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○ △ □ で描いた 絵のシリーズ。丸と三角と四角があれば絵に出来る。しかし、魅力ある絵になるか?は別問題 (笑機会があれば、染物にしたい(^^
Oct 6, 2007
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明泉寺シリーズになった(^^ここの石造五重塔は元には1対であったらしいが、長い年月のうちに倒壊していたものを昭和45年(1970)11月に地元住民らの力で復元された。総高6.782m。昭和49年に国の重要文化財として指定された。こちらいつもの通り道なので四季折々に写真を撮っているが、今の季節の景観は、もうひとつのような気がする。写真の腕が悪いだけね(^^;一番好きなのは雪が積もったとき。墨画 53cm×65cm 制作年は不明・・・10年以上前というのだけは確かだ(^^;新雪が一晩で20cmほど積もった朝、足跡をつけないようにして写真を撮りに行った記憶だけが残っている。このころは、まだ、雪を掻き分けて行く気力があったようだ(笑
Oct 4, 2007
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ようやく絵画教室のメンバー大人は私を入れて3人、子供8人が固定してきた。と思ったら、子供たち、慣れて来ておしゃべりが多くなってきた(^^;前回に描いた顔の絵に色づけ。まぶた、頬、あごの色、など観察させるが、鼻を描いてもらうことが難しい・・・子供たち、鼻の「穴」は、なかなか描いてくれない(笑外は寒くなってきたが、教室の中は子供たちの熱気で暑くなり大人も半袖に(^^11月の文化祭まで、月に1回だと完成が厳しい。10月の教室が2回になった。みんな、おしゃべりしないで、描くんだよ!・・・んと、私は描く暇がないと思う。文化祭、美術担当者様。・・・私、出品しないでも良いことにしてください(^^ゞ
Sep 29, 2007
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人物画の中の裸婦。リクエストを頂いたので、少しだけアップ。18歳の頃、染色工房の先輩に連れられてヌードを描きに行った。人物を描くにはヌードから始めるというのが定説の時代だった・・・今でも、そうかも?そうでなくても良いような気もするが(^^何でも学ぼうとする意欲があったことだけは事実。 裸婦デッサン ダーマトグラフ 20分程度 1971年(初めて裸婦を描いた頃のもの) 裸婦デッサン 鉛筆 20分程度 1982年今、裸婦を描いたら?画像ソフトの上達のためにパソコンで人物を何枚か描いたが、CGでは隠微な世界も描けそうだった。50歳代のオヤジらしい絵が描けそうな気がした(笑しかし、リアルでは裸婦を描く機会はないので、その世界には進めそうもないと思う(^^
Sep 19, 2007
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似顔絵描きの続編。昨年5月、街中のイベント「カフェローエル運営会議」でメンバーの1人、Aさんが「似顔絵コーナーをしょう」と言った。「手伝ってくれる?」と言われたので、子供100円・・・大人1000円の看板を作って準備をした。イベントなので子供が楽しめる料金体系にしたつもりだったが、これがあとで悔やむ素となった(^^;当日の朝、イスとテーブルの前に看板を置いてAさんの来るのを待っていたが一向に姿が見えない。フリマの準備をする彼女に「似顔絵は?」と尋ねると「こっち忙しいからお願いね」と言われてしまった(--;彼女は絵を描く人なので私が手伝いをするつもりだったのに、結局1人で似顔絵描きをすることになってしまった。30数年前の心斎橋を思い出したが、ここでは客も少ないだろうし(経験上、流れを作らないでおこうと)私も他のコーナーの係りをしていると、「お客さんが来たよ」とわざわざ呼びに来る運営メンバーがいた(^^;小学生2、3人を描いたら、知り合いが赤ちゃんや子供さんを連れてきて賑わってしまい、結局1日中描き続けることになった。しかし、客の要望はシビアだった。顔見知りになった小学生の女の子たちは、洋服の模様やおもちゃも一緒に描いて欲しいという。(100円で、そんな細かいところまで時間掛けて描けるか!と思う)模様を手抜きで描くと数人で声を合わせて「なーんも似とらん」「へたくそや~」と言う・・・。あのなぁ~(--;「ここにも顔あるんよ」おもちゃの陰にキャラクターが見える・・・そんなもん、描けるかっ!(TT子供100円という料金で一枚30分費やすような苦しみ。しかも何人も!(--なんとか納得させるところまで描きこんだが、めちゃめちゃ~疲れる~~~。1人の女の子が「私も描いて」というのでイイよと言ったが「お金ないけどイイ?」と言う。「100円、お母さんから貰っておいで」と言うが「ないけど描いて」と居座り続けた(^^;客の多いときには他へ遊びに行って、また戻ってきて隣に座る。お菓子を買ったりしているからお金を持っているのが分かったが、「絶対タダで描かせよう」というのがミエミエだったので、「絶対に描かないでおこう」と無視し続けた(笑しかし、トイレへ行っても他の用事に行っても、ずーっと付いて来る。夕方近くになり暗くなってきても女の子は座っている。そろそろ、顔が見えなくなる時間になった。私の顔をジーっと見つめ続けているのを見ると、何故だか私のほうに罪悪感が生まれてくるではないか???「他の子にタダで描いたとは言わないように」と最後は根負けした(--;「あーあ、とうとう負けたね」成り行きを見ていた運営メンバーが笑っていた。酔うと集中力がなくなって似せることが出来なくなるからビールも飲めない。似顔絵描きには、イベントを楽しむ余裕など全くないと分かった(笑たぶん、似顔絵描きのコツのようなものがあると思う。それが本職ではないから断言は出来ないが、これもお客さんを喜ばせるのに徹すれば良いようだ。視線を合わせ続けると表情が硬くなるので(私が見つめ続けると、きっと怖い)(^^;「こっち見て」と、私は顔の横に左手を上げて掌を広げ(私の顔ではなく)少し違う方向を見てもらった。自然な表情のまま、とにかく似させることだけが絶対条件。そして、集団でいる小学生の女の子たちとは仲良くならないこと(笑尚且つ、女性は少し若い目にして少しキレイめに描くこと。2割増しくらいか?(^^ゞ・・・これは人物画というより、『商業美術の特殊分野』だと思う(^^
Sep 18, 2007
