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自由が丘で気になっていたお店に行ってきました。自由通りの踏切を渡ったところにある「串サンロク TORIBAR」踏切のすぐそばということでただでさえ出で立ちに味があります。細長いビルの1階なのですが、このビルの名前が「くちビル」と言います。よく通りかかるのですが、鶏の白レバメニューがあるところに惹かれました。食べたいもの順に注文しましたが、最初に出てきたのは「熟成鴨の生ハム」でした。品物やネーミングもなかなかオシャレです。そして、白レバテキ。TORIBAR、バーということでそれぞれ少しずつ摘みながらワインが空きました。ちょっとお腹を埋めるのに安定のポテトフライです。左にある焼き串はトロハツです。この日は、はしごして2軒目は自由が丘定番のサクラバル。1軒目が鶏だったので、サクラバルでは、パテ・ド・カンパーニュ、リエットと主に豚三昧でした。大好物なメニューで満足でした!
2019.05.29
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この前、あまりにも勧められたので最寄りの警察署の講演を観に行きました。内容はとてもわかりやすく、今管内で起きている事故や犯罪、その件数などを知らせてくれました。そして、未遂も含めて多いのは特殊詐欺とのことで、警察官の方の寸劇まであって40分の講演としてはかなりの高いクオリティでした。ただ期待を上回る新しい情報があったかというと、それほどのものではありませんでした。2019年の管内の詐欺の件数は16件で3,400万円の被害があるそうです。これはまだ判明した分だけだそうで、報告のない実際の件数は数倍あるとのこと。また、殺傷事件はまだ起こっておらず都内では優秀であるとのこと。あとは自転車のマナーについての話でした。これらの内容、テレビなどのマスコミで取り沙汰している事件や問題とは、随分と温度差を感じるのは事実です。詐欺をはたらいている人物がどんな人間で克明な実態というのはなかなかわかりません。そして、言われるのはもっぱら「合わないようにするにはどうすればいいのか」ということ。ここでのその答は家の電話は留守電にして出ないのがいいそうです。では、家の電話は何のためにあるのか?今や頻度の少ないFaxを送受信するためでしょうか。もしそうであれば、家の電話の不要論をマスコミは取り上げるべきではないでしょうか。少し前に自転車の運転についての罰則が報じられることがありました。また、数年前までは自転車の二人乗りの禁止や歩道を走らず車道を走ることが、よく叫ばれていましたが、もうなくなったのかと思えば、今だに原則二人乗りは禁止、車道を走ることがルールのようです。そう言っても自転車用チャイルドシートは普通に売られているし、都内の幹線道路では自転車が車道を走ることはなく、歩道でビュンビュン歩行者を追い越していきます。一方、横断歩道では自動車より歩行者優先というルールも、なかなか定着し辛いように思います。この曖昧さは日本的というべきなのか、真面目にルールを守った方が損をするような社会が普通にあります。子供たちを巻き込む凄惨な事件があると、「このような事件をなくすためにはどうすればいいでしょうか?」と、まず被害を受けた子供の通っている学校や近親の人が、あたかも責任はないのかというようなインタビューがされますが、まずは加害者の責任を問うだけでいいし、それが道理でしょう。では、なぜそのような事件が起こるかと言えば、真面目に誠実な行いが不誠実な何かによって認められなかった時に、人は落胆、あるいは絶望し真面目であっても損をするという学習をし、自分の受けたことを他にしてしまう可能性があるのです。人は受けた学習の中から人をまた教育する習性があります。ですから、皆が自分の生きている社会が誠実で良いと思うようにならなくては、いじめも自殺も犯罪もなくならないように思うのです。個別に全てがいい社会、それは政治やマスコミが牽引できるかどうかです。無責任で不誠実な社会はテレビやニュースでもよく見かけます。例えば「子供のために」というキーワードがあれば、何でも美談をつくれて宣伝効果が上がると考えているようです。優勝したアスリートへのインタビューで、「では最後に子供たちに向けてメッセージをください!」偉大なアスリートが子供たちに愛のある言葉を残したとすれば、番組を伝える宣伝にはとてもいいわけですが、アスリートに限らず演奏家がコンクールで優勝する場合でも、自分との闘いはあっても子供のことを考えて励んでいるわけではないと思うのです。ただ聞かれたら、何もないとは言えないから適当なことを言わなければなりません。マスコミがそのように作り上げたいだけにも関わらず、観ている側は「◯◯さんはやっぱりそうか、素敵!」となるわけです。万人の共有できる話題性がスターをつくり視聴率を上げるのです。アスリートは芸能人ではないので、成績は上げても人気で売っているわけではありません。ですから自分に打ち勝つために「次回はもっと頑張りたい」、「楽しんで臨みたいと思います」というのは率直なところだと思います。「ファンあってのあなたなのだから、ファンにひと言!」とは言われたくないでしょう。しかも言われても強い時だけ、誠実な世の中だとは思えないでしょう。
