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A社の引落しの明細を開けてみたら、請求額は8万9千円とちょっとだった。B社のも開封してみたら1万1千円、合わせて10万円が今月のオレ個人の引落し額だ。って、今日入る給料っていくらよ?年末体調を崩して随分休んだし、今の職場は年末年始は休業したので、通常より見込めないはず。ま、しかしA社は来月、B社は今月でローンの返済は終わる予定。(買い物のローンは別にして)昨年の芝居の借金がようやく返せる。もっとも夫の方はあと3年はかかりそうだ。しかし10万はあんまりだ!原因の一つは東急ハンズの店員が、こちらに承諾もなく支払いを一括で処理してしまったからだ!きっついなあと思ったけれど、急いでいたのでやり直ししてもらわなかったのだ。(ちなみにその日の夜倒れました)それと大学の卒業時以来のスーツを11月に新調した支払いもまだ響いているし。だいたい芝居やってをやっていることと、月収が12万くらいなのに、毎年イギリスに行くこと、イギリスに行くたびに周囲の人にプレゼントを買いそろえること、クリスマスにはプレゼントを贈ること(航空便で)のイギリス関係が、2大支出なのだ。銀行に行ったら、給料は9万8千円でした。年末から実家で療養していたので、出費もなく、引落しのあと4万円くらいは残るんだけど。で、問題は今月劇場を契約したこと。頭金の10万円、先週5万円払って、月末に残りの5万円払わなくちゃならない。どこを振ってもお金はない。ただ昨年、チケットぴ代金が振り込まれる口座を解禁した。あと5万円は残してある。とりあえずはなんとかいける。あとは、スタジオ代(もちろんタタキ作業ができるところ)、チラシの印刷代、普段の稽古場代の工面だ。補助金や助成金をもらって、液晶テレビを買ったり、劇団員に時給を出したりできるところが羨ましい。っていうか、羨ましいと思うこともあまりなくなってきた。今年もCFの一本でも取って、臨時収入を得なくっちゃね。給料日なので、仕事で使う補正ベルトを着物屋で買う。マーさんのお見舞いに行っていた夫と新宿で合流。今年初めてのデート、いつもの「かり屋」と「どん底」コースなんだけど。マーさんは退院の予定。今年もいい年でありますように。
2007.01.25
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本日は一人でマーさんのお見舞いに行く。家を出て財布を忘れたことに気づくけれど、引き返すのもなんだし、幸い夫のキャッシュカードがポケットに入れっぱなしになっていたので(残高数千円だけれど)そのまま出かける。お見舞い品は、本もお菓子も飽和状態のようだし、日用品や衣類を受け取るのを遠慮する感じがあったので、外出許可も出るというマーさんにマフラーを買っていく。ユニクロだけど。なんにもないつくばエクスプレスの三郷中央駅からタクシーに乗って病院へ。途中、病院から歩いて駅へ向かう、高島女史とシナちゃんとすれ違う。前に他の入院患者さんのご家族から「入院されているのは会社の上司の方?」聞かれたくらい、家族ではない年齢層の広い見舞客が多いのは不思議な感じがするらしい。タクシーを降りると、病院玄関に杖をついて歩くマーさんの姿が。外出許可証を首から下げている。「待ってる?それとも一緒にいく?」と聞かれる。一人でずっと話をするお見舞いよりも、外出に便乗する方が楽しい。そして歩いて、活動するマーさんを見ている方が楽しい。最初の入院からずっとマーさんのサポートをしているアヤさん達の車に乗り込み、再び三郷中央の駅へと戻る。お見舞いに通うわたしたちにとっては、見慣れた景色だけれど、病院に搬送されてからずっと入院していたマーさんにとっては初めて見る景色。駅前のなんにもなさに驚嘆するマーさん!駅前に来たのは、スーパーで証明写真を撮るため。障害者手帳の申請のための証明写真だ。「どのサイズだろう?」と迷うマーさんに「この大きさ」と教えてあげる。今まで教えてなかっただろうか?マーさんはわたしが身体障害者手帳を持っていることを知らなかった。「えっ、ええっ」と驚かれる。「何級?」