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身長165センチ、体重54.5キロ。バスト82.5センチ、ウエスト69.5センチ、ヒップ93センチでした。(ちなみにアンダーバストは69センチ)生まれてこの方ずっと痩せっぽち→華奢で通してきましたが、撤回させていただきます。自分=太っていない、というイメージに寄りかからず精進していきたいと思いますので、なにとぞよろしくお願いいたします。でも、一言二言いいわけさせていただきますと、決して太ったことを悔いているわけではありません。病弱に見られたり、実際体が弱いことのコンプレックスやジレンマがあったので、ふくよかになっていくことはなかなか楽しいことでもありました。まあ、夫がふっくらした女性が好みで「もう少し太った方が」という人でもあったのですが。そしてレッスンを重ねて、上半身が厚みを増していったのも、成果の現れだと思っております。しかし自分はずっと痩せていたという経験とイメージとこれまでの無茶から脱却し、自分の体に対して責任を持って取り組まないと際限がないと、ここに敗北と自分の中年期を宣言し、体との真剣なおつきあいを決意するものであります。毎月、スリーサイズと体重、記録していきます。
2006.01.29
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昨日のショックがまだ少し残っている。自分が悪いんだけれど、あと3日で14万円作らなければならない。携帯が止まってもう1週間、月末解約の危機。突然の賠償請求。まだ続くチケットの払い戻し。今月の給料はもうとっくに生活費と昨年末の借金返済に使ってしまったし。時給900円生活の経済危機。ようやく訪れた休日。大根と豆腐とワカメのみそ汁を作って、梅干しとパルメザンチーズ胡麻しょうゆのおにぎりを握って食す。昔、自営で職人で朝から晩までとてもよく働いていた友人が、恋人とのものすごい修羅場の後でも「なんのかんの言っても、日本人、おにぎりにお茶かみそ汁飲めたら人心地ついちゃうんだよね。」と「じゃ、○○くん駅まで送るよ」とものすごい立ち直り(気分転換)を見せる人がいた。なんかちょっとそれを思い出してしまった。開業資金の借金や離婚の慰謝料とか、モテるせいで絶えないいざこざとか(女癖がまあ悪いのだ)、そんなことをこうやってやり過ごしているのだなあと思った。彼は胃弱なせいもあったのだけれど、彼の仕事中の主食はベーグルで、夜にはお酒を飲むので、日中はそのベーグルのみ。「食べたくないけど、食べなきゃ持たないから、腹持ちのいいベーグルを食う」そうだった。わたしもそれに倣って、仕事中食欲の無いときは(ってわたしの昼食時間は11時なので)ベーグルを食べるようになった。わたしは一応サーモンやハムの挟まったものを食べますけれど。舞台や映画の撮影やバイトを掛け持ちしていてとても忙しい時、通りがかりの店先にいる彼に声をかけると、「飯食ったか、これもってけ」とベーグルの入った紙袋をもらったことがあった。今日のメインディッシュだろうに。飯を食えばなんとかなるというのは、食べ物にあまり興味がないのか、とても大事に思っているのか、とにかくその明快な思想には、今は励まされる気がする。そういえば、おにぎりといえば役者の主食のようなものでもあり、『愛していると言ってくれ』では常磐貴子いつもおにぎり食べてたし、とにかく手間とお金がかからず稽古場に食事を持ち込もうと思ったら自分でおにぎりを握るしかない。先日の舞台でも、ベテランの役者さんが、やっぱり手間ひまを惜しまず、きちんとご飯やおにぎりを用意してくるのを見て、「続けるってこういうことなんだなあ」と関心したり反省したりしたところでした。人生進むにつれ、どんどんお金はなくなっていく気がする。一番化粧品にお金をつぎ込んでいたのは二十歳くらいの事だし、結婚したころは旅行にも行けたし、フレンチだってカジュアルなものだったら食べにもいけたけれども、今はもう考えられない。きっとまだ絞り込むべきことと、やってみることがあるんだろうな。彼が食事はおにぎりやベーグルで十分だと見切ったように。
2006.01.28
