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与謝蕪村(よさ・ぶそん)年守としもるや乾鮭からざけの太刀たち鱈たらの棒年明けを見守っているのか立派な太刀のような新巻鮭と棒鱈よ。註年守る:大晦日から元旦にかけて家中の者が集まり、潔斎して(身を清めて)夜明かしし、新年を迎える習俗。一般の祭りや神事に伴う「(お)日待ち」の原型と似ている。ただし、「日待ち」は神酒(みき・じんしゅ)を皆で戴く「直会(なおらい)」と混同されて、現在では祭礼などの後の宴(うたげ)・宴会のニュアンスが強い。筆者の町内でもそうである。乾鮭からざけの太刀たち:「今昔物語」巻28「右近馬場殿上人種合語第三十五」を踏まえる。蕪村の句は、古典文学からの縦横な引用が特徴である。現在でも、「紅白歌合戦」などを見たり除夜の鐘を撞きに行ったり初詣に出かけたりして夜更かしするのは、こうした風習の民俗的な名残りといえるかも知れない。
2011年12月31日
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蛍の光蛍の光 窓の雪書ふみ読む月日 重ねつついつしか年も すぎの戸をあけてぞけさは 別れ行く留とまるも行くも 限りとて形見に思ふ 千万ちよろづの心の端を ひと言に幸さきくとばかり 歌ふなり筑紫つくしのきはみ 陸奥みちのおく海山遠く 隔へだつともその真心は 隔てなくひとつに尽くせ 国のため千島の奥も 沖縄も八嶋やしまのうちの 護まもりなり至らん国に 勲いさをしく努めよわが背 つつがなく作詞:稲垣千頴ちかい原曲:「久しき昔 Auld Lang Syne」(イギリス・スコットランド地方民謡)明治14年(1881)11月24日刊「小学唱歌集」(第一学年用)註いつしか年もすぎの戸をあけてぞ:「年も過ぎ」「杉の戸を開け」「年も明け」と、遊び心あふれる三重の掛詞(かけことば)になっている。古今和歌集などで多用されている類の和歌風の技巧。わが背:父、兄、夫など、近しい男性をいう古語。*「NHK紅白歌合戦」エンディング・テーマソング
2011年12月31日
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前川佐美雄(まえかわ・さみお)堂塔のまうへの空も暮れゆきて寒き師走の古雲がをる歌集「捜神」(平成5年・1993)註古雲:「ふるぐも」と読むか。をる:「ある」ではないところに、独特の味がある。あたかも雲を生きもののように見ているのだろう。
2011年12月30日
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中村草田男(なかむら・くさたお)降る雪や明治は遠くなりにけり昭和9年(1934)作第一句集「長子」(昭和11年・1936)
2011年12月30日
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坂本野原降る雪や明治メルティキッス食はむ新垣結衣の憂ひの瞳「明治メルティキッス」CMウェブサイト
2011年12月30日
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坂本野原(さかもと・のはら) 凡庸な旦那と呼ばれバカボンになったりもする三浦友和第57回 角川短歌賞(本年)玉砕作品 「春の光」連作50首より* 坂の上の雲のごとくに眩まばゆく輝く、全歌詠み垂涎の賞(小説の世界でいえば「芥川賞」ってところで、当たらずといえども遠からずか)に、今年初めて僕も挑戦してみた。結果は、選者の最終選考以前の予選(編集部の下読み)にかすりもせず、門前払いの惨敗。・・・当たって砕けました~僕なりに、春の3ヶ月間ほど全身全霊を傾注したつもりだったんだけど、こういうおふざけ一発ギャグ的な作品を入れてるようじゃ、まあ無理だわね~この歌についていえば、これはこれなりに、僕自身の隠喩(メタファー)的な自画像のつもりだったんだけどね。・・・全体的に、十年早いということだよね。重々身にしみた。なお、この連作のその他の作品については、月例作品などに使い回しするかも知れませんので、すみませんが公開しません今年は、そんなこんなで千五百首ぐらい詠んだのではないかと思う(・・・正確に数えたわけじゃないけど)。今のところ結果は出ていないが、自分なりに深い修養になり、ものすごく楽しい一年だったと総括している。短歌はますます好きになる一方で、一生詠んで行くと確信している。来年は、畏敬してやまぬ本格派天才歌人の光森裕樹さんなどを徹底的に研究するとともに、僕の悪い癖である「お笑い(ギャグ)」的要素と「理屈(論理)」の極力の除去に細心の注意を払いつつ、大胆に詠んでゆければと思う。諧謔(ユーモア、ギャグ)の要素ってのは、たぶん結果として自然に(人格的に)にじみ出るのならいいようだが、頭の中で組み立てて狙って作るとダメみたいっす。いうなれば、下手な自虐的ユーモアや安易なサービス精神(おもねり)を封印して、クソ真面目すぎるぐらいに真面目に彫心鏤骨するというあたりかな。もっと「ひたむき感(緊張感)を !」という感じ。そして解釈や鑑賞は読み手に委ねればいい。余裕かましてる場合じゃないぞってことですね。そういえば、「美」の本質とは、一種の緊張感にほかならないという言説をどこかで読んだことがあるような気もする。なるほどと思っている。ただし、結社の月例作品などでは、従来通り“お笑い短歌”も発表していきたい。これはこれで構わないだろう。・・・年末年始はいい機会なので、俺はいったいどういう歌風を目指すのか、越し方行く末をじっくり考えてみたい年の瀬である。
