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【旅行13日目】ポルトガル・ポルト2025年5月29日(木)、コインブラB駅15時47分発、ポルトガル鉄道AP133 一等車コンフォートシートクラスに乗車し、ポルト=カンパニャン駅に到着しました。APはALFA PENDULAR(アルファ・ペンドゥラール)高速鉄道の略です。途中の車窓から大西洋を見たり、ポルトのドゥエロ川の鉄橋サン・ジョアン橋から、隣のマリア・ピア橋を見たりしました。カンパニャン駅では、別のプラットフォームに移動し、市内のサン・ベント駅行きの電車に乗り換えました。一駅なので、すぐにサン・ベント駅に到着です。↓ コインブラB駅。予約した列車がホームに入って来る。↓ ポルト=カンパニャン駅行き。↓ 1等車の様子。↓ ポルトに行く途中で、大西洋が見えた。↓ 大西洋。↓ポルトの街が見えてきた。↓ ドゥエロ川に架かるマリア・ピア橋と、奥はインファンデ・ドン・エンリケ橋。↓ 車内電光掲示板 ポルト=カンパニャン駅 17:26 外は31度。↓ プラットフォームで記念撮影。↓ ポルト=カンパニャン駅で、市内のサン・ベント駅行き列車に乗り換えるため、通路を通って隣のプラットフォームに移動する。↓ 別のプラットフォームに移動した。↓ ポルトガル鉄道 AP(ALFA PENDULAR: アルファ・ペンドゥラール)高速鉄道1等車に描かれた絵。↓ サン・ベント駅行きの電車。↓ サン・ベント駅行き。↓ 車内の案内板。ポルト=カンパニャン駅からサン・ベント駅まで一駅。↓ 車内の様子。↓ ポルト=カンパニャン駅を出発。↓ ドゥエロ川とフレイショ橋。↓ (西側窓)インファンテ橋。↓(東側窓)サン・ジョアン橋。↓ サン・ベント駅に到着。↓ ポルトの地図を確認する妻。
2026.05.31
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【旅行13日目】ポルトガル・コインブラ2025年5月29日(木)14時40分頃、コインブラB駅に到着しました。妻がコインブラB駅15時47分発、ポルト=カンパニャン駅16時48分着の鉄道をウェブで予約したので、駅で約1時間待ち時間があり、その間に駅に発着する車両を写真に撮りました。スプレー落書きされた車両がとても多く、落書きを消すところまで、費用と手が回らないのだろうと推察します。車両基地に夜間勝手に侵入しては、スプレーで描く輩が多いのでしょう。落書きは近郊通勤車両が多く、インターシティのような遠距離車両はきれいです。プラットフォームでコインブラ大学の男女の学生を見ました。大学生が着る有名な黒マントを棒状に巻いて、肩に掛けていました。女子学生は好きな男子学生のマントの裾を噛み切る習慣があり、人気のある男子学生のマントは裂け目が多いそうです。羨ましい。↓ コインブラB駅。↓ スプレー落書きの車両。↓ 窓までスプレー塗料が付いている。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ インターシティ。車両は落書きなし。ーーーーーーーーーーーー↓ PORTUGAL RAILWAY SUMMIT (ポルトガル レールウェイ サミット:ポルトガル鉄道サミット)2025年5月21日~22日 ポルトガル・エントロンカメントでポルトガル鉄道サミット2025年が実施された。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ コインブラB駅。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ コインブラ大学の男女の学生。大学生が着る有名な黒マントを丸めている。↓ 黒マントを肩に担いでいる。↓ 自動販売機。妻がコインを入れたのに、壊れていたようで、反応しなかった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2026.05.30
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【旅行13日目】ポルトガル・コインブラ2025年5月29日(木)、コインブラ観光を終えて14時頃コインブラA駅に到着しました。コインブラ観光でどれくらい時間がかかるか分からなかったので、コインブラからポルトまでの電車予約は事前にしていなかったのですが、妻が携帯でOMIOサイトに入り、コインブラB駅15時47分発、ポルト=カンパニャン駅16時48分着、ポルトガル鉄道 AP133 一等車コンフォートシートクラス 2人分のチケットを予約しました。私と違って、妻はやる事が早いです。その後、バスでコインブラA駅からコインブラB駅に10分で移動しました。予約した列車が車で1時間あるので、プラットフォームにある売店を覗いたりして時間をつぶしました。↓ 妻がOMIOでポルト行き列車の予約をした。コインブラB駅15時47分発、ポルト=カンパニャン駅16時48分着、ポルトガル鉄道 AP133 一等車コンフォートシートクラス 2人分のチケット↓ コインブラA駅そばの通り。↓ コインブラA駅からコインブラB駅までバスに乗って移動した。↓ バスを下車。(コインブラA駅、B駅の移動は、無料です)↓ バス停からコインブラB駅プラットフォームまで、結構歩く。↓ やっとコインブラB駅に着いた。↓ プラットフォームにある売店。↓ 時計は14時47分。予約した列車は約1時間後に来る。
2026.05.29
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【旅行13日目】ポルトガル・コインブラ2025年5月29日(木)、コインブラ大学のジョアニナ図書館を見た後、コインブラA駅に行くため丘を下っていきました。途中で見たものです。① コインブラ大学法学部:メロス宮殿② 旧カテドラル。③ 洗濯女(トリカーナ)の像。④ ポルトガルギターの女性像。⑤ コインブラ・ファドの演奏像。⑥ SAMINA PT :ポルトガル・リスボンの現代芸術家の作品。⑦ コインブラ大学生の帽子のカラフルな吊りアート。↓ コインブラ大学法学部:メロス宮殿(FACULDADE DE DIREITO DA UNIVERSIDADE DE COIMBRAPALACIO DOS MELOS)16世紀後半、コインブラ大聖堂付属学校の校長であったドゥアルテ・デ・メロスによって造られた建物。 ↓ (左)コインブラ大学哲学研究所。↓ ノルテ通りの坂を下っていく。↓ 旧カテドラル。アフォンソ・エンリケスが1139年のオーリッケの戦い(イスラムのムラービト朝との戦い)で勝ったことにより、初代ポルトガル王アフォンソ1世として即位し、カスティーリャ=レオン王国から独立を宣言し、コインブラを首都と定めた。12世紀にロマネスク様式の教会(旧カテドラル)が建立された。↓ 旧カテドラルの正面。↓ コインブラの洗濯女の像(トリカーナ:Tricana)。コインブラのモンデゴ川で洗濯していた女性達を記念してできたブロンズ像。ケプラ・コスタス通りにある。↓ ポルトガルギターの女性像。↓ 表の部分。 裏はお尻の形。↓ アルメディナ門。↓ コインブラ・ファドの演奏像。↓ SAMINA PT :ポルトガル・リスボンの現代芸術家の作品。↓ フェレイラ・ボルジェス通り。↓ コメルシオ広場に下りていく。↓ アデリノ・ダ・ヴェイガ通り。この通りにあるタトゥーの店に旅行鞄を預けていたので、それを受け取った。店には客もおり、英語が得意と言われたので、通りに吊ってあるカラフルな帽子はどんな意味があるかを聞いたところ、コインブラ大学の学生が被るハットをイメージしてカラフルに飾っているとのことでした。↓ コインブラA駅に到着。
2026.05.28
