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創立四十周年を迎えた日本トランスオーシャン航空(JTA)の石垣=神戸線が一日、就航した。同社の二十番目の路線で、一日一往復。運航開始後一年間で、約七万人(利用率七〇%)の利用を見込んでいる関西方面と石垣空港を結ぶ同社の路線は、一九九四年に就航した石垣=関西線とともに、一日二便体制に拡大することになった。初便の出発に合わせて、石垣空港でテープカットなどの記念セレモニーが行われた。石垣=神戸線は標準座席数百五十席。ボーイング737ー400型機を使用する。石垣空港から神戸空港へ向かう便は那覇経由になる。
2007年06月08日
プロ野球千葉ロッテマリーンズの瀬戸山隆三球団社長は28日、石垣市内のホテルで大浜長照市長と共同会見し、来春の1軍1次キャンプを石垣島で行うと正式に発表した。中央運動公園内の多目的広場をメーンに2月1日から約3週間(20日間程度)を予定している。選手40人を含め総勢約90人。瀬戸山社長は大嶺祐太投手の参加については「間違いなくここでスタートできると思う」と述べ、大浜市長も「大嶺投手にも頑張ってもらって日本一になる力になってほしい」とエールを送った。 会見で瀬戸山社長は「来春から日本でキャンプしたい気持ちがあり、候補地を検討したところ、市長や市民の皆さんの熱い思いがあった。大嶺投手の入団が良いきっかけとなった」と語り、大浜市長は「市制60年の節目にキャンプが決まり、感激している。市民全員で受け入れたい」と万全の受け入れを表明した。 キャンプ地となる石垣島について瀬戸山社長は「昨年秋から大嶺獲得で何度も石垣島におじゃましているが、お世辞抜きでほんとに素晴らしいところ。現地の人の心遣いにも感動した」と述べ、地元の熱心な誘致活動を決め手に挙げた。このほか1、2軍合同キャンプ構想を打ち出したほか、野球教室など市民との交流計画も明らかにした。 ロッテは昨年まで2年間、豪州ジーロングで春季キャンプを実施していたが、移動の時間や経費、気候、安全管理面に課題があり、国内キャンプを検討。キャンプ候補地に名乗りを挙げていた石垣市と施設改修面で合意に達した。 大浜市長は「石垣島でキャンプすれば強いチームになると確信している。プロ野球の誘致は長い間の夢、その願いがやっと実現した。球団の要望に応えるよう、この1、2年最大限の力を入れたい」と条件整備に万全を期す考えを示した。
2007年06月07日
【波照間】25日から3日間、波照間島で豊年祭が行われた。 過去1年間の豊作を感謝するプーリン、これから1年間の豊作を祈願するアミジュワの2日間、御嶽で繰り返し神様にごちそうやお神酒を供え、祈った。 豊年祭にはサトウキビの葉を頭に巻きつけ、輪になって踊る豊年祈願の「巻き踊り」も行われた。 各集落ごとの巻き踊りのほか、26日には公民館主催の巻き踊りも開かれた。 会場の農村集落センター前の広場に集まった住民のほか、大勢の観光客も加わり、大きな輪を作って波照間島の豊年を祈願した。
2007年06月06日
市営「マエサトビーチ」の安全祈願・ビーチ開きが、16日午前10時半から同ビーチで行われ、石垣市関係者や石垣海上保安部、ビーチを管理する石垣全日空ホテル&リゾート関係者らが多数参加した。 同ビーチは、石垣市が整備し、同ホテルが管理、本格的な海のシーズンに向け、10月末までのビーチオープン期間は、ライフセービング免許を取得している10人のライフセイバーらが常時、観光客や市民の安全を守る。 同ビーチとシャワーや更衣室などの施設は、一般市民にも開放され、市街地から近いことから、多くの市民が利用している。 安全祈願祭に先立ち、ライフセイバーや海上保安庁職員による救助訓練のデモンストレーションが行われたあと、神主による安全祈願で関係者らが今期の海の安全を祈願した。
2007年06月05日
新会社参入で波照間路線存続へ ■エアードルフィン社 今年12月から路線廃止が決まっていた琉球エアーコミューター(RAC)の石垣-波照間路線に、22日新たに那覇市に本社を有するエアードルフィン社(半田貞治郎社長、資本金4900万円)が乗り入れすることを発表、一転運航継続が決まった。 島では昨年9月にRAC側が当初は今年4月、その後11月末での路線廃止を表明して以来、青年会などが「島の活性化に冷や水を浴びせるもの」と住民大会を開くなど、竹富町とともに路線存続を訴えてきただけに、今回のエアードルフィン社の新規参入に大盛武竹富町長は「大変喜ばしい」と大喜び、嘉良直波照間公民館長は「航空需要確保にがんばりたい」と安どと期待を寄せた。 