2011年12月29日
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中地俊夫歌集 覚えてゐるか 新刊 朱あかき実を川に流しつづけたことぢいぢが死んでも覚えてゐるか幼子を間に入れて川の字に寝るしあはせはいたく疲るる 中地俊夫歌集 覚えてゐるか【送料無料】価格:2,700円(税込)* 中地俊夫氏:結社誌「短歌人」発行人・編集委員。
2011年12月28日
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田中拓也(たなか・たくや)我は我の生を生きたし垂直に降る東国の雨に打たれて歌集「直道ひたちみち」(平成16年・2004)田中拓也歌集 直道(ひたちみち)【送料無料】価格:2,520円(税込)
2011年12月28日
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田中拓也(たなか・たくや)言葉より心生あれたり心より言葉生れたり 新月の夜歌集「雲鳥」(平成23年11月・2011)
2011年12月28日
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年賀状の作成・プリント・宛名書きなどにかかりっきりになってますのでブログの方は少々減速しますだ~ くまんパパ
2011年12月27日
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坂本野原 「短歌人」1月号掲載作品河の月抱かむとして溺れ死にせしとや詩人かかるべきなり *ドーバーの一億五千万年を眠りて来たるさびしき白堊恩義ある牧師にかねて約しをるパウロ研究遅々と進まず偉大なる最期なりけりドン・ヴィトー・コルレオーネは菜園に死す幸福と正義はおよそつまらねばバイキンマンはおもしろき奴宇都宮頼綱比企の乱に敗れ百人一首定家に冀こひき* 李白の伝説。2011年11月作著作権を有します。(c) 2012 Nohara Sakamoto Daddy Bear All rights reserved.
2011年12月27日
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今年も年賀状を用意する時期がやってきた(・・・というか、もうすでにかなり遅めか)皆さんはもう出しましたか?僕の場合、毎年ぎりぎりまで押しつまってから慌てて準備するのが長年の恒例(?)になっているので、今年なんかまだ早い方かも知れないいつも内心めんどくさいな~とか億劫に思いつつも、友人や知り合いからの年賀状を貰うと大変うれしいのも事実なので、逆もまた真なりというべきであろう。心を奮い立たせて取りかかった。今、文書等作成ソフト「一太郎」のはがきフォーマットで、家族の写真を2枚入れてレイアウトしつつ作成している最中だが、いったん始めてみるとこれがなかなか楽しい作業で、こ~しようあ~しようとすっかりハマってしまうのは皮肉なものである。ところで、来年の賀状では、東北被災者の心情を思うと「おめでとう」の文言がはばかられ、「希望」とか「頑張ろう」とか「絆」とかにするという人もいる。「あけましておめでとう」は儀礼的な決まり文句だから、そこまで気にしなくてもいいのではないかとも思う反面、れっきとした被災地の端くれである当地・栃木に住む県民の感覚として一理あるようにも思ったので、「謹賀新年」にすることにした。これなら、漢文訓読すれば「謹(つつし)んで新年を賀(が)す」だから、まあいいかなと思う。なにしろ「謹」の一字がいい。このあと、一応ゲラ刷りを見せて妻のダメ出しを受け、プリント・宛名書き・投函の運びとなる。出来ればあさって、遅くともしあさってまでには完了させたい。・・・まあ何とか、元旦の配達には間に合うだろう
2011年12月26日
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宮柊二(みや・しゅうじ)瑠璃色の珠実たまみをつけし木の枝の小現実を歌にせむかな歌集「小紺珠」(昭和23年・1948)
2011年12月25日
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小池光(こいけ・ひかる)シクラメンすなはち豚の饅頭は花開きたりわが卓上に歌集「滴滴集」(昭和56年・1981)註24日付の読売新聞朝刊1面コラム「編集手帳」で紹介。そういえば、わが家の植木鉢のシクラメンも咲きかけている。ブタノマンジュウ(マンヂユウ):シクラメンの和名の一つ。
2011年12月24日
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坂本野原(さかもと・のはら)鴨のゐる汀みぎはなりけり十二月二十四日はプロポーズ記念日
2011年12月24日
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よみ人知らず わが君は千代に八千代に さざれ石の巌いはほとなりて苔の生むすまで古今和歌集 343わが君は千代に八千代に悠久に細かい石が育って大岩になって緑の苔の絨毯がびっしりと生えるまで。君が代は千代に八千代に さざれ石の巌いはほとなりて苔の生むすまで和漢朗詠集
