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先日の健康診断でほぼメタボ確定なため、がっくり来ていた。コロナ禍でジムに通えていなかったとは言え、オンラインでそれなりに頑張っていたからだ。 ふと気が向いてホットヨガのクラスに参加してみた。初めてではない。初トライは7年くらい前だろうか。 もともとサウナが苦手な私は暑くて蒸し蒸ししたところはかなりきつい。レッスン中はそれなりに頑張ってやっていたが、部屋を出たら寒暖差で頭痛を起こした。真冬だったからだ。帰宅してネットで調べるとホットヨガは体力のある人向きだそうだ。 諦めて再トライしたのはその2年後、冬だと寒暖差がありすぎるので夏に挑戦してみた。暑い日に更に暑い部屋…水分補給をしなくてはいけないのだが私は水も飲めないほど衰弱。だが、レッスン中は動いていた。 レッスンが終わると部屋の外にあったマッサージ機に倒れこみ、一時間動けなかった。まあ、熱中症だったわけだ。一時間経って水を飲めるようになり、立ち上がれた。熱中症の時は水も飲めなくなるとよくわかった。私はそれほど体力がなかったのである。 それから4年後、懲りもせず再再トライ。ズンバの後で時間があったので参加した。今度は気を付けて水ではなくイオン飲料持参。ズンバに参加できるほど体力は持ち直していたので熱中症は起こさなかった。が、ホットヨガルームから出た私はかなりフラついていて、一緒に参加した人に「大丈夫?」と心配されたほどヨレヨレになっていた。 というわけで、体力快復したといっても他の有酸素運動をしたあとにホットヨガをやれるほどには体力がないのである。ホットでないヨガならいいのだが、今はホットヨガブーム。新たに入ったジムのヨガはホットヨガがほとんどなのだ。それが売りなのだから仕方ない。 ホットヨガは確かに人気で、若い人の参加も多い。それから私のようにダイエットしたいんだなと思われる人達も多い。 そこで他のプログラムには参加せずホットヨガのみ、先週参加してみた。もちろんイオン飲料持参である。 とにかく発汗量の多いこと。Tシャツは絞れば水がしたたるに違いない。私はリラックス系のヨガが好きなのだが、プログラムの多くはダイエット効果を狙うのか動きが多い。 とにかく熱中症を起こさずにホッとした。体重計に乗ってみた。ビックリ。ズンバの時より体重が落ちている。もちろん、筋肉がつくのはズンバの方だと思うが、こんなに体重が落ちはしない。何しろメタボなのだ。楽しいダンスばかりやっている場合じゃない。 ホットヨガでダイエットしたいなら週に2回から三回とネットで読んだが、それは無理だ。私はまだ現役で残業が多い。楽しいダンスもやりたい。 週に一回でも3ヶ月続けると効果が出るらしい。これは週一参加だな。 だけどコロナもどうなるか嫌なうわさも流れている。なのでオンラインと併用しながら続けていきたい。いざとなったらまたオンラインのみの運動になるかもしれないからまだ解約はできない。 ダイエットしたいがダイエット生き甲斐みたいな人生もつまらない。といってもライザッ○が人気になるのはよくわかる。体重が落ちる時の快感、達成感ったらない。洋服だって変えられるのだから。 それからホットヨガがお肌にいいというのも実感した。あんなに汗をかくのだ。一時期酵素温浴にハマっていた。かなり暑いのだが、体調は良くなるし、肌はツヤツヤ、髪の毛までサラサラになるのである。ホットヨガはさすがに髪の毛までには影響がないが、毒素が抜けて肌の調子が良くなるのは確かだ。7年前より体力がついて、熱中症を起こさずに参加できるほど、元気を取り戻せたというのも嬉しい。 だけどダンスもやりたいから、細く長く続けていこう。
November 28, 2021