同社は9人乗りの小型機2機と3人乗りセスナ1機を有し、06年から那覇-伊是名、伊江島、慶良間のほか、奄美の沖永良部などの離島を不定期航路で結んだり、遊覧飛行しているが、今回新たに石垣-波照間-与那国のほかに、石垣-多良間-宮古、さらには那覇-下地島へ不定期で参入。 さらに石垣では、ピーク時にマンゴーやパインの積み残しも発生するため、早ければ4月中旬から貨物路線にも参入。1トン程度を積載できる機材で毎日1-3便運航することにしており、新たな八重山の足として大いに期待したい。■気になる運賃や運航体制 波照間は近年、日本最南端の島として観光客が急増。それに伴って従来のサトウキビの島は民宿など観光関連の新規開業も増えている。それだけにエアードルフィン社の参入は、今後の島の活性化に大いに期待される一方で、運賃がどうなるのか、不定期というが毎日の運航体制はどうなるのか、島の住民にとってはその点が大いに気がかりだ。 RACの場合、9人乗りの小型機を旅客の数に関係なく毎日定期運航し、その結果として毎年何千万円という赤字を計上してきた。これに県や竹富町は05年度までそれぞれ400万円近く赤字補てん(06年度は1000万円計上)し、運航を継続してきたが、結局はパイロットの定年退職を機に、これ以上運航できないと今年12月からの撤退が決まった。 それだけに同じ9人乗りで運航する同社の運航体制が気になるが、そこは定期便と違って、路線申請の必要もない不定期乗り合い便として、あらかじめ発着時間は決めず、旅客がいる場合に臨機応変に毎日何回も運航することにしているようだ。したがってその点は利用者にとって融通のいい小回りの利く運航体制になりそうだが、問題は運賃だ。 基本的には現行運賃より安くはなっても、高くなっては島の住民が納得しないだろう。その点は竹富町が従来のRACへの赤字補てんの補助金を活用すれば、運賃の低減で利用者に喜ばれ、それが新たな航空需要の掘り起こしや航空会社の支援にもなる。町の検討を望みたい。 先にも触れたが、波照間は日本最南端の島として人気を集め観光客が急増している。それだけに島の人々からは航空機の大型化が求められ、そのための滑走路延長が当面の大きな課題になっている。■せめて200メートル延長を 波照間空港の滑走路は現在800メートルしかなく、小型機にしか対応できない。RACはそれが赤字の要因になった。そのため竹富町は島の活性化を図るため39人乗り、あるいは50人乗りの機材を想定して1200メートル滑走路への延長を県に要請しているが、県はその分の需要が見込めないとして消極的だ。 確かに波照間は1時間足らずで石垣と島を結ぶ船便が2社も運航しているため運賃が割高な航空機の利用は現在のところ多いとはいえない。しかしそれも「卵が先かニワトリが先か」の論議に似て、今後の展開しだいだろう。しかも航空会社側によれば、39人乗りはあと200メートル延長し1000メートルにすれば技術的に十分乗り入れは可能ということであり、必ずしも1200メートルにこだわらなくとも良い。 日本最南端の島が観光客の人気を集めるということは、それだけ仲井真知事が目標に掲げる観光客1000万人にも結びつくものだ。県はぜひ滑走路を延長して島の将来に“大動脈”を開いてほしい。
2007年06月04日
40周年を迎える八重山郡民の足JTA■40年で2764万人を輸送 日本トランスオーシャン航空(JTA=大森徹社長)が7月1日で創立40周年を迎える。沖縄の本土復帰前に沖縄本島と離島を結ぶ「県民の翼」として日航を主体に、県を含む地元財界などが出資して「南西航空」として誕生した同社は、その後社名を現在の名前に変更。今では「沖縄発日本の翼」として宮古、八重山郡民はもとより県民あるいは観光客の足として沖縄本島や本土にネットワークを広げ、わたしたちにとってかけがえのない大切な輸送機関となっている。 この間に石垣空港発着で輸送した乗降客は昨年末までに八重山の人口の約550倍の2764万人、貨物は約20万トンに上る。そしてこの間で特筆すべきことは、1982年8月に石垣空港でオーバーラン事故を起こし、乗員乗客48人が重軽傷を負う大事故があったものの、幸い死亡事故は創業以来ゼロ記録を更新中ということだ。 今現在世界のどこかで航空機事故が起きている。ちょっとした安全点検ミスが大惨事を引き起こす航空機事故。航空業界にとっても安全運航こそが最大のサービスであり、40周年を機によりいっそう安全運航に努めてもらいたい。■船舶から飛行機へ 八重山と沖縄本島の往来はいまでは航空機に取って代わられているが、戦後の一時期までは船舶による海上交通しかなかった。