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さくらが私と同じスポーツクラブに入会した為、一緒に来ました。しかしやることは別。さくらのプログラム時間に合わせてしまうと私はやれるものがあまりありません。プールではアクアビクス終わっちゃってるし。仕方ないので、恥を忍んで背泳ぎのクラスに参加しました。私は泳ぎが下手で、特に背泳ぎは溺れてるのと間違われて以来、人前ではやりたくない種目。でもこれしかなかったので仕方なく参加しました。初心者のクラスでおばあさまばかりだったのでコーチはとても優しくて、親切でした。でもおばあちゃま達より下手な私って(>_<)今後の参加プログラムはさくらに振り回されそうですが運動することが大事なので頑張ります。 実は、私はまだ足が治っていません。ひどい筋肉痛だと思い、ヨガもやめてしまったくらいですが、やめてもずっと痛かったので、多分ヨガは関係なかったのでしょう。マッサージを受けるとよけいに痛くなり、もみ返しかと思いました。それでソフトなオイルマッサージを受けてみましたが、その日は良くても次の日にはもう痛い。「これ、筋肉痛じゃないですね。」と言われてしまいました。鍼にも行きましたが、治りません。だんだん座っていても痛くなり、私もこれは筋肉痛じゃなくて、坐骨神経痛かなと思いました。病院では筋肉弛緩剤と痛み止めと湿布をもらいました。湿布は貼り過ぎてヒリヒリと炎症状態になったのでやめました。薬はなるべく飲みたくありませんでした。根本的な解決にならないからです。ネットで調べて、坐骨神経痛は酷くなるとブロック注射で痛み止めをしたり、もっと酷いと手術だそうです。軽いうちは、体重を減らして腰への負荷を少なくし、筋肉をつけるくらいしか方法がないとか。しかし、痛いのに運動も気が進みませんでした。仕方なく、プールを復活しました。プールを中断した11月頃から痛いからです。最初は水中ウォーキングとアクアビクスより軽い水中体操からおっかなびっくり始めました。水の中だと身体が動くから不思議です。でも痛いのはすぐには治りません。その次、また水中体操に参加しました。ところが、これは私の見間違いで、アクアビクスだったのです。跳んだりはねたり、ありゃ~、足が痛いのにこんなことしていいのだろうかと思ったのが先週でした。そして、その日、クリーニング屋さんに寄り、そのそばに新しい整骨院が出来ていたので、だめもとで入ってみました。保険が利くから、だめなら通わなければいいわけです。足を20分間強くマッサージ、ストレッチを行ったので、あ、こりゃだめだ~、またもみ返しが来る・・・と思いました。その日は渋々痛み止めと筋肉弛緩剤を飲みました。翌日、驚いたことに足が軽くなっていました。アクアビクスが良かったのか、整骨院が効いたのか、薬が効いたのかわかりません。なので、今は約1日おきに整骨院に通い、アクアビクスにも参加し、薬も1日1回は飲むようにしています。しかし、今日のはどうだったのかな。プールのあと、スタジオのストレッチにも参加してしまいました。それから整骨院にも行きました。今はちょっと足が痛くなっています。まあ、一進一退って感じですが、動けるからこれでいいのかなあと思っています。
January 30, 2011
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今日ありがたいことにお休みを頂けたので、娘の学校の合唱祭に出かけました。当たり前ですが、私の頃と選曲が全然違う。私も歌ったなと思ったのは「モルダウ」だけ。あと、知ってた歌は「瑠璃色の地球」(よく歌われるらしい。松田聖子の歌が合唱曲とは・・・世代ギャップが大きい)[Believe][Tomorrow][YELL]この辺の曲はさくらの小学校でも高学年がよく歌っていました。あとは「手紙」は知ってたかな・・・くらいで、他の歌は初めて聴く歌ばかりでした。みんなどうやって選曲してるのかなあ。 1年生は「とにかく何を歌っても可愛い」と言われ、まあ、まだ幼いということもあり、ちょっとお味噌扱い? 審査員は学校の先生でなく、よく合唱コンクールの審査をやっている外部の方々に来て頂いていました。