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若い男の絵を描くのも、それなりに難しい。じっと見つめていると、ぎこちない堅さと不安定な心理状態が見えてくるようだ。弱さや迷いがあり、明るいときと暗いときの感情が見え隠れして、日によって違う表情になる。そんな22歳のスケッチ。1974年4月24日。画用紙に水彩色鉛筆。保存状態が悪いので汚れがいっぱいだ(--;この年だったか定かではないが、先輩に誘われて似顔絵描きの修行を敢行した。このころは自主的に活動するというより、先輩に言われて行くことが多かった(笑)正月2日。大阪心斎橋、商店街のど真ん中。銀行の閉まったシッターの前でイーゼルを立てて、元旦に描いたオードリーヘップバーンやアランドロン、栗田ひろみなどをボードに貼り並べて店開きをした。タレントの選び方が不思議・・・(^^)1日目。なかなか客は来なかったのだが、一人描き出すと周囲に人だかりが出きた。緊張感が張り詰める中で完成させ、生まれて初めて似顔絵を描いてお金を貰った。たしか、1枚300円だったような気がする。最初の一枚を喜んでもらえたので嬉しかったが、次から次と客が続いてきた。10人ほど一気に描いたら、ようやく人波が途絶えて休憩することができたが、真冬なのに全身に汗をかいていた。しかし、こういう客の波をさばけるということが自分では不思議な感触だった。少し酒の入ったオジサンの「コールマン髭をつけてくれ」という無理な注文や、正月飾りをいっぱい付けた女性の髪型に手こずりながら午後9時頃まで続けただろうか?私の手元には1万円ほどの収入があった。誘ってくれた先輩は「明日はやめようか」と言った。「なんで?」と問うと「いや、疲れたから」と。確かに、似させるための集中力を持続するのは普通に絵を描くより、はるかに疲れることだった。2日目。しかし、同じ場所で似顔絵描きをする2人がいた。心斎橋へ行ったのは、京都の繁華街では知っている人に出会うと恥ずかしいから、という理由だった(笑夕方、2、3人の会社員グループを描いていると、人を掻き分けて来た男が突然、「こら、にいちゃん。わかっとるやろな?!」と怒鳴った。一瞬、何が起こったのか全くわからなかったが(--;)・・・先輩と2人顔を見合わせて「はいっ!」と返事をした(^^;「ひとまわりして来っからな」と言うと肩で風を切って立ち去ったが、描きかけのお客さんが「サテンに行こう」と言って裏道を案内してくれた。正月料金の飲食もごちそうになり無事描き終えたら、どっと疲れが出て先輩と2人でヘロヘロになって帰路についた。先輩は「二度と似顔絵描きは、せんとこうな」と言った。母親から電話がかかってきて「なんで正月に帰ってこんの?」と聞かれたが、「仕事で・・・」と答えた(^^;染色の修行中の身、いったい何の修行をしていたのか?笑ってしまう思い出だ。ちなみにスケッチに描かれた若者は、30余年後 こうなった。 ・・・(--ゞ
Sep 17, 2007
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埃のつもった段ボール箱には20歳代に描いた花の絵と共に、風景スケッチやヌードクロッキーが詰め込んである。その殆どが女性像だが、珍しく同僚を描いたものがあった。F6 スケッチブック(画用紙)に色鉛筆 1974年4月7日。給料を貰うと同じ年代の男女5、6人で頻繁に映画や美術館、飲み屋などへ一緒に行った。T君、22歳のとき。今頃何をしているのだろうか?このブログを見る機会はあるだろうか?お~~いT君、元気か?今何してるんだ?結婚したかぁ~?って・・・人物画の発表の仕方、目的、間違ってるかも?(^^;
Sep 16, 2007
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9月中旬というのに室温が32度。勘弁して欲しいわ。染め模様を仕事としているので花の絵を描くことが多く、自由に絵を描く時には人物画を描きたくなる時がある。絵画教室で描くときには、直ぐに身近にいる人をスケッチする。特に人物画が好きというわけではないが、仕事以外では花を描きたくないような、ある種のバランス感覚なのかもしれないと思う。若い頃は染色工房の寮に入っていて、先輩に誘われると花の絵のスケッチ会に参加したりデッサンやクロッキー教室に通った。文化や芸術論を話す先輩に勧められると美学や文化論の本をかじったりした。今読んでも分からないような本が未だに飾りとして本棚にある(笑左は20歳の頃の油絵・F50号。右は19歳の頃、スケッチ教室。先日サウナの上司の話を書いたら当時の頃を思い出した。京都の暑い夏、寮の部屋で油絵を描いていると同部屋の先輩が油臭いと言うので倉庫で描いたものだった。部屋中油臭く、激しく暑かった~(^^;
Sep 15, 2007
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今日も親戚のお通夜。今年何回目だったかは忘れた(^^;3年前に父親を亡くし、田舎に昨日亡くした母親を一人残して都会で仕事をしていた息子の通夜の挨拶には、侘びの気持ちが込められていた。田舎に帰ってくるに来れない理由があるのは聞くまでもなかった。誰もが、この田舎の事情を背負っているから責める者などいない。3年前に逝ったオヤジさんの元に行ったんだよ。という声が聞こえた。しかし、彼の心の中に刻まれた自責の念は深そうだった。数年前に描いたアクリル画。タイトルは「夫婦の距離」その距離、数年間で近づいたのか離れたのか?微妙だ。・・・ん~。この絵、我が家の話だとは言っていない(^^
Sep 8, 2007
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『ひまわり』の絵といえばゴッホになってしまう。ゴッホについて説明する必要もないのでこちら参考。生涯において12枚の『ひまわり』を描いたようだが、花瓶に入った同じスタイルの絵が7枚ある。実際に美術館で見たのは一枚だけだが、似ているので、どれだったか今では分からない(^^だが、私はゴッホの向日葵の中で『4輪の向日葵』が一番好きだ。 1887年7月~9月 パリ時代 60×100cm 黄色と青紫の補色使いで空中に浮いているような向日葵。画集などでよく見る花瓶に入った明るい向日葵の絵には、どこか無理があるような気もするが、この4輪の向日葵も、暗くて切ない感じがする。どちらにしてもゴッホの絵に対しては色々な物語を思い浮かべて感情移入をしてしまいそう。今年のような激しい暑さの夏には、ゴッホの向日葵がピッタリだ。そして、ゴッホについて話すといつも同じような結末になってしまう。ゴッホのイメージは、実らぬ愛、仕事の挫折、相手に届かない気持ちの自己主張。 思いこみが激しく、押し付けタイプの人間のようだから周囲に理解されなかったのも無理ないのだが、もし今、近所にゴッホが暮らしていたら、迷惑な隣人、絶対に係わりたくない男だな~と、やっぱり思うのだった(^^;
Aug 30, 2007
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子供たちは顔を描くと、たいがい描きやすい方向で慣れたものしか描かない。前回の作も多くの子はパターン化したアニメや漫画のような姿を描いていた。そこで、今回の絵画教室では座った子の左隣の子を描いてもらった。横顔、斜めの顔、下向き・・・大人でも苦しいかもしれない。小学校4、5年生の子供たちにとって、これは凄く難しい。しかも、右利きの子は手の動きと目線などから、普通は左に向いた顔しか描かない。しかし、敢えて右向きの顔を描いてもらのうのが、この教室らしいところだ(^^・・・すごく、意地悪な先生としか思えないかも~(^m^)
