全8件 (8件中 1-8件目)
1
中央最低賃金審議会の小委員会が全国平均50円の引き上げを決めたと、各メディアが報じている。今後、都道府県ごとの審議会で決定されることになる。ところで、都道府県を3つにグループ分けして、都市部から順にAランク、Bランク、Cランクと説明されている。法令上そうなのか調べていないが、この呼称はまさにランク付けのようで如何なものか。賃金の高い東京が労働面で上位ランクだ、と国民に意識づけては地方創生にも反する。考えすぎだろうか。価値観や序列を想起する「ランク」をやめて「グループ」と呼んではどうか。そう思ってネットみたら、読売新聞は「小委員会は例年、47都道府県を経済情勢などに応じて、上位からA(東京など6都府県)、B(京都など28道府県)、C(沖縄など13県)の3グループに分け、目安額を提示している..」と報じていた。
2024.07.25
コメント(0)
7月23日河北新報夕刊の河北抄に、ドラマ『タイム・トラベラー』のことが書かれている。NHK総合TVで放送された少年ドラマシリーズの第一作。1972年だ。理科実験室でラベンダーの香りを嗅ぐやつだ。原作はご存じ筒井康隆の『時をかける少女』。また、少年ドラマシリーズは傑作ぞろいだとして、光瀬龍の『夕ばえ作戦』、眉村卓の『なぞの転校生』の名が登場する。せんだいメディアテークのライブラリーで借りられるという内容の記事だ。それぞれ断片的にだが、覚えている。なぞの転校生は「岩田君..」のセリフだ。夕ばえ作戦では、ずうとるび山田隆夫が「砂塚殿!」と呼ばれたりする。そして、原作の光瀬龍が同郷出身の作家と知った。■関連する過去の記事 奥州藤原氏17万騎消滅の謎(08年4月29日)=光瀬龍の文章
2024.07.24
コメント(0)
今日も猛暑だった。仙台は35.5度で2日連続の猛暑日。夕方のTVニュースで、先週の19日、熊本県人吉市の中学校で体育教師が生徒にプールサイドを素足で5周走らせて、足の裏に水膨れが生じて病院を受診した生徒もいたという。このニュースでは、プールサイドがどれほど熱くなるのか、都内北区の小学校で調べてみたら、気温より10度以上も高い46.1度にもなっていた、と解説が続く。その学校では、プールサイドに散水したり、実際に教員が歩いて確認するなど対策をしているというのだが、その学校の名が、第四岩淵小学校と出ていた。そこで、当ジャーナルがこれまで深く考究してきた(?)懸案課題だ。第何が先か、地名が先か。その違いはなぜ。■関連する過去の記事 長井線の踏切たち(2016年5月4日)=踏切やトンネルの場合 山形県の小学校名を考える(北部、南部など)(2013年7月7日) 第一田名部小学校、第一川内小学校、第一田名部街道踏切(2013年7月5日) 「西古川」小学校と「古川西」中学校(2013年1月27日)(方位と地域の語順) むつ市立第三田名部小学校(2011年8月21日)北区立の小学校名を北区公式サイトでみたら、「地名等+序数」の語順となる校名が以下。・王子第一小学校、王子第二小学校、王子第三小学校、王子第五小学校(なお、別に王子小学校がある。)・滝野川第二小学校、滝野川第三小学校、滝野川第四小学校、滝野川第五小学校(なお別に滝野川小学校がある。)序数が地名の前に来るのは、第四岩淵小学校だけのようだ。(なお、別に岩淵小学校がある。第二岩淵小学校、第三岩淵小学校は、統合で校名が消えたようだ。)序数ではなく方角で区別するパターンだが、「西浮間小学校」と「赤羽台西小学校」の2つがあり、順序が相違しているのが興味深い。区立中学校は11あるが、序数つきのものはない。ひょっとしたら東京は序数が先のケースが多いのかもしれない。荒川区には、第二峡田(はけた)小学校(第三、第四、第五、第七、第九も)、第二瑞光小学校(第三も)、第一日暮里小学校(第二、第三、第六も)がある。