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さーて、そろそろ、社会派ネタに戻ろうかと思っていたんですが、昨日も今日もイギリスのTVのトップ・ニュースはFIFA(国際サッカー連盟)関連ですね。FIFAの賄賂疑惑については、以前、「サッカーの母国イギリスが本気で怒っちゃった。」に書きましたが、こともあろうに、渦中のカタール代表のハマム理事(アジア連盟会長)について、彼が買収によって、ワールドカップ開催の権利を得たことを示唆するメールの存在が明らかになり、紆余曲折の末、彼は、FIFA会長選への立候補を取りやめ、更に、FIFA倫理委員会によって、(暫定的)活動停止処分を受けるに至ってしまいました。これにより、FIFAの会長選への立候補者は、現職のブラッター会長のみとなり、再選が確実となったのだが、話は、ここで終わりません。FIFAの腐敗に異を唱え、今回の会長選への投票の棄権の意思を表明していたイングランド・サッカー協会(FA)が、会長選挙の延期を求める声明を出したのです。さあさあ御立会い!!・・・古っ!実際に会長選が延期される可能性は低いとは思うのだが、イギリスの主張は至極真っ当ですね。実際、FIFAの権威は地に落ちた感があり、功成りえて悠々自適の高齢者であるブラッター会長よりも、今は、改革にまい進出来る未来志向で、かつ求心力のあるリーダーを選ばなければいけないように思う。まあ、ことの真偽は分からないが、カタールがワールドカップの開催地に選ばれたことは、"経済力"が、その要因であることは間違いあるまい。もとより、招致活動に金を使うことは許容されており、迂回的な賄賂のようなものを含めれば、これまでに汚職がなかったとは誰も思っていないだろう。フットボールというスポーツ自体が、審判の目を盗んで反則したり、わざと転んで反則をもらったりすることをよしとする、騙し合いの要素を含んでいることもあり、清濁併せ呑むことで、これまでは大きな問題とはなっていなかったのだと思う。ただ、フットボールが、ここまで大きなビジネスに発展したからには、それに応じたガバナンスを再構築するしかないだろう。クリーンさなら定評のある日本は、こういう場面でこそ、大きな役割を発揮できるのではないかと思ったりもするのだが・・・。お読み頂き有難うございます。以下は、ブログランキングです。 "励み"にしておりますので、よろしければクリックをお願いします! にほんブログ
2011.05.31
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さて、しばらくブログの更新をサボっている間に、いろんなことが起きてたので、少しづつ書いておこうと思う。色々あったが、イギリスの歴史に照らして見れば、エリザベス女王のアイルランド訪問がトップニュースではないかと思う。何と言っても、イギリス国家元首のアイルランド訪問は、100年ぶりのことだ。アイルランドは12世紀に、ヘンリー2世に支配されて以降、紆余曲折がありながらも、イギリスに実質的に支配(植民地化)されてきた歴史がある。1801年には、イギリスに併合されたという屈辱的な歴史を有している。何と言っても、19世紀のじゃがいも飢饉では、食料はイギリスに吸い寄せられ、アイルランド人は100万人が餓死し、100万人が、アメリカに移住したと言われている。今回のエリザベス女王の訪問も、事前にはいろんな心配や反対もあったようだが、大変素晴らしい成果があたっと思う。成功といって差し支えなかろう。難しい論評は横に置いて、やはり、アイルランドが経済危機の最中にあること、エリザベス女王が高齢でかつ女性であることが、結構ポイントだと思っている。そういう意味では、千載一遇のチャンスをきっちり活かしたように思う。だって、自分が元気で力が有り余っているときに、偉丈夫なキングに上から目線で見られても、許す気に離れないが、小柄なお婆さん(※大丈夫かな。不敬罪で捕まらないかな~)が、国家カラーのグリーンのワンピースで現れたら、何だか和んでしまいますよね。やっぱり、王室外交って重要ですね。過去からの栄光も過ちも全て背負って生きてこられた国家元首が来ることに意味があるのであって、戦争を知らない子供たち、であるキャメロン首相などでは、やはり、歴史と対峙することは能わないでしょうからね。お読み頂き有難うございます。以下は、ブログランキングです。 "励み"にしておりますので、よろしければクリックをお願いします! にほんブログ
2011.05.30
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今日は、3連休の中日。昨日のチャンピオンズリーグ決勝が見たかったこともあり、旅行等は計画していなかったので、特に予定はなかった。思いがけず早く目が覚めたので、思い立って、セブンシスターズまで出かけることにした。セブンシスターズは、白亜の断崖で、有名な景勝地。実は、前回の赴任時に、来たばかりの頃、同僚が休日に連れてきてくれた場所だ。その時は、断崖の上から眺めたのだが、ガイドブックなどでは、海岸から見るのもお薦めとある。だから、リベンジにもう一度行かなければと、ずっと思っていたのだ。結局、折角の機会なので断崖コースと海岸コースの両方を満喫。山道や砂利海岸を何キロも歩いたので、ちょっと疲れたが、高原と海を満喫し、とても充実した一日であった。普段は自分を入れた写真はめったに撮らないのだが、とてもよいスポットを見つけたので、近くにいた人に取ってもらった。そうそう。写真を頼むのが苦手な人は、撮ってほしそうな人に、撮りましょうか?と聞くのがいいですよ。そうすると、撮りましょうか?と返してくれます、そうでなくても、私もいいですか、と言って嫌な顔をされることはあり得ませんから。電車とバスを乗り継いでの旅程であり、途中で降りた街でも散策した。やはり、ロンドンを離れるとよりイギリスらしさが濃縮されていて面白い。ロンドンのようにインド人やアラブ人や東洋人や黒人に会うことはほとんどない。お年寄りが多いのも地方の特色だし、都会では見ないヤンキーのお兄ちゃんもいたりする。駅前のダサい洋服屋を見て、一体誰が着るのだろう?と思ったが、周りを見渡すと、確かにそれが標準だった。行きと帰りのバスの運転手さんが同じだったので、「どうだった?楽しかったかい?」なんて会話も交わしたが、これはロンドンのバスでは絶対にあり得まい。さて、リベンジの旅は、だいぶ片付いてきたような気がするが、まだまだプチ・リベンジすべき場所は、いくつも残っている気がする。また、思い立ったら、旅に出よう。お読み頂き有難うございます。以下は、ブログランキングです。 "励み"にしておりますので、よろしければクリックをお願いします! にほんブログ
2011.05.29
