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藤原定家(ふじわらのさだいえ・ていか)見わたせば花も紅葉もみぢもなかりけり 浦の苫屋とまやの秋のゆふぐれ新古今和歌集 363遥かに見わたせばもう花も紅葉もないのだなあ。浜辺に苫葺きの粗末な小屋だけがある晩秋の夕暮れ。註和歌史上屈指の名歌で、藤原定家の代表作の一つ。苫屋とまや:苫(とま)で屋根を葺(ふ)いた粗末な小屋。漁師などの仮の寓居。「苫」は、菅(すげ)や茅(かや)などを粗く編んだ莚(むしろ)。和船や家屋を覆って雨露をしのぐのに用いた。
2011年11月30日
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西行(さいぎょう)心なき身にもあはれは知られけり 鴫しぎ立つ沢の秋のゆふぐれ新古今和歌集 362世俗を捨てて執着の心がない身にももののあわれはおのずと察せられるのだなあ。鴫が飛び立つ沢の秋の夕暮れ。註心なき:出家して世俗への執着を捨て去ったために、情趣を解し喜ぶ心がないこと。現代語の「心ない」に通じる「思いやりや思慮分別がない」という意味とは異なる。
2011年11月30日
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寂蓮(じゃくれん)さびしさはその色としもなかりけり 真木まき立つ山の秋のゆふぐれ新古今和歌集 361この限りない寂しさは色合いのせいばかりでもないのだなあ。美しい木がそそり立つ山の晩秋の夕暮れ。註真木まき → 前項解説。以下、新古今和歌集 361~363 の三首を古来「三夕(さんせき)の歌」といい、晩秋の風情に託して「侘び寂び」の境地の真髄を示した、いずれ劣らぬ名歌として知られる。
2011年11月30日
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後鳥羽院(ごとばいん)さびしさはみ山の秋の朝ぐもり 霧にしをるる槇まきのした露新古今和歌集 492 さびしさはみ山の秋の朝曇濃い霧にびっしょり濡れてしおれたような槇の葉から滴(したた)りおちている露。註深まりゆく秋の寂しさを詠みながら、どことなく艶麗さをも漂わせている名歌。しをる:萎(しお)れる。(植物が)弱ってぐったりする。槇:真木。松、檜(ひのき)、杉など、堂々と風格のある木を総称して言った。現代語のマキ(イヌマキ)とは異なる。した露:樹木の下葉から滴(したた)る露。ちなみに、「滴る」の語源は「下・垂る」であろう。
2011年11月30日
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西行(さいぎょう)山深くさこそ心はかよふとも すまであはれは知らむものかは新古今和歌集 1630 / 明恵(みょうえ)上人伝記山深く分け入ってそれなりに心は通ったとしてもすまずに本当のもののあわれが分かるだろうか。註すまで:「住んでみずに」と「(心を)研ぎ澄ませずに」が掛けてある。
2011年11月30日
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藤原定家(ふじわらのさだいえ、ていか)白妙しろたへの袖のわかれに露おちて 身にしむ色の秋風ぞ吹く新古今和歌集 1336 一夜の衾をともにした白妙の夜着の後朝(きぬぎぬ)の/衣々(きぬぎぬ)の袖の別れに涙の露が落ちて身に染みる紅涙の色の秋の/飽きの風が吹いている。
2011年11月30日
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凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)影をだに見せず紅葉もみぢは散りにけり 水底みなそこにさへ波風や吹く家集・躬恒集 472影すらも見せずにあっけなく紅葉は散ってしまったなあ。川の水底にさえ波風が吹いて紅葉を散らし舞わせているだろうか。
2011年11月30日
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斎院中務(さいいんのなかのつかさ)月はよしはげしき風の音さへぞ 身にしむばかり秋はかなしき後拾遺和歌集 339月はいいなあ。激しい風の音さえもが身にしみるばかりだ。秋は心を揺り動かすものだなあ。
2011年11月30日
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藤原公任(ふじわらのきんとう)けふ来ずは見でややみなむ 山里のもみじも人も常ならぬ世に新古今和歌集 800 今日来なければ見ないで終わったろうか山里の紅葉も人も無常なる世に。註長徳四年(998)、天然痘が流行し、旧友・源宣方(みなもとののぶかた)の死に際して詠んだ哀傷歌(追悼詠)。作者・藤原公任は当時の大教養人で、和歌・漢詩の詞華集(アンソロジー)として知られる「和漢朗詠集」などの撰者。また「三十六歌仙」の撰者でもある。「君が代」の歌詞を現在の形にした人でもある。歌人・詩人というより、批評家の資質だったのだろう。平安京の大岡信みたいな人であった。
2011年11月30日
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佐佐木信綱(ささき・のぶつな)ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひとひらの雲歌集「新月」(大正元年・1912)註今では誰もが、映画技法(カメラワーク)の用語を用いて「ズーム・アップ、パン・アップの歌」というようになった名歌。すでに100年前に、この動的(ダイナミック)な視点を発見していた佐佐木翁は、偉すぎ~っ!