この方が先入観なく審査できていいですね。 さくらのクラスはTomorrowでした。さくらは小学校でも歌ったので2度目の合唱曲です。これがすごく上手くて、1年生とは思えない・・・私が親ばかなのかしら?と思っていたら中等部の審査で金賞!最優秀賞はさすがに3年生がとりましたが、1年生が金賞を取るのは30回目の合唱祭で初めてのことだそうです。校長先生も「1年生なのにすごいですね」と褒めてくださいました。朝練もやり、みんな本当に頑張っていたので、泣いて喜んでいた子達も多かったようです。 でもどのクラスも上手で頑張っていました。審査員がおっしゃっていたけど、やはり、選曲は大事だそうです。あまり難しいものを選ぶと歌いこなせないから、実力に合った歌を選ぶのがコツだそうです。Tomorrowはいい選曲だったと思います。 中学生も高校生も真剣に歌っていて、会場はシーンとして、みんな聴き入っていました。 最後に先生方の合唱もありました。嵐の「ワンラブ」でした。この時になると会場の雰囲気がガラリと変わりました。生徒達は声援を上げ、ペンライトまで出てきて、コンサートのような賑やかさ。とうとう、指揮者の先生が振り向いて生徒達の方を向いて指揮を始め、みんな爆笑しながら一緒に歌っていました。 そして、〆?なのか、グリーンの歌が流れたと思ったら興奮した高校生がバンバン壇上に上がってきて踊りだし・・・もう、次から次へと逆なだれのように、階段から駆け上がる子もいたけど、飛び乗っていく子たちの方がはるかに多く・・・カメラマンが慌てて撮影しようとすると静止することなく、壇上からバンバン跳び下りて、嵐のよう・・・私は呆気に取られていましたが、審査の対象にならないこの時間はもう、お祭り騒ぎなのでした。 最後の最後は校歌なんですけど、もうスクラム組んで歌いだし、結構厳かな歌のはずが、とても賑やかに終わりました。 私は見に行けなかったのですが、体育祭もかなり盛り上がって賑やかだったと聞いています。 先生も生徒も明るくノリが良く、オバサンの私はちょっと驚きましたが、楽しい学校生活の様子がよく伝わってきました。女子校って楽しいんですねえ・・・。私も通いたいです。
January 25, 2011
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何度パソコンを片付けたかわかりません。そのたびに泣き落とされ、「もうしないから」と泣きわめかれ、負けていた私。パソコン制限時間を守る、気づかなければ声をかけられたらやめる・・と約束していたのに声をかけられたら悪態をついたり声を荒げたりするので、そのたびに喧嘩。親子喧嘩のためにパソコンがあるわけではないのでパソコン撤去となるものの、「もうやらない」と泣いて訴え・・の繰り返しで疲れました。 私ではもう無理。 パソコンは夫に預けました。 夫はさくらがいくら泣きわめいても「うるさい!」で終わりです。というか、さくらはわかっているので夫には言いません。なので夫の手に渡ったことにショックを受けてずっとベッドで泣いています。重症なネット依存症になってしまいました。 私も始めると止まらないから人のことは言えませんが、私の場合はなくても生活できます。さくらは子供だからもっと気をつけなくてはいけませんでした。 さくらは父親に言えない分、私に言ってくるでしょうが私も腹をくくります。 私もさくらもテレビは見ませんが、パソコンにやられていたのですね。 携帯からしか書けないのでコメントを書けなくなります。 親子共に依存症から立ち直りたいと思います。
January 17, 2011
