10倍返しされるので、上のように思って、今はなるべく関わらないようにしています。でも考えたら、「同じ土俵に立ちなくない」という私の感覚も、「自分より相手はここがダメ、と決めつけて批判して、それで自分は立派だという安心感を持ちたい人」の感覚じゃないの?失礼なことを言われたら、大事な自分のために、そういう言い方は失礼ですとちゃんと自分をかばったら?と最近思うようになったんですよ。しかし、そう思い始めてから、特にジャイアンとの関わりが薄れ、特に試すこともないんですけどね。------------------------------------------友人が、ジャイアン的性格の職場の人に、普段は言い返さないのにこの間怒って言い返したところ、周囲の人に、「○○さんでも怒るんだ」と言われたという経験を話してくれました。この話を聞いて、そうか!と思い当りました。何を言われても怒らない人っていうのは、自分を守ることに毅然としていない人なのかもって。毅然って、私に欠けてる、と思いました。------------------------------------------友人が「koalaさん、ちょっと手を見せて」と私の手を取って、「あ、やっぱり。神秘の十字線と仏の眼が両手にある!」と言いました。彼女も両手にあるそうです。知能線と感情線の間に十字架のようなクロスの線があり、その線の両端が、知能線と感情線にくっついていれば神秘の十字線らしいです。帰宅したオットの手を見たら、左手に神秘の十字線がありましたが、右手のクロスは3つは知能線・感情線にくっついていたけれど、残り1つはくっついていなかったので、神秘の十字線ではなかったです。でも、片方でもご先祖のご加護を受けていることに変わりないみたいです。神秘の十字線があると、ご先祖様のご加護を受けやすいらしいです。その代り親の面倒をみることになるという運命らしい。信仰心に篤く、スピリチュアルなことに興味を持ちやすいとか。オットは父親が高校生の時亡くなったので、面倒は見ていません。母親はシュウトメちゃん。面倒を見る運命になってます。ということで片手にだけあるのかな?勝手な解釈に過ぎませんが、「おばあちゃんの面倒を見るって手相に出てるんだからね。ご先祖ざまが頼んだぞって、あなたを守ってくれてるんだからね」と私の勝手な解釈を押し付けておきました。(笑)仏の眼が両手にある人は、霊感、感受性が高くて素直だとか。霊感はないけど、他は全部当たってますね。オットには仏の眼はありませんでした。そう、あんまり素直じゃないかもね、この人。でも男性があまり素直だと社会で苦労するからちょうどいいかも。ネットで調べたら、仏の眼が親指にあって、小指が人差し指の第一関節より長い人は、人の気持ちを察するのに長けているとか。私、小指が少し長いですが、自分に似た感性の人の気持ちは察しますが、違う人はそうでもない気がしてます。手相って、教えてもらったときはふうん、と感心するのですが、すぐ忘れちゃうので、ちょっとメモ的にここに書きました。
January 23, 2015
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今日は出勤前に工務店さんとの打ち合わせがありました。大体のリフォーム内容は決まり、お値段もわかりましたが、トイレにつける補助器具が決まっていません。車椅子で入れるように、1坪サイズのトイレにリフォームします。車椅子から便座、またその逆の移動をするのに、最適な補助器具はどういうものか。今、入所している施設の部屋のトイレが最適なのかも。工務店さんが持ってきてくださったイメージ画像はシュウトメちゃんには最適とは言えませんでした。考えたら、工務店の方とシュウトメちゃんって、一度も会っていないんですよね。左半身が不自由です、という言葉だけの情報だとピンと来ないのも無理ないかも。今度シュウトメちゃんの施設に行ったら、トイレを撮影させていただこうかな。実はシュウトメちゃん、現在インフルエンザにかかっています。月曜日に施設から電話連絡がありました。熱が出てすぐ検査して、タミフルの処方が始まったこともあり、そんなに苦しんではいませんが、インフルエンザ同士のお部屋に移動です。土曜日に、私は忙しかったので、長女に施設訪問を頼みました。洗濯物ももちろんですが、シュウトメちゃんはお煎餅と飴が必須なので、それを渡してもらいたかったのです。シュウトメちゃんも長女も、インフルエンザの予防接種は受けていますが、あれって、受けていてもかかるのですよね。うつっていないといいけど。潜伏期間は通常1~2日、遅くて4~5日、最長1週間とのこと。今週中に発症しなければシュウトメちゃんからはうつらなかったとなりますが、流行っていますからね。皆さんもご注意を。
January 21, 2015
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今日はお天気がいい割には寒かったです。自転車通勤もすっかり板についたワタクシ、頭には帽子、首にはストール、ダウンジャケットはロングタイプ、膝から下にはゴルフ用のレッグウォーマー、手には手袋という完全防備スタイルで自転車をこいでおります。まあ、仕事開始は13時なので、行きはここまで必要ないです。帰りは18時までなので、このくらい必要です。道も行きは登り坂、帰りは下り坂。登り坂はそこそこ長いので、運動量が帰り道よりアップして、暖房の効いた更衣室に行くと、ちょっと暑いなと思うくらいです。でも、仕事を終えて家に帰るのが登り坂というのはきついので、これでちょうどいいですね。自転車通勤では、冬の寒さはまだ夏の暑さよりましだと思います。夏は汗が困るのよね~。職場でたまに「自転車なんだよね!寒いのに~。よく頑張るね」と言われることがあります。でも、駐車場まで10分歩くのより、自転車で15分こいだ方がうんと楽。私も、駐車場が遠くなるまでは、自転車通勤なんて考えもしませんでしたが、実際にやってみると、そんなに大変ではなく、運動にもなるし、帰りに寄り道してお金を使うこともなく、節約になるし、なかなかいいぞ、自転車通勤、と思ってます。雨以外はね。(笑)雨の日は車で行きますよ。
January 20, 2015
