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NHK「ドキュメント72時間」で、鳥取の《花見潟はなみがた墓地》の回を見ました。中世ごろから存在した墓地だそうです。高さ3mほどの鎌倉時代の石塔などもある。おそらく、江戸の檀家制度よりも前の、古い祖先供養の形が残ってるのでしょうね。現在は、あらゆる宗派のお墓が混在してて、キリスト教のお墓があったりもする。◇位置的にいうと…背後に大山があり、前方に隠岐の島が見える海岸です。松江の黄泉平坂や、https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202310070000/島根半島の加賀の潜戸からも遠くない。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202405110000/その意味では出雲文化圏なのかもしれません。ネットの情報によれば、小泉八雲も新婚旅行でこの墓地に来たそうです。◇お墓には石灯篭が備えられて、お盆になると一斉に「迎え火」「送り火」を灯す習わし。海岸でおこなわれる「迎え火」にも、川でおこなわれる「燈籠流し」にも、あるいは「不知火」「龍灯」などの伝承にも言えますが、海の向こうに死者の世界があるという考え方ですよね。垂直方向に「天国」と「地獄」があるのじゃなく、水平方向の海の彼方に、文字どおりの「彼岸」がある。そう考えると、あの世への入口である「黄泉平坂」も、賽の河原である「加賀の潜戸」も、海に面した場所にある点で共通してます。今日から10月!今週10/4(金) 夜10:00#ドキュメント72時間鳥取🌊海辺の墓地🌞炎天下のお盆🏮海辺の巨大な墓地。担当は日焼け対策アンダー黒ロンTの佐藤D。本当に海のすぐそばで、夜には1年にこの時期しか見られないという不思議な光景も!🪔🪔🪔🪔🪔🪔 pic.twitter.com/KQGzmUiGJ3— ドキュメント72時間 (@nhk_72HR) October 1, 2024◇ちなみに、檀家制度のなかった沖縄でも、お寺とは無関係な場所に墓地があって、海辺にお墓が建ってることも多いのではないかしら?沖縄には海辺の洞穴に遺体を置く風葬もあった。今回の番組によれば、花見潟墓地では昭和の半ばまで土葬だったとのこと。\5日限定5%オフクーポン/秀〆 お盆用品 お盆飾り 初盆 新盆 迎え火 送り火 麻がら(10本組×2束)仏壇 盆棚 ご自宅 マンション 楽天で購入
2024.10.06
SPドラマ「ブラック・ジャック」を見ました。思ってたよりもだいぶ出来がよかったです。テイスト的には、NHKの「岸辺露伴」よりも、むしろ「藤子・F・不二雄SF短編」に近い印象。高橋一生&井之脇海&永尾柚乃ちゃんが、漫画の雰囲気を違和感なく再現してましたね。◇ただ、石橋静河の演技はやや迫力に欠けたし、コスプレ的にもちょっと浮いてた感じ。松本まりかの「馬」の被り物も、不要なコケオドシかなあと思いました。原作を改変するのが悪いとは思わないけど、岸辺露伴の泉京香が成功したのとは対照的に、今回のキリコのキャラ造形はあまり上手くいってない。◇石橋静河という人は、見るからに女性らしいタイプの俳優じゃないので、たぶん男性的な雰囲気に期待しての起用だと思うけど、そのへんのキャスティングや演出の意図が、ちょっと曖昧だったんじゃないかしら?結果として、石橋静河の役作りも中途半端だったと思う。まあ、役というのは演じながら固まってくる場合もあるし、脚本家のアテ書きが、徐々に現場と噛み合ってくることもあるだろうから、この座組での続編が期待できないわけでもないとは思う。ブラック・ジャック(1) (手塚治虫文庫全集) [ 手塚 治虫 ]価格:990円(税込、送料無料) (2024/7/7時点) 楽天で購入
2024.07.07
露伴先生、京香さまと職場結婚www続編は大丈夫?映画版第2弾は?感動のあまり涙があふれて止まらない飯豊まりえ!!!\NHKプラスで配信中!/【#岸辺露伴は動かない】シリーズ最新作「#密漁海岸」⚠️ネタバレ注意⚠️トニオの料理を食べ、京香(#飯豊まりえ)の目から大量の涙があふれるシーン。驚きのメイキング動画を公開!🔻ドラマ本編を見るには5/17(金)よる10:59まで見逃し配信中https://t.co/3KByVN2iXD pic.twitter.com/BvHKCSuUQl— NHKドラマ (@nhk_dramas) May 14, 2024#岸辺露伴は動かない pic.twitter.com/61wzm14D3V— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 16, 2024
2024.05.16
実写版「岸辺露伴は動かない」。第9話目になる《密漁海岸》を見ました。映像は、先日放送された映画版をしのぐほど美しかったけど、内容はあいかわらずのナンセンス!これまでになくツッコミどころが満載でしたw◇前半のテーマは医食同源。というよりも「薬毒同源」ですね。毒をもって毒を制すれば、毒にも薬にもなる。食材や生薬の探究に貪欲なのは、イタリア人よりも中国人のような気がするけど、ナポリ出身のトニオさんは、あらゆる食材をイタリア薬膳料理にしてしまう!…そして後半のテーマは密漁者の捕獲。アワビの密漁法を記した古い指南書が、じつは密漁者を死に追いやるための罠だった…という話。密漁者も、密猟者も、そうやって捕獲すりゃいいのね!なお、露伴先生が溺れるシーンで使われたのは、能「阿漕あこぎ」の謡だったらしい。伊勢神宮御用の禁漁区だった阿漕ヶ浦の話です。https://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_070.htmlクライマックスで流れる謡は、能の演目「阿漕」をアレンジしたもの。渡辺監督は「歌詞自体も漁師が禁漁区で漁をしてひどいめにあってしまうというもので、音楽の菊地成孔さんがアレンジして作って下さいました。露伴が墓場に着いた時に流れるのは法華経です」と会見で説明していた。「#岸辺露伴は動かない」 #密漁海岸 クライマックスで流れる謡は?#高橋一生 #トニオhttps://t.co/lbuanvhRcq— シネマトゥデイ (@cinematoday) May 10, 2024 1.密漁海岸は加賀の潜戸?阿漕ヶ浦があるのは三重県津市ですが…巨大アワビに襲われた密漁者たちの死体が漂着し、その遺骨が大量に転がってる岩場には、大きな風穴(海食洞門)と小さな鳥居がありました。そこはまるで、島根半島の「加賀の潜戸くけど」のようです。加賀の潜戸は、水子供養の霊場だったと思われる賽の河原で、古代の海人族わだつみの聖地ともいわれてます。小泉八雲や水木しげるを惹きつけた加賀の潜戸。水木しげるは、境港で死体が漂着する話もしてる。>> 水木しげると小泉八雲と国引き神話。>> 水木しげると境港と一畑薬師。…そういえば第5話の《背中の正面》も、松江の「黄泉比良坂よもつひらさか」がネタ元だろうと思うけど、岸辺露伴に出てくる怪異譚って、じつは島根県に取材してることが多いのかもしれません。そこから察すると、露伴先生のモデルは、幸田露伴よりも小泉八雲じゃないのかしら?…島根県といえば、出雲大社の御神体は「巨大な九穴アワビ」との説があります。同じような「九穴の貝」の伝承は日本各地にあって、それを食べれば不老長寿を得るといわれてる。今回のヒョウガラクロアワビも九穴の貝だったのかな。九穴って、人間の男性と同じ数だけど、密漁者を食い殺したアワビが九穴になるのかもね!2.ヒョウガラ列岩は明神礁?ヒョウガラ列岩に棲息してたのが、ヒョウガラクロアワビだったわけですが…ヒョウ柄って、そんな大阪のおばちゃんみたいな岩があるの?そのヒョウ柄の岩に張りつくから、クロアワビも保護色でヒョウ柄になるってか?映像を見たところは、どこがヒョウ柄なのかよく分かりませんでしたが。◇なお、ネットで「列岩」を調べてみましたが、日本の場合は、明神礁みょうじんしょうのベヨネース列岩しか出てこない。たぶん列岩というのは、海底火山で隆起した岩礁群なのだと思います。ちなみに、海人・海神わだつみは、新海誠「天気の子」や山崎貴「ゴジラ-1.0」に関係しますが、明神礁は、本多猪四郎の初代「ゴジラ」に関係します。初代ゴジラのモデルになった事件は、1952年に明神礁の噴火で遭難した第五海洋丸と、1954年にビキニ環礁で被爆した第五福竜丸だからです。(前者は海上保安庁の測量船、後者は遠洋マグロ漁船)3.蛸とアワビの吸着力。巨大なアワビが顔に張りついて死にかける場面は強烈!そんな危機を救ったのがアワビの天敵の蛸たこ。実際、タコの8本足の吸着力は、アワビを引き剥がすほどに強力なのだそうです。日本沿岸に棲息する蛸だけに、ヘブンズドアの命令も日本語で話が通じるのかしら?つーか、蛸にヘブンズドアが出来るなら、アワビにだって出来るでしょwついでに六壁青蛙ムツカベアオガエルにも!◇蛸はアワビを退治してくれましたが、そのまま蛸が顔に張りついたら死んじゃうよね。それもヘブンズドアで乗り切ったのかな。…とにもかくにも、アワビ成分入りの蛸料理を食べたおかげで、初音さん(蓮佛美沙子)の病はすっかり快癒したらしく、美味しそうなクロスタータ(イタリアのタルト)を作ってくれました。あれって、絶対グレープフルーツのジャム入りでしょ!そうでなきゃ頭の腫瘍はどこ行ったの?どうして食べても何の反応も起きないの?オチがなさすぎww大量のジャムを使うクロスタータ!
