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やがて一年が終わり一年がはじまります。年末年始という期間は、『不登校・ひきこもり・ニート』の人たちにとって、比較的楽な期間だそうです。国民のほとんどが、昼間からフラフラしており、みんな日のあるときからお酒を飲んだりしており、『不登校・ひきこもり・ニート』も、それほどストレスに苦しまなくてもいい期間だそうですね。学校はお休み。就職やバイトを探そうにも、この期間は、そういう受け付けもやっていない。だから責める人の少なくなる。気が楽になれる。精神病院なども、患者も減り、1時退院の人も増えて、比較的ヒマな時期であるといいます。お正月に精神病院や心療内科の患者が減るというのは、普段の抑圧が少しマシになっているということかも知れませんね。前回、そして前々会において、『不登校・ひきこもり・ニート』に悩み苦しむこと自体が問題と書きましたが、夏休み、冬休み、お正月といった休みの期間は、それらに悩み苦しむ人が、一時的とはいえ少なくなります。それは、普段いかに心に抑圧を受けているかということなんでしょうね。できれば……、お正月や夏休みといった特別な期間だけではなく、普段から余計な抑圧を受けないようにしてあげたいものです。それには、周囲の人々も、普段から当人や家族に余計なプレッシャーやストレスを与えないようにする心くばりが必要なんでしょうね。そして何よりも、自分や相手を受け入れるということが大切だと思います。後は相手とコミュニケーションができるようになれば、なんとでもなります。さて、みなさんにとって2005年はいかがでしたか?わたしとしては、秋に完成する予定の映画が、大幅に遅れてしまったことが心残りです。2006年春に必ず完成・公開しますのでいましばしお待ちを。では、みなさんよいお年をお迎えください。
2005年12月31日
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ジェンダー:誤解や混乱回避へ定義明確化 猪口担当相 ジェンダーの概念は90年代半ばに男女共同参画政策の標語などで登場。生まれついての性別とは別に、「男らしさ、女らしさ」を押し付けない「ジェンダーフリー」という考え方が広まった。00年策定の現計画でも盛り込まれたが、定義があいまいなため混乱を招いていると指摘されていた。 内閣府によると、「ジェンダーフリー」の名の下に小中学校などで、運動会での騎馬戦を男女混合に変えたり、トイレの表示を男女同一にするほか、男女同室での着替えや宿泊を行うケースもあった。担当者は「性差を尊重するはずが、男女を同一にしなければいけないと誤解しているようだ」と話す。 このため、改定する基本計画では、定義を明確にしたうえで、誤った事例を列挙する方針。猪口氏は「現状は本来のジェンダーの概念とはまったく異なっている。混乱が収まることを期待したい」と話している。毎日新聞 2005年12月13日 19時55分 (最終更新時間 12月13日 23時59分)ジェンダーっていうのは、いわゆる男と女というセックスの差じゃなくって、「男らしさ・女らしさ」の思い込み、偏見のことですね。言いかえれば、「男にくせに・女のくせに」というと分かりやすいかも知れない。男女平等という観点から考えた場合、これは差別につながるというので、このような考え方を改めようという考え方です。家庭的な事柄でいうと、「男が掃除をしたり料理をして何が悪い」、「女の趣味が日曜大工をやって何が悪い」と。(笑)はい、ぜんぜん悪くありません。「男の中の男一匹よりも、女の中の男一匹になりたい!」と、多くの人にヒンシュクを買うようなことをいつも言ってるわたしだって、カンタン料理の『まんがコンビニクッキング』という本を書いたことがあるくらいです。(笑)それに、わたしのような執筆業の人間には、男女の差っていうのはありませんから、ジェンダーなんていわれても、「そんなの当たり前じゃん」っていうことになっちゃう。ただ、会社員をやっている女性にとってはそうでもないようで、やっぱり何かと、大変であることはわかります。妊娠出産では、一部の大企業や公務員を除いて、産休も育休も取りにくい。あったとしても、数ヶ月数年、いったん職場を離れたら、担当者が代わっていたり、自分の仕事は他の人がやっていてなかなかにしんどい。