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【旅行11日目】ポルトガル・リスボン2025年5月27日(火)夜、食事をした後、ホテルに戻りました。ホテルでは携帯、バッテリー、カメラなどの機器を充電するため、机は配線だらけになりました。↓ 食事をした後、フィゲイラ広場のロシオ駅へ向かう。↓ フィゲイラ広場とサン・ジョルジュ城。↓ サン・ジョルジュ城。↓ ジョアン1世像。↓ ロシオ駅。↓ 地下鉄ロシオ駅。↓ 犬も乗車。↓ アロイオス駅に到着。↓ CALZEDONIA :イタリアの水着メーカーのCM。↓ チリのアジェンデ元大統領の胸像。 SALVADOL ALLENDE PRESIDENTE DO CHILE1908年6月26日ー1973年9月11日アロイオス駅の上にはチリ広場があり、チリ大使館がリスボン地下鉄に寄贈したもの。アジェンデ元大統領は1973年チリ軍事クーデターで亡くなった。ポルトガルも1974年のカーネーション革命で独裁を終わらせた歴史があり、民主主義を共有する意味で2023年にクーデター50年の記念として設置された。↓ 「歴史は我々のものだ。そしてそれを作るのは民衆だ」↓ 出口。↓ チリ広場。↓ ホテルまで歩いていく。↓ トゥリムアラメーダホテルに到着。↓ ホテルで機器を充電し始めた。
2026.04.30
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【旅行11日目】ポルトガル・リスボン2025年5月27日(火)夜、リド・ショーを見た後、バイシャ地区の細い通りを歩いていました。道の真ん中にレストランの料理看板があり、どんな料理か見ていると、店員の男性がすぐに近寄り、「日本人か。俺も日本に何回も行ったことがある。この店はうまいから、ここに決めろ」というトークにやられ、この店で食事をすることになりました。レストランはドス・コレイロス通りにあるレストラン・ガレオン(Restaurante Galeão/R. dos Correeiros 57)です。肉料理を食べていると、例の店員が、「リスボンに来たからには絶対に飲むべき酒がある」と言ってボトルを持ってきました。Beirão(ベイラン)というポルトガル・リキュールで、20度以上あります。飲んでみると、薬草の味がしました。会計を依頼すると、例の店員が頭で計算するふりをして、請求額だけを書いた紙を机に置きました。明細書はありません。全てが適当。カード払いをしようとすると、この店は現金会計なので、必要なら店の入り口にあるATMで現金を出して払ってほしいと言います。妻が手持ちのユーロで支払いました。↓ ドス・コレイロス通り(R. dos Correeiros)で、メニュー看板を見ていると、店員がすぐにやってきて、ここで食べろと勧誘された。カモネギ。↓ ポートワイン。↓ 店の人がBeirão(ベイラン)というポルトガル・リキュールのビンを持ってきて、リスボンに来たなら絶対に飲むべしと勧めた。↓ リキュールを頼むことにした。↓ 薬草の味がした。↓ 店の入り口にATMの機械が置いてある。
2026.04.29
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【旅行11日目】ポルトガル・リスボン2025年5月27日(火)夕方、リスボンのアルファマ地区でファドショーを見た後、ひっきりなしに行き来する市電を見ながら街を歩きました。リスボンは、坂道と市電がよく似合います。
2026.04.28
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【旅行11日目】ポルトガル・リスボン2025年5月27日(火)夜、アルファマ地区のカテドラル(リスボン大聖堂)の近くにあるファドの演奏をする店(Fado e Fado Se)に行きました。妻はポルトガルで一番楽しみにしていたのがファドを聴くことで、とくにギターラ(Guitarra)という6組の複弦で全部で12弦ある楽器の音色が大好きで、you tubeで繰り返し聴いており、本場の本物の演奏を聴きたいとずっと言っていました。私はファドというと、以前ブログに書きましたが、久保田早紀さんがリスボンでポルトガルファド演奏者と一緒に作ったアルバム「ファウダーデ」を聴いたり、ファドの歌い手として世界的に有名なアマリア・ロドリゲスのCD、特に有名な「暗いはしけ」を聴いたことがあります。「GET YOUR GUIDE」で予約していたので店に行くと、早いのでもう少し後に来るように言われました。入口で待っておけばよかったのですが、店の通りを散策して店に戻ると、アメリカの団体客がすでに前列に座っており、大柄な体の間からファド演奏者を見ることになりました。反省点としては、散策せずに入口で待っておき、一番前の列で演奏を見て聴くべきということでした。妻はギターラ(Guitarra)の演奏を見て、その本物の音色を聴くことができたということで、とても喜んでいました。↓ ファド演奏店(Fado e Fado Se)の入口。 リスボン大聖堂(カテドラル)の近くにある。↓ 店内。↓ ワインが1杯付いている。↓ 画面左:ギターラ(Guitarra) 6組の複弦で全12弦を持つポルトガルギター。妻はこの音を聴くのを楽しみにしていた。画面右:ヴィオラ(Viola) クラシックギター。↓ ギターラ。↓ ヴィオラ。↓ 中央:ファディスタ(Fadista) 歌い手。↓ ギターラの全12弦の素晴らしい演奏。↓ 演奏が終わった。とても良かった!!↓ 店を出る。
2026.04.27
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【旅行11日目】ポルトガル・リスボン2025年5月27日(火)夕方、トゥリムアラメーダホテルに荷物を置いた後、リスボン地下鉄グリーンラインでアロイオス駅からロシオ駅まで移動しました。ロシオ駅のあるロシオ広場からバイシャ地区を通り、アルファマのカテドラルまで散歩しました。↓ ホテルからアロイオス駅へ行く。↓ 地下鉄アロイオス(Arroios)駅。↓ グリーンラインのカイス・ド・ソドレ駅行きの案内に沿って進む。↓ アロイオス駅から4つ目のロシオ駅に行く。↓ アロイオス(Arroios)駅。↓ グリーンライン。↓ アロイオス駅からロシオ駅。↓ ロシオ駅へ。↓ ロシオ駅に着いた。↓ フィゲイラ広場。↓ サン・ジョルジェ城。↓ ジョアン1世像。↓ アルファマ地区へ移動する妻。↓ テージョ川が見えてきた。↓ 坂道が続く。↓ 市電。↓ アルファマのカテドラルと市電。
2026.04.26
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【旅行11日目】ポルトガル・リスボンリスボン空港から地下鉄でアラメダ駅まで移動した後、トゥリムアラメーダホテルまで歩き、チェックインしました。↓ 地下鉄アラメーダ駅から地上に出た。↓ フォンテ・ルミノーザ(Fonte Luminosa)↓ アラメダ・ドン・アフンソ・エンヒーケス庭園(Jardim da Alameda Dom Afonso Henriques)↓ トゥリムアラメーダホテルに入る。↓ 部屋の中。↓ テークニコ高等学校(Instituto Superior Técnico)↓ 妻がセビーリャ空港で買ったTシャツ。↓ スペイン・プラド美術館にある、ベラスケスがマルガリータ女王を描いた「ラス・メニーナス」を題材として描いた絵のTシャツ。↓ ホテルのエレベータ。↓ ホテルを出て、街を散策しに行く。
2026.04.25