2024.05.11
映画「岸辺露伴ルーヴルへ行く」のTV初放送。NHKプラスでも配信すると思って余裕こいてたので、序盤を見逃してしまいました…。配信がないならないで、その旨アナウンスしてほしいw◇以下ネタバレ考察です。この物語の設定は、ちょうど《藪箱法師》と対照関係になってますね。> 光を反射する鏡は人を映すが、> 光を吸収する「絶対的な黒」が映すものは何か?> …それは過去だ!ご神木の祠にあった鏡は、抑圧された人格《藪箱法師》を現出させたわけですが、ご神木の樹液が生み出す絶対的な漆黒は、過去の罪などの《後悔》を実体として現出させてしまう。言い換えるならば、過去に入ったはずの《滅相》が復活するってことですね。【滅相】[名]仏語。四相の一。因縁によって生じた一切のものが現在の存在から滅し去り、過去に入ること。https://kotobank.jp/word/滅相しかも、自分自身が背負った罪への《後悔》のみならず、先祖が背負った罪への《後悔》も実体化してしまうらしい。ルーブル美術館から絵画を盗み出していたのは、モリス・ルグランなる贋作画家の一味です。彼らは、ルーブルの「収蔵品移転プロジェクト」を悪用してる。ルーブル美術館始まって以来の大プロジェクトが、静かに進んでいる。新しくできた超近代的な保存施設に、所蔵する25万点もの美術・工芸品を5年がかりで移そうという計画だ。https://globe.asahi.com/article/14279381つまり、ルーブルの地下倉庫にある未解明の収蔵品から、価値のある絵画を見つけ出しては贋作をつくり、それを新設される保管センターへ移転させ、真作のほうは自作絵画の額縁の裏側に隠して、海外オークションに出品して安く買い叩く手口。もちろんモリス・ルグランの元ネタは、アルセーヌ・ルパンの作者モーリス・ルブランですね。怪盗ルパン全集シリーズ(2) 怪盗紳士 (ポプラ文庫 海外文学 5) [ モーリス・ルブラン ] 楽天で購入 しかし、モリス・ルグランが、自作の絵画「ノワール」の裏に隠したのは、山村仁左右衛門の真作ではなく、そこから剥ぎ取った顔料の一部だったようです。盗んだ「ノワール」の裏側を見た買い付け師の男は、実体化した車の幻影に轢かれて死んでしまいました。きっと過去に轢き逃げ事件でも犯していたのでしょう。◇一方、露伴先生は、ルーブル美術館で山村仁左右衛門の真作を見た結果、山村仁左右衛門の亡霊に襲われてしまいます。しかし、後で分かったことだけど、露伴先生は山村仁左右衛門の子孫じゃなく、妻の奈々瀬さんの実家の末裔だったのよねwなぜ血縁関係のない露伴先生が、山村仁左右衛門と顔がそっくりで、山村仁左右衛門の《後悔》を背負っていて、その絵師の《才能》までを受け継いだのか?そして、そもそも、なぜ山村仁左右衛門の真作は祖母の家にあったのか?いつもながら、そのへんのロジックは不可解です。◇…それはそうと、京香さまはあいかわらず無敵っ!山村仁左右衛門の真作をガン見してたのに、なんらの《後悔》にも襲われることはありませんでした。つまり、本人のみならず、先祖代々、何も背負ってないってことwww◇◇以下は感想です。ぶっちゃけ、映画として観るほどの内容とは言いがたいけど、スペシャルドラマとしてなら十分に楽しめました。もちろん、ツッコミどころはいろいろあります。上記のとおり、露伴先生が血縁関係のない山村仁左右衛門の亡霊に襲われるとか、死者であるはずの奈々瀬さんにヘブンズドアが出来てしまうとか。やたらと蜘蛛が這いまわる必然性もよく分からない。◇そして…これを言っちゃ身も蓋もないけど、そもそも舞台がルーブルである必然性を感じないのよね。江戸時代の女の幽霊がモナリザっぽいのも変だしwこの内容なら、むしろ国内の美術館を舞台にしたほうがよかったかも。ルーブル美術館の事件が一段落した時点で、物語としてはだいたい終わりなのかなと思いきや、そこから日本に帰ったあとの種明かしが冗長だったりして、映画としてのテンポの悪さも欠点だと思うし、間をもたせるだけの演出の創意にも欠けてた感がある。◇とはいえ、若き日の露伴と奈々瀬の夏のエピソードには、それこそ泉鏡花の怪異譚みたいな風情がありました。ちなみに、露伴先生はいつからヘアバンドを巻いてるのかしら??…生まれつき?つぎは密漁海岸。
2024.05.07
サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん。伊勢神宮&出雲大社の特集でした。◇たまにしか見ませんが、いい番組ですよね。日本の教育は、とかく協調性ばかり重視しがちですが、安易な同調主義は異質な能力への抑圧やいじめに繋がるし、むしろ、はみ出すほどの個性を伸ばすほうが大事であって、その意味でも、オタクへの敬意は重要な教育文化です。◇さて、わたしの関心はあいかわらず出雲!本州と島根半島が、トンボロの原理によって砂州で繋がったことは、すでにブラタモリの境港の回で学びました。出雲の側は弥生時代に本州と陸続きになり、境港の側は奈良時代の終わりごろに本州と繋がった。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202208290000/https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202212210000/◇今回の番組によれば、いまも稲佐の浜には砂が押し寄せていて、昭和初期までは「島」だったはずの弁天島が、いまでは完全に砂で繋がっているのだと。#出雲大社 pic.twitter.com/GVw8k5BqFJ— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 28, 2023↓くわしくはこちらを参照。https://kinkitaisyakai.net/fukei/fukei2/syowa.htmlhttps://voiceofstone.blogspot.com/2015/05/blog-post_3.html◇出雲大社では、稲佐の浜に押し寄せる砂が、神々と同一視されて信仰されている。なぜか、その砂を、大国主じゃなくスサノオのところにもっていくのね。pic.twitter.com/wfSglN8RE5— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 28, 2023現在の島根半島は、出雲の側も、境港の側も、砂州で繋がっている。出雲側は《神々の流れ着く場所》で、境港側は《妖怪の流れ着く場所》です。これらの場所が陸続きになる前は、神々も、妖怪も、おそらく松江に漂着していたのだと思う。とにもかくにも、島根半島の周辺は黄泉の国との境界なのだけど、それらはすべて「漂着」という概念で説明がつくはず。先日の黄泉比良坂の記事にも書いたとおり、砂と一緒にさまざまなものが漂着するからこそ、そこは《異界と出会う場所》になるのだ、ということ。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202310070000/◇今回の番組では、小学生の女の子が出雲大社を案内してましたが、神話の解説などもとても分かりやすかったです。海幸彦と山幸彦の龍宮(蛇神)神話。pic.twitter.com/ypb9r7gV69— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 28, 2023 因幡の白兎とサメ(ワニ)の神話。pic.twitter.com/Kcltak6bvG— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 28, 2023因幡の白兎とはいうものの、ヤカミヒメが因幡(鳥取県)出身なのであって、白兎はもともと隠岐島にいたのですね。なんとなく国引き神話とも関係がありそう。