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昨日の日記で、死って何だろうと書きました。日記を書いた後も、この世とあの世って何だろうという思いが長いこと心の中に残っていました。そんな私の頭をよぎったのは、天才バカボンの歌でした。西から昇ったお日さまが東へ沈む(あっ たいへん)これでいいのだ これでいいのだボン ボン バカボン バカボンボン天才一家だ バカボンボン-----------------------------------付け加え意訳を書いてみようかという気持ちになったので書きます。太陽が西からのぼり、東に沈むのと同じくらい、ありえないことが起きて 辛い気持ちになったとしても衝撃を受けて 大変だと取り乱したとしてもいつか 落ち着く時期がくるそんな時には これでいいのだと呟いてみようこの世には起きることが起きてくるこの世はその起きてくることを味わう世界だそのことで 苦しみが湧き上がってきたら苦しみを悲しみが湧き上がってきたら悲しみを自分の経験として きちんと味わう世界だこれでいいのだ これでいいのだ優しくささやく声が聞こえるこれでいいのだ これでいいのだなぜそのようなことが起きてきたのか理由などわからなくてもいい これでいいのだ-------------------------------------怪しさ、天下一品?「これでいいのだ」で検索したら、なんと飯田史彦さんがこのタイトルで本を出しているのがわかりました。何かのご縁かとポチしました。飯田史彦さん、昔は好きでよく読んだっけ。最後に読んだのは確かのこの本。本の到着を楽しみにしています。
January 19, 2015
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昨日は、午前中にシュウトメちゃんの部屋の片づけを頑張って、午後には資源ごみ置き場に、ごみを搬入。シュウトメちゃんの古着は、ここに持って行くとウエスとして再生されるはず。捨てちゃってごめんね、ウエスになってまた役に立ってくださいと心の中で言いながら、古着入れ場に。ダンボールも、空き缶も、それぞれ再生していただきましょう。シュウトメちゃんは昔の人なので、ダンボールに服を、お菓子の空き缶などに紙類を保存していました。亡くなった実母も昔、こんな保存をしていたなと思い出しました。--------------------------------------------------疲れたので、ダメモトで、アロマオイルマッサージの予約電話を入れると、午後4時半なら大丈夫とのことで、お願いしました。今月は愛猫フクちゃんが死んでしまったショックもあって、ペットの話でも盛り上がったアロマの先生のところは、何だか行けなくなっていたのだけれど。大福ちゃん、元気?と聞かれる前に、実は大福が急に死んでしまったのとカミングアウト。先生も豆柴犬を飼っていて、その前のわんこを亡くしているので、あの時は辛かった・・・koalaさん、淋しいね、などと話していましたが、先生は2週間前、義姉を亡くされて、ご主人のご実家に帰ったとか。九州なんですが、そこで会った親戚に、先生と仲の良かった友人が亡くなったらしいという話を聞いたのでした。友人は1歳違うので、同窓ではなく、20年前にご主人とともにアメリカに行き、日本には10年前に1度来ただけで、後は電話だったとか。先生にも最近まで、たまに電話がかかってきておしゃべりしていて、最近電話こないなって思っていたそうです。ただ、その話は、親戚が東京で聞いた話を、先生が九州で聞いたまた聞きで、そのお友達のご実家に電話して確認するのがいいですし、その通りなら、ご訪問してお悔やみを言いたいところです。しかし、今回の帰省は、義姉さんのお葬式で、ご主人の仕事もあるので、1泊で帰らなければいけない強行軍だったので、それは無理でした。義姉さんは、ずいぶん前から病気で重篤な状態でしたので、心の準備はできていたそうですが、やはりショックはあって、その上、若いころ親友だった、その後も電話であっても関係が続いていた友人が死んだらしい、詳細はわからないという情報で、ショックを受けたまま、こちらに帰ってきたそうです。--------------------------------------------------死って何だろうねという話になりました。生きている間は姿が見られた、声が聴けた、触ることだってできた、肉体が壊れてしまうと、ふいにそうした交流が持てなくなってしまう。先生もわたしも、死は終わりではないと思っているのですが、大好きで、交流を持ちたい相手があの世に逝ってしまうことは、やはり出来たら受け入れたくない辛いことなのでありました。受け入れたくないという願いは叶わないとわかっているので、亡くなった魂が安らいでいることを心から祈るだけです。--------------------------------------------------唐突ですが、毎晩、長い長い夢を見ている感覚があります。朝起きた時には、ストーリーさえほとんど覚えていません。昔は朝起きてすぐには、そこそこストーリーを覚えていたのですが、今はほんの少しの映像を覚えているだけ。昨夜の夢では、たとえば、高い天井の広い建物の中に、インド更紗のような布がいくつも垂れ下がっている場面(とてもきれい!)とか、仕事で印鑑を押すのですが、その名前は私の名前ではなくて、朱肉は白くて、白い紙の黒い部分にその印鑑を押す場面とか。毎晩、多分長い夢を見ているのですが、ぐっすり眠れた感覚があって、心身の疲れは睡眠でほぐれていると思えます。ふいに、あの世に遊びに行ってるのかも?という妄想が起きました。昨日のアロマオイルマッサージの先生との会話の影響でしょう。妄想でもいい、何だかこの発想が私を励ましてくれました。怪しい締めくくりの日記を終わります。さて、気持ちを切り替えて、仕事に行く準備をそろそろします。
January 18, 2015
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シュウトメちゃんの物を整理していて、一番怖いと思うのは、「これは絶対に着ないから、捨てる」と分類したものが、実は、私が嫁いで来る前、うんと若い頃の義姉たちからの、母の日や誕生日のプレゼントだったりしたらという想像。うんと若いころって、母親の世代が抵抗なく着るものより、このくらい若々しいのを着てもいいんじゃない?とセンスがいいつもりで、ニーズにちょっと合わない服を、プレゼントするって、ありそうじゃないですか。実は私にはそういうことがありました。母はそれを、とりあえず「ありがとう」って受け取ります。1回か2回、私に見えるように着てくれます。でも実は「こんなの若作りで恥ずかしいわ」とでも思ったのか、そのままタンスの肥やしに。でも、娘の気持ちは嬉しいから捨てたくないのでずっとタンスに。母の亡くなった後、そういう服をいくつか見つけました。