「3級とか2級」「すごいじゃん」「要介護ってハンコも押してあるよ」。「それで、ええ、舞台やって、朝まで酒飲んだりしてたの?」と改めて驚かれる。そうなんだよ。走ることも、徹夜も、お酒を飲むことだってできなかったんだよ。でも今はできる。そうか、マーさんだってできるかもしれないんだな。体の回復だけじゃなくて、出会いとか、チャンスとか、実になること、学んでも逸してしまったことあって、遅々と今くらいのことができるようになったんだなあ。できるようになった過程には、マーさんとの出会いっていうのもかなり大きかった。わたしの思っていた、ものを作るとか、取り組むということの天井をみるみる高くしてくれたし、芝居(演技)のことを相談できる数少ない人で、ホンをしっかりきっちり読むところも尊敬するところ。できあがった証明写真は、すごく元気そうだった。病院というところに暮らすと、人間なんか優しく、覇気のない感じになりがちだけれど、またあのギロっとした目の光りが戻ってきた感じ。証明写真のあとは、スーパーで買い物。ドラッグストアでは少しはしゃぎ気味、そしてちょっと秘密の買い物も・・・。退院後はそのまま東京を引き払っていくのだそうだ。でも先の予定がたつと、元気がでるのも事実。回復は見込めないだろうと言われていた手指で、今は地図も描いているマーさん。帰りはアヤさん達の車に乗せていただき帰ってきました。ありがとうございました。そして夫にマーさんの秘密の買い物の話をしながら。
2007.01.21
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すみません、またテレビのしかもNHKの話で申し訳ないのですが、今夜はイギリスの田舎町コッツウォルズをやっていたので見ちゃいました。一年中、代々伝わる家や庭を手入れして一生を終える人はイギリスにはたくさんいる、そういう人生ですらきちんと小説に成りうるのだいうようなことを保坂の本で読んだことがあるけれど、まさにそうやって暮らす人々を追った映像でした。舞台はチッピン・カムデン。一昨年、母と旅行した村。っと思ったら、お父さんが憩いのひとときを過ごす昔ながらのパブに見覚えあり。Eight bellsというB&B。このパブで食事をし、ここの2階に泊まったのだった。外観も看板も映ったので確認できました。「このおっちゃんがご満悦にしているまさにこのテーブルで食事したのよ!」「日本人の思いっきり緊張した母娘がここで食事してたら浮くのわかるでしょ!」と夫に訴える。あそこでビール飲めなかったことがずっと心残りだったんだ。あの日も遅くまで盛り上がってたなあ。(土曜だった)ここなら神社もありそうと夫がいう風景。日本人だったら絶対水田にしちゃうよなあだって。ジョーの家族と行ったベリー摘み。シェパードパイ。そんなことも思い出す。そして蜂蜜の採集方法のなんとシンプルなこと。あの石垣の粗さとか、家の造りとか、庭の草木の生え方にもあるその感じ。なんとなくイギリスとはこんなところかと初めて感じた場所だったので、楽しく見ました。もちろんイギリス人のように暮らすことはできないし、暮らしたいとも思わないけれど、あの繰り返しを厭わない質素な暮らしに、どこかほっとするのでした。
2007.01.15
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やっつけで一週間ばかり勉強して望んだTOEIC本番。夫がお父さんのように送り出してくれる。試験会場は吉祥寺の某大学。自分が通っていたのは、全学生300人程度のこぢんまりした大学・都会の狭い敷地に何棟もの校舎がぎゅっとせめぎ合う大学・郊外のだだっ広い敷地に低層階の建物が点在する大学に通っていたので、そのどれにもあてはならない、テレビドラマに出てくるようないわゆる大学っぽい大学で試験を受けられるのはなんか嬉しい。試験なんて10年ぶりくらいだろうか?若干緊張しながら、リスニング試験が始まる。集中力に欠けるところのあるわたしは、簡単そうに思えるこの科目に模試では結構弱かった。で、試験を受けながら、集中力のなさをまた実感してしまったのだけれど、それはなんでかというと、質問に対する答えを一つ選ぶ際に、「ジョッシュはいつ休暇から戻るのかしら?」