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【旅行13日目】ポルトガル・コインブラ2025年5月29日(木)、コインブラ大学のラテン回路を見た後、一番見たいジョアニナ図書館の入場時間が13時40分からなので、12時頃からインフォメーションセンターそばの椅子に座って、夫婦で時間を過ごしました。暑い日でしたが、日陰で風が抜けていくので、とても気持ちが良かったです。結婚してから起こった色々な出来事を、二人で思い出しながら話をしました。図書館入館待ちの隙間時間ですが、思いがけない楽しい時間になりました。13時20分頃、ジョアニナ図書館横にある礼拝堂(Capela)を見学し、ジョアニナ図書館の建物脇にある集合場所に移動しました。案内の女性に従って、ジョアニナ図書館内に入ります。英語の説明を聞くと、図書館の1階は学生牢、2階は図書室で、ここまでは写真撮影が可能だが、3階の特別な図書室は撮影禁止と言われました。3階の図書室ですが、30万冊の蔵書と金泥細工の装飾、調度品が素晴らしく、見ごたえのある空間でした。蝙蝠が部屋に住んでおり、部屋の虫を食べるという話がありました。撮影禁止なので、このブログでは、旅行会社の写真を載せます。(エクスペディア、トリップアドバイザー、ゲットユアガイド)↓ コインブラ大学のインフォメーションセンターそばのベンチで、妻と1時間以上話をした。↓ インフォメーションセンターのある建物に入ると、入口に「フーコーの振り子」があった。↓ 「フーコーの振り子」。↓ 大学構内を歩くコインブラ大学の学生達。黒いマントが特徴。↓ 礼拝堂。↓ ジョアニナ図書館の外観。↓ モンデゴ川。↓ モンテゴ川とライニャ・サンタ・イザベル橋。↓ ジョアニナ図書館見学の集合場所。↓ 13時40分が集合時間。すでに沢山の観光客が入口に待っていた。ーーーーーーーーーーーーーーー↓ 図書館1階にある学生牢。ーーーーーーーーーーーー↓ 図書館の2階。ここまでは写真撮影可能。ーーーーーーーーーーーーー↓ ジョアニナ図書館3階は、撮影禁止の為、代わりに旅行会社の写真を載せます。(エクスペディア、トリップアドバイザー、ゲットユアガイド)↓ エクスペディア。↓ トリップアドバイザー。↓ ゲットユアガイド。
2026.05.27
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【旅行13日目】ポルトガル・コインブラ2025年5月29日(木)、コインブラの新大学ビルを見ながら鉄の門をくぐると、旧大学があります。旧大学の端にはジョアニナ図書館がありますが、これは13時20分からでしか入れないので、それまで旧大学構内を見学しました。この中で一番有名なのは、ラテン回廊です。もともと宮殿の広場で、壁にはポルトガル歴代国王の肖像が飾られています。この場所ではラテン語だけを話すことが義務付けられていたため、ラテン回廊(Via Latina)と呼ばれています。敷地内にはポルトガル国王ジョアン3世(在位1521-1557)の像が建っています。ポルトガル人による日本への鉄砲伝来(1543年)時期の王でした。↓ コインブラの旧大学。↓ ジョアニナ図書館。↓ FACULDADE DE DIREITO : 法学部↓ ポルトガル国王ジョアン3世(在位1521-1557)の像。ポルトガル人による日本への鉄砲伝来(1543年)時期の王だった。↓ 時計塔。鐘の音が山羊の鳴き声に似ているため、コインブラ大学の学生は、この塔をカブラ(山羊)と呼んでいる。↓ ラテン回廊。もともと宮殿の広場で、壁にはポルトガル歴代国王の肖像が飾られている。この場所ではラテン語だけを話すことが義務付けられていたため、ラテン回廊(Via Latina)と呼ばれている。↓ ライニャ・サンタ・イサベル橋(Ponte Rainha Santa Isabel)。モンデゴ川に架かる斜張橋。↓ モンデゴ川。↓ 廊下のタイル。↓ 食堂。↓ 売店。↓ コインブラ大学のシャツ。
2026.05.26
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【旅行13日目】ポルトガル・コインブラ2025年5月29日(木)、コインブラ大学を囲む坂道を歩き、やっと階段を上ると、コインブラ大学の新館が見えてきました。敷地にはコインブラ大学を設立したディニス王の像が建てられています。ディニス王はポルトガル大6代国王で、ポルトガル海軍とキリスト騎士団を創設し、リスボンに創設した大学を1290年にコインブラに移転させました。ポルトガルの大学の父と呼ばれています。今回の目的は、コインブラ大学の旧館内部を見学することと、「ジョアニナ図書館」を見ることです。「ジョアニナ図書館」は、1724年に建設され、蔵書が30万冊保管されています。本好きなら、是非とも訪れるべき場所です。11時過ぎにインフォメーションセンター窓口で「ジョアニナ図書館」のチケットを求めた所、早い時間のチケットは売り切れており、結局13時40分入場の券を購入しました。この日はコインブラからポルトまで鉄道で移動する予定でしたが、図書館の入場時間が分からなったので、鉄道の予約をまだしていませんでした。結局、スマホで夕方発の列車を予約しました。↓ 坂道を上る妻。↓ コインブラ大学を設立したディニス王の像。ディニス王はポルトガル大6代国王で、ポルトガル海軍とキリスト騎士団を創設し、リスボンに創設した大学を1290年にコインブラに移転させた。ポルトガルの大学の父と呼ばれている。↓ ディニス王の像。↓ 手前は社会科センター。奥は学生オンブズマン事務所。↓ 学生オンブズマン事務所。↓ コインブラ大学数学科。↓ コインブラ大学医学部。↓ コインブラ大学物理学科。↓ ラルガ通り。↓ コインブラ大学化学科。1階にインフォメーションセンターがある。↓ インフォメーションセンターの旗。↓ 建物1階のフロアにある、インフォメーションセンター。↓ 11時過ぎに買ったジョアニナ図書館の入場券。早く入りたかったが、13時40分入場しか購入できなかった。↓ サン・ジョアン通り。奥は、サン・ジョアン・デ・アルメディナ教会。↓ コインブラ大学人文科学部。↓ コインブラ大学総合図書館。↓ コインブラ大学内を移動する乗り物。「Grupo GALA PORTUGAL DOS PEQUENITOS:ガラグループの、ポルトガル ドス ペケニトス」というコインブラにあるテーマパーク。↓ 旧大学と鉄の門。↓ 鉄の門。↓ 女神ミネルバの大きなモザイク。ミネルバは知恵と芸術をつかさどる神。
2026.05.25
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【旅行13日目】ポルトガル・コインブラ2025年5月29日(木)、妻が見たいと言ったので、コインブラの市場(MERCADO MUNISIPAL D.PEDRO V : ムニシパルDペドロV市場)の中に入りました。色々な街を訪れますが、妻は必ず市場、スーパーマーケットを見学します。市場を見た後、私が乗りたかったエレベーターのある場所に行きます。このエレベーターに乗ると、あっという間にコインブラ大学がある丘に行けるという優れものでしたが、エレベーターオフィスのチケット売り場で店の人に聞くと、エレベーターが壊れて乗れないと言われ、がっかりでした。暑い中、丘に向かって歩く必要があります。あまりに暑いので、道の途中にある店で妻が飲み物を購入しました。↓ コインブラの市場(MERCADO MUNISIPAL D.PEDRO V : ムニシパルDペドロV市場)↓ 市場を出た。↓ ポルトガルの青いタイル絵が続く。↓ エレベーター。(コインブラ大学まで簡単に行く事ができる)↓ チケット売り場。エレベーターは故障しており乗れないと言われた。↓ チケット販売機。↓ エレベーターに乗れず残念。↓ ダー・ダ・バンディラ通り。修理中。↓ スーパーマーケット「SPAR」に入り、飲み物を買う妻。↓ 暑すぎて日傘を出した妻。↓ ギル・ビセンテ・アカデミック・シアター(Teatro Académico de Gil Vicente)
2026.05.24