シュウトメちゃんがそういう思いで保管してあった服を何もわからない私が、「これは捨てるもの」と判断して、資源ごみ置き場に搬入する・・・というのを想像すると、実は不安で気持ちが悪くなってきます。私が嫁いできてからは、シュウトメちゃんは、義姉に服はもらっていませんでした。靴下とか、小さなプリザーブドフラワーなどもらっていました。でも、結婚して子供ができると、主婦ってケチになるじゃないですか。ケチになってからあげていなかったからと言って、OL時代にあげていなかったとは限らないって思うと・・・。オットに聞いてみましたが、想像通り、聞くだけ無駄でした。姉が母の日や誕生日にシュウトメちゃんに何をプレゼントしたかなんて全然記憶にないし、プレゼントしたかどうかも知らないそうです。普通は女の子は送るよ~と言ったんですが、「知らん」と。私自身は服をプレゼントしたことはあるけれど、服をプレゼントされたことはありません。それがちょっと心の救いで、義姉たちもそうだったかもと思えます。娘からのプレゼントは、琉球ガラスのペアグラスとか、ランチョンマットをペアでとか、なぜか母の誕生日にオットとペアの物をくれることが多いです。「リフォームするから、もし捨てられたくないものがあったら言ってくれってこっちとしてははっきり言ったんだし、それで任せると言ったんだから、そんな心配しなくてもいいよ」と言うんですが、それは理屈でしょ~。義姉たちに、この選別作業のチェックをお願いすることは、現実問題として難しい、しない方がいいと、夫婦で話し合って決めたのですが、それはベストな選択だったかと思い始めると、やはり心は揺れるのでした。誠心誠意頼んで、少しの時間だけでもチェックしてもらった方が・・・と揺れる心がささやくのです。そのささやきは、ごくんと飲み込んでしまうのですが。服が特に心配というのも、おかしなものかもしれません。他の物も充分心配ですよね。プレゼントっぽい品物ってあるじゃないですか。壊れた時計とか、そういうのは捨てていません。バッグも山のようにありますが、いい品物ではなくても、プレゼントしそうな感じですよね、バッグって。だから変形したようなバッグも、チェックしてもらう品物に入れてあります。でも、そういえば、カビの生えてたバッグは捨ててしまいました。カビってうつるからと思ったので・・・でももしかしてプレゼントだった・・?そういうことを考え始めると、自分の物じゃないので、本当にわからなくなって、手が止まりがちになってしまいます。あれはどこにやった?と言う言葉は、過去の経験から、絶対に避けられないのです。特に服は大量にあるので、シュウトメちゃんの言う「あれ」がどこにあるのか、分別した私にもわからなかったりして、揉めたことも、過去にも何度かありました。今回の分別は特に対象が大量なので、避けるなんて無理でしょう。とにかく、ごめんなさい、今までありがとうねと言いながら捨ててます。義姉たちからかつてプレゼントされたものを、一つも間違って捨てないなど多分、私には出来ないでしょう。わからないです。その思い出の品を嫁が間違って捨ててしまっても、「お母さん、いつもありがとう」という娘の気持ちをプレゼントと一緒に受け取るのは、母として幸せなこと。その時の嬉しい気持ちを覚えていればそれでいいと、シュウトメちゃんが思ってくれますようにと祈るだけです。捨てられた!と怒らないにしても、悲しくなるでしょうね。なるべくそういうことが起きませんようにと願いつつ、作業を進めていくしかないのだなぁと思います。よそのお嫁さんはこういう問題をどうクリアしてるんでしょう。うちの場合は義姉とシュウトメちゃんの仲がこじれているという特殊事情があるので特別?でも、それぞれの家にはそれぞれの特殊事情があるでしょうから、みんな「よそのお嫁さんはどうしているのかしら?」と思いつつ、自分の置かれた事情の中で、頑張っているんだろうなと思いました。今の私はすごく楽してます。シュウトメちゃんは施設にロングステイ、頭を悩ますのが分別作業だなんて、かつての私が聞いたら天国ですよ。これをお読みくださった同居嫁仲間さん、もし今大変な修羅場で苦しくても、そのうちきっと楽な道が開ける日が来ますからね。私もこんな日が来るなんて想像していませんでしたけど、楽になりました。「私の分別作業がなるべくシュウトメちゃんを悲しませませんように」今の悩みはこんなお気楽なものです。揉めた場合でも、修羅場には多分なりません。修羅場と言う険しい山道は、そのうち抜けられますからね!
January 17, 2015
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シュウトメちゃんのタンスはすべて、部屋から移動させました。タンスの引き出しを全部出せば、私でも移動は簡単です。大変なのはやはり分類。リフォーム後はタンスは3つ、クローゼット1つにする予定なので、捨てるタンスの中は空っぽになくてはいけません。服は3つに分類しました。確実ではないにしろ、着る確率の高いものは、移動後のタンスの中。もう絶対に着ない、かつ、その服に思い出も思い入れもなさそうなものは、袋に詰めて、ウエスにする資源ごみ行きのビニール袋に。絶対に着ないけれど、思い出や思い入れはあるかも?という服は、捨てないで、シュウトメちゃんにチェックしてもらう服入れに。今までも少しずつ分類作業をしてきましたが、今日はかなり仕上げ作業に近い分類を進めました。とても疲れたので、自分の時はこれを人にやらせてはいけないと真剣に思いました。私の子供たちは、私よりは年代的にもうんとドライなので、1枚ずつ広げて悩むことなどなく、ぽいぽい捨てられるのかもしれませんが、やはりそれなりに大変なのは同じでしょう。市役所やJAからの郵便物や、行っているデイサービスの5年以上前の領収書、10年前の退院証明書など、大量の書類も保管してありました。ぐちゃぐちゃに山のようにとってある中に、頂いた写真などが挟まっているので、1つずつ確認して、捨てるもの、捨てないものを仕分けするのにもかなりの時間を使いました。力仕事ではないけれど、延々と分別作業をするのもやはり疲れます。人の封筒を開けてチェックするこちらも嫌ですが、チェックされるシュウトメちゃんも嫌でしょうね。自分で全部チェックする気力はないでしょうから、仕方ないですが。写真がかなり出てきたので、写真もそのうち分類して、孫の写真とか、デイサービスの写真など分類ごとにまとめて、写真入れに入れてあげようと思いますが、とりあえず今日はパス。片づけながら、だんだん腹が据わってきました。