と問われたら、「来週の木曜の予定です」より、「ジョッシュはよく働きます」とか「これはすごく大きいですねぇ」とか、間違っているけれど、それはそれでこのあとどんな展開になるんだろう、嫌いなヤツにはこんな返しでいいよな、という考えにしばしば心を奪われてしまうのだ。もともとわたしは、日本語教師を目指して、言語学なども勉強していたのだけれど、あのときもやっぱりこうやって逸脱して、演劇にシフトしていくはめになったのではなかったか?言葉を説明するための用語すら面白かったし、会話が成り立たなくなる条件や法則について(会話が成り立たなくなる答えの質5種類とか)も、でも結構芝居だったらそこから始まることが多かったから、どんどん空想が広がってしまい、ついぞその勉強をまっとうすることができなかった。でも、今でもそうなんだから、これはわたしの根深い習性なのではないだろうか?(そんなわたしが現実のコミュニケーションがからっきし苦手というのも悲しいけれど←やっぱり心ここになくなっているからだろうか?)事前に配分計画を立てた時間配分通りになんとかマークシートを埋める。もちろん全部解く時間はないので、設問ごとに時間を決めて間に合わなかったら塗りつぶすだけ。めざせ470点。でもこの期間に前置詞は得意になりました。(妹も前置詞ならまかせとけとか言ってたな)次は3月か4月に受けてみる予定です。久しぶりにワンワンでかけご飯を食べて帰ったのでした。荻窪でも納豆売り切れだったよ。。。
2007.01.14
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わたしがNHKの番組で大好きなのは『世界ふれあい街歩き』なのだけれど、「報道ステーション」が始まるのが少し遅かったので、たまたまNHKをつけておいたら、『プロフェッショナル』が始まり、そしたらなんだか目が離せなくなってしまったのでした。今回は会社や店の再建に取り組む弁護士。倒産や破産をさせないで、なんとか再建させるという仕事。なんかねぇ、ダメなものは切り捨てるとか、そうなったのも自己責任とか、利潤の追求とか、そういう風潮の全く対極の仕事をしている人がいて、それが仕事になっている(そういうことは仕事にならないという風潮の中)という発見。まずは経営がたち行かなくなって駆け込んで来る人たちを責めないこと。そのひとたちは、もうフラフラだから。そして徹底的に数字を検討して、法律を武器にして、対策をたてて、あとは債権者を説得する。倒産させて、資産を処分するより、借金を減額して将来に渡って返済していく道を説得する。ダメになった企業は全て救う措置が必要、なぜならばそれは人命の問題だから。弱い人に手をさしのべる、なんとかできる道を探す、言葉をつくして人を説得する、命を守る。当たり前のようだけれど、どれ一つ自分には現実感がないし、真剣に取り組んだことがない。弱っている人は助けるものだという考え方に目から鱗が落ちてる自分に目から鱗だ。そして最近の「いじめ撲滅」キャンペーンの新聞やテレビの嘘寒さに較べて、命を救うというこの気迫。わたしが、ぱったりレッスンに行かなくなったのもなんかそんなことを感じたからだと見終わってから思って、そして最もあの弁護士さんのように仕事をする知っている人は師匠であったような気がする。自分も確かにとても絶対に弱かったのに。弱さが絶対に自分に含まれているということも忘れていたなあと。それを含まないものには知らず知らず抵抗感を感じていたのだなあと。なんかこう、心に残ったのでした。
2007.01.11
