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これを読んでくれている皆さんいつもありがとうございます。しかしながら家族の事情でしばらく更新しません。また復活できるとは思いますがちょっとめどが立ちませんので今はお答えできませんが、またお会いできる日を願ってT
2007年10月14日
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カンクンからやっと帰ってきて3日目。明日はケンタッキーのレキシントンへカンクンはアメリカの大学生・ヒッピーが集まる「不良カリブの島」なんて思い描いていたけど観光客も少なく、青い空、エメラルドグリーンの海で大満足。また行きたい!プライベートビーチのよう!ウエスティンは横に長く、どちらかがオーシャンフロント、どちらかがラグーンビューとなっている。カンクーンは細長いエリアなのでホテルもオーシャンビューにあたる確率が高い。私の宿泊したところも2階くらいの高さで50メートル先はもう波打ち際!イスラムへーレスのドルフィンディスカバリー。一人で恥ずかしかったのでドルフィンと触れ合うプログラムに参加しなかった。あー残念。帰りにニューアーク空港まで迎えに来てくれたP君「今度は一緒に行こうね」と私。「それで、イルカと何するの? キスしたり?」「そうよ、で、こうやってね(Pの両手を取る)両手でイルカと握手するの。」「ウへー子供じゃないよ~」彼にはイルカのかわいさがわからないのだわ。ダイビングのライセンスカード、忘れてコズメルへのダイビングツアーはあきらめた私。ぜひもう一度行きたい。
2007年10月12日
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10月なのに真夏並みの暑さ。これがインディアンサマーってものかしら。こういう時に営業で外にでるのはつらいわ。スーツ姿にストッキング。ハイヒールで足がむくむし。しかしNY外の地方の営業っていいわよね。車に乗ってられるし、重い資料も持たなくていい。マンハッタンは歩くし、地下鉄に乗るし、人ごみで疲れがたまる一方だ。それはそうとカンクーンに行くまでにあと一日。明日の金曜日、どうしよう。今、P君と電話で話をしたのだが(というよりまた口論に)明日はどうしたいか、私に決定をゆだねる。本音は、忙しいから今回は会わなくてもいいと思うのだがそういうと機嫌が悪くなるし、あいまいに答えていると、きれそうだ。明日の夜は一緒にSTAYしたいんだったら自分からちゃんと言えばいいのにーー。しかしいくら空港の近くに泊まるっていっても、いやだなー寝過ごしそう。乗り遅れたら一大事。たった4日間のカリブの旅を無事に終わらせたいものだ。というわけでしばらく更新はいたしません。
2007年10月05日
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きゃあーと悲鳴をあげても遅い。今月のクレジットカードの明細をみて思わず落としそうになった。1900ドルを超えている。旅行に行くからとかそんな出費はなかった。よくよく見ると、ヴェルサーチのドつきのサングラスをつくった。これはもっと保険でカバーされることを期待したのに結局500ドルも払った。携帯電話代も。初期設定料を払ったし。ホテルの宿泊代が2回、バーモントで買ったコーチのバッグ。スポーツクラブのマンスリー使用料。そして食事代。考えてみればP君と付き合うようになって出費が増えたような気がする。通信費にホテル代、食事代。もちろん彼の方が払ってる金額は圧倒的に多いのだがそれでも使いすぎよね。どこかでしめなくっちゃ。カンクーンでは買い物しないようにしよう。でも1DAY TRIPではコズメルに行きたいしなー。とりあえず、家計簿はつけよう。と10月から始めているが今のところは1日10ドル以下。ところが、P君から今電話があり、よからぬアイデアを持ち出した。私が出発する前日は空港の近くに泊まらないかと言っている。うーん、トラベルエージェント割引があれば私が予約し、結局その時は私が払うんだけど。それに朝早いフライト。寝過ごしそうだ。しかし、厭だというと機嫌が悪くなりそうなのだわ。
2007年10月04日