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【旅行13日目】ポルトガル・コインブラ2025年5月29日(木)、バスでコインブラA駅に10時頃到着しました。妻はスマホでコインブラの荷物預かり所を検索し、A駅近くで10時から預かるという店と、11時から預かるという店を見つけており、当然ながら10時から預かるという店に予約を入れていました。その店があるというアデリノ・ダ・ヴェイガ通りに入ると、通りの上にはカラフルな帽子がずらりと吊るしてあり、とても印象的でした。妻が店を見つけてドアをノックすると、女性が出てきました。荷物預かりサイトで10時からの預かりを予約したというと、この店は11時から開店なので、11時から預かれると言います。困っているとその女性は、折角店に来たのだから荷物を預かりますと言ってくれました。その店はタトゥーを入れる施術をしており、内装は独特な雰囲気がありました。多分私は一生縁が無いような感じでした。店を出て、コインブラの市内を妻と一緒に散策しました。写真を一部紹介します。↓ アデリノ・ダ・ヴェイガ通り。↓ カラフルな帽子が吊るされている。↓ 妻が荷物預かりをするタトゥーの店を見つけ、店の女性と話をした。10時から預かりということでスマホ申し込みをしていたが、店は11時から開店と言われたので困った。しかし、すでに店に来ているので荷物を預かると言われ、荷物を置くことが出来た。↓ コメルシオ広場。↓ サン・ティアゴ教会。↓ ヴィスコンテ・ダ・ルース通り。↓ 8デ・マイオ広場。ポルトガル内戦中の1834年5月8日、テルセイラ公の自由派軍がコインブラに入場したことを記念して広場の名前が8デ・マイオ広場になった。絶対王政を守ろうとするミゲル1世派と、自由主義的な憲法を支持するドン・ペトロ(ペトロ4世)派との戦いで、ドン・ペトロ派のテルセイラ公がコインブラに入場し、5月16日のアセイセイラの戦いでテルセイラ公が勝利し、5月24日のエヴォラ・モンテ協定でミゲル1世は降伏した。↓ サンタ・クルス教会。↓ 市役所。↓ カイシャ・デラル・デ・デポシトス:Caixa Geral de Depositos(ポルトガル国営銀行)。↓ 居酒屋 ONI (鬼のマークがある)↓ フォンテ・ノバ(新噴水)。↓ フォンテ・デ・マンガ:マンガ庭園。↓ 【左側)ムニシパルD ペトロV市場。
2026.05.23
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【旅行13日目】ポルトガル・コインブラ2025年5月29日(木)、ポルトガル・コインブラB駅に到着しました。「地球の歩き方 ポルトガル 2024~25/Gakken」p201には「リスボンやポルトからAPやICなどの特急列車で来ると、滋賀医師から離れたコインブラB駅に着く。町の中心にあるコインブラ駅(旧A駅)へは、連結列車に乗り換えてひと駅、約5分で到着する」と書いてあります。ところが、それらしい連結列車が見当たりません。プラットフォームの先にある歩道に女性が立っており、手に案内板を持って左側に行けと大声で叫んでいます。その女性に聞くと、連結列車は今年1月に廃止になったので、矢印の方向に代替バスのバス停があるから急ぐように」と言われました。妻を呼んで一緒に右側の通路を歩いていきます。途中は工事中らしく、どこにバス停があるのか不安でしたが、だいぶ先に代替バスが止まっていました。これはとても分かりにくかったです。バスはコインブラの大通りを進み、10分程度でコインブラ旧A駅の広場に止まったので下車しました。途中の大通りで、「プリンセス・シンダズンダの像」を見かけたので、その紹介も記載します。「5世紀にアラン族とスエヴィ族の間でイベリア半島の支配権を争って戦争が起きた。アラン族の王アタケスは現在のコインブラにあたるアエミニウムを征服した後、復讐を企てたスエヴィ族の王ヘルメネリックと対峙した。両軍の対立は激しく、モンデゴ川の水を赤く染めた。敗北が差し迫ったヘルメネリックは平和的解決を求め、美しい娘シンダズンダをアタケスに差し出した。シンダズンダは並外れた美しさを持ち、アタケスは彼女を見た瞬間に恋に落ちた。二人は結婚し、両民族に平和をもたらし、アラン族とスエヴィ族は同盟関係となった」↓ コインブラB駅のプラットフォーム。↓ 市内のコインブラA駅に行く連結列車が見当たらない。↓ 案内の紙を持った人が、左側に行けと叫ぶので、聞くとコインブラA駅行きの列車は今年1月に廃止となり、代替バスが走っているので、左に行けばバス停があると言った。急いで妻を呼んで、左側の道を一緒に進むことにした。駆け足でやってくる妻。↓ 左側の通路を歩くが、工事現場が続き、本当にバス停があるのか不安になった。↓ ずっと線路横を歩いていく。↓ ロータリーが見えてきた。↓ 代替バスが見つかりホッとした。すぐに乗車した。↓ バスはコインブラB駅を出発した。↓ モンデコ川を渡る高速道路。↓ コインブラ市内の大通り。↓ 衛生管理は、公衆衛生を促進し、害虫などの害と闘います。↓(左側)プリンセス・シンダズンダの像。↓ プリンセス・シンダズンダの像。5世紀にアラン族とスエヴィ族の間でイベリア半島の支配権を争って戦争が起きた。アラン族の王アタケスは現在のコインブラにあたるアエミニウムを征服した後、復讐を企てたスエヴィ族の王ヘルメネリックと対峙した。両軍の対立は激しく、モンデゴ川の水を赤く染めた。敗北が差し迫ったヘルメネリックは平和的解決を求め、美しい娘シンダズンダをアタケスに差し出した。シンダズンダは並外れた美しさを持ち、アタケスは彼女を見た瞬間に恋に落ちた。二人は結婚し、両民族に平和をもたらし、アラン族とスエヴィ族は同盟関係となった。2人はコインブラで盛大な結婚式を挙げた。両族の連合の象徴として、アタケスはコインブラに今日も残る紋章を授けた。紋章の中央の人物はシンダズンダで、冠を被った乙女として描かれている。聖杯は結婚の同盟を象徴し、ライオンはアタケスを表わし、ドラゴン(翼のある蛇)はヘルメネリックの紋章。↓ アラン族、スウェビ族の連合の象徴として、アタケスはコインブラに今日も残る紋章を授けた。紋章の中央の人物はシンダズンダで、冠を被った乙女として描かれている。聖杯は結婚の同盟を象徴し、ライオンはアタケスを表わし、ドラゴン(翼のある蛇)はヘルメネリックの紋章。↓ コインブラ旧A駅のプラットフォームが見えてきた。↓ コインブラ旧A駅。↓ バスを下車した。↓ コインブラ旧A駅。↓ バスの時刻表。↓ バスが出発。↓ ソタ通り。
2026.05.22
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【旅行13日目】ポルトガル・コインブラ2025年5月29日(木)、インターシティー511で、リスボン・オリエンテ駅からコインブラB駅まで移動しました。車中では、持参した食材で昼食を摂りました。ファティマ近くからコインブラB駅までの写真の一部を紹介します。ポンバル駅、グランジャ・ド・ウルメイロ・アルファレオス駅を通過してコインブラB駅に行きました。↓ お腹がすいたので、前日スーパーマーケットで購入した食材を、列車内で昼食として食べた。↓ ポンバル(POMBAL)駅。↓ GRANJA DO ULMEIRO ALFARELOS (グランジャ・ド・ウルメイロ・アルファレオス)駅。↓ モンデゴ川とアスデ橋。↓ コインブラB駅。↓ コインブラB駅で下車した。↓ 思わず写真に撮りたくなる車両のスプレー落書き。
2026.05.21
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【旅行13日目】ポルトガル・ファティマ近く2025年5月29日(木)、リスボン・オリエンテ駅から鉄道でコインブラを目指します。途中で、「Chao de Macas - Fatima: シャオン・デ・マサス・ファティマ駅」と「Caxarias - Fatima : カシャリアス・ファティマ駅」という、ファティマの名前が付いている駅を通りました。駅名にファティマとありますが、ファティマ市内とは20キロ以上離れています。駅からは車かバスでファティマ市内に移動する必要があります。私が小学生の頃、不思議な話が大好きで、夏になると幽霊、心霊写真、霊能者の霊視、奇跡の話などテレビ番組を夢中で見たり、雑誌を買ったりしていました。特に、1999年8月に世界が終わるというノストラダムスの大予言と、ファティマの子供たち3人の前に聖母マリアが現れ、3つの予言をし、その奇跡はカトリック教会が公認したというファティマの予言は忘れられませんでした。ファティマの3つの予言を簡単に紹介します。1917年5月13日、ファティマの3人の子供たち(ルシア、フランシスコ、ジャシンタ)の前に聖母マリアが現れ、6ヶ月続けて毎月13日にこの場所に来るように言われ、その後会うと聖母から3つの予言を聞くことになりました。3つの予言は次の内容です。① 地獄は実在する。人々が罪な生活を送り改心しないと、死後に地獄に行き、二度と地獄から出られない。聖母マリアは3人に地獄のビジョンを見せ、3人はあまりに悲惨な光景に戦慄した。3人が聖母マリアに、自分たちは天国に行く事ができるかと聞くと、マリアは天国に行けるが、ルシアには天国に行くまでにロザリオの祈りをたくさん唱えなければならないと伝えた。結局、フランシスコとジャシンタは、数年後に亡くなったが、ルシアは修道女になり97歳まで生きた。② 第一次世界大戦はまもなく終わるが、人々が悔い改めない限り再び大きな戦争が起きる。