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今日は何と言ってもチャンピオンズリーグ決勝戦。場所は、サッカーの聖地、ウェンブリースタジアムだ。昨日は、芸術に触れる機会をもって、ここに住んでいる者の特権だと書いたが、フットボールのビッグマッチをリアルタイムで楽しめるのも素晴らしい贅沢ですね。本当はスタジアムに行きたかったが、チケットはネット競売で2000ポンドを超えていたらしい。今日のロンドンの街は、朝から異様な盛り上がりで、ピカデリーサーカスのエロス像周辺もバルサファンが集結して、大応援。ここはどこだろうという感じだった。地下鉄の中もビール片手に応援歌を歌うユニフォーム集団。きっと今頃、街はもっと大騒ぎでしょうね。さて、試合は、最後はバルサのワンサイドゲーム的な雰囲気になったが、ファウルも少なく見せ場も多くて素晴らしい試合だった。ルーニーの同点弾は素晴らしかったので、さてどうなるかと思っていたのだが、やはり、メッシだ。彼は役者が違った。アナウンサーもルーニーのゴールは、「彼がこんな意味あるゴールをしたのは初めてじゃないか。」、メッシのゴールには、「これは仕方ない。彼は世界一のプレーヤー。誰も止めれれない」であった。メッシを観ていて思うのだが、彼は他の選手とはリズムが違う。だから、ディフェンダーは彼の動きについて行けず、呆然と立ち尽くしていた。3点目も彼の動きに幻惑されたことで生まれたゴールであるのは間違いない。2点目以降は、明らかに確信犯的なファールをいくつも受けていた。ファールでしか止められないのだ。彼は、間違いなく伝説のプレーヤーの域に入ったと言えるだろう。最後に、負けはしたが、マンUのパク・チソン選手。よく頑張っていました。試合前の扱いもキープレーヤーであり、試合中も、厳しいチェックや無尽蔵のスタミナを賞賛されていた。完全に世界の一流プレーヤーになっている。彼に出来るということは、きっと日本の選手にも出来るということだ。そもそも、メッシもシャビモ日本人選手以上に小柄である。いつか、この舞台で日本人選手が中心選手として活躍するのを是非見てみたい。そのときは、2000ポンドについても考えてみようと思う。お読み頂き有難うございます。以下は、ブログランキングです。 "励み"にしておりますので、よろしければクリックをお願いします! にほんブログ
2011.05.29
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実は、昨晩、ある方にご招待を頂き、世界的ピアニストの内田光子さん+ロンドン交響楽団のコンサートに行ってきました。曲目は、(お得意のモーツァルトではなくて)ベートーベンでしたが、本当に素晴らしい演奏でした。いやー、内田さんは本当に凄いですね。言ってみれば、ロンドン交響楽団のメンバーを、従えて演奏しているわけで、同じ日本人として何とも誇らしい気持ちでした。本当は、コンサート後のディナーで、内田さんとご一緒できるかもしれないというお話を聞いていたのですが、残念ながら来られませんでした。まあ、時間も遅かったですから、仕方ないですね。そして、お土産に、CDを頂きました。でも、プレーヤーを持っていないんだな~。さて、今週は、ルーブル美術館でのコンサートと昨夜のコンサート、2回もご招待を頂いたわけだが(※たまたま重なったので、いつもこんなことばかりしているわけではないですよ・・・)、こういうご招待は、全て、カップルで招待されます。どちらかと言えば、企業なども、奥さんを喜ばせる機会を用意するという形で接待しているわけですね。でも、実際、こうやって家族ぐるみの付き合いになれば、ビジネス上の結びつきも強まります。こちらでは、転職は普通なので、会社対会社ではなくて、あくまで個人対個人の付き合いを重視していますから、関係を深めるなら会社を変わっても切れることのない家族との関係を深めるほうが有意義でもあります。ちなみに、単身赴任の私は、秘書(イギリス人)同伴。彼女は、もともと音楽が大好きらしく、とても喜んでくれました。秘書とは言え、普段それ程プライベートなことを話す機会はありませんので、休憩時間に色んな話をして、いろんな意味で有意義でした。そうそう。昨日行ったホールは、有名なホールですが、私の事務所から徒歩圏です。しかも、結構リーズナブルな値段で常に優良なコンサートをやっています。音楽・芸術は、確実に、ロンドン在住者の”特権”であることは間違いないですね。本当に有難うございます。お読み頂き有難うございます。以下は、ブログランキングです。 "励み"にしておりますので、よろしければクリックをお願いします! にほんブログ
2011.05.27
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昨日の続きです。実は、後で気づいたのだが、昨日、我々が、コンサートを聴き、カクテルパーティをやっている同じ時間帯に、ルーブル美術館の別のスペースで、G8関連の歓迎パーティが開催されていたようだ。そう言えば、入り口付近には、物凄い数の警備の人達がいましたし、テラスから見下ろしたときにも、50メートルはあるレッドカーペットが道路から入り口(※かの有名なピラミッドです。)まで伸びていた。ヨーロッパでは、社交の場として、さまざまな趣向を照らした場所を利用して、この種のパーティが開催される。私の数少ない経験においても、ビッグベン(国会議事堂)内、ナショナルギャラリー内のパーティに呼ばれたことがあるし、大英博物館内のパーティに出たことのある知人もいる。さらに言えば、ウィンブルドンのテニスやレガッタやアスコット(競馬)といったイベントも、スポンサー企業がVIP顧客を招待し、その場でパーティを主催するのが普通だ。彼らはそういう場所で、親交を深め、情報交換をし、ビビットくれば、そこで何かが生まれることもある。出たことのない方にはわかりづらいとは思うし、偏見も含んでいるかもしれないが、日本式の異業種交流会や勉強会(という名の交遊会)のような野暮ったさはなくて、洗練されていてリラックスした雰囲気なのだ。それで、何が言いたいのかであるが、やはり日本の首脳も、G8なんかで他国の首脳と、さらっと交流できる人であってほしいと思うのだ。オバマもキャメロンも抜群に頭が切れるし、いざとなれば核ボタンを押す覚悟を持った人達だが、こういう場ではフレンドリーだし茶目っ気もある。パーティで周りに人の輪が出来る人というのは、先ず、仕事が出来る人だと思って間違いない。結局、好きか嫌いか、こういう場で、信頼関係の基礎が出来るのだ。これは、ビジネスマンでも政治家でも同じだと思う。まあ、そういう意味では、麻生さんくらいかな、外交の出来る人だったのは(漢字は読めなかったけど・・・)。まあ、菅さんには、そういう応用問題に進む前に、基礎問題を解いてもらわないと困るわけですが。お読み頂き有難うございます。以下は、ブログランキングです。 "励み"にしておりますので、よろしければクリックをお願いします! にほんブログ
2011.05.26