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勤労感謝の日の昨日。 久しぶりに娘とデートでした。娘がフレンチレストランを予約してくれました。 これはオードブルで自家製チーズがパンに乗ってます。 梨とチーズのアレンジ。 コロッケが美味しい! メインはポーク。脂っこくありません。 デザートは昔懐かしい味のプリン!昭和時代にこういうプリン食べたなあ。ほろ苦さと甘さがマッチしています! パンも食べ終えると次々に…ダイエットなんか忘れて食べまくり。 お会計はてっきり私だと思っていたのでお金を用意して行ったのですが、お手洗いに行っている間に娘が済ませていました。 先日、娘は高校時代の友人に会ったのですが みんな家にお金を入れていると聞いて後ろめたくなったらしいです。 「少しは親孝行の真似事しなきゃ」 と笑っていました。 「親に会うたびに奢ってあげようと思うと会いにくくなっちゃうよ。気にしなくていいんだよ」 と話しましたが、今回は娘の気持ちをありがたくいただいておきました。次回は私が奢らなきゃ。娘はフレンチが好きというタイプではないのですが、私が好きなのを覚えていてくれたようです。娘はどっちかというと焼き肉をガンガン食べたいというタイプですから。まだ若いですからね。私がそんなに焼き肉を消化できないのを知っていたからこそでしょう。 そして私の希望で水族館へ。こちらは私の奢り~。 やっぱり癒されます。 クラゲのコーナー、人気です。いつかクラゲだけの水族館にも行ってみたいな。 ここは都会の天空を泳ぐペンギンが人気なのです。これが見たかった。ビルを背景に泳ぐペンギン! ずっと水族館に行きたくて、でも行きたがる友達はいなく、コロナ禍だったし、一人で行くのも寂しかったので娘が付き合ってくれて嬉しかったです。娘はしょっちゅう彼氏と水族館へ行くようで魚の名前をよく知っていてびっくりしました。 娘の子ども時代はあちこちの水族館へ行ったものです。娘の父親が水族館好きでしたからね。当時の私は「また水族館か」とちょっと疲れ気味でしたが、行けなくなるとあの頃が懐かしくなるものなのですね。 娘は元気でやっているようで安心しました。 今の趣味はお料理だそうで、なんとクックパッドに課金しているそうです。課金すると人気料理から閲覧できるって、知りませんでした。今では外食に行っても自分で作れそうなメニューだともったいないと思ってしまうそうです。 「外食だと何百円もして、自分で作れば何十円かでできちゃうのに。外食では自分では作れないなって思うものを食べたい」 と、グルメぶりを発揮しています。 そうかと思うとWiiをやりたいとゲーム機を取りに来たり、子どもっぽいところもまだまだ。 あまり運動をしていないようですが、若いので体型は維持できているようです。この子も体型を気にし出したらいつか運動をするのかもしれません。何をやるのか検討もつきません。中高時代、部活であんなにダンスをやっていたのにそれはもう燃え尽きたようです。小学生時代はテニスも卓球もやっていたのですが、そちらにも興味がなさそう。 「将来はどんなスポーツをするの?」と聞いたら「ゴルフかなー」だそうで。ゴルフはお金もかかるので、日常的にできるものではないと思いますが、ま、娘の自由ですね。 私のように年を取れば運動せざるを得ません。娘にもそんな日が来るのかな。 私はまだ仕事が忙しいため、週末くらいしか運動できていません。 ジムも楽しいですが、一つのことだけに偏らないようにしています。浅く広くという感じかな。気軽にやりたいですから。 できれば運動は軽くてもいいから週末だけでなく、平日にも…と思うんですけど…そのためにオンラインフィットネスの会員になっていますが、最近疲れ気味。 明日からちゃんとやろーっと。
November 24, 2021