③ 3つ目は、聖母マリアは1960年になるまで秘密にするように厳命して伝えた。その内容は「ファティマ第三の秘密」とされ、生存したルシアを通じて教皇庁に伝えられたが、教皇庁は長らく公表せず、2000年になって内容を発表した。内容は教皇暗殺の危機であった。1917年10月13日には、約7万人の群衆が雨の中、3人の子供たちといっしょに聖母マリアの出現を待った。すると太陽を見ることができ、その太陽は狂ったように急降下や回転を繰り返し、多くの人がその様子を見たとされる。今回、ポルトガルのファティマを旅行ルートに書き込んだのですが、妻は興味がないということで却下したので、観光ルートから外しました。将来、一人で再びポルトガルの旅をすることがあれば、是非訪れたいです。ーーーーーーーーーーーーー手元の本「地球の歩き方2022~ ムー異世界の歩き方/Gakken」p200~201には、「マリアが姿を現すという奇跡の舞台 聖母顕現の3大聖地(ポルトガル、フランス、メキシコ)が紹介されています。「イエスの母である聖母マリアは、無原罪で生を受け肉体と霊魂をもったまま天国に召されたとされるなど、カトリック教会において、特別な地位を占めている。そのため聖母マリアが人々の前に姿を現したという奇跡の報告も、時と場所を問わず数多いが、そのうちカトリック教会が公認した聖母顕現の地は、立派な教会が建てられるなど、多くの人々が訪れる巡礼地になっている。① ファティマ(ポルトガル)第一次世界大戦中の1917年5月13日、この地で3人の子供の前に聖母マリアが出現した。聖母はその後5カ月にわたり毎月13日に現れ、3つの予言を告げたという。10月13日の最後の顕現では、7万人の大観衆の前で、太陽が異常な動きをするという奇跡も起きている。当時のファティマは、オリーブの木が点在するだけの荒れ地だったが、今は荘厳なバジリカ教会が建つカトリックの聖地。教会前の大広場には10万人もの巡礼者で埋め尽くされる。② ルルド(フランス)1858年2月11日、ポー川のほとりにある洞窟近くに薪を集めに来た14歳の少女がいた。その名はベルナデット・スビルー。突然彼女の前に現れた聖母マリアは、その後17回にわたって同じ場所に出現し、ある日「泉へ行って水を飲み、顔を洗いなさい」と命じた。洞窟近くの地面を掘ると泉が湧き始め、その湧き水によって病気が治癒する奇跡が何度も起きたといわれる。この小さな町は全世界から年間600万人が集まるカトリック最大の巡礼地のひとつ。特に病をもつ人々にとって重要な聖地となった。広大な聖域には、無原罪の御宿り聖堂が建ち、聖母が出現されたとされるマザビエルの洞窟では、奇跡の水が今も湧いており、好きなだけ水を汲むことができる。③ グアダルーペ(メキシコ)メキシコ・シティ郊外にあるグアダルーベは、1531年に聖母マリアが出現し、その姿がマントに浮かびあがったという奇跡の地。グアダルーペ寺院の裏側にある小さな丘が奇跡のあったテベヤックの丘で、麓から飾り階段が続き、頂上には礼拝堂が建っている。グアダルーペ寺院には、メキシコ国民の精神的な支えであるグアダルーペの聖母が祀られている。この聖母は黒い髪と褐色の肌を持ち、カトリックの聖母のなかでは異色の存在だ。」ーーーーーーーーーー↓ リスボンから北へ向かう鉄道ルート。ファティマ市内と鉄道ルートは20キロ以上離れている。↓ ファティマ市内と鉄道駅は、20キロ以上離れている。スマホの青丸は「Chao de Macas - Fatima: シャオン・デ・マサス・ファティマ駅」付近の記録。ファティマの名前が付いている2つの駅を紹介します。① 「Chao de Macas - Fatima: シャオン・デ・マサス・ファティマ駅」ーーーーーーー↓ 次の駅まで移動。ーーーーーーーーーーーー②「Caxarias - Fatima : カシャリアス・ファティマ駅」ーーーーーーーーーーーーー↓「地球の歩き方2022~ ムー異世界の歩き方/Gakken」「地球の歩き方2022~ ムー異世界の歩き方/Gakken」p200~201聖母顕現の3大聖地(ファティマ、ルルド、グアダルーペ)の紹介。↓ ファティマの記事。
2026.05.20
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【旅行13日目】ポルトガル・リスボン→コインブラ2025年5月29日(木)朝、リスボン・オリエンテ駅、5番ホームで7時39分発、コインブラーB駅行き インターシティー IC511号に乗り、コインブラを目指しました。列車はテージョ川そばの街を通り、北に進んでいきます。まずは、オリエンテ駅からテージョ川に沿ってコインブラの中間あたりまでの写真を紹介します。ーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ リスボン・オリエンテ駅5番ホーム。手前の男性に、列車を間違えたら心配だと話すと、同じ列車に乗るので来たら教えてあげると言っていただいた。↓ IC511が進入してきた。↓ この男性に、この列車で間違いないと言われた。↓ この男性は1等車両に乗る。↓ 私と妻は2等車両。↓ 2等車両に乗った。↓ 車内風景。↓ カバンを置いた。↓ 指定座席。↓ 列車は出発した。↓ テージョ川が見えてきた。↓ テージョ川。↓ Vila Franca de Xira (ビラ・フランカ・デ・シーラ)駅。↓ マレシャル・カルモナ橋。↓ 切符のチェック。↓ レジリア橋。↓ セチル(SETIL)駅からテージョ川に向かって進む貨物列車。↓ Santarem (サンタレン)駅と給水塔。↓ 鉄道模型展の案内(国立鉄道博物館)。↓ Entroncamento(エントロンカメント駅)。↓ 列車のトイレ。すでに誰かが汚していた。↓ 鉄道のルート。テージョ川の近くを北に進んでいる。
2026.05.19
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【旅行13日目】ポルトガル・リスボン2025年5月29日(木)朝6時45分にリスボン・オリエンテ駅に着きました。7時39分発コインブラB行きの列車に乗るためです。オリエンテ駅の構内を歩くのですが、どこがプラットフォームの入口か分からず、間違えて反対側のエリアを回って時間をロスしました。7時39分の列車に乗れなかったらどうしようという不安が頭をよぎりました。駅の切符売り場を見つけたのでスマホのチケット画面を見せて相談すると、プラットフォームの番号(5番線)と行き方を教えてもらえました。駅構内をバタバタ歩き回ったので、5番線プラットフォームに着いても、どんどん発着する車両を見ていると、列車を間違えて乗車しないかどうか心配になりました。近くにいたポルトガル人に話しかけると「同じ電車に乗るから安心すること。電車が来たら教えてあげる」と言われホッとしました。7時39分の電車を待つ間、色々なポルトガル鉄道(Comboios de Portugal : CP)の車両を写真に撮りました。一部を紹介します。↓ オリエンテ駅の5番線プラットフォームに着いた。最初は駅構内の反対側を歩き回り、プラットフォーム入口が分からず焦った。切符販売所を見つけて聞いたところ、プラットフォームの番号(5番線)と行き方を教えてくれた。↓ CP2462、CP2381。↓ CP2245。↓ CP2414。↓ CP2381。↓ CP2363。↓ CP2381。↓ CP2381。↓ 「LINHA 5 7:39 COIMBRA-B IC511」(5番線 7:39発 コインブラーB駅行き インターシティー511号) ベンチに座る妻。↓ CP3527↓ CP2319。↓ CP2372
2026.05.18