野見宿禰と当麻蹴速の話も聞きたかったな。pic.twitter.com/ZEuopBv8nl— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 31, 2023追記:あとで調べてみたら、野見宿禰の話は、出雲大社の荒垣正門にある「銅鳥居」の話に繋がっていたようです。1666年に毛利綱広が寄進した銅鳥居には「大江綱広」と書いてある。これは毛利の本姓が「大江」だから。彼が鳥居を寄進したのは、大江氏の先祖が「アメノホヒ」にあたるから。アメノホヒは、アマテラスとスサノオが誓約をしたときに生まれた五男三女神の一柱。大国主に仕えて、出雲(現在の松江市)にイザナミを祭る神魂神社を建てた。その子のタケヒラトリは「出雲国造家」と「土師氏」の祖神。もともと出雲国造家の起源は松江の神魂神社にあり、そこから798年に杵築大社(現在の出雲大社)へ移ったわけです。土師氏は、垂仁天皇のときに野見宿禰が「相撲の祖」になり、殉葬者に代わる埴輪を創製したことで「土師姓」を賜った。ちなみに出雲の野見宿禰は大和の当麻蹴速を蹴り殺したのだそうで、相撲というよりもキックボクシングだったのですね。蹴速の土地は没収されて野見宿禰の土地になったらしい。土師氏は、のちに秋篠氏、菅原氏、大枝氏(のちの大江氏)へ改姓。大江氏からは「中古三十六歌仙」に大江千里、大江匡衡、大江嘉言らが、女性では和泉式部、赤染衛門(匡衡の妻)らが選ばれている。大江匡衡の曾孫には、平安時代屈指の学者にして源義家(八幡太郎)に兵法を教えた大江匡房がおり、その曾孫として源頼朝を支えた大江広元がいる。そして、大江広元の四男の季光が「毛利氏」の祖になるわけですね。このほか、徳川家康に仕えた酒井忠次や、NHKの黒崎めぐみアナも同祖にあたるはずです。
2023.10.29
NHK「ドキュメント72時間」で、島根の黄泉比良坂よもつひらさかの回を見ました。川栄李奈の素敵なナレーションでしたね。AKB時代にアホの子だったのが嘘のようです(笑)。ちなみに昨日は、おととしに書いた岸辺露伴の記事のアクセスが増えました。思うに「岸辺露伴・黄泉比良坂」で検索した人が多かったのかな?◇わたしとしては、もうすこし地形的なことも知りたかったのだけど、番組を見ただけでは、それがよく分からなかった。曲がりなりにも「坂」というのだから、そこを登りきったら、あるいは降りきったら、どこかへ通じる道なのかと思ってましたが、実際は、巨石のある場所が行き止まりになってる。この巨石がどうやら「千引ちびきの岩」らしい。イザナギはこれで黄泉の国との境界を塞いでしまった。◇ネットで調べてみると、道を塞いでるのは巨石だけじゃなく、近くには「塞の神」もあって、そちらも行き止まりになってるようです。かつては、そこから先の道が存在したらしい。この小道は、古くは、揖夜神社から塞の神を通り、尾根沿いに意東・広瀬・安来方面につながる重要な古道のひとつと言われてきました。現在は通り抜けることができません。地元では、塞の神から東に広がる谷を夜見路谷、谷を抜けることを夜見路越えと呼び、今でもその呼び名が語り継がれています。https://yamap.com/activities/17057907/articleイザナミが黄泉の国に隠れた後をつけて通った谷を、今もつけ谷(付谷)といい、山坂道を追っかけ上がった坂は追谷坂(大谷坂)とよばれている。その峠には塞の神(道祖神)が祀ってあり、そこを越した所がヨミジ谷であって、ここに神蹟伝説の碑が建っている。この碑から西に行けば前記の付谷を渡り山越えして五反田、そこから勝負を越して須田方面に向かう。東方に行けば中意東超坂から、馬場に出て雉子谷を越えて高丸から安来市の岩舟方面に通じる。南方には山の峰道より上意東から荻山(京羅木山)や星上山に通じたのが大昔の道であったとは古老の語りぐさである。http://www.yuyuyu.jp/ancient/yomotsuhirasaka.htm…境港のある弓ヶ浜半島も、地名の由来は「夜見ヶ浜」であって、砂州で陸続きになる前は「夜見島」だったのだけど、やはり松江にも「夜見(≒黄泉)」という地名があるのね。◇Googleの上空写真で見ると、黄泉比良坂のある場所は、ギザギザした山地の先端部分です。わたしなりにブラタモリ的な推測をすると、太古の昔は海に面した岬の先端だったのだと思う。早い話、黄泉比良坂ってのは、太古の海岸通りじゃないかしら?ギザギザした地形なのは、火砕流が流れた痕跡か、川や海で削られた結果か。巨石がゴロゴロしてるってことは、火山の影響がある気もする。◇去年の「ブラタモリ」の境港編によれば、本州と島根半島をつないでる砂州は、海流がトンボロの原理で形成したものだから、その砂州ができる前には内海があったはずです。※その名残が2つの汽水湖(宍道湖&中海)になってるわけです。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202208290000/そして、砂州ができはじめたころ、黄泉比良坂のあたりの岬の先端は、さまざまな漂着物が流れ着く場所だったと思う。実際、昔の境港の海岸には、死体が流れ着くこともあったらしい。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202209030000/だからこそ、黄泉への入口と思われたのではないでしょうか。◇今回の番組で取材した人たちの話によれば、黄泉比良坂は「呪術廻戦」や「鬼灯の冷徹」にも出てくるのね。
2023.10.07
NHK「雪国 -SNOW COUNTRY-」を見ました。川端康成の没後50年にちなんで、去年の3月にBS4Kで放送されたドラマ。脚本は「カムカム」の藤本有紀。演出は「岸辺露伴」の渡辺一貴。音楽は「ピナ・バウシュ」の三宅純。今回の作品が、映像化された「雪国」の決定版だとは思わないけれど、ひとつの面白い試みではあったと思うし、今後の映像化を考える上での問題点も浮かび上がったと思います。◇物語の舞台は、昭和10年前後の新潟県~越後湯沢とされています。昭和6年に上越線の清水トンネルが開通して間もない頃です。戦前の日本ですね。昭和12年からは日中戦争が、昭和16年からは太平洋戦争がはじまりますが、まだ敵性文化への抑圧などはなく、主人公は、西洋舞踊(バレエ)の評論を執筆しながら、無為徒食に生きているという設定です。◇文頭に出てくる「国境」を、《こっきょう》と読むか、それとも《くにざかい》と読むか、といった問題もありますが…より重要なのは以下の3点です。1.サスペンスと叙情美のバランス公式ページにも、《原作の行間に隠された真実を、ミステリー要素も交えながらときほぐす》とあるように、このドラマはサスペンス仕立てで作られています。幾重にも降り積もった雪の層によって、過去の記憶と心の機微の真実が覆い隠されている。高橋一生と奈緒のセリフ回しは、どこかしら不自然でぎこちないのですが、それはサスペンス的な演出として意図されたものにも見えます。つまり、人物の内面と言動には齟齬があるのです。これは、ミステリードラマなどで、登場人物の全員がどことなく嘘を言っている感じにも近い。視聴者は、そこに一種の違和感を覚えながら、しだいに物語の謎に興味をそそられていくのです。…ただし、このような演出は、文芸作品としての叙情性を損ねている気もするし、川端文学の耽美的な世界を味わいたい原作ファンにとっては、こうしたサスペンスタッチの手法は、かえって邪魔に感じられるかもしれません。2.日本の近代の問題冒頭のシーンでは、高橋一生がトンネルの中を歩いています。この映像は、何らかの象徴とか心象なのかもしれません。しかし、原作でトンネルを抜けるのは、いうまでもなく上越線の列車であって、歩く主人公ではありません。清水トンネルは全長が9702mで、当時は東洋一の長さを誇っていました。そう考えると、やはりトンネルを抜けるのは列車でなければならない。