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「不徳の致すところ」という言葉があります。わが身の不徳を思うことがよくあります。人が助からない、思いが伝わらない、いかんともしがたいところがあります。又、私の思いとは別なことを、神様が言え、と促されることがあります。それは無理であろう、と思えることも、そうするように、という言葉を続けて見せられます。しかし、それで、その人が本当に助かるのか?人間心では、助からないのです。しかし、神様の理論では、それで助かるのでしょう。そのギャップがあるので、信心は、思い切りがよくないといけないところがあるのです。まだまだ、人間心が放せません。人の理論でいくのと、神様の理論は、逆のことがあります。思い切り、神様の理論に従っていく。それしかないのであろう、と思わされます。それを信じる力が必要です。神徳とは、神を信じる力、とも言われます。神徳を頂けば、心配はないのです。「教主金光様の神徳を下さい」そればかりが願わされる不徳の身です。
2008.11.30
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クリエイト21の総会と忘年会が12月13日にあります。岡東教会でお弁当とオードブルをとって頂くのですが、今日、りんどうさんがお弁当を買ってこられ、試食をしてみて下さい、と持って来られました。本当に、行き届いた準備を進めて下さいます。こうした陰の働きにより、物事がスムーズに流れるのです。まさしく、お陰様で、です。(^_^)今度の総会と忘年会も有意義なものになるであろうと、楽しみです。
2008.11.26
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昨日、クリエイト21の例会がありました。又、初めての参加者もあり、有り難かったです。このように、新しく参加してくださると、会に新鮮味が加わり、とてもいいことです。教会も、新しい人が参拝されだすと、活気が出てきます。一昨日の月例祭には、それまで月例祭に参拝されなかった人が、参拝しておられ、有り難いことでした。このように、次々と新しい人の参拝、参加があるようなおかげを頂きたいものです。それには、願いが必要です。その会や教会の使命がはっきりすることが大切です。
2008.11.25
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夏場は、水浴びでも、最近は水行と言ってもいいと思います。昨日、A教会のご大祭で、水行の話が出ましたが、話している2人の先生とも、水をかぶっている、と言われていました。お風呂に入っているとき、水をかぶっているので、そんなに大したことのないように言われていました。1人の先生は、寒修行期間には、朝、水をかぶるそうです。案外、水行をしている先生が多いのだと、驚きました。そして、その2人とも、少し太っています。やはり、水行をしていると、体がそれに対応できるよう、皮下脂肪をつけるのかもしれない、と思いました。私も、1日2食にしてから、少し太りだしたのですが、水行の影響かとも思わされました。私も、ここ2,3日は、水の冷たさがきついので、そろそろ水行も止めにしようかと思っていましたが、神様が、止めないように、その2人の先生を差し向けられた感じもしました。
2008.11.24
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お徳がないと、すべてのことがうまくいきません。健康のこと、財のこと、人間関係のこと、すべてお徳を頂けば、うまくいくようになります。そのお徳を頂いてほしいと神様は願っておられます。又、取次者も願っているのです。そして、お徳の積み方について、金光教祖様は、「神参りをするのに、雨が降るから、風が吹くからえらいと思ってはいけぬ。その辛抱こそ身に徳を受ける修行じゃ」と言われています。お参りがお徳を頂く一つの方法です。ですから、お参りをするように勧めます。そして、お参りする側も、これでお徳が頂ける、と思ってお参りしていただきたいのです。お徳が頂けて、どんなおかげが頂けるだろうか、と楽しみにしていただきたいのです。そのような楽しい気持ちでのお参りに、必ずお徳がいただけるのです。
2008.11.23
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私は、おかげを頂くには、信者さんがよくお参りをして、お取次を頂くことが大切なことだと思っています。神様は、おかげを授けるのに、氏子の捧げた真を使って、おかげを用意されるところがあります。ですから、お参りして、お取次ぎを頂くことで、真がたまってくればたまるほど、大きなおかげがいただけると思うのです。ですから、お参りするように言うのですが、それが、嫌々のお参りであれば、真はたまりませんから、全く意味がありません。やはり、お参りしておかげを頂こう、という気持ちになってのお参りでなければなりません。金光教は、基本的に何の強制もない宗教です。お供えも決まりはありません。宗教団体で、会費やお供えの額の決まっていない団体はないと思います。そして、基本的には、お供えをしなくても、お参りもしなくてもいいのです。拝めいとも、何をせいとも言わん、ただ真の信心をせよ、と言われているのです。しかし、その真の信心がなかなかできませんから、まあ、お参りをするのが、おかげの近道だと思うのです。