逆に、尾久第六小学校の例もあるのだが。区立中学校では、南千住第二中学校が序数付きの唯一。中学校は比較的新しく、明治の古くからある小学校に往時の命名法が残ったのだろうか。全部調べたわけではないが、他の区では、江戸川区で、第二葛西小学校(第三、第四、第五、第六、第七も)の例があるが、同区内でも、小松川第二小学校、大杉第二小学校、二之江第二小学校、南葛西第二小学校、篠崎第二小学校、南小岩第二小学校のように(それぞれ第三なども続く場合あり)、序数が地域名の後に来る事例が多い。墨田区は、区立小学校で序数があるものは、第三吾嬬小学校(第四も)、第一寺島小学校(第二、第三も)で、逆に序数が先に立つ校名はない。ただし、区立中学校だと、吾嬬第二中学校の一例だけになる。同じ吾嬬なのに、順序が逆なのだ。品川区には、第一日野小学校(第三、第四も)、第二延山小学校がある。もっとも、逆パターンの大井第一小学校、城南第二小学校もある。
2024.07.23
コメント(0)
7月21日は日本三景の日だそうだ。松島町観光協会のサイトによると、松島町、宮津市、廿日市市で構成する日本三景観光連絡協議会が、2007年7月の総会で決定した。7月21日は、林羅山の三男林春斎(林鵞峰)が「日本国事跡考」(1643年)の中で、松島、天橋立、厳島(宮島)を三処奇観と記し、その後日本三景と呼ばれるようになった。この林春斎の誕生日が1618年7月21日である。過去の記事で林春斎のことや往時の観光地認識などを記した。 日本三景の成立(その1)(2014年8月24日)しかし、記念日があるとは知らなかった。今日がその日だ。偶然だろうか、私も松島にいた。■関連する過去の記事(日本三景松島) 寺田知事の松島公園化(2016年1月23日) 久々に登る 春の大高森(2015年5月7日) 日本三景の成立(その1)(2014年8月24日) 東宮浜を探訪する(2010年10月12日) 多聞山から偉観松島を眺める(10年10月11日) 双観山から見た松島(10年9月27日) 扇谷山から幽観の松島を望む(10年9月19日) 伊保石公園を散策する(10年6月6日) 番ケ森山に登る(10年3月7日) 扶桑第一の好風 松島を考える(10年2月21日)
2024.07.21
コメント(0)
考えたこともない視点に、引き寄せられる。神戸新聞NEXT(電子版)で、記事をみた。(2024年7月17日 <+967 災害と女性>震災死者、女性なぜ多い 阪神・淡路 語られぬ性差)概要はこうだ。阪神・淡路大震災で女性が千人多く亡くなっている。震災の死者6434人のうち兵庫県内は6402人。(性別不明9人を除き)男性2713人に対して女性3680人で、967人も多い。神戸の女性団体が2005年、震災10年を機にまとめた冊子には、このことが指摘されている。震災から来年で30年になるが男女の死者数の差は広く議論されてこなかった。神戸市内6区の死亡率は、千人当たり女性5.0、男性3.7である。60歳以上では、女性11.3、男性8.8と差が開く。人口差だけでは説明できない。徳島大学西村明儒教授(法医学)は、死因に多い窒息死に男女の体力差は影響しにくいことから、1人暮らしの高齢女性や母子家庭世帯など、弱い家に住まざるを得なかった人たちに被害が集中した結果とも考えられる、という。東日本大震災でも女性が男性を千人ほど上回っている。大阪公立大の宮野道雄客員教授(地域防災)は、災害と性差の研究を続けている。昭和南海地震(1946年)、伊勢湾台風(1959年)とも女性の死亡率が高く、年代別にみると死亡率の差が阪神・淡路の10倍に達する年代も。小さな子を連れて逃げ遅れた母親の役割意識が影響した可能性がある。(記事の要点は以上)「弱い家に住まざるを得ない」、「役割意識」がキーワードか。防災を考えるとは、すなわち経済、地域、文化を考えることだと思い知らされる。