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【旅行11日目】ポルトガル・リスボン2025年5月27日(火)夕方、飛行機でスペイン・セビーリャ空港からポルトガル・リスボン空港に移動しました。空港で荷物を受け取った後、妻がメトロチケットを購入し、地下鉄アエロポルト駅からアラメダ駅に行きました。宿泊予定のトゥリムアラメーダホテルは、アラメダ駅が最寄り駅になります。↓ リスボン空港に到着。↓ 手荷物受取場 06へ進む。↓ 荷物を受け取る。↓ リスボン交通図。↓ 地下鉄への入口。↓ 地下鉄レッドラインで、空港駅からアラメダ駅に移動する。↓ 地下鉄の切符を購入する妻。↓ 切符を自動改札にタッチすると、ゲートが開く。↓ 地下鉄レッドライン。↓ 乗車する。↓ アラメダ駅で降りた。↓ アラメダ駅。↓ 散髪屋。↓ ポルトガルのSPORT LISBOA E BENFICA (スポルト・リスボア・エ・ ベンフィカサッカークラブ)の店。↓ アラメダ駅を出る。↓ 地上に出た。↓ アラメダ・ドン・アフンソ・エンヒーケス庭園(Jardim da Alameda Dom Afonso Henriques)
2026.04.24
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【旅行11日目】ポルトガル・リスボン2025年5月27日(火)、飛行機でスペインからポルトガル・リスボンに移動しました。リスボンは1991年10月に訪れたことがあり、街並みを見るととても懐かしかったです。私が学生の頃によく聴いていた歌ですが、河合奈保子さんを中心として2つの大きなグループがありました。一つは河合奈保子さん、岡田有希子さん、菊池桃子さん、南野陽子さんなどと続くアイドル路線の曲。そしてもう一つは、河合奈保子さん、八神純子さん、久保田早紀さんなどのシンガーソングライターの曲です。久保田早紀さんは「異邦人」、「25時」をTVで聴き大好きになりました。貸レコード屋でアルバムを借りてカセットテープに落としては聴いていました。1980年10月に発売された3枚目のアルバム「サウダーデ:SAUDADE」の前半は、早紀さんがポルトガルに行きファドミュージシャンの演奏で歌っています。私がポルトガルに行くまでは、私が持つポルトガルのイメージというと、久保田早紀さんのアルバム「サウダーデ」の世界でした。でも、ポルトガルに行った後も、ポルトガルを思い出すたびに「サウダーデ」の曲が頭に浮かびます。今回の旅でも、ずっと「サウダーデ」の音楽が頭の中を駆け巡っていました。このアルバムで特に好きな曲の歌詞を紹介します。【サウダーデ】(久保田早紀作詞・作曲/萩田光雄編曲)薄暗くしめった教会から聞こえる祈りの切ない声いくつもの景色に映される出逢いや別れのシルエット都会では見失っていた ひと時の安らぎ遠い国が教えた心 それはサウダーデ【ビギニング】(久保田早紀・山川啓介作詞/久保田早紀作曲/萩田光雄編曲)そのまま暮らせば 幸せがつづくのにどうして行くのと 木枯らしが頬を打つ迷って選んだ 1枚の写真にはなんにも知らない あなたが笑っているやすらぎの腕を抜け出しひとり 夢を追いたいのごめんなさい どうかあなたは違う人を 幸せにして【アルファマの娘】(久保田早紀作詞・作曲/萩田光雄編曲)船乗りには 恋するなと昔パパが 私に言ったわ”アルファマでは よくある話さ忘れなよ”と 海鳥が笑うだけどあの人は 初めての男(ひと)よ思い出には まだできない【トマト売りの歌】(久保田早紀作詞・作曲/萩田光雄編曲)これでも若い頃 きれいな娘連れエストリルの海岸を散歩したこともある白壁にもたれて昔話すれば子どもたちが珍しそうに集まってきた”お嬢ちゃん おひとつお日さまからこぼれた赤いトマトを”路地から路地へと 声かけて歩くお人良しの笑顔には深いしわがある【18の祭り】(久保田早紀・山川啓介作詞/久保田早紀作曲/萩田光雄編曲)”18の5月になれば最初で最後の恋をして素敵な人と きっと結ばれる”手首に巻いてる スカーフが風にほどけあなたの前に落ち 澄んだ目が見上げた・・・気がつけば いつかあなたとただ二人だけで踊ってる広場じゅうの人の手拍子を浴びながら【4月25日橋】(久保田早紀・山川啓介作詞/久保田早紀作曲/萩田光雄編曲)古びた橋は 不思議な名前”4月25日橋”去年の4月25日は この場所で寄り添う誰が見ても 仲の良い恋人だった過去へ渡る橋が どこかにあるならめぐり逢うその前の 春へ行きたい↓ 「サウダーデ:SAUDADE」CD。(1980年10月に発売された久保田早紀さん3枚目のアルバム)↓ リスボンの久保田早紀さん。
2026.04.23
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【旅行11日目】ポルトガル・リスボン2025年5月27日(火)、スペイン・セビーリャ・サンパブロ空港15:45発ポルトガリア航空TAP1105に乗り、時差1時間でリスボン・ポルテラ空港に15:50に到着しました。テージョ川に架かる4月25日橋からリスボン空港まで、飛行機はリスボン市内上空を高度を下げながら飛びました。機窓からの写真を紹介します。↓ 地球の歩き方 2024-2025 ポルトガル P58ー59赤マークは、4月25日橋からリスボン空港までの飛行ルート。↓ 4月25日橋とテージョ川。↓ テージョ川とリスボン港。↓ リスボン港。↓ 左下:ネセシダデス宮殿と公園(Park Necessidades)↓ 画面下:リスボン音楽学校(Musicentro de Lisboa)↓ 画面下:パラーダ庭園(Jardim da Parada)↓ 州政府事務所(Direção Geral do Território)と敷地。↓ 刑務所。↓ NOVA IMS Information Management School.↓ グルベンキアン美術館。↓ カンポ・グランデ庭園(Jardim do Campo Grande)↓ リスボン空港に到着。
2026.04.22
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【旅行11日目】ポルトガル・4月25日橋2025年5月27日(火)、スペイン・セビーリャからポルトガル・リスボンまで、ポルトガリア航空TAP1105で移動しました。エスピシェル岬からアラビダ半島を越えて、テージョ川に架かる4月25日橋まで進みました。この4月25日橋ですが、1966年に開通した吊り橋で、当初は独裁者のアントニオ・サラザールに由来してサラザール橋と名付けられたが、1974年4月25日に革新派軍人グループがクーデターを起こし、独裁政権を終わらせるカーネーション革命となり、それを記念して4月25日橋と名前が変えられました。私は1991年10月13日に、この4月25日橋を通ったので、その時の写真を載せます。↓ 地球の歩き方 ポルトガル 2024-25 P52 リスボンとコスタ・デ・リスボアの図。赤字:エスピシェル岬から4月25日橋までの飛行ルート。↓ エスピシェル岬。↓ エスピシェル岬。↓ プライア・ダス・ピカス海岸(Praia das Bicas)↓ アルプフェイラ湖。↓ ラゴア・デ・アルブフェイラ(Lagoa de Albufeira)↓ プライア・ダ・ベーラ・ヴィスタ(Praia da Bela Vista)↓ シャルネカ・デ・カパリカ(Charneca de Caparica)↓ シャルネカ(Charneca)↓ プラガル駅(Pragal)↓ ラランジェイロ(Laranjeiro)↓ アルフェイテ(Alfeite)↓ 4月25日橋とアルマダ(Almada)↓ 4月25日橋とテージョ川。↓ 4月25日橋とアルマダ(Almada)↓ 4月25日橋。ーーーーーーーーーーーー* 私が1991年10月13日に通った4月25日橋の写真。↓ クリスト・レイ(Cristo Rei)テージョ川の南岸にある110mの巨大なキリスト像。リオ・デ・ジャネイロのキリスト像を模した。
2026.04.21
