2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全10件 (10件中 1-10件目)
1
月末は、月刊誌「洗心」を作らなければいけないので、忙しさで、ブログを書く余裕もなくなります。まして今月は29日しかない。しかし、これでも1日多いのですが。しかも、今月は23日は、信者さんの50日祭、納骨、24日は月例祭と少年少女会のバンド練習。25日は出務、26日は県北へ出張、27日は出務で、1日使えるのは28日のみ。ところが28日から風邪をひいたようで、ちょっとしんどい。29日は朝6時半からご本部へ月末お礼参拝に出かけますから、28日の夜のうちに文章を作り、印刷をしておかなければいけません。しんどさを押して作業をするのは、何と辛いことか。そのとき考えました。鬱の人をお取次ぎさせていただいていますが、その人は、このような状態で、仕事をしているのだろうなあ、と。これは、結構きついなあ。分かっていたようでも、分かっていなかったなあ、と反省しました。頭がボーとする状況で、何とか印刷までこぎつけ、夜寝るときに、どうぞ、明日御用にお使いいただけますように、とお祈りしました。御用をさせていただいて、おかげいただけますように、と。おかげで、今朝起きたら、喉がはれているようだが、声は出る。咳もあまり出ない。熱はありそうだが、測らずにおきました。38度ほどあれば、御用の元気がなくなりそうでしたから。おかげで、ご本部参拝ができ、奥城も巡拝できました。体調も、いい方へ向かっているようです。御用をさせていただくことで、おかげがいただけたようです。今月の大魔王は、厳しかったですが、しっかり鍛えていただけて、ありがたかったです。
2008.02.29
コメント(2)
クリエイト21の研修会での杉田先生のお話を少し書こうと思います。金光教の信奉者数は、昭和元年には、63万人、昭和10年は、115万人。昭和9年10年事件がありましたが、このときが、金光教の信奉者が最も多かったときであり、一説には200万人の信徒数があったとも言われています。それが戦後の昭和21年には、68万人に減っています。そして、その時は、日本国民も先行きが見えず、不安な状態であり、どのような指針で生きていけばわからなくなっていた時代でした。そのような中、昭和22年に三代金光様が、「立教の神伝をひた受けに受け、油断なく守らせていただいたら結構です」というお言葉を仰せになりました。立教の神伝では、「死んだと思って、欲を放して、ひたすら結界取次に専念してくれ」ということでした。ですから、それを油断なく守らせていただきさえすればいいわけです。今、金光教も、立教150年を明年に控え、立教の神伝を頂き直そうとしています。結界取次の充実が願われています。充実させるには、結界恪勤が必要になってきます。結界に座りきって、神様のご意思を窺い続けていくことが大切なのです。そのことに全教で取り組むことがいるように思います。だんだん杉田先生のお話から、私の持論になってしまいました。ただ、杉田先生のお話を聞かせていただきながら、結界取次さえさせていただいていればいいのだなあ、と思わせられたことでした。
2008.02.22
コメント(0)
明日は、クリエイトの研修会があります。大阪の三国教会の杉田先生が講師として来てくださいます。どのようなお話が聞けるか、今から楽しみです。信心に取り組む。神様を求める。助かりを求める。人間として、これほど大切で、やりがいがあり、楽しいことはないと思います。神秘の世界、情の世界、えもいわれぬ感覚が行き交う世界を垣間見ることができます。明日も、すばらしい一日になるよう、神様にお願いさせていただきます。お願いしておけば、そのようになります。
2008.02.16
コメント(4)
常盤台教会の三宅美智雄先生から、教会誌を送っていただきました。この場をお借りして、お礼申し上げます。三宅先生は、かねてから、一途な信心をされる先生だと感じておりましたが、文面から、改めてそのことを感じました。次のように書いておられます。45年前、泉尾教会初代親先生の、「東京助け」のご祈願をいただいて、常盤台に道を開かせていただきました。けれども、いわゆる「お手代わり」ではなく、生神金光大神さまになりきって、師匠・初代親先生になりきって道を開かせていただきました。決して思い上がって申すのではなく、我を捨て、わが身を捧げて、「助け一筋」の御神願の証人(あかしびと)として御用にお使いいただいての45年でありました。すごいなあ、と思わせていただきます。私は、まだまだ我を捨てきれず、わが身も捧げきれず、中途半端なところにいます。その弱さを克服したいと願っています。その修行に、今年から入って行きたいと願っています。果たしてできるのかどうか?心の強さが試されそうです。もっと強く、もっと優しく、もっとしなやかに、神様と人に向かって行きたいと願っています。
2008.02.15
コメント(1)
明日は、チョコレートがばら撒かれる日ですが、私は、教区委員会があり、教務センターに出務する日です。毎年、2月14日が教区委員会です。以前、教区委員の先生が、もらったチョコレートを持ってこられたことがありました。しかし、教区委員の先生方には、ほとんどバレンタインとは関係がない(失礼)先生方が多いので、2月14日が問題になることもありませんでした。私にも、関係ないといえば関係ないのですが、帰ったら、チョコレートがたくさん届いている、という楽しみもある日です。いえいえ、このブログを読んでいる方に、チョコレートの請求をしているつもりはありませんので・・・。