しかし1956年6月に中華民国のCAT機が1番機として22人を乗せて飛んだのが八重山の「空の時代」の始まりで、その後会社も何度か変わり、1日1便が就航したが、欠航も多く、本格的な空の時代の到来は、1967年7月1日に現在のJTAの前身の南西航空が誕生してからだ。 当日7月1日の本紙は当時本土復帰前の米施政権下にあったこともあって「きょうから日の丸機飛ぶ」「空港で各界代表が乾杯」「老人の遊覧飛行やレセプション」のトップ見出しが躍り、関連記事では「AA航空 先島の空からサヨウナラ 無事故で大任果たす」。 そして1番機が飛んだ翌日2日の本紙は「南西航空の歴史的就航を祝う」「安全運航に万全期す」「鼓笛隊繰り出し盛大に歓迎」「日の丸のマークに感激」などのトップ見出しに、増茂南西航空社長への花束贈呈や老人らの遊覧飛行の模様などの写真3枚が紙面を飾り、八重山郡挙げての喜びぶりが紙面にあふれる。 以来同社が単独路線で沖縄本島と離島を結ぶが、22年後の87年7月に全日空(ANA)系列のエアーニッポン(ANK)が就航し、宮古・八重山もいよいよ本格的な2社時代に突入する。■大きいJTAの役割 この2社時代は八重山の地域活性化に大きな役割を果たし、今日の観光客77万人時代を築き上げている。特にANKが就航するまでの本土復帰前後をリードしてきたJTAの役割は大きく、機内誌の「コーラルウエイ」も駆使して今日の観光八重山の礎を築いた。特に機内誌は沖縄の歴史・文化・景観等すべてをかくも美しく楽しく全国に紹介し、沖縄観光の進展に大きな役割を果たしている。 一方で八重山の大きな問題である夏場のパイン・マンゴーの積み残し問題にも同社は、八重山支社長が陣頭指揮を取るなど率先的に対応にあたり、生産農家の評価も高い。 40周年の7月1日から神戸にも直行便が運航、八重山と本土とのウイングをさらに広げるが、そこでこの40周年を機にあらためてJTAに望みたいのが、会社発足の原点が常に宮古・八重山にあることを忘れず、離島住民に対するサービスの充実に努めてほしいということだ。 同社は最も良い会社となるための基本的命題に▽安全運航の堅持と航空保安への万全の取り組み▽常にお客さんに選ばれるための取り組み▽より「存在感のある信頼される会社」への取り組み―などを挙げているが、市ノ澤武士前社長も強調していたように、大きな節目を機に役員・社員一同気持ちを新たに、利益・経営効率優先でなく、安全運航優先で日々の安全点検に努め、常にお客さんに選んでもらえるよう「安全・安心・優しさ」の提供に努力してほしいと願う。
2007年06月03日
県文化環境部は6日、県内の主用海水浴場30施設の水質調査を実施。石垣市の底地ビーチを含む県内5カ所で水質AからAAに改善されたが、那覇市と南城市のビーチで水質AAからAに落ちた。 同水質調査は透明度や油膜の有無、化学的酸素要求量、ふん便性大腸菌群数などを調査したもの。水質AA、A、B、C、不適の5段階に分けて評価している。 県内30カ所のビーチでは8カ所で水質A、残る22カ所で水質AAと良好な状況。郡内では底地、真栄里ビーチの2カ所でAAと評価されている。
2007年06月02日
劇的なサヨナラ勝ちで日本ハムがガッチリ首位をキープ。歓喜の輪の中心で満面の笑みを振りまいたのは小谷野栄一外野手(26)だ。4-4の延長10回。薮田の真っすぐを豪快に振り抜くと、鮮やかな弧を描いた打球が左翼スタンドに吸い込まる。「会心の当たりでした」。チームメートから手荒い祝福を受けたヒーローは「興奮し過ぎて何も覚えてません。痛い思いしか覚えてないです」と照れ笑いを浮かべた。 どん底だった。第2打席で放った左前打は20打席ぶりに響かせた快音だった。これでスイッチが入った小谷野は「生涯初のサヨナラホームランだと思います」というビッグアーチを含む、3安打の大暴れ。結果はなくてもスタメン起用を続けたヒルマン監督の期待に見事に応えた大砲は「試合に出させてくれたおかげです」と最敬礼だ。 この日は母校・創価大野球部の岸監督がスタンド観戦。「偉大な方に野球をやってる姿を見せたかった」。昨年6月に2軍降格した直後、極度の不安感などで発作や嘔吐(おうと)を起こすパニック障害を患った。その際、親身になって励ましてくれた恩師へ最高の恩返しとなった。 「ホームランとは縁遠いチーム。サヨナラホームランは初めてじゃないかな」。指揮官は復活をアピールした孝行息子の活躍にニンマリ。伏兵とは言わせない。眠りから覚めた長距離砲が難敵たちをはじき返す。
2007年06月01日
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