2008.11.22
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今朝のお話は、神様のお役に立たせていただきたい心が、真であり、その心さえあれば、大きなおかげが頂ける、というお話をさせて頂きました。これは、鶴ヶ岡教会の前教会長、川上先生が話しておられることですが、神様から「神様のお役に立たせてもらいたい」という心を持つのが、信心の基礎じゃ、と言われたそうです。これがなかったら、少々信心しても、大したことにはならないのです。おかげを頂きたいばかりではいけないのです。神様のお役に立たせて頂きたい、という真心を、神様が喜ばれるのです。ですから、死んだと思って欲を放して、神様のお役に立とうと思って、金光教の教師になる人を、神様は感動をもって迎えてくださるのです。私も、若くして金光教教師になりましたが、その時はさほどに感じていませんでしたが、息子が金光教教師になると言ってくれることは、神様の感動と共に、すごいことだと感じています。その心だけで、神様がお使いくださるのです。信者さんも、この心さえあれば、おかげはどんどん表れるのです。
2008.11.21
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急に寒くなってきました。しかし、私は、まだ裸足でおろうとか、寒さをあまり辛く思わなくなっています。夏場から、お風呂で水をかぶっていますが、そのせいであるように思います。水をかぶるのも、慣れてくると、そんなに苦痛ではありません。冷たいとは思いますが、その冷たさにもなれると、寒さをさほど感じなくなるようです。これが究極の寒さ対策だと思います。寒さには、寒さを感じることをもって、寒さを制す。我ながら名言です。しかし、これも、今の寒さぐらいまでしか通用しないかもしれません。
2008.11.20
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神徳を頂くことで、おかげを頂くことができます。ですから、神徳を頂かなければなりません。その神徳を頂く方法は、一つには、参拝です。参拝することで、神徳をいただけるのです。そして、お取次を頂くことです。そして、親孝行することで、どえらい神徳がいただけます。それから、人をお導きすることでも、大きな神徳がいただけます。気の毒な人のことを祈らせてもらうこと、これも神徳が受けられます。又、神様への御礼に徹すること、お詫びに徹すること、これも神徳がいただけます。実意・丁寧・正直・親切、これもそうです。そうして、一番大きなお徳を頂くのは、神様のご恩を感じて、「神様のためなら命を捨ててもいい」。これであります。金光教教師は、これでいっています。「死んだと思って欲を放して」やっております。ですから、めぐりが深いものも、教師になることで、神様に使っていただけるのです。
2008.11.19
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神様に心を向けるのが信心ですが、その信心の仕方がいろいろあると思います。自分の願い事を願って行く生き方もあれば、すべて神様の差し向けとして、有り難く受けていくあり方もあります。自分の願いを一心に願っていくいき方は、願いがかなえばいいですが、叶わなかった時は落ち込みます。すべてを有り難く受けていくあり方は、神様に向かう力が弱まるところがあります。なぜなら、お願いをしないのですから、神様に一心に向かいにくいのです。やはり、人間は、願いがあるときに、一心が出ます。金光教は、両方を大切にしていると思います。願うことも必要です。願うことで神様も働くことが出来られるのです。願われなければ、神様は働くことが出来られません。ただ、願いも、自分さえよければいいという願いではいけません。自分も他の人も助かる願いが必要です。そして、すべてを有り難く受けることも大切です。起こってくる事柄の中には、神様の最大限の助ける働きが込められています。大難を小難にしてくださっています。何かを気づかせようとしてくださっています。めぐりを取ってくださっています。育てようとしてくださっています。そうしたことにお礼を申して、有り難く受けさせていただくのです。そうした稽古が、大切だと思います。
2008.11.18
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今日、宇野西教会のご大祭でお話をさせて頂きました。以前、100日信行をしている人のことを話す予定である、と言っていましたが、お話を書いていくと、別な方向に話が進んでいきました。それが神様のご意思だったのでしょう。結論は、「金光が世界を助けに出たのである」ということでした。そして、私たちが自分の問題を通して、同じように苦しんでいる人のことを祈っていくと、神様の世界を助ける働きの一端をになうことになるのです。そのようなことを話しました。「金光が世界を助けに出たのである」という言葉は、今日、心の底から湧いてきました。神様のお知らせの言葉だと思います。
