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昨日は、「洗心」を書いていたら、今朝の午前2時までかかりました。1時間半睡眠は、ちょっと厳しいなあ、と思いましたら、やはり寝過ごしました。午前4時20分に目が覚めました。あわてて着替えて、玄関を開けたのが、4時半、30分の遅刻です。やはり、もう少し早く寝なければいけません。でも、「洗心」をするには、仕方ありません。おかげで、「洗心」はできました。できたら、嬉しいです。気分がいいので、大祭の時に出す「これから」という教会誌の原稿も少し書けました。教務センターをやめて、丸3ヵ月。そろそろパワー全開にしていきましょう。
2008.09.30
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「洗心」の原稿が、遅れ遅れになっています。「環境・食・教育」情報に使う新聞記事がなかなか見つからず、時間切れで、2つの記事から書いていくことにしました。まとめるのに、力が要ります。それと「おかげのもと」も、何について書くかは決めているのですが、実際書き出すとどうなるか分かりません。いずれにしても、両方とも、後半日で仕上げなければなりません。ちょっと厳しいです。と言いながら、このようなブログを書いている自分が情けない・・・・。
2008.09.29
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今日は、ご本部大祭の第1日でした。後3回仕えられます。今日は日曜日でもあり、駐車場も一杯かと思って、植木市の駐車場に行きまして、車をとめました。そこには、余り車がとめてなかったので、もしやと思いましたが、祭場に向かう道中、下淵駐車場を通り抜けるのですが、まだ沢山、空いたところがありました。はじめに、こちらに来て見ればよかったと思いましたが、後の祭りです。ちゃんと神様にお伺いしなければなりません。今、北ウイングが建設中です。その横のスロープを上っていくと、境内への近道になります。受付を済ませ、会堂広前でご祈念、お届けをして、9時から、お話があるので、祭場に急ぎました。お話は、福島教会の金光栄雄先生でした。希望校合格のため、100日修行として、日参をして必死に祈ったのですが、不合格だった人の例も話されました。その人は、不合格でしたが、100日修行が出来たお礼参りをされましたら、不合格だった学校から連絡が来て、行けるようになったそうです。願いどおりにならなくても、ありがたく受けることの大切さを話されました。祭典があり、吉備舞奉納が終わって、帰路につきました。いつもは、お昼を良寛荘で頂くのですが、信者さんが、時間が早ければ、岡山まで帰って、メルパルクで食べましょう、と言われました。メルパルクは、安くておいしいそうです。11時までに出発できたら、メルパルクにしましょう、と言っていました。みんなが揃ったのが、11時10分だったので、良寛荘にしました。いつもは、良寛荘の「海鮮どんぶり」を頂きます。今日も、注文しようと思ったら、「海鮮どんぶり」がありません。メニューから削除されていました。ちょっとがっかりです。油が値上がりして、海産物が値上がりしたので、やめたのかもしれません。メルパルクにした方がよかったなあ、と思いました。ここでも、お伺いをしないといけない、と思いました。すべてにお伺いをして、神様のお知らせのままに行かせて頂きたいです。
2008.09.28
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今日は、連合会の「信奉者の集い」が開催されました。信者さん3人と家内が出席させていただきました。私は、1日、お結界奉仕でした。今日は、1ヵ月前に子どもさんが出来られたご夫婦が赤ちゃんと3人でお礼の参拝をされました。又、奥さんが骨折手術されていましたのが、無事退院できたというお届けに参られた方もありました。又、問題を持って参られる方もあり、電話のお届けもありました。御用に、お使いいただけて、ありがたかったです。「信奉者の集い」では、講師は水島教会の金原先生でした。参加された方々が帰られて、少し報告して下さいました。いいお話だったようです。はらはんさんやりんどうさんも参加されたでしょうから、又、どのように感じられたか、コメントください。
2008.09.27
