まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2024.03.02
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春場所前夜鯛の握りを十五皿 赤貝や父のアガリの緑濃し 鯛掲げ春場所終えし夢をみる ナマモノが苦手な僕は浅利汁 桜鯛皿取り思う宇良ピンク 回転寿司小さき手小さき春を取る 海の陽をたたえて碧し海苔の艶 二周目も取られぬ鮪花曇
2月29日のプレバト俳句。
今回は相撲力士対決。お題は「回転寿司」。



梅沢富美男。
海の陽をたたえて碧し 海苔 のり の艶
海の陽の香や 軍艦の海苔の艶
(添削後)

原句を二句一章と見れば、
A:海が陽光を湛えて青いなあ。ここには海苔のツヤがあるよ。

という意味になるし、
かたや倒置法の一句一章と見れば、
B:海苔のツヤが海の陽を湛えて青いなあ。

という意味になります。

それによって「碧し」の主語が変わる。


1.液体を満たす
2.表情を浮かべる (例:笑みを湛える)

という意味なので、
一般には「陽を湛える」という言い方をしません。

なので、
この動詞は「讃える/称える」の意味にも誤読できる。
その場合は、
C:海は太陽を讃えて青くなったのだよ。ここには海苔のツヤが見えるよ。

D:海苔のツヤは海の太陽を讃えてこそ青いのだよ。

みたいな擬人化表現とも解釈できる。

おそらく作者は 「B」 の意図で詠んだのでしょうが、
「海の色を湛えて青い」のならともかく、
「海の"陽"の色を湛えて青い」というのもちょっと奇妙です。
陽の色なら赤やオレンジと考えるのが普通だから。


一方で、陽の光が海苔の「ツヤ」になり、
他方で、海の色が海苔の「青色」になる、
…みたいなイメージなのでしょうが、
そのロジックが字面のうえで混乱をきたしている。

じつは、

「碧し」を連体形にして「海苔」を修飾させ、
海の陽を湛えて碧き海苔の艶

と書けば、上記の問題はおおむね解決するし、

かりに「湛える」という動詞を避けるなら、
海の陽を秘めたる海苔の碧き艶
海の陽を浴びしや 海苔の碧き艶

のような添削案もありえます。

とはいえ、
ジュニアが指摘したとおり、
寿司屋ではなく海辺の場面に見えてしまうし、
先生も「色」の句にするのをやめて、
あっさり「香」の句に改作してしまったのですね。

あくまでも、作者の意図を汲むのなら、
海の陽の記憶 巻き海苔つや碧し
あの海の陽よ 巻き海苔の艶碧し

のような二句一章にできるかもしれません。



湘南乃海。
春場所前夜 鯛 たい の握りを十五皿

一山本。
ナマモノが苦手な僕は浅利 あさり
ナマモノが苦手 浅利汁は熱々
(添削後)

前者は70点の才能アリ1位。
後者は40点の凡人4位。

たしかに、
前者のほうが二句一章の俳句らしい体裁に見えるし、
後者は「僕」の主語表記がいかにも散文っぽいけど、

じつは両方とも、
「春場所前夜に鯛の握りを十五皿食べました」
「生ものが苦手な僕は浅利汁をいただきます」

という散文を俳句にしただけで大差がない。

もっといえば、
「春場所前夜なので、縁起のよい鯛の握りを十五皿食べました」
「生ものが苦手なので、火をとおした浅利汁をいただきます」

という因果関係の説明にも見えます。

まあ、前者のほうが、
「縁起ものの鯛」「一場所15日分」
と験 ゲン を担いだところに情緒があるとはいえ、
それでも「才能アリ」にふさわしいかは疑問。

なお、
鯛は季語ではありませんが、
「桜鯛」「鯛網」なら晩春の季語。
「黒鯛」なら夏の季語だそうです。



御嶽海。
赤貝や 父のアガリの緑濃し


刺身とお茶を写生することによって、
満ち足りた父の様子を描いたのでしょうが、
取り合わせと見れば前段と後段が近すぎる。

むしろ切れ字で詠嘆せずに、
赤貝に父のあがりの緑濃く

と一句一章にまとめるべきだと思います。



島津海。
鯛掲げ春場所終えし夢をみる
場所終えて掲ぐる鯛や 春の夢
(添削後)

夢オチの句は客観写生とはいえないし、
「~し夢をみる」で締める形を認めたら、
いくらでも同じパターンの句が作れてしまいます。

かたや、
添削によって夢が実景になったかどうかは微妙。



若元春。
桜鯛 皿取り思う宇良ピンク
桜鯛 宇良の回しのような色
(添削後)

これも写生ではなく「思ったこと」を書いている。

サッカーに「サムライブルー」があるように、
相撲に「宇良ピンク」なる造語があるかは知らんけど、

寿司ネタを見て力士のまわしを思い浮かべる、
…って発想は、個人的にかなり抵抗を感じます。
「食べ物の季語は美味しそうに詠む」
という原則に抵触してるのでは??
あくまで価値観は人によるだろうけれど。



清水アナ。
二周目も取られぬ鮪 まぐろ 花曇


これは「鮪」が冬で「花曇」が春の季重なり。

兼題写真がなければ、
回転寿司の場面だとは分かりません。
まぐろ漁船が旋回してるようにも見えるし、
まぐろが回遊してるようにも見える。

鮪を「トロ」「赤身」などと書くことで、
季重なりを回避できるかは賛否が割れるでしょうが、

とりあえず回転寿司の場面だと明示するには、
二周目の赤身の皿や 花曇
中トロの皿は二周目 花曇

のように書けばいいわけですね。

カピカピの不味そうな食べ物と天気の取り合わせ。
季語を不味そうに詠むのでなければ、
ひとつの倦怠感の表現として容認できるでしょうか。



千原ジュニア。
回転寿司 小さき手小さき春を取る


これは文句ありません。
現代の核家族のささやかな幸せを切り取ってる。

それが豊かだといえるかは分からないけれど。

ジュニアの俳句はかなり良くなってますね。


▽過去の記事はこちら
https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12




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最終更新日  2024.03.07 14:24:51


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