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ドタバタの一週間が過ぎた。仕事をしていると嬉しいこともあるがクレーム対応など悲しくなって心が折れそうになることもある。 しかし、今さら何を言っている。ここまで来るのにどれほど苦労を積み重ねてきたことか。あと少しだ。もっとも働き続ける以上クレームから逃げ切ることはないだろうが、せめて残りの人生、クレーマーにならずに生きていけと神様からの啓示かな。そういう年寄りにだけはなりませんように。 さて、ショックなことはもう一つ。健康診断があった。昨年体重をだいぶ落としたし、まあ、コロナ禍でかなり運動不足だったことは否めないが、まだ大丈夫と過信していたら…わあ、またメタボ通知が来そうだ… 昨年より大幅に太ったわけではない。でも体重だけで判断していたらダメだと思い知った。体脂肪も腹囲もすごいことになっていた。 でもこんなに疲れているのに今はこれ以上ハードな運動は無理。美味しいものを我慢するのも無理…って甘えてんのか! 要するに顔と胸は痩せたが下半身に肉が落ちただけのことだった。内臓にも付いていたら嫌だなあ。 だからと言うわけではないが最近整体を再開した。コロナ禍だったので行くのがためらわれていた。私が何か持っていたら整体院にも迷惑をかけると思い、仕事以外出かけられなかったのだ。 私の行っているところの治療メインは鍼である。少しマッサージも入る。 いつまでも現役のように稼げないからやめようという気持ちもあった。それなりの費用がかかるから。何とかセルフメンテで行きたかった。 だがこの年でセルフメンテのみでハードに働き続けるのは限界。 前のように毎週通うことはしないが、隔週で復活することにした。鍼を打ってもらうと本当に体が軽くなるし、コリコリになっていた肩や首もすっきり伸びた。 憂うつ感は体が疲れきっていたせいもある。コリコリに固まった体で運動するのも良くない。これから寒くなるし。 これで来週からも頑張れそう。ただしセルフメンテも忘れずに。明日はサボっていたヨガにも出よう。 本当はピラティスもやりたいのだが、こちらは土日のプログラムにはない。やれるとしたら平日夕方なのだが、定年退職までは残業の日々だから無理だ。 言い訳ばかりしていないでオンラインでもやらなきゃ。ピラティスというのは腹筋がメインなので、それこそ今私がやらなくてはいけないことなのである。
November 20, 2021
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「姉が市民会館でオペラのコンサートをします。良かったら来てください」 中学同級生のグループラインに書き込みがあった。美しい歌声の動画も添付されている。 「オペラは行く機会がなかったのでぜひ行ってみたいです」 すぐに返信した。 その友達は私の生まれ育った東京都下の自然豊かな武蔵野台地に今も住んでいる。二十歳の時に今住んでいる下町に引っ越した。同じ東京だが電車を使って一時間以上かかる都下は、そう頻繁に行ける距離ではない。借家住まいだったので多くの同級生と違って実家がそちらにはない。同窓会でもなければなかなか行かない場所だ。 この二年間、コロナ禍で同窓会どころではなかった。友達に会えず、寂しかった。 友達の実家を思い出す。瀟洒な洋風一戸建てで広い応接間があり10人以上の友達を呼んでお誕生会のできる広さだった。ピアノがあったことも覚えている。 そんな瀟洒な洋風の家で育ったお嬢様のはずの友達はとんでもなくお転婆だった。いつも元気に走り回り、クラスの誰よりも相撲や腕相撲が強く、男子は投げ飛ばされていた。明るくいつもガハハと笑ってふざけているつもりだろうが、私は押されて水道に鼻をぶつけ、鼻血を出した情けない思い出がある。 弱いものいじめではない。男子にもバンバンやっていて「バンバン」と呼ばれていた。 しかし、バンバンに姉がいたとは知らなかった。聞けば四つ年上で子供の時から声楽を習っていたので中学からは音大附属中学へ通っていたそうだ。バンバンはピアノを習っていたらしいが剣道の方が楽しそうでそれがまたバンバンには似合っていた。 四つ年上ということは兄と同級生だ。小学校時代は同じクラスになったこともあるのではないか。バンバンの母と私の母は交流があったが兄からの続きで付き合っていたようだ。 「兄と同級生なのですね」 「えっ、じゃあ姉に聞いてみる」 「私と違って兄はとてもおとなしかったから覚えてないんじゃないかな」 男の子と女の子は別々に遊ぶことが多いから記憶に残っていなくても不思議ではない。