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朝方、激しい雨が降りました。何も行事がない時の雨は好きです。しとしとと降る雨が落ち着いた雰囲気をかもし出してくれます。又、少し激しい雨も好きです。あたり一面を清めてくれる感じがします。そして、閉ざされた感じがして、じっくり落ち着いて、考え事でも出来そうです。昨日の、邑久光明園の秋季霊祭が終わって、今日から「洗心」に集中できそうです。
2008.09.26
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松山成三先生は、岡山に布教に来られ、父も近づきやすい先生と感じ、よくお参りさせていただき、食事も「一緒にしよう」と言ってくださった、優しい先生であられましたが、先生の中には、すさまじい布教熱意を持ち、実践しておられたことを知らされました。松山先生は、最初、大連に布教されたのですが、そのときの心境を、次のように語っておられます。その当時、私は考えました。「志を立てて、布教させていただく以上は、万事に信心が第一でなければならぬ。その他のことは、食うことでも、寝ることでも、第二、第三のことであって、問題とするに足らん。食い物は、朝、お供えしたご神飯のお下がり以外は、例えどんな事情のものでも、断じて口に入れぬ。又、お広前は、武士の戦場であり、教師の死に場所であるから、例え一人の信者が参っておらぬ時でも、みだりに休息したり、外出したりはしない。そして、一人の信者が参ってみえても、実意丁寧にお道の教えを話し、また、その願い事を取次ぐことを絶対に怠ってはならぬ」と、こう考えました。そして、私は、この信念を是が非でも押し通そうと決心しました。それで、どんなに苦しくても、どんなに疲れていても、この決心だけは破らなかったつもりであります。最後の言葉が、凄みをかもし出しています。そんなことが出来られるのか、と思います。出来ないにしても、一つの理想として、心深くとどめておきたいと思います。
2008.09.24
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寝ない修行などと言っていたら、だんだん時間がなくなって、本当に寝られなくなりそうです。今夜は、眠れない夜になりそうです。心配事で眠れないのではないので、まあいいか・・・。ちょっとブログが書けない日が続くかもしれません。
2008.09.21
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水行について書きましたが、次は、寝ずの行について書こうと思います。銀座教会の初代は、1時間睡眠の行をされたそうです。玉水の初代も、極端な短時間睡眠でした。寝る時間があれば、人助けをせよ、ということだったのかもしれません。玉水の初代が、ご本部参拝されたとき、その前2晩徹夜だったそうです。列車の中で少し眠れるかと思っていましたら、次々に信者さんがお取次を頂きに来られ、寝ることができませんでした。そこで、祭典中寝ては、ご無礼になると思い、教祖様の奥城参拝は後にして、2時間ほど横になられたそうです。その後、教祖奥城でのご祈念が、全く受け付けていただけません。そこで、湯川先生特有の神様への直談判しましたら、「眠たいときに寝るようで、人助けができるか」という御返事でした。3日徹夜しての2時間睡眠が許されないのです。人助けにおいては、神様は、容赦ありません。とても厳しいものです。そんなことを言っていたら、私などの御用は、全くなっていません。お結界で、座ったままで寝ていますから。
2008.09.19
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水をかぶっている人に対して、ある師が、「水をかぶっておいでだそうじゃが、弱い体でえらいこっちゃ。ヒビの入った体じゃから、大切にしてもらわにゃ。まさか水をかぶるのを修行と思うてはいなさるまいな。信心も修行も、自分が決めてするもんじゃない。神様が、この人にはこれを、と思うてさせなさること、神様が願っておられるところを、素直に受けさせてもらうのがお道の信心修行と思いますがなあ。私もはじめのうちは、そこが分からんで、ああしたらおかげになろう、こうしたら助かるだろうと一人決めして、ずいぶん回り道をしたものだった。お道が少し分からされて、後々の人には回り道をせんで、一本道を来てもらうように話させていただくのじゃが、なかなかですわなあ。あなたは、教会や家の中でじっとしておっても、受けにゃならんご修行は山ほどある。