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さて、今日、パリから戻りました。ブログは、随分久しぶりの更新です。更新をしなかった間に、何を考え、これからどうしようと思っているのかは、また書くとして、昨日の経験を記しておこう。あるご縁で、ルーブル美術館内で開催されるコンサートにご招待を頂いた。平日でもあり、憚る気持ちもあったのだが、このような機会は、そうそうない。一生の思い出にと思って、参加させて頂いた。残念ながら、コンサート自体の素晴らしさを言葉で伝えるのは無理でしょうから、これ以上書かないが、本当に得がたい経験であった。コンサート終了後のカクテルパーティでも、ルーブル美術館のテラスから、ライトアップされた(※シャンパンタイムと呼ばれている。)エッフェル塔を眺めながら、他の参加者や音楽家の方々と談笑したりと、何だか本当に贅沢な時間を過ごした。ただ、凄く自分でも不思議だったのは、代表者としてロンドンに来て、1年余りであるが、こういうセレブな会合に出席しても、それ程、気後れしていなくなっていたことだ。何となく、ヨーロッパの知識人の考え方や流儀に慣れてきたのかもしれない。そしてテラスからエッフェル塔を眺めつつ、ふと、若き日に、ニューヨークに駐在していた頃に、あのワールドトレードセンターの屋上から、見たエンパイヤ・ステイト・ビルディングを思い出した。念願かなって、あの景色を手にいれることが出来、世界を相手にできるビジネスマンになろうと誓ったあの頃と、今では心境はまったく違うのだが、純粋で前向きな気持ちになれたことは間違いない。何だか、こんなことを書くと年寄りみたいでどうかとも思うが、私にはそういう思い出の景色が沢山ある。幸せな人生だ。ただ、自分が幸せでなければ、他人を幸せにするのは難しい。幸せであり続けるために、これからも自ら求め、素敵な景色を増やしていこうと思う。お読み頂き有難うございます。以下は、ブログランキングです。 "励み"にしておりますので、よろしければクリックをお願いします! にほんブログ
2011.05.25
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数日前に気付いたのだが、今日は、輝かしい365回記念号です。これまでお付き合いいただいた皆さん、本当に有難うございます。 旅行や出張の日以外は、本当に欠かさず、毎日書いてきました。自分の中では、「取り合えず、1年間毎日書いてみよう。そうすれば、どんなことが起きるだろう。」と思いながら、書いてきた部分もあるので、365回というのは、一応の記念と言うか、区切りです。 それで実際、何が起きたか?と言えば、いろんな出来事について、自分なりの軸を持って考え方を整理する習慣がつきました。また、好奇心や研究心の向上にも役に立っているかもしれません。また、ブログを通じて、親交が深まった知人・友人や、新たに友人となれた方もいます。あとは、震災以降は、もしかしたら、海外の情報や海外から見た視点ということで、具体的にお役に立てたこともあったかもしれません。それに、週刊誌への執筆依頼なんかも頂戴しました。情報発信やコミュニティ作りみたいなもので、自分なりの仮説検証サイクルみたいなものも何回転か回せた感じです。ただ、その一方で、毎日書くことをノルマにしていると、飲み会などで、2次会に誘われたとき等に、”うー辛いな”、という気持ちが芽生えてしまったり、仕事中にも、今日は何を書こうかなーと考えてしまうというような問題も感じています。読者数が増えてきたこともあり、以前はただ書きたいことを書いていたのに、最近は何となく、読者の方に受けるかどうかを意識・計算している自分がいたりして、何だか違うんじゃないかと感じることもあったりします。実は、今晩から、日本から同僚が訪ねてきます。暫く、彼と仕事とプライベート含めて、べったり一緒に過ごしますので、正直ブログを書いている時間はありません。丁度、いいきっかけなので、ちょっと、数日、更新を止めてみようかなと思います。その上で、また、毎日書きたくなって同じやり方で書きはじめるのか、違うやり方をするのか(実際、紙媒体の週刊誌から執筆も頼まれていますし・・・)、考えてみたいと思います。ただ、必ず、帰ってきます。多分、パワーアップして。お読み頂き有難うございます。以下は、ブログランキングです。 "励み"にしておりますので、よろしければクリックをお願いします! にほんブログ
2011.05.15
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先日、ある方と話をしていて、イギリス人と日本人の考え方の違いの話になった。例えば、イギリスの中学では、各科目の先生が、それぞれに沢山の宿題を出したとする。とてもではないが、普通にやるのでは、期限までに出来そうにないくらいの量だ。さて、そんなときどうするか?日本人の生徒は、必死で徹夜してでも期限までにやり遂げようと努力する(もしくは、できないと開き直る)。一方、イギリス人の生徒は、先生と交渉して、期限の延長を勝ち取るというのだ。しかも、ここで言っている交渉は、決して、全員に対する期限の延期ではなく、あくまでも個人のための交渉であり、先生も生徒の言い分を聞いて、それぞれに期限を再設定することを厭わない。日本人は、言われたことをきちんとやることが美徳だと思っているし、実際得意でもある。イギリス人は、人はそれぞれ違うのだから、同じでなければいけないと思っている方がおかしいと考えている節がある。親も、「先生の言うことなんだからちゃんと聞きなさい」と言うよりは、「不合理だと思うなら、自分で説明して相手(先生)を納得させてきなさい」と教えるわけです。そこで、くだんの"スカートをはいた少年"、ある中学校で、夏に、女子は(涼しい)スカート着用が認められるのに、男子に短パンが認められないのはおかしいと主張、却下されるや、ならばと、校則の抜け穴を利用して?スカート通学を開始し、議論を喚起し世論を味方につけて再チャレンジしようとしている。彼の行為を、両親は、「誇りに思う」とコメントしており、世間からも高い評価を得ている。学校の校則も、日本のように「規則なんだから、守りなさい」とは言わず、「おかしいと思うなら、問題提起して、先生を説得しなさい」となるわけだ。というわけで、今、"スカートをはいた少年"は、とても立派で将来は政治家に!と言われているのです。そう言えば、小学校の学年にしてもそうだった。日本であれば、〇年4月~〇年3月生まれの人は、〇年生と決まっているが、イギリスでは、そこは自由だ。5歳から小学校に行く子もいれば、6歳や7歳から行く子もいる。私も、前回、家族帯同でロンドンに住んでいたが、娘を現地の学校に入れるときに、「何年生に編入しますか?」と聞かれて、一瞬、戸惑った。とにかく早く目的に到達することを目指すのか、じっくりスタートして追い上げていくことを目指すのか、各自が選択できるわけだ。もちろん、飛び級も出来るし、学年を落とす事だって出来る。最近、日本では、非難するのも生肉を食べるのも、挙句は原発を止めるのも、何かと"自己責任"。何か、言葉の使い方が正しくない。本当の”自己責任”というのは、こういうことを指すんだと思う。お読み頂き有難うございます。以下は、ブログランキングです。 "励み"にしておりますので、よろしければクリックをお願いします! にほんブログ
2011.05.13