2011年12月23日
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里見義(さとみ・ただし)埴生の宿埴生はにふの宿も 我が宿玉の装よそひ 羨うらやまじ長閑のどかなりや 春の空花はあるじ 鳥は友おゝ わが宿よ たのしとも たのもしや書ふみよむ窓も 我が窓瑠璃るりの床も 羨まじきよらなりや 秋の夜半よは月はあるじ むしは友おゝ わが窓よ たのしとも たのもしや明治22年(1889)12月「中等唱歌集」所収粗末な土間の家も わが家。美しい宮殿の装飾を 私は羨(うらや)まない。のどかだなあ 春の空花は主 鳥は友おお わが家よ 楽しくも頼もしいなあ。蛍の光で本を読むような窓も わが窓。豪奢なラピスラズリの床も ちっとも羨ましくない。清らかだなあ 秋の夜半(よわ)月は主人公 虫は友達おお わが窓よ 楽しくも頼もしいなあ。原曲「マイ・スイート・ホーム(楽しき我が家)」作詞:ジョン・ハワード・ペイン作曲:ヘンリー・ローリー・ビショップオペラ「ミラノの乙女 Clari, Maid of Milan」劇中歌(1823)'Mid pleasures and palaces,Tho' we may roam;Be it ever so humble,There's no place like home;享楽と宮殿の中を僕らは歩き回ったとしてもこんなにみすぼらしくてもわが家にまさるところなし。A charm from the skiesSeems to follow us there,Which, seek through the worldIs ne'er met with elsewhere.天空から来た魅力が僕らをここに連れてくるみたいだ。世界中を探し回ってもほかのどこにもこんなところは決してないさ。Home! Home! Sweet home!There's no place like home!Oh! there is no place like home! わが家、わが家、甘く懐かしいわが家よ、わが家にまさる所なし。わが家にまさる所なし。
2011年12月22日
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角川春樹(かどかわ・はるき)火はわが胸中にあり寒椿句集「カエサルの地」(昭和56年・1981)
2011年12月21日
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角川春樹(かどかわ・はるき)亡き妹いもの現あれて羽子板市なるや句集「信長の首」(昭和57年・1982)註織田信長と市兄妹を踏まえているのだろう。ある:「出現する」「現われる」「(尋常ならざるものが)生まれる」の意味の上古語動詞。「あり(在)」「あらわる(現)」などと語源的関係があるとも見られる。
2011年12月21日
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桑田佳祐(くわた・けいすけ)白い恋人達夜に向かって雪が降り積もると悲しみがそっと胸にこみ上げる涙で心の灯を消して通り過ぎてゆく季節を見ていた外はため息さえ凍りついて冬枯れの街路樹に風が泣くあの赤レンガの停車場で二度と帰らない誰かを待ってる作曲・歌:桑田佳祐平成13年(2001)10月24日、シングルCDリリース□ 歌詞全文□ 赤煉瓦の東京中央停車場(現・JR東京駅)□ 赤煉瓦の北海道庁旧本庁舎(札幌)
2011年12月21日
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〔北朝鮮情勢関連ニュース・リンク〕けさ21日付の読売新聞朝刊に転載・掲載された米ウォール・ストリート・ジャーナル20日付の記事「周辺諸国の不安尽きない金正日死去後の北朝鮮経済」は、最も包括的で犀利な分析を提示していて、必読の論文と思った(この記事は、ネット上では有料会員向けで、無料では読めません)。金正日総書記死去で起こる「最悪のシナリオ」とは?【ニコニコニュース オリジナル 20日配信】北朝鮮の若き指導者・金正恩氏、統治能力は未知数【米ウォール・ストリート・ジャーナル 20日】北朝鮮、数百人粛清か 金正恩新体制強化で アムネスティ推計【時事通信 20日】後継体制の鍵を握る金正日妹夫妻を中国が支持する理由【小学館「週刊ポスト」 21日】 金正恩後継「10歳の時から決まっていた」【日本テレビ「スッキリ!!」 20日】
2011年12月21日
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加藤郁乎(かとう・いくや)冬の波冬の波止場に来て返す句集「球体感覚」(昭和34年・1959)
2011年12月20日
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千葉皓史(ちば・こうし)見つめよと置くともしびやクリスマス句集「郊外」(平成3年・2001)
2011年12月20日
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長谷川櫂(はせがわ・かい)鵜の揺らし鵜の揺れてゐる枯木かな句集「古志」(昭和60年・1985)註鵜(う):カワウであろう。
2011年12月20日
