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前のブログで書いたとおり、6月に「復興応援バスツアー 陸前高田・大船渡号(9/末まで土日運行)」に参加してきたのですが、このツアー、バス乗車地が、JR一ノ関駅と国の名勝天然記念物・厳美渓(げんびけい)の2箇所に設定されています。ということで、せっかくなので厳美渓まで行ってみました。ちなみに、厳美渓までの私の行程は、新潟⇒仙台(夜行高速バス)、仙台⇒一ノ関駅(JR東北本線)、一ノ関駅⇒厳美渓(バス)です。この行程だと、厳美渓を散策して名物の空飛ぶおだんごを食べてから、バスに乗れるのです。(お金と時間が余っている人は、上記行程以外でも乗車前に散策&だんご食いできます ↑前泊するとか、ふんだんに新幹線を利用するとか)で、厳美渓に到着して、おだんご屋さんのオープンまで周辺散策。小雨加減のこの日、緑がいきいきとして美しかったです。吊り橋もあり。空飛ぶだんごの受取り所周辺はこんな感じ。(真ん中あたりに見える屋根がだんご受取り地点)空飛ぶだんごの正式名称は「郭公(かっこう)だんご」。だんご受取り地点と対岸にあるだんご屋・郭公屋さんの間にロープが張られていて、そのロープに下げられた籠を通して、代金とお団子をやり取りするシステムです。だんご受取り地点からだんご屋を望む図。カゴに代金を入れて木槌を鳴らすと、だんご屋さんがロープ伝いに籠を引き上げ代金回収。そのカゴに、だんごとお茶を入れて対岸へスルスルと下ろします。だんご屋のおっちゃんが何やらやってる姿、見えますかね?(暗過ぎてわかんないか・・・)だんごがスルスルと下りて来る途上の図。だんご到着。カゴの中はこんな。お茶をこぼさずに下ろすには、技がいるそーな。醤油・ゴマ・あんこの3種入り。まだほんのりとあたたかく、やーらか。うまかったです。
2012.07.13
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6月に行った東北(岩手県)の旅レポートを。私が東北を旅しようと思ったきっかけは、仕事で関わった仙台市在住のプランナーKさんの一言でした。Kさん:「陸前高田は、見ておきなさい」私:「1年以上経った今でも、ですか?」Kさん:「そう、今でも!」確信をともなったKさんの力強い返答と、「地震直後は避難所で数日過ごし、その間、両親を亡くした女の子とずっと遊んでいた。 彼女の無邪気な姿に癒されたよ」という、違和感があるがために逆にリアルな(両親を亡くした女の子を不憫に思いこそすれ、 その女の子に癒されただなんて普通に考えると少し違和感を持ちませんか?)話を聞いて、「陸前高田に行こう!」と決めた私は、個人で陸前高田に行っても(←ボランティアツアーとか旅行社主催のツアーに参加しなくても)当時の様子などのお話を現地の方から聞くことができる方法をネットで調査。語り部ガイドさんから震災当時のお話をうかがう設定が盛り込まれた、岩手県交通催行の現地発着ツアー「復興応援バスツアー 陸前高田・大船渡号(9/末まで土日運行)」を見つけて、さっそく参加しました。*****語り部ガイドさんは、年配の男性。ツアー概要には「車窓見学」とありましたが、ところどころバスから降りて、お話を聞くことができました。気仙川(岩手県では北上川に次ぐ大きな川)上流8kmまで津波が上がったこと、その8kmの間で3本の橋が崩落したこと、陸前高田市では約1800人が犠牲になり(犠牲者数は市の人口の8%を占めます)、うち230名が未だ行方不明であること、見つかったご遺体の中でも身元不明がまだ26体あること、といった被害の状況。市が指定した避難所の多くが津波でやられたこと。(バスガイドさんの話によると市指定避難所68箇所中35箇所が被災したそうです)指定避難所のひとつであった市の体育館へも多くの人が避難。「ここでは危ない」と気づいて逃げたが間に合わずに97人が体育館の中に残り、うち3人だけが助かったこと。今回の震災では、職場や地域コミュニティの役員の方、消防団の方、市役所の方など、避難誘導の役割を担う人たちが逃げるタイミングを失ってたくさん犠牲となったこと。陸前高田は長い歴史の中で何度も津波に襲われていて、最近では昭和8年、昭和35年に津波が襲来。それを経験している年配の方々の中には、「そんなに大きな津波は来ない」と考えて逃げなかった人も多かったことなど、犠牲となった方の状況。目前が海という立地にある中学校が、先生方の独自の判断で避難し、全員無事だったこと。そういった際の判断と決断が、いかに結果を左右するかといった話。国の復興計画で12.5mの堤防で海を囲むという案があること。一方で、「そこまで高い堤防は必要ないから、避難の際の渋滞を緩和するための道路整備にも予算をかけて欲しい」という声もあがっていること。瓦礫処理の話など、これからの話。詳細に、率直に、さまざまなお話をしてくださいました。****今回、復興応援バスツアーに参加して、さまざまなことを感じたり、考えたりしたのですが、その中で、私が一番強く感じたことをひとつ。それは、「一方通交の関係はない」ということです。例えば、支えているつもりが支えられていた、といったことに近いんだろうか。互いにエールを贈りあう関係と言えばいいのか、良い影響を与え合う関係と言えばいいのか。「元気づけようと思って行ったら、逆に元気をもらった。生きる勇気をもらった」といった情緒的なことが言いたいわけではありません。(もちろん、そういったこともあると思うし、大切なことだとは思います)お話をしてくださったガイドさんは、ご自身もお身内を亡くされていますし、その亡くなられた場所も私たちがまわった場所に含まれていました。犠牲になられた方の詳細なお話の中にはお仲間の話も含まれていました。そういったお話を見ず知らずの私たちにする時、切ない気持ちもあることでしょう。にも関わらず、さまざまなお話をしてくれるのは、当地を忘れずにいて欲しい、まだ支援が必要だということを分かって欲しいというところもあるのだろうとは思いますが、やはり、自分たちのこの経験を、この話を、何かに役立てて欲しいという思いがあるからだと思うのです。訪れる方は「少しでも支援できれば」とか「何か自分にもできることがあれば」「役にたてれば」といった思いを持って行くわけですが、迎えてくれる方もやはり「何かできることがあれば」とか「役にたてれば」とか、「支援のお返しをしたい」といった気持ちで迎えてくださっているということなのです。それを具体的に言えば、実際に何が起こったかを自身で知ることの大切さであり、防災意識の話であり、いかに自分自身でくだす判断・決断が大切であるかといった話だろうか・・・。被災地の方々は「当地を訪れてさまざまなものを見て欲しい」とおっしゃいます。「忘れられていくこと、それが一番怖い、切ない」とも聞きます。もちろん、「忘れてほしくない」から来て欲しい、という思いはあると思いますが、「さまざまなものを見て欲しい」ということは、「実際に見て感じて、あなたに役立ててもらいたいものがある」ということでもあると思うのです。そして、「そう言ってくださっているのだから、みんな、行こうよ!」と、私は思います。これは、私が実際に現地に行って自分で感じとってきたことであり、それぞれに受け取るものは違うかも知れません。また、「実際に現地に行くこと」についても、さまざまな考え方があると思います。さらに、「行こうと思えば行ける環境」を持つこと自体、私は恵まれているということなのかも知れません。ですが、やはり私は、多くの人に実際に行ってもらいたいなと思うし、行くこと=自分にとっても良いこと、だと思います。
2012.07.13
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