2008.11.16
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今日は、月に1度の楽の練習をします。今日は、岡山教会からも来られます。多い人数になりそうです。初めての人もおられます。又、上級者もおられます。それぞれが、いい練習ができるように祈らせていただきます。他の教会の人と練習すると、刺激にもなり、勉強にもなると思います。すべての教会で、祭典に楽のお供えが出来るようになればいいと思います。
2008.11.15
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金光教は、お土地への御礼を言うことを知らしめた宗教かもしれないと思われます。黒住教が、もしお土地のご恩を説いていたら、この方は出る必要がなかった、と金光教祖が言われているぐらいです。天を拝むものは多いが、地を拝むものがいない、とも言われています。しかし、ほとんどの恵みは、お土地が生み出しているのです。そのお土地にお礼をさせていただかなければなりません。今日、ある教会の先生の体験談をお話させていただきました。膵臓炎で、アミラーゼの数値が2000を超えると命が危ないのに、13000になっていたそうです。膵臓の大きさも正常の3倍になり、破裂寸前だったそうです。意識が薄れていく中で、「天地にお礼を申しておるのか?」という声が聞こえたそうです。そこで、御礼が言えていないお詫びをし、天地にお礼の言える自分にならせて下さい、とお願いしていましたら、アミラーゼが1900に下がったそうです。そしておかげを頂かれました。お土地はすべて神様のものです。その神様に御礼を言わせていただかなければ、住めなくなるのです。家賃を払わなければ、出て行かないといけないのと同じです。しかし、生きても死にても、天と地は我が住処ですから、出て行くことは出来ません。ですから、せめて御礼を言わせて頂かなければならないのです。
2008.11.14
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今年は、水行をしているせいか、寒さに挑戦しようという気がしています。普通は、寒がりで、もう靴下を履いている時期ですが、まだ、はだしで頑張っています。一説によると、足先が温度センサーの役割を果し、足先が冷たいと、体温を上げる働きをするので、体が温まる、と言われます。ですから、お風呂の出掛けに、足先を水で冷やすと、風邪を引かないんだ、と言われるわけです。私は、お風呂に入っているとき、足先だけでなく、肩から水をかけていますから、体全体が、寒さに対応するように働いている感じがします。ですから、寒さをあまり辛く思わなくなっています。はだしの行も、もう少し頑張ってみようと思っています。
2008.11.13
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今度、16日に宇野西教会のご大祭でお話をさせていただきます。今、お話の内容を考えているのですが、ちょっと行き詰っています。ある取り組みをして、おかげになったこともありますが、そうでないときもあり、しかし、それは次なる取り組みの促しでもあり、と考えていると、ごちゃごちゃになってしまいます。それを秩序立てて組み立てないといけません。おかげを頂くのは、様々な要素があります。どのようにすればおかげが頂けるのか。そこのところを、分かりやすく示していきたいと思います。あまり時間もありませんが、お話を考えるのは、そこの整理ができて有り難い面があります。しかし、一方ではしんどいですから、あまり受けたくもありません。生みの苦しみですね。私は、子供は生んでいないので、せめてお話を生む苦しみは経験しなければいけないのでしょう。
2008.11.12
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天地書附に「一心に願え」「今月今日で頼め」とあるように、毎日一心に願うことがいります。それも具体的に願っていくことがいります。私は、ご祈念のたびに、信奉者の無事と、命を頂いていることのお礼を申し、今日も命を頂き、病気や問題は、解決の方向におかげが頂けるように願っています。それは、ある面、緊張感を持って祈らせていただいているのですが、新たな人を引き寄せてくださることのお願いが弱くなっていました。今、難儀に直面している人、そして、修行に取り組み、それをおかげにしようと信心に励んでいる人に目が行きがちで、まだ、御神縁を頂いていない人にまで、気をまわす余裕がなくなっていました。改めて、御神縁を頂いていない人のお引き寄せも一心に祈りたいと思います。世間には、なんぼうも難儀な氏子がいるのですから。その氏子を、取り次ぎ助けてやってくれ、といわれるのが、神様の願いですから。
2008.11.11
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今日から1週間、出る用事がありません。門外不出が出来そうです。しかし、犬の散歩と、郵便局の用事があります。そこで、30分ぐらいは出ますが、後は、教会におります。そのうち、お結界には、8時間は座っておきたいです。金光教の先生は、座るのが仕事です。座ることで、お徳がチャージされるのです。それを参拝された信者さんが持って帰られます。そこで、又、チャージをしなければなりません。その繰り返しです。そんなイメージをしています。