それでもがんばって、やっと職場復帰をしたと思ったら、また子どもが出来ちゃったとなると、また同じようなことをくり返さないといけなくなる。会社経営者や上司にしても、優秀な女性社員であればあるほど、困ることになります。かと言って。「産んでくれるな」とは言えないし。そうすると、当然、女性には重要な仕事を任せにくくなってくる。現代日本社会において、結婚・出産の高齢化や少子化は当然と言えば、当然と言えましょうな。そんな社会の中でも、働きたい女性はたくさんいて、そうなると当然、雇用や給与に不満が出てくる。やがて、男女雇用均等法が生まれ、ジェンダーフリーという考え方が出てくる。そして、上記のような新聞記事にあるようにジェンダーに関して、妙な勘違いをする不思議な人も出てくる。妙な勘違いをするのが、普段から平等とかうたっている学校という組織であることが、なんとも困ったものでね。「内閣府によると、「ジェンダーフリー」の名の下に小中学校などで、運動会での騎馬戦を男女混合に変えたり、トイレの表示を男女同一にするほか、男女同室での着替えや宿泊を行うケースもあった。担当者は「性差を尊重するはずが、男女を同一にしなければいけないと誤解しているようだ」と話す」う~んと頭を抱えたくなりますね。(笑)ときどき、フェミニズムやジェンダーフリーを振りかざす若い女性と話すことがあるんですけど、その人たちも結構勘違いをしている場合がありますね。そういった女性って、男性から“手加減”されている場合がほとんどなんですよ。カンタンにいうと、若い女性が中年の上司に、タメ語で話すってことが多いじゃないですか。これは、あきらかに“手加減”されているんです。若い男性社員だと、しっかり怒られてる。そんな態度じゃ社会で通用しませんから。(笑)まあ、これもジェンダーなんでしょうけどね。ジェンダーフリーとか流行の言葉を使う前に、もっとそこらへんをしっかりやった方がいいと思いますよ。もっとも、わたし個人的には女性が男性化するよりも、女性としてどんどん社会に出て行けばいいと思いますね。おっと、こんなことを言っていると、うるさい人から男女差別だなんて言われちゃいますね。(笑)ジェンダーとも関係があるのですが、『不登校・ひきこもり・ニート』は、男性が多いんです。おそらく「男なんだから」というプレッシャーが強いんでしょうね。女性だったら、ひきこもっていても「家事手伝い」で世間的に通用するというのもある。女もつらいけど、男もつらいねえ。どっちにしても、あまりリキむのはやめましょうよと言いたいですねえ。
2005年12月14日
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福岡県で、自分の娘を生まれてからほとんど外出させず、義務教育も受けさせていなかった母親(40)が逮捕されました。博多警察署によると、少女は10月28日午後、勝手にテレビを見たとして母親に背中や腰を殴られ家を出たといいます。11月1日、福岡市博多区の公園近くの路上で、はだしでいたところを通行人が見つけ110番。同署に保護されたそうな。少女は、この寒空の中3日間を“はだし”で、食べるものもなく、水だけで過ごしていたといいます。母親に言わせれば、少女は幼児の頃に障害があり「外出させるのが恥ずかしかった。周囲への迷惑が気になった」とのこと。そして、教育委員会や児童相談所は少女の小学校就学時期以前から月に1回程度の割合で家庭訪問するなどしていたといいます。つまり十数年間、100回前後も訪問するなどしていて、まったく見過ごしていたというものです。そして警察の判断は、「養育放棄の疑いもあるとみて捜査したが、食事や学習のためのドリルも与えていたことなどから、傷害容疑のみで立件、母親は福岡簡裁で罰金10万円の略式命令」であるということです。この罰金は、子どもを部屋に軟禁していたというものではなく、少女が家出のきっかけになった母親の暴力に対する罰金とうかがえます。つまり、親による虐待ではなかったという判断ですね。さて、この事件はこのブログとして、多いに考えたいところであります。 この事件は、『不登校・ひきこもり』の事件であり多くの問題が、『不登校・ひきこもり』の諸問題とリンクするのですよ。不登校の子どもさんを持つ親御さんの中には、学校に不信感を持っている人も多い。先生が、家庭訪問をしても、子どもが先生に会いたくないという場合も多い。