2011年11月29日
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)白玉しらたまの歯にしみとほる秋の夜の 酒はしづかに飲むべかりけれ歌集「路上」(明治44年・1911)註係り結びではないにも拘わらず、文末「けり」が連用形に活用している初出の形。のちに作者自ら、文法的に正しく(無難に?)「飲むベかりけり」と改作したが、こちらの方に独特の味わいがあると見るのは私だけではないだろう。多少の文法的破格は、詩的許容(ポエティック・ライセンス)の範囲内。
2011年11月29日
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源親元(みなもとのちかもと)花薄はなすすきまねかばここにとまりなむ いづれの野辺もつひのすみかぞ詞花和歌集 354花すすきが風に揺れて招くのならば私はここに留まろう。いずれの野辺も終ついの栖すみかだ。
2011年11月29日
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2011年11月29日
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坂本野原 彼岸過ぎひさかたの天つ星々うたかたの世のうつろひをほほゑみて見よ明け残る下弦の月のしらじらと思ひ出すのは君の爪先鞦韆ふらここの下の地面にえぐれあり喜怒哀楽のながき侵蝕とこしへを見つけて人は死んでゆくたとへば秋の実りと滅び「ひと粒の麦地に落ちて死なずば」も「貧乏人は麦を食へ」はもすでにして冬めく朝に震へつつアーティチョークのスープ啜りつ「蒟蒻はおなかの掃除になるんだよ」心の掃除は短歌なりせば憎まるるつぼをいくつか持つてゐる次女の才気を危ぶんでをりスパッツは三十五まで。よそ行きはパンツだらうと駄目出しをせり「キング・オブ・コント」を見つつ思へらくプレーヤーたる孤独と喜劇人生の完成形を見せつけて祖父母はいつもおほいなる人光森氏分析すれど発想の秘儀は結局分からずじまひコバヤシは音信不通なりしかど今札幌とメールのありき新しき趣あらむウェブ上に遠くとよもす言葉の海にガブリエル受胎告知もがぶり寄り琴奨菊の大関誕生2011年10月作著作権を有します。(c) 2011 Nohara Sakamoto Daddy Bear All rights reserved.
2011年11月29日
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坂本野原 「短歌人」12月号掲載作品ブランコの下の地面にえぐれあり喜怒哀楽のながき侵蝕とこしへを見つけて人は死んでゆくたとへば秋の実りと滅びすでにして冬めく朝に震へつつアーティチョークのスープ啜りつ憎まるるつぼをいくつか持つてゐる次女の才気を危ぶんでをり「キング・オブ・コント」を見つつ思へらくプレーヤーたる孤独と喜劇光森氏分析すれど発想の秘儀は結局分からずじまひ* 10月号掲載拙作 「ちちははの見果てぬ夢を押し付けてあはれピアノのおけいこの吾子」が、今月号「Selection」欄に掲載されました(歌人・北帆桃子氏選)。2011年10月作著作権を有します。(c) 2011 Nohara Sakamoto Daddy Bear All rights reserved.
2011年11月29日
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式子内親王(しきし・ないしんのう)玉の緒をよ絶えなば絶えね ながらへば忍ぶることの弱りもぞする新古今和歌集 1034 / 小倉百人一首 89命よ絶えるのならば絶えてしまえ。生き長らえれば忍ぶ心が弱りもしよう。註新古今集、百人一首の中でも、有数の絶唱の名歌。玉の緒を:珠玉を結びつける細紐。転じて「魂(たま)の緒」(魂を肉体に繋ぎとめるもの)の意味で、「命」。絶えなば絶えね:絶えてしまうのならば絶えてしまえ。「な」は完了の助動詞「ぬ」の未然形、「ね」はその命令形。命令形の用例は、かなり珍しいといえるだろう。二句切れも鮮烈。忍ぶることの弱りもぞする:秘めた恋を忍ぶ気力が弱まって、思いが外に溢れてしまう。今の言葉でいえば、「爆発してしまう」「ブチ切れてしまう」といったところだろうか(・・・違うか?)。式子内親王は、「梁塵秘抄りょうじんひしょう」の編纂などで知られる後白河天皇・法皇の皇女で、賀茂斎王(かもさいおう)を務めた。→ 斎宮内親王がこれほどの思いを抱いた相手は誰なのか、古来想像を逞(たくま)しゅうされてきた。従来は、いわば和歌の師匠であった藤原定家(ふじわらのていか)が定説で、のちに金春禅竹(こんぱる・ぜんちく)作の能の謡曲「定家」なども生んだが、近年の国文学者の研究により、浄土宗の開祖・法然(ほうねん)とする説が赤丸急浮上している。これが正しいとすると、まさに「生(な)さぬ仲」といえよう。貴族社会において、僧侶が一種の偶像(アイドル)のような存在であったことは、「枕草子」の記述をはじめ多数の傍証があリ、決して不自然ではない。今の世にいう「インテリ芸能人・キャスター」といったところだろうか(・・・違うか? )。
2011年11月28日
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式子内親王(しきし・ないしんのう)秋こそあれ人はたづねぬ松の戸を いくへもとぢよ蔦つたのもみぢ葉新勅撰和歌集 345秋だからであろう/私に飽きたからであろう人は訪ねない/その人はもう来ない寂びれた松の戸を/私が待つ家の戸をせめて鮮やかに幾重にも閉じよ蔦の紅葉よ。註侘しく寂しい境地を詠いながら、きわめて技巧的な一首。* 蔦紅葉(つたもみじ)
2011年11月28日