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キャンペーン中なのでさくらをスポーツクラブのヒップホップとエアロビクスに体験参加させてみました。ここのスポーツクラブは中学生から入れるのです。しかも会費が月3000円、他のダンス教室が安くても7000円くらいすることを思ったらかなりお安いです。高校生は5500円になるようです。 本当は成績が上がってからにする予定でしたが土日暇にしているとパソコンばかり、でなければ友達誘いまくって都心へ遊びに行ってしまうので、スポーツクラブの方が健康的かなあ、と迷っているところにキャンペーン(^_^;) さくらはヒップホップは初めてなので固まっています(笑)ヒップホップは結構上級コースなんですね。この他ジャズダンスもありますがさすが3プログラムは一回にこなせないので今日は体験しません。 スポーツクラブは中学生も可とは言え、やはり大人の世界です。同年代がいない中で楽しめるのかちょっと不安も。月謝は私がヨガ教室をやめたのでそれを回せばいいのですが。 勉強も気になるし、最近全然読書しないのも気になっていて迷いどころです。 《体験終了後》 さくらはエアロビクスの方が楽しかったそうです。やはりいきなりヒップホップは難しすぎ? エアロビクスはインストラクターもひょうきんだし、マイケルジャクソンのリミックスでやったので知っている曲だけに楽しかったのかな。 しかし、部活はジャズダンスなんですがエアロビクスでいいのかな?ま、さくらは見学した感じ、まだまだ身体が硬そうだからトレーニングは大事かも知れません。入会しちゃいました。夫に言ってないんだけど大丈夫だったかな。勉強も頑張ってもらわなくちゃ。ま、他のお子さんもバレエとかピアノとかまだやっているようだからいいのかな、と自分に言い訳しております。
January 16, 2011
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本日2回目の投稿。にんにくで元気になりすぎたか?さてさて、先日ブックオフに寄り、黒柳徹子さんの本を2冊買いました。初めて黒柳氏の本を読んだのは今から30年近く前だったと思う。あの有名な「窓際のトットちゃん」である。これは私にとって3冊目だ。読んでいて涙が出そうになった。黒柳さんはLDかと言われているが、トモエ学園で最適な教育を受けた。そしてそこで「みんなでいっしょに」という小林校長先生の素晴らしい教育を受ける。戦争で学校はなくなってしまうが、トットちゃんは約束を守り続ける。かわいそうだから差別しない、というのでなく、「どうしたらみんなでいっしょに幸せになれるか」ということをごく自然に実践できるのである。本当に教育の力って素晴らしい。対談相手の鎌田先生というドクターは拾われっ子だったそうだが、その事実を30歳過ぎるまで知らずに育った。貧しい家庭で大学進学も反対されたけれど、最後には「自分の力で生きること。人のために働くこと」を条件に父親の許可が降りる。鎌田先生の育ての母は心臓病で入院していて、お父さんは運転手をしていたので夜、一人でいることが多かった。近所の人たちに助けられて大きくなった。だから、自然に人を助けると言うことを身を持って学び、今、医師として、世界中の子ども達を助ける活動をしておられる。日本の子どもたちは物質的には恵まれているのに、今、不登校、いじめ、自殺、虐待など不幸せな事件が多い。無気力である。難民の子どもたちに自殺願望はないそうだ。必死で生きようとしている。日本では自殺する子どもがとても多い。なぜなのだろうか。これは、今、一言で私自身の考えを言うことは難しい。ただ、自分も含め、子どもたちも、人を助ける喜び、自分が役立っている、必要とされる喜びがないからではないだろうか・・・ということを少し思ったりはする。そんな単純なことではないのだけれども。私は過去を振り返ってみた。私は誰と何を約束してきたのだろう。私の子ども時代は貧しい部類に入ると思うのだが、ただ、当事は珍しくはない話だったので特に貧乏について劣等感は持っていなかった。私もやはり近隣に助けられていたと思う。近所のおばちゃんたちは、私のことをよく知っていた。だから、私が自転車になかなか乗れなくて、練習していて転んでばかりいたことも知っていた。乗れた時はみんな喜んでくれた。いつも、自分の子どもを怒鳴りつけているオバチャンも私が目を輝かせて自転車をガタガタ道で走らせていると家の前で手を叩いて喜んでくれた。そのオバチャンちでは子どもがちょっと、今で言う「虐待」に近い躾がされていて、長男は幼い時から立派な?不良だった。私より6歳くらい年上だったと記憶している。