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【旅行11日目】ポルトガル・エスピシェル岬2025年5月27日(火)、スペイン・セビーリャ・サンパブロ空港を15:45発、ポルトガリア空港TAP1105に乗り、ポルトガル・リスボン・ポルテラ空港に向かいました。飛行機はポルトガル国内を北上しましたが、サド川の河口にあるセトゥーバルの近くで西に進路を変更し、エスピシェル岬沖を旋回し、再び北のリスボンに進みました。セトゥーバルの近くで、飛行機の窓から「リスナベ造船所」を見ました。私は1991年10月13日にリスボン市内からリスナベ造船所まで行きました。とても懐かしかったです。当時写した写真を掲示します。↓ 赤線のルートの写真を紹介します。↓ メリデス(Melides)↓ フンタイーニャス(Fontainhas)/左側に海が見えてきた!↓ コスタ・テラ・ゴルフ&オーシャン・クラブ↓ (中央)メリデス・ビーチ・ゴルフクラブ(右側)コスタ・テラ・ゴルフ&オーシャン・クラブ↓ メリデス・ビーチ・ゴルフクラブ↓ アゴア・フォルモーザ(Lagoa Formosa)↓ カルヴァリャル(Carvalhal)↓ ブレージョ・ダ・カレゲイラ(Brejo da Carregueira)↓ センターピポット灌漑農場の丸い土地。↓ トレ・ゴルフコース↓ コンポルタ(Comporta)↓ サド川の河口。↓ コンポルタ(Comporta)↓ 中央:リスナベ造船所(LISNAVE SHIPYARDS S.A.)* 私が1991年10月13日に、ポルトガル・リスナベ造船所に行った時の写真。↓ LISNAVE :リスナベ造船所 (1991年10月13日撮影)ーーーーーーーーーーーーーー↓ 湾の奥はモンテ・ノーヴォ(Monte Novo)↓ 中央:リスナベ造船所。↓ ソル・トローイア(Sol Tróia)↓ サンタ・カタリナ(Santa Catarina)↓ 飛行機は左側に傾き、北から西に進路を変えた。↓ セトゥバル(Setúbal)遠景。↓ セトゥバル(Setúbal)↓ 飛行機はエスピシェル岬に向かって西に進む。↓ セジンブラ(Sesimbra)↓ セジンブラ(Sesimbra)↓ アルデイア・ノーヴァ(Aldeia Nova)↓ エスピシェル岬。↓ アルブフェイラ湖。↓ ラゴア・デ・アルブフェイラ(Lagoa de Albufeira)↓ アルファリン(ALFARIM)↓ エスピシェル岬の周りを飛行機が旋回し、リスボンのある北に進んだ。↓ 岬を旋回する飛行機。↓ エスピシェル岬灯台。
2026.04.20
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【旅行11日目】ポルトガル・国境から北へ移動2025年5月27日(火)夕方、ポルトガリア航空TAP1105で、スペイン・セビーリャ・サンパブロ空港を15:45に出発し、リスボン・ポルテラ空港まで飛行機で移動しました。飛行機はスペイン・ポルトガル国境のグアディアナ川河口を越えて西に進みますが、途中で北に進路を変えました。↓ ポルトガル内で飛行機が西から北に進路を変えた。↓ スペイン・ポルトガル国境のグアディアナ川河口。↓ ヴィラ・レアル・デ・サント・アントニオ(Vila Real de Santo António)↓ 画面下:モンテ・ゴルド(Monte Gordo)↓ オデレイテ(Odeleite)ダム↓ オデレイテ(Odeleite)の町。↓ ベリチェ(Beliche)ダム。↓ グアディアナ川とベリチェダム↓ オデレイテダムとベリチェダム。↓ エアーポルトガルで頂いたチョコ。↓ チョコが溶けてた。↓ SET Solara 4 太陽光パネル群。↓ 画面左:ヴァケイロス(Vaqueiros)↓ レドンダ(Redonda)↓ メアーリャ(Mealha)↓ 下方:ヴァスカン川↓ セニョーラ・ダ・グラッサ・ドス・パドロエンス(Senhora da Graça dos Padrões)↓ モンテ・ノーヴォ(Monte Novo)とヴァスカン川。↓ タヴィリオン(Tavilhão)↓ アルモドバル(Almodôvar)↓ メストラス(Mestras)↓ サンタ・スザナ(Santa Susana)↓ ゴメス・アイレス(Gomes Aires)飛行機が右に傾き、西から北に進路を変更した。↓ A2 NS サービスエリア。↓ ミラ川とゴメス・アイレス。↓ アルモドバル(Almodôvar)上空。↓ アルモドバル(Almodôvar)↓ オウリケ(Ourique)上空↓ オウリケ(Ourique)↓ オウリケ(Ourique)にある採石場。↓ モンテ・ダ・ロシャダム(Barragem do Monte da Rocha)↓ ガルバン( Garvão)↓ モンテ・ダ・ロシャダムとガルバン。↓ モンテ・ド・セーロ(Monte do Serro)↓ サン・ロマン・デ・パノイアス(São Romão de Panoias)↓ 飛行機はセトゥーバルの方へ向かう。↓ カステロ・ヴェーリョ(Castelo Velho)↓ サド川。↓ アルヴァラデ(Alvalade)↓ フォーロス・ダ・ポウカ・ソルテ(Foros da Pouca Sorte)↓ フォンテ・セルネダム(Barragem Fonte de Serne)↓ セッテ(Sete)↓ エルミダス・ド・サド(Ermidas do Sado)↓ (左上)キンタ・ダ・コロナ(Quinta da Corona)(右側)アルヴァラデ(Alvalade)↓ サン・ドミンゴス(São Domingos)↓ コロナ川とキンタ・ダ・コロナ(Quinta da Corona)↓ アベーラ(Abela)↓ サン・バルトロメウ・ダ・セーラ(São Bartolomeu da Serra)↓ ロンカン(Roncão)↓ クルース・ジョアン・メンデス(Cruz João Mendes)↓ クルース・ジョアン・メンデス(ズーム拡大)↓ サン・フランシスコ・ダ・セーラ(São Francisco da Serra)↓ グランドラ(Grândola)↓ グランドラ(ズーム拡大)
2026.04.19
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【旅行11日目】スペイン・セビーリャ→ポルトガル国境2025年5月27日(火)セビーリャ・サンパブロ空港15:45発 ポルトガリア空港TAP1105便に乗り、ポルトガル・リスボン・ポルテラ空港15:50(時差1時間)まで機窓風景を楽しみました。セビーリャからポルトガル国境までの風景を一部紹介します。カメラはポケットカメラ:Canon Power Shot SX720 HSで、ズーム機能で拡大撮影をしています。↓ 帝国書院 最新基本地図ー世界・日本ー15訂版/帝国書院 p22セビリアからポルトガルとの国境まで。↓ スペイン・セビーリャ市街中央部分上空。↓ 地球の歩き方 スペイン 2024-2025/Gakken p306↓ 後方はシエラモレナ山脈。下方は右からトマレス(Tomares)/ボルムホス(Bormujos)/リオ・プディオ川。↓ ボルムホス(Bormujos)↓ リオ・プディオ川。↓ 下方:ボジュジョス・デ・ラ・ミタシオン(Bollullos de la Mitachion)。左側:ウンブレテ(Umbrete)、右上:エスパルディナス(Espartinas)↓ 下方:エスパルティナス(Espartinas)、中央:ビジャヌエバ・デル・アリスカル(Villanueva del Ariscal)、上方:オリバレス(Olivares)↓ グアディアマル川とそのそばのサンルカル・ラ・マヨール(Sanlucar la Mayor)。川の向こうに見える2つの光が、太陽熱発電施設 PS10(PRANTA SOLA 10)、 PS20(PLANTA SOLA 20)↓ 中央:サンルカル・ラ・マヨール(Sanlucar la Mayor)↓ サンルカル・ラ・マヨール(Sanlucar la Mayor) 中心部。