教育は我が家でやるという親御さんも多い。不登校の我が子を「世間体が悪い」と思っている親御さんも多い。虐待をしてしまったという人もいる。不登校関係者の論によると「教育の義務と権利は、“子どもが教育を受ける権利があるのであって、“学校や親が、無理やり学校に連れて行こうとする”のは間違っている」というもの。しかし、今回の事件では、ほとんどすべての、マスコミ、ジャーナリスト、教育評論家はというと「学校や児童相談所は、何をしていたんだ!」と、憤慨し、さらに児童相談所が「虐待などの情報を得て緊急性が高いと判断した場合について「児童福祉法上、立ち入り調査権を与えられている。しかし警察の捜査と違い、玄関の鍵を開けてもらえない状態では難しい」と、いうと「これに対し、元最高検検事で白鴎大学法科大学院教授の土本武司氏(70)は、無理に室内に入れば不法侵入になるとの行政側の懸念について「自己弁護に過ぎない」とバッサリ。「保護に値しながら学校へ来ない人は本人に直接会って確かめる必要がある。(立ち入り検査は)適法な職務執行で不可欠だ」と指摘した」と、手厳しく批判をしており、おそらく圧倒的国民は、学校サイドや児童相談所の怠慢に怒り心頭といったところでしょう。しかししかし、多くの不登校・ひきこもり関係者・支援者にとって、児童相談所が強引に踏み込んでくるというのは、本来、「人権違反である!」「プライバシーの侵害である!」と言ったりもします。だからこそ、長田塾のように強引に不登校・ひきこもりの部屋に踏み込み、連行することに、猛反対したということもあります。その一方、親による子どもへの暴力・虐待。子どもから親への暴力が、隠されている場合もあります。また、さらに一歩、踏み込んで、児童相談所が家庭訪問にきたときに、この少女が面接に応じていたとしたらどうでしょう?「わたし学校に行きたくないんです」と、言っていたとしたら、あるいは親から“言わされて”いたらこの事件は、部屋に軟禁していたひどい母親の事件ではなく、ひきこもり少女の、単なる親子喧嘩、家出事件で終わっていたのかも知れません。家庭・家族というのは、他人が踏み込めない一種の聖域でもあります。うまくいっている場合は、一家団欒、くつろげる生活空間であり、生活の基盤となる場所です。しかし、ひとたび何らかのトラブルが起こったりした場合、逃げ場のない恐怖の密室にもなりえます。この事件もね。長田塾裁判のときと同じようにまたよく事情もわかっていないのですから、一概に、そして感情的になって判断しない方がいい。ただ……ひとつ気になるのが、母親が言ったという言葉「外出させるのが恥ずかしかった。周囲への迷惑が気になった」ということですね。恥の文化は、日本文化の美点でもありますが、不登校・ひきこもりの場合、まったく逆に作用して、人を苦しめる文化になることが多いんです。世間体を気にするあまり、もっと大切なものを失ってしまうことがあまりにも多くなる場合だってあるということですね。また、この一家には、母親のみではなく、父親もおり、成人した兄、姉もいたとのことです。つまりは、家族も少女がこのような状態であることを認めていたのでしょう。また、この母親自身が、ほとんどひきこもり状態であったといいます。不登校やひきこもりが、一種の家族病・家族不全の結果である場合もありますが、この事件は、そうであるのかも知れません。この事件に関して、ある教育評論家は「彼女が反抗して、家出をしてよかった」と語っています。これも、家出=言うことを聞かない子・子どもを管理できない親という一面的なレッテルではなく、そうしないと生きていけない少年少女がいるという表れかも知れません。以前、似たような事件で、もっと悲惨な事件が大阪であり、そのときは中学生の少年でしたが、親に監禁され食事のろくに与えられず、死ぬ寸前までいったということがありました。おそらく……似たような境遇にある少年少女は、まだまだ相当数いると推測できます。『不登校・ひきこもり・ニート』という問題の一面に、このような悲惨な事件もあるということを、わたし達は認識しておく必要がありまた一面だけを見て、レッテルを貼るのではなく、多面的に見る必要があるんだと思います。(参照;デイリースポーツ、サンケイスポーツ)
2005年12月08日
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