型をこよなく重んじるも、嵌ることをめっぽう嫌がる作曲家の日記

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2018.09.15
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テーマ: 新しい音楽(16)
カテゴリ: 新しいこと
自分の作曲の先生と呼べる人は日本人で4人いて、
だいぶ以前に亡くなりましたが宍戸睦郎先生という方がいます。
その先生はパリでアンドレ・ジョリヴェに師事した数少ない日本人です。
宍戸先生からはとてもたくさんのことを学びジョリヴェのことも聞きましたが、
分析されたデュティユーやルトスワフスキ、ペンデレツキ、メシアンなど、
興味はフランスとポーランドの現代作品に向かいました。

20世紀までは日本でジョリヴェは今より演奏されず、
その頃まで絶えず不協和で休まることがない音楽という、
ごちゃごちゃして音の多い曲のイメージがありました。

作曲法や理念が多岐に渡り抽象的に感じられました。
そしてジョリヴェの文献は少なく肝心の作曲法について、
なかなかわからないことも多いのです。

その後、フルート、オーボエ、トランペット、打楽器などで、
器楽曲や協奏曲が演奏される機会が増え、
職業柄ジョリヴェの曲を分析することが増えました。
すると何度も聴くうちに理念を超えた音楽の素晴らしさを感じるようになりました。
例えば、激しいエネルギーを象徴としていた初期から叙情的になった中期の、
「リノスの歌」では長い時間をかけてクライマックスに調性的な旋法が顔を出し、
後期のピアノ協奏曲では素材が渾然一体となってリズムを伴ったカオスになるなど、
その後の現代音楽シーンでよく見かける緻密な構築です。


それは師がジョリヴェそのものの作曲法であったということです。
つまり、自分もジョリヴェの影響をたくさん受けているということです。





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最終更新日  2018.09.17 00:16:38
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