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式子内親王(しきし・ないしんのう)千ちたび打つ砧きぬたの音に夢さめて もの思ふ袖の露ぞくだくる新古今和歌集 484果てしなく打ちつづける砧の音に夢から覚めて物思いに乱れる袖の涙の露が砕け散る。註砧(きぬた)のとんとんと果てしなく打ち続ける響きと、袖にぽたぽたと絶え間なく落ちて砕け散る涙が呼応している、象徴主義的技巧の冴え。砧を打つ:衣(ころも)を打つ。昔の布地は目が粗かったので、木や石の台に布を載せ、砧(きぬた)という柄のついた太い槌(つち)で叩き、繊維を柔らかくするとともに艶を出した。主として女性の夜なべ仕事で、寒さに備える秋の夜の風物詩だった。なお、「砧」は「衣板(きぬいた)」が約(つづ)まった語。 → み吉野の山の秋風小夜更けてふるさと寒く衣擣つなり露:涙の縁語。和歌表現においては、多くの場合半ば同義語といってもいいほど。
2011年11月27日
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式子内親王(しきし・ないしんのう)風寒さむみ木この葉晴れゆく夜な夜なに のこるくまなき庭の月かげ新古今和歌集 605風が寒いので次第に木の葉が散って空が晴れてゆく夜ごと夜ごとに残る隈なく照りわたっている庭の月光。
2011年11月27日
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錦松梅 有田焼容器(新柄)入り〔全国一律送料210円・和歌山県内送料無料〕〔11月10%OFF・12月5%OFF〕価格:4,725円(税込、送料別)お歳暮にいただいてうれしいのは何でしょうか?私の場合は、ふりかけの逸品「錦松梅(きんしょうばい)」の有田焼容器入りセットですこれが到来すると、本当にうれしいですねふりかけというものが本来最上級の「佃煮」であったことに気づかされる別格の味わい。風雅な器は、あとでお漬物やおかず入れに使えます錦松梅 有田焼容器(新柄)入り〔全国一律送料210円・和歌山県内送料無料〕〔11月10%OFF・12月5%OFF〕価格:2,835円(税込、送料別)
2011年11月27日
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坪内稔典(つぼうち・としのり)帰るのはそこ晩秋の大きな木句集「猫の木」(昭和62年・1987)坪内稔典句集* 「稔典」は、俳号として「ねんてん」とも読む。
2011年11月26日
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加藤郁乎(かとう・いくや)このひととすることもなき秋の暮句集「秋の暮」(昭和55年・1980)加藤郁乎句集
2011年11月26日
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上田五千石(うえだ・ごせんごく)もがり笛風の又三郎やあーい句集「田園」(昭和43年・1968)
2011年11月26日
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結局、男はみんな浮気するの? 〔goo 教えて! ウォッチャー〕この質問の内容につきましては、私くまんパパは完全にノーコメントとさせていただきます。・・・が、ちょっと面白いと思ったので、リンクしてご紹介しますところで、この記事になにげなく添えられている写真、なんとなくいいんじゃない?何だろう、これ? ・・・なんかいいな~、この雰囲気その一方でこんな記事も。「交際している異性いない」が過去最高 うち約半数は「交際望まず」〔ニコニコニュース〕
2011年11月25日
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坂本野原(さかもと・のはら)また夢になるといけねえ人間の業ごふ肯うべなひて夢のまた夢僕が物心ついたころ、七代目立川談志師匠は「笑点」の初代司会者(・・・というより、「笑点は談志の番組」が正確)であり、すでに話芸の天才の名をほしいままにしていた。まさに一代の「芸能者」の生涯だった。本当に寂しい。註「また夢になるといけねえ」:落語「芝浜」(三遊亭圓朝作)の落ち(サゲ)。「落語とは人間の業の肯定である」:談志師匠の持論。落語CDムック 立川談志 1「芝浜」「源平盛衰記」【送料無料選択可】価格:1,260円(税込、送料別)落語CDムック 立川談志 2「黄金餅」「野晒し」【送料無料選択可】価格:1,260円(税込、送料別)落語CDムック 立川談志 3「居残り佐平次」「あくび指南」【送料無料選択可】 価格:1,260円(税込、送料別)
2011年11月25日
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坂本野原(さかもと・のはら)わびさびの予感押し寄すもう一度談志の黄金餅こがねもちを聞きたし「短歌人」2010年2月号子供のころから大ファンだった。研ぎ澄まされた芸風も、破天荒な生き方も、すべてが好きだった。七代目立川談志師匠のご冥福を心からお祈り申し上げます。註黄金餅:古典落語の演目の一つ。志ん生至芸、談志絶品。* 落語「黄金餅」の舞台を歩く* 芝浜落語CDムック 立川談志(1)「芝浜」「源平盛衰記」【送料無料】価格:1,260円(税込) 落語CDムック 立川談志(2)「黄金餅」「野晒し」【送料無料】価格:1,260円(税込) 【送料無料選択可】落語CDムック 立川談志 Vol.3「居残り佐平次」「あくび指南」価格:1,260円(税込、送料別)
2011年11月24日