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「偉大なる後継者」金正恩氏とは?手腕は不明、「子どもが国家運営」と専門家── アメリカのシンクタンク・戦略国際問題研究所の北朝鮮専門家ビクター・チャ氏は、金正恩キム・ジョンウン氏(推定28歳、29歳説もあり)はまだ指導者になる準備ができていないと述べ、「核兵器を持つ不透明な政権において指導部に空白が生じ、実質的に子どもが国家を運営しようとしている。決して良い状況ではない」と指摘した。【CNN(ケーブル・ニューズ・ネットワーク) 20日配信】公開された映像の見た目だけで評すれば、笑顔が人懐っこく、素直に育った優しげで艶福そうな朝鮮人の若者といっていいだろう。もう少し痩せれば、なかなか男前のハンサム・ボーイといってもいいだろう。いかにも栄養がいい「王子様」然としたお坊ちゃまである。なんとなく人に好かれる要素はあると言うに吝(やぶさ)かではない。事実、ごく普通の(凡庸な)毛並みのいい現代青年であるとも伝えられている。しかし、日本でも、おこづかいが毎月1500万円の天下のお坊ちゃま・ハトポッポ元首相が、ひとたび最高権力を手にするや取り返しのつかないデタラメをしでかしてくれたことは記憶に新しいところである。日本の政治は、今なおその収拾不可能な事態の尻拭いに苦しんでいる現状である。かくのごとく、世間知らずのお坊ちゃまというものは、鵺(ぬえ)の鳴く夜のごとく恐ろしい。・・・大王製紙のエリエールで涙を拭おうまた、28歳の青年なんて、仮令(たとい)どんなに優れた資質を持っていたとしても、どこの国でもどの社会でも例外なく、ただの一介の青二才の若造にすぎないといわざるを得ないだろう。その力量・手腕は、未知数、というより眉唾というべきである。あまりにも人生と実務の経験不足である。ましてや、このようなコワモテ独裁体制の運営や、瀬戸際外交で外国と丁々発止渡り合ったりの綱渡りの芸当が出来るとは到底思われない。多くの識者が一致する通り、服喪にからめて北朝鮮の短期的な権力継承プロセスは円滑に行くものと見られており、当面は集団指導体制でいくのだろう。が、中長期的には疑問符が付く。国内経済は完全に破綻し疲弊しきっており、このまま行っても浮上の見込みは全くない。そうしたことを背景に、労働党のテクノクラート官僚組織と軍部間の路線対立・利権争いが表面化し内部抗争に発展する可能性も指摘されている。外に目を転ずれば、旧宗主国にして現在も最大の影響力を行使する中国が、虎視眈々と隙を狙っている。中国は早々と金正恩の後継路線を追認したが、今後「中国式改革開放路線」の適用・実施を求める圧力を陰に陽に強めるだろう。領内に豊富な天然資源を有し、地政学的な位置にも恵まれた北朝鮮は、開放経済を導入し運営を上手くできれば、浮上しうる潜在力も持っている。これはソフト・ランディング(軟着陸)の最良のケースのシナリオである。だが、むろんこれは諸刃の剣である。国境・水際やインターネット回線を開放すれば、直ちに大量の情報が流入し、それは鎖国的独裁体制の存続にかかわる重大なリスクに容易に転化するだろう。金正恩氏はスイス留学の経験もあって西側の事情にも通じており、未確認だが、開明的な思考の持ち主という情報も少なくない。今のところ若すぎることもあり、リーダーシップを本格的に発揮するまでには早くともまだ10年以上かかるという見方が強いが、徐々に改革開放を志向し始めるという期待もささやかれている。また、そこにしか北朝鮮の生きる道はない。かつてゴルバチョフは、ペレストロイカ(再構築)とグラスノスチ(情報公開)を旗印に体制の一大改革を目指したが、紆余曲折の末、最終的には当時のソ連や東欧共産圏諸国の崩壊をもたらした。一時の大きな混乱はあったが、歴史の審判は「結果オーライ」だったといえるだろう。中国の場合、改革開放路線は「走資派(資本主義の走狗)」という根強い批判を受けながらも驀進し、その過程で「天安門事件」という悲劇も惹き起こしたが、中国政府はこれを武力で抑え込んだ。この流れは、今なお決着と総括がついておらず、深く静かに潜行する現在進行形のプロセスと見るべきかも知れない。現時点では不確定要素の変数が多すぎて、北朝鮮情勢について正確な予測を出来る者はまずいないだろうが、遠からず何らかの変化が起こる可能性は低くないと見られている。
2011年12月20日
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千葉皓史(ちば・こうし)炬燵して向ひに誰も居らぬ母たましひといふ大荷物日向ぼこ句集「郊外」(平成3年・2001)註炬燵(こたつ)して:通常の日本語表現ではあり得ない言い回しだが、詩歌、とりわけ短歌・俳句では全く違和感がなく許容される。これに類する文法や表現上の破格は西洋詩においても珍しくなく、「詩的許容(ポエティック・ライセンス)」と称される。
2011年12月19日
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千葉皓史(ちば・こうし)冬川につきあたりたる家族かな厚氷これを見にきしごとくなり薄氷そつくり持つて行く子かな句集「郊外」(平成3年・2001)
2011年12月19日