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【旅行13日目】ポルトガル・リスボン2025年5月29日(木)、朝5時からトゥリム・アラメダホテルの部屋で朝食をとり、チェックアウトしました。ホテル近くの地下鉄アラメダ駅に6時10分に行ったのですが、入口のゲートが開かず、6時25分過ぎにやっと係員が来てゲートを開けました。リスボン・オリエンテ駅7:39発、コインブラB駅9:38着の電車に乗るため、急いでアラメダ駅で車両に乗り、6時45分頃、オリエンテ駅に着きました。地下鉄オリエンテ駅では、日本の有名な画家である「草間弥生」さんの壁絵を見ることができて驚きました。それ以外でも、エローさん、アブドゥライ・コナーテさんの作品を撮りました。ポルトガル鉄道オリエンテ駅は、1998年のリスボン万博の会場の一角に造られました。とても近代的なデザインです。↓ 朝5時に、部屋の中で朝食をとる。前日にスーパーマーケットで購入していた食材。↓ トゥリム・アラメーダホテルを6時にチェックアウト。↓ アラメダ駅に進む。↓ フォンテ・ルミノーザの噴水。↓ 地下鉄アラメダ駅の入口。6時10分だが閉まっている。↓ アラメダ駅からレッドラインでオリエンテ駅に行く。レッドラインの終点はリスボン空港。↓ 6時25分にやっと地下鉄の入口が開いた。↓ アラメダ駅。↓ 車両に乗った。↓ 途中で外の景色を見ることが出来た。↓ 途中のシェラス駅。↓ 途中のオリヴァイス駅。↓ オリエンテ駅に到着。↓ オリエンテ駅の草間弥生さんの絵。プラットフォームの両側にある。↓ オリエンテ駅の草間弥生さんの絵。リスボン万博に合わせ1994年に制作。ーーーーーーーーーーーーーーーー↓ エロー(Erro)さんの壁画ーーーーーーーーーーーーーーー↓ アブドゥライ・コナーテ(Abdoulaye Konate)さんの壁画。ーーーーーーーーーーーーー↓ 6時45分、オリエンテ駅に到着。↓ ポルトガル鉄道オリエンテ駅。
2026.05.17
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【旅行12日目】ポルトガル・リスボン2025年5月28日(水)、地下鉄アロイオス駅を出た後、夜食の食材を買うため、数件の店を回りました。スーパーマーケットで買い物をしたとき、妻がポルトガルでは鴨ライスが有名らしいと言って、鴨ライスのパックを買いました。ホテルに帰り、電子レンジが無いので冷たいまま鴨ライスを食べましたが、どうも口に合わず、かといって捨てるわけにもいかないので、30分くらい時間をかけて少しずつ口に入れて完食しました。リスボン最後の夜は、鴨ライスの思い出が残りました。↓ 1件目の店。↓ 2件目の店。↓ 3件目の店。↓ 4件目の店。↓ 5件目の店。↓ 6件目の店。↓ トゥリム・アラメダホテルに着いた。↓ 妻が鴨ライスを食べるが、冷たいままだったので、口に合わなかった。↓ 私が時間をかけて鴨ライスを完食した。↓ リスボン最後の夜。ホテルの窓からの景色。
2026.05.16
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【旅行12日目】ポルトガル・リスボン2025年5月28日(水)、見納めという事で再び市電に乗りました。ポスタス・ド・ソル広場に行く坂道で、市電が急停止しました。細い道で車が線路に飛び出しています。市電の運転手が車の運転手に大声でもっと車を端に動かすように言います。1分以上も市電が停車していましたが、市電運転手は見切りをつけて電車を動かしました。市電と車の側面が接触し、ガリガリと大きな音が聞こえます。市電の左側に座っていた人たちは、その接触の様子を見て思わず大爆笑していました。私と妻は右側に座っていたので、残念ながら接触するところの写真を撮れず、とても残念でした。車の運転手はでかい声で悪態をついて怒りの叫び声を上げていました。それ以外ですが、聖ヴィンセント像、タミ・ホプフの壁絵を紹介します。↓ 市電の軌道は車だらけ。↓ 市電と車が接触しそうになり、市電が1分以上停止した。市電の運転手が車の運転手にもっと端に寄るように大声で怒る。↓ これ以上止まれないので、市電は動き始めた。↓ 市電と車の側面が接触し、ガリガリと大きな音が聞こえた。↓ ガリガリガリガリ!↓ 車の運転手の叫び声が聞こえた。↓ その様子を見ていた人たちは、思わず大爆笑。↓ 市電は何もなかったかのように坂を進んでいった。↓ ポスタス・ド・ソル広場で下車した。↓ Saint Vicente像。(聖ヴィンセント)聖ヴィンセントはスペインの殉教者で、西暦303年にローマ皇帝ディオクレディアヌスによるキリスト教徒迫害の時、ヴィンセントは拷問を受けて殉教した。西暦1173年、ポルトガル王アルフォンソ1世は、ポルトガル南部の海域から聖ヴィンセントの遺骨をリスボンに運んだ。伝説では、航海中、2羽のワタリガラスが船を護衛したとされている。このヴィンセント像の左手には、2羽のワタリガラスを乗せた帆船を抱えており、このモチーフがリスボン市の紋章の由来となっている。↓ ヴィンセント像の左手には、2羽のワタリガラスを乗せた帆船を抱えており、このモチーフがリスボン市の紋章の由来となっている。↓ リスボン市の紋章。2羽のワタリガラスを乗せた帆船。↓ サン・ビセンテの丘。↓ サント・エステヴァン教会。↓ テージョ川。↓ サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ修道院。↓ 暑いので、売店で妻がジュースを買った。↓ テージョ川。↓ 画家・TAMI HOPF(タミ・ホプフ)の作品。1987年にブラジル・ポウソ・アレグレで生まれたタミレス・ホプカルトナー(別名タミ・ホプフ)は、サンパウロのカスパー・リベロ大学で視覚コミュニケーションを学び、その後、ブラジル、チリ、オーストラリア、アルゼンチンのデザインエージェンシーでアートディレクターとして勤務した。2013年に、彼女はスイスへ移住し、ヴェヴェイにスタジオを設立し、2015年から個人の作品に取り組んだ。↓ タミ・ホプフは、花と金色の太陽円盤で飾られた、波から姿を現す、飛翔する鳥に囲まれてたエレガントな女性を描いた。神話と女性性を呼び起こす、上品でエレガントな線画。↓ 再び市電に乗って、街に戻ることにした。↓ 市電を下車した。↓ 阿夫利リスボン ラーメン店。↓ 地下鉄バイシャ=シアード駅。↓ バイシャ=シアード駅。↓ アロイオス駅。↓ アロイオス駅を出た所。
2026.05.15
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【旅行12日目】ポルトガル・リスボン市電でグラッサ駅から坂道を下り続け、フィゲイラ広場に戻りました。フィゲイラ広場の中央には、「ジョアン一世騎馬像」があります。ジョアン1世はポルトガル王(1385ー1433)で、エンリケ航海王子の父です。↓ グラッサ駅の坂道。↓ 市電に乗車する。↓ 坂を下っていく。↓ サンタ・ルシア展望台。↓ フィゲイラ広場が見えてきた。↓ ジョアン1世騎馬像。(エンリケ航海王子の父)↓ フィゲイラ駅。
2026.05.14
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【旅行12日目】ポルトガル・リスボン2025年5月28日(水)、リベイラ市場で食事をした後、コンセイサン駅で市電に乗り、行くところまで行こうという話になりました。市電車両はアルファマの坂を登り、グラッサの停留所で止まりました。車掌が全員降りるように促したので下車しました。あまりに暑いので、妻が近くのスーパーマーケット「My Auchan」でコーラを購入して飲みました。戻りの市電がなかなか来ず、20分以上待っていました。↓ コンセイサン駅で市電に乗る。↓ 乗車した。↓ サンタ・ルシア展望台。↓ テージョ川。↓ グラッサ駅で全員降ろされた。↓ スーパーマーケット「My Auchan」に入る妻。↓ 暑いのでコーラを飲んだ。↓ グラッサ駅周辺。↓ グラッサ駅から下る坂道とテージョ川。↓ 暑いので休憩する妻。↓ やっと戻る市電がやってきた。
2026.05.13