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儀同三司母(ぎどうさんしのはは、高階貴子・たかしなのきし)わすれじの行末ゆくすゑまではかたければ けふをかぎりの命ともがな新古今和歌集 1149 / 小倉百人一首 54「君の事を決して忘れまい」というあなたのうれしいお言葉も行く末までは頼みがたいのでいっそ幸せな今日を限りの命であってほしいのです。註貴子:高貴な平安女性の名は、慣例として音読みにすることが多いが、当時は訓読みであったと思われる。「貴子」の場合も、通例「きし」と読むが、実際には「たかこ」または「たかいこ」(「たかきこ」の音便)であったろう。同様に、式子内親王も通例「しきし、しょくし」と読むが、当時は「のりこ」と読んだと推測されている。新古今集の詞書ことばがきに「中関白なかのかんぱくかよひそめ侍るころ」(中関白が通いはじめられた頃)とある。中関白とは藤原道隆のこと。わすれじ:決して忘れはしない。「じ」は否定の意思の助動詞。ここでは、道隆が言った言葉の引用(現代文なら「 」の中に入るようなもの)。もがな:強い願望を示す終助詞。
2011年11月23日
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後鳥羽院(ごとばいん)人もをし人もうらめし あぢきなく世を思ふゆゑにもの思ふ身は続後撰和歌集 1199 / 小倉百人一首 99人間がいとおしくもあり人間が恨めしくもある。つまらないと世間をあれこれ思うゆえに物思いに耽る身には。註をし(愛し、惜し):いとしい。いとおしい。いじらしい。あぢきなし:つまらない。面白くない。33歳でこの歌を詠んだ9年後、後鳥羽上皇は鎌倉幕府に対して承久の乱を起こし、敗れて隠岐島へ配流の身となり、そこで崩御した。
2011年11月23日
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アルファ(超人気)ブロガーとしても知られる人気タレントで歌手の中川翔子さんが、22日早朝に突然襲われ、脚に多数の傷を負ったという。自身のブログには、出血した右脚のケガの痛々しい写真がアップロードされ、多くのファンを心配させている。* しょこたんブログ 中川翔子オフィシャルブログ 11月22日付* 中川翔子さんを襲った現行犯の写真
2011年11月23日
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俵万智(たわら・まち)「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ第一歌集「サラダ記念日」(昭和62年・1987)* 俵万智さんツイッター 22日付ツイート今朝の息子との会話。「おかあさん、寒いね」「うん、寒いね」「…… こたえる人がいても、やっぱり寒いね」「う、うん!?」
2011年11月22日
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藤原定家(ふじわらのさだいえ、ていか)来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩もしほの身もこがれつつ家集「拾遺しゅうい愚草」 / 新勅撰集 849 / 小倉百人一首 97来てはくれない人をひたすら待つ松帆の浦の時の止まったような夕凪にじりじりと焼けているのは藻塩でしょうか?いいえ わが身が恋い焦がれているのです。註小倉百人一首、新古今集の撰者自らによる一首。笠金村(かさのかなむら)の長歌(万葉集 935)「名寸隅(なきすみ)の 船瀬ゆ見ゆる 淡路島 松帆の浦に 朝凪に 玉藻刈りつつ 夕凪に 藻塩焼きつつ 海人娘子(あまをとめ) ありとは聞けど 見にゆかむ 縁(よし)の無ければ ますらをの 情(こころ)は無しに 手弱女(たわやめ)の 思ひたわみて 徘徊(たもとほ)り われはぞ恋ふる 船楫(ふなかぢ)を無み」の本歌取り。(名寸隅の 船着き場から見える 淡路島の 松帆の浦に 朝凪には 玉藻を刈り 夕凪には 藻塩を焼いている 海女の乙女が いると聞いたが 逢いにゆく 手だてがないので 益荒男の 凛々しい心はなく 手弱女のように 思いが撓んで 行きつ戻りつ わたしは思い焦がれるばかり 船も漕ぐ櫓もないので。)万葉集の歌は若い男の側から詠っているが、こちらは女の立場になって詠んでいる。松帆の浦:淡路島北端の歌枕(名所)。現在、兵庫県淡路市岩屋松帆浦。本州側の名寸隅と最も近い海岸である。「(来ぬ人を)待つ」と「松」がかけてある。藻塩もしほ(もしお):古来の製塩法で、海藻を集めて簀(す)の上に積み、海水をかけたものを焼いて水に溶かし、その上澄みを釜で煮詰めてとる塩。「藻塩もしほ焼く」は、その方法で塩を作ること。古くからこの地方の名産。「焼く」「藻塩」「焦がれ」はそれぞれ縁語。
2011年11月22日
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藤原義孝(ふじわらのよしたか)君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな後拾遺ごしゅうい和歌集 669 / 小倉百人一首 50あなたに一度だけでもお逢いできるなら捨てても惜しくないと思っていた命ですが今はいつまでも生きていたいと思っているのです。註後拾遺集の詞書ことばがきに、「女の許もとより帰りて遣つかはしける」とあり、後朝(きぬぎぬ、衣々)の歌である。百人一首 43番の藤原敦忠の歌にモチーフが似ているが、こちらの表現はよりストレートな感じがする。もがな:切なる願望を表す終助詞。「~だったらなあ」。万葉集など上古の形は「もがも」。
2011年11月22日