そのお兄ちゃんは乱暴な躾でグレていたのだが、私たち兄妹には優しかった。私がボールを転がしてしまうと拾ってくれたのを覚えている。兄も意地悪仲間からかばってもらったことがあるらしかった。だから、私は「不良」と言われている子どもたちだって根っこは悪い人じゃないって小さい時から肌で感じて知っていた。でも、目の前で万引きとかされると流石に引いたが・・・母はその住宅内では若い母親だった。みんなより年下だった。その母にどのオバチャンも親切だった。私が不当に怒られていると「あんなに親の手伝いをしている子をあんなふうに叱っちゃだめ」とかばってくれた。私には逃げ場があったと思う。隣に住んでいるおばさんは精神病を患っていたので発作が起きるとうちにも怒鳴り込んできた。押入れに俳優をかくまっているとか興奮していたのを覚えている。でも発作が起きていない時はやさしいおばさんでニコニコして私にお菓子をくれようとするのだった。そのおばさんを介護している老夫婦は大変そうだった。いつも小さくなっていた。うちに怒鳴り込んでくるので母はとうとう怒り、隣に文句を言いに行こうとした。私の父は大変な遊び人で困りものだったが、でもいいところがあった。「自分の娘がいつかそういう病気になったらどうするんだ。そういうことも考えろ」と母を止めたと聞いた。父もいいところがあるんだ、と初めて?知った。私が精神病にたいして偏見がないのはあの隣のおばさんのお陰なのである。私が不良とか呼ばれる子たちが実は心が優しいと知っているのはあのおにいちゃんのおかげなのである。そのおにいちゃんは少年院から刑務所、極道と走り、若くして死んだ。可哀想な人生ではあったけれど、私は忘れない。両親は親戚ともうまくいっていなかったから、私たちを助けてくれるのは同じように貧しい近隣の人たちだった。あの頃は虐待だのなんだのと言っても歯止めが利いたのではないだろうか。密室育児ではなかったから。虐待なんかしたら、知れ渡るし、止める人たちもちゃんといた。助けも求められる時代だった。私はオバチャンたちやおねえちゃんたちが大好きだった。まあ、その後、成人してからもいろんな出会いをしているが、私は誰と何を約束してきたのだろうか。少なくとも、あまり生かしてこなかった。これからどのくらい余力があるかわからない。でも、できることから始めよう。この本は私にそんなことを決意させてくれたのだった。
January 15, 2011
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新年は4日から働いて、先週も土曜日は働いていたので、今週こそゆっくり日帰り温泉にでも行きたかったのですが、月のものが来てしまい、断念。残念!てなわけで、今日はにんにく注射を受けに行きました。これ、疲労には効きますね~。プラセンタ注射より500円高いのが痛いけど、注射自体は静脈注射なので、筋肉注射のプラセンタに比べると痛くないです。前日、職場の旗開きとやらに参加して、帰りのエレベーターが激混み。足の丈夫な先輩が「階段にしよう」と言うのですが、13階なんですけどっ。しかもやっと足の痛みが治ってきたところ・・・10階まで頑張りましたが、後が怖かったのでそこからはエレベーターにしました。でも、筋肉痛が再発。これくらいで情けないです。よほど足が弱っているのだと思いますが、ビルの3階分って結構な量なんです。で、ニンニク注射はそこまで効き目はありません。なのでまた、マッサージ券発動。実はマッサージでも最近痛くなっていたのですが、オイルマッサージなら大丈夫とわかりました。で、ゲルマニウム温浴で足を暖めてから足のオイルマッサージ。今まで、あまりオイルはやりませんでしたが、やってみるとよだれが出るほど気持ちいいのです。もう爽快。しかし、残念ながら膝下まで。幸せなひと時でした。右足が張っていたそうです。オイルマッサージは気持ちいいけど、お金がかかるので、家で久々にリンパマッサージのDVDを見て脚だけやることにしました。家では適当なローションをつけてやっています。すべりを良くした方がいいみたい。3日坊主にならないようなら、アロマオイルを購入しようかと思っています。さて、前日に書いたテーマが受験関連だったのですごいアクセス数で驚きました。そういえば昨年もすごかったような・・・今後は平凡なズボラ主婦の健康テーマが多くなると思います。すみません。
