型をこよなく重んじるも、嵌ることをめっぽう嫌がる作曲家の日記

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2022.03.17
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子供の頃、阪神ファンでテレビで応援していました。
ここというところでホームランを打っても打者はガッツポーズはおろか、
笑顔のかけらも見せずブスっとして塁を周る様子に、
なぜ喜んだりガッツポーズをしないのだろうと不思議に感じていました。

プロ意識が強いのか武士の精神なのか当時はそれが普通でした。
当然ながら大人が「ありがとう」「ごめんなさい」というのは、
お店の人がお客に対していう以外で聞くことはあまりなかったと思います。
これが昭和文化ということだろうと思います。

それから時代の流れで状況は変わっていくわけですが、

子供の頃に大人からは言うように言われていても、
照れ臭さが残っていて変われない人であろうと思われます。

昭和では「ありがとう」の代わりに「どうも」と言っていました。
「どうも」は感謝や「よろしく」も表したりして適当に便利な言葉でした。
しかし、言葉としては「どうも」だけでは訳しても意味をなさず、
「よろしく」も日本独自の言葉でちょうどよく訳すことができない言葉です。

言葉遣いが変わったのは国際化が進んだからだと思います。
留学したフランスでは、売る側と買う側の立場が同等で、
小さな物でもお客が店員に礼を言って店を出る様子が印象的でした。
今でも日本の都会ではあまり見られないと言えるでしょう。

このように礼を言わなくても済むのに言うことは気持ちの表れと感じられます。

例えば「こんにちは」は儀礼的ですが、「お元気ですか?」と挨拶すると、
少なくても気にかけている証となり会話が続きます。

返答として「元気です」「疲れています」などお互いの今の関係が推し測れ、
万一無言であれば自分に良い気はしていないのだと判断できます。
いずれにせよ、コミュニケーションを大事にしている海外の文化が感じられ、


しかし、デジタル化が進み電話から要件だけの文字メッセージのやり取りとなり、
余計な言葉を省くばかりか返答をしないと言う選択肢が加わってしまいました。
昔から考えるとコミュニケーション欠落の大きな要因が既読スルーと言えます。
メッセージでは挨拶が儀礼的となりもはやスタンプを楽しむためのものです。

さて、外国人が日本で働く場合、日本人の友人を作りたいと考えるでしょう。
しかし、例えばコンビニでレジをしたとしても都会ほど儀礼的な接客です。
質問かクレームくらいしか会話がなく、話しているのに目も合いません。
もはや人でなくてもセルフレジや非接触でいいと考える人が多いでしょう。

少し前よりも挨拶や感謝を表すことが若者を中心に減ったと思います。
言わなくても支障のないことや、相手に向けての言葉が全般に減りました。
言う時は相手より自分のために「こんにちは(何かいい話はありませんか?)」
「ありがとう(また、お願いしますね)」などの意味が含まれることが多いです。

挨拶・言葉をかけることは、相手に受ける様子がなければアクションを起こしません。
受ける側がされたら返す気があっても、相手に向く素振りがなければ何も起きません。
打算なくコミュニケーションをすることがこれからの時代は必要だと思います。
日本人がウクライナ避難民を受け入れるポーランドのようになるにはまだまだです。





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最終更新日  2022.03.17 17:43:38
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