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7usagiさんサイド自由欄
最近カウンセリングに関係する本を、何冊も読んでいる
ヒプノを勉強しだして、こちらのほうに意識がいっているのだ
以前、心理学の勉強をした時、これは占い師と対峙する内容で私がこちらの世界にくるのは、難しいと考えていた
だから一通りは勉強したものの、それを生かす方向には動かなかったそれがヒプノを勉強して、カウンセリングの道に興味を持ったのである
それは従来のカウンセリング方法と、違っていたからだ原因から入るカウンセリングではなく、未来を見据えたものだった
原因は? というと、原因の特定は必要としないものである
結果の前には必ず原因が有る、という考え方できた私にとっても
これは、新鮮な考え方であった
何か家族に問題が発生すると (例えば登校拒否の子供)家族が、誰に原因が有るのかと犯人探しになってしまう
そして、その原因が自分ではないかと
それぞれが、自分を責めたり、或いは相手を責めたりと
結局何の解決も無いまま、悪循環を繰り返してしまうのだ
原因の特定は必要としないただ、解決すればいいのだから‥ というものである
米国の高名な家族療法家、S・ミニューチンの文献に次のような記述がある
夫婦の葛藤を母親が父親と娘との葛藤に変化させることによって
夫婦は葛藤を迂回させる。
子どもを通して夫婦間の話し合いをすることは、夫婦のサブシステムが
いかにも調和しているかのような錯覚を起こさせる。
夫婦は自分たちの問題を子育ての問題へと迂回させ
子どもの逸脱行動を強化する。
こうした両親の迂回は、子どもを攻撃する形をとったり
子どもを病気で弱いものと見て、保護するために結合したりする
子どもは両親の喧嘩を仲裁する為に、病気になったりするのだ病気になれば両親も、喧嘩している場合ではなくなる
だから子どもは、健康になれないのだ健康になったら両親が喧嘩して、もしかしたら離婚するかもしれない
病気で居ることが、子どもにとって必要不可欠な事態となってしまっている
だから家族ぐるみで、問題に取り組まなければならない子どもの病気が、必ずしも子どもだけの問題でないという事例である
★ブロック 2014年07月06日
★進めないのは何故? 2014年05月29日
★想いのすり替え 2014年03月16日