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さて。このところ、毎晩、会合ばかりでちょっと呑み疲れ気味です。でも今日も楽しかったなー。皆さん自粛疲れ?なのだろうか、お誘いが多くて、嬉しい悲鳴です。というわけで、今日は、軽い目の話しにしますね。イギリス人は、本当にサッカーが大好き。何と言っても、サッカーの母国ですからね。今期のプレミアリーグは、先の土曜日のチェルシーとの天王山の戦いをを制したマンチェスター・ユナイテッド(マンU)の優勝でほぼ決まり。マンUは、今月末には、サッカーの聖地、ロンドンのウェンブリー・スタジアムにおいて、最強の宿敵バルアセロナFCとの決勝戦が待っています。そのサッカーの母国が、世界のサッカー界に激震を走らせています。というのは、先の2018年/2022年のワールドカップ開催地の決定において、2018年開催地に立候補しながら落選したイングランドのサッカー協会会長であった、トリーズマン氏が投票権を持つ4人の理事から、投票に対する見返り(賄賂)を求められたとの事実を、議会で証言したからです。トリニダード・トバコの理事は、教育施設を建設するための資金として250万ポンド(約3億3000万円)を要求、パラグアイの理事は、ナイトの爵位を、タイの理事は、タイvs.イングランドの親善試合の放映権を管理する権利を要求、ブラジルの理事は、「何か提供する気があるなら、後で部屋に来て説明して欲しい」と言って、賄賂の提示を求めた、とのこと。実は、これ以外にも、アフリカ系の理事がカタールから賄賂を受け取っていることの証拠があるとのことであり、FIFAのブラッター会長も調査の意向を示したという。そもそも、何故、このような議会証言がなされたのかということだが、2018年のワールドカップ招致については、イギリスは、かなり本気で取り組み、最終ヒアリングには、何と、ウィリアム王子とキャメロン首相とベッカムが参加しました。おそらくは、会場での存在感は圧倒的であったに違いないでしょう。サッカーの母国である自分達が、本気でとりに行けば負けることはないだろうというような事前の期待は、見事に裏切られ、と言うか、何と2票しか得票できずに、どこよりも先に落選しました。(ちなみに、その2票は、イギリスと日本だったという噂を聞いたが実際は分からず。・・・間違ってたらごめんなさい。)この結果は、サッカーの母国イギリスの人々のプライドを大きく傷つけ、「絶対不正があったに違いない。」というムードが出来上がっているのです。真偽は分かりませんが、所謂、発展途上国では、基本的に、賄賂というのは、当たり前すぎる習慣であったりしますね。だから、多分、本当なんだと思う。その点、イギリス人は、フェア精神を大事にするので、こういう不正は許せないんでしょう。イギリスのスポーツ大臣は、BBCのインタビューで、FIFAの対応次第では、FIFAからの脱退も辞さない、との強い姿勢を示したそうです。イギリス人、本当に怒っちゃってますから、一体どうなるんでしょうね。ちょっぴり、ワクワク。お読み頂き有難うございます。以下は、ブログランキングです。 "励み"にしておりますので、よろしければクリックをお願いします! にほんブログ
2011.05.12
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今日も色んなことが起きてますね。色々と書きたいこともあるのだが、昨日のニュースで、どうにも引っ掛かっていることがあるので、吐き出してスッキリしておきたいと思う。東京電力の会長・社長等の代表取締役が役員報酬を全額返上することとなった。加えて、菅首相も、政府の責任を認めて、総理としての報酬を返上するらしい。まあ、世論への配慮などから、妥当な判断だという見方がなされているようではあるが、この流れ、何だかしっくり来ない。まあ、財産を没収するのは、いろんな問題を惹起するので、その代わりに、将来の報酬を自ら放棄することの方が、技術的に簡単であることは理解できるが、筋から言えば、過去の過ちに対するペナルティならば、原因となる行為を行った(不作為も含む)責任者に対して、その行為時点以降の報酬等に対して、その責任に応じて課されるべきものですよね。そして、報酬返上には、返上する側のある種の期待も含んでいるような気がしてなりません。つまり、これって「これからはただ働きで頑張りますので、過去のことは水に流して下さい」という、失地回復のための作法なのではないかと思うのです。実際、次の日に、公的支援の枠組みが発表されました。加えて、穿った見方をすれば、今後、不手際が発生した際には、「無報酬でやってるんで、勘弁してください」と言うための布石なのだろうか、と思えなくもないわけです。冷静に考えると、俺は給与返上で頑張ってるんだぞ!というアピールは、俺は寝ないで働いているんだぞ、というのと同じで、別に、偉くもなんともないはずですよね。失敗は失敗で認めて、ペナルティを払って、未来に向かっての報酬はちゃんと受け取って報酬に見合った働きをすべきなのではないかなという気がするのですが、どうなんでしょう。例えがいいかどうか分からないが、不良品をつかまされた時、それが悪質なら、無料で交換してもらうんじゃなくて、返金してもらって別の店で買うべきだと思うのです。ちなみに、イギリスでは、メキシコ湾での原油流出事故を起こしたBPのヘイワード社長のように、退任に追い込まれるのが普通であり、退任時の退職金について、成果連動部分の払い戻し条項が含まれていたりして、あくまでも過去の責任に対して応分の責任分担を求めらるという考え方だ。まあ、成果連動報酬には、短期利益の追求による弊害もあるので、こっちの方がいいと言っているわけではないが、ある意味、合理的ではある。もちろん、国民が溜飲を下げるというのも必要だと理解しており、結論はそれでいいのでごちゃごちゃ言う必要もないのだが、何だかちょっと成熟度が足りないような気がする。どこかで、線を引いて、「まあ、反省しているのは分かったから、しっかり頼むよ。」という流れ・潮目を演出する作法(方便?)は必要だと思うのですが、それって「”将来の”報酬返上」なのかな~。お読み頂き有難うございます。以下は、ブログランキングです。 "励み"にしておりますので、よろしければクリックをお願いします! にほんブログ
2011.05.11
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以前にも一度紹介したことがあるが、精神科医でベストセラー作家でもある香山リカさんが、週間ダイヤモンドに連載されている「こころの復興で大切なこと」という記事がとても共感できるので、紹介しつつ、思うところを書きたい。記事:http://diamond.jp/articles/-/12152香山さん曰く、いま「原発鬱」とも呼ぶべき症状が増加している、とのこと。チェルノブイリの事故でも、事故の影響を受けた人に、うつ病や心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症するケースが明らかに多いことが証明されているそうです。ただ、チェルノブイリ事故の場合、情報がオープンにされなかった分、ある意味、不安は限定的であったとも考えられますが、今回の福島原発の事故に関しては、情報があり過ぎることによるストレスが浮き彫りになっているようです。