Aug 26, 2007
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海の近くに暮らしているから浮かんだ舟は見慣れてしまってるのだろうか。どうしても丘に上がった舟に目が行ってしまう。それは、父の舟を丘に上げたのが私だったからのような気もする。入り日の中で幾隻もの船が重なり合っていた日の記憶。[CG・ペンタブレット]
Jul 28, 2007
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一日中雨。窓から対岸を見る。海の向こう北東方向は雨の中で全く(晴れていても)見えないが、梅雨から真夏に向かうに日々。昨夜も寝苦しい夜だったが、中越沖地震の避難所ではこうした季節、蒸したり暑かったり、さぞ寝苦しく都合の悪い日々だろう。3年前は10月、冬に向かう季節。今回は真夏に向かう時期。どちらも、この先苦しい季節だ。一日も早く安らげる日になれるよう願うのみ。絵は「雨の日曜日」20歳頃、会社の寮にいて雨でどこへも出かけられない日曜日、窓から見た町並みを描きたくなって4階のトイレを一日中占拠した。トイレに来た図案部の部長に「屏風にして残しておけばいい」と言われたので、当時、手取り6~7万円の給料から5万円かけて屏風にした(^^;画面は縦130cm横134cm(67cm×2枚)画仙紙に墨と顔彩。今見ると、屏風にするような絵ではないと思うが(笑)雨の日に現場で描き上げた私としては珍しい絵。京都市西京区(当時は右京区)から洛西方面、太秦から嵐山方向を望んだもの。ああ、あそこは昼休みに話し込んだ喫茶店。あそこの焼肉屋は何度も行ったが犬を食べさせるので有名になった。キャッチボールをした路地。スケッチをした公園。駐車場は前の年まで田んぼだった。嵐電に乗って帷子ノ辻、車折神社、広隆寺、仁和寺へよく行ったが、数年前に訪れた時には道幅が変わりビルばかりの景色になって迷ってしまう程だった。土地の景色は変わるけど、人がいる街は賑わう。能登は・・・と呟いてみる雨の一日。
Jul 20, 2007
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伝承の物語の絵本に関する裏話(2)「なあげそうけ」という地域の物語を絵本にするために鎌倉時代の衣装や地形、言葉まで想いをめぐらすことになった。当時の衣装を探したり住居の形を確認したり、中世の暮らしを紐解いて、史学の教授からも資料をお借りした。だが、あまり細かいところまで描くと絵として面白くなくなるし、実際、実物が無いので細かいところを描けば描くほど間違いが増えてしまう(笑衣装や地形も、かなり曖昧で申し訳ないことだが、歴史に疎い私も、この町の地形やなりたちを学ぶことになった。長谷部信連公は武勇の人という印象が強かったから当初は鎧兜姿の絵を描いたが、実際に町を見回るときには兜など身に着けるわけもなかった。よって、烏帽子に変更したがさすがにイメージ的に直垂(ひたたれ)姿には公家のように見えるので出来なかった(^^;こちら、ちょっと面白い当時にあったものが今には無くて、今ある地形は埋め立て地なので当時には無かったはずで、時代を経て広がり増えた河川と新しい道路、移転した寺社に増えた住居・・・掌握しきれない。昔のこの町の湊(みなと)は河口から700m上流だったという・・・が、しかし、これは一枚の絵に出来なかった(^^;そして、絵本の中に描いてある「ボラ待ちやぐら」(上図の右下に配置)は、鎌倉時代に存在したか?歴史上の記録として登場するのは1838年(天保9年)「杭網(くいあみ)の図=夏中鮪捕網)」当時は岸辺までマグロが回遊して木で組んだ櫓(やぐら)の上で網に入るマグロを待っていた漁だったということで、その後、ボラを待つ櫓になったらしい。(また、その漁に対して年貢がかかりそうだったということだから、それだけ海がきれいで豊かな恵みがあったのだ)では、記録として見付かっていない江戸時代以前に「やぐら漁法」は無かったのか?結局、こういった原始的な漁法が「無かったという記述も無い」ことだから、「絵本の中にはあっても良いでしょう」という意見が多いことから「描いてあったほうが穴水らしくて良い」ということになった。さらに、その遠方には能登島と立山連峰を描いた。こちらも上空から見たような感じで実際に見えるよりも遥かに広く大きく描いてある(^^;あったものと無かったものを正確に配置して・・・(いや、私は当時の地図や見取り図の資料を描いているのではないから)それでは絵にならないのでアバウトで許してもらうしかない(^^;では、「絵本なら、なんでもアバウトで良いのか?!」と自ら突っ込んでみる。う~ん、上手い答えが見つからないのだが(^^;絵本ということで絵として魅力あるようにしたかったという弁解と(笑)絵本の話から町の歴史を知るきっかけになり、もっと学ばないとイケナイと反省・・・という言い訳をさせてもらいたい・・・m(__)mそして、こういう疑問が出てくる絵を描くには、もっともっとボカシを多用するほうが良いという結論を得たのだった。過去の屏風や襖絵の俯瞰図で雲間やボカシの中に町並みや人を描いてあるのは、そういう意味だったのか?などと思うのだった(--ゞまだまだ修行が足りない!各種のボカシ技法を習得し、ゴマカシ上手にならないとイケナイな~。と思うのだった・・・オイオイ(笑)
Jul 19, 2007
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伝承の物語に関する裏話(1)●「なあげそうけ」の駄洒落、勘違いについてこの町の人々に伝えられている「なあげそうけ」は、殿さまが「菜上げ“そうけ”」を「名上げ宗家」と聞いて喜んだ、という内容だった。しかし、アドバイスを受けた史学の教授に「なあげそうけ」は「名上げ長家(ちょうけ)」と聞き間違えて殿さまが喜んだ、と言われた。さて、そこで作者も私も少し悩んだ。この伝承の話の登場人物であるお婆さんの子孫の方は「そうけ」は「宗家」という内容で話していた。絵本の作者も私も、ずっと以前から、そういった内容だと聞いて思い込んでいた。う~ん、絵本の本文をどちらの内容にするか?もっと詳しい理由を教授から教えて頂きたかったのだが、大変忙しい方でなかなかお会いできない。そこで私なりに考えてみた。新たに本として出すことのポイントは2点1.皆が知っている内容と違う点があるということで、新たに発表する意味もある。2.子供に読ませて聞かせる絵本で「そうけ」と「宗家」の説明は難しい。「宗家」という言葉は普段使わないので、子供には駄洒落と判断できない言葉だ。尤も、今では「そうけ」が竹製の作業器ということを説明するのも難しいが(^^)駄洒落が通用するには、その言葉の意味を多くの人が共有していないとウケない。では「宗家」という言葉はいつから使われたものだろうか?中国では三国志(陳寿(233年 - 297年)が記録した歴史書)の中に「宗家」は使われているようだが、「日本において、能楽などの伝統芸能や古武道などで家元の言いかえとして用いられる称号。