January 15, 2011
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昨年の今頃を思い出します。娘は1月3日にインフルエンザにかかり、大慌てでした。10日は受験でしたから。確か、タミフルがよく効いて翌日には解熱、7日から塾に復活していたように記憶しています。解熱後2日は外出しちゃいけないんですよね。小学校の始業式にも間に合いました。昨年は流行が早くて、この頃にはピークが過ぎ、なんで今頃・・・みたいなインフルエンザでした。そうそう、そんな中で迎えた受験でした。前日には私の方が精神的に参っていました。さくらは冷静でした。毎月模試を受けていたので場慣れしていたのかも知れません。「模試みたいだった」と感想を話していました。当日、私は腕時計を持たせるのを忘れたことに最寄り駅についてから思い出し、慌ててバスで学校へ引き返し、自分の腕時計を学校の先生に、娘に渡してもらえるようにパニクりながらお願いしていました。でも、娘ときたら、「教室に大きな時計があったから、どっちみちそれを見ていた」ということで腕時計のことなんか気にもしていませんでした。この学校は2回受けました。1回目は休日だったので送迎しましたが、2回目は仕事だったので、朝だけ送り、一人で帰ってきてもらいました。この時、受験生は試験終了後、プラカードを持った先生方に誘導され、保護者の待つ体育館へ向かうのです。さくらは自分の親がいないことは知っていたけど、そんなことを申し出ても仕方ないのでプラカードの後を歩き、親がいるかのような顔をして体育館へ行って、それから一人で帰路に着きました。迎えのいない子はさくら以外、誰も見かけなかったそうです。そしてあまり慣れていない電車に乗ったら電車がいつまで経っても動かない。みんなどんどん降りていくので不審に思い、駅員さんに聞いたら事故でその路線はストップしたとのこと。別の経路を駅員さんに教えてもらって電車に乗ったけれど、今まで聞いたこともない駅名が出てくるので「自分はどこへ行くんだろう」とさすがに不安になったそうです。無事家に帰れたけど、帰宅は夕方近かったようです。すごくおなかが空いていたそうです。仕事から帰ってこの話を聞いて涙が出そうになりました。病み上がりでかなり負担だっただろうと不憫になりました。そして、1回目は合格したけど2回目の選抜試験にはしっかり落ちていました。過去問も出来ていたし、模試では80パーセント合格と言われていたのに、落ちるんですねえ。でも選抜でない方に合格もらえていたからとりあえず入るところが出来て良かったと一安心でした。我が家は2月本命でしたが、1月受験もお試しではありません。通学範囲内で、しかも合格80パーセント以上のところで、とにかく、行き先確保のための受験だったから結構必死な思いでした。それで、2月も受かったり落ちたりしたんですけど、今は2月に受験した学校に楽しく通っています。初めての受験で不安マックスだった私に受験経験者のママさんに何度も「その子に一番合う所に合格するようにできてるのよ。」と言われていました。うちの子の通う学校は中学受験界で言えば本当にど真ん中クラスの学校だからそんな難関校ではありません。第一希望ではありませんでした。でも、今はどうしてここを最初から第一希望にしなかったんだろうと思うくらい、親子で気に入っています。(さくらは最初からここがいいと言っていましたが)さくらの性格を考えてもこれくらい、いい学校はありませんでした。自主性を尊重してくれて、褒めて伸ばそうとするというのは説明会も聞いていましたが本当のことでした。大人扱いしてくれるので、些細なことではお咎めもなく、親にも連絡はありません。でも愛校心が湧いてくるとそんなに変なことはしないものなんだとわかりました。基本的には褒めてくれるので反発もしません。授業中に落書きを見つかったりもしたのですが、「上手な絵だ」と貼り出された時はさすがにさくらもまずいと思ったようですけど・・・。