↓ サンルカル・ラ・マヨール(Sanlucar la Mayor)にある太陽熱発電施設 右側:PS10(PRANTA SOLA 10)、左側: PS20(PLANTA SOLA 20)。↓ 太陽熱発電施設 PS20(PLANTA SOLA 20)。165mのタワーに1255枚の反射板で光を集め、その熱で蒸気発電を行う。太陽熱発電施設 右側:PS10(PRANTA SOLA 10)。115mのタワーに642枚の反射板で光を集め、その熱で蒸気発電を行う。↓ 太陽熱発電施設 中央右側:PS10(PRANTA SOLA 10)、左側: PS20(PLANTA SOLA 20)。左下はSolonova 3 :ソルノバ太陽光発電所↓ 上部:3つの太陽光発電施設。下部:ウエバル(Huevar)↓ パレルナ・デル・カンポ(Paterna del Campo)↓ エスカセナ・デル・カンポ(Escacena del Campo)↓ チュセナ(Chucena)↓ 下方:チュセナ(Chucena)。 左側:チュセナ川。↓ 中央:チュセナ川。 左側:アルガルベ川。 左端:カルカパ川。↓ 中央:ボジュジョス・パル・デル・コンダド(Bollullos Par del Condado)↓ ボジュジョス・パル・デル・コンダド(Bollullos Par del Condado)↓ ビジャラサ(Villarrasa)↓ ロシアナ・デル・コンダド(Rociana del Condado)↓ 下方:ロス・ロボス(Los Lobos)、中央:リオ・ティント川。↓ サン・ファン・デル・プエルト(San Juan del Puerto)。下:リオ・ティント川。↓ 中央:オディエル川。ヒブラレオン(Gibraleon)、ロス・サロネス(Los Salones)↓ オディエル川とサンチョ貯水池。↓ オティエル川とロス・サロネス(Los Salones)↓ オディエル川とベジャビスタ(Bellavista)↓ ベジャビスタ(Bellavista)中心部。↓ カルタヤ(Cartaya)↓ カルタヤ(Cartaya)中心部。左上:マチョス貯水池とピエドラス川。↓ ピエドラス貯水池(Embalse de Piedras)↓ マチョス貯水池(Embalse de los Machos)↓ 上:ピエドラス貯水池、中:マチョス貯水池、下:ピエドラス川とカルタヤ(Cartaya)↓ ピエドラス川とカルタヤ(Cartaya)。↓ ピエドラス川とレペ(Lepe)。↓ ピエドラス川。↓ 左:グアディアナ川(スペイン、ポルトガル国境の川)↓ 下:コンフンド・レジデンシアル・マリナ・エスリ(Conjunto residencial marina esuri)↓ 国境のグアディアナ川に架かるグアディアナ・インターナショナル・ブリッジ。(Guadiana Internatonal Bridge)右:スペイン・アヤモンテ(Ayamonte)左:ポルトガル・ヴィラ・レアル・デ・サント・アントニオ(Vila Real de Santo Antonio)↓ 国境のグアディアナ川に架かるグアディアナ・インターナショナル・ブリッジ。↓ グアディアナ川河口。↓ カレーラス川と、川の右側イスラ・クリスディナ(Isla Cristina)、川の左側:イスラ・デル・モラル(Isla del Moral)
2026.04.18
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【旅行11日目】スペイン・セビーリャ(機窓)2025年5月27日(火)、セビーリャ・サンパブロ空港からポルトガリア航空TAP1105 15時45分発リスボン行きに乗りました。セビーリャからリスボンまで、右側の窓から見える景色を堪能することができたので、一部を紹介します。カメラはポケットカメラ「Canon Power Shot SX720 HS」で、望遠はズーム機能を使いました。旅行に行くときは、このカメラ一つで事が足りるので、本当に重宝しています。まずは、セビーリャ・サンパブロ空港から東側に離陸し、右旋回をしながらセビーリャ上空を通過するところまでの写真です。↓ セビーリャとリスボンの位置。帝国書院最新基本地図ー世界・日本ー15訂版/帝国書院 p22↓ ポルトガリア航空TAP1105 15時45分発リスボン行き。↓ セビーリャ・サンパブロ空港。↓ 機内の様子。↓ 機窓の景色はそんなに興味ないと言って、いつも私に機窓側に座らせてくれる妻。↓ RYANAIR :アイルランドのLCC。↓ VOLOTEA : スペインのLCC。↓ ビルの上にセビーリャ(SEVILLA)の文字が見える。↓ セビーリャ空港滑走路を東に向かって離陸した。↓ SE-40 新高速道路。↓ ハイネケンビール工場。↓ 右側:セビーリャ刑務所。↓ 右旋回をして進路を西側に変える。↓ 右旋回中。セビーリャ空港が見える。↓ 中央:セビーリャ刑務所。その上:ハイネケンビール工場。↓ アルカラ・デ・グアダイラ(Alcala de Guiadaira)。↓ 中央:セビーリャ刑務所。その上:ハイネケンビール工場。↓ 手前:ハイネケンビール工場。中央:セビーリャ空港。↓ SE-40、 A-92 立体交差。↓ トレブランカ・デ・ロス・カーニョス(Torreblanca de los canos)↓ グアダイラ川。↓ レアル・クラブ・セビーリャ・ゴルフコース。(Real Club Sevilla Golf)↓ 画面下:パブロ・デ・オラビデ・セビーリャ大学(Universidad Pablo de Olavide Sevilla)↓ パブロ・デ・オラビデ・セビーリャ大学(Universidad Pablo de Olavide Sevilla)↓ セビーリャ全景。↓ セビーリャ市内中央部分とグアダルキビル川。↓ グアダルキビル川。奥はサン・テルモ橋。手前はレメディオス橋。中央はセビーリャ大学。その下はスペイン広場。↓ 地球の歩き方 スペイン 2024-2025/Gakken p304 セビーリャ市街図。↓ グアダルキビル川とデリシアス橋。↓ グアダルキビル川。奥はパサレラ・デ・ラ・カルトゥハ橋、中央はクリスト・デ・ラ・エスピラシオン橋。手前はイサベルⅡ橋。↓ 右下端はセビーリャ闘牛場。↓ セビーリャ中央部分。↓ 地球の歩き方 スペイン 2024-2025/Gakken p305 セビーリャ全体図。↓ 多目的スタジアム。エスタディオ・ラ・カルトゥーハ・デ・セビーリャ(Estadio La Cartuja de Sevilla)↓ プリンシベス公園(Parque de los Principes)↓ 上側:アラミージョ公園(Parque del Alamillo)↓ トーレ・セビーリャ・ショッピングモールタワー。↓ イスラ・マヒカ・アドベンチャーパーク。
2026.04.17
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【旅行11日目】スペイン・セビーリャ2025年5月27日(火)、セビーリャ・サンパブロ空港に到着しました。ポルトガリア航空TAP1105 15時45分セビーリャ発便に乗り、ポルトガル・リスボン・ポルテラ空港まで飛行機で約1時間のフライト予定です。↓ セビーリャ・サンパブロ空港。↓ 15時45分 LISBOA TAP1105便 18-20カウンター。↓ カウンターが開くまで椅子に座って待つ妻。↓ カウンターに人が並び始めた。↓ カウンターで手続きをして、ボーディングパスを貰った。↓ 検査室を通って、中の店を見る。↓ スペインは予想以上に暑く、ポルトガルの気温予想も同じレベルだったため、Tシャツを購入する妻。ポルトガルで着たが、結局娘の手に渡った。↓15:45 LISBOA TAP1105便 B16ゲート 15:15分から。↓ AIRPORTUGAL : エアーポルトガル。
2026.04.16