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藤原(飛鳥井)雅経(ふじわらのまさつね、あすかい・まさつね)み吉野の山の秋風小夜さよ更けて ふるさと寒く衣ころも擣うつなり新古今和歌集 483 / 小倉百人一首 94み吉野の山颪やまおろしの秋風に小夜は更けて古い都に寒々と衣を打つ音が聞こえている。註ふるさと:現代語「ふるさと」とは異なり、古い京(みやこ)、廃都の意味。衣ころも(を)擣うつ:昔の布地は目が粗かったので、木や石の台に布を載せ、砧(きぬた)という柄のついた太い槌(つち)で叩き、繊維を柔らかくするとともに艶を出した。主として女性の夜なべ仕事で、寒さに備える秋の夜の風物詩だった。古来布づくりが盛んだった、現在の東京近郊・多摩川周辺に点在する「調布」や「砧」などの地名は、その名残である。
2011年11月22日
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藤原清輔(ふじわらのきよすけ)ながらへばまたこのごろやしのばれむ 憂うしと見し世ぞ今は恋しき新古今和歌集 1843 / 小倉百人一首 84生き長らえればつらいこの時もまた懐かしく思い出されるのだろうか。憂鬱だと思っていた時代さえ今は恋しいのだ。註「世を憂しと見」た理由は具体的には明確ではないが、作者が生きた時代は来年のNHK大河ドラマ「平清盛」で描かれるような平安末期の動乱の時代(末法の世)であった。名門の公家(六条藤原家)に生まれた作者にとって、厭(いと)わしい世だったろう。作者自身も、父・顕輔(あきすけ)との不和や、勅撰和歌集となる予定の「続詞花集」の編纂に当たりながら、天皇の崩御で頓挫したりと、苦悩が深かった。家集(自家歌集)の詞書きによると、昇進が遅れて嘆いていた友人の藤原実房(さねふさ)を慰めた歌だというが、この知識はむしろ鑑賞の妨げになるほど、普遍的なモチーフの秀歌と思う。
2011年11月21日
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寂蓮(じゃくれん)村雨むらさめの露もまだ干ひぬ真木まきの葉に 霧立ちのぼる秋の夕ぐれ新古今和歌集 491 / 小倉百人一首 87通り雨の露もまだ乾かない真木の葉に霧が立ちのぼっている寂寞とした秋の夕暮。註百人一首の中でも特に評価の高い叙景の名歌。真木:松、檜(ひのき)、杉など、堂々と風格のある木を総称して言った。現代語のマキ(槇、イヌマキ)とは異なる。
2011年11月21日
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和泉式部(いずみしきぶ)あらざらむこの世のほかの思ひ出に いまひとたびのあふこともがな後拾遺ごしゅうい和歌集 763 / 小倉百人一首 56もういられないであろうこの世の外の思い出にもう一度あなたとお逢いしたいのです。註後拾遺集に「心地(ここち)例ならず侍りけるころ人のもとにつかはしける」(具合が悪い時に、人のもとに遣わしたという歌)の詞書(ことばが)きがある。重病の床に臥した作者が、長年の恋仲であった敦道(あつみち)親王に宛てた、真情あふるる一首。あらざらむ:「あらずあらむ」が約(つづ)まったもの。「(もはやこれ以上)いないであろう」の意の連体形。「この世」にかかっていると見るのが穏当であろう。・・・が、若干違うニュアンスとして、「あらざらむ」だけで「生きていないだろう」の意味に解し、「この世のほか」(あの世)全体にかかっているとする説も多いが、ちょっと読み込みすぎの過剰な解釈で、無理があるのではないかと思う(くまんパパ私見)。この世のほか:現世の外。あの世。もがな:切なる願望を表す終助詞。「~だったらなあ」。万葉集など上古の形は「もがも」。
2011年11月20日
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藤原敦忠(ふじわらのあつただ)あひ見ての後のちの心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり拾遺しゅうい和歌集 710 / 小倉百人一首 43あなたとお逢いして契りを結んでからのますます燃えさかる切ない恋心に比べればそれまでのつらさなど何も思っていなかったようなものだなあ。註思いを遂げ逢瀬の枕を交わした後にますます滾(たぎ)るばかりの激しく狂おしい思いに比べれば、逢う前の片思いのつらさなどは、今思えばものの数ではなかったという恋愛心理の機微。敦忠が雅子内親王(醍醐天皇皇女、伊勢斎宮)に贈った相聞歌。二人の間には踏み踰(こ)えることの出来ない身分差があり、遠からず引き裂かれる予感が背景にあったともいわれる。あひ見る(逢い見る、相見る):男女が情交する。
2011年11月20日
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藤原忠平(ふじわらのただひら、貞信公・ていしんこう)小倉山をぐらやま峰のもみぢ葉 こころあらば今ひとたびのみゆき待たなむ拾遺しゅうい和歌集 1128 / 小倉百人一首 26小倉山の峰を彩る紅葉よ心あらば色あせずに今ひとたびの帝みかどの行幸みゆきを待ってほしい。註みゆき:醍醐天皇の行幸。
2011年11月19日
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西行(さいぎょう)鶉うづら伏す刈田のひつぢ生おひ出いでて ほのかに照らす三日月の影山家集ウズラが休むのどかな刈田の稲孫(ひつじ)が芽を出してそれをほのかに照らしている三日月の淡い光。註ひつぢ(?/稲孫):秋に刈り取った株から再生する稲。その蘖(ひこばえ、若芽)を「?生(ひつじば)え」という。* 稲孫田(ひつじだ)* 壺中山紫庵 稲孫(ひつじ)と蘖(ひこばえ)と
2011年11月18日