落ちたらどうしようと親が落ち込んでしまったり、インフルエンザにかかって青くなったり、そうそう、1月末にも発熱していました。どうなるのかとそのたびにパニクりましたが、今思うと何とかなるものなんだからド~んと構えていれば良かったのですね。ただ、あの直前のインフルエンザや発熱は私に責任があったように思います。さくらは幼くて私のように緊張したりパニクったりはしなかったのですが、それでも親の不安はびんびんに伝わっていたのでしょう。受験直前は私の布団で寝ていました。さくらなりに落ち着かないものを感じていたからだと思います。受験終了後、ぴたりと添い寝は終わりました。波乱万丈な受験でしたが、親がこんなふうにしっかりしていなくても、子どもは何とか乗り切ります。そうそう、受験後の一人帰りはその後も続いたのです。反対方向の電車に乗る、雪道を迷うなどいろいろあったので、できれば小学生の受験は送りだけでなく、迎えもあった方がいいですね・・・って、迎えのない子の方が珍しいんですが。それでも私は朝送っていく時間を下さった職場の方々に今でも本当に感謝しています。さくらも、親が精一杯なのを知っていたからか、もともと、学童っ子で一人でなんでもすることに慣れていたせいか、動揺はなかったけど、今でもほろ苦い思い出です。受験生の皆様、必ず楽しい中学校生活が待っています。親の思う学校になるかわかりませんが、子どもには合う学校が待っています。だから、もう一頑張り、あと一息ですよ!
January 9, 2011
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出勤二日目。もうバテております。 私は三年間通ったヨガ教室を退室することにしました。理由は11月から悩まされている足のむくみ、痛みが酷くなる一方だから。歩いたり少し走ったりはできるのですがストレッチは痛くて、筋肉痛が足だけ起こり、治らないのです。 プールに通っていた時は治っていたのですが、忙しくて11月からヨガのみにしたらまた痛みだし、もう足がガチガチに固まってしまったので足上げ腹筋のようなストレッチが出来なくなりました。 いい教室だったのに残念ですが付加のかからない水中ウォーキングでまず治そうと思います。 月謝3000円は浮いたのですが、さくらに流れるかも。 スポーツクラブで中学生は3000円で会員になれると知りました。スポーツクラブのスタジオはジャズダンス、ヒップホップ、バレエといろいろやれます。 週3の部活では物足りないようだし・・ 3000円なら私のヨガ代回せばいいので塾もやめずにすむかなあと思っています。まずは体験ですね。 私はプール一本に絞ってがんばります!
January 5, 2011
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本日は実家を訪問して参りました。 実家には8歳になるヨークシャテリアがいて、これが可愛いのです。写真は眠そうでちょっと不細工ですが、私の膝の上で眠る様子がもう愛らしくて! 年取った両親の心の支えになっていて猫可愛がりされているから人見知りしません。人間はみんな親切だと信じきっています。一度、雷の音に驚いて家出してしまったことがあります。迷子になり、ずぶ濡れになっている所を近所の親切な韓国人の方が保護してくれていました。人懐こいので、ドライヤーして服まで着せて飼い主を探して下さり、青くなって探し回っていた母と再会出来たのでした。 母は昔の人なので外国の人にあまり心を開いていなかったのですが「初めて外国人をいい人だと思った」そうです。だからこのヨーキーは立派な国際交流をしたわけです。チェリーと言うのですが、もう、誰でも可愛がりたくなるほど甘え上手で仕草も可愛い。 夫も目を細めて膝の上に乗せて撫でていました。 さくらだけはちょっと無関心なのが残念です。さくらは私たちが「チェリー、チェリー」と夢中になるので「うちには可愛いジャムがいるでしょ!」と怒りだす始末。うちの猫ジャムは、私が自分で育てた初めてのペットだからもちろん可愛いですとも。うちは共働きの留守家庭だから淋しがり屋の犬より多少の孤独には耐えられる猫の方が合っています。私はジャムを息子と思っていますから、これも猫可愛がりしています。 