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森下洋子(もりした・ようこ)白鳥の最後の仕上げ手のかおり昭和60年(1985)註作者は日本を代表するプリマバレリーナ。「白鳥」は「白鳥の湖」(チャイコフスキー作曲)の舞台稽古のことであるとともに冬の季語を兼ねている、なかなかの技巧。結句「手のかおり」が何を表現しているのかは今ひとつ判然としないが、いろいろ想像を逞しくさせてこれはこれでなかなかいいのではないか。ただし、名詞「かおり」は、動詞「かおる(かをる)」にした方がいいように思う。
2011年12月18日
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富安風生(とみやす・ふうせい)命二つ互に恃み冬籠註読み方は「いのちふたつたがいにたのみふゆごもり」であろう。恋愛感情が俳句で表現されることはきわめて稀とされるが、これはまた真摯さを通り越してある種の凄みさえ感じさせる一句である。この句が山口波津女(やまぐち・はつじょ)の作と記している本もあり、あるいはそうなのかも知れないが、今のところ確認できていない。図書館などで両者の全集を読破すれば判るだろうが、申し訳ないがそこまでの関心と情熱はない。どなたかご存じの方はご教示いただければ幸いである。割と知られた作品の作者や典拠が分からないとは隔靴掻痒な話だが、俳句ではけっこうあるように思う。
2011年12月18日
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香川ヒサ(かがわ・ひさ)ひとひらの雲が塔からはなれゆき世界がばらば らになり始む歌集「ファブリカ」(平成8年・1996)註佐佐木信綱の近代短歌の名歌「ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲」の大胆かつ批評的な本歌取り。「ばらば ら」は原文のまま。この一字空けの切れ目のところで、下2句の定型韻律「七七」も合っているという、考え抜かれた技巧の冴え、というか、何とも人を食った力技というか。
2011年12月17日
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吉井勇(よしい・いさむ)ゴンドラの唄いのち短し 恋せよ乙女紅き唇 あせぬ間に熱き血潮の 冷えぬ間に明日の月日は ないものをいのち短し 恋せよ乙女いざ手をとりて かの舟にいざ燃ゆる頬を 君が頬にここは誰も 来ぬものをいのち短し 恋せよ乙女波にただよふ 舟のやうに君が柔手やはてをわが肩にここには人目の ないものをいのち短し 恋せよ乙女黒髪の色 あせぬ間に心のほのほ 消えぬ間に今日はふたたび 来ぬものを作曲:中山晋平大正4年(1915)芸術座公演「その前夜」(ツルゲーネフ作)劇中歌(歌唱:松井須磨子)。註ロマンティシズム(浪漫主義)を基調とする歌誌「明星」派の歌人であった作詞者らしく、明らかに与謝野晶子の影響下にある情熱的な歌詞である。やは肌のあつき血汐に触れも見でさびしからずや道を説く君くろ髪の千すぢの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる
2011年12月17日
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小高賢(こだか・けん)多分おそらく老いのはてには完熟の恋のあるらん降りないぞまだ歌集「本所両国」(平成12年・2000)
2011年12月17日
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15日(木)の宵、当地・宇都宮二荒山神社の冬祭り「冬渡祭(おたりや)」があり、私も先導の鉄棒持(かなぼうもち)として参加しました。平安時代の初頭に行われた遷宮を記念して始められたことが文献上確かで、千年以上の歴史を誇る、しかし地味~な祭りです。新年の1月15日に「春渡祭(やはり「おたりや」と読む)」として厳寒の中、再び同様に行われます。
2011年12月16日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)最上川逆白波さかしらなみのたつまでに ふぶくゆふべとなりにけるかも歌集「白き山」(昭和24年・1949)註巨匠晩年の代表作。「逆白波さかしらなみ」は造語という。
2011年12月16日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)最上川もがみがはにごりみなぎるいきほひを まぼろしに見て冬ごもりけり歌集「白き山」(昭和24年・1949)故郷山形を流れる最上川の濁り漲る勢いを幻に見ながら私はぽつねんと冬籠りに入ったのだなあ。
2011年12月16日
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藤原家隆(ふじわらのいえたか)志賀しがの浦や遠ざかりゆく波間より 氷りて出いづる有明の月新古今和歌集 639志賀の浦だなあ。(その岸辺から沖へ向って凍って)遠ざかってゆく波間から凍りついて出てきた有明の月。註志賀の浦:現・滋賀県大津市志賀付近の琵琶湖西畔。(志賀の浦)や:文法的にはなかなか難解で諸説ある。終助詞と見れば初句切れで上記訳のようになる。詠嘆の間投助詞と見れば、ここで切れず以下に繋がっている(句点「。」は打てない)。いずれにせよ、現代語にすんなりと訳し難い、しみじみと微妙な言い回しである。後世、終助詞「や」が、「切れ字」(「かな、けり」など)の一つとして、俳諧で頻用される語となった。→ 芭蕉 荒海や佐渡によこたふ天河 閑さや岩にしみ入蝉の声有明の月:望(満月)ののちの月。