2019.05.29
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今年に入ってからの夜会料理です。この時はブルゴーニュの白で、すっきりした爽やかな飲み心地がよかったです。今年初のブイヤベースです。海老にあさり、ブリと身近な食材です。これは髙島屋で買ったパテ・ド・カンパーニュ。味はいたって上品です。今年からの新作。マグロとアボガドのタルタルなのですが、一見はラディッシュのカイワレと玉ねぎです。混ぜて食すとなかなか良かったです。毎回つくるカルパッチョです。チーズも定番。パリでよく食べたゴルゴンゾーラとマスカルポーネが層になったのを久々に食べました。ブリーやモツァレラはチーズに慣れていない人にいいです。アヒージョです。きのこをたくさん入れますが、マッシュルームではなく舞茸です。牡蠣のアヒージョなのですが、色が同化していて見映えが今ひとつですが美味しいです!ミートローフのパイ包み、サーモンとほうれん草のパイ包み。これは冷凍食品で焼いただけですが、こういうのはあるとテーブルがとても引き立ちます。ほんの数人の夜会でも準備は結構たいへんですが、達成感があるし食事会は楽しいです。よくやりますのでぜひご一緒に。
2019.05.08
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半年ぶりに恩師のお宅を伺いました。と言っても恩師は亡くなっており奥様とお会いしました。アンドレ・ジョリヴェに師事した日本人はすべてで3名で、中でもいちばんの兄弟子であった恩師は、学生時代からしょっちゅうこのお宅でご馳走してくださいました。30年前とまったく変わっておらず、写真と食器、美術書、どれを取ってもフランスにいらした趣味が香ります。皆で長い夜会を過ごしたテーブルと椅子も当時のままです。ランチョンマットやナプキンの趣味も当時のようです。学生時代はワインはでませんでした。味がわからなかったり飲めない学生もいるからだったのでしょうか。今回はロゼでした。安定したバランスでとても美味しかったです。前菜はハモンセラーノとアスパラです。肉っぽいハモンセラーノにアスパラを巻くことによって新たな味に生まれ変わります。主食はタラの野菜ソースです。あっさりと野菜がたくさん取れます。ローリエ以外は野菜を活かした味付けです。締めの小さなオムライスのピクルス添えで腹を満たし、さらにデザートです。充実した2時間半でした。年月を経ていただくといろいろ思い出すと同時に、目の行き場や食器、その他さまざまなことを若い頃はわかっていなかったことに気づかされます。今、自分が家で作っっているものの原点がここにあり、自らの検証になります。
2019.05.07
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2月初旬に滋賀の守山、西明石、明石、姫路、加古川、大阪と知人たちに会いに周ってきました。新幹線で米原駅で下りた後、草津に向けて少し乗ると着きます。ここには知人がレッスンに使っている楽器屋さん、ホールや、ピアノを少し浮かせるためのインシュレーターを開発した調律師さんがいます。インシュレーターは、ピアノの音をさらによくするための工夫です。京滋ピアノ調律この駅前のホテル・ベッセルイン守山駅前に宿泊しました。とても新しいホテルでしたが、ビジネスホテルとしては過去ないくらいの居心地の良さでした。夜はその1階にある近江牛を食すレストラン「OKAKI」でご馳走になりました。一夜明けて西明石に移動。こちらも西明石駅前に新しくできた、ホテル・プレフォート1階のカフェレストランでランチしました。肉食系の喜ぶランチメニューでしたが、中でもいちばんカロリーの低めな牡蠣フライにしました。明石に移動しこのところ開発が進んでいる明石駅前を撮って見ました。当時はちょうど明石市長が辞職した頃でしたが、この滞在中に明石で出会った20人以上でその市長のことを悪く言う人はひとりもいませんでした。地元や現場は置き去りで周りが騒いだことのように思えます。下の写真は当時立ち退きの要請がされていた場所です。夜は明石で高校の吹奏楽同期のメンバーで宴会でした。11人ものメンバーが集まったとても思い出深い会でした。皆元気、まだまだこれからの交流が楽しみです。うまい野菜とあかしの魚 一(はじめ)翌日は姫路に立ち寄りました。また明石に戻り先輩方に迎えていただきました。
2019.05.06
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Twitterで見かけたつぶやきで、日本が令和になって、カウントダウンや年明けのように盛り上がっても、世界は何も変わらずガラパゴス化だということを見かけました。改元は確かにそれぞれが厳かに受けとめることでお祭りではないと思います。今回は天皇が崩御されたわけではないから特別だったわけです。元号が変わることを平成生まれの人はどう感じたのでしょう。政府はこれを機に、またオリンピックなどで、さまざまに景気を上げるような得策を考えます。10連休もそうでお金を流通させ国民に使わせる意味があります。電子決済を進めることで設備投資やスマホの買い替え、オリンピックに向けて急速に外国人を受け入れる設備投資、いろいろなことが重なって物価上昇が始まっています。