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【旅行11日目】スペイン・セビーリャ2025年5月27日(火)、セビーリャのプラザ・デ・アルマス・バスターミナル近くのバス停から、セビーリャ・サンパブロ空港行きのバスに乗りました。バスはグアダルキビル川岸の道を通り、サン・デルモ橋からセビーリャ大学前を進みます。サン・ベルナルド駅、サンタ・フスタ駅経由で、目的地のセビーリャ・サンパブロ空港に着きました。↓ セビーリャのプラザ・デ・アルマス・バスターミナル近くのバス停。↓ 空港行バスに乗車。↓ 荷物カバンを置く。↓ バス内の様子。↓ 10時55分。妻が空港にはフライト15時45分の3時間前には絶対に着いておきたいと主張するので、メトロポル・パラソルで観光を終わりとして、早く空港に移動することになった。↓ ペペ・ルイス・バスケス・ガルセス(Pepe Luis Vazquez Garces)の像。マエストランサ闘牛場の道路の反対側にある。1938年から1959年まで活躍した20世紀の闘牛界でもっとも伝説的な闘牛士(マタドール:1921年生まれ)とされ、片手に剣、もう片手にムレタ(鞭)を持ち、牛に向かっている姿になっている。↓ Helvetia Seguros :ヘルベティア セグロス保険会社。↓ アルミランテ・ロボ通り。↓ サン・テルモ橋。↓ サン・テルモ宮殿。↓ サン・テルモ宮殿 (アンダルシア州政府議長府)。↓ セビーリャ美術学校。↓ セビーリャ大学。↓ セビーリャ大学。↓ ロテ・デ・ベガ(Lope de Vega)劇場。1929年のイベロアメリカ博覧会のために造られた。↓ FUENTE DE LAS CUATRO ESTACIONES.四季の泉。春夏秋冬を表わす4人の女性が支えている。ドン・ファン・デ・オーストリア広場。↓ Univale Activa Sevilla (ウニバレ・アクティバ・セビーリャ)病院。↓ サン・ベルナルド(San Bernardo)駅。後方は、VIAPOLホテル。↓ セビーリャ社会保険事務所(Direction Provincial de Sevilla de la Twsoreria)↓ セビーリャ・サンタ・フスタ駅。↓ セビーリャ・サンタ・フスタ駅。↓ セビーリャ・サンタ・フスタ駅。↓ Aー4高速道路。↓ セビーリャ・サンパブロ空港。↓ バスを下車。↓ セビーリャ・サンパブロ空港。
2026.04.15
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【旅行11日目】スペイン・セビーリャ2025年5月27日(火)朝、セビーリャのメトロポール・パラソルを見学した後、サイダ・ブティックホテルに戻って荷物を取り、プラザ・デ・アルマス・バスターミナルに移動し、空港行きのバスに乗りました。この日はセビリア・サンパブロ空港15:45発の飛行機に搭乗してリスボンに行く予定でした。妻はフライト3時間以上前に空港に到着というのをマイ・ルールにしているので、必ず早く空港へ行きます。私は、もう一カ所観光できると思いましたが、妻の考えを尊重してついていきます。↓ セビーリャ・メトロポル・パラソル前のエンカルナシオン広場。↓ 受胎告知教会。(エルマンダッド・デル・バジェ)↓ カンパーナ通り。↓ オドネル通り。↓ ドゥケ広場。↓ セビーリャの有名な画家ディエゴ・ベラスケス記念碑(Monumento a Diego Velazquez.)↓ ディエゴ・ベラスケス(1599ー1660)↓ バー・ドゥケ。↓ エル・コルテ・イングレス百貨店、。↓ ZARA : ザーラ。↓ LOS TULIPANES : ロス・チュリパネス バー↓ サイダ・ブティックホテル(ZAIDA BOUTIQUE HOTEL)に到着。↓ ホテルに預けていた旅行鞄を受け取る。↓ プラザ・デ・アルマス・ショッピングセンター。↓ プラザ・アルマス・セントロ・コマーシャル。↓ ジャカランダの青い花。↓ この先はグアダルキビル川で、クリスト・デ・ラ・エスプラシオン橋が架かっている。↓ プラザ・デ・アルマス・バスステーション。↓ プラザ・デ・アルマス・バスステーション。↓ 長距離バスのターミナル。セビーリャ・サンパブロ空港行きのバスが電光掲示板に見当たらず、焦る。↓ セビーリャ・サンパブロ空港行きのバス停はどこかをインフォメーション窓口で聞いたところ、このターミナルではなく、外のトルネオ通りにあるバス停だと言われた。↓ 外のトルネオ通りで、セビーリャ・サンパブロ空港行きのバスに乗った。
2026.04.14
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【旅行11日目】スペイン・セビーリャ2025年5月27日(火)朝、スペイン・セビーリャで2011年にできたメトロポル・パラソルを訪れ、1階の市場と地下のローマ時代の遺跡を見た後、エレベーターで28mの展望台に移動しました。メトロポル・パラソルは別名セタス・デ・セビーリャ(セビーリャのきのこ)と言われ、上部は波打つような形をしており、展望台までくねくねとした道を歩きました。天気も良く、展望台からの景色を楽しみました。↓ メトロポル・パラソルのエレベーターで、28mの高さに上がる。↓ エレベーターを出た所。↓ メトロポル・パラソルの展望台への入口。↓ Setas de Sevilla (セビーリャのキノコ)。記念写真。↓ 展望台へ進む。↓ メトロポル・パラソルの模型。↓ 展望台に到着。↓ 記念写真。↓ エンカルナシオン広場。↓ 左側:Iglesia de la Anunciacion. (受胎告知教会)↓ 受胎告知教会。↓ Centro Comercial TORRE SEVILLA : トーレ・セビーリャ ショッピングセンタータワー。↓ ホテル・アメリカ。 後ろの丘はカマス(Camas)の町。↓ サルバドール教会(Iglesia Colegial del Divino Salvador)↓ Iglesia de Santa Cruz : サンタクルズ教会。↓ センテナリオ橋。↓ セビリアエキスポ1992年会場。Pabellon del Futuro.↓ バルケタ橋とイスラ・マヒカ(アドベンチャーパーク)↓ トーレ・デ・ロス・ペルディゴネスの塔。(別名:ペレットタワー)60m。1890年に建てられた旧サンフランシスコ・デ・パウラ工場の塔。↓ 階段で1階に下りる。
2026.04.13
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【旅行11日目】スペイン・セビーリャ2025年5月27(火)、スペイン・セビーリャで2011年に完成したメトロポル・パラソルに行きました。建物の外観を見た後、内部にあるエンカルナシオン市場(Mercado de la Encarnacion)を見て回り、地下で発掘されたローマ~イスラム時代の遺跡があるアンティクアリウム(Antiquarium)を見学しました。このアンティクアリウムは、セビーリャ中心部で最大の考古遺跡で、ローマ帝国時代(1から6世紀)からイスラム・ムーア人時代(12~13世紀)の層をみることができます。↓ メトロポル・パラソル内のエンカルナシオン市場(Mercado de la Encarnacion)。↓ エンカルナシオン市場を見る妻。 妻は市場を見るのが大好き。↓ メトロポル・パラソルのエンカルナシオン市場から外に出た。↓ メトロポル・パラソル。↓ 展望台及びアンティクアリウム(ローマ遺跡群博物館)の入口。↓ ローマ時代のモザイク。↓ 入口を入る妻。↓ セビーリャ・アンティクアリウム(ローマ時代の遺跡博物館)↓ 西の小径。
2026.04.12