でもチェリーも可愛いなあ。 夫は次は犬を飼いたくて仕方ないのですがジャムが精神的にやられてしまうことがわかっているので我慢しているのです。 私が中学時代から飼っていたのもヨーキーで名前はやはりチェリーでした。 何だか黒くて細長いネズミみたいに小さい子犬が我が家に来た時はびっくりしましたが、このネズミみたいな子犬が私の膝の上で眠る姿には母性本能を掻き立てられました。 そして翌日下校してきたら私を見てケージの中で飛び上がっての熱烈な大歓迎。この世に私の存在をこんなにも喜んでくれるものがいる。自暴自棄になり、家庭に居場所のなかった思春期の私には大きな慰めでした。私の帰りを待っているものがいる。 だから先代チェリーは我が家の救い主でした。 そんなチェリーと一緒に食べたり飲んだり、実家は気を使わないから楽です。
January 2, 2011
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皆様、今年もよろしくお願いいたします。皆様にとって素晴らしい1年になりますように。さて、私は義父母を連れて潮来の旅館へ行ってまいりました。 大晦日とか元旦はどこも満員で、なんとかここをネットで見つけてとったものの、どんなところか心配でした。 でも杞憂でした。 旅館は古いけれど、部屋は広くて清潔だし、お料理もさすが旅館という感じで充実していました。夕飯も朝食もご馳走で、幸せでした。大晦日にはそばも出たし、元旦には小さいながらもお雑煮のお椀がつきました。 お風呂は温泉ではないけれど、鉱泉で、お湯が柔らかく、気持ち良かったです。あんなに辛かった足腰の痛みからしばし解放されました。(帰宅後はまた痛いのですが) これだけサービスが良くて、お正月料金なのに一人1万円ちょっとでリーズナブルです。 義父母は認知症があるので夫の姉や弟に旅行に連れ出すことは反対されていました。環境を変えたらもっと悪くなると言うのです。私は認知症の祖母と暮らした経験があるのでそんなことはないだろうと甘く考えて踏み切りました。ふだん、ホームで暮らしているのです。たとえわからなくても、大晦日くらい、家族で過ごさせてあげたかったのです。何かあったら困るのでホームから車で30分程度のところにしたのですが・・・旅館がなかなか決まらなかったのは立地に制限があったからなのです。 義父はどこに連れて行かれるのか不安だったらしく、行く前は嫌がっていたそうですが、行ったらとても喜んでくれました。義母はホームに入ってから認知症が改善されたようでよくわかっているから、もう、すごく喜んで感謝してくれました。 お風呂は介護に慣れているので一人で洗えないのですが、私やさくらが手伝い、特にさくらに髪の毛を洗ってもらったと感激してくれました。さくらは末孫なのです。(一番上の孫は30歳過ぎています) そして、私は義母がホームに入る前、「百人一首の会」というサークルに通っていたので百人一首を持参してみました。これが大当たり、義母はホームで百人一首などやる人がいないからずっとできずにいたのです。もうそれはそれは張り切って、食事前にもちょっとやりましたが、食事中も「食べたら百人一首やるんでしょ?」と楽しみにしていました。 夫はお酒を飲んで眠くなってしまい、百人一首の参加を渋りましたが、私とさくらに説教されて渋々付き合いました。義父は「カルタはやらない」と参加しませんでした。で、私とさくら、夫、義母でやりました。義母はもう、さすが、全部さっと暗唱できるので、「目が見えない。めがねを忘れたからできない」と言いながらもパッパととり、「すご~い!」とみんなが感嘆の声を上げたので、もうニコニコ。義父が倒れて以来、あまり笑顔を見せなかったのに、とてもいい顔をして楽しそうでした。優勝はもちろん義母です。 さくらも百人一首を覚えなければいけない身?ですし、試験勉強でなく、こうして楽しくやるということを初めて知って楽しそうでした。うちには百人一首はありましたが、坊主めくりしかやったことがなかったんです(恥) 夫は参加を渋ったので私と競うことになり、500円賭けました。というのは夫や私よりさくらの方がやはり現役、祖母には敵わなくても私たちには勝つからなんです。 