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今の職場に移ってきて1年が経った。ここで働き始めたとき出会ったのが、ヒラオカちゃんである。店長からは「姉妹か!おまえらは」と言われたことも度々。しかしどこが似ているのかは、本人たちには全くわからなかった。彼女は神出鬼没で、ここ半年ほどお目にかかっていなかったかもしれない。先日あったらいきなり「鉄割アルバトロスケット知ってます?」と聞かれた。店のディスプレイは全て彼女によるもの。深夜や早朝に来て作業する。記録ノートを見ると、たまに出勤して猛烈に徹底的に掃除をしていっているようでもある。わたしは掃除は苦手な作業で、接客や調理と平行して行うことがどうしてもできない。最近なんとなく、店長が代わり、会社のシステムも厳しくなって(商社が経営しているの・だから時給を上げなくていい大学生が採用のメインなのだ)、店長がアメリカ帰りだったり、企業っぽい考え方の人だったりして、それに呼応するかのように会社の面接みたいなきれい事を言う人がいてちょっと恥ずかしい。「CSのチェック項目は190点台ではなく、わたしは200点満点を目指します」とか、「お客さまに満足していただく接客ではなく、驚ろかすくらいのサプライズのある積極的な接客姿勢」とか。大学生には多かれ少なかれそういうところはあるものかもしれないけれど。(そういえば最近カフェやチェーンのお店に行くと若い店員さんがすごく丁寧で、わたしはあれも結構うっすら怖いと思ってる)そんな中にいて、ふと「あ、似てるかもしれない」と思った。わたしはそんな風に先導されたら、一線をひきたいし、数字のために仕事はできないなあと思う。だってバイトだし。どこかで手を抜く。もしくは離す。自分のできることの質を落とさないために自分は丁寧にやるんだし、彼女も掃除をするんだろうと思う。そんなヒラオカちゃんが、写真に転向しようかと思う、なんて話をする。店のディスプレイの写真は、前から彼女の写真なのだけれど、特に何があると感じるものでもなかった。基本的にはそれっぽくて客席と調和のとれたものを選んでいたからかもしれない。わたしは学生で写真を撮る女の子にわたしがあまりいいイメージを抱いていない。自分の通っていた学校にもたくさんいたし、写真よりも自分を見せたいような人が多かったし、自分自身もバブルの頃もてはやされた学生女性写真家のその後という役を演じたことがあり、ずいぶんそんな話を聞いたからだ。でも常に、芝居の宣伝美術に使う写真や、舞台写真を撮ってくれる人を探している話をすると、やってみたいと言ってくれる。それにはまず、彼女の写真を見ないことにはどうにもならない。で、「焼いたばっかり」から「昔外国に行った時撮った写真」まで、たくさん持ってきてもらった。さあ、わたしの作品をみてください、という段になるとちょっと緊張する。責任も感じるし、こちらの資質も問われているような気がする。気を引き締めて、ページをめくり始める。彼女の写真は、、なんというかとても静かな感じがした。見て見て個性的なわたしを見て!という暑苦しさも、夾雑物もなく、対象に予想されがちな雰囲気に流されることもない。本当にそのまま写っているし、彼女の絵を思わせるような淡い印象すらある。「人はあまり撮らない」と言いつつ、子供の写真も、外国での写真も、彼女の気負わなさが幸いするのか、なかなかいい感じ。見終わって、写真を借りて帰り、夫にも見せてみることにする。久々に背筋の伸びるような緊張感でした。自分が見て、感じて、考えて、それを言葉にすることを求められるということは。(芝居のことなら夫に従えば・委ねればいいという事に慣れすぎて)自分のために、もう少し勉強しなきゃなあという気にさせてくれました。ちなみに夫もほぼわたしと同じ印象を持ったようです。チラシはまだ考えもつかない(内容ができていないので)けれど、劇中に是非使わせていただきたい(写真を映写するという演出プランはいつも嘘のようになかったことになる)という希望を抱きつつ。
2006.01.24