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【旅行11日目】スペイン・セビーリャ2025年5月27日(火)朝、スペイン・セビーリャ・エンカルナシオン広場にある「メトロポール・パラソル」に行きました。「メトロポル・パラソル」は、別名セビーリャのキノコ:Setas de Sevillaと呼ばれ、世界最大級の木造建築です。(150x70m 高さ約28m)ドイツ人建築家ユルゲン・マイヤーが設計し、2011年に完成しました。もともとこのエンカルナシオン広場は、駐車場建設計画がありましたが、ローマ時代の遺跡が発見されたため工事が中断しました。遺跡を残す形で広場を再生させるため、2003年に国際コンペを行い、この「セビーリャのキノコ」デザインが2004年に採用されました。フィンランド産の木材板を組み合わせて複雑な形を作る現代建築で、地下はローマ時代の遺跡、地上は市場、イベント広場があり、エレベーターで28mに上がると、遊歩道があり、360度の景色を楽しむことができます。建物周辺は数限りなくツバメが飛んでおり、もしかしたら建物の板にツバメの巣があるのかもしれません。↓ セビーリャのメトロポル・パラソル。妻を記念撮影。↓ エルマンダッド・デル・バジェ(Hermandad del Valle)受胎告知教会。↓ ララニャ通り。↓ 奥のビルの壁に、セビーリャの地図が描かれている。↓ セビーリャの地図。地図の下にある文言。”ona Encarna desayunos & tapas” : ドーニャ・エンカルナという店が、朝食とタパスを提供。↓ 私の記念写真。↓ 妻の写真。↓ ツバメがたくさん飛んでいる。↓ ツバメだらけ。↓ 板を組み合わせて建設されている。↓ オリーブの木。↓ セビーリャ県議会が2025年に授与する県の金メダル。1935年5月23日にスペイン政府がセビーリャ県を認めたので、この日がセビーリャ県の日になった。県の日(5月23日)に、文化・スポーツ・医学・社会貢献などで功績ある人物、団体に贈られる表彰。
2026.04.11
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【旅行11日目】スペイン・セビーリャ2025年5月27日(火)、この日はスペイン最後の日で、夕方にはポルトガルのリスボンへ移動します。旅行前にセビーリャとアンダルシアに関する次の古典を事前に読んで、セビーリャの街の雰囲気を知りました。1)「セビーリャの色事師と石の招客 他1篇/ティルソ・デ・モリーナ作/佐竹謙一訳/岩波文庫/岩波書店」17世紀のスペインに生まれ、漁色放蕩の典型的人物として世界文学に籍を得た「ドン・ファン」は、モリエール、モーツァルト、バイロンなど、多くの芸術家によって変奏されてきた。表題作はその原典で、スペイン黄金世代の劇作家による、ドン・ファンをモチーフにした世界最初の作品。「緑色のズボンをはいたドン・ヒル」を併収。2)「セビーリャの理髪師/ボーマルシェ作/鈴木康司訳/岩波文庫/岩波書店」深窓の令嬢のロジーヌに、一目惚れしたアルマビーバ伯爵。早速身分を隠して熱烈な求愛開始。ライヴァルはなんと彼女の後見人! 街の理髪師フィガロの加勢で、あの手この手で攻める伯爵、宝は渡さじと守る老医師、二人の恋の知恵比べはいかに。「フィガロ三部作」の第一作。痛快無比の傑作喜劇。ロッシーニ歌劇の原作。(新訳)3)「フィガロの結婚/ボオマルシェエ作/辰野隆訳/岩波文庫/岩波書店」『セヴィラの理髪師』で、主人の伯爵の恋の橋渡しとして傍役をつとめたフィガロは、この劇では主役となり、自分の許嫁へ横恋慕する伯爵を、許嫁シュザンヌとともにあふれる機知と勇気でこっぴどくやっつける。ボオマルシェエ(1732ー99)はこの中で当時の堕落貴族や、不正の法律、権力、政治を攻撃し、思想、言論、著作の自由を擁護しようとした。4)「カルメン/メリメ作/杉 捷夫訳/岩波文庫/岩波書店」スペインを旅行中の考古学者は、ふとしたことから今は獄中にいる山賊ホセを知る。ホセは形見の銀メダルを母親に渡してくれと学者に頼んだのち、懺悔話を始めた。それは、純情な青年が情熱の女カルメンに翻弄され、彼女の情夫を殺し、ついには愛するカルメンその人までも殺してしまった悲しい物語だった。歌劇とはまた異なる沈痛な激情に貫かれたメリメ(1803-70)の最高傑作。5) 「三大悲劇集 血の婚礼 他二篇/ガルシーア・ロルカ作/牛島信明訳/岩波文庫/岩波書店」20世紀スペイン最大の詩人・劇作家のガルシーア・ロルカ(1898-1936)。表題作に「イェルマ」「ペルナルダ・アルバの家」を加え、彼の最高傑作とされる三つの戯曲を収めた。アンダルシーアという土地の霊と因習がもたらす宿命的な業に苦悩しながらも、他ならぬその苦悩によって浄化されている女たちを描いて<悲劇>の情念がいま甦える。↓ 旅行前にセビーリャ・アンダルシアについて書いた古典を読んだ。1)「セビーリャの色事師と石の招客 他1篇/ティルソ・デ・モリーナ作/佐竹謙一訳/岩波文庫/岩波書店」2)「セビーリャの理髪師/ボーマルシェ作/鈴木康司訳/岩波文庫/岩波書店」3)「フィガロの結婚/ボオマルシェエ作/辰野隆訳/岩波文庫/岩波書店」4)「カルメン/メリメ作/杉 捷夫訳/岩波文庫/岩波書店」5) 「三大悲劇集 血の婚礼 他二篇/ガルシーア・ロルカ作/牛島信明訳/岩波文庫/岩波書店」↓ スペイン、ポルトガルの地球の歩き方。ーーーーーーーーーーーー↓ 部屋の中にて、前日夜に購入した食材を朝食にする。↓ 毎日4種類の薬を飲んでいる。↓ サイダ・ブティックホテルの部屋。ーーーーーーーーー↓ ホテルを出た。
2026.04.10
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【旅行10日目】スペイン・セビーリャ2025年5月26日(月)、エル・コルテ・イングレス百貨店で夕食の買い出しをした後、サイダ・ブティックホテルに戻り、部屋で夕食を摂りました。↓ エル・コルテ・イングレス百貨店から歩いて帰る。↓ サイダ・ブティックホテルの部屋。↓ 冷たいビールを飲んで、一息つく妻。外は35度くらいで、本当に暑かった。↓ EL AGUILA DORADA : エル・アギーラ・ドラーダ:「黄金のワシ」。ハイネケン・エスパーニャが製造・販売したラガービールで、柑橘系のにおいがした。↓ 気になっていたスペインのカップ麺 「YATEKOMO:ヤテコモ:すぐ食べられる」を買った。↓ 部屋の湯沸かし器を使用する。↓ ペットボトルの水を、湯沸かし器に入れる。↓ POLLO は鶏肉麺。VERDURASは野菜麺。↓ 寿司も買った。↓ イチゴ。↓ オレンジジュース。↓ 私はお腹が壊れているので、正露丸を飲んだ。
2026.04.09
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【旅行10日目】スペイン・セビーリャ2025年5月26日(月)、フラメンコを見た後、EL CORTE INGLES : エル・コルテ・イングレス百貨店に行き、食材を購入しました。↓ サン・アントニオ・アバド教会(Real Iglesia de San Antonio Abad).↓ サン・グレゴリー教会(Charch of San Gregory).↓ CSIC(スペイン国立研究評議会)の研究者用宿泊施設。↓ ムセオ広場。セビーリャ美術館のそばにある。↓ ムリーロ像:Monument Murillo.セビリアのバロック画家バルトロメ・エステバン・ムリーリョの銅像。↓ EL CORTE INGLES : エル・コルテ・イングレス百貨店。↓ エスカレーターで地下1階に行く。↓ 食品フロア。↓ 私がスペインのカップラーメンを食べたいと言ったので、購入することになった。↓ お菓子屋で、スペイン産のお菓子を買う。↓ 店を出てホテルに帰る。↓ Centro Comercial TORRE SEVILLA : トーレ・セビーリャ・ショッピングモールのビルが見えた。
2026.04.08