もとは観世流で観世銕之丞家に対して家元家を宗家と呼んだところからおこったもの。」とある。(Wikipediaより抜粋)この説明が正しければ、観世流の祖、観阿弥は1300年代の人だから、絵本に登場する長家の殿様、長谷部信連の時代1200年頃には「宗家」という言葉は一般的であったとは考えにくい。たとえ信連公が知っていた言葉であったとしても、「そうけ」=「宗家」という掛け言葉が一般に理解され伝承話として広まったと考えるのは難しい。「観世銕之亟 (かんぜ・てつのじょう) は能楽観世流宗家観世家の分家当主がもっぱら明治以降名乗っている名」であるという。「宗家」という言葉は「分家」があって初めて成立するから「宗家」という言葉が使われ始めたのが明治からならば、「なあげそうけ」が「名上げ宗家」になったのは明治以降になる。ただし、長家(ちょうけ)の馬印が「そうけ」であったことは歴史的事実だから、長家の殿さまが「名上げそうけ」を喜んで使ったのは間違いなさそうだ。まぁ、現実に、小さい子供に「宗家」の説明をするの苦労しそうだから、絵本の作者さんも「なあげそうけ」は「名上げ長家」という内容が良いと判断したようだった。私の推理が正しいかどうか?今度教授にお会いしたら伺ってみよう(^^Wikipediaより、以下抜粋宗家(そうけ) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E5%AE%B6ある一族、一門において正嫡(嫡流)の家系。またその家系の当主。本家。日本において、能楽などの伝統芸能や古武道などで家元の言いかえとして用いられる称号。もとは観世流で観世銕之丞家に対して家元家を宗家と呼んだところからおこったもの。観世銕之亟 (かんぜ・てつのじょう) は能楽観世流宗家観世家の分家当主がもっぱら明治以降名乗っている名。家系上は九代目を数える。江戸中期(1752年)に十五世宗家観世元章が弟観世清尚に別家させて以来、能楽四流の宗家並みに扱われ、観世流において「分家」といえば銕之亟を指す。観阿弥(かんあみ/かんなみ 觀阿彌陀仏 正慶2年/元弘3年(1333年) - 至徳元年/元中元年5月19日(1384年6月8日))は日本の南北朝時代から室町時代にかけての猿楽師。息子の世阿弥とともに、いわゆる能を大成した人物である。
Jul 18, 2007
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月に一度の絵画教室。小学生4,5年生が8人。その母親が6人。高校生が1人に大人が2人。合計で17人・・・教室始まって以来の大人数だわ(^^子供たちの今日のテーマは「タイムマシン」。描く前に、いつ?どこで?だれが?なにを?なんのために?どうしたの?のメモを書いてイメージをまとめてもらう。子供たちの内容は、未来の国や宇宙へ友達と行って動物や宇宙人と会って遊ぶのが一番多かった。で、私も時間の隙をみてタイムマシンに乗って出かけた絵を描いた。子供たちは未来へ!そして、私の場合は過去へ行く・・・???ちょっと若い頃の私に戻って(^^;これって、マンガ?潜在意識に何か問題があるかもしれない(笑絵画教室って、こんな指導者で良いのかなぁ?・・・まあ、いいか(汗
Jun 30, 2007
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線描について悩んだのは植物だけではない。線描で太細強弱や濃淡をつけると立体感は出やすい。また画面の変化も出る。が、しかし敢えて全く強弱変化のない線で描こうとしていた時期がある。より簡潔に、無駄な線をなくするために、積んでは崩す日々だった。これもまた、過去のスケッチブックの中に埋もれていた。1973年10月9日 ボールペン クロッキー会場にて私は人間を描くのも好きだった。過去形・・・(笑今よりも、ずっと手馴れた表現をしていたといえる。34年前か~ぁ。今、齢を重ねただけかもしれない(^^;)
Jun 9, 2007
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積んでは崩しの日々。先日、友人が来た折に染色の勉強中に今尾景年の写生帳を手本にしたという話があり、私もそういう時があったと思い出した。そして、私の過去のスケッチブックの中に面白い内容を見つけた。1981年2月頃のもの。・・・ちょっと懐かしく、とても笑えた(^^;少し読みにくいが、線だけで生命感や立体感、空間を表現しようとしていた。そのころのスケッチブックには、こういうページが何枚もある。積んでは崩しの日々だったんだと思う。(^^;)京都のアパートで1人暮らしの若者は、仕事を終えてデートをする相手もおらず(笑)ほとんど毎晩のように花のスケッチをして、こういうことを書いていたのだった。きっと、友達もいない孤独な奴だったんだろうと、笑えてくる。ん~~、過疎の集落に暮らす私。近くに同年代の人間で日中家にいる者はいないから、今でも同じかもしれない。あ~でもない、こ~でもないと独り言を言いながら、すさまじい雷が鳴り響く中、停電を気にしながら花の模様に彩色しているのだ(笑
Jun 8, 2007
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過日アップしたイチョウの大樹を5月末の絵画教室で描こうとしたのだが、時間が無くてイメージをまとめられなかった。なにか、こう、写実から離れてイメージを模索していきたい大樹なので、ラフを数枚描いた中の一枚。描くほどに実際のイチョウの木から離れていく。・・・まぁ、イイか(^^秋の文化祭までにキャンバスに仕上げればイイから~、と自分に言い聞かせる。その頃にはイチョウの葉は黄色だなぁ~(笑
Jun 4, 2007
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私の好きな絵描きに、ずいぶん前だが「甲斐庄楠音(かいのしょう・ただおと 1894年~1978年)日本画家」のことを書いた。化粧の匂いまで感じられる、少し(?)生臭いところが好きだった。そして、もっと好きな画家に、「徳岡神泉(とくおかしんせん、1896年~1972年)日本画家」がいる。花や野菜、動物を描いあるのだが、写実を越えた静かな空間の中に引き込まれる。20歳頃に京都の美術館で初めて観た時「こんな絵があるんだ!」と衝撃を受けた。もう少し時間があったら(無いけど)ああいう世界に入り込みたい。そして、そして。一番好きな絵描きが「熊谷守一(くまがい もりかず、1880年~1977年)油彩画家」仙人のような画家だ(^^単純化した絵は全て平面になり、殆ど抽象画のようになっていく。その著書「下手も絵のうち」を何度も読み返していたが、知人に貸したら戻ってこなくなった(^^;死ぬ前には、ああいう境地になりたいと思うのだ。いや、まだ死ねないので、まだ描かない(笑)まだまだ「描けない世界」で、遥か遠い世界なのだ(^^・・・あれれ!!!書き終わってアップして読み返して気がついた。3人とも30年から35年ほど前に亡くなっている。たぶん亡くなったので話題になり美術展で観たのではないかと、気づいた。それ以降、たくさんの凄い画家の絵を観ているはすだが、この3人が今も私の中で存在が大きいのは、私が20歳から25歳くらいに、その作品に出合ったからなのかもしれない・・・(^^;