2011年12月16日
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式子内親王(しきし・ないしんのう)見るままに冬は来にけり 鴨のゐる入江のみぎは薄氷うすごほりつつ新古今和歌集 638見ているうちに冬は来たのだなあ。鴨の休んでいる入り江の水際に薄氷が張って。註ゐる(居る):現代語の「いる」に比べ、具体的・実質的な動作を表した。「坐る、留まる、じっと動かないでいる、住み着く」など。この歌では、鴨が(寒そうに)うずくまっていることの描写であろう。
2011年12月15日
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藤原清輔(ふじわらのきよすけ)冬枯れの森の朽葉くちばの霜のうへに 落ちたる月のかげの寒けさ新古今和歌集 607註現代語訳は要らないだろう。平明にして余情溢るる秀歌。かげ:この歌では「光」の意味。古語としては、光、または光の投影や反射などによって、その物と別に映し出された姿、形、色合い、イメージをいう。転じて、「陰、蔭、翳」の意味も生じた。その結果、英語でいうならば「ライト(光)」と「シャドウ(陰)」の両義を持つに至った珍しい単語。現在でも「月影」「面影」などは、原義を保っている。寒けさ:直接的な「寒さ」に比べ、やや婉曲な雅語的表現。寒々とした様子。形容詞「寒けし」「寒し」に対応。「静かさ」「静けさ」、「明(あか)し」「明らか(なり)」「明(あき)らけし」などの類い。
2011年12月15日
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実力派お笑いコンビダイノジの大地洋輔(おおち・ようすけ、デブの方)が、ラジオで熱く語っていたので、書き留めておく。〔TOKYO-FM系(JFN)全国ネット「スクールナイン」13日夜9時OAより〕・・・この番組は、僕はなぜかよく聴いている。── 思春期の夏に、何気に「ガリガリ君」を食ってうめ~なと思ったわけなんだけど、大人になってひと通りいろんなモノを食ってきて、時には身分不相応な美味いもんを食ったりして、今39歳の中年になって齧る「ガリガリ君」は味が違うんだ。同じ「ガリガリ君ソーダ味」のはずなんだが、違うんだよ。味が深く濃くなっている。すごくうまい高級なスイーツとか、今は当たり前にいっぱいあるじゃない? でも、オレは「ガリガリ君」でいいやと思わせる力がそこにはあるんだな。つまり、これが「削ぎ落とす」ってことなんだよ。これからどんな笑いを目指すか、という一種の芸談として語ったものである。・・・あ~なんか分かる分かると思った。僕ならこの「ガリガリ君」に「バヤリースオレンジ」を代入するなとも思った。今は果汁100%のジュースも溢れているが、結局「バヤリース」を買ってしまう。そういう人が多いからこそ、今なお愛され続けているのだろう。どのスーパーにも必ず置いてある。彼らの、本格派だがやや古風とも評される芸風を思い浮かべつつ、ちょっといいなと感銘を受けたのでメモしておく。(記憶に基づいているので、一字一句正確ではありません。)
2011年12月14日
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志貴皇子(しきのみこ)采女うねめの袖吹きかへす明日香風あすかかぜ 都を遠みいたづらに吹く万葉集 51かつて美しい采女たちの袖に吹いて翻ひるがえした明日香の風も今は都が遠いのでむなしくいたずらに吹くばかりだ。註持統8年(694)旧暦十二月、飛鳥京から藤原京に遷都したのちに詠んだ。初句は一字足らずの破調だが、ある種の古拙(アルカイック)な味わいがあるといえるかも知れない。采女うねめ:朝廷において天皇や皇后に近侍し、食事など身の回りの雑事を専門に行った女官。その多くは地方豪族の娘であり、政治的人質の含みもあったと見られるが、才色兼備で当時の若者たちの憧れの的だったといわれる。→ 画像 〔1〕 〔2〕 〔3〕 〔4〕* 采女祭(うねめまつり) 奈良・采女神社都を遠み:上古語特有の「ヲ・ミ語法」。「・・・が・・・なので」。
2011年12月13日
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志貴皇子(しきのみこ)むささびは木末こぬれ求むと あしひきの山の猟夫さつをにあひにけるかも万葉集 267むささびは梢を求めて飛び回りあわれ深山の猟師に遭って目を付けられてしまったことよ。註「雉も鳴かずば撃たれまい」「出る杭は打たれる」的な諧謔(ユーモア)を感じさせる一首だが、ある種の教訓的な(もしくは政治的な)寓意が籠められていると見る向きもある。天武系と天智系の皇統をめぐる政治的緊迫の渦中にあった作者の歌として、十分あり得ることと私も思う。猟夫さつを:猟師。語源的には「幸(さち)」(収獲)と同源か。
2011年12月13日
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志貴皇子(しきのみこ)葦辺あしへ行く鴨の羽はがひに霜降りて 寒きゆふべは大和し思ほゆ万葉集 64枯れた葦叢(あしむら)のほとりを泳いでゆく鴨の羽交いに霜が降りてしんしんと寒い夕べには妻の待つ故郷の大和がおのずと思い出されるなあ。註慶雲3年(706)の晩秋から初冬にかけて行なわれた、文武天皇の難波(現・大阪)行幸に随行した際の作。羽がひ(羽交):鳥のたたんだ左右の両翼が合わさるところ。(あまりいい言葉ではないが「羽交い絞め」に残る。)大和:奈良(の都)。