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今日は同僚ステチャンとハーレム127丁目へ。彼女のお客さんがオフィスを構えているのだけど、クイーンズに住んでる彼女は一度もハーレムに行ったことがない。世の常というか、彼女もハーレムは物騒なところ、と言わないまでもちょっと警戒しなくちゃいけないエリアという認識でいるようだ。「大丈夫よ。危険なのは一昔前。今はお洒落なカフェやスパ、サロンもあるし、そうそう白人も最近はけっこうハーレムに住んでるの。だいじょーぶ」と私がしつこく言うので彼女もちょっとほっとした表情。しかしライン1で125丁目に降り立ち、人気のあまりないところを歩くと「こういうとこは夜、あるいちゃだめね」しかも、クライアントのオフィスビルはちょっとひなびた感じでおまけに暗い階段をあがって3階。しかもエレベータがない。途中黒人のお兄さんと階段ですれちがってびくびく。重い表札のない扉をあけるとーーそこは我がクライアントのデザインオフィスだった。ここまで来た甲斐があったわね。会合が終わり。バスで125丁目を東に行きそこから4か5の地下鉄のラインに乗って帰ろうということに。ステチャンにはハーレムの賑わっている目抜き通りを見せなくっちゃ。「ほら、OLD NAVYもあるし、H&Mもある、もう少し行くとスタバだってあるのよ」ところが。混んでいるバスの中で女のけんかが始まった。マントヒヒのようなブラックのオバサンがでかい声で相手をののしり、しかもつかみかかろうとしている。それもステチャンの隣でだ。私はとっさに彼女をかばおうとしたが、彼女は苦笑しているだけ。すぐにバスを降りる。「怖くはないけど、あの人、耳元でどなるからうるさくって」あーなんか申し訳ない。しかし歩いていると反対側の歩道では10数人のキッズがボクシングスタイルで殴り合いのけんかをしている。「ハハハ」それを見たステチャンは力なく笑う。そして地下鉄の階段を下りれば改札の窓口でブラックおじさんがわめいている。これがダメ押し。ステチャンのハーレム初体験は無惨に終わった。地下鉄に乗り、グランドセントラル駅に帰ってくると「あーやっとホットできるわ」その表情から、彼女は二度とハーレムにはよりつかないだろうという思いが察知できる。平穏に暮らしている中国系のおばさんにはちょっと刺激の強いエリアでした。
2007年10月02日
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今日はちょっと堅いお話。久しぶりに映画を見ようとレンタルビデオ屋へ。本を読む時間はないがビデオだったら、インターネットをしながら、あるいは掃除しながらつけっぱなしにできる。そんなわけで前からみたかった「ABDUCTUIN」ーめぐみさん拉致事件のドキュメンタリーものを借りてきた。この事件が明るみに出て、拉致された家族数人の帰国が叶ったのは周知の事実だが、それでもこれを気に広く世の中に知らしめようとしたのは日本人ではなく外国のプロデューサーだった。外国人の製作とはいえ、30年の時の流れのなかでなかなか進まないもどかしさ、手探りで穴を掘り続け、ようやく差し込んだ一筋の光など、わかりやすい構成で飽きのこない演出はすばらしかった。この事件では拉致されたご家族、特に子供を誘拐された横田さんご夫妻の切ない思いがひしひし伝わってくる。拉致事件が頻繁におこった1970年代後半、田舎が新潟市内だった私も時々テドラポッド続きの日本海の海を見に浜(新潟のあの当時はビーチと言うより「浜」と言う言葉がふさわしいかも)を散歩に行ったものだ。一歩間違えれば私も事件に巻き込まれていた可能性もなくはなかった。そう思うと人事とは思えない。アベックで、もっと年が上の人はともかくわずか13歳の女の子が親の元から強引に連れ去られたった一人で見知らぬ国で暮らすことを強要されるとは、拷問以上に残酷な話だ。「かわいそう」「一日も早く戻ってこれることを願っています」「もし自分の家族だったらやりきれない」というのが大半の人の感想だろうが、この事件はなぜかそう感じるだけでは済まされないもどかしい思いにかられる。私たちも一体となって何か一緒に行動を起こせないのだろうか。一頃は拉致された一部の人が帰ってきて、注目を浴びた話題だが時が過ぎればまた人々の記憶から薄らいでいく。日本はなぜか国民の一人一人、もしくは超名人、企業家、企業団体などがバックアップするという固定概念がない国のように思われる。この間、ポルトガルで行方不明になった英国人の子供を捜すためにベッカムなど超名人が立ち上がった記事があったが、そんな動きが日本にはないものか。
2007年10月01日
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