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【旅行10日目】スペイン・セビーリャ2025年5月26日(月)、外の観光は暑すぎるのでフラメンコショーを見ようという事になり、急遽ネットで「テアトロ・フラメンコ・セビーリャ」を予約し、見に行くことにしました。フラメンコはバルセロナで見たので、今回の旅では2回目です。ホテルから劇場まで徒歩で行きますが、迷路のような路地が続き、本当に迷います。途中で位置が分からなくなり、人に聞くと、行き過ぎだと言われて引き返し、やっとたどり着きました。この劇場(Teatro pathe)ですが、元々は1925年に映画館としてスタートしたのですが、今はフラメンコショーが開催されています。ショーの後、ベラスケス通りで「Pastora Imperio :パストーラ・インペリオ)像を見ました。フラメンコ界の伝説的バイラオーラ(踊り手)で女優である、セビーリャ生まれのパストーラ・ロハス・モンヘ:Pastora Rojas Monje(1887–1979)を讃える像で、2006年2月に建立されています。↓ サイダ・ブティックホテルを出る。↓ マグダレナ広場。↓ サント・アンヘル修道院 (Convento Del Santo Angel)。↓ リオハ通り。↓ テトゥアン通り。↓ 道に迷う妻。↓ 人に聞いて、やっと場所が分かった。TEATRO PATHE。テアトロ・フラメンコ・シアター。↓ 昔映画館だったので、場内はその造りが残っている。↓ フラメンコショーを見る。↓ ショーが終わり、建物を出た。↓ 「Pastora Imperio :パストーラ・インペリオ)像。(ベラスケス通り)フラメンコ界の伝説的バイラオーラ(踊り手)で女優である、セビーリャ生まれのパストーラ・ロハス・モンヘ:Pastora Rojas Monje(1887–1979)を讃える像で、2006年2月に建立された。制作は彫刻家のLuis Álvarez Duarte(ルイス・アルバレス・ドゥアルテ)。
2026.04.07
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【旅行10日目】スペイン・セビーリャ2025年5月26日(月)、マクドナルドで食べた後、グアダルキビル川岸にある黄金の塔(TORRE DEL ORO: トーレ・デル・オロ)を見ながらサン・テルモ橋を往復しました。黄金の塔は正十二角形で、昔は塔の上部が金色の陶器煉瓦で輝いていたので名付けられたそうです。13世紀には、この塔と対岸の間に鎖を渡し、侵入船を防いでいました。この日も熱射病にかかりそうな暑さの為、アルカサルやスペイン広場の観光は止めて、フラメンコを見ようという事になり、早速予約しました。黄金の塔から宿泊所のサイダ・ブティックホテル(Zaida Boutique Hotel)まで歩きましたが、迷路のような路地で道を間違えたりして、やっとのことでホテルに着きました。↓ 黄金の塔(TORRE DEL ORO: トーレ・デル・オロ)↓ 観光馬車。↓ 青いジャカランダの花が美しい。↓ グアタルキビル川と、中央はセントロ・コマーシャル・トーレ・セビーリャ(Centro Comercial TORRE SEVILLA)。↓ 橋を渡る。↓ Diario de Sevilla (セビージャ日報)の広告。1999年にセビーリャで創刊されたスペイン語新聞。↓ 右:Cruzcampo(クルスカンポ:セビーリャのビールブランド。今はオランダ・ハイネケンの子会社)↓ 左:Antea (Antea Prevencion: アンテア:労働安全衛生サービス会社)↓ 暑さに参った妻。↓ 黄金の塔と遊覧船。↓ ジャカランダの青い花。↓ 記念撮影。↓ サン・テルモ橋(Puente de San Telmo)。奥のビルにマクドナルドが入っていて、昼食を摂った。↓ サン・テルモ宮殿。↓ 日陰の通路を歩く。↓ 建物を抜けて、ハバナ通りを進む。↓ 縦はハバナ通り。横はマティエンソ通り。↓ セビリア税務局。↓ エル・パリ(EL Pali : 1928-1988)の像。本名はフランシスコ・デ・アシス・パラシオス・オルテガ。有名なフラメンコ歌手、作曲家で、エル・トロバドール・デ・セビージャの愛称で知られる。20枚以上のアルバムを録音し、200曲以上の曲を書いた。↓ エル・パリ像。↓ エル・パリが住んでいた建物に着けてあるプレート。上の陶板「この家に住んでいたこの”papa(親爺)”は、死んでなおセビーリャに仕事を与えている。「彼を敬愛するファングループより」下の陶板「セビーリャ市から公式にアレナル地区の名誉住民(死後)に選ばれた記念。「あなたのセビーリャらしさと芸は、今も深く人々に染み込んでいる。(1982-2006)↓ エル・パリのプレート。↓ カビルド広場。↓ アルフェ通り。↓ サラゴザ通り。↓ 武賀ラーメン。 メンテス・ヌニェス通り。↓ サン・パブロ通り。↓ サンタ・マリア・マグダレナ教会。↓ この辺りからどの路地に行けばよいか迷う。↓ 無事にサイダ・ブティックホテル(Zaida Boutique Hotel)を見つけた。↓ ホテルの中。↓ 預けた荷物を取って、部屋に入る。
2026.04.06
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【旅行10日目】スペイン・セビーリャ2025年5月26日(月)、セビーリャ大聖堂のヒラルダ塔で景色を堪能した後、妻と次をどうするか話し合いました。とにかく35度くらいの暑さのため、アルカサルやスペイン広場に行くのは止めて、マックで昼食にすることにしました。グアタルキヒル川に架かるサン・テルモ橋の東岸には、有名な「黄金の塔」が建っています。その近くにマクドナルドがあり、バーガー以外に冷たいビールも注文しました。↓ セビーリャ大聖堂のヒラルダ塔。(オレンジの中庭から)↓ セビーリャ大聖堂北側のPuerta del Perdon (赦しの門)。↓ 郵便局。↓ コンスティトゥシオン通り。↓ 路面電車。↓ セビーリャ大聖堂のサン・クリストファー門。↓ ヒラルダの塔の最上部にある風見像(ヒラルディージョ)のレプリカ。「信仰の勝利(Triunfo de la Fe)を表わす女性像で、手には盾とヤシの葉(殉教の象徴)を持つ。↓ セビーリャのアルカサル。↓ アンダルシア税務署。↓ サンタ・マリア・デ・ヘスス礼拝堂。↓ ヒスパリス噴水(ブエルタ デ ヘレス広場)。 1929のイベロアメリカ博覧会のために造られた。イベロ・アメリカ博覧会は、1929年5月から1930年6月まで開催され、スペイン、ラテンアメリカ、米国、ポルトガル、ブラジルの姉妹都市が参加。↓ ISMAC 応用数学高等研究所。↓ ジャガランダの花。↓ Fuente De Los Poetas de la generation del 2727年世代の詩人たちを記念する噴水。1927年にセビーリャで結成されたスペインの代表的な詩人グループを記念した。スペインを代表する詩人のフェデリコ・ガルシア・ロルカや、ノーベル文学賞受賞者のビセンテ・アレクサンドレなどがメンバー。↓ マクドナルドのある建物。↓ マクドナルドの看板。↓ バーガーを注文して待つ妻。↓ スペインで一番有名なビール「MAHOU: マオウ」。↓ 2階の席で食べる。↓ マクドナルドの店を出た。↓ ジャガランダの花。↓ サン・テルモ橋。↓ グアダルキヒル川と遊覧船。
2026.04.05