2011年12月12日
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山部赤人(やまべのあかひと)田子の浦ゆうち出いでてみれば 真白ましろにぞ不尽ふじの高嶺に雪は降りける万葉集 318田子の浦よりうち出て見れば真っ白に富士の高嶺に雪は降っているなあ。〔リービ英雄・英訳〕Coming out from Tago's nestle cobe,I gazewhite, pure whitethe snow has fallenon Fuji's lofty peak(c) Hideo Levy 2004註(田子の浦)ゆ:動作(この場合「うち出でてみる」)の行われる地点・経由地を示す奈良時代の格助詞。「・・・を通って」「・・・で」「・・・より、から」。田子の浦にうち出でてみれば 白妙しろたへの富士の高嶺に雪は降りつつ新古今和歌集 675 / 小倉百人一首 4田子の浦に出て見れば白妙のような富士の高嶺に雪は降りつつ。註新古今集、百人一首双方の撰者である藤原定家などによる改作か。こちらの形でもよく知られている。英語でよむ万葉集 リービ英雄【送料無料】798円(税込)
2011年12月12日
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山上憶良(やまのうえのおくら) 長歌(ちょうか)貧窮問答歌風雑まじり 雨降る夜の 雨雑り 雪降る夜は すべもなく 寒くしあれば 堅塩かたしほを とりつづしろひ 糟湯酒かすゆざけ うちすすろひて しはぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 髭掻き撫でて 我あをおきて 人はあらじと 誇ろへど 寒くしあれば 麻衾あさぶすま 引き被かぶり 布肩衣ぬのかたぎぬ ありのことごと 着襲きそへども 寒き夜すらを 我よりも 貧しき人の 父母ちちははは 飢ゑ凍こごゆらむ 妻子めこどもは 乞ふ乞ふ泣くらむ この時は いかにしつつか 汝なが世は渡る 天地あめつちは 広しといへど 我あがためは 狭くやなりぬる 日月は 明しといへど 我がためは 照りやたまはぬ 人皆か 我のみやしかる わくらばに 人とはあるを 人並みに我も作るを 綿もなき 布肩衣ぬのかたぎぬの 海松みるのごと わわけさがれる かかふのみ 肩に打ち掛け 伏廬ふせいほの 曲廬まがいほの内に 直土ひたつちに 藁わら解き敷きて 父母は 枕の方かたに 妻子どもは 足の方に 囲み居て 憂へさまよひ 竈かまどには火気ほけ吹き立てず 甑こしきには蜘蛛の巣かきて 飯いひ炊くことも忘れて 鵺鳥ぬえどりの のどよひ居るに いとのきて 短き物を端切ると いへるがごとく しもと取る 里長さとをさが声は 寝屋処ねやどまで 来立ち呼ばひぬ かくばかり すべなきものか 世間よのなかの道万葉集 892 風混じりの雨が降る夜の 雨混じりの雪が降る夜はどうしようもなく寒いので堅塩を取って齧りながら糟湯酒(かすゆざけ)を啜って咳をしながら鼻をぐずぐずさせて あるかなきかの髭を撫でて俺以上に立派な者はいないだろうとうぬぼれていても寒くて仕方がないので 麻衾(あさぶすま)を引っかぶりありったけの衣をことごとく着重ねしても寒い夜は一夜でさえも 私よりも貧しい人の父母は飢えて凍えているだろう妻や子供たちは泣いているだろうこんな時 どうやってお前は世を渡っているのだい?天地は広いというが 私には狭くなってしまったのか?日や月は明るいというが 私には照りたまわないのだろうか?人は皆そうなのか?私だけがそうなのか? たまたま人に生まれついて人並みに私も働いているが綿も入っていない海藻の海松(みる)のようにぼろぼろの肩衣(かたぎぬ)を引っかけて天井の低い家の 壊れかかって曲った家の中の地べたに藁をぱらぱら敷いて父と母は枕の方に 妻や子どもは足の方に取り囲んで座って嘆いてうろうろする竈(かまど)に火の気はなく 蒸し器には蜘蛛の巣が張ってもう飯を炊くことも忘れてしまった 鵺(ぬえ)鳥のように呻き声をあげているとこれ以上短くなりようがない物の端っこを切るとでもいうように鞭を持った里長(さとおさ)が寝床にまで聞こえるようにわめき散らすこれほどまでにどうしようもないものなのか世の中の道というものは
2011年12月12日
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柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)淡海あふみの海夕波千鳥 汝なが鳴けば心もしのに古いにしへ思ほゆ万葉集 266近江の湖の夕波千鳥よお前が鳴くと心も弱々しく撓垂(しなだ)れて過ぎ去った昔のことが思われてならない。註淡海あふみ(おうみ):「あはうみ(あわうみ)」が約(つづ)まったもので、もと淡水(汽水)湖をいう一般名詞だったとも思われるが、上古から琵琶湖を示す固有名詞となり、「近江」の字を当てて旧国名(現・滋賀県)となった。天智天皇が営んだ近江大津宮(おうみのおおつのみや)は壬申の乱によって廃され、飛鳥浄御原宮に遷都された。荒廃した近江を悲しみ、旧都を偲んで詠んだ。夕波千鳥:古来、解釈に侃々諤々(かんかんがくがく)の議論がある語句。「夕波千鳥」という一つの人為的な熟語として言っているのか、「夕波、(そして)千鳥」と並列して言っているのかという問題である。万葉集研究の第一人者である国文学者・中西進氏などによれば、人麻呂はここで日本語(やまとことば)の「漢語的熟語表現」を試みた可能性が高いという。万葉集の人麻呂の歌に、造語と思われる表現が、枕詞を含めて少なくないことが、この傍証になっている。「あふみ」、「うみ」、「なみ」の3語、ひいては「ちどり」「しのに」のイ行音を響かせ合っていることは確かで、これも漢詩の脚韻風の効果を意図しているとも読める。しの(靡)に:「なびいて、萎(しお)れて」の意味の副詞。語幹「しの」は、「撓(しな)う」「しな垂れる」の「しな」と同源か。古(いにしへ):語源は、「往(い)にし辺(へ)」(過ぎ去った方)。