こんな風に私が整理すれば、後で必ず、あれはどこへやった、大事だったのに捨てるなんてやりきれない、とか、これがないけれどkoalaさんに取られたのだろうかとか、そんなトラブルが起きる可能性が高くて嫌だなって思っていました。今でも、もちろんその可能性を思うと気持ちが暗くなりますが、シュウトメちゃんは「自分で出来ないからkoalaさんに片づけてもらう」と私に丸投げしたのだし、苦情が出ても、凹まないでいよう、多分今の私なら、そう凹まないでスルーできる・・・そんな気になりました。進化したシュウトメちゃんは、丸投げすればそういうことも少しは起きることを理解し、現実を受け入れるしかないと理解するだろうと、希望的観測に落ち着きました。こういう作業、オットは何もしてくれませんが、逆に助かります。オットはポイポイ捨てちゃうに決まってますから。そもそもオットに母親の思い出の服がわかるとも思えません。義姉たちに見てもらえれば、これは捨てない方がいいなどと、それなりにわかるんじゃないかとも思いましたが、気持ちよく協力などしてくれるはずもありません。何も頼まない方がいいです。ここは私一人が分類して、疑わしいものは見てもらうことにして、疑わしくないと判断して捨てたものの中に、捨てたくないものが混じったら、悲しみからの非難は、甘んじて受けようと思います。時間と体力と気疲れの結果、怒られるって理不尽!とか言わずに。しかし、チェックしてもらう服がかなりあるので、これではシュウトメちゃん、チェックで疲れて嫌になりそう。物のない時代に育った人だから、捨てていいという物が少ないかも。・・・・・・・もう少しシュウトメちゃんにチェックしてもらう服の中から、捨てるものを選んで捨てようと思います。悪いけど。
January 16, 2015
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今朝はリフォーム会社の担当者さんとの相談日でした。昨年の夏のリフォームをお願いしたところと同じ会社です。リフォーム業界も多分価格競争で厳しいので、ぎりぎりの人数でこなしている雰囲気で、リフォーム相談は少しずつ進展していきました。私はもう少しスピーディに話が進んでいく方が好みだと感じてきましたが、担当者さんは2人とも、丁寧で、親切で、いい感じ。ここをこんな風にしても便利ですよとか、こういう商品が出ていますが、ここにいかがですかとか、ここの空間がもったいない気がしますがとか、私の希望を聞きつつも、いろいろ細かく教えてくださって、またご主人やおばあちゃんと相談してくださいねと去っていかれます。慌ててばたばた話を決めてしまうよりも、こうやって、少しずつ話を煮詰めたほうがいいかもという思いと、あまりゆっくりだと、工事に入るのがどんどん遅くなるという思いが、心の中で絡まって、少々複雑な気分。トイレは、今の2倍の広さにして、車椅子で余裕で入れるようにします。最初の予算からはずいぶんオーバーになりますけれど、ポータブルトイレの中身の処理をしなくてよくなるので決めました。シュウトメちゃん本人も、ポータブルよりもその方がいいでしょう。次回お会いするのは来週21日。大体話が煮詰まったので、最終的な見積もりとトイレのイメージ図を持ってきていただく予定です。出来れば2月中旬に工事にかかっていただきたいので、後はサクサクっと決めていければと思っています。シュウトメちゃんの部屋の物の整理と移動も進めないと・・・。
January 14, 2015
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中国ユニクロ工場 過酷労働ニュースでこの記事を読みました。工場内は異常な高温で、男性は上半身裸で働いており、夏季は室温38度までに上がるが、エアコンは設置されていません。染料部門の従業員は、運転時は100℃~135℃にもなる染料タンクの近くでタンクから重い生地を取り出す作業しています。この高温のタンクには囲いもありません。染料の異臭を伴う化学物質を吸いながらの作業ですが、換気の設備はありません。マスク、グローブ、専用スーツは用意されていますが、工場内は40℃もあり、実際にそれを使用して作業する人はいません。-------------------------------------------http://matome.naver.jp/odai/2140729806194658401/2141070819005239503ちょっと上をクリックして画像をご覧いただきたいのですが、これはインドネシアのジャバ島を流れるチタラム川に注ぐ上流の川です。上流に何があるとこんな川になってしまうのか。GAPの服を作る工場があるんです。-------------------------------------------ラナプラザビル崩壊2013年にバングラディシュで起きた突然のビル崩壊事故です。使者1200人以上、重軽傷者2300人、行方不明者500人。もともと4階建てのビルだったラナプラザですが、賃金が安くて済むため注文が急激に増加、安全性より利益をとって、9階までフロアを継ぎ足し、崩壊前には、ひびが入って従業員が怖がっていたとか。欧米アパレルブランドのマンゴ、ベネトン、プリマークなどの服が倒壊時にも作られていたそうです。-------------------------------------------何にでも、光の部分と闇の部分があるのだと改めて感じました。安くてそこそこ品質のいい服を、きれいな店内で選んで、とっかえひっかえ買う先進国の人たちがいる裏には、そこで劣悪な条件で働いている人たちがいる、それが地球。たまたま服について書きましたが、何だって一緒です。私は飼っていた猫が死んでしまったと嘆きますが、世の中には、わが子が病気になっても、薬もなく死んでいくのを見ているしかない母親だっています。飢え死にしていく子供だっています。-------------------------------------------koalaさんに何ができるの?って聞かれたら、何もできないと答えます。ただ、光があれば闇があると、意識していようと思います。気に入った服が安く買えたら嬉しいです。でも、その裏に劣悪な条件で働いている人たちがたくさんいることを胸に刻もうと思います。飼っていた愛猫がなくなれば悲しいです。でも、それどころではない人がいるということを忘れないでいようと思います。-------------------------------------------中国の病死した豚肉を使っていた事件もそうですが、最近、いろいろな闇の部分が明らかになってきたニュースが多いですね。ひとつには、そういうことを調べだしたからだと思います。そしてネット社会なので、調べた結果がすぐに世界中に伝わります。それが企業の暴走を止める力になればと思います。ラナプラザビル崩壊のニュースは、起きた当時びっくりしたものですが、私にとっては遠い異国で起きた他人事で、そのうち忘れ去っていました。他人事と言うのは冷たいものです。このビルで、縫製の仕事をしていて、事故に巻き込まれた妻や娘がいた人たちは、決してこの事故を忘れないでしょう。改めて最後に、事故で亡くなった方たちのご冥福をお祈りします。