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文屋朝康(ふんやのあさやす)秋の野に置く白露は玉なれや 貫きかくる蜘蛛くもの糸すぢ古今和歌集 225秋の野に置いた白露は珠玉だろうか。玉のように貫いて草葉に掛けている蜘蛛の糸すじ。註(玉)なれや:断定の助動詞「なり」の已然形「なれ」に疑問の助詞「や」が付いたもの。 「~なのか?(疑問)/ ~なのか?・・・いや、そうではない(反語)/ ~だなあ(詠嘆)」などの意を表わす。この歌では、その全ての意味をかけていると見てもおかしくない。
2011年11月18日
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田中裕明(たなか・ひろあき)ブータンも田を植ゑる国うたの国読売新聞17日付朝刊1面「編集手帳」(竹内政明論説委員)より
2011年11月17日
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坂本野原(さかもと・のはら)ブータンをどう見るのかでその人を測れると実は思つてゐる「短歌人」2010年5月号
2011年11月17日
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柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)日並皇子ひなみしのみこの命みことの馬並なめて 御猟みかり立たしし時は来向きむかふ万葉集 49太陽と並ぶ皇子さまがかつて馬を並べて御猟に立ちたもうた夜明けの時は今日もまもなくやって来る。日並皇子ひなみしのみこの命みこと:太陽である天皇と並ぶ皇子、すなわち皇太子。ここでは草壁皇子のこと。ちなみに「ひこ(彦)」も「日子」で、もと天皇の意味。時:時刻(払暁)を言っているという説が有力だが、時季(晩秋)という説もある。連作の配列が時刻の順になっているという指摘により、今前者の通説を採ることとする。
2011年11月17日
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柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)東ひむがしの野に炎かぎろひの立つ見えて かへり見すれば月傾かたぶきぬ万葉集 48東の野に暁の陽炎が立つのが見えて振り返って見れば有明けの月が西に傾いていた。註前エントリーの歌の連作で、広く知られた和歌の傑作。軽皇子(かるのみこ、のちの文武天皇)が父・草壁皇子を偲んで阿騎野(前記事参照)で狩猟をした際に、随行した人麻呂が詠んだという詞書きからの考証により、持統6年(692)旧暦11月中旬(新暦でいうと、12月中旬)の情景と推定されている。この狩猟には、権力継承に絡む政治的示威の意図があったとも推察される。この有名な読み下しは、江戸時代の国学者・賀茂真淵(かものまぶち)が、万葉仮名(漢字表記)の原文「東野炎立所見而反見為者月西渡」を初めてこのように訓(よ)んだもので、それまでは「あづま野のけぶりの立てるところ見てかへり見すれば月かたぶきぬ」などと読まれていた。現在でも諸説ある。特に、結句については、1句目の「東」に照応して原文に素直に「つきにしわたる(月西渡)」と読むとする説もあり、捨て難い。ひむがし:「東」の原語。ひんがし。ひむかし。「日が向く方角」または「日に向く方」の原義。ちなみに「西」は「往(い)にし」で「日が去る方角」の意。現在の方言でも、「去る」ことを「いぬ」という地方がある。
2011年11月16日
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柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)ま草刈る荒野あれのにはあれど 黄葉もみぢばの過ぎにし君が形見とぞ来こし万葉集 47草を刈るしかない辺鄙な荒れ野の阿騎野ではありますが黄葉の散るごとく去っていったあなたの形見の地として私は今やって来たのです。註阿騎野(あきの):現・奈良県宇陀市大宇陀付近。* 阿騎野・人麻呂公園黄葉もみぢばの過ぎにし:黄葉・落葉を人の死の比喩とした普遍的表現。君:早世した 草壁皇子(くさかべのみこ)。形見:故人を偲ぶよすがとなる物、場所など。現代語の「形見」より広義。来こし:直訳すれば「来た」という意味だが、文法的にはけっこう難しい。ほかにあまり類例がない要注意の言い回しといえる。後世に発達した「連体(形)止め」ではない。(現代語「来る」の語源である)古語動詞「来(く)」(「こ・き・く・くる・くれ・こ(こよ)」のカ行変格活用)の未然形「こ」に、過去の助動詞「き」の連体形「し」が接続したもの。この「し」は、形としては連体形だが、意味としてはいわば終止形のように捉えてよい。同じことを言うのに、平安期以降は「来ぬ」が主流となったか。なぜこうなったかと考えると、そもそも助動詞「き」の語源が動詞「来」の連用形「き」である(助動詞「き」の連体形「し」などはサ行変格活用の動詞「す」から)とする説が有力なので、音韻の重複を避けたためとも思われる(くまんパパ説)。確かに、「来(き)き」や「来(こ)き」では、いかにも語呂が悪いと思われる。なお「来こし」の活用形の用例は「こし(連体形)、こしか(已然形)」「きし(連体形)、きしか(已然形)」の4例しかない。前2者の方が古い形。この用法は万葉集に頻出する。歌人が依拠すべきものとして万葉集をきわめて重視した正岡子規をはじめ、アララギ派の近代歌人たちもあえて愛用した。・・・私も使いたい
2011年11月15日
