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2ヶ月に一度の講座で、もう3年目に突入した
相変わらず、東京や大阪、奈良等と受講者は、遠路はるばる起こしになる
みんな、光田会長のお話しを聞きたくて遠くても足を運んでくるのだ
第一課は、「機会」 である神の探求の1(上巻)の全ての課と絡んだ内容だった
上巻は、自分を捨てることであった捨て切ってないと、自己があるから落ち込んでしまう
自分を捨てつつある、という状況の中で神は様々な機会を、与えてくれるのである
その人に応じて、機会は与えられる
その機会を有効に使ったならば、次にもう少し大きな機会を
与えてくれるのだ
もし、道が開いていくならば
いよいよそれは、神が望む方向であり
本来の自分の望みが、満たされていく道なのである
元々人間は、誰かの為に生きるように創られているそうすることが、自分の大きな喜びに直結する
ある人が、ケイシーに質問したそうである
「どうしたらイエスのように、人々を愛せますか?」
ケイシーの答えは、「練習することだ」 であった
そうだよ、無ければ練習すればいいんだよ何事も上達する道は、練習ではないか!
愛せないのを嘆いているより自分が出来る範囲で、愛する練習をしていけばいい
私達はまだ、魂の勉強の途中である
まだ時間はあるのだから、一歩一歩前進していこう
★罪には違いないが‥ 2018年07月26日 コメント(12)
★耳が痛い言葉 2017年11月03日
★受け継がれる 2017年09月01日