神様が、今この者にと、願うてさせてくださる修行はよう受けずに逃げて水をかぶっても、水は粗末になるが、おかげにはなりませんよ」と言われました。ここでは、神様にさせられる修行が大切と言われています。前の十津川教会の原田先生の師匠が言われた、「神様にさせられる修行はきつい」ということと相反しています。しかし、起こってくる事柄を、神様が差し向けてくださる修行として受けることは、金光教ではポピュラーなようです。湯川安太郎先生も、次のように言っておられます。「自然の行」というものは、是非させてもらわんならんと私は思うております。では私が自然の修行と言うのはどんな修行かと言いますと、それは目先に生じてきたことを、何でもことごとく修行として受け取らせていただいて、それに対する修行をさせていただいていくことであります。合楽教会の大坪総一郎先生も、成り行きは一切が神様の差し向け、と言われています。すべてをありがたく受けることが修行ならば、教会参拝や祈りなどは、修行にならないか、と言うと、そうではないと思います。教会参拝は、信心の基礎体力をつけることになると思います。又、祈りは信心の命です。教会参拝と祈りは、信心にとって不可欠な要素だと思います。ですから、教会参拝を修行と位置づけるのは、いいと思います。又、神前拝詞を10巻あげるなどの、祈りの取り組みも、修行としていいと思っています。
2008.09.18
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前日のブログ広前では、多くのコメントがあり、りんどうさんを中心に共励が行なわれ、ありがたいことでした。私も、修行については、考えがあるのですが、これは、好みもあり、又、どちらが正解ということもないような気がするので、そういう感じで読んでください。私が、修行について、面白く感じた意見は、十津川教会の原田先生の師匠が、「自ら進んで修行しない人は、神様に修行を与えられる。神様にさせられる修行は、きついで~」と言われたことです。ですから、原田先生は、薪を割ったとがったところを上に向けて、薪の座布団を作り、その上に座ってご祈念をされたそうです。そのように、自ら進んで修行に取り組まれたから、神様から修行をさせられることがなかったそうです。そうした修行が必要かどうかは、意見の分かれるところでしょうが、痛みをこらえてご祈念をあげることで、一心な思いを神様に受け取っていただく、ということはあると思うのです。途中ですが、日が変わりそうですので、やめさせていただき、又、明日書かせていただきます。
2008.09.16
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今日は、クリエイト21の例会がありました。クリエイト21のメンバーで、今、修行が一つのテーマになっています。いかなる修行に取り組むか。日に3度参りに取り組んでいる人もいます。朝のご祈念の40分前に教会に参り、神前拝詞10巻をあげることに取り組んでいる人もいます。車で30分かかるところから、日参をされ、その後、教会の草抜きをされている人もいます。それぞれ、問題を抱えておられ、そのおかげを願っておられます。その意味では、問題があるから、信心に取り組まれ、神徳を受けておられるので、問題があることがおかげだと思います。実際に、そう言われた方がありました。クリエイト21の例会に出て、信心が分からされた、と言われた方もありました。以前は、信心が分かっていなかったと。信心が分からされてくる。これほど有り難く、楽しい事はありません。これからも、信心を深めさせていただきたいと思います。
2008.09.14
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岡陽教会の山本泰子先生の終祭にお参りしてきました。94歳でお亡くなりになられました。亡くなられる102日前に、血液検査を受けられたとき、お医者さんに、あと1週間の命だと宣告されたそうです。そして、息子さんも、そのつもりで、1日1日を、今日が最後かもしれないと思いながら過ごされたそうです。お医者さんは、食事をやめて下さい、詰まらせたら即、死です、と言われたそうです。しかし、年とった母親に食事をあげないことはできなかった、と話されました。一さじ一さじ、祈るようにしてあげられたそうです。そうして、1週間が過ぎ、1ヵ月が過ぎ、遂に100日が過ぎました。ここで100日修行を思いました。八尾教会の国東先生が、亡くなる100日前にお知らせを頂いて、100日は子孫や人のことを祈る100日修行にしたい、と話されているのを思い出しました。100日か、妙に納得しました。泰子先生も、息子の克己先生も、100日修行をされたのだなあ、と思いました。