May 29, 2007
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月に一度の絵画教室。3月にメンバーだった中学3年生が卒業し、4月は大人3人で「これから、ひっそりとやっていくことになるね」と言っていたのだが、今夜は突然5年生が3人になり、それぞれのお母さんが付き添いで来ていたので一挙に大賑わいになった(^^手前はアクリルでF20とF50を描くメンバー。息子も遊びがてら参加(^^黒板は子供に顔の描き方を説明した図。「よく見て確かめてしっかり描きましょう」って、それしか言えない(^^;子供たちは黙々と描く。教室の終わるのは9時過ぎ。お母さんたちが何もしないで待っているのも退屈なので子供たちと同じように、それぞれ隣の人をスケッチしてもらうことにした。「えぇ~っ!」と皆さん顔を見合わせたが、すでに目の前には画用紙(笑まずは「観察して形の発見です」。「動かないでぇ~」「ごめんね、顔が怖くなった」「シワ描かないで」と言う声も賑やかに、あっという間に2時間が過ぎた。お母さんたち3人の絵を並べてみると、とても興味深い。皆さん、中学か高校のとき以来、久しぶりに絵を描いたと言う。普通は子供のために漫画のようなものしか描かないものだ。3人の顔の違いが絵に描かれていくが、描き方を見ていると面白い。絵の上に描き手3人の性格的な部分も現れる感じもあって、大人が真剣に観察した絵というのは良いものだ(^^来月には、更に2人の児童と母親1人が参加して、総勢14~15人の教室になる予定だ。大丈夫か>私(^^;
May 26, 2007
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クサギ草木染で藍とともにブルー系の色を染める植物。絹に若葉の銅媒染で緑、秋の熟した青色の実でブルーを染める。しかし、耐光堅牢度が弱く長期間のうちに変色しやすいので、布染めよりも糸を染めて織りに使うほうが良い。木綿には染まらない。クサギ 1997年 ケント紙にアクリル絵の具 クサギは若葉を山菜として食べる地方もあるようだが、葉や茎の汁が臭いので臭木と呼ぶようになったらしい。・・・あまり食べたいとは思わない(^^;あぁ、今日は親戚の49日の法事で精進料理を食べてきた。木の芽和えやゴマ豆腐、くずきり、野菜のてんぷら・・・。最近は49日、まるまる行う家が少なくなってきたが、私の父が亡くなった頃の精進料理の御膳とは比べ物にならないほどボリュームがあって満腹になった。食べ終わった頃、家の若い子達が観ていたテレビ番組は再放送の「大食い女王」ギャルソネなんとか?・・・ラーメンやトロの寿司の大食い。苦しそうに泣きながら競い合って食べる番組。・・・あきれながら、もったいないと言いながら最後まで観てしまった私が情けない(--;
May 19, 2007
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モミジイチゴ草木染には葉を細かく刻み沸騰させて20分間煮出した液を布漉し。これを同じ葉で2回繰り返してまとめて染料として使う。染め→媒染→染め→媒染を各々20分の繰り返し。絹にアルミ媒染で渋みの薄いローズ色、銅媒染でレンガ色、鉄媒染で茶味の濃いグレー色。木綿にもアルミ媒染で薄いローズ色、銅媒染で渋味のレンガ色、鉄媒染で茶味の薄いグレー色が染まる。下絵用の観察図もファイルの中にあって、こちらはボールペンで描いてあった。これも10年前の植物画。過去の自分の描いたものを未熟だとか、不十分だと思えるうちは良い。欠点が見えて直す部分が分かる場合は、きっと自分なりの進歩があるのだと思える。今はこういう時間が無い。あっても描けないかもしれない(^^;という今の私は、過去よりも良いものが描けない状態か~。また、落ち込むか(--;最近、10年前のこういう執念のようなものが無くなってきたと思うし、気力が続かなってきた。写実から離れて自分自身のフィルターを濃くして描く年齢なのだと思うわ。手抜きではなく、省略、暗示の世界へ行こうか~な~。・・・逃げか?(笑
May 18, 2007
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震災後5軒目の弔いが入って今日は手伝いに出かけた。明日、明後日と記帳係り(受付、会計)を務める。もう何回この係りをしたか覚えていない。老人の多い田舎の宿命だろうか?私の宿命なのかも知れないと受け止める。ヤマボウシ 1997年 ケント紙にアクリル絵の具 葉を煮だし染料として使用。絹にアルミ媒染で黄土色、茶色、鉄媒染で茶緑のグレー。木綿にもアルミ媒染でベージュ、銅媒染で緑味の茶、鉄媒染で紫味のグレーが染まるが、煮出した液がアクが強く粒子も粗い感じで染めムラが出やすかった。秋になる実は、ねっとりして少し甘酸っぱい。子供たちが小さいときに食べさせたが、一口で拒否された(^^;
May 13, 2007
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絵を描くときに「私というフィルター」を、どういう形で意識するものだろうか?現実にある実物のありのままの姿を、ありのままに描こうとする絵がある。見えるものを見えるままに描こうと努める。ボタニカルアートという分野がある。その分野にも色々な描き方があるようだ。しかし、私の場合、仕事上、植物の絵を描く機会が多いということで、着物に花を描くこと、模様として描くこと、図案化したり、暗示的な表現をする基本として描くこと、そういう目的で描いていた。仕事以外では花を描くことは少なかったが、草木染の染色データの資料として植物の説明のために描いたものがある。キンシバイ 1997年 ケント紙にアクリル絵の具 葉を煮だし染料として使用。絹にアルミ媒染で薄茶、銅媒染で茶色、鉄媒染で茶緑味のグレー。木綿には、各媒染それぞれに薄くしか染まらない。こういう描き方をしても、私が描くと「私というフィルター」を通した絵になる(^^
May 12, 2007
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私の本棚にある資料から水仙の花の図案をアップしてみた。一部の資料だけで断言はできないけど、図案にすると、国によって描き手によって随分とイメージが変わってくる。 上;Art Nouveau Floral Ornament in Color/U.S.Aより私には描けないスタイルだ。もちろん描いても用途が無いけど(笑)日本の水仙も外国の水仙も花自体は同じような形だろうけど、表現方法で違う花のようにさえ思える。 下左2枚自作 右;日本の文様フリー素材私も、もっとエネルギッシュにならなければイカンなぁ~・・・(^^
Apr 22, 2007