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【旅行12日目】ポルトガル・リスボン2025年5月28日(水)、昼にリベイラ市場(MERCAD DA RIBEIRA)に行きました。市場の壁側には店が並び、中央には客が食事をする長テーブルが設置されていますが、昼の時間で空きスペースが無く、人でごった返していました。人が立って空いたと思ったら、他の人が駆け込む感じで、席取りで20分以上かかりました。全部の店を見て回りましたが、妻と私の意見が一致した店がありました。それは「SUSANA FELICIDADE : スザーナ・フェリシダーデ」という店です。看板には「COZINHA PORTUGUESA DE AUTOR E TRADITIONAL ALGARVIA:シェフの創作ポルトガル料理と、伝統的な(ポルトガル南部の)アルガルヴェ地方料理」と書いてあります。この店のカウンターに紹介された煮込み料理を見た時、二人ともこれが食べたいと言いました。その料理は「FEIJOADA DE GAMBAS フェイジョアーダ・デ・ガンバス」で、豆とエビの煮込み料理です。インゲン豆をエビ、タマネギ、トマト、ニンニク、オリーブオイルなどと一緒に煮込んだ食べ物です。このフェイジョアーダ・デ・ガンバスを食べながら周りを見ると、同じ料理を食べている人たちが多いことに気が付きました。皆、この料理に惹かれたのでしょう。↓ リベイラ市場。↓ リベイラ市場(MERCAD DA RIBEIRA)入口。↓ 市場の中の様子。↓ 昼なので、人でごった返していた。↓ 両側に店が並び、中央部分は長机と椅子がある。↓ 空いている場所が全然ない。↓ 妻と一緒に店を見て回る。↓ 全部の店を見て回ったが、手前に置いてあった料理皿を見て、これが食べたいと妻と私の意見が一致した。「SUSANA FELICIDADE : スザーナ・フェリシダーデ」という店。料理は「FEIJOADA DE GAMBAS フェイジョアーダ・デ・ガンバス」で、豆とエビの煮込み料理。↓ 「SUSANA FELICIDADE : スザーナ・フェリシダーデ」という店。↓ 料理ができたらペジャーが鳴るシステム。↓ ペジャーが鳴って光ったので、料理を取りに行く。↓ 料理は「FEIJOADA DE GAMBAS フェイジョアーダ・デ・ガンバス」で、豆とエビの煮込み料理。↓パンが付いている。↓ コーラ。↓ 食事をしたので、リベイラ市場を出た。↓ テルセイラ侯爵の像。スペインとポルトガルの戦争時、ポルトガルの軍元帥だった。↓ リスボン市役所。↓ リスボンのさらし台。↓ ムニシーピオ広場。↓ 貨幣博物館。
2026.05.12
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【旅行12日目】ポルトガル・リスボン2025年5月28日(水)、ベレンの「発見のモニュメント」の屋上から景色を写真に撮った後、再びポルトガル国鉄車両でカイス・ド・ソドレ駅に戻りました。途中で4月25日橋、アルカンタラ・マール駅、サントス駅を通りました。↓ 発見のモニュメント。↓ 地下通路で鉄道・道路をくぐる。↓ インペリオ広場にでた。↓ インペリオ広場の馬の像。↓ 路面電車でリスボンに戻ることを考えたが、人が多すぎるので、ポルトガル国鉄で帰ることにした。↓ ベレン駅。↓ ポルトガル国鉄車両。↓ ベレン駅プラットフォーム。↓電車が来た。↓ 乗車した。↓ 4月25日橋が見えてきた。↓ 4月25日橋。上は車が走り、下は鉄道が進む。↓ 1991年10月にリスボンに来た時、この4月25日橋を車で対岸のリスナベまで行ったことがある。とても懐かしい。(当時の写真)↓ リスボン港。↓ アルカンタラ・マール駅。↓ リスボン港。↓ サントス駅。↓ カイス・ド・ソトレ駅着。↓ 改札。↓ カイス・ド・ソドレ駅。↓ 路面電車。↓ リベイラ市場。
2026.05.11
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【旅行12日目】ポルトガル・ベレン2025年5月28日(水)、リスボン・ベレンにある発見のモニュメントの頂上に上がり、景色を写真に撮りました。一部を紹介します。↓ 発見のモニュメント。↓ 入口。↓ AO INFANTE D.HENRIQUE E AOS PORTUGUESES QUE DESCOBRIRAM OS CAMINHOS DO MAR「エンリケ航海王子と、大海への航路を開拓したポルトガル人たちに捧ぐ」↓ NO V CENTENARIODO INFANTE D.HENRIQUE1460-1960「エンリケ航海王子没後500年を記念して(1460-1960)」↓ 塔の屋上。↓ テージョ川。4月25日橋。↓ 4月25日橋とクリスト=レイ像。↓ 4月25日橋とカシーリャス(Cacilhas)。↓ 4月25日橋とリスボン港。↓ ベレンの塔。↓(手前)民衆美術館。(中央)ジャパン庭園(Jardim do Japão)、(奥)アルティス・ベレン・ホテル。↓ (手前)レストラン。↓ テージョ川対岸。↓ ターミナル・デ・リコス(Terminal de Liquidos)。↓ ポート・ブランダン。↓ トラファリア(Trafaria)。↓ トラファリア・ターミナル。↓ ポルトガル国鉄車両。↓ 現代美術館。↓ ジェロニモス修道院とプラサ・ド・インペーリオ庭園。↓ ジェロニモス修道院。↓ プラサ・ド・インペーリオ庭園。↓ レステロ競技場。↓ ジェローニモス通りの坂道。↓ メモリア教会。↓ アジュダ宮殿。↓ 階段で降りる。↓ 塔を出た所。
2026.05.10
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【旅行12日目】ポルトガル・ベレン2025年5月28日(水)、リスボン・ベレンにある「発見のモニュメント」を見に行きました。エンリケ航海王子の500回忌を記念して、1960年に造られたモニュメントで、帆船をモチーフにしています。モニュメントの西側、東側にそれぞれ大航海時代に活躍した人々の像が並んでいます。【モニュメント西側】1.エンリケ航海王子2. フェルナンド王子(ジョアン1世の王子)3.ジョアン・ゴンサルヴェス・ザルコ(マディラ諸島の発見者)4. ベロ・デ・アレンケル(航海士。アフリカ・インド航路探検に参加)4.ジル・エアネス(航海士。ボハドル岬を突破した)6. ペドロ・ヌネシュ(天文学者・数学者・航海術研究者)7.ペロ・デ・エスコパル(航海者。ギニア湾沿岸を探検)8. ジャコモ・デ・マイオルカ(地図製作者)9. ペロ・ダ・コヴィリャン(探検家。陸路でインド・エチオピアを調査)10. ゴメス・エアネス・デ・ズララ(航海事業を記録した年代記作家)11. ヌーノ・ゴンサルヴェス(15世紀の画家)12. ルイス・デ・カモンイス(ポルトガル最大の詩人。叙事詩「ウズ・ルジアダス』作者。「ここに地果て、海始まる」)13. フレイ・エンリケ・デ・カルヴァーリョ(宣教師。海外布教)14. フレイ・ゴンサロ・デ・カルヴァーリョ(宣教師。海外布教)15. フェルナン・メンデス・ピント(東アジアを旅した冒険家)16. フィリッパ・オヴ・ランカスター(エンリケ航海王子の母でポルトガル王妃)17. ペドロ王子(エンリケ航海王子の兄)【モニュメント東側】1.エンリケ航海王子2.アフォンソ5世(ポルトガル国王。アフリカ王と呼ばれた)3.ヴァスコ・ダ・ガマ(探検家。インド航路を初めて開拓した)4.アルフォンソ・ゴンザルヴェス・バルダイア(航海士。アフリカ西海岸を南下し西サハラまで探検)5.ペドロ・アルヴァレス・カプラル(探検家。ブラジル到達でポルトガル領とした)6.フェルディナンド・マゼラン(探検家。史上初の世界一周をした船団の指揮官)7.ニコラウ・コエーリョ(航海士。ガマの航海、カブラルのブラジル到達に同行)8.ガスパール・コルテ=レアル(探検家。グリーンランド、カナダのラブラドル半島を探検)9.マルディン・アフォンソ・デ・ソウザ(初代ブラジル総督)10.ジョアン・デ・バロス(歴史家。東インドのポルトガルの歴史「アジア年代記」を執筆。11. エステヴァン・ダ・ガマ(ヴァスコ・ダ・ガマの息子。インド総督)12. バルトロメウ・ディアス(探検家。喜望峰に欧州人として初めて到達)13. ディオゴ・カオン(探検家。コンゴ川河口を発見し、ポルトガルの石碑を建てた)14. アントニオ・デ・アブレウ(航海士。モルッカ諸島、ティモール島に初めて到達)15. アフォンソ・デ・アルブケルケ(第2代インド総督。ゴア、マラッカを占領)16. フランシスコ・ザビエル(イエズス会宣教師。日本で布教)17. クリストヴァン・ダ・ガマ(ヴァスコ・ダ・ガマの息子。エチオピア軍事指揮官)↓ 発見のモニュメント。↓ 発見のモニュメント、テージョ川、4月25日橋。↓【モニュメント西側】1.エンリケ航海王子2. フェルナンド王子(ジョアン1世の王子)3.ジョアン・ゴンサルヴェス・ザルコ(マディラ諸島の発見者)4. ベロ・デ・アレンケル(航海士。アフリカ・インド航路探検に参加)4.ジル・エアネス(航海士。ボハドル岬を突破した)6. ペドロ・ヌネシュ(天文学者・数学者・航海術研究者)7.ペロ・デ・エスコパル(航海者。ギニア湾沿岸を探検)8. ジャコモ・デ・マイオルカ(地図製作者)9. ペロ・ダ・コヴィリャン(探検家。陸路でインド・エチオピアを調査)10. ゴメス・エアネス・デ・ズララ(航海事業を記録した年代記作家)11. ヌーノ・ゴンサルヴェス(15世紀の画家)↓9. ペロ・ダ・コヴィリャン(探検家。