2008.09.13
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大塚さんのコメントに喜んで、調子に乗ってもう一つ。小川 あ、そうだ。先生、ウソツキクラブの会長さんなんですよね。 是非、私も会員に加えて下さい。河合 はいはい。年会費が800万円ですよ。小川 800万円!河合 ええ。それに、総会もありますよ。 年に1回、4月1日。 皆に通知が行くんです。 4月1日に集まって、1人1分ずつウソをつく。 一番すごいウソにはウン万円の賞金が出るとね。 けどね、これは面白いと思って本当に行くと、こんなん信用するなんて、 ウソツキクラブの会員たる資格がないと言うて除名されるんです。 だから、僕はまだいっぺんも総会に出たことないです(笑)。 年会費も、うそ八百ですから。
2008.09.12
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小川洋子さんと河合隼雄さんとの対話集、「生きるとは、自分の物語をつくること」は、河合さんの語りが、ユーモアがあり、面白いです。次のような話をしておられます。河合さんが、当時、文化庁長官をしておられました。そこで、最近作られたジョークを紹介しておられます。部下を連れて外出して、戻ってきたとき、みんな身分証明書を忘れてるんです。で、入り口で守衛さんに止められるんですね。「証明書がない人は入れません」と言われて、「いや、我々はここで働いている」「何やってるの?」「私は天然記念物の・・・」「入ってよろしい。あなたは?」「私は伝統芸能の・・・・」「ああ、どうぞ」言うて順番に入る。で、僕の番で、「私何もしてないんですが・・・」と言うたらね、「あ、それは長官ですね。失礼しました。どうぞ入って下さい」となるわけ(笑)。これを読んで、私が教務センター所長だったときと同じだなあ、と思いました。「私は、教会事務を担当しています」「どうぞ、お入りください」「私は青少年担当です」「どうぞ、お入りください」そして、最後に私が、「私は何もしていないのですが・・・」「ああ、所長さんですね」というぐあいです。どおりで、所長を辞めても、暇にならないわけだ・・・。ああ、こんなくだらないことを書いていないで、ちゃんと仕事をしないといけません。
2008.09.11
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小川洋子さんが父へ「生きるとは、自分の物語をつくること」という新著を贈ってこられました。河合隼雄さんとの対談ですが、とても面白いです。忙しいのに、ついつい読みふけってしまいます。というのは、そんなに忙しくないということかもしれませんが。どこが面白いか。一言で言えない面白さがあります。
2008.09.10
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よく、お結界にずっと座っているほど、お参りがないから座らない、ということを聞きます。お参りがないから座らない。座らないから、お参りがない。それなら、ずっと座っていれば、お参りがあるかといえば、その保証もない。神は、守り(取次者)が徳を受けるまで待つ、と言われます。取次者に徳がないうちは、氏子を引き寄せても助かりませんから、引き寄せられません。ですから、座っていても、お参りがありません。しかし、座っているうちに徳がついてくるのです。そして、お参りがあるようになるのです。そのようにして、金光教は続いてきました。金光教は、宣伝もしません。積極的な布教もしません。ただ、座っているのみです。座って待っているのみです。氏子を待っていると同時に、身に徳がつくのを待っているのです。人を助ける徳がついてこそ、お役に立てるのです。徳をつけるには、座ることが大切です。座行に徹する必要があります。私も、その座行に入ったところです。実は、教師になって、すぐの12年間は、座行をしました。曲がりなりにも。そして、本部に出るようになり、出ることが多くなり、座行ができなくなりました。16年のブランクを経て、又、座行に取り組むことにしました。この座行は、前の座行よりも、内容の濃い座行にしなければいけません。おかげを受けていきたいと思います。
2008.09.10