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今日は少し寒さがやわらいだ上に、週末で、バーゲンで、おまけに午後から雨が降り始めたので、駅ビルの混雑ったらない。ウチの店も午後には夜の分の食材さえ使い切ってしまう始末。いつものようにまた残業をお願いされるけれど、今日だけは美容院の予約をとってしまってあるのだ。「美容院どこ?」と聞かれ、店から間に合うギリギリの時間まで働くことに。おかげで、雨の中、白衣にエプロンの制服にコートを羽織り、着替えを抱えたまま青山のサロンまでダッシュ。サロンのトイレでそそくさと着替える。明日の撮影はワヤになってしまったものの、オーダーしていたわけではないのに、美容師さん達が「撮影らしいから」とカラーの時間をとっておいてくれて、ほろっと嬉しい。昨年から自分で切っていた前髪をようやく手入れしてもらい、いつもの色味に染めてもらい、カレー臭い髪も真っ先に洗ってもらい、「バイトの制服のまま濡れネズミでノーメークなんて、ちゃんとカットしてカラーして、ブローしたらそれなりに見えるのにもったいない」とリップサービスもいただき、ようやく人心地がつく。窓の外は雷。街路樹の枯葉が、風が吹く度に大粒の水滴とともに吹き付けてくる。「これから一人メシどうしようか?」と考える。表参道に新しくできた地下街でも行ってみようかとも思うけれど、多分もう身体が持たないだろう。夫に電話してみると、もう新宿についており、駅の周辺で飲み始めたところだという。そう、今日は墓参りの日だったのだ。この日記にも書いたことがあるけれど、去年のお正月に亡くなった夫の親友のお墓参りだ。仕事終わりの開放感、久々の一人の時間(年末からずっと実家と職場を行き来していたので)という欲求がすっと消え、なんだか無性に合流したくなる。夫と夫の師匠でもあり、友人でもあるSさんは順調に飲んでいた。大雨の中のお墓参りだったらしく、夫は席で靴下を乾かしながら裸足で飲んでいる始末。大雨で、雷まで轟く歓待ぶりでした、と二人。その後、やはり古い知り合いであるソノダさんもやってきた。25年以上も濃密に知り合いだった人達の会話。そして彼らが偲ぶ、同じく濃密に時間を過ごしてきた人。1年が経って、お墓を見て、ようやく少し落ち着いてこうやって話をしているのだなあというのがよくわかる。わたしは一度も会ったことのない人だけれど(電話にでたことはある)、わたしと同じ病気が元で亡くなった人なので、ワーファリンなどお馴染みの薬の名前が飛び交うと、知らない人の話ではないような気がする。年末にも知り合いが一人、その病気になってしまったりして、なおさら自分の遠くない死を想像してしまう。40代になって、こんな時間を分かち合った友達とわたしは飲んだりできるんだろうか?わたしが死んだ後、こんな風にわたしを偲ぶ友人はこの世に存在するのだろうか?笑いながら夫はときどきぷにゃっと涙を浮かべたりする。つられてわたしもぷにゃっと涙がでそうになる。
2006.01.14
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本日、里帰りしていた妹夫婦がロンドンに帰る。生後半年になったリュウノスケともお別れ。朝5時にベビーベッドに迎えに行くと、なかなかのご機嫌。外出着を着せて、おじいちゃんにご挨拶。今回の滞在で、妹夫婦から「リュウノスケのゴットマザーになって」と頼まれたのだけれど、何だそれ?とにかく誕生日に忘れずカードを送るだけでいいのだ(一生)と言われ了承した。でも妹夫婦に何かあったら、わたしが育てたりするかもしれないんだなあ。子供が好きか、リュウノスケが好きか、という質問を何度もされたけれど、未だによく分からない。世話が必要なものが目の前にいるから世話をするということで精一杯なのだ。リュウノスケの面倒をみつつ、ビワ子やチーさんにも構いつつ、わたしは本当はシンプルに動物好きなのかもと気づく。子供の頃は祖父が「庭木が傷むから」と、動物を飼うことを嫌がり、もっぱら魚や小鳥、リスやハムスター、ニワトリなど、なつくと言う言葉には縁遠い手間のかからない小動物ばかり相手にしていたから考えたこともなかった。犬怖いし。でも言葉や理屈や感情が通じない生き物をなんとか生かせようとする、大事に思っていることをわからせようとする、共存しようとする、というのはわたしの性には合っていると思う。