January 13, 2015
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今日、明日では、日本各地で成人式が行われます。朝のテレビで、「10年後の自分へ」のビデオレターを担任の先生が撮影して保存していたということで、10歳の子供たちのビデオレターと、成人を迎えたその子供たち、目を細めている担任の先生が映っていました。10年後の自分への手紙。10歳の子が大人の自分を思うときには、まず、「仕事をしている自分」を想像するのでしょう。男の子はスポーツ選手が多かったですね。さて、ワタクシ、現在54歳です。もし10年後の自分に手紙を書くとしたら、何を書こうか?などと変な連想。10歳の子が20歳の自分を思うなら夢いっぱいかもしれないけれど、64歳の自分ねぇ。(笑)出来たら健康で、自分のことを自分でしていてほしいです。人生楽しんでますか?定年が65歳なので、直前ですね。まだ働いていますか?10年の間、どんなことが起きましたか?しかしこういうことも、起きることが起きてくると思っているので、特別10年後の自分に聞きたいわけじゃないなぁ。50代で、10年後の自分への手紙を書きたくなる人って、そんなにいないんじゃないかな?実際はどうなんでしょう。(謎)私には「将来への夢」が大事だという感覚もないですが、それがある人は、結構10年後のビジョンをはっきり持っていて、夢を形にするためにも、ビジョンは大事だから、10年後の自分への手紙はいい方法かもね、なんて思うのかも。本当に、昔から、特別「将来の夢」などなかったので、10代の頃はそこそこそれがコンプレックスでした。きちんとした人は立派な夢を持って、それに向かって努力してるというようなイメージがあったので、自分はきちんとした人じゃない、そういう自分はダメという気持ちを持っていたのですね。「こうなりたい自分」のイメージがはっきりある人とない人がいる。イメージがある人が偉く、ない人がダメという問題ではなくて、いろいろなタイプの人が、それぞれいろいろな経験をするようにできていて、人間の経験のバリエーションを広げることによって、人類意識の世界を限りなく広げる役に立っていると感じています。・・・10年前の私は、自分がこんなに怪しいスピ好きになっているとは想像もしていませんでしたよ。まさかの事態です。10年前に今の自分のブログを見せられたら、この人、おかしい!私の人生、失敗だ!と思ったかも。(苦笑)人生のしくみが、理屈で理解できると思っていたあの頃。辛い出来事を避け、幸せな出来事に包まれるためのハウツーを身につけたいと頑張っていたあの頃。シュウトメちゃんが長いこと施設で暮らすなんて想像もしておらず、叔母もそこそこ元気で、一人暮らししていたあの頃。叔母が車椅子の身になって、私が面倒を見ることになろうとは。父が亡くなったのが10年前で、それから母まで逝ってしまうなんて。実家が空き家になってしまうなんて、想像していなかったあの頃。私はカメラ屋さんで仕事していて、10年後もそこにいるような気でいました。デジカメや携帯カメラの普及で、カメラ店の需要が減り、勤務先がなくなるなんて。カメラ店時代、一緒に働いていた人たちは、今、どうしているのかな。個人情報もあるのでここには書けないような辛いこともありました。それなりの辛酸を舐めましたが、それが今の自分を作りました。どうも10年後の自分って、私にはあまり想像できないです。今までの10年間、皆さん、振り返るとどんな感じですか?これから10年先、想像できますか?
January 12, 2015
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4日にシュウトメちゃんを施設に送っていって5日に施設から、盗難被害妄想の件で電話があり6日にフクちゃんが死んでしまい、一晩家でフクちゃんの遺体と過ごし7日にフクちゃんを火葬場に連れていき8日には、普通に家事と仕事をこなすのが精いっぱいで・・・ついついシュウトメちゃんの所に顔を出すのをさぼっていました。昨日9日に、やっとシュウトメちゃんの所に行きました。施設へは、着替えも飴もお煎餅もたくさん置いてあるし、来ないなと思われることはあっても、困ることはないと思っていましたが、その通りで、シュウトメちゃんは、穏やかな顔をしていました。困ってなかった?と聞くと、困ってた、と言いましたが、それはズボンを盗まれたとかいう話ではなくて、眠るときに寒くなったので、もう1枚毛布が欲しいということでした。いつもなら、これが欲しいと思うものがあると、家に電話してきたものですが、たまたま不在だったのか、それ程困っていなかったのか、遠慮するようになったのか。目の前にいるシュウトメちゃんは、昔より一回り小さくて、年を取ったんだなと改めて感じました。お正月の時、上の義姉が、今度はまた来年のお正月にと言ったのに対して思わず上から目線で、なんて薄情なと感じたものでしたが、ふいに、きっとその方がいいんだと感じました。薄情とは違うんだと思ったのです。母親と価値観が違っていて、共感しにくい友人がいます。彼女は母親との溝を埋めたくて、いろいろ試行錯誤しましたが、溝が埋まらないのを受け入れるしかないことを悟りました。彼女も彼女のお母さんも、母が、娘が、大事なんです。でも、2人の溝が狭まることがないことを自覚するのはきついこと。きついけれど、それはその人に必要だから起きてくること。苦しいのに、無理をして、必要以上にその痛みを頻繁に感じなくてもいい。シュウトメちゃんと義姉たちもきっとそうなんだいう思いが、小さい老人となったシュウトメちゃんを見て、不意に強くわきました。大事だという思いと、わかり合えないという現実があるとき、その関係を自分の中に受け入れ、消化していくのは、そうでない関係の母娘には理解できないほど大変なはず。それが理解できないくせに、自分の母親なんだから、もっと顔を見せてあげればいいのになどと上から目線で見ている義妹koalaが、うざいのは当然ですね。