まして兄は23才で急逝しているので同窓会にも出たことがないだろう。もし生きていたとしても声楽を習っているようなお嬢様と兄は接点がなさそうだから兄だって覚えていないに違いない。 ラインは続いた。 「兄は私にとって大切な思い出なの。その兄の同級生さんが歌うのならなおさら兄に代わって行かせていただきますね」 オペラも楽しみだが兄の同級生がオペラ歌手になって歌う。兄の知らないところで兄に繋がれた嬉しさでオペラへの期待値はいっそう高まる。 子ども時代、自分の兄弟絡みで大人になってから再度お付き合いができるようになるなど夢にも考えていなかった。連絡を取り合っているとこんな面白いことが起きる。 コンサートは実に楽しみである。 楽しいクリスマスになりそうだ。
November 13, 2021
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文化の日は超久しぶり、大人の遠足で埼玉県の長瀞へいって来ました。 荒川の上流です。 この川を伝って来ちゃうからたまに東京にも猿や猪が出没するわけです。 ラフティングしてる人がたくさんいましたが、動物好きな私のために友達がコースをチョイスしてくれて宝登山の小動物公園へ行きました。 猿にエサやりができます。猿もわかっているので、争奪戦!他の猿山ではこんなに人間に関心を示しませんから、びっくりです。どれがボスザルだかわかりませんでした。乳飲み子抱えたお母さん猿も思いきり参戦してきます。 ラマにもエサやりできますが 「可愛いー」と撫でていたらお皿からパッとエサを食べられちゃった。手で一つ一つあげたかったのに。ラマももちろん、観客がニンジンを持ってくることがわかっているのです。間抜けな私でした。 亀も大きい! 鹿にも取っておいたサツマイモをあげました! 珍しい動物はいないのですが、見るだけでなくエサをあげることで触れ合えるから楽しい動物園だと思います。 宝登山神社では狼が祭られています。 スサノオノミコトを火事から助けた偉い狼だそうです。犬のご先祖は偉い! 冬桜も少し咲いていました。梅ノ木がたくさんあったので梅の時期にも来られたらいいなあ。 川沿いを歩いて紅葉探し。秩父は盆地なので結構暑いため、紅葉にはちょっと早かったかなあ。 長瀞の名物は豚の味噌漬け丼なのですがどのお店も行列なので諦めました。 山菜天ぷらそばにしました。山の幸でいいですね。 鮎の塩焼きが大好きなので、買って川のそばで食べました。 夕方になるとどんどんお店が閉まっていくところはやはり東京と違います。 西武秩父線はかなりローカルなので、なくなったら困るから慌てて夕方の電車にのって帰ってきました。 熊谷経由でしたが、西武秩父線はわざとローカル、昔風にしていて、切符を買うのです。スイカは使えません。そしてキップ切りの駅員さんがいて、もう、本当に懐かしい演出をしてくれます。 これは長瀞駅。 熊谷ではSLが通ります。 鉄道オタクの人や子どもたちが大喜び。熊谷はこれで町起こしをしているのかな?いや、新幹線も通る駅なんですけど。西武秩父線だけ別世界なのです。 SLが到着すると、チンドン屋さんがきて盛り上げます。 楽しい遠足でした。 ずっと自粛で地元を離れられないで腐っていた私に友達が企画してくれて感謝です。 ほんの少しの山歩きでも翌日からの筋肉痛がすごかった。脛を殴られているかのような痛みでした。 ふだん運動していると言ってもダンスばかりで、ウォーキングやランニングを怠っていたからでしょう。靴のインソールを買ってまたジョギング再開しないといけないかしら? 友達は登山が趣味なのに私と行く時はケーブルカーばかりで申し訳ない。それでも筋肉痛を起こす自分が情けない。 ウォーキングから始めてジョギングできるようにしたいと思います。ちなみにこの日は 19768歩、歩きました! 娘に話したら「長瀞は釣りでよく行ったよ」と言うのですが大学のサークル時代の話ですよね。 娘が小さいときにこういうふうに川や山に連れて行ってあげれば良かったなあ。あの頃は仕事と育児の両立で疲れすぎていて親子でアウトドアをする余裕がありませんでした。反省です。