この物語が、「都市の富裕な男の徒労」と「地方の貧しい女の気違い」との交わり、あるいは、その対比から生まれるのだとすれば、それを可能にしたのは《鉄道とトンネル》という近代の技術です。さらに、原作では、その車窓の外に見える灯火が、同じ窓に反射した女(葉子)の鏡像に重なる仕掛けになっていて、ドラマのように女自身が車内で火を灯すのではありません。そもそも明かりのついた車内で火を灯す必要はないからです。川端は、主人公の島村について、島村は私ではありません。男としての存在ですらないやうで、ただ駒子をうつす鏡のやうなもの、でせうか…と述べていますが、この原作において、車外の実景と車内の鏡像を重ね映す列車の窓は重要なメタファーです。それをとおしてのみ、抑圧されて破綻する地方の貧しい女たちの精神が、都市の富裕な男の虚無的な視線に映る、という構造だからです。3.なぜ「女の気が違う」かこの物語は、「なぜ女の気が違ってしまうのか」という不可解な謎をめぐるサスペンスです。なので、その主題は「男の徒労」と「女の気違い」と言ってもいい。これは、たんに男女の感情の機微の問題ではなく、その背景には、「富裕層と貧困層」「都市と地方」「男と女」…といった近代日本の社会構造の問題があります。それは端的に言えば「買う側と売る側」の問題です。ドラマの終盤では、駒子が「貧乏はいや、貧乏はいや」と何度も日記に書きつけます。…越後湯沢は、もともとリゾート地です。その後の越後湯沢は、1960年代に堤義明が一大リゾート地を買い取り、1980年代からはユーミンの冬のコンサートがおこなわれ、1990年代以降はフジロックフェスが開催されるようになる…。植民地やリゾート地を舞台にした小説は、世界中に数知れずありますが、川端康成の「雪国」や「伊豆の踊子」も、そうしたリゾート文学のひとつだといえます。…作品の核心的なテーマが「女の気違い」である以上、映像化するうえでも、この単語を避けられない事情があります。たとえば、「気違い」という名詞を、「気が違う」という動詞で代用すれば、現在の放送コードにも触れないのかもしれませんが、いずれにしても、その単語の使用を避けるという理由だけで、このノーベル文学作品の映像化が躊躇われてきたのだとしたら、それは何としても克服されなければなりません。◇川端康成の「雪国」は、ノーベル賞を獲得した日本文学の金字塔でありながら、じつは日本の中でそれほどきちんと咀嚼されていない。なぜこれが世界的に評価されているのかを、日本人はかならずしも理解していないし、まして日本人なりの解釈というものを世界に提示できていない。 むしろ、日本で話題になってきたのは、ノーベル文学賞にかんして、「なぜ谷崎でも三島でもなく川端だったのか」とか、「なぜ三島の死の数年後に川端も死んだのか」とか、そういった問題だったわけですね。同じ川端作品でも、清純な恋を描いた「伊豆の踊子」にくらべると、幾層にも複雑な謎が重なった「雪国」は難解だといえます。1960年代には映画化やドラマ化もされていますが、今回のNHKドラマは、じつに数十年ぶりの映像化だったと思います。日仏女性劇団セラフ「川端の女たち」千羽鶴/浅草紅団/雪国
2023.02.20
実写版の「岸辺露伴は動かない」。去年の年末放送の終わり際に、京香さまがルーブル編をほのめかしたとき、「来年の予告にしちゃ早いんじゃない?」と思ったけど、5月に映画が公開されるのだそうです。◇NHKが制作する映画というと、「スパイの妻」とか、「アーヤと魔女」とかがあったけど、シリーズものの映画化は初めてなのでは?わたしが知らないだけ?民放では、ドラマシリーズの映画化をよくやる。海外ロケのすえに大コケするパターンもままある。岸辺露伴のドラマ版は、すでにAmazon prime videoで世界配信してるそうですが、映画も国際市場を意識してのことかしら?◇ドラマの世界観をそのまま海外に移すと、なんだか取ってつけたように、ちぐはぐした印象になりがち。先日、フジテレビで、映画「コンフィデンスマンJP」のフランス編を見ましたが、もっぱら日本のタレントだけで漫画っぽい世界観を作っていた。まあ、あれはあれでひとつの手法かなと思います。へたに海外キャストを混ぜると、日本のキャストだけが漫画っぽく浮いて見えるし、それよりは、あえてリアリズムを排除して、徹底的に漫画的な世界を作ってしまったほうがいい。◇日本アニメの舞台化や実写化が続いていますね。しかし、まだ世界の市場を席巻するほどのヒットは出ていない。フジで「エルピス」を撮った大根仁が、さかんに「映像ルック」ということを言ってましたが、とくに実写の場合は、この映像ルックの開発が至上命題になってきています。日テレの「定塚翡翠」も、(内容はつまらなかったけど)もっぱら映像ルックだけで成功していたと言っていい。…黒沢清は、東洋人の俳優を使った映像表現において、エドワード・ヤンをほぼ唯一の模範にしたそうです。今回の「岸辺露伴」を撮る渡辺一貴は、ベルトルッチの「暗殺の森」を意識しているらしい。まだ不安のほうが大きいけど、なんにせよチャレンジすることは重要ですね。『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』(アスミック・エース/NHKエンタープライズ/P.I.C.S.)
2023.01.09
NHK実写版「岸辺露伴は動かない」の第3弾。第2夜は「ジャンケン小僧」です。子供相手のじゃんけん3回勝負に死に物狂いの1時間!この荒唐無稽なくだらなさこそ、岸辺露伴の真骨頂!ずっと笑いが止まりませんでした。◇ってなわけで、すこし考察めいたことを書いておくと、今回のエピソードの基礎になっていたのは、「3の安定性」と「4の不安定性」という発想ですね。ジャンケン小僧は「四ツ辻」の交差性を司る厄神でした。…四ツ辻は不安定な場所であり、交差した者どうしが互いの運命に影響を与えます。そのため、辻占いがおこなわれたり、出会いがしらの勝負になったときは、負けた者の能力が、勝った者のほうへ移転したりするようです。しかし、他方で、四ツ辻を支配するはずのジャンケン小僧には、じつは「3の安定性」に対する嫉妬があって、なんなら「3」こそがいちばん美しい数だと思っている。そのため、ホットサマーマーサの目は「3つ」であるべきだと訴え、じゃんけんの「三つ巴(三すくみ)」こそが、世界でもっとも完全なシステムだと思っているようです。それが、お話の前提ですね。◇ただし、このエピソードには、いくつか腑に落ちない点もありました。まずは、ドラマの映像で見る交差点が、「四ツ辻」ではなく「三叉路」(T字路)に見えたことです。露伴が神社のほうへ曲がった交差点は、すこしズレのある四ツ辻のようでしたが、ジャンケン小僧が転んだ交差点はまるでT字路に見えました。そうはいっても、ジャンケン小僧のヘブンズドアで現れたのは、大きなバツ印(+)だったのだから、彼が「四ツ辻」の厄神だったのは間違いないのですが。◇もうひとつ腑に落ちないのは、交差した者どうしが互いに運命を変えるのは、あくまで「四ツ辻」の不安定性であるはずなのに、露伴とジャンケン小僧は、なぜか「三つ巴」のじゃんけんで運命を交差させ、互いの能力を奪い合っていたことです。このあたりは、ややロジックがちぐはぐしていた感じ?京香さまが担当している漫画家の「志士十五」も、4×4と3×5のズレ(-1)を明示していて、やはり数のロジックをおかしくしています。◇できれば、第1夜で神社へ向かうときも、「バキンちゃんが何か感じてる」という描写ではなく、たとえば、「横から風が吹いてきて持ち物が飛ばされる」とか、「横から野良犬が走り抜けてバキンちゃんが追う」とか、そういう描写のほうが、四ツ辻の交差性の表現としては説得力があった気がします。◇まあ、第2夜もじゅうぶん面白かったのだけど、作品の出来としては第1夜のほうが上だったかな。なお、次回は「ルーブル編」になるっぽい!!