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PINK MARTINI & SAORI YUKI 1969 【CD】世界22カ国で発売! 各国でチャート上位ランクインの快挙達成!由紀さおり×ピンク・マルティーニ、奇跡のコラボレーション・アルバムの誕生全米 i-Tunes ジャズチャート1位、カナダ i-Tunes ワールドチャート1位、ギリシャ 総合アルバムチャート4位など各国でも大ヒット!【送料無料】価格:2,720円(税込)■ 夜明けのスキャット 歌詞全文(作詞:山上路夫 / 作曲:いずみたく)実力派歌手、女優として長く活躍している由紀さおりさんが、このところ欧米で大ブレークしているという。私も子供の頃から大好きだったが、これは本当に奇跡のようなニュースだ。しかし、彼女の実力を思えば、これは起こるべくして起こった奇跡というべきかもしれない。蔭ながら、心からお祝いを申し上げたい。由紀さおりさん、欧米で大ブレーク 日本語で歌いヒット【朝日新聞 11月10日】 歌手由紀さおりさんの新作アルバムが米、カナダ、ギリシャなどでチャートの最上位に躍り出て、欧米メディアを驚かせている。「夜明けのスキャット」など自他の往年のヒット曲を日本語で歌って、欧米でこれほど売れるのは異例中の異例だ。 米オレゴン州ポートランドが拠点のジャズオーケストラ「ピンク・マルティーニ」と共演したアルバム「1969」。由紀さんの「夜明けのスキャット」が大ヒットした1969年前後の曲を拾い出してカバーした。いしだあゆみさんの「ブルー・ライト・ヨコハマ」、佐良直美さんの「いいじゃないの幸せならば」など全12曲のうち11曲を日本語で歌っている。 米国では今月初めから販売され、ネット音楽販売iTunes(アイチューンズ)ジャズ部門で堂々の1位に。カナダではiTunes外国音楽部門で1位、ギリシャでも総合アルバム部門で4位に入った。「夜明けのスキャット」の由紀さおりアルバム米・カナダで次々1位と世界的ヒットの快挙【J-CASTニュース 7日】 歌手の由紀さおりさん(62)がアメリカの人気ジャズ・オーケストラ「ピンク・マルティーニ」と組んだアルバムが、世界22か国で順次売り出され、人気を集めている。デビュー当時の日本の歌謡曲を日本語で歌っているのに、アメリカやカナダのチャートでも1位になったのだ。「ルルルルル~ラララララ~」 オリコン年間ヒット・チャートで1位に輝いた「夜明けのスキャット」で由紀さおりさんがデビューしたのが1969年。今回出したアルバム「1969」は、この曲のほか、当時の日本や世界でヒットしたポップスをカバーしてある。「第二の坂本九になれるか」 全12曲のうち、フランス語で歌った「さらば夏の日」以外は、すべて日本語だ。いしだあゆみさんのヒット曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」など、懐かしい曲が並ぶ。それが、2011年10月10日にイギリスを手始めにアルバムが順次売り出されると、各国でチャートの上位に食い込んでいる。 アメリカでは、iTunesで配信され、その11月2日付ジャズ・チャートで1位に。また、カナダのiTunesワールドミュージック・チャートでも1位に入った。さらに、ギリシャのIFPI総合アルバム・チャートでは4位に、シンガポールのHMVインターナショナル・チャートでは18位になったことが分かっている。 日本の歌謡曲やポップスで、世界的にヒットしたケースとしては、故・坂本九さんが歌った「SUKIYAKI」(「上を向いて歩こう」)が有名だ。この曲は、1963年に米ビルボード誌の週間ランキング1位を獲得している。 由紀さおりさんのアルバムの世界的ヒットが報じられると、ツイッターなどでその快挙を讃える声が相次いだ。「なんか凄いことになってるんだな」「第二の坂本九になれるか」「由紀さおりかっけーーーww」…。音楽評論家の湯川れい子さんは、「これ、快挙です。もっと日本のマスコミは報道して下さい!!」とツイートしていた。米ジャズリーダーが透明感ある歌声に魅了される さおりさんが、ピンク・マルティーニのメンバーと出会ったのは、ひょんなきっかけだった。 ピンク・マルティーニのリーダーでピアニストのトーマス・M・ローダーデールさん(40)が、米オレゴン州ポートランドの地元中古レコード店で、たまたま「夜明けのスキャット」に目が留まり、由紀さおりさんの透明感ある歌声に魅了された。そして、2007年のサードアルバムで、さおりさんの曲「タ・ヤ・タン」を日本語でカバーし、09年にさおりさんのスタッフがユーチューブに投稿されたそのライブを見てコンタクトが始まった。 10年3月にマルティーニの来日公演で初共演を実現。そして、11年10月17日に英ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われたマルティーニのコンサートにさおりさんが招かれ、そこで披露した歌声が観客総立ちで絶賛されたのだ。12月には、全米公演も予定されており、その行方が注目されている。 今回のアルバムは、さおりさんが1969年の日本のヒット曲集のアレンジを依頼したところ、ローダーデールさんらが世界のヒット曲も含めるよう提案して実現した。 日本でも、11年10月12日に発売され、販売元のEMIミュージック・ジャパンでは、「ツイッターで何千以上の反響があり、アマゾンでもいい感じで売れています」(宣伝担当者)と話す。「さおりさんは、アニメやファッションに比べ日本の音楽だけ海外で市民権がないので、一石を投じたいと話されていました。日本では、高音ソプラノのイメージでしたが、今まで使っていなかった低域もカバーしており、それが魅力を増したのだと思います」 由紀さおり・安田祥子こどもの歌を考える会ソレアード事務局長の谷澤正己さん(66)は、アルバムのヒットについてこう語る。「世界的な経済危機などで世の中が慌ただしくなる中で、癒し系の音楽が脚光を集めています。最近はリズム中心の日本の歌が多いようですが、60年代のゆったりしたメロディーがこの時代に受けたのでは。ピンク・マルティーニの音楽もゆったりしていますので、息が合っていると思います。