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1日中座る。座るとはどういうことだろうか?私は、「座ることが祈っていることになる」と教えられた。だから、お参りの人がなくても座っている。でも、最近は、座っているだけではだめなような気もしてきた。実際に祈らなければいけないようにも思えてきた。だから、紙に、おかげを頂かなければいけない事柄を書いて、目の前に置くようにしている。座っているときに、それを眺めている。それだけでも違うような気がする。しかし、今は、しなければいけないことが多くある。手紙も書かなくてはいけない。(「洗心」を送らせていただく時に添える手紙)祭詞も書かなくてはいけない。(邑久光明園の合同慰霊祭、邑久光明園と教会の秋季霊祭、信者宅での霊祭など)お話の内容も書かなくてはいけない。(ある教会の秋の大祭の講師を頼まれている)そして、定時のご祈念後の教話のために本を読まなければいけない。そんなこんなで、沢山しないといけないものがあると、何も手につかなくなる傾向がある。そして、睡眠不足か、眠たくなって寝てしまう。お結界で、座ったままで寝る。そうこうしているうちに1日が過ぎていく。もっとも、定時のご祈念とお取次をする時間だけでも、結構ある。だから、そんなに時間の余裕はないのである。だから、何もできなくても、そう嫌悪感に陥ることもないのだけれど、情けなく思う。そうすると、「座っていることが祈っていることになる」というお言葉は、ありがたい。
2008.09.09
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今日は、家庭で出る生ごみをEMという微生物のはいったぼかしと混ぜて、貯めていたものを、信者さんの畑にもって行き、埋めてきました。以前は、教会で、田んぼでお米を作っていましたので、田んぼに入れていましたが、お米作りをやめましたので、信者さんの畑に入れるようになりました。そうすれば、生ごみも肥料として役に立ち、その信者さんも喜ばれます。今、ごみ問題は、大きな問題となっています。私は、環境問題に取り組む意味で、生ごみを堆肥化してきました。そうすれば、生ごみを油をかけて燃やさなくてもすみます。そして、生ごみは、焼却温度を下げますので、ダイオキシンが発生しやすくなるのです。生ごみは、燃やすのではなく、堆肥化すべきなのです。しかし、EMを混ぜることで、匂いは緩和するのですが、それでも臭いです。しかし、においに負けず13年続けてきました。われながら、よく頑張ったと思います。
2008.09.08
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昨日で、ブログ開設700日になりました。昨日の午後10時ごろ総アクセス数60000になりました。有り難うございます。皆さんがコメントをくださったり、応援してくださるので、続けられています。これからも、よろしくお願いします。
2008.09.07
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大塚さんにご紹介いただいた青年が、今日2度目の参拝をされました。色々話をする中で、神奈川教会で典楽をしておられたと言うことです。それで、最近、龍笛を吹くことがないので、練習したいと思っておられたと言うことです。岡東教会では、他教会から指導者の方が来てくださり、毎月練習会をしている、と言うと、その日にちが決まったら、知らせてほしい、と言われました。御用に積極的な方です。これで楽人(がくじん)が、1人増えます。太鼓をする人がほしいところです。願いを持って待ちましょう。
2008.09.06
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昨年、クリエイト21で参拝研修させていただいたときの合楽教会長のお話の冊子が、やっと出来上がりました。今日、合楽教会の渕上先生から、その冊子を20冊ほど送ってほしい、という依頼の電話がありました。この冊子は、合楽教会には、10冊贈呈していましたが、教会でも、販売されるようです。しかし、教会の在庫が15冊ほどしかなく、まず、それだけ送らせていただくことにしました。この冊子の題は、私が「信心継承できる道」とつけさせていただきました。本の売れ行きは、題によるところが大きいのです。われながら、いい題がつけられたと感じています。200冊ほど作りましたが、もう150冊ほど増刷しようと思います。それだけ、売れる本だと思います。
2008.09.05