おまけにその義妹が全部世話をしているという弱みがあって、その弱みは義姉たちの罪悪感を無意識下で刺激することでしょう。罪悪感なんて必要ないと言い切るためにも、自分のルーツを相手の中に見出さないためにも、離れていたほうが平和という関係だってあるのです。自分は罪悪感を感じているんだなと、少し離れたところからその罪悪感を見つめて、認めちゃった方が楽になるだろうと感じましたが、そんなのも余計なお世話。余計なお世話というのはうぬぼれた上から目線かもしれません。罪悪感を感じさせる母親シュウトメちゃんと義妹koala。母親は愚痴ばかり言っている。義妹はうぬぼれた上から目線で見ている。これは顔を見るのも声を聞くのも不快で当然。不快さをぶつけられてしまうシュウトメちゃんとkoalaもこれまた不快で当然なのでありました。当然なのとそれでいいというのはまた違う問題ではありますが、少なくともそれは義姉とシュウトメちゃんの問題であって、私が「お盆も来てくださいね」などと口をはさむことではなかったと、言っちゃったものは仕方ないですが(苦笑)、すとんと腑に落ちました。あんた何様?と自分突込みでもしておきましょうか。シュウトメちゃんが義姉たちを愛しているように、義姉たちだって、シュウトメちゃんを愛しているんです、多分。でもねじくれた関係なので、愛がある分、苦痛も強いのかもしれません。今まで出しゃばってごめんね。最後に、今日のフクちゃん画像。やっと泣かないでフクちゃんの画像を見られるようになってきました。まだ泣くこともありますけど、今、この場では泣いていません。(笑)私の抱っこで、眠りに落ちていく直前のフクちゃん。この顔を見て、別れは悲しいけれど、これでよかったんだと思えました。フクちゃんが野良猫ちゃんのままだったら、こんな安心した表情で暖かな毛布の中で、飼い主の愛情を感じながら、眠りにつくことはなかったのですから、あまりにも短かったけれど、フクちゃんはいい一生を送ったのです。安心なこと、暖かいこと、愛されることは気持ちいいことだったね、フクちゃん。目が見えなくなっていた高齢の愛犬メリーちゃんを家族が散歩に連れていくと、その後を隠れながら(丸見えなんだけど)下手なスパイのようについてきたフクちゃんの姿を思い出します。よくフクちゃんを抱っこして「可愛い、可愛い」と言いました。フクちゃんは、プライドの高い女の子の猫だったので、たまにしか甘えてこなくて、「可愛い、可愛い」と抱っこしても、そのうちすぐ手をすり抜けて一人で座っていたけれど、(かまわれるのって時々うざいけど、愛されるっていいものよね)なんて思っていたのかなぁと連想しても、今日は大丈夫、泣いてません。
January 10, 2015
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フクちゃんを、この目で見られないことが悲しいこの手で撫でられないことが悲しい大好きだよと伝えられないのが悲しいフクちゃんの心臓は止まってしまった眠ったような顔のまま、冷たく固まってしまったでも もしかしたらこの世と同じ空間にあの世もあったとしたらフクちゃんはすぐそこに座っているのかもしれないあの素敵な目で、私を見つめているかもしれないここにいるのに見つけてくれないの?と思っているのかもしれない「人間はリンゴ自体を認識することはできないあなたがそう見るからそれはそのようなリンゴなのだ」私には難しい哲学は分からないけれどカントが言ったというこの言葉が、今とても胸にしみる人間が世界を認識する範囲には限界があって私たちは世界の一部しか認識できていない時々それを飛び越えた能力を持つ人がいるけれどそんな人にはもしかしたら、私の足元にいるフクちゃんが満足げな表情で丸くなっている姿が見えるかもしれないしかしその人にもきっと 知ることのできる限界はある限界の向こうにいるフクちゃんを感じながら「おはよう フクちゃん」と言ってみるフクちゃんに話しかける最後は決まって「一緒に過ごしてくれてありがとう」の言葉になる限界の向こうの存在に話しかけることを私はどれくらい繰り返してきただろうか世界中の人が今までどれほどの別れの中で限界の向こうに逝ってしまった魂に話しかけてきたことだろうかふいに私は思うこれは練習かもしれないいつか私が限界の向こうに逝く時のためのこの世は さようならを言うには 愛しい存在が多すぎるしかし私たちはいつかさようならを言わなくてはいけないこの世のすぐ横にあの世があったとしても認識の壁が私たちを隔ててしまう見える人には見えるのかもしれないフクちゃんは私にはどうしても見ることはできないけれども そこかしこに残っているフクちゃんの残像を私は心の眼で見ることができるこの世で形のなくなったフクちゃんが私に見せてくれる残像を抱きしめて私から出る言葉はやはり「ありがとう」しかないのかもしれないフクちゃん 一緒に過ごしてくれて本当にありがとう見えないけれど いつもフクちゃんを感じているよ
January 9, 2015
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お正月のまだ元気だったフクちゃん愛猫を亡くせば、誰もが喪失感に苦しむでしょう。猫 急死 で検索すると、同じショック、同じ喪失感に苦しむ人たちの書き込みを読むことができます。理由を知りたいという人も多いですが、私が知りたいのは、最後のフクちゃんの気持ちです。オットと繰り返し話しているのは「フクちゃんは幸せだった。それが一番大切なこと」「うちに来てくれて本当に良かった。フクちゃんはいい子だった。ありがとう」最初、私は、フクちゃんが自分は死ぬとはわかっていなくて、具合が悪いから、家に帰って眠ろうと思ったんじゃないかと考えました。でも、ある方がこういってくださいました。「きっと初めは死に場所を求めてさまよったのだと思います。でも、koala家の人々のぬくもりが忘れられないで、文字通り死力を尽くして戻ってきたのでしょう。そしてそこで死んだのです。フクちゃんは天国にたどり着いて幸せの内に旅立ったのです。」この話が有難くて涙を流しながら、私の最初の考えは間違いかもしれないと感じました。フクちゃんが帰ってこなかった5日の夜、私夫婦たちは朝から鍼に出かけて、そのまま夜中まで帰ってきませんでした。フクちゃんは、何度もきっと家に帰ってきたでしょう。フクちゃんにとっての家とは、私たち夫婦の居間と寝室がある離れの家でした。長男や長女は母屋に部屋があります。フクちゃんがいつものように「開けて~」と小さな声で鳴いたとき、長男も長女も気か付かなかったのか、離れの電気が消えたままなので、わたしたちは不在だと思って諦めたのかわかりません。