2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全4件 (4件中 1-4件目)
1
Dialogue in the Darkというワークショップに参加した。http://www.dialoginthedark.com/ このHPから、内容をそのまま紹介する。*****(以下コピペ)ダイアログ・イン・ザ・ダークは、日常生活のさまざまな環境を織り込んだまっくらな空間を、聴覚や触覚など視覚以外の感覚を使って体験する、ワークショップ形式の展覧会です。***** わたしは、昔から、人工物のまったく存在しない空間へのあこがれが強い。このワークショップは、人工的に作られた空間ではあるが、それでも、日常にほとんど存在しない光のない空間を体験したくて申し込んだのだった。 時間になると、盲人のMさんをガイドに、緑色の杖を一人一人手渡された。Mさんは、人の声をよく覚えるし、真っ暗闇でも声だけで距離が分かる。今回ご一緒した方々は、わたし以外はすべて男性で、「5時から男」の常なのか、割合に言語活動明晰な方々ばかりだった。まっくらなため、お互い声を掛けながら進んでいく。途中、タイル床からじゅうたん、そして落ち葉を敷き詰めたところを歩く。エッセンシャルオイルの香りがして、途中で、水のあるプールに手を浸す。ころばないように、杖で前に半円を描きながら、そして、瞳は虚空に物陰や光を探していた。探しても、見つけられないのが、なんだかうれしかったりする。まあ、安全であると知っているからこその喜びなのだろう。途中、木で出来た二人乗りぶらんこに乗った。昔の社会心理学のフィールド・ディペンデントの実験を思い出した。眼が見えれば、ぶらんこというのは、地上の基準枠から自分がどう離れたり近づいたりするかの楽しみが大きいが、目が見えないとき、ゆっくり漕ぐと、雲の上にいるみたいだ。ぼあ~ぼあ~とゆったり上下する。 楽器を触ったりして、そのあと、ティーブレイク。マスターが巧みにジュースやビールやワインを運んでくれて、ティータイム。Mさんのたたく太鼓の音。Mさんは、ミュージシャンなのだ。 なんだか贅沢なひとときだった。でも、やっぱり人工でない暗闇にちょっとだけ憧れる。ちょっとだけ、というのは、今持っている安全とかなにかと引き替えに、と言われると、ためらいを感じるから。
2002.11.28
コメント(2)

慣れ親しんだものであっても、形を変えていて、普段直接見ることがない素材には、何となく心惹かれる。小さいけれど、集まって咲いていると白くてきれいなそばの花、実はそば殻枕に入っている三角のもので、つぶすと白い粉が出てくる。それから、大きなたばこの葉、こんにゃくいもに、のりまきの常連のかんぴょう。天然バニラビーンズもその一つだった。バニラエッセンスは、だいたい合成だと言うことで、天然物が入っているアイスなどには、砂粒のように細かな黒い点々が入っている。エンドウ豆や枝豆のようにころんとしたものなのか、金時豆のような乾物なのか、知りたかった。わたしの大好きなブライアン・ウィルソンの昔の飼い犬で名盤「Pet Sounds」にも吠え声が収録されている犬の名もバニラ。また、最近愛読している「愛と憂鬱の生まれる場所」(書庫欄参照)にも眠れないときは天然のバニラビーンズをちょっとだけ入れたホットミルクを飲むべしとのことで、ますますバニラが欲しくなった。池袋西武の地下の輸入品を扱っているマーケットに行ったら、いろいろなスパイスが売っていた。お店の人に「バニラ豆ありますか?」と尋ねると、店員さんしばらく考えて、「バニラビーンズですね」と言い換えた。出てきたバニラビーンズは、小さなガラス瓶に2本入りで700円。まあ、細く切って使えば長持ちするかな。エンドウ豆様ではなく、写真のような茶色いものが折り畳んで入っている。強いて言えば福神漬けのなた豆のように長い。合成物よりちょっと切れの悪いけれど、素朴な香り。1ミリの半分くらいキッチンばさみで斜めに切って、ミルクを温めると、砂糖を入れなくても甘く感じられるのが、ダイエットにはお得かも。あんまり眠れる感じはしないけれど、面白いからいいや。できれば、生のものも見てみたい。☆左側のページにある分の再アップです。日記の方が見てもらえるかなあと・・・。☆補足:バニラビーンズが欲しい方のために、販売をしている朝岡スパイスのHPです。↓(11月11日)http://www.asaokaspice.co.jp/
2002.11.09
コメント(2)
東京に住むようになってからは、あまり雨が嫌いではなくなった。静かに這い寄る暗さは、昔ながらのもので、懐かしいにおいがする。本当の夜とは違い、都会のネオンも暗さと戦う光の牙をむかない。アスファルトにしみこむ雨のにおい。晴れているのに、星も見えない空。身体にまとわりつく汚染された大気の臭いが気になっても、吸わないでは生きていくことができない。空気清浄機を通さない空気、浄水器を使わない冷たい水、天の川が見える夜空は、なんてぜいたくなことか。土のにおい、森のにおい、そんなことは電車に乗ってはじめて手が届く。それでも、違ったかたちの贅沢さが、ここにはある。どちらを選ぶか、なのだが、それを選ぶことは今のわたしには出来ない状況だな。仕方がないから、取りあえず雨を懐かしんでみる。いつか大きな樹に抱かれるように暮らしたい。夢のまた夢。
2002.11.04
コメント(2)

碁盤の足は、真ん中がふくらんだかわいい形をしている。なんとなく土偶を思わせる。その足の由縁について、宮崎県庁ホームページの工芸品コーナーにて発見。宮崎は、かつて住んでいた愛着がある土地なのだが、あのころは、はまぐり碁石の日向を通っても、子どものおもちゃにおはじきを買い求めようか迷う程度だった。さて、くだんの県庁HPによれば、碁盤の足は、「クチナシの実を形どり、 勝負に第三者の口出しを許さないとの意味が込められています。」なるほど、碁をはじめたばかりのヒカル君が、子ども囲碁大会で「おしい!」と口を出して、会場を追い出されるシーンがあったけれど、わたしのような箸にも棒にも掛からない人間が家族の勝負を見ていても、確かに口を出したくなる。 ここまで考えていて、「あ、そうか、傍目八目言うのは囲碁のことばやったんか。」と気が付いて、広辞苑を調べてみる。おかめひょっとこではなかった。広辞苑より:他人の碁を傍で見ていると、実際に対局しているときよりよく手が読めること。転じて、第三者には、物事の是非、利・不利が当事者以上に分かること。なるほど、なるほど。ジョハリの窓の「自分から見えなくて他人には見える領域」ね。☆この日記は、左端ページにあるものの再アップです。
2002.11.02
コメント(0)
全4件 (4件中 1-4件目)
1