2022.12.30
滝沢馬琴(=正しくは曲亭馬琴)は、里見氏の内紛があった「犬掛合戦」の地を舞台に、いわゆる「八犬伝」の物語を書きました。…ときは室町時代です。南房総の「犬掛いぬかけ」に生まれた八房ヤツフサというワンちゃんが、結城合戦に敗れた里見氏の生き残りの伏姫と結婚。そこから仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の8つの霊玉が生じ、その玉をもった「八犬士」が里見氏再興のために活躍する物語。◇なお、南房総の「犬掛」とは別に、鎌倉にも「犬掛(犬懸)」という同じ地名があります。どちらの地名も、狩りで犬が駆け回ったのが由来とのこと。犬は、武士の狩りにおいて、獲物を追うだけでなく、標的として追われる側にもなったそうです(T_T)≫≫ 徳川綱吉=名君説。ちなみに、鎌倉の犬掛を拠点にしたのが「犬懸上杉氏」で、この一族は、憲房、朝房、持房…というように、その名前に「房フサ」の字を受け継いでいました。もしかしたら「八房」というワンちゃんも、《八つの黒斑くろぶちがある》とか、《八徳をもたらすフサフサの犬》というだけじゃなく、犬懸上杉氏との連なりがあるからこその名前なのかも。ただし、犬懸上杉氏の血を引く上杉持房は、結城合戦では里見氏と敵対しました。◇鎌倉の「犬掛」と南房総の「犬掛」は、何か関係があるのかしら?なんとなく頼朝と因縁がありそうな気もする。源頼朝の巻狩、義経の愛犬、北条義時と白犬など、鎌倉幕府にも犬がらみのエピソードがかなりあります。≫ 和樂web:犬犬犬犬犬だらけ!「南総里見八犬伝」≫ サライ:犬で栄え犬で滅んだ北条氏◇露伴先生の飼い犬の名は、なぜ「馬琴ちゃん」なのか。幸田露伴は、滝沢馬琴について、「日本文学史上の最高の地位を占めている」と述べ、八犬伝の校訂の仕事などもおこなっています。泉鏡花の作品にも、やはり馬琴からの影響があって、彼の金沢の自宅には、犬がらみの草紙をコレクションしたものが、通称「八犬伝の箱」の中に収めてあるそうです。≫≫ 泉鏡花記念館:職員ブログあらためて考えてみると、荒木飛呂彦の「岸辺露伴は動かない」という作品は、そのマニエリスム的な志向を、幸田露伴や泉鏡花の擬古典主義へ寄せたものなのですね。いわば"日本風バロック"なのだと思います。
2022.12.29
NHK実写版「岸辺露伴は動かない」の第3弾。第1夜は「ホットサマー・マーサ」。ナンセンスながら、異常な世界観が最高に狂ってて、個人的には、いままででいちばん好きかも。◇終始「マル3つ」にこだわってた露伴も笑えましたが、結局、京香さまが「マル4つ」で押し通してたオチも笑えた。藪箱法師じゃなくて、京香さまの仕業じゃんw露伴先生、押し切られてるじゃんw古川琴音もヤバ可愛かったし、菊地成孔の奇妙なエンディング曲も、すこぶる変で、すこぶる良かったですw◇さて、基本的にはナンセンスな怪異譚でしたが、いちおう考察的なことに言及してみます。鏡に映った「裏世界」が部分的に具現化し、普段は「抑圧された人格」が本人になり代わってしまう、一種のパラレルワールドみたいなお話でした。本人に代わって姿を現した"藪箱法師"は、さしずめ「裏露伴」とでもいうべき存在で、※左右を反転させた"影法師"とも言えますね。月の満ち欠けにして3回分、つまり、季節を1つ分だけ支配するらしい。そして、反時計回りに鏡を3回転させると、藪箱法師の出現した3ヶ月分のパラレルワールドは消滅し、元の世界線に戻る、という仕組み。これは「時計を逆に回す」というよりも、もともと月の公転周期が反時計回りなので、鏡も合わせて反時計回りに回転させることで、元の月の場所まで追いついて時間を取り戻す、(鏡から見て月が三周分回ってなかったことにする)…ってことのような気がします。◇ちなみに原作は読んでいませんが、この物語の舞台は「六壁神社」だったそうです。またも六壁!!六壁っていったい何なの??6面立方体の部屋みたいなこと?それって「藪箱」と関係があります??なお、犬の名前はバキンちゃんでしたが、これって滝沢馬琴から取ったのかしら?京香さまはドキンちゃんと間違ってましたがww※ネットで調べたら、やっぱり滝沢馬琴から取られているとのこと。それから、このエピソードのタイトルは、「藪箱法師」じゃなくて「ホットサマー・マーサ」なのよね。すなわち、目の数を3つから4つに変更させられた、怪物みたいな漫画のキャラの名前。何故これがタイトルなのかも謎でした!⇒ 前作についての考察はこちらです。
2022.12.28
すこし前になりますが、11月30日に放送されたNHKの「歴史探偵」。テーマは、出雲 “神話の国”の謎。面白い話があったので、メモしておきます。◇第1に、古代出雲大社の高層建築について。高層の木造建築を可能にしたのは、大陸的な工法ではなく、横材を格子状に組んで耐震性を備えた、縄文以来の日本独自の工法ではないか、とのこと。つまり、出雲の人々は弥生人じゃなく縄文人ってこと?やはり出雲の蛇神信仰にも、縄文文化からの流れがあるのかもしれませんよね。◇第2に、出雲周辺には、いまでも朝鮮半島からの漂着物が流れて来る、とのこと。ブラタモリの境港の回 でも、島根半島の周辺に漂着物が多いことが取り上げられてましたが、2つの海流(リマン海流と対馬海流)に乗れば、北九州を経由せずに、朝鮮半島との直接的な交流が可能だったかもしれない。◇第3に、ブラタモリの境港の回 でも、島根半島とその内海の地形が、トンボロ(陸繋砂州)の原理で出来ているとの話でしたが、じつは出雲の神西湖は、かつては現在の3倍もの大きさがあって、それが宍道湖や中海を経由して、出雲~松江~境港が一体的な経済圏を成していた、とのこと。これは想像していたとおりでした。出雲国造家の起源が、松江市の神魂神社だった件にも関係する話だと思う。以下はウィキペディア【神西湖】の記述です。・縄文時代現在の宍道湖にあたる湖域全体とその西岸陸域は全て日本海に繋がっていて、島根半島の西側をえぐる大きな湾が存在していた。その湾に南から注ぐ斐伊川と神戸川の強い堆積作用により湾は次第に埋め立てられ、東側と西側に分断された。東側が現在の宍道湖の原型であり、西側に残った湾部が現在の神西湖の原型である。・弥生時代堆積作用が進むにつれて湾は次第に小さくなり、日本海と分断され、汽水湖となった。島根半島の内海は、水産資源の面でも、交易の面でも、防衛の面でも、いわば「コンパクトな瀬戸内海」みたいな世界だったかもしれませんね。◇なお、出雲から大和への国譲りがあった頃のことでしょうが、弥生時代中期の出雲では、青銅器がまとめて埋められており、その時代から四隅突出型の古墳も消滅したようです。つまり、前方後円墳が日本列島の全域に広まっていく。そして、出雲は、地上界を譲る代わりに冥界を支配するようになった、…ってことですね。
2022.12.21
読売テレビ「オクトー」の最終回を見ました。予想に反して、SFサイコホラー的な結末。やや説得性に欠ける部分もありましたが、人間の「感情」というテーマを突き詰めれば、おのずとこういうところへ行き着くのでしょうね。◇このドラマの白眉は、室井滋が出演した第7話でした。感情をもつことは苦痛だし、感情などもたないほうが楽だ。この考えを一方の極だとすれば、その反対側の極にふれたのが最終回だったといえます。精神科医の甲本祐希(臼田あさ美)は、嫉妬心に駆られて殺人を教唆したかのように描かれていたけど、実際の彼女は、他人の感情だけでなく、自分の感情までも自在にコントロールする能力を持っていました。したがって、彼女は、嫉妬心や罪悪感からも解放されたサイコパスだった、と解釈するほうが合理的です。おそらく彼女の目的は、無慈悲な医療実験だったのでしょう。人間の「感情」なんて、脳内ホルモンによる生理現象にすぎない。人生をその生理現象に振り回されないためには、いっさいの感情をなくしたほうが楽なのか。それとも、自在に感情を制御できるサイコパスになるべきなのか。このテーマの行き着く先は、究極の二択にならざるをえません。◇主人公は、最後まで「人間らしい感情」に希望を見出そうとするけれど、たとえ姉が感情を取り戻したところで、幸福になれる保証はない。むしろ、感情などもたないほうが楽だ、という判断のほうに真実味があります。あくまで「人間らしい感情」を信じようとする主人公のヒューマニズムは、もはや風前の灯のようにしか見えません。つまり、この物語は、どっちに転んでも、ダークなアンチヒューマニズムに辿り着くしかない…。◇実際のところ、人間の感情を制御できる未来は現実味を帯びています。そして、その場合、《個人の幸福の追求》と《社会の安定》とのバランスが問題になる。感情を自在に制御できるサイコパスは、たしかに資本主義社会のなかでは危険な存在になりがちだけれど、じつは仏教などの世界においては、サイコパスは「無欲な存在」としてイメージされます。なぜなら、無欲でもなお幸福でいられるのがサイコパスの能力だから。おそらく「仏教的な無欲」というのが、感情を制御した人間社会の、もっとも現実的なイメージになるはずです。