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松を描く為に筆を作る。黒軸鹿毛筆を5本連ねて横一直線に固定する。一本の筆で一挙に5本の線、ほぼ平行な状態の線を引くことができる。この筆を使って一気に描き上げる予定。昨日のラフを描いた段階で、松の木の表現を考えていたが松葉を一本ずつ描くのは無理(笑)長谷川等伯の松の絵を思い出してジックリ見たが、近距離から見られる絵で私があの描き方をしても的確な表現は不可能(^^;というわけで、今回の絵は筆作りから始まった。・・・もすこし練習。
Apr 5, 2007
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桃の節句は終わったけれど・・・カメラを持って桃の花が咲いている場所の記憶を下に、探してみたが花を見つけることができなかった。・・・記憶の退化!(^^;桃の花のスケッチ。バラ科の小花は花だけでは描き分けることが難しい。花の付き方や枝の違いを探していた若い頃の私。底冷えのする京都の二月。仕事を終え西京区、六畳一間のアパートに帰った私は、毎夜、独り黙々と花のスケッチをしていたのだった。孤独で暗い青春期を過ごしていたのが、このスケッチから読み取れるだろうか?(笑)・・・こういう記憶だけは鮮明だ!(爆
Mar 4, 2007
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昨日は月に一度の絵画教室。前回描いていたアクリル画の続き。右上は完成イメージで下が前回の下描き。顔の角度を修正したつもりだったが、まだまだ直っていない。こうしてパソコン上で比較してみると違いが良くわかる。一枚の絵だけを見ていると良いのか悪いのかの判断が出来ないけれど、並べてみると次に進む方向が明確になる。パソコンで描けば1時間ほどので完成する絵も、実際に手描きすると苦戦するわ~(^^;PCでは顔の角度も大きさの微調整も簡単だが、リアルでは大幅描き直しになる。たとえ同じように見える絵になったとしても、パソコンで描くことの意味とリアルで手描きすることの意味を考えてみるのも面白い。
Feb 25, 2007
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この季節になると毎年のように水仙の花を描いている気がする。毎年描いていても何枚描いても納得できない気がする。28歳?の頃のスケッチ35歳?くらいのとき墨でスケッチしたもの近年のデッサン水仙に限ったことではなく、どの花を描こうと、風景を描こうと、人物を描こうと、色を変えたり、表現方法を変えたりして模索する。しかし、そういった表面的なことではなく、その対象物に何かを感じたからとか、新たな発見を得たとか、深く掘り下げたとか、自分の中で今までとは違った感覚を表現することができれば良いのだが・・・ソレが難しい!・・・できるなら、とっくにやっている(^^;
Feb 19, 2007
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休日、所在ない息子が家の中をウロウロする。退屈そうにパソコンを覗き込むので描いている絵の感想を聞いてみた。「これ、どうや?」「・・・貧乏臭い」「・・・へっ?」「わざとらしい」「・・・ん?」「お父さんの絵は上手く見せようとしているから好きじゃない」そう言って立ち去った。オイオイ・・・(--;)昨夜だったか、バラエティに『手描きの文字で性格を見抜くコーナー(?)』があった。「みえっぱり」「内気」など文字で性格を見抜くのが好きな人がいる。そういう統計もあるらしい。手で描いたり作ったものには性格や心理状態が読み取れる場合はある。落ち着いて取り組んだ作品と慌てて作った物では明らかに違うし、料理や手工芸には作り手の性格も現れそうだ。私は仕事がら絵や文字を描くから、そういう印象を利用することがある。絵には「喜び」「明るい雰囲気」「楽しさ」「寒さ」「暖かさ」「勇ましさ」など、依頼者の好みや望みそうな要素を盛り込んでいくし、意図しなくても結果的にそうなるものも多い。確かに見方によっては「わざとらしい」(^^;写真・左端は販売用シールや名刺などに使っている文字。2番目(ボールペン)は郵便の宛名や提出書類等「人の目を気にして」書いた文字、3番目(サインペン)は普段書いているタッチ。4番目はメモなど。当然、急いでいる時はもっと乱暴になるし現実にはこういう文字を書いていることが最も多い(^^;)右端は「一人(染文字)」シールの文字は、いかにも筆で描いたように見せてある(笑実際は筆ペンで書いた文字を、パソコンに取り込み、大小、太細、カスレなどメリハリをつけ修正してある。たぶん、このくらいならば「文字にうるさい人」も納得するだろうという読みで(^^;)営業用の文字として、絵に近い看板のロゴのようなものとして使っている。「人の目や気持ちを判断して」話したり商品を作るのは営業活動としては当然で、大人には身についている。最近は身についていない大人も多いらしいが(^^;子供に「わざとらしい」「貧乏臭い」と映るのは、お客さんに媚びたりペコペコしている印象に近いのかもしれない。写真一番右の「一人」(隷書)はケレン味を捨てて、な~んにも気にしないで、な~んにも飾らない気分でローで書いたものだけど(染め上がりは意識していたが)、見た人は殆ど無反応で誰も買ってくれない(笑)こういう作品ばかり作っていると本当にもっと貧乏になる(>_
Feb 11, 2007
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「時間」描く素材は何でも良かった。花、人、風景、一枚の画面の中に「時間」の経過による「物語」を埋め込むことができれば、それでよかった。「花びらの落ちるとき」着物という仕事柄、花を描くことが多いから、修行の頃も(今でも)花のスケッチが一番多かった。花を分解し、その花びらの基本形を描き、メシベとオシベを数え、葉の付き方を互生、双生、輪生と幾多のメモを書き込みしたスケッチは、職場の仲間から「あ、また植物図鑑を描いている」と笑われた。ソヨゴ・部分(ケント紙にアクリル)模様の世界では、リアル過ぎると気持ち悪い場合もあるので単純化し、その花に見えるように図案化し、観る人の意識と共有できる範囲にまとめることが多い。が、それでも描き手の観察して得たものは表面化する。椿と山茶花は違うし牡丹と芍薬も、あくまでも違う花として描き分ける。季節ごとの花を描き、花が終われば家の周りの落ち葉をスケッチし、組み合わせた絵を何枚も描いていた30代の頃。「還土」紬地の名古屋帯の「太鼓」に染めたものをパソコンに取りみCGとして再加工。この帯は2~30本の追加があったので、今頃、どこかのお宅の箪笥に眠っているかもしれない(^^最初に染めたのは20年ほど前のこと。描いたときは花も葉も土に還るという考えはあったが、「時間」を描こうとは思っていなかった。むしろ落葉を素材にして「風」や「音」を意識していた記憶がある。その後、葉を素材にしたものを何枚も描いているけれど、この時ほどの印象は強くない。今思えば、あの頃から私の内面の根底にあるものは変わらないのかもしれない。20年の時間を越えても私の絵を描く意識の中で大きな意味を持つ一枚になっている。一枚の絵の中に時間を描こうとしている私の中で、一枚の絵が20年という時間を超えて繋がっているようだ。仕事に追われ時間に追われる日々ではある。自由に絵を描けるのは、きっと老後(笑20年後も生きていたら(私も土に還っているかもしれないが)通算の長い長~い「時間」を総括したいもんだわ(^^