November 7, 2021
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紀子さまの父上川嶋辰彦氏が逝去されたとのニュースに衝撃を覚えた。 テレビや週刊誌でしか知らないが、言葉遣いの美しい人だった。心境を聞かれると和歌に例えるのが素敵だった。 直情的な言葉は本当に人を傷付ける。 しかし、育ちなのか私は時々直情的にものを言いたくなる。こんなことなら黙っていればよい、と人と距離を置きたくなる。そして鬱々としてくる。うまく発散できれば良いのだが、加減が出来ないのだ。 軽口を叩くのは得意。故に社交的と言われたりもするが、余計なことを言ったと後悔することも多い。こんなことを繰り返している。 眞子さんの結婚に関してはネットや週刊誌で見ているとこちらが傷付いてしまう。まあ、見なければいいのだが、ついつい見てしまう。 皇室にはあまりにも縁がなく、実は日本史が苦手なのでわからないことばかりだ。神道もよくわからぬ。何しろ実家に神棚はなかったし、正月に初詣するわけでもない。全く縁がなかったかというと、遠縁には神宮の息子がいる。そうそう、親戚にはこの神宮関係の息子と私を結婚させようという動きもあったなと遠い昔を思い出す。本能的にこれはまずいと思い、避けまくった。どうもお相手は見る目がないのか、気に入ってもらっていたようだが、そんなややこしい結婚はごめんだった。 面白いのがこの神宮関係の人たちは後々、結局クリスチャンになっていた。 インドにはカースト制度がある。一番身分が高いとされているのが、僧侶でバラモンと言われている。身分は高いがそんなに金持ちではなく、インドの大金持ちはカースト二番目のクシャトリヤが多いようだ。 一番身分が低い人達はクリスチャンも多いようだ。ヒンズー教では下位の身分だから別の宗教を信じるのだろうか。 日本ではこれが当てはまらない。何しろ、基本無宗教が大半だから、神棚があっても仏壇のある家は多かった。 宗教に関しては寛容というか節操がない。 初詣で神社へ行き、法要は仏教、クリスマスはキリスト教式にツリー、イルミネーション、プレゼントと一大お祭り騒ぎとなる。 つまり宗教は行事、イベントに使われているのだ。 私は教会の讃美歌が好きだ。昔は葬式は讃美歌で送り出してもらいたいと思っていたが今は考えていない。だって死んだら何もわからないではないか。散骨でも合同のお墓でも遺族の負担にならない形でよい。 眞子さんも、儀式なしの結婚だったがコロナ禍なので結婚式をしない人たちが増えている。娘もそうするんじゃないかと思う。こういうふうに世の中が変わってきている。 皇室はなんだかんだ言っても存続していくだろう。
November 5, 2021
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職場に同じ短大出身の後輩がいる。一回り下。 彼女が「短大は忙しくてバイトもできなかったですよね」と話しかけてきた。 確かに2年間で108単位取るのは大変だった。夕方4時まで講義があり、詰め込み状態だった。 「でも私は4時に講義終わって6時にはコーヒーショップでバイトしてたよ。週に2.3回だけど。閉店の10時まで働いたかな」と言うとびっくりされてしまい、こちらが驚いた。 私は他にもボランティアサークルにはいっていたので、バイトのない日はあちこち要請のあるところでお手伝いしていた。主に障害を持つ人のリハビリお手伝い。 それを言ったら「すごく元気だったんですね」と言われてますます驚いた。 彼女の方が高校までは柔道や体操部だったのだから基礎体力は私より高いだろう。 私はそんなに丈夫な方ではなかった。 バイトしていたのは昼食代にも事欠く日々だったから。家から弁当を持ってくる学生も確かに多かった。でもそうなると一日300円と決められていた昼食代がもらえなくなる。