2011年12月12日
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作者未詳鯨魚取いさなとり海や死にする山や死にする 死ぬれこそ海は潮干しほひて山は枯れすれ万葉集 3852鯨を捕る海は死ぬのか、山は死ぬのか。死ぬからこそ海は潮が引いて、山の草木は枯れるのだ。註五七七五七七の旋頭歌(せどうか)体。当時、歌誦(かしょう)されたと考えられている。大海や大山でさえ死ぬのだから、人の命などは儚いものだと詠う、一種の道歌(どうか、思想や哲学・宗教的な内容を詠んだ歌)。さだまさしが、代表曲の一つ「防人さきもりの詩うた」で引用している。→ 防人の詩 歌詞鯨魚取いさなとり:捕鯨のことで、「海」「浜」「灘」に掛かる枕詞(まくらことば)。「鯨魚いさな(勇魚)」は鯨の古称。潮干しほひ:干潮。潮汐は、昨晩の月食同様、太陽と月と地球の位置関係(この場合、引力)による現象だが、古代人にとっては生と死を連想させる大自然の驚異だったのだろう。死ぬれこそ・・・枯れすれ:強調の係り結び。「すれ」は古語動詞「す」の已然形。
2011年12月11日
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昨晩の皆既月食は、幻想的な光景で本当にすばらしかった。 写真特集 【朝日新聞】 【毎日新聞】10時前から奇妙な形で徐々に欠けはじめた。欠ける円弧(地球の影)の輪郭はぼやけていた。これは地球に大気があって太陽光が散乱するため。11時過ぎに皆既状態に入ってからの約50分間は、暗い赤銅(しゃくどう)色の満月が、この世ならぬ美しさというか不気味さを醸し出して、なかなか尋常じゃない見ものだった。ご近所の皆さんや、土曜深夜のデート帰りのカップルや酔っぱらいの皆さんも、けっこうワイワイ言いながら眺めていた。私といえば、休み休み(・・・酒を飲み飲み)ではあるが、初冬の深夜の寒い中(当地のけさの最低気温はマイナス2℃ ! )、ずう~っと上を向いて一部始終を見ていたので、首筋がおかしくなって、今もおかしい。古文なら、完了・継続の助動詞「り」を用いて「をかしくなれり」とすべきところだ冬の月って、ずいぶん高く上るんだね~。ほとんど天頂まで行くんだね。改めて気がついた。これはまあ、地球の公転面に対する地軸の傾きの関係で、だから(日射角が低くなって)冬は寒いともいえるわけなんだけど。妻もこういうのは嫌いじゃないと見えてノリノリの夢中になり、小学校低学年の娘たちも、昨夜だけは夜更かしを特別許可。土曜日の夜ということもあって、11時半ごろまで起きて見ていた。オリオン座をはじめとして冬の星座もキレイで、けっこう楽しんだようだった。それにしても、大筋の科学的メカニズムを理解している現代人のわれわれが見てさえ、やや驚異や恐怖を覚えるほどの大自然のスペクタクルだったから、原理を知らなかった昔の人にとっては、まさに「天変」そのものの驚愕だったろうな~と思いを馳せたりした。本当に楽しいひと時だった
2011年12月11日
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塚本邦雄(つかもと・くにお)ほほゑみに肖にてはるかなれ 霜月の火事のなかなるピアノ一臺歌集「感幻樂」(昭和44年・1969)註巨匠・塚本邦雄は、現代短歌の可能性と極北の到達地点を示威し続けて逝ったが、この作品などもその一好例である冬の秀歌。不吉な、禍々(まがまが)しきイメージの中に鮮烈に照射される貴(あて)やかなる滅びの美。ある意味では、日本伝統の「もののあはれ」の美意識に寄り添っているともいえよう。霜月:旧暦十一月の称。新暦のほぼ12月に当たる。臺:「台」の旧字体(正字体)。
2011年12月10日
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曾禰好忠(そねのよしただ)露霜つゆじもの夜半よはにおきゐて 冬の夜の月見るほどに袖はこほりぬ新古今和歌集 601露霜の降る夜半に起きて座り冬の夜の月をじっと見ているうちにわたしの袖の涙は凍ってしまいました。
2011年12月10日
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西行(さいぎょう)をぐら山ふもとの里に木この葉散れば こずゑに晴るる月を見るかな新古今和歌集 603「小暗(おぐら)山」というほど鬱蒼たる小倉山の麓の里にすでに木の葉は散ったのでいま私は小高い木の梢のあたりに明るく晴れわたった月を見ているのだよ。
2011年12月10日
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