Feb 4, 2007
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「化粧の匂い」若い頃、京都にいて会社の仲間と足繁く美術館へ通った。大正ロマンなどが盛り上がっていた頃、甲斐庄楠音(かいのしょうただおと)の作品に足が止まった。甲斐庄楠音研究室絵には大正デカダンスの不気味さと妖しさがあった。友達は「趣味が悪い」と嫌がった。確かに飾って楽しい雰囲気ではないし決して美しいといえる絵ではなかったが、私はその毒々しいともいえる空気の中に魅かれていった。妖艶な女性像から「化粧の匂い」「体臭」までもが感じられた。絵を学ぶ過程では、たいがいの人が女性像を描く。ヌードデッサンやクロッキー教室に通うパターンも多い。私もやっぱり女性像を描いた(笑そして、パソコンでもやっぱり描いた(^^いや、図案を描くため色々な表現技法を学ぶのには、女性像はうってつけなのだと説明する(爆)が、説明すればするほど墓穴を掘りそうだ(^^CG初期(2001年ごろ)に描いた女性像「化粧」昨年(2006年7月)CG展を開いた折りに見に来てくれた女性が言った。「あっ、いやらしい絵」「・・・」「妄想を掻き立てるわ」・・・あのね~(--;)ここは一言、きり返すしかない。「それは見ている貴方に妄想があるんじゃない?」「あはは、絵は妄想を掻き立てるくらいが良いのよ」・・・私が口で勝てる相手ではない(^^;)この絵が「出かける時の化粧」か「帰る時の化粧」かの話題になる。すると、必ず「帰る時」という答えになる・・・(なんのこっちゃ(笑))私は単に化粧する姿を描いただけ(嘘)だったのに、「物語」が勝手に作られていく。「待つ女」 「帰る」 たぶんタイトルが問題だ・・・どうしても意図的に妄想を引き起こそうとしているとしか思えない(笑)だが、女性像を描くにつけ、つくづく思うのだった。化粧をする「姿」は描くことができるけど、今のところ化粧の「匂い」は描けそうもない。・・・。やっぱり「化粧の匂いがする絵」を描くには、私の「修行」が足りなかったんだと思う・・・。
Feb 3, 2007
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「雪の日」普通の具象は一枚の絵に一画面しか描かない。動画じゃないから時間と空間を切り取って一枚の平面の中に何かを表現しようとする。出来上がった絵に、見る人は色々とイメージを膨らませてくれる場合もある。絵を描くうちに「目に見えないもの」を描きたいと思うようになってきた。そのきっかけになったのがこの「雪の日」数年前のこと。この絵を見た人の感想が、私が思っていた以上の物語だったので嬉しくなった。あぁ、そういう絵もあるんだ、と思った。何か分からないけど描きたいから描く。一生懸命描いたら何か分からない魅力が生まれる場合もある。しかし偶然だ。だが、それを意識して描けば・・・1枚の絵の中に時間を描けないだろうか、と。その時間の中に「聞こえないはずの言葉」は描けないだろうか。「見えないはずの物語」は描けないだろうか・・・たぶんタイトルは重要だと。「割れたペアグラス」という作為的なタイトルも付けてみた(^^;)・・・きっと何かを感じさせるはずだ(笑「夏の日の少年」「あぁ、うちの子も同じだわ」という感想が聞こえた。小年生のときの息子、夏の日の午後の記憶が甦る。画面に描いてある一瞬だけでなく、その前後の時間の行動も同じだった。「うんうん、そうそう」と笑い合った。毎日仕事で絵や模様を描いているが、いつでも好きな内容を自由に描けるわけではないから、描くときには一枚の絵の中に「目に見えるもの以外」の「物語」を描きたいと思う。「時間」や「音」や「声」「水や湿気」「乾いた空気」「温度」「香りや臭い」そんな触覚を刺激できたらいい、と思いながら一枚の絵の中に試行錯誤を繰り返す。
Feb 2, 2007
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絵画教室の女性像・・・あらかじめ完成予想図を小さな画面のCGで作ります。パソコン上は色相を変えたり描きなおしやすいので重宝してます。 絵は色によって暖かい雰囲気や引き締まった感じを与えることができるからイメージをまとめる為の参考にできるのです。職業上、絵のイメージを考えるときに色の着いた映像は脳裏に浮かびますが、あくまでもアバウトなので、こうしてパソコン上で、細部まで確認できるのが実にありがたいのです(^^)ただ、現実のアクリル画にした場合、描くときの気分次第でニュアンスは変わっていきます。実生活では、まれに知人の顔を描くことはあるのですが、けっこう難しいことがあります。形や色を整えて本人に似せることは可能ですが、モデルに渡して周囲の人に見られることが前提なので、気に入って貰おうという気持ちが大きくなります。特に女性や子供を描く場合、妙なデフォルメは避けて優しいイメージに仕上げて喜んでもらえたら良いと思う・・・至極、当然ですが。 本業の染色やデザインで模様や絵を描いている場合、こちらも依頼主に喜んで貰おうという気持ちが大きく働く。これも仕事として当然のこと。 しかし、仕事以外の絵は人の目や感想を気にしないで思いっきり好きなように描きたいものだと思う。私自身の醜さや激しさをぶつけるような絵も描きたい時もある・・・コレは、やはり10年後くらいにしかできそうもない。もっとも、10年後の私、そんな激しい情熱と実現できる身体を持っているかどうかは大いなる疑問(^^
Jan 30, 2007
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昨日の絵画教室の参加者は全員で5人。かつては我が家の子供達も参加して多いときは15人ほどいたが 中学生から高校生になると、どの子も絵を描かなくなった。どうやら、父親のように絵を描く方面に進むことは拒否した様子(^^;参加者は、いつも自由に好きなモチーフで描く。私は親子連れの娘さんを描こうとしたら拒否されたので、そのお母さんを描くことにした。 画面の左側。ボードにアクリル絵の具。色で下書きをする感じで1時間ほど。今のところは全くの別人と言ってよいくらい。この先、修正しながら細かい部分を描き重ねる。月1回なので夏ごろまでには仕上げたい・・・(^^; 右側は、娘さんと一緒に来たお父さん。パステルで描いたものをPC加工。ご夫婦で登場してもらったが、こういうのはモデルに許可なくアップして良いものだろうか?肖像権は、どうなるのだろう?ごめんねFさん。旦那さんを若く描いて奥さんを老けて描いてしまった・・・逆が良いわ(^^;まあ、苦情受け付け有りということで、そのときは削除します。この教室に参加した人は、だいたいモデルにされる。・・・ん?もしかすると、それが参加者の減ってきた一番の理由だろうか?(笑