2022.09.21
いちど観てみたいと思っていた1959年のブラジル映画『黒いオルフェ』。(仏・伊・ブラジル合作)ようやくGYAOの無料動画で観ました。いつものようにレビューはこちらに書いています。映画の原案は、ギリシャのオルフェウス神話をブラジルに置き代えた戯曲であり、ヴィニシウス&ジョビンの "ボサノバ" コンビによる作品でした。ちなみに、NHK「岸辺露伴」や「ブラタモリ」がらみでも気になっていた、出雲の黄泉の国の話(イザナギ・イザナミ神話)って、そのオルフェウス神話にそっくりなのよね。つまり、あの世から妻を連れ戻そうとしたものの、約束を破って、後ろを振り返ってしまった…という話。このギリシャ神話には、萌歌が出演していたドラマ「金田一少年の事件簿」や、萌音が出演するミュージカル「ジェーンエア」にも関係している、海の怪物セイレーンも登場します。— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 10, 2022ただし、戯曲や映画のほうは、もうすこし現実味のある物語に変換されています。ギリシャのオルフェウス神話よりも、むしろ日本のイザナギ神話に似ているかもしれない。つまり、いったんは死体安置所から恋人を連れ戻したのに、嫉妬に狂った黄泉醜女ヨモツシコメみたいな女に石をぶつけられて、恋人もろとも黄泉の国へ転落して死んでしまうのです。◇そんな映画の内容もさることながら、そもそもギリシャ神話と日本の出雲神話が似ていること自体に、わたしは、とても興味をそそられてしまう。考えてみたら、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)ってギリシャ人なわけで、彼が出雲に住み着いた理由も、この2つの神話の類似性に興味をもったからなのかも。ただ、ネットで調べても、そういう話は出てこなかった。しかし、八雲がそれに気づいてなかったはずはありません。◇なぜギリシャ神話と日本神話が似ているのか?これについては、昔から比較神話学のテーマになってるようです。たとえば、アフリカに生まれて北上した人類が、コーカサス山脈の手前で東西に分かれたからだ、…とか、アレキサンダー大王によって、ガンダーラにもたらされたギリシア文化が、奈良時代の日本にも到達したからだ、…みたいな説がありえるし、似たような話としては、ペルシアで生まれた楽器ウードが、西洋に伝わってリュートになり、東洋に伝わって琵琶になった、…みたいなこともある。なお、『黒いオルフェ』の主人公はギター(ヴィオラン)を弾いていましたが、ギリシャ神話のオルペウスは竪琴奏者です。◇ギリシャ神話を黒人の物語に置き代えたヴィニシウスの発想は、たんなる思つきにすぎないかもしれませんが、これは1987年のマーティン・バナールの『黒いアテナ』によって、最終的には学説にまで発展したともいえます。つまり、「そもそも古代ギリシャ人の肌の色は黒かったかもしれない」ということ。現代のギリシャ人はかなりスラヴ化してしまった、と言われますが、小泉八雲にアラブ系の血が混じっていたとの話もあるように、いまもなおギリシャ人には地中海民族としての面があるだろうと思います。まして、そのルーツにおいてアフリカやアラブと接していても不思議ではない。
2022.09.14
先日の「ブラタモリ」 境港・米子編に続いて、日曜美術館「水木しげるの妖怪画」と、100分de名著の「100分de水木しげる」を見ました。やはり、ここでもまた、「あの世との境界に流れ着くもの」というテーマが浮かび上がる。1.鬼と妖怪水木しげるは、柳田國男の「妖怪談義」を読み込む一方で、鳥山石燕の描いた「百鬼夜行」からも影響を受けていたようです。妖怪は、すなわち鬼でもあるわけですね。うすうす感じてはいたけれど、やっぱり「鬼滅の刃」も、鳥山石燕らの「百鬼夜行」のみならず、水木しげるからの影響があるのだと思います。なお、今回の「日曜美術館」を見て、アマビエが不知火海の妖怪だったことを知りました。不知火海といえば、手塚治虫の「火の鳥」が棲む火の国の沿岸ですよね。アマビエは疫病退散の妖怪ですが、「火の鳥」では薬師の男が不知火海から上陸します。2.島根半島の海と山と森水木しげるの「河童の三平」は、少年時代の作者自身をモデルにしてるっぽいとのこと。今回の「100分de水木しげる」では、佐野史郎らが次のように話していました。境港は古代から開かれた町。水木さんの実家は弓ヶ浜の突端にある境水道。境水道を泳ぐと、その向こうは島根半島。そこは高い山じゃないけれど、のんのんばあが住んでる森なんですよ。そのさらに向こうが日本海で、「向こうに何かありそうだ」って思ってる子供だった。その身体感覚。三平が寝てるうちに川に流されて、河童と出会い、河童に連れられて、川の底に行ったら、今度は山が…。悪魔くんも同じだけど、「地」と「水」の二つを絞りきれないのは、その感覚。水の異界も、森の異界も、山の異界も全部ある環境で生きてきた。ちなみに佐野史郎は、松江出身なのですね!3.海岸に流れ着くもの昔の境港の海岸には、人間の死体が流れ着くことがあった。…みたいなことは、ブラタモリでも話題になっていましたが、釈徹宗も同じ話をしていました。すごく死が身近だっていうこと。はしかなどで子供がわりと簡単になくなったりした。境港の海で泳いでると、間引きしてむしろにくるんだ赤ちゃんと当たっちゃった、っていうような話なんかも出てくる。あらためてネットで調べてみると、水木しげるは、間引きした子供の死体や、自殺した女郎の死体の話などもしていたようです。4.この世とあの世の境界先日のブラタモリの内容も、島根半島の一帯が「あの世との境界」であることを感じさせました。以下は、中条省平の話。「あの世とこの世」が対立するとか、「善と悪」とか「光と闇」が対立するとかいった場合には、(ふつうは)二元論的な対立のドラマになっちゃう。でも、そうじゃなくて、水木しげるが描く境界は、つねに対立する概念が地続きなんで、ふっとどっちかに行っちゃうような感覚がある。そして、以下は、釈徹宗による水木しげるの人物評。境界に好奇心が高い人。見える世界と見えない世界、生と死、日常と非日常、聖と俗、エロスとタナトスみたいな、境界線上に近づくのがすごく楽しい、興味津々みたいなタイプの人。境界は大変デンジャラスゾーンでもある。危険地帯なので、古来、人類は境界をすごく警戒してきた。たとえば逢魔が時なんかは昼と夜との境界で、そのときに魔物に会うんだっていうことでしょ。コミュニティとコミュニティの境界には、道祖神とか、地蔵とか、塞の神をまつって、そこは近寄らないっていうような、そういう危険なところでもある。でも、水木しげるっていう人は、そこにすごく関心をもってる。と同時に、水木しげるならではのものとして、その境界の近くに「弱者」がいるんだっていう感覚ですよ。「のんのんばあとオレ」に描かれてる困窮者とか、最後のほうに出てくる美和ちゃんっていう子なんかは、本当に厳しい環境に置かれてるんですけども、すごく境界に精通した女の子なんですよ。強者って、堂々と王道を歩いてるんで鈍感なんです。でも「弱者」だからこそ、境界に繊細に接することができる。そして、伊集院光との会話。境界だからこそ、誰もが見てないものとか、見逃してるものがあるから、クリエイティブです。その代わり、境界に押しやられちゃった人たちが、「こんなとこいたくもない」のにいるところでもあるから、敬意を持てよ、みいなメッセージあるじゃないですか。「絶対面白いぞ」と「敬意を持って」と両方ある理由なんで。豊かで面白いんだけども、軽々しく触っちゃいけない、分かってる気になっちゃいけない。5.一畑薬師とのんのんばあのんのんばあは、少年時代の水木しげるに妖怪の話を教えたお婆さん。本名は景山ふさ。彼女の夫は、一畑薬師の「拝み屋」だったようです。ちなみに「のんのん」とは、観音さまのこと。一畑薬師とは、「目のお薬師様」として知られる臨済宗の仏教教団。その総本山である一畑寺は、島根半島の山中にあります。縁起によれば、平安時代の漁師が、海中から引き上げた薬師如来像を本尊にしたのが始まり。島根半島の海には、薬師如来も流れ着くんですね。水木しげるも、小泉八雲も、海人族の聖地である加賀の潜戸を畏敬したそうですが、のんのんばあは、「十万億土は島根半島の先にある」と教えていたようです。これもまた国引き神話に共通するような世界観。