2008.02.13
コメント(2)
朝、信者さんとお話していて、ある方が、「おじいになる」と言われました。「おじいになる???」おじいさんになるということだろうか、と考えていると、「独創性がある、ということじゃあないですか」と言われました。「ああ、それはオリジナルですね」と言って、大笑いしましたが、その方は、80歳を超えておられますが、そのように独創性を発揮して、みんなを引っ張って行ってくださいます。オリジナルをオジリナルと間違えられましたが、又それが、その場をやわらげてくれます。そういえば、昨日のセミナーのときも、ゲームのとき、「おしりのように」を「お尻のように」ときいて、????でしたが、「お知りのように」で納得した場面もありました。言葉って難しいですね。その言葉に頼るしかないのですが・・・。
2008.02.12
コメント(2)
今日、教区の青年セミナー「教祖新発見ツアー 神願開示」が開催されました。スタッフの方が、連日、遅くまで企画を練ってくださったもの。その甲斐あって、おかげが現れるセミナーになったと思います。私も、新たな悟りが得られました。それは、ある問題に取り組んで、おかげがなかったように感じたことでも、その時の祈りは蓄積されており、次に同じ質の問題に取り組むとき、前の祈りも加算されるということです。ですから、その問題でおかげがいただけるようになると、その後も、おかげが受け続けられるということです。ですから、しっかり祈らせていただいたことは、大変な宝物になるのです。改めて、しっかり祈らせていただきたいと感じたことです。
2008.02.11
コメント(2)
今朝、大阪からお参りされたご夫婦がありました。環境問題についてのお話をお聞きしたい、ということでありました。先月28日には、学院生(金光教教師養成所の生徒)5人が、環境問題について、お話を聞きに来られました。学院生にお話をする内容を考えたとき、ある悟りが得られました。それは、問題は、神様が、私たちにそのことを願ってくれよ、という促しであることです。そして、実際、その願いを神様が聞いてくださる現象が起きてきました。ですから、環境問題に危機意識を持つことは、環境をよくする祈りを持つことであり、その祈りを神様が聞いてくださり、そのように働いてくださることを話させていただきました。その方が参ってこられることを、神様は分かっておられて、学院生にお話をする機会に、その悟りを私に与えてくださったのでした。神様は、返す返すも行き届いた方だと思います。そして、その方が私を知るきっかけになったのが、私が書いた『神から差し向けられた人 生神金光大神を現代へ』を、親戚の方から勧められたからです。その方の御身内にも、問題があり、その問題を、私に持ってこられたようにも思いました。私には、そう受け取られました。私は、その問題も、おかげになるよう、祈らせていただきたいと思います。その問題には、ここ数年取り組み続けています。そして、最近は、おかげをいただけるようにならせていただけてきたように思います。そういうと、慢心をしているようですが、おかげを頂かなければならない問題なのです。その祈りを強めたいと思っています。必ずおかげをいただける信念を得たいと思います。
2008.02.09
コメント(2)
今日は、佐藤範雄先生が初めて教祖広前に参られた日です。その日を祈念して、芸備教会関係の教会の方々が、ご本部へ勢参拝させていただきます。岡東教会も参拝させていただきます。そして、そこで、父が「佐藤照先生のみ教え」という講題でお話をさせていただきます。ほぼ1年前から頼まれていました。父は、貧血で具合があまりよくなかったのですが、お話の御用を受けました。この御用を受けたと言うことは、この御用が成就するまでは、体のほうも元気でおれる、ということだと理解しています。実際、今日を迎えることができました。まだ、血液の数値は、変わらずで、小康状態ですが、日常生活は差し支えなくさせていただいています。今日のお話の御用が成就するよう、お願いしております。
2008.02.04
コメント(5)
教会の新年総会で、御教えの短冊をひきました。毎年、引くのですが、みんなにピッタリの御教えが当たるようです。私の御教えは、「信心する者は、常に守りを心にかけておれよ」という御教えでした。私は、この御教えを次のように解釈させて頂きました。「信心させていただいている自分は、常に、神様に心を向けて、お伺いしていくようにしなさい」最近、常にお伺いする稽古をしていましたので、ピッタリの御教えだと思いました。神様にお伺いしても、きちんとした答えが返ってこないこともありますし、何を言われたいのかが分からないお知らせもあるのですが、それでもいいのです。常に、神様に心を向けて、お伺いしていくようにしていけば、それでいいのです。そうすると、だんだん分からせていただけるようになってくると思います。何事も、稽古をすれば、上達していきます。だんだんお知らせが、はっきりするようになってくるのです。以前書いた、超感覚的認識力が身についてくるのでしょう。それは、たいした財産なのです。教祖様は、まず手にお知らせを頂かれました。それは、願い事が叶うときには、手があがり、叶わない時には、手が下がるのです。同じように、手みくじが頂けるようになった人に、「どれほどの財産か分からんなあ」と言われています。神様の反応があることで、信心により熱心になり、信心が向上していくのです。
2008.02.01
コメント(0)
全10件 (10件中 1-10件目)
1