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前回のつづき♪母はワクチン接種2回目の副反応で便が緩み、倦怠感で歩くのがまた大変な感じになってしまった。そんな最中、入院している兄の容体が急変し、どうなってしまうのだろう・・・?近所に住んでいる兄は未婚で一人暮らし。万が一の時、誰に連絡すべきなのか?マンションのローンはどうする?などなど、兄のことを全く知らない妹は、落ち着いてはいられない。きっかけは、高熱と腹部の激痛で病院へ行ったそうだ。「尿管結石」→「即入院」と言われたのに、「自宅に帰る」という、選択をしてしまったから、さぁ大変。(ToT)/40度も熱があるのに、帰ってきてきた???なぜ、そのまま入院しない??入院の準備もあったし、用事があったというが、命より大切な用事などない!結局、3日も40度の熱と激痛に耐えた末の入院となった。手術は尿管の石を砕くだけのはずだったのに、砕く前に尿管にステントを入れて尿の通り道を作ることになった。それ自体は難しい手術ではなかったのに、夕方、急に肺が機能しなくなってしまった。肺が機能しない=脳に酸素が行かない ・・・・→ 麻酔して人工呼吸器挿管の流れ。人工呼吸器を使用する時は家族の許可が必要だったので、私が呼び出されたということだった。40度の熱と激痛で体力が落ちていたところに、日常的な喫煙でダメージを受けていた肺が悲鳴をあげたのではないの?っと、思わざるおえない。入院するまでの流れ、さらに、今までヘビースモーカーだったことも要因だと思うと、モヤモヤする。兄の病状を先生から教えてもらって、レントゲンを見せてもらって絶句!左の腎臓付近に見える結石?これは何かのボール?ピンポン玉みたいなのが3個見えるんですけど??先生が「こっちの腎臓は死んでるかも」って。えーーーー!(@ ̄□ ̄@;)!!素人の私でも、正常じゃないってわかるよ。やっと、機能してた左の腎臓の尿管に詰まっている結石は小さいものだった。こんなにちっこい石で高熱が出てるの?機能していない腎臓は何も訴えなかったのか?色々わからないことだらけで、とても危険な状態だとわかったけど、一人暮らしの母の介護のために帰らねばならなかった。何も知らない(兄は元気に会社へ行っていると思っている)母には、何も言わず過ごすのが辛かった。母に話してもただ心配するだけで、プラス二なることは思いつかなかった。そして、手術から3日後に兄の人工呼吸器が外れて意識が戻ったと連絡があって、本人の声を聞いたときは泣けた。そして、心配し過ぎて、怒りが込み上げてきた。(;^ω^)兄は奇跡的に回復したので、同じ棟の患者さん、看護師さんも目を丸くしたそうだ。(@_@;)本当に無事に生還できてよかった。そんな事があったことも母にはまだ言えなくて、兄が退院して元気な姿を見せられる時に話そうと思っていた。つづく♪
2021年07月17日
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介護生活一時休止中~真っ只中の時はブログは書けないものですな。(^▽^;)6月初旬まで、朝7時前に実家へ行き母の着替え、排泄、食事の世話まで1時間でミッションクリアだったのに・・・(。´・ω・)?朝7時に実家へ行くという事は、すでに仕事へ行ける(外出できる)自分になっているってこと。そのためには、化粧はもちろんしない。(これは、30歳の誕生日からやめた)一番煩わらしいのが、寝ぐせの髪を直すこと!!もう、これに時間とられるのがもったいない。ってことで、初の「縮毛矯正」を経験したら、もう、やめられない!!朝起きて、ササっと手ぐしだけで、終了!寝ぐせとは無縁になれるなんて幸せ。(^^♪寝ぐせなしの生活になって5分は節約できて、さらに以前より10分早起きして、15分の余裕が嬉しい。6月の終わりくらいから、母が「膝が痛い」と言い始めた。時には胸が苦しい。あごが外れて痛い。巻き爪で指が痛い。などなど、毎日のように色々あってその都度、なんとか対処してきたけど、膝が痛いのは一番困る。