これらが本当にいいとは思えません。お年寄りは急速に変わる時代に着いていきづらく詐欺に合うのです。最近は何かと高齢者の自動車事故が報じられますが、高齢者のほとんどはネット上で被害を載せたり、意見を言うことが少ないでしょうから、もう少し労われてもいい気がします。平成元年から30年まで大学教員をしていましたが、学生そのものが随分変わった印象があります。後半でゆとり教育の世代があり、やりたい意欲はあったものの忙しくなると、自分で履修したり選んだことへの自己管理が弱い世代。さらに少子化が叫ばれ大人が子供や若者をたて、若者は優先順位によって自由に選びやりたいようにする世代。平成の後半ではインターネットとゲームの影響が大きく、コミュニケーションや学習についての要因がここにあるようです。ネット上若者を取り巻く環境は大人と同じく、書き込みに対して応えないことの方が多いわけです。特にゲーム上で繋がる対戦者や仲間がその代表で、誰に言っているかわからないもの、コミュニケーションのタイミングが合わない、何を言っているかわからないものや理不尽なものなど、そのまま黙認したり無視することを学習します。よって、日常の面と向かったコミュニケーションや、よく知らない人や、優先順位の低いこと、煩わしいことには、挨拶や連絡事項であってもスルーすることが平気になります。この点が40代以上の中高年と決定的に異なるギャップです。またRPGなどのゲームを始める際のクエストは体験型学習のお手本で、言われたとおりにやっていくうちにシステムがわかり、そこで楽しさを体験できれば続け、楽しくなければやめる、そのような選択を常にしてきていると言えます。授業で言えばシステムをイメージすることが履修するポイントで、そのイメージができた上で楽しくなければやめてしまうこともあります。その結果、ポジティヴになれるまでは指示待ちとなり、イメージできたことのシステム化、つまり真似することは得意ですが、最初からクリエイティヴな要求、自発性を求められることは苦手です。全体にゆき届いたお世話を望んでいて受け身な世代と言えます。「大きな夢を持て」「夢は必ず叶う」「ありのままでいい」などと言う、キャッチフレーズが飛び交い、ゲームやアトラクション、あたかも夢を叶えたかのようなSNSの書き込み、テレビの報道が溢れ、我も我もとなっていますが、実際に大きな夢を叶えられる人はごく一部で、社会の現実は考えていたものとは違うのであり、若くして失望したり格差を感じたりすることが多いのではないかと思います。しかし、平成の最後に新たな流れを提示したCMを見ました。「自らが変わることを恐れずに」というキャッチフレーズは今までと正反対です。夢とは本来非現実で皆でそればかりを追っていたら現実は崩れてしまいます。
2019.05.04
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もうすこし前のことになりますが、今年は近場の桜を勉強しようとあちこち歩いてみました。まだ満開というほどでもありませんが、撮り方でさまざまな表情を見せてくれるソメイヨシノは、やはり日本的で美しいです。そして、ソメイヨシノの中で時折鮮やかに目立っているのがこの深山桜です。夜にライトアップされたソメイヨシノ。緑道で桜より惹きつけたのがこのカイドウという桜と同じバラ科の樹木。赤っぽいピンクがなんとも華やかでした。最後にこれらの写真を使って、「弦楽のためのSAKURA」動画をリニューアルしました。
2019.05.01
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令和と共に復活しました。都知事が都内でバンクシーの描いたであろう絵を一般に公開しました。バンクシーが描いたものかどうかは問い合わせてもわからないようです。描いたとでも言えば、日本人は捕まえるかもしれませんから、このことがはっきりすることはないような気がします。しかし、バンクシーのものであるかどうかがいちばんの注目点で、この場合、バンクシーでなければ鑑賞する意味もありません。公開したとしてもバンクシーらしき落書きで人を集めるのみ。いかにも日本的で、その解明が本来優先。また展示するのであれば、何がバンクシーでどの程度解明されているか、バンクシーの問い合わせ方法がインスタグラムでしかないことも解説すべきです。この件について、嘲笑う人も多くその記事があります。http://blog.esuteru.com/archives/9305986.html再度になりますが、このようなメッセージ性、新たなプレゼンテーション、そこに利害関係がはっきりせず、匿名性でもある作品に、新たな芸術性を感じずにはいられないのです。現代音楽は昭和の時代からいくつもの新しい試みがあり、いくつもの内容の深い音楽があったと思います。しかし、今日では大半が演奏されなくなり一見忘れさられようとしている、と言っても過言ではないと思います。そして、特殊奏法などの演奏水準は上がるものの、インターネットを介した宣伝が巧みになり、過去は語られることがなく一過性に情報が広がリます。
2019.05.01
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