夜に死を予感していたとしたら、私たちに最後の挨拶をするのをあきらめて、死に場所を求めて静かで隠れた場所を探していたかもしれません。夜中に私たちがフクちゃんを呼んだとき、フクちゃんはどんな気持ちだったでしょう。それとも、朝になってからまったく突然具合が悪くなったのかもしれません。別れの前に挨拶したくて、必死で帰ってきてくれたのかもしれません。それとも、ある人が言って下さったように、私たちのぬくもりが忘れられなくて、一時はひっそり死んでいこうと思ったのに、思いなおして、死力を尽くして帰ってきてくれたのかもしれません。どの想像の場合でも、フクちゃんは、私の家での暮らしを幸せに楽しんでくれていたのだと、それだけが今、有難くてなりません。フクちゃんがうずくまっていた玄関の横に、たどりついた!というフクちゃんのその時の安堵感が漂っている気がします。私の怪しい感覚では、強い感情というのはエネルギーも強いので、今もきっとその場に漂っていると感じるのです。フクちゃんが帰ってきた姿に喜んで、「おかえりフクちゃん!」という私の声がきっとその時のフクちゃんを安心させてくれたと思います。そういう思いで、フクちゃがあの朝いた、玄関横のその場所で、「フクちゃん、お帰り。偉かったね。良く頑張って帰ってきてくれたね」と可愛いフクちゃんに話しかけています。オットと話しているのは、落ち着いたら、保健所に行って、猫を1匹引き取ってこようということです。今はとてもそんな気持ちになれませんが、そのうち。フクちゃんは野良猫でした。うちの愛犬メリーに懐いたこと、メリーの死後、猫風邪で死にかけて保護して治療して、そのまま飼い猫になった猫でした。メリーに懐いておらず、どこかで生き延びるために悪さをしていたらもしかしたら保健所で殺されてしまった可能性だってある猫でした。里親というのも考えましたが、里親のところにいる猫は安全圏にいます。詳しくはないですが、保健所にいる猫の方が切羽詰まっているでしょう。精神的に、すぐそれを行動と言うことはできそうにないですが、フクちゃんはきっと、喜んでくれると思います。今はまだ、あまりにフクちゃんが恋しくて切ないです。
January 8, 2015
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昨日、ここに日記をアップした時は、フクちゃんはまだ家に戻らず、私は、そのうちお腹が空いて甘えた声を出して戻ってくるものだと確信していたのを思い出してまた切なくなりました。愛猫の大福のことを、私はフクちゃんと呼んでいました。オットはチビって呼んでいました。フクちゃんは5日の早朝まで、私たちのベッドで寝ていました。正確にはオットの腕枕で寝ていて、腕が疲れてオットが手を外したので拗ねてベッドから出て行ってしまいました。フクちゃんは、寒い日には、腕枕布団に出入って寝るのが大好きでした。夜中は私かオットの腕枕で寝ていました。5日は鍼の予約があり、フクちゃんが出るというので外に出した後、私たちは出かけてしまいました。鍼が終わってからも、その日はオットの冬期休暇の最終日だったので、遅くまで家に戻りませんでした。その日は長女も長男もたまたま休みでしたので、家に入りたいと思えば、入れてもらえるのはわかっていました。夕方、玄関の横の高さ170センチほどの物置の上に、元気そうなフクちゃんが座っているのを長女が見ています。でも、その日はそれっきり、家族に姿を見せることはありませんでした。帰宅して、何度もフクちゃん、チビ、帰っておいでと声をかけたけれど、帰ってこないフクちゃんを、寒いのにと心配はしましたが、たまにあることなので、朝になれば元気に返ってくると信じていました。完全室内飼いにすれば、こういう心配はないとわかっていますが、自宅は大きな道にはやや遠い場所にありますし、フクちゃんは全力疾走したり、木や屋根に上ったり、雀どころではなく、鳩まで狩りをしたりするワイルドな猫でしたので、交通事故や病気のリスクはあっても、外に出たがれば出す、でも夜中は出すのはやめようねとオットと私の間では、話し合いで決めていました。朝遅くに、玄関の横にフクちゃんがちょこんと座っているのを見て、私は大喜びしました。「おかえり~!寒かったね!ご飯食べようね!」でも、大福は明らかに様子がおかしかったのでした。吐きそうな表情でした。何か悪いものを食べて吐きたかったのか、他の要因で死にかけていたので、息が苦しくてそうなったのか、その顔は私しか見ていないので、わかりません。でもぐったりと言うほどではなく、抱っこから降りたがったので降ろすと、自分で猫ドアをくぐり、寝室に入りました。異常を感じて寝室に入ると、そこでフクちゃんは横向きに倒れました。フクちゃんはそこでおしっこを漏らしてそのまま目を開けたままの顔になりました。急いで獣医さんに走りましたが、もう絶命していました。原因は分かりません。外傷はなく、吐いてもいない、くっつき草がたくさんついていただけ。猫は突然死してしまうことがよくあると獣医さんに励ましていただき、泣きながら家に帰ってきました。あまりに突然で、信じられませんが、フクちゃんはもういません。猫は死ぬときは人から姿を隠すと聞いているので、フクちゃんは多分、自分が死んでしまうなんて思っていなかったのでしょう。寝室に自分で向かったのです。具合が悪いから寝ようと思ったのでしょう。出勤前のオットが呼ぶ声、その後の私が呼ぶ声にこたえて、家まで一生懸命帰ってきてくれたフクちゃん。昨日は泣いて腫れ上がった顔をそれなりに何とかして、フクちゃんを私の椅子の上にのせて仕事に行きました。すごく疲れた顔をしている、具合が悪いんじゃないかと職場で心配されて、朝、猫が死んでしまったのだと仲のいい人に話すと、いろいろ慰めてくれて、余計泣けてしまって困りました。レジで泣くような失態はなく、普通にミスなくこなせてよかったです。オットはその日、通夜があって、私より早く帰宅することになっていたので、電話でフクちゃんの死を伝えておきました。帰宅したら、オットがフクちゃんを撫でていました。長男長女も早く帰宅したので、みんなでお別れを言いました。フクちゃん、koala家に来てくれてありがとう。愛犬メリーちゃんが死んでしまった後に、どれだけフクちゃんに癒されてきたか。色即是空 空即是色宇宙のエネルギーがフクちゃんという形になって具現化し、今、死をもって、宇宙のエネルギーに帰っていった・・・究極的にはそういうことになりますが、この世の別れであることに変わりはなく、フクちゃんともっともっと一緒に過ごしたかったという悲しみは深く、今まで本当にありがとうという気持ちとともに、私たち家族を切なくさせます。