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TOEICの勉強を2学期直前の小学生みたいな切羽つまり方でやっているのだけれど、本日へこむ、しぼむ、挫ける。自信喪失。朝から夜まで通しの勤務で、お昼の休憩中「早くもあんた今夜の外人客の担当に決まってたよ」と複数の人から教えてもらう。そのお席はヨーロッパ某国の大使、わりに遅い時間の来店予定だ。通しの勤務なのでできれば早く帰りたいし、仕事の流れによっては遅番の人が担当するかもしれないと言われる。しかし17時。「外国人のお客様お願いします」とコール。まったく別件の外国人グループを任される。外人客だったらオレなのかい?日本人も同数だったので、英語メニューを添えて、滞りなく終わらせる。そのあと接待の席を一件、その途中「大使様ご案内中です。担当お願いします」コール。英語のお品書きとワインリスト、ドリンクメニューを携えて客室に走る。大使はご夫婦での来店だった。もちろん同席する日本人はおらず、大使ご夫妻は日本語は話せない。担当はわたし一人。他に英語の話せる接客係りはいない・・・。週アタマからリスニング対策の勉強(シンクロリーディングなど)をやっているのに、ブツブツとカタカナで喋るような単語しかでてこない。お二人とも社交の場ではないからか、必要以上に会話もなく、笑顔もない。これがプレッシャーでさらに英語が出てこない。オマケに部屋の外には、ソムリエや、店長や支配人、料理長までが、様子はどう?と聞いてくる。どうもこうも料理を出すだけで、出して英語で料理名を言うだけで精一杯なのだ。本来なら、コミュニケーションを充分にはかり、嫌いなものや好きなものを聞き出したり、来店の理由がお祝い事であったらサービスをしたり、そういうサービスをするという店の方針なのだけれど、今日は無理!なのだ。英語で話す方が楽だ、普段はできないアプローチができると思えたのは数ヶ月前のことなのに。イギリスへ行って戻ってきて、ノリで喋れた財産がもう尽きている。そして粗相のないよう丁寧に、かしこまってという態度と、英語で積極的にという、言葉に伴う態度が、自分の中で全く合致しないのだ。今日はかなりかしこまって萎縮する方向に引きずられている。時々英語に堪能な舞妓さんとか、銀座の一流ホステスさんがいるというけれど、そういうひとたちは、どう折り合いをつけているのだろうか?地位のある方なので、門外までお送りをする。店の重役達も一緒に送るけれども、道々話す言葉がない。大使は店長に、次の予約を入れたい旨を話していた。本来ならそういうこともわたしが席で承っていいことなのだ。お帰りになったあと、わたしの焦り具合と暗い表情をみて、「本当はどれくらい英語できるの?」と重役達から聞かれてしまう。できない顔してたんだろうなあ。社食でもツッコミキャラの同僚に、「で、あんた喋れなくて単語だけ並べてバカのフリしてたんだ」と笑顔で。フリじゃないです。バカなんです。日曜日のTOEICの試験大丈夫かなあ?勉強しますんで、しばらくオレにふるの勘弁して下さい。
2007.01.10
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ロンドンで暮らす妹は、一昨年は「願いが叶う魔法の手帳」みたいなものを使っていて、「なんで?」(実はわたしも使っていた、芝居が終わって心機一転するのにちょうどいい11月始まりだからである)ときいたら、出産に備えて毎日体調や、準備したことを書き込めるし、手帳くらいは日本のもので、もっといえば日本語がたくさん書いてあるとほっとするというのだった。でまあ、昨年末クリスマスプレゼントとして、思い立って「ほぼ日手帳」を送ってあげることにした。ついでに自分用も買ってみることにした。レジで二つ合わせると、手帳らしからぬ値段になり、慌ててカードで支払ってしまった。クリスマス5日前に送ったその手帳は、今日届いたらしい。(お正月飾りも送ったのに、悔しい)で、わたしの手元にも一冊あるのだけれど、未だまっさらなのよ、これが。「楽しいことを一杯書き込みましょう」「個性的な使い方ができます」そう言われれば言われるほど、下手に何も書き込めないでいる。新しいノートをおろすのにすごく緊張するタイプなのだわたしは!ただ一言12月の終わりのところに「practice!」と書いてある。なんかテレビを見ていて、外国人の禅の坊さんが、「禅とはプラクティスだ」と言ったのだ。修行して、鍛錬して、身に付くもの。貯めておけないもの。ピアノの練習とか、勉強しつづけないと喋れなくなる英語とか、なまる身体とか、まさに芝居そのもの、わたしが日々振り回されていることそのものだと走り書きしたのだった。それ以外はまっさら。「わたしは心臓機能障害です。かかりつけ医は~」というノーティスのみ。携帯を持ち歩き始めてから手帳は形ばかりだし、気に入った手帳ほど使わないで終わるのが常。この手帳の場合は、値段と先行する前宣伝を気にしすぎるのかも。「わたしそうそう面白い日々送ってないもんな~」と今日も書き込めず。きっと次の芝居の公演予定がたってないせいもあるのだけれど。オレの人生大丈夫かな?不安な正月明けでもあるのでした。