つまり、「これまでは、情報が多いほど安心につながると言われていたのに、過剰にあり過ぎるため目を背けることも、逃げることもできなくなっている」とのことだ。確かに、ツイッター等でも、多くの専門家や俄か情報通が、様々な見解を公表したりしていますが、どの情報が正しく、信頼するに足るのかを見定めることは、中々容易ではない。したがって、「より正確な情報を見極めることができないことが、人々の大きなストレスになっている」ことは間違いないでしょう。そして、このようなストレスが増幅している背景に、今の日本社会の「物事の白黒をすぐにつけたがる傾向」があるとも言われています。確かに、政治の世界でも、あれ程、熱狂的な支持を受けて政権交代を成し遂げたのに、小沢=悪人、鳩山=奇人、菅=無能、とのレッテルが貼りついて、実際、内閣支持率なんて、ジェットコースターの軌道のようです。昔は、政権に対しても、不満を言いながらでも、もう少し様子を見てみようという姿勢があったと思うのですが、今は、数ヶ月で、こいつは駄目だから辞めさせろ、という声が聞こえてきます。香山さん曰く、「こうした傾向が強まっている日本社会は、どちらに転ぶかわからないけれども、待つしかないという状況に耐えられない。原発事故の問題で言えば、爆発という最悪の事態に陥らない一方で、一気に解決まで進まないという膠着状態が延々と続いている。しかもいつこの膠着状態が動き出すかすらわからない。これでは不安で仕方がないのだ。「目に見えない」「いつ来るかわからない」「いつ終わるかわからない」不気味な状態の行く末を、冷静に見守る耐性のようなものが弱くなっていて、今回の原発事故は、現代の日本社会にとって最も苦手な部分に突き刺さる問題になっており、それが日本人のこころに大きなダメージを与えている」とのことである。確かに、そうなのだろう。しかし、いつから日本人は、こんなにもせっかちで、すぐに答えを出すことを求めるようになったのだろう。やはり、世の中が便利になって、インターネットで探せばどこかに答えが書いてあるという錯覚や、コミュニティの分化によって多様な価値観を持つ人とのコミュニケーションの機会が減少していることなどが、その原因なのではないだろうか。人間は機械のように思い通りには動かせませんから。思うに、世の中には、実際、分からないことが一杯です。何も全て分かった気になる必要はないのではないでしょうか。白か黒かわからない状態というのは、実際、やきもきしますが、情報に対してオープンな状態なので、より的確に情報の取捨選択が図れるのではないかと感じます。頑なな自分をかたどって、自分を守りたくなる気持ちは理解できますが、それが逆に、不安定さへの耐性不足になるのではないでしょうか。気をつけようっと。お読み頂き有難うございます。以下は、ブログランキングです。 "励み"にしておりますので、よろしければクリックをお願いします! にほんブログ
2011.05.10
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今日、中部電力が、浜岡原子力発電所を全面停止することを決定した。きっかけとなったのは、6日に行われた政府による要請であり、停止要請の理由は、「今後30年以内にマグニチュード8クラスの東海地震が発生する可能性が87%」という予測である。この要請には、法的根拠がなく、中部電力は、あくまでも自主判断で、停止するかどうかを判断しなければならないという苦しい立場におかれた。私は、原子力発電自体は、時間をかけて収束させていくべきだと考えているし、浜岡原発が停止するという結論にも賛成するが、今回の一連の動きには、色々と問題もあるように思う。中部電力の経営陣にとっては、苦渋の決断だったと思う。何故なら、中部電力という会社は、形式的に言えば、国の所有物でも国民の所有物でもなく、株主の所有物である。株主は、配当の受取や株価の上昇を期待して、会社に投資をし、そのために働いてくれる経営者に経営を委任している。だから、経営者は、この株主の期待に応えるように行動する義務があり、この義務に違反して会社に損害を与えるようなことをすれば、株主代表訴訟等で多額の賠償責任を負うこともある。今回の浜岡原発全面停止の意思決定は、これにより赤字決算となることが予想されている損失発生必至の意思決定である。既に株価は大幅に下落しているし、赤字となれば、配当も払えなくなる可能性が大きい。これが、法令改正や政府の命令によるものであれば、意思決定は簡単だが、あくまでも、自主判断であるから、判断の是非に関する責任は、政府ではなく経営陣にある。ここで、興味深いのが、「では、中部電力の経営陣は、どういう理屈で全面停止の意思決定をしたのか」ということだ。真相は知りようもないが、赤字になり大幅な損失を発生させても合理的だといことを定量的に(数字で)証明するためには、これまで安全神話に乗っかってやってきた経営陣自らが「原発は止めないと危険であり、事故発生確率×事故が発生したときの被害損失は、今回の原発停止による損失を上回る」ということを認めなければ、合理的な判断だと言えなくなるはずだ。だから、中部電力の経営陣は、こういう重大な“改宗”を行ったことになる。もしかすると、付帯的に、政府の要請に逆らったときのマイナスの影響のようなものも、改宗の判断に加味されていたかもしれないが、それはそれで恐ろしい世の中だ。今回の要請に関して、政治主導が旗印の民主党政権としては、殊更に“政治判断”であることを強調したかったのだろうが、政権を預かっている以上は、基本的に政府は一体でなければおかしい。経済産業省の指示を聞いて、求められる対応をしていたら、首相が違うことを言い出して、投資が無駄になったというようなものがあれば、その負担は誰が持つべきなのか。少なくとも、福島原発事故以降に経済産業省が各電力会社に指示した緊急安全対策に則って、追加投資を行ったコストは、返してもらわないと割に合わないのではないだろうか。いや、政府は、これも自主判断でやったことだというのだろうか。普通に考えれば、福島原発事故を検証してルール作り(※できれば国際的な)を進め、それに基づいて、義務的な変更を求めるべきであったのではないだろうか。まあ、中部電力が政府に損害賠償請求をすることはないだろうが、その代りとして、今後必要な規制緩和等を進めるに当たって、今回の件が“電力会社への貸し”になったりしないか、よく見ておく必要はあると思う。まあ、現政権だけに責任があるものでもないし、個人攻撃の意図もないが、安全神話に乗っかって、民間企業が原子力発電を推進してきたことは、相当に無理のあるやり方であったことは間違いない。株主は、今後、想定外と呼べなくなった“過酷事故リスク”は負いようがないし、政権による“唐突要請リスク”も計算できないから、恐ろしくて投資なんてできまい。そこまで念頭い置いているならよいが・・・。お読み頂き有難うございます。以下は、ブログランキングです。 "励み"にしておりますので、よろしければクリックをお願いします! にほんブログ
2011.05.09