Jan 28, 2007
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今日は月に一度の絵画教室。 といっても絵の好きな仲間が集まった同好会のようなもの。一応、講師という立場になっているが、私は絵描きではないのであまり教えることがない(笑)で、一緒になってアクリルで水彩画などを描いたりする。 「親子」 アクリルによる水彩+パステル「夏の日の少年」 アクリルによる水彩+パステル+CG加工なにしろ月に一度なので年間に一枚しか完成しない。「親子」2年前、「夏の日の少年」は3年前。 去年は・・・ない(--;) 実は年賀状に使った「雪解けの丘」をアクリルで描いていたのだが、途中からパソコンに取り込んでCGになった(^^;絵画教室と言いながら、ほとんど絵を描いていない状態。文化祭に間に合わせたり年賀状に使うために描いているようなもの。今年は、何とか、せめて一枚だけでも描きたいものだが・・・疑問だ。
Jan 27, 2007
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写真や資料を基にして絵を描くことも多い。今回の資料はこれ。「そうけ」・・・若い人にはわからないかも(^^資料に従って描いたもの。う~~、こんなもんか?描いている私は描くことに熱中しているから、良いのか悪いのか?もはや判断ができない状態(^^;)子供や妻に見せると「光っている部分が凸で丸く出て見える」という意見。おぉ・・・エッシャーの世界かな?(--;)・・・で、描きなおしたものがこちら。・・・この辺で手を打とう。パソコン上での描きなおしは楽で良いわ(^^こうした資料を参考にして絵を描くしかない場合も多い。しかし、写真に対しては観る人が素直に受け入れるのだが、実際は光の当たり具合で見え方が変わるし、レンズの種類によって不自然な比率の場合もある。そのまま絵にすると不自然さが目立つこともあるので修正する。で・・・この辺で手を打とう、になる(^^;写真のレンズは一つ。人間の目は二つだから、遠近感や空間は描き手が感覚的に補正するしかない。また写真だけでなく実物を眼の前においても、描いている本人には判らない場合もあるし、わかっていても直せない場合もある。直せば直すほど泥沼にはまり込むことも往々にして・・・ありすぎる(^^;だから、・・・この辺で手を打とう、になる(笑子供に絵を教える場合、「見えるものを見えるままに描けば良い」などと私も言うのだが、描く現場では言葉どおりにならないし、イメージのままにはならないものだ(^^;で、結局・・・この辺で手を打とう、になる(爆いや、違う!納得するまで追及するのが本当のものづくりだ!などと言ってみる・・・(^^;
Jan 20, 2007
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暖かな一日だった。この冬は、雪らしい雪が降らない。12月下旬に1度だけ3cmほども積もっただろうか。これほど雪の気配の無い年も珍しく、今日も路面は粉っぽく冬タイヤも意味がない。今の時期、本来は鉛色の空が重く垂れ込めているはずなのに、今年のイメージはこんな感じ。川も海も、その水面が冬らしくない。さすがに現実の川岸には花が咲いてないけど。仕事の休憩に、散歩がてら家の前の海を見に行く。水面の輝きと、透明で深さのある水を描きたいと思う。水面の輝きや流れを描こうとすると深さが描けない。深さを描くと流れが描けない。実際、流れが早いと水の底は見えないし、底が見える時には波が見えないし水面は光っていない。水面を見ながら・・・水は見たものを見たままに描いても納得できるものにならない、とつくづく思う。何かを感じて見つけたものがないと描けない。これまでに水を描いて満足したことは一度もないなぁ~(--;
Jan 19, 2007
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右「なぁ、俺たちって、いつの時代の人間なんや?」左「さぁ~わかんねぇ」右「作者は戦国時代のつもりらしいが」左「ふぅ~~ん、じゃぁ、そういうことにしとこう」右「俺たちを想像で描くのは難しいかもしれんけど、馬は資料があるだろうから、もっと上手に描いてもいいんじゃないか?」左「都合のいい写真が見つからんかったらしい」右「そっか、しかし、馬は牧場とか競馬場とか動物園で実際に見られるだろう」左「作者の家は、ど田舎なんで、そんな気の利いたものはない」右「だが、俺は作者に文句がある!」左「なんだ?」右「戦国時代の侍なのに、俺は何で刀を差していないんだ!」左「お!丸腰!・・・今気が付いた!」右「作者は、この絵で何が言いたかったんだ?」左「さぁ・・・?」右「絵ってのは、感じたものとか、情景とか伝えるモンだろう?」左「そうだな。良い絵というのは言葉が伝わってくるもんだ」右「言葉にならない気持ちやイメージも伝えられる」左「思想や哲学も含まれるかもしれない」右「そこまで行ったら、すごい!」左「もっとも、教訓地味たものはキライだがな」右「それにしても、今日の絵は駄作だな」左「作者は練習だと言っている」右「今日の日記って、作者の言い訳か!」左「あぁ、そうだ。まちがいないっ!」 ・・・((((^^;)
Jan 17, 2007
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仕事として依頼されて受けたならば、描いたことの無いものでも描くしかない!空想の世界ならば誰も知らないから間違いとはいえないが・・・・。許されるなら、時代考証を問わないで欲しいものだ。 でも・・・言われるだろうな(--;
Jan 11, 2007
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お昼に子供達と一緒に食事をしテレビを見ていたら「なんでも鑑定団」(昨年の秋の放送らしい・・・コチラでは初回放送)で牧野義雄という画家の作品が紹介されていた。染色という仕事がら絵に関しては35年ほど関わっているが、氏の名前も作品も初めて知った。日本人にはあまり知られていない画家だが、「雨のBBC」という水彩画に思わず「へぇ~」と言いながら身を乗り出して見入った。イギリス、ロンドンの霧の中の建物と人物を描いた水彩画は、「湿気(水気)」を感じさせるものだった。日本の風土の特徴でもある「水や湿気」を感じさせる絵は、日本画でも水墨画でも少ない。雨や川など「水」を描いていても、その絵の中に「湿った空気」を描いている絵には、なかなか出会えないものだ。ともすれば「目に見える光景」や「個性的な表現」の絵が人を惹きつけることもあるが、「乾いた空気」や「湿度」「香」「臭い」「痛さ」「話し声」「音やメロディ」など触覚に訴える作品に出会うと嬉しくなる。絵を描く時間はないし、何でも描きたいなどとも思わないが、10年後にでも私なりの「時間」を描くことができればイイか・・・遠いな~(^^;)
Jan 7, 2007
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