そういえば、『SUKIYAKI』も癒し系で、大震災後にまた歌われていますよね。さおりさんの曲も同じようにヒットするかは何とも言えませんが、日本のポップスのよさをぜひ海外に広めてほしいですね」[2011/11/ 7 19:40 J-CASTニュース配信]きっかけは“ジャケ買い” 今なぜ?由紀さおり 欧米で大人気【スポーツニッポン・共同通信 11日】 歌手の由紀さおり(62)が、米国のジャズ・オーケストラの演奏で1969年の日本のヒット曲を日本語で歌うアルバム「1969」が、欧米のヒットチャートで上位に入り、音楽関係者を驚かせている。 発売元のEMIミュージック・ジャパンによると、米国ではアップルの音楽配信サイト「アイチューンズ・ストア」で配信開始翌日の今月2日、ジャズ部門で1位(10日現在3位)に。CDはギリシャ、シンガポールで上位に入った。 「1969」の12曲は、由紀が1曲はフランス語で、残る11曲を日本語で自身の大ヒット曲「夜明けのスキャット」、いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」などを歌っている。 ジャズ・オーケストラは米国オレゴン州ポートランドの「ピンク・マルティーニ」。メンバーが約40年前の由紀のLPレコードを「ジャケットの美しさ」で衝動買いし、その歌声に魅了されたのが、由紀とコラボするきっかけになったという。 EMI社の関係者は「これほど売れるとは、正直びっくりしている。欧米で、日本人歌手が英語で歌ってヒットした例はあるが、今回は、日本語で歌ったことが新鮮に聞こえたのかもしれない」と話している。[2011/11/11 12:54 共同通信配信]PINK MARTINI & SAORI YUKI 1969輸入盤【CD】 《メール便なら送料無料》価格:1,470円(税込、送料別)由紀さおり、1969年作品を歌う『1969』が世界20ヵ国以上でリリース[ 2011-10-12 BARKS]
2011年11月15日
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凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)初雁はつかりのはつかに声をききしより なかぞらにのみものを思ふかな古今和歌集 481玉梓(たまずさ)の恋文を運んでくるという初雁のように初めてあなたの声を聞いてから心が憧れて中空にものを思うばかりだなあ。
2011年11月14日
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作者未詳小竹ささが葉のさやく霜夜しもよに 七重ななゑかる衣ころもに益ませる子ろが膚はだはも万葉集 4431笹の葉が風にざわめく霜の夜に七重に重ね着した衣にもまさる温かいお前の肌だなあ。註子ろ:上代の東国方言で、男が女を親しんでいう語。東歌(あずまうた)に散見される。この歌自体、おそらく当時の東国の民謡のようなものと見られる。
2011年11月14日
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栃木・宇都宮はカクテルの町でした〔エキサイト・ビット コネタ〕そう言われてみれば、こちら地元では至極当然の事実なのだが、全国的にはほとんど知られていないかも知れない。だいたい宇都宮そのものが無名だしね~。しかし、灯台もと暗しとはこのことですな。「宇都宮といえば餃子」というのは、市役所や商工会議所あたりの町おこしのキャッチコピーとしてはいいかも知れないが、そこにはやはりロマンスの匂いがない。・・・ニンニクの臭いはするが宇都宮といえばカクテルとジャズの街なのである、・・・と私は声を大にして言いたい。そこかしこにカクテルを出す店があり、日本トップクラスのバーテンダーが犇(ひし)いているのである。ジャズでは、大御所ナベサダ渡辺貞夫(サックス)をはじめ、ギターの高内春彦、サックスの亀和田国彦など多士済々。 宇都宮カクテル倶楽部 オフィシャルウェブサイト* 戦前は「軍都」で、陸軍が旧満洲から持ち帰った餃子が名物となり、戦後は進駐軍(事実上、米軍)が大挙して駐留したので、ジャズやカクテル文化が発展した。そういえば僕なんかも、一般の方よりはカクテルの知識はあるような気がするし、結婚前から子供が出来るまでの妻とのデートも、ちょっとお洒落なカクテルバー(ショットバー)が定番だった僕の中学・高校の同級生は無類に仲が良く(・・・幹事の一人である私の腕もあるが)、今も何かにつけ小さなクラス会をしょっちゅうやっている。そこでも、酔ってくると「マティーニ(マルティーニ)」や「雪国」を、宗教儀式のごとく男女で回し飲みしたりする。なかなか乙な、初恋の間接キッス・セレモニーである(?) カクテルガイド ホームページ〔アサヒビール ウェブサイト〕僕は普段から晩酌に、赤ワインを日本酒で割ったものを愛飲している。僕には、ワインそのままだと常飲するには酸っぱ&渋すぎるように感じる。そこで、日本酒で割ってみるとちょうどいい。さすがに醸造酒同士だけあって、ナチュラルに合う気がする。梅干しやオリーヴ、マーマレードを入れたりもする。それを風呂に持ち込んでちびちび飲んだりする。至福の時である。(・・・子供と一緒のときは、さすがに遠慮するが。)考えてみれば、こういったことも、若い頃からカクテルに親しんできた遠い影響かもしれない。
2011年11月14日
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小池光(こいけ・ひかる)いくらなんでもそのズボンだけはみつともないと和子がいへば聞きたるものを「夏から秋へ」(連作30首)角川「短歌」11月号
2011年11月13日
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