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さて、今日は、本当は、日本にいる息子の運動会。彼の帰宅後に、武勇伝を聞いてそれを書こうと心に決めていたのですが、どうやら、息子はバタンキューだったらしく、お預けになってしまいました。いやーー残念!それはそれとして、今週末は、日本から来た知人と2本ミュージカルを観に行った。演目は、”We will rock you”と”オペラ座の怪人”だ。”We Will rock you”は、言わずと知れた、伝説のロックバンド”Queen”のヒット曲で構成された、ジュークボックス・ミュージカルの決定版。ストーリーは、あってないようなものななので、英語が分からなくても十分に楽しめる。まあ、一緒に行った知人は、私以上に英語が堪能で、ジョークにも普通に反応していましたが・・・。 ”オペラ座の怪人”は、1986年ロンドン初演の超ロングラン。ミュージカルの代表作品と読んでもいいのではないでしょうか。日本でも劇団四季が上演しているようですね。実は、私は、この2つのミュージカルを観るときには、ある拘りを持っています。”We will rock you”は、一階の出来るだけ前列で、”オペラ座の怪人”は2回の出来るだけ前の席から観るというものです。何故なら、”We will rock you ”は、ロックコンサートの乗りだから、前例で一体感を味わった方が楽しいですし、オペラ座の怪人は、オペラ劇場が舞台なので、オペラ気分でボックス席(※王族とかの席です)のような雰囲気を味わうのがお勧めなのです。書いているうちに思い出しましたが、絵画を観るときにも、どの角度から観るかって物凄く重要ですよ。特に、昔の宗教画とか肖像画は、どこに飾るかを考えて、そのアングルから見て最高になるように計算して書かれていますから。だから、よくご覧になれば、美術館で屈んで下から絵を見ている人や、左右に移動しながら見ている人、遠ざかった近づいたりしながら見ている人がいますよ。今日は、何だか、ヨーロッパ生活日記らしい感じになったかも(^^)。社会派ネタは平日だけにして、休日には、文化の香りも漂わせるのもいいかもしれませんね。こういうのも応援頂けると嬉しいです。お読み頂き有難うございます。以下は、ブログランキングです。 "励み"にしておりますので、よろしければクリックをお願いします! にほんブログ
2011.05.08
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思い起こせば、かれこれ、1年以上、基本的に毎日ブログを書いている。そして、最近は、ツイッターでも毎日なんだかんだと呟いている。結構、偉そうなことを書いていることも多いのだが、書いている本人は、「かくありたい!」と思って書いているのであって、本人は、とても寂しがり屋の小心者であったりする。大変嬉しいことに、最近は、ほぼ毎日、コメントも頂戴するが、小心者ゆえに、喜んだり・傷ついたりを繰り返している。殆どは、共感であったり望外の励ましや感謝であったりするのだが、稀に、あまり愉快でないコメントを頂戴することもある。そこで、以前にも紹介した田口ランディさんの本の中に出てくる話について、凄く共感したので、要約して紹介してみたい。ストレスによって生じた言葉の歪みみたいなものは、自分では中々気づかない。おそらくは、私の言葉だって、真っ直ぐな日もあれば、歪んでいる日もあるに違いない。ただ、誰かの言葉に傷ついたときに、相手を変えたいと思うことは意味がなくて、「相手を変えたいと思うのは自分の都合なんだ」と思うようになり楽になったのだとか。つまり、「"私が"気にいらない」のだから、相手を非難してもしょうがなくて、私がどう感じているのかを相手に伝えることが大切なのだそうだ。「私は、あなたの言葉で、こんなふうに傷ついてしまう人間です。」と伝えれば、相手は何かを感じるが、「あなたは間違ってる。」と言えば、喧嘩になる、と。人は、傷ついている自分を相手に知られるのが恥ずかしいので、つい相手を攻撃してしまうが、違う立場の人間同士が出会うキッカケは、「相手が何を感じているか」を分かり合うことなのではないか、と書かれている。本当にそのとおりだと思う。攻撃しあっても殆どは人生の無駄遣いです。多分、私が真っ直ぐな言葉を投げかければ、きっと真っ直ぐな言葉が返ってくる可能性が高いと思う。だから、これからも真っ直ぐに磨きをかけようと思う。もし、曲がった球が飛んできても、決して、曲がった球は投げ返すまい。これを新たな誓いにしよう。それが自分の人生を豊かにすると思うから。お読み頂き有難うございます。以下は、ブログランキングです。 "励み"にしておりますので、よろしければクリックをお願いします! にほんブログ
2011.05.07
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今日は、これから観劇なので、簡易バージョンです。と言っても、私の戯言よりは、ずっと役に立つと思いますよ(^^)。私は、若い頃から大前研一さんのファンで、殆どの著書は拝読している。最近は、原発問題や復興対応における提言等で、益々ご活躍されている。その大前さんが、中国政府が日本の12都県にて生産された農産物を輸入禁止としたことについて、ある意味、辛らつなコメントをされている。日本国民の多くは、過剰反応だ、風評被害だと怒っているようですし、その気持ちは良く分かります。でも、これまで 日本は無意識のうちに外国に対して、今回の中国と同じ、あるいは、それ以上の過剰反応を示してきた、ことを忘れてはいまいか、とのご指摘です。以下、抜粋です。「中国に対しては、天洋食品の餃子中毒事件の際、中国全体からの輸入を一時的に禁止しました。当時、中国の山東省の農民は「日本の言う 通りにやっているのに、なぜ全面的に禁止するのだ」と憤慨していました。米国牛のBSE問題が起こったときにも、米国からの牛肉輸入を全面的に禁止しています。カナダから米国へ移ったごく一部の牛だけの問題だったのに、その何百倍もの米国牛全体を輸入禁止としたのです。日本が米不足に陥ってタイからコメを緊急輸入したときにも、コンテナの1つにネズミの糞が残っていたというだけで大々的に報道し、タイの感情を逆撫でしたこともあります。またアルゼンチンの牛肉は世界一と言われていますが、アルゼンチンで口蹄疫が流行したため、未だに日本には殆ど輸入されていません。総じて言えば、今日本が放射能問題で外国から受けている仕打ちの何十倍ものことを、日本は世界に対してずっとやってきたのです。今の中国政府の対応が全面的に正しいとは思いませんが、これまでの歴史を振り返れば日本は世界に対して恥ずかしげもなく「非常に失礼な態度」をとってきたのですから、胸に手を当てて自分自身について反省するべきでしょう。まさに、「人の振り見て我が振り直せ」だと思います。これまで自分たちが何をしてきたのか、冷静に振り返る良い機会だと私は思います。」これは確かにその通りですね。私も、恥ずかしながら、そういう発想は持っていませんでした。如何に、人は自己中心的に物事を考えてしまうのかの典型例ですね。今回の震災で、世界は繋がっていることを痛感した人は多いと思います。世界と共に、世界の中で暮らしていくことの作法みたいなものも、この機会に磨いていく必要がありますね。そう言えば、昨日の記事には、思いのほか沢山のご支持を頂戴しました。何だか、やる気出てきちゃいました(^^)。お読み頂き有難うございます。以下は、ブログランキングです。 "励み"にしておりますので、よろしければクリックをお願いします! にほんブログ