陸路でインド・エチオピアを調査)10. ゴメス・エアネス・デ・ズララ(航海事業を記録した年代記作家)11. ヌーノ・ゴンサルヴェス(15世紀の画家)12. ルイス・デ・カモンイス(ポルトガル最大の詩人。叙事詩「ウズ・ルジアダス』作者。「ここに地果て、海始まる」)13. フレイ・エンリケ・デ・カルヴァーリョ(宣教師。海外布教)14. フレイ・ゴンサロ・デ・カルヴァーリョ(宣教師。海外布教)↓ 12. ルイス・デ・カモンイス(ポルトガル最大の詩人。叙事詩「ウズ・ルジアダス』作者。「ここに地果て、海始まる」)13. フレイ・エンリケ・デ・カルヴァーリョ(宣教師。海外布教)14. フレイ・ゴンサロ・デ・カルヴァーリョ(宣教師。海外布教)15. フェルナン・メンデス・ピント(東アジアを旅した冒険家)16. フィリッパ・オヴ・ランカスター(エンリケ航海王子の母でポルトガル王妃)↓14. フレイ・ゴンサロ・デ・カルヴァーリョ(宣教師。海外布教)15. フェルナン・メンデス・ピント(東アジアを旅した冒険家)16. フィリッパ・オヴ・ランカスター(エンリケ航海王子の母でポルトガル王妃)17. ペドロ王子(エンリケ航海王子の兄)ーーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ モニュメントの東側。↓【モニュメント東側】1.エンリケ航海王子2.アフォンソ5世(ポルトガル国王。アフリカ王と呼ばれた)3.ヴァスコ・ダ・ガマ(探検家。インド航路を初めて開拓した)4.アルフォンソ・ゴンザルヴェス・バルダイア(航海士。アフリカ西海岸を南下し西サハラまで探検)5.ペドロ・アルヴァレス・カプラル(探検家。ブラジル到達でポルトガル領とした)6.フェルディナンド・マゼラン(探検家。史上初の世界一周をした船団の指揮官)7.ニコラウ・コエーリョ(航海士。ガマの航海、カブラルのブラジル到達に同行)8.ガスパール・コルテ=レアル(探検家。グリーンランド、カナダのラブラドル半島を探検)9.マルディン・アフォンソ・デ・ソウザ(初代ブラジル総督)10.ジョアン・デ・バロス(歴史家。東インドのポルトガルの歴史「アジア年代記」を執筆。↓6.フェルディナンド・マゼラン(探検家。史上初の世界一周をした船団の指揮官)7.ニコラウ・コエーリョ(航海士。ガマの航海、カブラルのブラジル到達に同行)8.ガスパール・コルテ=レアル(探検家。グリーンランド、カナダのラブラドル半島を探検)9.マルディン・アフォンソ・デ・ソウザ(初代ブラジル総督)10.ジョアン・デ・バロス(歴史家。東インドのポルトガルの歴史「アジア年代記」を執筆。11. エステヴァン・ダ・ガマ(ヴァスコ・ダ・ガマの息子。インド総督)12. バルトロメウ・ディアス(探検家。喜望峰に欧州人として初めて到達)13. ディオゴ・カオン(探検家。コンゴ川河口を発見し、ポルトガルの石碑を建てた)↓10.ジョアン・デ・バロス(歴史家。東インドのポルトガルの歴史「アジア年代記」を執筆。11. エステヴァン・ダ・ガマ(ヴァスコ・ダ・ガマの息子。インド総督)12. バルトロメウ・ディアス(探検家。喜望峰に欧州人として初めて到達)13. ディオゴ・カオン(探検家。コンゴ川河口を発見し、ポルトガルの石碑を建てた)14. アントニオ・デ・アブレウ(航海士。モルッカ諸島、ティモール島に初めて到達)15. アフォンソ・デ・アルブケルケ(第2代インド総督。ゴア、マラッカを占領)↓12. バルトロメウ・ディアス(探検家。喜望峰に欧州人として初めて到達)13. ディオゴ・カオン(探検家。コンゴ川河口を発見し、ポルトガルの石碑を建てた)14. アントニオ・デ・アブレウ(航海士。モルッカ諸島、ティモール島に初めて到達)15. アフォンソ・デ・アルブケルケ(第2代インド総督。ゴア、マラッカを占領)16. フランシスコ・ザビエル(イエズス会宣教師。日本で布教)17. クリストヴァン・ダ・ガマ(ヴァスコ・ダ・ガマの息子。エチオピア軍事指揮官)
2026.05.09
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【旅行12日目】ポルトガル・ベレン2025年5月28日(水)、ポルトガルのベレンにある、世界遺産のベレンの塔に行きましたが、修理中で中に入る事ができませんでした。ベレンの塔はマヌエル1世の命により1515年に着工し、1520年に完成しました。テージョ川を行きかう船を監視し、河口を守る要塞として造られました。近くにはフェアリーⅢ複葉機のモニュメントがありました。ポルトガル飛行士ガゴ・コウチーニョとサカドゥラ・カブラルが1922年にリスボンからリオデジャネイロまで南大西洋横断に成功したことを記念するものです。↓ ベレンの塔。↓ ベレンの塔近くで、枝を切る人。↓ ベレンの塔。↓ 改修中で中に入れなかった。↓ 記念写真。↓ トラファリア・ポートターミナル。↓ トラファリアはテージョ川を挟んで対岸にある。↓ 4月25日橋。↓ クリスト・レイ像。↓ 石油備蓄タンク。↓ 近くにはフェアリーⅢ複葉機のモニュメント。ポルトガル飛行士ガゴ・コウチーニョとサカドゥラ・カブラルが1922年にリスボンからリオデジャネイロまで南大西洋横断に成功したことを記念して作られた。↓ テージョ川と4月25日橋。↓ ポルトガル国鉄車両。↓ ベレン灯台。↓ 奥は発見のモニュメント。
2026.05.08
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【旅行12日目】ポルトガル・ベレン2025年5月28日(水)、リスボン・ベレンにあるジェロニモス修道院を見た後、トイレを探しました。屋外有料トイレを見つけたのですが、修理中で使えませんでした。結局マクドナルドに行き、私はアイスを注文し、妻はトイレに行きました。路面電車に乗車し西に進み、ベレンの塔近くで下車しました。↓ 屋外有料トイレのドアを開けようとしたが、開かなかった。↓ トイレの裏を見ると、修理をしていた。↓ マクドナルドに行く。↓ マクドナルド。↓ 暑いので、アイスを注文した。↓ カウンター。↓ マクドナルドのトイレ。商品購入のレシートの番号を入力するとドアが開いた。↓ 暑いので、妻は水、私はアイスを注文した。↓ ジェロニモス修道院。↓ 路面電車の駅。↓ 路面電車に乗車することにした。↓ 乗車した。↓ ジェロニモス修道院が見える。↓ 発見のモニュメントが見えた。↓ 現代美術館。↓ 路面電車を下車した。↓ 歩道橋。↓ 歩道橋から西を見る。↓ 歩道橋から東を見る。奥は4月25日橋。↓ 4月25日橋とマリーナ。↓ テージョ川とマリーナ。↓ クリスト・レイ像。
2026.05.07
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【旅行12日目】ポルトガル・ベレン2025年5月28日(水)、ベレンのジェロニモス修道院を見学しました。ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路開拓と圓里香航海王子の偉業を称え、1502年にポルトガル幸運王マヌエル1世が修道院を着工しました。建設資金はバスコ・ダ・ガマが持ち帰った香辛料による利益をつぎ込み、結局建設に300年もかかった大航海時代を象徴する建物です。建物の中には、ポルトガル最大の詩人ルイス・デ・カモンイスと、インド航路を発見したヴァスコ・ダ・ガマの石棺がありました。ユーラシア大陸最南端のロカ岬には、ルイス・デ・カモンイスの有名な言葉「ここに地果て、海始まる」を刻んた石碑があります。↓ ジェロニモス修道院と南門。↓ 南門にある聖ジェロニモスの像。↓ 南門にあるエンリケ航海王子の像。↓ 西門入口。↓ 西門。↓ ポルトガル詩人ルイス・デ・カモンイスの石碑。有名な言葉「ここに地果て、海始まる」が刻まれている。↓ ルイス・デ・カモンイスの石碑。中央に竪琴が彫られている。↓ サンタマリア像。↓ ポルトガル王マヌエル1世、王妃マリア、息子のジョアン3世、王妃カタリナの棺が安置されている。↓ インド航路発見者のヴァスコ・ダ・ガマの石棺。↓ ヴァスコ・ダ・ガマの石棺。中央にカラベル船が彫られている。
2026.05.06