夫はお金がかかると目の色が変わり、私も夫に取られたら嫌なのでちょっとむきになりましたが、何しろ百人一首初体験、初心者です。 最終的に1位義母、2位はさくら、私と夫は23枚ずつで引き分け~。2人ともムキになってお手つきが多かったのはまずかったです。 紅白をテレビで見ながら百人一首をやり、途中で私とさくらがもう一度お風呂に入りに行って戻ったら義父母は「眠くなった」と布団の中でした。ふだん、ホームで規則正しく生活しているので無理もないです。 義父母と夫が布団に入ってしまい、夫は布団の仲からK1を見ていたようですが、私とさくらは別室で紅白を見たり、携帯をいじって夜更かししました。さくらはカウントダウンのジャニーズの番組を熱心に見ていると思ったら12時きっかりにあけおメールをしたかっただけで、ジャニーズにはそれほど関心がないのは相変わらず。今年もオタク路線で行くようです。 翌朝は朝寝坊しているさくらを置いて私は義母とまたお風呂に入り、夫も義父を連れて入浴していました。 チェックアウトのあとは鹿島神社へいき、お守りを買い、写真を撮りました。ここまでは良かったのです。 でもこの後、義父母がもと住んでいた家に寄り、郵便受けの中を確認したら、義父はやはり帰りたくなってしまったようでした。 そうとは知らず、ショッピングセンターへ行き、私とさくらは福袋を購入。夫はコーヒー好きな義父母とコーヒーを飲んで待っていました。福袋を選んでいたら夫から「早くしろ」と怒りの電話がかかってきました。またかよ~、いつも何か買ってると怒るんだから・・・と私もいささかむっとして険悪になりました。 実はコーヒーショップで家に帰りたいと義父が怒り出したらしく、大声も上げたので夫と義母は途方に暮れていたらしかったです。義父は私やさくらがいる時にはあまり困らせるようなことを言わず、いい人なんですが、息子や妻の前なので我が出てしまったようでした。さすが夫の父親、もともとはかんしゃく持ちですから・・・。 きまずくなりながら、ラーメン屋に行きました。ホームではラーメンが出ることがないので義母が食べたいと言ったのです。 義父は私が「お義父さん、あの家では今だれもご飯作る人も買い物いく人もいないから、ホームにもう少しいてくださいね」と話すと大人しくなりましたが、納得できないようでした。ホームは病院と認識しているので、「退院したい」の一点張りなのでした。昨年4月に倒れて意識不明になるまで、義父は足の悪い義母に替わって家事も買い物も、運転も、義母の病院や百人一首の会の送迎も一手に引き受け、86歳なのにすごい、すごい、とみんなに感心されていました。それが一転して気付いたら病院のベッドにいて、その後はホーム暮らしになったのです。意識不明になっている間に脳は急激に損傷を受けてしまい、5分前のことでも忘れてしまいます。だから何度同じ説明をされても5分で忘れてしまうのです。 夫の姉や弟が心配していたのもこのことで、またホームから出たがるようになったら困るから旅行なんてやめた方がいいという意見でした。 でも私としては、旅行に行こうと行くまいとそんなことは忘れてしまうし、家に帰りたがるのは同じことなので、それだったらたとえ忘れてしまったとしても楽しくお正月が過ごせればいいんじゃないかと思っています。 義母は義父が怒ったことがとても嫌だったようで、ホームに着くなり、自分の部屋に逃げ帰ってしまいました。急に元に戻ったみたいで、旅館の義母がうそのようでした。 夫は自分が家を見せたせいだと暗くなるし、困ってしまいました。 難しいですね。だけど、そんなこと言ってたらホームにいる老人はどこにも連れて行ってあげられなくなるし・・・もちろんホームはバスをチャーターしていろいろなところに連れて行ってくれますが、団体行動に変わりありません。 帰宅後、心配でホームに電話して様子を聞いたところ、特に動揺なく、いつも通りテレビをみんなで観ているとのことでした。 だからこれで良かったんだと思いたいです。 明日は私の実家へ行きます。
January 1, 2011
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