2011.05.06
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今日はこどもの日ですね。本当は、子供の日にちなんで、子供達の明るい未来に向けた希望溢れる話が書きたかったのだが、残念ながら、世界は混沌の真っ只中にいるようだ。中でも、米軍によるビンラディン殺害は、様々な波紋を呼んでいる。作戦遂行を事前にパキスタン政府に知らせなかったこと、ビンラディンの身柄を確保できであろうにも拘らず殺したこと、しかも子供の前で殺害したこと、遺体を水葬したこと、その遺体写真は公開されないこと、等等等々・・・・・・。オバマ大統領は、Justice(正義)の実現を声高に叫んでいるが、果たして本当にそう言い切れるのか、という声も聞こえてくる。私が、これらの報道・議論などを見ていて、殊更意識してしまうのが、日本との戦争との比較や言及だ。そもそも、9.11テロを説明するときには、パールハーバー襲撃以来の米国への攻撃という言い方が極めて一般的だ。そして、昨日、ボルダー米司法長官は、ビンラディンを殺害したことについて、「敵の指揮官を攻撃目標にすることは合法だ。例えば、第2次大戦中に山本五十六連合艦隊司令長官の搭乗機を撃墜した時も行った」と証言し、殺害が正当だったと強調したという。また、水葬に関しては、「24時間以内に埋葬するというイスラムの教義を尊重し水葬した。土葬が原則なのは知っているが、引き取り手がなく、24時間以内に実施するためには止むを得なかった」と強弁しているようだが、実際には、土葬することで聖地化されることを避けたのだろうと言われている。そして、このことについては、第2次大戦後、死刑となった東条英機陸軍大将が、火葬された後に遺骨は粉砕され遺灰と共に航空機によって太平洋に投棄された、ことと同じだと解説する向きもある。思えば、イラク戦争の正当化のためにも、アメリカは、戦争で日本を倒し民主化に成功したことを強調していたが、米国にとって日本との戦争は、まさに正義の戦いであり、世界の警察としての威信と正当性の証のようなものなのだ、ということをつくづく感じさせられる。これが正しいかどうかは別問題だが、歴史は戦争に勝った者が創るものであることも真実だ。一方で、、日本人にとって、太平洋戦争は、早く忘れてしまいたい辛く悲惨な記憶なのかもしれないが、やはり、きちんと総括した上で、受け継いでいかなければならないのだと思う。今の時代を生きる大人に課せられた宿題を、一つづつしっかり片付けましょう。それが子供達に対する責任ですね。・・・ちょっと強引に子供の日らしく締めてみた。お読み頂き有難うございます。以下は、ブログランキングです。 "励み"にしておりますので、よろしければクリックをお願いします! にほんブログ
2011.05.05
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ニュースで見たのだが、Twitterの登録アカウントが2億を超えたそうだ。そして、接続者の70%が米国外のユーザーであり、全体ツイートの25%が日本から発せられているとのことである。25%というのは、世界でダントツ。日本人はツイッターが大好きであることが、数字上も証明されたわけだ。まあ、もともと、携帯メールの普及率が物凄く高かったこともあるし、他にもいろんな理由があるだろう。中でも、よく言われているのが、日本語との親和性。これは間違いなくある。ツイッターには140文字という制限があるが、例えば、英語と比較した場合、日本語の方が2.5倍以上もの情報を書き込むことができるのだそうだ。書き込むことのできるる情報量が変われば、やり取りする情報の多様性も随分違ってきますよね。でも、それだけでは説明はつきませんよね。そこで、一つの仮説を述べたいと思います。これは、以前読んだ、田口ランディさんの「できればムカつかずに生きたい。」(2000年10月刊行)という本の「人は何故チャットにハマるのか」とう章に書いてあった話だ。チャットをツイッターに置き換えればかなりの部分が当てはまるように思えるのだ。田口さん曰く、「チャットは、いつでも誰でもやればハマるものではなく、ハマる時期というものが個々にある。ではどういうときにハマるのかと言えば、「(潜在的に)自分を変えたい」と思っているとき」なのだそうだ。「変化を求める時に、人は否応なく他者を求める。逆に言えば、他者しか自分を変化に導くものがないからだ」と断じておられる。また、「相手の反応によって「自分がどんな人間であるか」を知ることは、大きな喜びである(※もちろん、時に大きな苦痛でもある)。チャットではネットという共通のフィールドにいることによって、ある種の仲間意識があって、他人と打ち解けるのが早い。そこで連綿と行われるフィードバックによって、自分の言葉に相手がどのように反応するかを確認する。これは、結局、自分という存在を確認しているのだ」というのが、田口さんの見立てだ。どうですか。ほぼ、そのままツイッターに当てはまるような気がしませんか?もちろん、これで全てが説明できるなんて思ってはいませんが、私もきっと、「変わらなきゃ!」と思いながら、毎日、このブログを書いたり、ツイートしているのだと思うのです。お読み頂き有難うございます。以下は、ブログランキングです。 "励み"にしておりますので、よろしければクリックをお願いします! にほんブログ
2011.05.04
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本当は、昨日書こうと思っていたのだが、ビンラディン殺害のニュースがあったので、一日遅れで書くことにする。やや題名が怪しいが、そんなにエキセントリックなことは書かないつもりなので、よかったらお付き合い願いたい。一昨日は、6年前に亡くなった前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の列福式が行われ、バチカン(ローマ)に100万人を超えるカトリック教徒が集結したそうだ。イギリスはカトリック国ではないが、TVでも大きく取り上げられており、荘厳な儀式の様子や参列している敬虔な信者の姿などが紹介されていた。列福式というのは、カトリック教の世界で最も崇敬される聖者の前段階の福者に列せられる儀式であり、奇跡を起こしたことが証明された者だけが、認定されるという。今回は、パーソンキン病を患ったシスターが、前法王の死後に祈りを捧げたところ、病が完治したことが奇跡と認められたのだそうだ。ちなみに、死後6年1カ月での列福は、これまでの最速記録だそうだ。私のイメージの中でも、ヨハネ・パウロ2世は、素晴らしい聖職者で世界の人々の心の平和のために大きく貢献したことは間違いないだろうとは思うが、どうせなら、原発危機を止めたり、リビアやシリアの紛争を収めるような形で奇跡を起こしてもらえないものか、なんて思ってしまうのは、多分、私が不敬者で教義を理解していないからなのでしょう。