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【旅行12日目】ポルトガル・ベレン2025年5月28日(水)、ベレン駅から徒歩でジェロニモス修道院へ行きました。途中には国立馬車博物館、アフンソ・デ・アルブケルケ庭園、ベレン宮殿があります。ベレン宮殿はポルトガル大統領の公邸です。ちなみにベレンとはポルトガル語でベツレヘムのことです。↓ ベレン駅から歩道橋でポルトガル鉄道、車道を越える。奥の橋は「4月25日橋」。↓ ベレン宮殿が見える。↓ アフンソ・デ・アルブケルケ庭園の中央にある「アフンソ・デ・アルブケルケ像」。この人は、1453年にリスボン郊外で生まれ、ポルトガル領インド植民地の総督だった。↓ 歩道橋を歩く妻。↓ 国立馬車博物館(Museu Nacional dos Coches)。↓ ジュンケイラ通り。↓ この区画がベレン宮殿。↓ アフンソ・デ・アルブケルケ庭園の中央にある「アフンソ・デ・アルブケルケ像」。↓ アフンソ・デ・アルブケルケ庭園。↓ ベレン宮殿(大統領公邸)の正門。↓ 美しいジャカランタの花。↓ ベレン通りを歩くと、ジェロニモス修道院が見えてきた。↓ 記念撮影。↓ 長蛇の列。↓ テージョ川の対岸にある石油備蓄タンク。↓ 路面電車。↓ ジェロニモス修道院のチケット売り場案内。
2026.05.05
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【旅行12日目】ポルトガル・ベレン2025年5月28日(水)、サンタ・ジュスタ・エレベーターを見た後、地下鉄バイシャ・シアード駅から地下鉄カイス・ド・ソドレ駅に移動しました。ここでポルトガル国鉄カイス・ド・ソドレ駅に入り、カスカイス行きの列車に乗車します。6㌔先にあるベレン駅で下車しました。ベレンでは、ジェロニモス修道院、ベレンの塔、発見のモニュメントを見る予定です。↓ 地下鉄バイシャ・シアード駅入り口。↓ エスカレーターで地下に下りていく。↓ グリーンラインで地下鉄バイシャ・シアード駅から地下鉄カイス・ド・ソドレ駅に移動する。↓ 改札。↓ カイス・ド・ソドレ駅行き。↓ カイス・ド・ソドレ駅で下車。↓ 改札出口。↓ ポルトガル国鉄カイス・ド・ソドレ駅に入る。↓ 20分おきにカスカイス行きの電車がある。↓ プラットフォーム。↓ 列車に乗った。↓ テージョ川が見える。↓ ベレン駅で下車した。リスボンから西に6キロ先。↓ 地球の歩き方 2024-25 ポルトガル/Gakken p99ベレン地区の図。今回は、ジェロニモス修道院、ベレンの塔、発見のモニュメントを見る予定。↓ ベレン駅。↓ 陸橋で線路を越える。
2026.05.04
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【旅行12日目】ポルトガル・リスボン2025年5月28日(火)朝、リスボンのサンタ・ジェスタ・エレベーターに乗って展望台に行きました。景色を見た後、カルモ通に架かる連絡橋を渡り、カルモ教会入口まで進みました。カルモ教会は、1389年に建てられましたが、1755年のリスボン大震災で倒壊し、柱と壁が残っているだけです。妻は興味が無いというので、中に入るのは止めました。私は1991年10月のリスボン旅行中、カルモ教会の中を見て写真を撮っていたので、それを載せます。街で見かけた像を紹介します。1)フェルナンド・ペソア:Fernando Pessoa(1888ー1935)像。ポルトガルの有名な大詩人。2)アントニオ・リベイロ・キアド: Antonio Ribeiro Chiado 像。16世紀のポルトガルの詩人。↓ サンタ・ジュスタ・エレベーターの螺旋階段。↓ テージョ川。↓ カルモ通りに架かる連絡橋。↓ カルモ教会。↓ 屋根の修理。↓ カルモ通り北側。↓ カルモ通り南側。↓ カルモ教会。↓ サンタ・ジュスタ・エレベーターと連絡橋。ーーーーーーーーー↓ 1991年10月12日のエレベータ付近の写真。↓ エレベーター。↓ カルモ教会の内部。 1755年のリスボン大震災で崩壊した。ーーーーーーーーーーーーーーーー↓ カルモ教会。↓ カルモ教会。↓ フェルナンド・ペソア:Fernando Pessoa(1888ー1935)像。ポルトガルの有名な大詩人。↓ アントニオ・リベイロ・キアド: Antonio Ribeiro Chiado 像。16世紀のポルトガルの詩人。
2026.05.03
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【旅行12日目】ポルトガル・リスボン2025年5月28日(水)朝、「リスボンカード」を購入しようと思い、ロシオ広場の観光案内所に行きましたが、閉鎖されていました。次の観光案内所を探そうと歩き始めると、妻がキオスクのような売店の看板を見て「リスボンカード」を売っていることに気が付き、そこで無事購入しました。その時、私が1991年10月にリスボンで「リスボンカード」を買ったのも、このような店だったことを思い出し妻に言うと、「思い出すのが遅すぎる!」と突っ込まれました。ロシオ広場近くにある有名なサンタ・ジュスタ・エレベーターに乗って、屋上の展望台に行きました。45mの高さの鉄塔で、展望台からはリスボン市内が一望できます。↓ 坂道の街リスボン。↓ 妻がこの店の看板を見て、「リスボンカード」が購入できることに気が付いた。↓ 喜ぶ妻。↓ 早速「リスボンカード」を購入した。↓ リスボンカードは、観光案内所でなくても、このような売店で購入可。↓ ロシオ広場。↓ イタリアの水着会社CALZEDONIAのCM。↓ 観光案内所か?↓ サンタ・ジュスタ・エレベーター。↓ 内部はクラシック。↓ エレベーターの歴史を説明する人。↓ カルモ修道院。↓ Topo Chiado:トッポ・シアード。↓ ロシオ駅舎。↓ リスボン空港へ向かう飛行機。↓ 左:リスボン・シェラトンホテル。↓ 中央:ロシオ広場。↓ 奥:マリア2世国立劇場。中央:ペトロ4世ブロンズ像。↓ ペトロ4世ブロンズ像。ポルトガル王であり、同時に初代ブラジル国王になった。↓ ペトロ4世は、ポルトガル王家の皇太子として生まれたが、ナポレオン戦争でブラジルに避難した。1822年にブラジル独立を宣言し、皇帝としてブラジルを統治した。↓ 建物の屋根の修繕をしている。↓ サン・ジョルジェ城。↓ テージョ川。
2026.05.02
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【旅行12日目】ポルトガル・リスボン2025年5月28日(水)朝、リスボンの観光名所を回ることにしました。ホテルのカウンターで、リスボン内の地下鉄、バス、市電、ケーブルカー、近郊鉄道が乗り放題になる「リスボンカード」はどこで購入できるか相談したのですが、観光案内所に行けと言われました。地下鉄アラメダ駅からグリーンラインでバイシャ/シアード駅で乗り換え、ブルーラインのレスタウラドーレス駅で地上に出て観光案内所に行くと、案内所は閉鎖されていました。途中でグローリア・ケーブルカーがあり、私は横を通る時に気づいて写真を撮りましたが、観光案内所に急いで行きたかったので、妻には言いませんでした。妻はリスボンで絶対にケーブルカーに乗りたいと以前から言っていたので、私が妻にケーブルカーがある事を言わなかった件につき、この日、妻と喧嘩になりました。↓ トゥルム・アラメーダホテルを出発。↓ ホテルから地下鉄アラメダ駅への坂道。↓ 妻が歩いて下っていく。↓ アラメダ・ドン・アフンソ・エンヒーケス庭園。↓ 地下鉄アラメダ駅入り口。↓ 地下鉄グリーンラインのカイス・ド・ソドレ行き。↓ 乗車した。↓ バイシャ/シアード駅でブルーラインに乗り換える。↓ ブルーラインのリボレイラ行きに乗る。↓ レスタウラドーレス駅で下車した。↓ 出口。↓ レスタウラドーレス広場。 ↓ グローリア・ケーブルカー。妻は以前から、リスボンではケーブルカーに乗りたいと言っていたのだが、私は観光案内所に急いで行きたかったので、妻には黙っていた。後からそれを聞いた妻は怒った。↓ リスボンカードを購入したく、観光案内所に行った。↓ その観光案内所は閉鎖されており、別の観光案内所の地図が貼ってあった。↓ ホテル・アベニーダ・パレス。↓ Monumento ao Calceteiro 石畳職人の記念碑。石畳の石を敷き詰める作業員を讃えた像。1997年に除幕された。↓ Restorer's Monument1640年にスペイン(ハプスブルグ家)支配からポルトガルが独立回復し、王政復古に成功したことを記念したモニュメント。↓ 約30m。↓ ロシオ駅。シントラ方面の電車が出る。↓ ロシオ広場とペドロ4世モニュメント。
2026.05.01
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