2024.07.18
コメント(0)
雄大なる東北の分水嶺が、宮城と山形の県境近く、国道47号からちょっとだけ入った場所で、険しい山や渓谷の中でもなく、意外なほど行きやすい。そして鉄道駅に隣接しているという驚き。初めて探訪した。堺田駅前の数台分の駐車場に停めると、すぐ分水嶺がある。------------■石碑の記載 日本海 太平洋 Sea of Japan Pacific Ocean 102.6km 116.2km 最上石------------分水嶺(水路)を挟んで上の石碑の反対側には四阿があり、歩いて回って行けるようになっている。そちらから撮ったのが次の一枚。(石碑の背面が写っている)石碑の前に戻り、案内看板を読む。------------■案内板の説明(南側=駅側) 平坦地にある分水嶺(日本海~太平洋) 田園空間博物館 山形県最上町 分水嶺 標高338m 山形県最上郡最上町大字堺田 東北地方の背骨とも言える奥羽山脈は、日本海と太平洋を分ける大分水嶺でもある。降った雨が日本海の水になるか、太平洋の水なるか〔おだずま注:ママ。「になるか」の誤りか〕の境目のことを大分水界というが、それが山脈の尾根にある場合、大分水嶺と呼ぶ。 水にとっては重大な岐路なのだが、それが意外と身近なところに、目立たない形でひっそり存在してたりするというのは何か示唆的でありロマンを感じる。〔左側の図〕 駅前広場にある用水路。北から流れてきた水がつきあたりで西と東に分かれている。 水の分れる様が見える大分水嶺は全国的にも珍しい。 同じ流れも西の水はやがて日本海に、東の水は太平洋に注ぎ込み、大海原でいつの日か出会うのである。〔右側の地図〕 重要文化財 旧有路家住宅 封人の家〔おだずま注:イラストは芭蕉と曾良か〕------------------------■案内板の説明(北側=分水嶺側) 平坦地にある分水嶺(日本海~太平洋) 田園空間博物館 山形県最上町 最上町堺田地区分水嶺から海に至る河川ルート〔丸い部分に地図。この後にここだけの画像を示す。〕 太平洋側 河川名 延長(km) 累計(km) 大谷川支流 1.0 1.0 大谷川 10.3 11.3 江合川 84.8 96.1 旧北上川 20.1 116.2 計 116.2(km) 日本海側 河川名 延長(km) 累計(km) 芦ヶ沢川 1.4 1.4 明神川 5.4 6.8 最上小国川 34.4 41.2 最上川 61.4 102.6 計 102.6(km)〔分水嶺から東西に分かれる河川ルートを模式図にした説明がある〕------------上のうち、丸い部分(河川全体図)を大きくして掲げる。南北が通常とは逆なのは、案内板を見る人の立場に立つためだろう。酒田と石巻という二大港町の強い縁を、あらためて感じる。説明板の前にはモニュメントがある。(画の手前が駐車場)------------■モニュメントの前の石碑 最上ロータリークラブ 創立四十周年記念事業 「分水嶺モニュメント」 東北芸術工科大学 平成二十一年卒業 館 四季菜 氏 作------------さて、駐車場の南側端には、駅舎を背にして看板。------------■駐車場の駅側にある看板 ようこそ「山峡の道」へ 松尾芭蕉ゆかりの地、堺田に訪れた旅人に心から歓迎の挨拶をおくります 『汽車は県境を越えたところにある堺田という高原の小駅につくと、しばらく停車した。がらんとしたホームに降りると、掲示板で、そこは封人(関守)の家が残っている集落だとわかる。』 ー藤沢周平随筆集「山峡の道」よりー ここ分水嶺(奥羽山脈)に位置する県境の駅周辺の散策で、しばし、旅の疲れに心を癒し、新しい旅立ちに、悠々の思いに耽るひと時となりますよう祈ります。 