多くの日本人から見れば、列福式に参列した100万人超の敬虔なカトリック信者は、特別な人に見えるかもしれない。しかし、ロイヤルウェディングでも歌われ、街中で市民が唱和していたイギリスの国歌は“God Save the Queen”であり、ビンラディン殺害のニュースを聞いて街に繰り出したアメリカ人が皆で歌っていたのは、(第2の国家とも呼ばれる)“God Bless America”であった。何も特別なことではなく、世界のリーダーと呼ばれる国々でも、神が存在することは、当然の前提とされているのだ。私には神様がいるのかどうかよくわからないし、いるとしても、それが一人なのか沢山なのか分からない。分からないものは分からないとしか言いようがないのだが、人知を超える力への畏怖のようなものは必要だと思うし、そういう気持ちは持っている。少し前に読んだ本に、面白いことが書いてあった。アイヌのシャーマンで、アイヌ民族の文化を守るために様々な活動をされているアシリ・レラさんが、作家の田口ランディさんに言ったという言葉。「人間の義務はね、万物の霊長として、全ての生き物のために祈ることなんだよ。それが、天と地の間に垂直に立つことが出来る人間の役目だ。」とのこと。なるほど。神を信じるかどうかはともかく、それなら何んとなく分かる気がする。人間は、自然界の生命に意味を与えることが求められているわけですね。自然や地球を痛めつけるために生まれてきたのではなく、其々の命に意味を与えることが人間の役割であり責任ということなのだと。あるお偉い方が言われた「天罰」という言葉は、私も不適切だったとは思うが、昨今の異常とも思われる数々の自然災害の発生は、人間が本来の役割を忘れ、また、自然を甘く見て自らが支配したような気になっていたことに対する「警告」のような意味が込められているような気がしてならない。それが、神様の仕業なのかどうかは分からない。ただ、分からないからには、自分の心をオープンにして、宗教的なことも含めて謙虚に学ぶ姿勢を持っていたいと思っている。お読み頂き有難うございます。以下は、ブログランキングです。 "励み"にしておりますので、よろしければクリックをお願いします! にほんブログ
2011.05.03
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今日は、本当は別のことを書こうと思っていたのですが、やっぱり、これを書かないと、この時代を生きた記録になりませんね。米国軍の特殊部隊が、パキスタンに潜伏していた、ビン・ラディンを殺害したとのことだ。オバマ大統領が深夜に会見を開いて公表し、イギリスでも、TVのニュースは、これ一色だ。公開された写真はねつ造だとかいう話もあって、私にはよく分からないが、ビンラディンと見られる人物の死体はDNAテストで99.9%本人と確認された後に、海に水葬されたのだそうだ。ここからは完全な素人の推測だが、死体は早く処分しないと、奪還のための攻撃を仕掛けられる恐れが消えないし、奪還されて手厚く葬られると、その場所が聖地化されて新たな紛争の種になる可能性もある、というような判断があったのではなかろうか。報道で観る限り、NYは大変なお祭り騒ぎでしたね。気持ちは分かりますが、人を殺して皆で”God bless America!”と歌いながら、喜んでいる姿というのは、何んとなく気持ちのよいものではないし、実際、これで終わったわけではなくて、新たなる報復という連鎖への警戒も必要です。考えたくもないのですが、報復、ということになれば、一番弱いところが狙われやすいのは常識です。米国への報復は米国内に限りませんので、全世界の米国大使館等は警戒態勢を強めています。同盟国である日本が、一番弱いリンクだと思われなければよいのですが・・・。それと、テロリス達は、きっと、原発の冷却装置、電源、建屋を狙えばいいんだな、という学習をしているであろうことも、非常に気になるところですね。とにかく、9.11が世界を変えたことは間違いありませんが、先ずは、ビンラディンを捕まえる(殺す)ことが最優先だ、ということで、本質的な問題への対応は棚上げにされたまま、ここまで来たというのが実情でしょう。ここからは、何故、こんなことが起きてしまったのかを検証し、2度とこのような悲惨な事件が起きないような世界を創り出すための道を歩んでいきたいものです。ここまで書いていて、思いましたが、3.11についても、全く同じことが言えますね。お読み頂き有難うございます。以下は、ブログランキングです。 "励み"にしておりますので、よろしければクリックをお願いします! にほんブログ
2011.05.02
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さて、ここ数日のイギリスは、ロイヤルウェディングによるお祝いモードで、ちょっとしたおとぎ話の中にいるような感覚でもあったのだが、さすがに、今日辺りからは平常モードに戻った感じだ。BBCニュースも、トップニュースは、NATOの空爆によるカダフィの息子と孫の殺害、次いで、シリアでのデモ弾圧による大量殺戮であった。これを平常モードと呼ぶのは辛いものがあるが、ロイヤルウェディングイ浮かれている間に、何一つ解決に向けて前進したわけではないのが悲しい現実だ。・・・と言うよりも、解決策なんてないのではないだろうか。リビアにしろシリアにしろ、独裁政権で西側の民主主義社会の常識から見れば、人権無視の滅茶苦茶な世界ではあったが、それはそれで一応の安定を保っていたわけで、リビアはのカダフィは、核兵器や化学兵器といった大量破壊兵器の開発を放棄したし、シリアのアサドはイスラエルとの停戦をずっと遵守してきた。特に、シリアにおいて顕著なのだが、独裁政権を倒すのはよいのだが、受け皿が全くない。新たな政権が出来たところで、急に景気が良くなるはずもなく、結局、国民の怒りを反米・反イスラエルという形で逸らそうとする可能性もあるだろう。だから、アメリカも、これまでのところ、アサド政権の転覆を望んではいない様子が見え見えであった。国際世論に追い込まれて?大統領が署名したアメリカの制裁案も極めて中途半端で、形式的なものだし、国連の人権理事会のシリア非難決議も、9カ国が反対し、10カ国が棄権ないしは欠席だった。既に500人以上の人が死んでいると伝えられているが、これを反乱の制圧で正当な行為だと信じる国や、そもそも内政干渉は不適切だと考える国があるということを内乱なんて想像できない日本人も認識する必要がある。答えが見つからないので、同じことばかり書いているが、シリアの民衆も一度立ち上がってしまったからには、簡単に元へは戻れない。元へ戻れば、政府に弾圧され、一族郎党がヒドイ目にあう、そう思って不退転の決意でデモに参加していると思う。本当に、答えはないのだろうか。毎日、シリアでの死者の数が積み上がるのを見て、何も感じなくなってきている自分がいるのが、空恐ろしい。お読み頂き有難うございます。以下は、ブログランキングです。 "励み"にしておりますので、よろしければクリックをお願いします! にほんブログ
2011.05.01
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