2022.09.03
読売テレビ「オクトー ~感情捜査官 心野朱梨~」。飯豊まりえ&浅香航大。キャストもかなり地味だし、画面も暗いし、内容も重い。でも、物語はなかなか複雑に作り込んであります。脚本は「QUEEN」「99.9」などにも参加した三浦駿斗。いよいよ来週が最終話です。◇2つの冤罪事件があり、その被疑者はどちらも死亡していたのですが、真犯人は元刑事の小野寺(片桐仁)で確定した模様。 それらの事件を隠蔽していたのは、県警の上司の雲川(山中崇)なのか、警察庁次長の平安(船越英一郎)なのか分からなかったのですが、これも平安で確定した模様です。 …てなわけで、真相は第9話でほぼ明らかになったのですが、まだなにか秘密が残ってるんでしょうか?朱梨(飯豊まりえ)や風早(浅香航大)にとって「父」は正義なのか悪なのか?そして、朱梨の姉の紫織(松井玲奈)は感情を取り戻すのでしょうか?◇このドラマは、人の感情が「色」で見えるという、一種の共感覚をモチーフにしています。当初は、まあ、謎解きサスペンスのための変わり種の仕掛け?…ぐらいに思っていましたが、意外にも、物語の内容は、人間の「感情」の本質にまで切り込んでいます。とくに印象的だったのは、室井滋が出演した第7話でした。人間が「感情」をもつことの苦しみが描かれていた。以下は、室井滋が演じた成海道子のセリフです。私、感情を捨てたの。疲れるでしょ、感情って。自分のも、他人のも。どちらもに振り回されてるなんて、とても生きづらそうね。最初から感情なんかなければ、誰も苦しまずに済むのよ。夫が死んで、私のすべての感情が消えた。喜びが消え、何かに期待したり驚いたりすることもない。恐れや悲しみ、怒りすら感じなくなった。それからは毎日、ただ生き延びるだけ。それが私の人生だった。癌だってわかった時も同じだった。もっと生きたいとも、早く死にたいとも思わない。ただ死を待つだけの存在。花瓶の花みたい。それってもう、生きていないのと同じよね。感情なんてやっぱりないほうがいいのよ。愛も喜びも、簡単に悲しみや怒りに変わる。人を苦しめる。母もそうだったわ。最初から何もなければ苦しむことなんかないって。植物のようにただ生きていけるって。感情を捨てることは、自分を守ることなの。実際、うつ病などの場合も、心を動かすこと自体が患者にとっての苦しみになる。感情や思考を止め続けなければならないので、生きた心地がしない。まるで自己免疫疾患と同じように、生きるために備わった機能が、かえって本人を苦しめるのですね。◇朱梨の姉も感情を失っています。彼女は、姉にこう問いかけます。ねえお姉ちゃん。今日はどんな日だった?ごはんは美味しかった?何か面白いことあった?外は暑かったな、とか何も思わなかった?ねえお姉ちゃん。何も思わなかった?ねえお姉ちゃん。お姉ちゃん、何とか言ってよ。お姉ちゃんはこのままのほうがいいの?ねえ、苦しいよ。お姉ちゃんのせいで。◇一方、成海道子の事件を解決したあと、風早はこう言っていました。あの人は最後に生きたんだよ。言ってただろ、生きるということは感情の中でもがくことだって。人生の最後に、やっと少しだけ感情の中でもがけたんだ。それがたとえ悲しみだとしても。生きたんだ。最終回では、この重たいテーマにどんな答えを出すのでしょうか?
2022.09.02
NHK「ブラタモリ」の境港・米子編を見ました。水木しげるの生誕100周年にちなんで、鳥取県の境港市にスポットライトを当てていました。この土地は、現在は「弓ヶ浜半島」(=鳥取の尻尾)の一部になってますが、もともとは砂洲で出来た島だったらしい。その名も、なんと夜見島よみのしま!今から1200年ぐらい前、つまり、奈良の終わりから平安の初めごろに、砂洲が拡大して米子地域と陸続きになったのです。弓ヶ浜という名前も、「砂浜の形が弓のようだから」と思われがちですが、その別名は「夜見ヶ浜」です。夜見の語源は、いうまでもなく「黄泉よみ」。というよりも、古代日本語の「ヨミ(黄泉)」が、もともと「夜見」「闇」から転じていると言うべきかもしれません。ちなみに、弓ヶ浜半島は、島根半島の側とは繋がっておらず、幅200~600mほどの「境水道」が鳥取と島根の県境になっています。水木しげるも漫画に描いていましたが、この境水道の南側と北側とでは地形がまったく違います。弓ヶ浜半島が低く平らな土地であるのに対して、島根半島は急峻な山地です。弓ヶ浜半島。境水道を挟んで島根半島の東端部分に向かい合っている。1.国引き神話もともと島根半島の周辺は、神話の世界ですよね。半島の西の付け根には出雲大社があり、海へ突き出した部分には、日御碕神社、佐太神社、美保神社が並んでいる。今回の番組も、まさに「国引き神話」を彷彿とさせる内容でした。…まずは、島根半島の成り立ち。今から2000万年前に、日本列島となる部分がユーラシア大陸から離れ、さらに1500万年前に、フィリピン海プレートの沈み込みによって日本列島全体が隆起。その後のさらなる圧迫により、島根の沖合で断層が隆起し、これが島根半島の原型になったらしい。たぶん最初は島だったのでしょう。…かたや、出雲国風土記に書かれてある「国引き神話」では、八束水臣津野ヤツカミズオミツヌという神さまが、朝鮮半島と、隠岐の島と、能登半島のそれぞれから、あまった土地を綱で引っ張ってきて 現在の島根半島を作ったのだとされています。http://www.route54-shinwa.gr.jp/prof/p_his.htmhttps://www.mapple.net/articles/bk/18942/実際、島根半島から見ると、西側200kmあまりに朝鮮半島があり、正面の50kmほど沖合に隠岐の島があり、東側200kmあまりに能登半島があります。半島の付け根にある三瓶山と大山に縄をくくりつけ、ものすごい怪力で、三方から土地を引き寄せたのですっ!2.漂着する砂~神々と妖怪すでに現在の島根半島は、出雲と松江の2箇所で砂洲が繋がり、本州と陸続きになっています。前述のとおり、境港の砂洲も幅200mのところまで迫っている。番組のなかでも解説されていましたが、島根半島が本州と砂洲で繋がる原理は、離岸堤が海岸と陸繋砂州(トンボロ)で繋がる原理と同じ。つまり、海流が内側に回り込んで砂が堆積するのです。事実、米子市の皆生温泉地区にある離岸堤とトンボロの形が、現在の島根半島の形にそっくりでした!西側の砂洲が出雲、中央の砂洲が松江、東側の砂洲が境港。ちなみに砂洲の根元部分にあるのが三瓶山(西側)と大山(東側)。◇しかし、この土地に流れ着いたのは砂だけではないはずです。神さまが土地ごと綱で引っ張ってきたというのは、さすがに神話的なファンタジーだと思いますが、たとえば朝鮮半島や隠岐の島や能登半島からは、海流に乗って漂流民が流れ着いたのかもしれません。また、ご承知のとおり、西側の出雲(稲佐の浜)には列島の神々が流れ着くのだし、東側の境港(水木しげるの故郷)には妖怪たちが流れ着くのですよね。島根半島の東端にある美保神社は事代主神を祀っていますが、それも漂流の神であるヱビス神の別名なのであり、ある種の妖怪というべきヒルコ神の別名でもあります。3.松江の小泉八雲現在の境港市はかつて「夜見島よみのしま」だったのですが、一般に「黄泉の国」があると考えられているのは、むしろ松江市ですね。それこそ『岸辺露伴』の六壁坂の話じゃありませんが、松江市の揖夜いふや神社にほどちかい黄泉平坂(=平境ヒラサカイ)こそが、黄泉の国との「境界」なのであり、そこを黄泉醜女という妖怪が追ってくるのです。小泉八雲も、松江市でこそ多くの怪談話を収集しました。おそらく「夜見島」が陸続きになる以前は、松江の砂州にこそ多くの神々や妖怪たちが漂着したのでしょう。ちなみに松江市の神魂かもす神社は、出雲国造家の起源だとされています。砂州の北端にあたる大橋川沿いの石屋古墳では、最古の埴輪も発見されています。砂州の南端には、かつての出雲国庁があり、勾玉造りの拠点もありました。トンボロ形成の原理から考えれば、おそらく最初に中央の松江地域の砂洲が作られ、その次に西側の出雲地域の砂洲が作られ、(宍道湖の誕生は約1万年前だとされています)最後に東側の境港の砂洲ができたのではないでしょうか。それにともなって、大社おおやしろの立地が、松江から出雲へ移転したのかもしれません。 ⇒ 「歴史探偵」出雲の回でもこれに関連する話題が出ていました。先の神話によれば、神さまが島根半島を引き寄せる際、三瓶山にくくりつけた綱が出雲の砂洲になり、大山にくくりつけた綱が境港の砂洲になったとされています。おそらく神話的な記憶のなかにも、それらの土地が新しいものだという知見は残っていたのでしょう。◇ところで、こうした砂洲はあくまで黄泉の国との《境界》でしかありません。はたして「黄泉の国」そのものはどこにあるのでしょうか?それは、神々や妖怪たちを運んでくる日本海であり、あるいは、隆起した島根半島全体を覆っている森でしょう。とりわけ島根半島の中央部分は「闇見くらみ」と呼ばれています。古代の神さまが隠岐の島から土地を引いてきたという部分です。その突端には、小泉八雲や水木しげるも訪れたという加賀の潜戸かかのくけどがあります。日本列島に「浦島太郎(山幸彦と海幸彦)」や「かぐや姫(竹取物語)」などを伝えた、いわゆる海人ワダツミ族の聖地だとされています。きっと彼らこそが黄泉の国の住人だったのでしょう。
