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教育や福祉の世界には、それは言っちゃいけないよとされている言葉があります。いじめられっこの子どもは、いじめられっこになる生活保護家庭の子どもは、生活保護を受けるようになる母子家庭の子どもは、母子家庭になる最初に関係者から、これらの言葉を聞いたとき、何となく不愉快に思ったものです。もちろん、全員がそうなるというものではなく、関係者も公に発言はしない“タブー”となっています。ただ、虐待を受けた人が、我が子を虐待してしまうということは、指摘されていることであり、また、生育歴に問題のあった人が、非行や犯罪に手を染めてしまう場合が多いということも知られています。そういった機能不全家族の中で、育ってしまった人は、負の世代連鎖を止めるのは、自分の世代でなければならないということですね。どのような家庭に生まれようと、親を恨んでも仕方がない。自分の人生は、自分で管理するしかないのだから。あとはあなた次第なんです。さっき友人の書いた本を読んでいたら、「ちゃんとした躾をする家庭に育った子弟は、一流レストランや料亭に行っても、子供時分からマナーを教養として身につけている。不幸にしてそういう環境、家庭になかった人は、独力で身につけるしかない」といった文章が書いてありました。まったくその通りで、後はあなた次第ですよ。
2005年05月30日
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ここ一年ほどで、NEET(ニート)が、ずいぶんとマスコミに出てくるようになりました。ニートとは、Not in Employment, Education or Trainingの略で、要するに「働く意欲もなく、教育機関にも行かないし、就職訓練もしていない若者達のことをいいます。さて、テレビの特集や、ニュース番組で取り上げるとき、番組サイドの姿勢はというとどうしようもない最低のクズヤローども!! という、制作サイドの 潜在意識 が見え隠れしているように思えるのは、わたしだけでしょうか?これは、なにもニートだけではなく、ひきこもりや、部屋を掃除できずゴミ屋敷に住んでいる人に対する描き方も似たようなものを感じます。不登校に対しては、まだいじめや教育不信という知識があるせいか、それほどいやらしくは描かれていないようですね。おそらく、無関心、無関係な人から見れば、ニートは「甘えている」「怠けている」 といった意見が、潜在的にあるというのが、本当のところなのでしょう。ただ、『甘えている・いない』、『怠けている・いない』などというのは、観念論にすぎず、他人がとやかくいうものではないと言えますね。『不登校・ひきこもり・ニート』については、精神病や自閉症といった『病気』とされるものと、そうでないものとに大別することができるのですが、病気の場合、甘えや怠けと言う以前に、治療が必要なのはいうまでもありません。また、それ以外のものでも、『善か悪か』などというようなものでもないんです。さてさて、『不登校・ひきこもり・ニート』の人たちがよく言われる言葉として「働かざる者、食うべからず」というのがあるんですけどね。でもこれって、人類が地球に生まれて以来、人類の憧れであったのですよ。(笑) それを現代日本で、実践しているのが、ホームレスやひきこもり、ニートだったりするわけです。わたしなんかも、働かないで食べていけたらなあなんて思うことはありますね。もしニートが、“よろしくない”のだとすれば、● 本人の不安● 親の不安● 税収が減るという行政サイドの不安ということになるのだと思います。本人の不安と、親の不安は、家庭内の問題ですから、第3者が立ち入るようなものではない。税収が減るからと、“労働を押し付ける”などというのも、もってのほかです。ただ、いまのマスコミが取り上げているような、「どうしょうもないクズヤローども!」みたいな取り上げ方も……また逆に「あの人たちは、かわいそうな人たちなんです」みたいな関り方も、どちらもどうだかなあと思っています。
2005年05月29日