2008.11.10
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天竜教会の布教50年記念大祭に参拝して、帰ってきました。教会に着いたのが午後6時45分でした。午後7時からのご祈念に間に合いました。お直会が終り、浜松駅に着いたとき、後2分で岡山行きの「ひかり」が出発するところでした。下谷教会の先生と、一緒でしたが、間に合うかどうか、走ってみようということで、階段を走りあがり、間に合いました。しかし、息が切れました。もう歳です。しかし、あれだけ走れるとは、まだまだ若いともいえます。おかげで、7時のご祈念にも間に合い、3人の方のお取次をさせていただけました。御用が、私を待っていてくださったようでした。又、明日から、しっかり御用をさせて頂きたいです。
2008.11.09
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9日に家内の里の天竜教会の布教50年記念大祭が仕えられます。私は、明日から参らせていただきます。家内の父親が初代です。教会の初代というのは、偉いものだと思います。一人に信心を伝えるのでも、大変なことです。それを、教会ができるほどの人に信心を伝えるのですから。神様が、人は引き寄せる、と言われます。人の力では、布教はできません。まして、金光教は、外へ出て行って布教をしません。じっと部屋の片隅のお結界というところへ座っているだけです。宣伝もしません。チラシもばら撒きません。どのようにして、そこを探し当てて、お参りするのでしょうか?不思議です。神様が引き寄せる、としか言いようがありません。今は、インターネットで伝えることも出来ます。しかし、50年前は、そういうものもありません。しかし、お道が伝わり、50年間、人助けの結界取次の業(わざ)が続いてきました。まさしく神業(かみわざ)です。9日の記念祭に参拝して、その日に帰らせていただきます。2日間の留守中、何事もないよう、お願いさせていただきます。
2008.11.07
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7,8月に水をかぶるのを水行と書いたら、その時期は水行とは言わない、とのご意見をちょうだいしました。確かに、それは、水行というより、水浴びです。しかし、水をかぶるのは、そのような暑いときから、徐々に慣らしていくことがいるように思います。最近は、水をかぶるのが、水行といってもいい感じになってきました。冷たいです。ただ、水の無駄遣いになってはいけないので、シャワーの温水が出るまでの水を体にかけています。足元から、徐々に上にかけるようにしています。30秒ぐらいすると温かくなりますが、それまでの水をかけます。これも、水行と言っていいかどうか分かりませんが・・・。でも、このように水をかけることに慣れてくると、寒さをあまり辛く思わなくなれそうです。まあ、もっと寒くなってくると、どうなるか分かりませんが、今年は、どこまで水をかぶれるか、やってみようと思います。
2008.11.06
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今月になって、毎日のように出る御用が続きました。明日もまた出るのですが、今日は、教会に居ることができました。そうすると、私でなければいけない事柄の電話が2件ありました。どちらも、難しい内容です。このような御繰り合わせを、よく頂きます。2件の事柄がおかげになるように、お願いさせていただきました。世の中には、問題が満ちています。お取次を頂きながらすれば、おかげになるのに、と思うことが多いです。しかし、このお道を知らない人も多いのが現実です。何とか、多くの人が知ることが出来ますように。そのためには、はっきりしたおかげを現すことが必要です。そのためには、金光教の信奉者が、本気でお取次を頂き、本気で信心をしなくてはなりません。今、本気の取り組みをされている人が、岡東教会には多くいます。このことは有り難いことです。取次者である私も熱が入ります。まさしく「あいよかけよ」です。また、気合を入れていきましょう。
2008.11.05
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今日は、御幸教会のご大祭で、お話の御用をさせて頂きました。話がなかなかまとまらず、今朝まで苦しんでいました。今朝は3時に目が覚めて、お話を考えていました。出発するまでに、大まかな感じでできていたのですが、何かまとまりがつかない感じがしていました。それでも、何とか御用を終えることができました。出来は、よく分かりませんが、不登校の悩みは多くの人が抱えておられることが、改めて分かりました。そのお役に立てたなら、ありがたいことと思います。そして、改めて、祈りをさせていただかないといけないと思わされています。
2008.11.03
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