2007.01.09
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今日から出勤。年末仕事中に倒れて実家に搬送されて以来久しぶりの職場でちょっと緊張。すれ違う人すれ違う人に「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」と頭を下げるのでなかなか前に進まないのが微笑ましいお正月。と、休憩時間に同僚の女性が老眼鏡と新聞を取りだして読み始めた。「気になってたけど、お正月はバタバタして読む暇なかったのよね」と。彼女が読もうとしていたのは、朝日新聞で元旦から掲載されている「ロストジェネレーション」という連載記事だった。25歳から35歳の日本が最も豊かな時代に生まれて、社会に出る時期には戦後最長の経済停滞期で、時代の荒波にさまよう世代を、アメリカのかつての既存の価値を拒否した世代の呼び名にならって日本の「ロストジェネレーション」として考えるという主旨みたいだ。わたしもその世代の中に含まれるので毎日読んでるけど、休憩室で読んでいる彼女は娘さんと息子さんがまさにその世代で、就職!みたいなことをせず、結婚せず、バイトをして留学したり、テントを背負って海外を放浪したりしているという話は聞いている。36、37歳の人も職場にいて、ほんの数年の違いで、社会の状況というか待遇というか滑り出しは全く違っていたらしい。就職は売り手市場だし、就職したら大事にされたし、景気もよくて女性だったらおごられるのが当然だったと話す人もいる。いい学校に行って、いい大学に行って、いい会社に就職する・・・という公式がまだゆらぎなく通用した時代だったのかも。その新聞の彼女は、よくいうのだけれど、新聞を読んでさらにまた繰り返す。「今の若い子は可哀想。わたしたちの若い頃は頑張ればなんとかそこそこの暮らしができたけど、今は頑張り続けることも難しいし、そこそこがとてもはかなくなってるのよね」ささやかに充分幸せの根拠が危ういのか、ささやかに留まるとどんどん取り残されていくのだろうか。彼女は芝居をやっているわたしをそうやって「だからあえて好きな道を」と励ましてくれていて、娘さんと息子さんを見守っているのだろうと思う。言葉の深い意味はわからないけれど、時代の違和感みたいなもの、彼女の世代に普通だったものが普通じゃない諦観と憐れみみたいなものはなんとなくわかる。もちろん経済状況とか時代とかで、そんな子どもの世代に強く出られなかった、その親の世代も何かを失っているようにも思うんだけど。前のバイト先が学生ばかりの中、店長と同い年で、店長はよく「オレらキムタク世代ですよ」「ガンダム世代でした」とか言ってたけど、そんなんでいいんじゃないの?ロストジェネレーション「~踏み台世代~転身世代~反乱世代~仮面世代~自分探し世代~消耗世代~起業世代~難婚世代~愛国世代~脱レール世代~まじめ世代~創造世代」などど並べ立てて、あまり心優しいお母さんを心配させないでいて欲しい。そして年の始めから、あまり括ったり名前を付けたりしないで欲しかったかも。って、実はわたしもその下の世代を「歩くゆとり教育の弊害」って呼んでるんですけどね。今年最初の東京タワーの灯りを見ながら。
2007.01.04
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初詣の帰りを、ベランダの端っこにとまってお出迎えしてくれているビワ子。昨年めちゃめちゃ効いた、近所の某神社のダルマを今年も買いました。
2007.01.01
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