昨日からフクちゃんは、火葬のためのダンボールに入っています。獣医さんに連れて行った時に毛布に包んだ姿のままです。両目を開けて絶命してしまいましたが、いつのまにか目を閉じています。昨日から今朝にかけて、みんなで箱ごとフクちゃんを何度も抱っこして、毛布の上から撫でたり、毛布をめくって毛並みを撫でたりしてフクちゃんに挨拶しています。最後の力を振り絞って、家に帰ってきてくれるなんて、最後まで、なんてお利口で優しくていい猫なんだろうと思います。まだまだずっと元気で、一緒に生きていけると思っていたけれど、現実はその道は続いていなくて、ぱっくりと道が欠けた崖になっていました。地球は切ない別れを体験する星なのだというのは、怪しい認識なのでしょうが、今の私の気持ちです。たくさんの死を看取ってきました。愛犬ポンちゃん、メリーちゃん、両親、フクちゃん、亡くなった顔を泣きながら撫でてきました。もしも、なんて言いません。もしもあの日、鍼を終えてすぐ帰ってきたらもしもあの日、出かける前に家の中に入れたまま出かけたらもしもあの日、鍵をかけて寝るのではなくて、探して回っていたら終わってしまった過去を振り返れば、分岐点だったかもしれない「もしも」がたくさん存在するけれど、それは言ってはいけないこと「それ」はもう起きてしまったのだからもとには戻せない フクちゃんは生き返ることはできないもっともっと一緒に過ごしたかったそれほどまえでに可愛かったフクちゃんに、家族みんなで、いっぱいのありがとうを言おうと思います。昨夜は寝るときには寝室にフクちゃんを運び、起きたらおはようを言いました。やっぱり私は泣き崩れてしまったけれど、ありがとうもいっぱい言いました。フクちゃんは、短い命ではあったけれど、幸せに生きてくれたと思います。今日は家の片づけをしようと思って、休みがとってありました。最後までお利口なフクちゃんは、火葬に行く日をきちんと私の休みの日に設定して逝ったような気がします。フクちゃんが家にいたのは、当たり前なんかじゃなくて、大きな天からのギフトだったと思います。
January 7, 2015
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4日の朝10時にシュウトメちゃんは施設に帰りました。初出勤だった私は送って行くのをオットに丸投げ(笑)腰痛の身での立仕事、けっこう腰にきましたが、昨日は鍼をしっかり打って頂いて、仕事休みなのでその後も体を休めることができて、今はすごく楽です。ストレッチをしっかりしていこうと思います。昨日、施設から電話があり、シュウトメちゃんがズボンを盗まれたと訴えているそう。妄想として対処していいのかどうか、確認のお電話でした。本当に盗まれたなら大変なので。私はシュウトメちゃんのズボンの数は把握していませんが、ものが頻繁になくなる感覚はないです。お詫びとともに、そう答えました。物がなくて苦労した時代を経てきた84歳…切ないものですね。今日は仕事です。楽しく働いて来ようと思います。
January 6, 2015
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今日は2人の義姉が年始のご挨拶に来てくれました。シュウトメちゃんとも和やかな時間が持てました。長い間、シュウトメちゃんは、義姉たちが冷たいと感じて淋しい思いをしてきました。義姉たちはいろいろ忙しく、大変なのだという話をして、連絡がないのは元気な証拠と思っていてねとシュウトメちゃんに言い聞かせていました。最後にはシュウトメちゃんから、明日には施設に戻るけれど、会いに来なくていいからねと笑顔で話していました。義姉は、うん、行けないからね、とやはり笑顔で話していました。私の感覚とは違うのですが、感覚は人それぞれなのでしょう。いろんな親子関係があって、シュウトメちゃんと義姉たちは、こんな感じが平和で、有難い親子関係なのだと感じました。元気だったらまた来年のお正月に会いに来るねと上の義姉が言ったので、「お盆も来てくださいね~。その前に春、暖かくなったら家に帰ってきますからね。」と思わず出しゃばってしまった私。実際にシュウトメちゃんにいつ会いに来てくれるかは義姉にお任せしますが。シュウトメちゃんは明日施設に帰ります。家は寒い、不便、腰が痛い、寝心地が悪いとあれこれブーイングもあったけど、長男長女という内孫2人とご飯食べたりテレビ見たり、おばあちゃん、お茶飲む?みかん食べる?と世話を焼かれたりしたし、今日は2人の義姉にも会っておしゃべりできたし、なかなかいいお正月だったんじゃないかなと思います。---------------------------------------これから、毎日ストレッチ系の運動を欠かさずにしようと思いましたが、慣れたころにサボるのがワタクシの常。ブログの最後に、今日も運動しましたと一口コメントを書くことにします。今日はYou tubeの初心者向けヨガ30分というのをやりました。腰をそるポーズはパスしてやりましたが、なかなかいい感じです。この程度の無理ないペースで運動していきたいです。
January 3, 2015
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あけましておめでとうございます。お正月、いかがお過ごしですか?ワタクシは、新年早々、腰痛です。そういえば、12月は1回しか鍼に行けなかった・・・ストレッチの不足も感じてた・・・私の腰痛は多分、適切な運動で軽減するタイプに思えるので、今年も軽減に励みたいと思います。鍼ですごく良くなってきたと思っていたけれど、大掃除ならぬ小掃除に励んだ後、痛みが出ていたのです。風邪引いちゃったので、鍼は休んでいたのです。(刺してるときに咳が出たらと想像するだけで恐ろしいわ~)風邪となると、オイルマッサージも裸になるのでパスでしたし。腰痛持ちになると、腰痛持ちの方の気持ちがわかります。何でも経験です。でも腰痛経験はもう長いし、良くわかったので、そろそろ卒業したいです。(爆)腰痛で始まったお正月ですが、幸先悪いとは感じません。波乱万丈だけれど、いい年になりそうな気がします。ブログを通して、いろいろな方とおしゃべりを楽しみ、世界が広がって楽しかった昨年でした。今年もまた怪しい日記を書いて、皆さんを苦笑させそうですが、よろしくお付き合いのほど、お願いいたします。
January 1, 2015
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