最上町堺田集落------------そして、最後に駅です。■関連する過去の記事 見える分水嶺 堺田峠(2012年6月26日) 山形の鉄道建設熱を考える(続)(07年1月3日) 山形の鉄道建設熱を考える(07年1月2日) 仙台・宮城と山形を結ぶ街道に思う(05年11月29日)■関連する過去の記事(陸羽東線沿線の探訪) 中山平温泉駅(陸羽東線)(2024年07月03日) 一栗中学校跡(大崎市岩出山)(2024年07月02日) 西古川駅(大崎市)(2024年06月22日) 名生館から西古川へ(大崎市古川大崎、古川斎下)(2024年06月19日) 名生館官衙遺跡、名生城跡(2024年06月18日) 東大崎駅、大崎神社(2024年06月14日) 大崎市の戦中地名(2024年03月20日)■関連する過去の記事(鳴子、岩出山周辺など) 小黒崎観光センター(大崎市)(2023年12月13日) 美豆の小島(大崎市)(2023年12月12日) 小僧街道踏切(大崎市岩出山)(2023年12月11日) 川渡小学校上原分校跡(大崎市)(2023年12月10日) 小黒ヶ崎のすばらしさ(2016年6月5日) 歌枕だった小黒崎(2013年3月14日) 大崎市のカンガルー(09年11月26日) 観光客で賑わう鳴子峡(08年11月2日) 花山で釣りをする(07年10月25日) 再び岩出山を探訪する(07年7月22日) 初滑りオニコウベ(06年12月29日) 松山街道 姫松、真坂あたり(06年11月5日) 岩出山を探訪する(06年7月17日) 鳴子の交流人口と東北の地域構造の多様性を考える(05年10月10日) 鳴子峡散策で地域の先人たちを考える(05年10月9日) 御料馬金華山号と支倉常長の野望(08年9月16日) 鬼首の名馬金華山号(07年12月26日) 古代人の移民地名(玉造、加美、志田、色麻など)(2013年4月16日) 松山道・上街道(2011年9月16日)
2024.07.06
コメント(0)
はじめて訪れました。歩いてR47から信号を駅前への道に分け入ると、「鳴子の米プロジェクトむすびや」を左にみて(早朝なので閉店)、程なくして駅前に。倉加踏切を渡るのかどうか迷ったが、直進で駅前に出るのでした。駅舎の待合室には、ノートがあり、斉藤ブラザーズにdoomされた、という方の手記がありました。OH!バンデスで見ました、仙庄館や「むすびや」を訪問する回でしたね。■TAXIめしリターンズ(ミヤギテレビ)■関連する過去の記事 角田の双子はプロレスで凱旋(2023年04月16日) 大相撲入門 がんばれ斉藤兄弟!(09年09月04日) a half of twins = a twin ?(09年8月29日)(角田出身の双子が大相撲入入門)ホームで一枚。初夏の早朝のホームは爽快です。655発の新庄発鳴子温泉行きがやってきて、乗りこみます。トンネルをいくつか抜けて、左手には鳴子の中心部(江合川)を見下ろします。702鳴子温泉駅着。鳴子温泉駅前をぶらぶら探訪。下駄をはいた温泉客が歩いていました。駅に戻り、730発新庄行き。来るときと同じ運転士さんでした。面白かったのは、最初のトンネルを抜けて右手に鳴子峡の大橋がみえます、減速しますのでご覧ください、と運転士さんの丁寧なアナウンス。数名の乗客がみな右側に移動。ちょっとだけ乗ったのですが、陸羽東線の味わい深いミニトリップでした。