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今日は、岡山県の教会がご本部へ勢参拝する日です。私も久々に参拝させていただきました。と言っても、月末にも参拝しましたが、教務センターに行っている時に比べると、だんぜん少なくなっています。少なくなってみますと、やはりご本部広前にお参りできるありがたさが増してきます。しっかり神徳がいただける感じがします。いつもこうであらねばなりませんね。ご本部で、私のブログを読んでくださっている先生にお会いしました。先生は、「プールで子どもを投げてはいけません」と言われました。私は、「そうです。監視員さんに叱られますよ~」と言いました。そうした、たわいもない事を言いながら、心が楽しくなるのです。
2008.09.04
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医療費の3分の1を占めている生活習慣病。その生活習慣病の予防を目的とした特定健康診査、特定保健指導が、平成20年6月から始まりました。対象となるのは、国民健康保険に加入している40歳から74歳までの方です。そういうことで、私にも、受診の案内が来ました。私は、少し前まで、1日1食で、今は、1日2食にしていますので、メタボではないであろうと思うのですが、この機会に検診を受けたいと思います。このように、国が早めに予防のための検診を受けさせることは、いいことだと思います。朝食抜きの健康法を提唱している甲田先生は、国民みんなが朝食を抜けば、食費も節約でき、健康になるから、医療費も要らなくなり、家計にとっても、国の財政にとってもいいはずである、と言っておられます。国の医療費負担が、全予算の3分の1ぐらいに膨れ上がっていることは、異常事態です。それで、こうした検査を取り入れたのでしょうが、私たちも、もっと本当の健康法を実践しなければいけないと思います。
2008.09.03
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月刊誌「洗心」8月号が、足りなくなりそうだったので、20部増刷しましたが、31日の月例祭後に数を数えると、発送しなければいけない数より、6部少なかったので、もう6部印刷しました。ですから、8月号は、176部出ることになります。そんなに誰が読んでくださっているのだろうと思います。8月は、クリエイトの研修会があったので、それに参加された方にもお渡ししたので、そういうことになったのでしょう。ただ、6,7月号が10部以上残っているので、どうしてかなあ、と思っていましたら、まだ送らなければいけないところへ送っていないことに気づきました。それが10部ほどありますから、それを発送すれば、そんなに残らないことになります。よかった、よかった。やはり、読者が少なくなるのは寂しいものです。しかし、「洗心」を発送するのが、ついついできずじまいで、数ヵ月まとめて発送したりしています。そういえば、三宅先生にも8月号の発送が出来ていません。9月号と一緒に発送させていただきます。8月は、少年少女会の合宿や全国大会でばたばたしておりました。言い訳をするようではいけませんね。ご容赦願います。
2008.09.02
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昨日は、月例祭の後、夏祭りを行ないました。以前は、ちびっ子夏祭りとして、子どもたち対象の金魚すくいや、ヨーヨー釣りもしていましたが、子どもの参加が少なくなってきたので、大人の楽しみとして行なっています。ぶっかけうどん、カレー、焼き鳥、カキ氷などの販売があり、月例祭に参拝された方が、残って食べるのです。朝6時のご祈念後、机や椅子を出す準備をするのですが、そのお手伝いの人が少ないのですが、昨日は私の中学の時からの友達が、手伝いに来てくれて助かりました。私も、月例祭の後、ぶっかけうどんや焼き鳥を買って食べました。手伝ってくれた友達とも、一緒に食べながら、話ができたことはよかったです。少し、ゆっくりさせて頂きました。月末は、月刊誌「洗心」作成や、月例祭の準備で、前日は2時間睡眠でした。時間がなくなるのは、歳をとるに従い、物事をするのに時間がかかるようになってきているのが、原因の一つです。でも、昨日で忙しいのもひと段落です。今日から、ゆっくりと御用をさせていただきましょう。
2008.09.01
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