これが喋る子供になると、現場で子役なんかと一緒になると、気を遣ったり、こっちが引いてしまったりして上手く行かないのだ。次に会うとき、会えるとき、リュウノスケはどれくらい大きくなって、何語を喋っているのだろうか。後頭部の「寝ハゲ」からは本当に毛が生えてくるのだろうか。髪の毛は何色になるのだろうか。今回の滞在で、ジョーと夫は随分話をして、夫も「ロンドンに行きたい」と言い出した。会える日も近いかもしれない。次に会うときは人見知りするオバさんになっているかもしれなけれど、よろしくお願いいたします。
2006.01.13
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夕方、妹夫婦の友人であるキースちゃんが来た。ロンドンから里帰りした妹夫婦の元には連日、友達が訪ねてくる。おせちの残りと簡単なおかずでキースちゃんを交えて夕ごはん。妹は彼を「キースちゃん」と呼んでいるものの、妹のダンナ・ジョーの弟を妹の言うとおりずっと、本人にさえ「アンガスト」と言っていたら、先日ジョーに手紙のスペルをチェックしてもらっているとき「オウ、t、イラナイ」と言われ、そこで初めて彼の名が「アンガス」であることを知った(この事件から自分がずっと当たり前だと思っていた常識が覆ることを「アンガストショック」と心の中で呼ぶことにしている)ということもあり、「キースちゃん」の本名も不確かなままである。(ちなみにアンガスは日本人の親友が自分のことを「アンガスト」とずっと呼んでいたので←妹はそれに倣ったのだ「日本人はそうしか発音できないらしい」と思っており、彼もその親友の名前を長らく間違って呼んでおり同じような「アンガストショック」があり、余計に寛容になったらしい)キースちゃんは、うちの実家に訪ねてくるのは二度目だけれど、祖母はしっかりキースちゃんを覚えており、かなり彼を気に入っているらしい。「色白で太っていて本当に可愛い」と祖母。そう祖母は、イケメン力士がすごく好きな人であった。(ちなみに風呂上がり裸で廊下を歩く祖母は我が家の名物、今回もまたやっちゃいました!)年末から連日、日本酒大盤振る舞いモードになっている父。もちろん「飲めんだろ、外人なんだから」とキースちゃんにも勧める。「コップになみなみ注ぐのが日本酒のルール」と父。キースちゃんは、まじめで禁煙を守り、日本語も上手くて敬語を通す。正座もできる。父が次々に出してくる一升瓶のラベルの感じを一生懸命読んでくれる。そして八潮市の中学生のガラの悪さを一生懸命説明してくれる。そんなキースちゃんが、悪い言葉を喋れると口にしたのが、「ケツの穴が狭い」だった。意味は分かるが、なんかおかしい。笑っていると、「ケツの穴が狭い、間違ってますか?」「ケツの穴、失礼でしたか?」と不安になるキースちゃん。「いや、ケツの穴は間違ってないけど、狭いじゃなく、小さいだよ」と、家族みんな気づけば、親指と人差し指で穴を作って、キースちゃんに示している。なんだか狭いだと、マズイような気がする。実感な感じがするよなあ。何かがお尻の穴に入ってきたり、もしくは小人になって肛門の中を探索しているような・・・。そんなことをなんとか説明しようと、テーブルに「ケツ」という言葉が飛び交い、みんなが手で穴を作る。聞き取れないジョーが、「何?」と説明を求めると、今度はジョーと妹とキースちゃんとの英語の会話の中にバンバン「アスホール」という言葉が飛び交い始める。おバカである。酔いと、恥ずかしさと、笑いすぎで一同顔が真っ赤になる。父が今度は八海山を持ってきて空ける。終電で帰るキースちゃんのリュックに、父は半分残った八海山の一升瓶を勝手に仕舞う。男と抱き合うなんて気持ち悪いよという父にキースちゃん無理矢理ハグ。深夜「どうやって帰ったかわからなけれど家に帰ってました。八海山はおいしかったです」とメールが来たそうだ。初笑い、死ぬほど笑いました。両親とあんな下品な話題で笑い合ったのは生まれて初めてです。ありがとう、キースちゃん!
2006.01.02
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