当時は学生食堂で、定食が300円だった。お金が足りなくなると130円のたぬきうどんでしのいだ。今で言えばカップヌードルみたいな値段。 思い起こせば確かに忙しい日々だから、バイトをしていない学生も多かった。でも類は友を呼ぶので私の仲良しはバイトをしていたので、自分が大変だと思うことはなかった。そんなものだと思っていたから。 バイト先の大学生たちは時間に余裕のある人が多く、たくさん働けるので羨ましかった。それとて、彼らも仕送り額がギリギリだったから貧乏っぽいのは一緒。ザ昭和なのである。 ボランティアをしなければもっと働けたが、流石に学生生活がバイトに明け暮れるのは抵抗があった。 それにそんな日々が面白かったのだ。バイト先で、知り合う学生たちは貧しくも生活をエンジョイしたい人たち。 ボランティア先で知り合う学生たちはもっと真面目で素朴な人たち。もっともこの人たちもバイトはしていない人が多かったので、素朴で地味だが、恵まれた家の人が多かった印象がある。 短大の学生も多くは地味で真面目、素直に育ったお嬢さんたちが多かったかな。 そういった様々な人たちとの交流は楽しく、私の価値観を形成していった。子どもから大人になる過程の貴重な経験。 夜が遅いから朝九時から毎日講義があるのは流石に辛く、眠くなることも多かったが若さで乗り越えたのだろう。 一回り下の彼女は真面目に勉強していたようで私よりずっと成績も良かったようだ。 私は何とかギリギリで単位を取っていたかな。成績なんて、親にも見せられなかった。短大には成績表がないのだと言い張ったし、親もあまり気にしていなかった。早く就職してくれればよい程度のものだった。 貧乏でしかなかった時代で、旅行などとんでもなかった。バイトをやりくりして夏と冬はボランティアで子どもたちを連れたサマーキャンプ、スノーキャンプの引率、泊まり込みで施設のボランティア。それが私の夏休みと冬休みの過ごし方だった。結構楽しかった。 本当に若かったなあ。 就職してからはボランティア活動から遠ざかっている。 東日本震災の時に被災地のペットのお世話に行ったり、復興のための農家お手伝いに一回ずつ、行ったけれど、40代だったし疲れきってしまい、続けられなかった。 働いていたわりにはPTA活動には比較的参加していたかも。保育園では役員もやっていた。ボランティア精神というより、頼まれると断れない性格のためだったと思う。 娘の中学でも一年だけ役員をやらせていただいたが、実はバザーの仕事がメインとわかり、不器用で手芸苦手な私は一年で逃げ出した。情けない。 仕事も3月で定年を迎えるので何かボランティアが、できればいいのだが、若さも体力もなくし、さらに、まだ働く気でいるからやれることが思い付かない。 先輩はこども食堂をお手伝いしているが料理が下手なので足手まといになりそう。気持ち的には子ども食堂に大賛成なんだが。 コーラスをやっていた先輩は老人ホームに慰問で歌いに行っていたがコロナ禍で今はできないようだ。コーラスに憧れはあるが、やるとなったら声楽を学び直すなどかなりお金がかかりそう。人前で歌うならボランティアと言えどそれなりの力量はいるだろう。 若い時は苦手でも恥ずかしくないから何でもやれた。この私が障がい者のお家でお料理していたなんて今思うと申し訳なかった。それでも素直に指示に従ってやっていたけどね。 オリンピックボランティアをしていた人たちの話を聞くと語学堪能な方々が多い。 結局この歳になっても特技ゼロなので役に立てないのである。若いときに頑張って英語を勉強したのに忘却の彼方である。 ま、できそうなことは頑張って働いて現金を得て少しでも寄附をする、くらいに落ち着きそうだ。となると、やはり働き続ける体力が必要。 若い時は頑張った。 頑張れるおばあちゃんになれるよう、さあ、これからも筋トレに励もう。こんなところで、落ち着くのである。
November 5, 2021
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