歩けないのがとにかく困る。ケアマネさんに相談して、すぐに福祉用具の担当者さんに来てもらい、母が椅子から立ち上がる所からトイレにいくまでの廊下に(簡単に移動できるタイプの)手すりを3つ増設してもらった。気付いたのは、シルバーカーで歩けるってまだまだぜんぜん歩ける!ってこと!!母はシルバーカーを押して歩くことはもうできなくなってきていた。手すりにつかまって歩くのもかなり時間かかるので、右手は手すり、左手はシルバカーを押してどうにかこうにか、廊下を進み、カメとどっちが速い?? (>_<)運動不足で腸が動かないせいで、排便も出にくくなり、1週間便秘になることも当たり前。便意問題も大変で、出たいけど、便座に座ると出ない。出ないからトイレから出ると、やっぱり出たい。トイレに座ったり、立ったり、部屋に戻ったらすぐにトイレに行きたくなったり・・・と、そんな事を半日やっていたら、私も優しい心で居られなくなりそうだった。週に2回のデイケアサービスに行く日の朝にも排便ができないと「行きたくない」となってしまうので、お迎えが来るまで時計とにらめっこしながら、母の排便をアシスト!肛門にシャワーを当ててみたり、指で刺激してみたり、狭いトイレの中で汗だくになり母の排便と闘う私。ツルっと出た朝は、母と手を取り合って喜んだ。(笑)どんな達成感??(^o^)今まで1時間で終わっていた朝の世話が終わらなくなってしまった7月。病院に行きたくないと拒絶されていたが、いよいよ、膝の痛みが強くなって、かかりつけの病院の整形外科へ母を連れて行くことになった。先生の診断は「偽痛風」「ぎつうふう?」って?痛風ではないけど、痛風のような痛みがある関節炎のようで、痛み止めの注射をしてもらってきた。湿布を貼って、痛み止めを飲んで様子をみることになった。が、痛み止めがあまり効いていないようで、歩くのがツライというので、トイレに間に合わないときの為に、いつもより多めに吸収できる尿取りパッドをセット。紙パンツの中にパッドが2枚、もう、お尻だけがパンパンになっていた。トイレに行くのが大変だからトイレに行かないと、ますます歩けなくなる。どんなに痛くても、遅くても、トイレまで頑張るのがリハビリだと思って、毎日トイレに行くことだけを目標に歩いてもらうことにしていた。そのトイレへのリハビリも一人では難しくなって、1時間半おきに母をトイレに連れて行かねばならなくなった。昨年の秋から、一日中、母の排泄、食事などの世話で、自分の時間は仕事に行ってる時と母を寝かせてからの数時間となっていた。毎日「自由な時間が欲しい」「ゆっくり食べたい」「ゆっくり寝たい」そんな欲求が沸いてしまう。でも、母の日常をスムーズにするためには、自分の時間を削るしかなかった。私が追い込まれていく理由が、他にもあって、遡ること6月初旬のこと。兄の病気が発覚した。1週間で退院できると言って、気軽に入院して手術を受けた兄が生死をさまよう事態になってしまい、病院からすぐに来てくださいと緊急呼び出しが来た。母には、まさか兄が危ない状態になっているとは言えず、母には内緒で兄のいる病院へ向かう。一人暮らしの兄の容体が急変すると、もれなく呼ばれるのは妹の私。もうダメかも・・・っという空気を感じつつ、とりあえず、兄の会社名だけはわかっていたので、会社の方に事情を説明し、目覚めることだけを祈って母の介護を続けていた。兄のことを何も知らない私は、もしこのまま目覚めなかったら、どうしよう???っとますます寝不足になった。重なる時は、重なる。兄が人工呼吸器で過ごしている病院へ母をコロナワクチン接種に連れて行くのもしんどかった。母の2回目のワクチン接種の後、便が緩くなり「う~もうどうにもとまらない~」(◎_◎;)熱は出なかったけど、倦怠感と軟便で、これまた大変!一日中、母のお尻を拭くことになってしまった。出ないもの困るけど、出続けるのも困る。母の介護と、兄の心配で、6月は辛かったな~('Д')つづく♪
2021年07月16日
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