2022.08.29
NHK実写版「岸辺露伴は動かない」の第2弾。第4話「ザ・ラン」笠松将(12月27日)第5話「背中の正面」市川猿之助(12月28日)第6話「六壁坂」内田理央(12月29日)今回は、たんなる一話完結ではなく、3つのエピソードが「六壁坂」という共通項で結ばれていました。もちろん泉京香も全編に登場。キャスティングは申し分なかったし、脚本もよく出来ていたけれど、演出も含めていちばん良かったのは、第5話の「背中の正面」かな。⇒ 前作でもそうだったけど、あまり原作にこだわらず自由に脚色したほうが上手く行くのですよね。一方、「ザ・ラン」と「六壁坂」の演出では、原作に引っ張られつつ、過激な表現を抑えた結果、やや映像表現が中途半端だったのが残念。京香さま、脚長すぎっww ◇第5話「背中の正面」の脚色上の独創は、伝説の「比良坂ひらさか」「かごめかごめ」「黄泉醜女よもつしこめ」を結びつけたこと。一見すると、地名や苗字に見られる「平坂ひらさか」は、平らなのか、それとも傾いてるのか分からない不思議な言葉。でも、もともと「ヒラ」という和語は、文字どおり「ひらひら薄っぺらい」という意味なので、水平なのか傾斜してるかは関係ないのでしょう。おそらく昔の日本人は、突き出た崖のように割れ落ちそうな土地を「ヒラ」と呼んだ。追記:「開けた土地」「拓かれた土地」の場合もあったかも。そして、それが傾いていれば「平坂ひらさか」だったろうし、断層のような場所であれば「平境ひらさかい」だったはずです。もし、このように不安定な「平坂/平境=比良坂」が、ことごとく黄泉の国へ繋がっているのだとしたら??…日本神話に出てくる「黄泉醜女よもつしこめ」は、イザナギを黄泉の国から追いかけてきた妖怪です。イザナギは、カグツチの出産によって妻のイザナミが死んだのを悲しみ、⇒ ちなみに竈門炭治郎の先祖はカグツチと思われます!はるばる黄泉の国まで彼女に会いに行ったのですが、その変わり果てた姿を見てしまったために、黄泉比良坂よもつひらさかで黄泉醜女よもつしこめに追われるのですね。ここに「見るタブー」と「振り返りのタブー」があります。…そして、童謡の「かごめかごめ」は、いうまでもなく《後ろの正面》についての歌です。もし、これが「振り返りのタブー」を警告しているとしたら??ちなみにブドウかタケノコかモモを投げれば黄泉醜女から逃げ切れます!◇かたや「ザ・ラン」と「六壁坂」の演出には、やや不満があります。第6話の「六壁坂」では、露骨な血の描写をかなり抑制していた。出血シーンをモノクロームにしていたし、器に注いだ血液もコーヒーにしか見えなかった(笑)。血が吹き出たり、止血のために縫ったり焼いたり、血を飲んだりする場面にも、あきらかな躊躇があったし、どうにか穏当な表現にしようという配慮が感じられました。たしかに、このエピソードは、あえて出血描写がなくても成立するかもしれないし、いっそ、ばっさりとカットしてもよかったと思う。なんにせよ、中途半端にボカす演出がいちばんよくない。中途半端な表現にした結果、何がやりたいのかよく分からない映像描写になっています。本質を突き詰めれば、もっと明瞭なスペクタクルに出来たはず。…第4話の「ザ・ラン」では、窓ガラスを割るシーンや転落するシーンが不明瞭で、後付けの「心臓麻痺で死んだ」という説明も不可解でした。かりに転落シーンを避けたいのであれば、夜の虚空に吸い込まれるファンタジックな描写にするとか、ウォーターフロントのビルから隅田川にでも落とすとか、いろいろやり方はあっただろうと思います。ドキドキのヘブンズドアー!コーヒーにしか見えないw前作の第1弾がDVD化されています。
2021.12.30
TBSの深夜ドラマ。いま、Tverで見直してます。本放送のときに、後半だけをちらっと見て、映像の美しさが気になっていた作品。脚本は、2020年版の「東京ラブストーリー」を書いてる北川亜矢子です。タイトルからすると、メルカリのタイアップ作品みたいですが、けっこう地味で渋い内容のドラマ。でも、映像がとにかく美しい。◇主人公は、いちおう飯豊まりえですが、彼女は最初と最後にちらっと出てくるだけで、毎回、異なる登場人物の一話完結のストーリー。とくに第3話は、おススメです。松本穂香と鈴木仁の恋のお話で、思わず何度も見たくなるような、ほっこりとする温かい物語でした。「OH!AM!」の「あたり」のご縁。
2021.10.30
情報によると、NHKの「岸辺露伴」は続編が決まったらしい。わたしは、飯豊まりえの演じる泉京香が好きだったのです。そして、今季なにげに毎週見てたのが、同じく飯豊まりえ出演の「ひねくれ女のぼっち飯」。ゆるーく楽しめるテレ東らしいドラマでした。最終回の第8話が放送されましたが、こちらも続編が待たれます。◇ここでの飯豊まりえの役どころは、コンビニでバイトしてる、まったくイケてない非モテ女子。非モテ女子のわりには、顔も可愛いし、お洒落だし、めっちゃ脚長いけど!店内でボッチ飯するときの、いじけた心の呟きが可愛くて、ひそかに共感していました(笑)。◇そして、この主人公、毎回、食べる量が半端ではない。カツカレーを平らげた上に、餃子一皿食ったときも驚いたけど、さすがに一人でピザ1枚って無理でしょ!…と思ったら、昼間の公園のベンチで軽く1枚平らげた上に、おやつ代わりにイカ墨コロッケまで食べたのには仰天。…そんなに食えるかっ!第7話のお寿司の回でも、サクラマス、玉子、しめ鯖、アジ、金目鯛、大トロと2貫ずつ食ったうえに、最後に5貫分はありそうな巨大穴子ずしを食べてました。ギャル曽根なみの胃袋。羨ましいけど、あんなに食べれない!実際、最近の若い女子はよく食べるよねえ…。そして、あんなに安いお寿司屋さんがあるのかしら。◇いずれにしても、ひねくれたことをブツブツ呟きながらのボッチ飯、だれにも邪魔されなければ、きっと最高の時間だと思う。脚長っ!穴子でかっ!肉でかっ!そんなに食えない…(T△T)
2021.08.21
実写版「岸辺露伴は動かない」を見ました。第1話の「マナー違反」のお話は、正直いってつまらなかったのだけど、第2話の「くしゃがら」と、第3話の「DNA」は、かなり面白くて、楽しめました。人間の記憶や無意識を実体化するという発想が、やはり斬新です。これは続編にも期待できる素材だと思うけど、あまり原作にはこだわらず、自由に脚色したほうが、かえって上手くいくのかもしれませんね。◇高橋一生と中村倫也の組み合わせだったので、当初は「凪のお暇」のファン層を狙ったドラマかな?と思ってましたが、実際はもっとマニアックでしたね。大正モダニズムの奇妙な美意識が蘇ってる感じ。そういえば、小池健×山本沙代の「ルパン」と、荒木飛呂彦×小林靖子の「露伴」は、ともに菊地成孔が音楽をつけることになったわけですが、ふたつの作品のあいだには、どこか通底する要素も感じてしまいます。◇それはそうと、飯豊まりえの演技が驚くほど素晴らしい!彼女がいなければ、ちょっと成立しなかったのでは?と思うほど、作品の重要な軸になっていました。彼女のふだんの控え目な印象からは想像できないような、かなり個性的なキャラだったので、とても驚きです。キャスティングも良かったと思います。いっそ泉京香を軸にして、泉鏡花の怪奇文学を取り込んだ話をつくったら、それもまた面白いだろうなと思います。
2021.01.05
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