■関連する過去の記事(陸羽東線沿線の探訪) 一栗中学校跡(大崎市岩出山)(2024年07月02日) 西古川駅(大崎市)(2024年06月22日) 名生館から西古川へ(大崎市古川大崎、古川斎下)(2024年06月19日) 名生館官衙遺跡、名生城跡(2024年06月18日) 東大崎駅、大崎神社(2024年06月14日) 大崎市の戦中地名(2024年03月20日)■関連する過去の記事(鳴子、岩出山周辺など) 小黒崎観光センター(大崎市)(2023年12月13日) 美豆の小島(大崎市)(2023年12月12日) 小僧街道踏切(大崎市岩出山)(2023年12月11日) 川渡小学校上原分校跡(大崎市)(2023年12月10日) 小黒ヶ崎のすばらしさ(2016年6月5日) 歌枕だった小黒崎(2013年3月14日) 大崎市のカンガルー(09年11月26日) 観光客で賑わう鳴子峡(08年11月2日) 花山で釣りをする(07年10月25日) 再び岩出山を探訪する(07年7月22日) 初滑りオニコウベ(06年12月29日) 松山街道 姫松、真坂あたり(06年11月5日) 岩出山を探訪する(06年7月17日) 鳴子の交流人口と東北の地域構造の多様性を考える(05年10月10日) 鳴子峡散策で地域の先人たちを考える(05年10月9日) 御料馬金華山号と支倉常長の野望(08年9月16日) 鬼首の名馬金華山号(07年12月26日) 古代人の移民地名(玉造、加美、志田、色麻など)(2013年4月16日) 松山道・上街道(2011年9月16日)
2024.07.03
コメント(0)
あ・ら・伊達な道の駅(株式会社池月道の駅)は年間273万人の入込客(宮城県観光統計概要、令和4年)で、国道47号を往き交う車はみんな停車するのではないかと思わせる抜群の集客力だ。ところで、施設の奥側の広い駐車場の周囲に、標柱がいくつか建っている。一栗中学校の跡地なのだ。そして、道の駅に隣接して一栗体育館。おそらく校舎は解体したが、比較的新しくまだまだ使える学校体育館を残して地域の施設に転用したのだろう。最後の画像(体育館入口)の上部には、校章らしきものが。開校昭和22年4月1日閉校平成8年3月31日卒業生3778名旧岩出山町域では、岩出山、一栗、真山の3中学校があったが、平成8年に現在の岩出山中学校の1校に統合された。なお、小学校は平成29年度まで5校あった。岩出山(平成30年3月児童数253人)、西大崎(47人)、池月(47人)、上野目(45人)、真山(48人)の5校が144年の歴史を閉じて、平成30年4月に新制岩出山小学校となった。■関連する過去の記事(陸羽東線沿線の探訪) 西古川駅(大崎市)(2024年06月22日) 名生館から西古川へ(大崎市古川大崎、古川斎下)(2024年06月19日) 名生館官衙遺跡、名生城跡(2024年06月18日) 東大崎駅、大崎神社(2024年06月14日) 大崎市の戦中地名(2024年03月20日)■関連する過去の記事(鳴子、岩出山周辺など) 小黒崎観光センター(大崎市)(2023年12月13日) 美豆の小島(大崎市)(2023年12月12日) 小僧街道踏切(大崎市岩出山)(2023年12月11日) 川渡小学校上原分校跡(大崎市)(2023年12月10日) 小黒ヶ崎のすばらしさ(2016年6月5日) 歌枕だった小黒崎(2013年3月14日) 大崎市のカンガルー(09年11月26日) 観光客で賑わう鳴子峡(08年11月2日) 花山で釣りをする(07年10月25日) 再び岩出山を探訪する(07年7月22日) 初滑りオニコウベ(06年12月29日) 松山街道 姫松、真坂あたり(06年11月5日) 岩出山を探訪する(06年7月17日) 鳴子の交流人口と東北の地域構造の多様性を考える(05年10月10日) 鳴子峡散策で地域の先人たちを考える(05年10月9日) 御料馬金華山号と支倉常長の野望(08年9月16日) 鬼首の名馬金華山号(07年12月26日) 古代人の移民地名(玉造、加美、志田、色麻など)(2013年4月16日) 松山道・上街道(2011年9月16日)
2024.07.02
コメント(0)
全8件 (8件中 1-8件目)
1