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【旅行10日目】スペイン・セビーリャ2025年5月26日(月)、セビーリャ大聖堂(カテドラル)に付随する97mのヒラルダの塔(鐘楼)に上り、セビーリャ市内を一望しました。↓ セビーリャ大聖堂で記念撮影。↓ ヒラルダの塔の入口。↓ 階段ではなくスロープを歩いていく。ーーーーーーーーーー【南】↓ 大聖堂のヒラルダの塔から南側を見る。↓ インディアス古文書館。↓ 中央はアンダルシア州税務局。↓ 中央はセビーリャ・アルカサルの「旗の中庭広場(Plaza del Patio de Banderas)」。↓ スペイン広場の塔。建築家・アニバル・ゴンザレスによる建物。↓ スペイン広場の塔。↓ 青いジャガランダの後ろ中央:セビーリャ大学。奥:ロペ・デ・ベガ劇場。↓ 青く美しいジャカランダの花。↓ グアダルキビル川。手前:デリシアス橋。奥:ブエンテ・デル・V・センテナリオ橋。↓ 手前:ホテル・アルフォンソⅧ ア ラグジュアリーコレクション。↓ 手前:セビーリャ大聖堂の塔。 左:アルカサル(城)。↓ セビーリャ大聖堂のチャペル部分。ーーーーーーーーー【南西】↓ 手前:セビーリャ大聖堂。 奥:マエストランサ劇場。↓ 画面右:カリダー教会。中央:カリダー庭園。ーーーーーーーーー【西】↓ 手前:セビーリャ大聖堂。奥はセビーリャ闘牛場。↓ セビーリャ闘牛場。↓ セビーリャ大聖堂の「オレンジの中庭」。↓ 奥のタワーは屋外型大型ショッピングセンター:セントロ・コメルシアン・トーレ・セビーリャ(Centro Comercial TORRE SEVILLA)。↓ 中央のタワー:セントロ・コメルシアン・トーレ・セビーリャ。(ショッピングモールとオフィスビル)↓ セントロ・コメルシアン・トーレ・セビーリャ。ーーーーーーーーー【北西】↓ 中央:セビーリャ市役所。↓ 手前がセビーリャ市役所。奥はパベジョン・デル・フトゥーロ。↓ パベジョン・デル・フトゥーロ:Pabellon del Futuro。1992年セビーリャ万博博覧会の大型テーマ館。宇宙・通信・エネルギー・環境の展示。↓ バルケタ橋。奥はアドベンチャーパーク「イスラ・マヒカ」。ーーーーーーーーー【北】↓ アラミージョ橋(Puente del Alamillo) 。↓ 中央:メトロポール・パラソル。メトロポールパラソルは、波打つような独特な形状をしている複合施設で、セタス・デ・セビーリャ(セビーリャのキノコ)と呼ばれている。↓ コンテロス通り付近。↓ 屋上のプールが見える。↓ サルバドール教会。ーーーーーーーーーーー【北東】↓ セビリア大司教宮殿。↓ ホヤ・デル・カスコ ブディックホテル。ーーーーーーーーーー【東】↓ サンタクルズ教会:Iglesia de Santa Cruz。↓ マテオス・ガゴ通り。 左はセビーリャ大司教宮殿。中央のホテル ドナ マリア セビーリャの屋上にはプールが見える。↓ 左奥はサンタクルズ教会。右奥は尊敬者病院(Hospital los Venerables)。↓ ホテル ドナ マリア セビーリャの屋上プール。ーーーーーーーーーーーー↓ ヒラルダの塔の鐘。↓ 塔を下る。黄色い緊急電話ボックス。
2026.04.04
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【旅行10日目】スペイン・セビーリャ2025年5月26日(月)、セビーリャ大聖堂の中にある「コロンブスの墓」を見ました。1891年頃に、スペイン人彫刻家のアルトゥーロ・メリダ:Arturo Melida)氏が、アメリカ大陸到達400周年の記念行事の一環で制作しました。コロンブスがいた大航海時代にスペインを構成していたカスティーリャ、レオン、アラゴン、ナバラの4国王が、コロンブスの棺を担いでいるデザインで、各王は紋章入りの衣装、武具を持っています。コロンブスの骨は、色々な場所を転々としてきました。1506年にスペインのバリャドリッドで亡くなり、そこで埋葬されていましたが、1509年頃、息子ディエゴの意向で、セビーリャ近郊のカルトゥハ修道院に移されます。16世紀半ば頃にはイスパニョーラ島(現在のドミニカ共和国)のサントドミンゴ大聖堂に移送されますが、スペインがサントドミンゴの支配権を失ったため、1795年にキューバ・ハバナへ移送されます。1899年にスペイン=アメリカ戦争でスペインはキューバを失い、遺骨はスペインに戻され、1899年にセビーリャ大聖堂の「コロンブスの墓」に収められました。4王の位置は次になります。①前方左:カスティーリャ王(城の紋章)②前方右:レオン王(ライオンの紋章)③後方左:アラゴン王(縦縞の紋章)④後方右:ナバラ王(鎖の紋章)↓ セビーリャ大聖堂内のコロンブスの墓。↓ 4王が棺を担いでいる。1891年頃に、スペイン人彫刻家のアルトゥーロ・メリダ:Arturo Melida)氏が、アメリカ大陸到達400周年の記念行事の一環で制作。ーーーーーーーーーーーーーー①前方左:カスティーリャ王(城の紋章)。ーーーーーーーーーーーーー②前方右:レオン王(ライオンの紋章)。ーーーーーーーーーーーーーー③後方左:アラゴン王(縦縞の紋章)。ーーーーーーーーーーーー④後方右:ナバラ王(鎖の紋章)
2026.04.03
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【旅行10日目】スペイン・セビーリャ2025年5月26日(月)、セビーリャ大聖堂(カテドラル)を見学しました。セビーリャ大聖堂ですが、元々この地にはモスク(イスラム教の寺院)がありましたが、1401年に教会参事会の決定で大聖堂を建設することが決定され、1519年に完成しました。私は1991年にセビーリャ大聖堂を見学したことがあります。その時に購入した本「セヴィリァの全て/escudo de oro.s.a. /1989年1月第6版」のp8に、次の記載があります。1248年、セヴィリアがフェルナンド3世によって征服された後、市は再びキリスト教化され、街は新しい様式を刻まれる。しかし、これによってアラブ時代の多くのおもかげが破壊されるようなことにはならなかった。大回教寺院(モスク)の後地にセビリアの大聖堂が建設された。その建立は1401年7月8日に決定され、14世紀末にアロンソ・マルティネスの指揮のもとに工事が始められた。セヴィリアの大聖堂は、スペインで最も大きい教会であり、キリスト教世界でも3番目にあたる。この教会の面積を凌ぐのは、ローマのサン・ピエール寺院およびロンドンのサン・ポール大聖堂だけである。大聖堂は、計画を企てた人々、またその建立を決定した人々の野心的な熱狂を完全に反映している。教会参事会員は、断言している。「あまりに巨大で、完成した寺院を見る人々が私たちを狂人だと思うような寺院を建立しよう」↓ セビーリャ大聖堂。↓ Replica del Giraldillo : ヒラルディージョのレプリカ。セビーリャ大聖堂のヒラルダの塔(鐘楼)の最上部にあるヒラルディージョのレプリカが、聖クリストファーの門の前に置いてある。ヒラルディージョ(El Giraldillo)とは、巨大なブロンズ製の風見像の事。「信仰の勝利(Triunfo de la Fe)を表わす女性像で、手には盾とヤシの葉(殉教の象徴)を持ち、風向きにより風見として回転する。↓ チケット販売所までの長い列。↓ 聖クリストファーの門の飾り。↓ 入場券を購入して中に入る。↓ 袖廊にあるコロンブスの墓。↓ コロンブスの墓は、当時スペインを構成したレオン、カスティーリャ、ナバーラ、アラゴンの4人の国王が棺をかついでいる。14世紀の彫刻家、アルトウロ・メリタの作。↓ コロンブスの墓。↓ 主祭壇。↓ オレンジの中庭。
2026.04.02
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【旅行10日目】スペイン・セビーリャ2025年5月26日(月)、サイダ・ブティックホテル:ZAIDA BUTIQUE HOTELで荷物を置いた後、街を歩いてセビーリャ大聖堂(カテドラル)まで行きました。日差しが強く、前日のコルドバと同じように30度以上の気温が続き、フライパンの上を歩くような感じです。↓ サイダ・ブティックホテルを出た。↓ エル・ポスティーゴ市場。↓ ジャガランダの花。↓ セビーリャ大聖堂。↓ インディアス古文書館。↓ 路面電車。↓ セビーリャ大聖堂に入るため、入場券を買う列に並ぶ。
2026.04.01
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