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5月18日、オレは都心のビジネス街にいた。今日は誰でもが知っている、とある上場企業の管理職の方に、もし、社員が元不登校・ひきこもり・ニートであるとして、会社の対応はどうか?社員が、もし突然ひきこもりになったり、出社拒否になった場合、どのように対応するのか?『不登校・ひきこもり・ニート』であった人が、採用試験にきた場合、会社はどうするのか?といった、当事者にとってチョット気になるインタビューをしてのけようというたくらみである。インタビューにお答えくださったのは、MさんとNさんとおっしゃる方で、お二方の第一印象はというと、芯がしっかりした人格者であり、また穏やかな紳士といった感じであった。つまりこのオレ様と、まったく正反対のタイプといってもよかろう!ま、そのことはさておき。オレと助監督アベは、その会社ビルの29階へと案内されたのである。まず、お二方に挨拶をすませる。そしてオレが高層ビルに登ったとき、必ずやるように努力していることを試みようとする。オレは窓際に立ち、29階から下界に群れている庶民どもを見くだしながらこういうのだ! ふふふ、この愚民どもめらが……ダメでした。実はぼく、高所恐怖症なんです。コホン、そ……、そんなことはどうでもよろしい。我々は、さっそくご意見をうかがうことにした。そのご意見を、超要約してここに述べよう。Q「社員が元不登校・ひきこもり・ニートであるとして、会社の対応はどうなんでしょうね?」A「関係ないですね。会社にとって、ちゃんと働いてくれるかですから、その方の過去に関しては、よほどのことがない限り、あまり関係ないですよ」Q「社員が、もし突然ひきこもりになったり、出社拒否になった場合、どのように対応するのですか?」A「もし連絡なく会社にこなくなったら、上司が家を訪ねるとかして話しを聞くようにします。その理由が病気が原因であるとしたら、医師に診てもらって休業ということになります。また、どうしても辞めたいということであれば、個人の意思を尊重します」Q「不登校・ひきこもり・ニートであった人が、採用試験にきた場合、会社はどうするのですか?」A「会社の採用試験というのは、それぞれの会社の適応をみるものですから、そこを見ます。要は過去ではなくこれからですからね。また採用試験や面接のときに、ひきこもりであったとか、不登校であったとか、わざわざ言う必要なないと思いますよ」と、まあこんな感じでインタビューは進んでいったのである。実はもっと、深いところまでお聞きしたのだが、長くなるのでここらへんでやめておく。さて、『ひきこもり・ニート』の人たちの多くは、自分たちの“空白の時間”を気にしている場合が多い。この空白の時間を、「人に説明しづらい」という意見をよく聞くのだ。オレにいわせれば、何も「説明しづらい」ことを、わざわざいうことはない。企業とて、採用する人の過去を、探偵を雇って調べるということは、まずないということだ。ちゃんと働いてくれさえすれば、企業としても文句はないということだ。それと、今回のインタビューで会社で働くにあたり大切になってくるのは、特異な分野以外では、“コミュニケーション能力”であるということであった。コミュニケーションというのは、多弁のことではない。“相手の意見を理解し、自分の意見を伝える”ということである。『不登校・ひきこもり・ニート』の人は、この“相手の意見を理解し、自分の意見を伝える”というのが、苦手であることが少なくない。だとすれば、その苦手を対処対応する。その苦手をなくすように練習をするというのが、いいと思うのだがいかがだろうか?最後に、ひとついいたいことがある。インタビューのときのテープを見ると、オレは柄にもなくスーツなるものを着込んでいたのだが、我が頭を見ると しっかり寝癖がついていた!!寝癖がついたまま、カッコつけてインタビューするオレ様って、実に間抜けっぽくていいじゃないか!と、自らをなぐさめる巨椋であった。
2005年05月24日
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5月7日、映画で取材をしているフリースペース、オンリーワンクルー の企画である、『お仕事大図鑑』が行われたのである。『お仕事大図鑑』というのは、いろいろな職業の人をゲストとして呼び、その仕事のおもしろさや大変さを、ひきこもりの人やニートの人に伝えようというものだ。今回のゲストは、野崎孝男さんという。この人は昨年、映画『不登校の真実』を上映したときに知り合った人で、職業は区議会議員。つまり政治家である。年齢31歳の若手議員でもある。この人が、おもしろいのはたんにめずらしい職業というだけではない。経歴もおもしろいのである。中学時代にいじめを体験する。高校は2回中退し、そのとき教育不振になる。このとき、高校中退を2回したということで、親から生活費や、その後の進学の学費などを、出してくれなくなりアルバイトで生活をはじめる。大検を受けて、大検に進学。新聞社や、テレビの製作会社に就職。就職、転職のときに、卒業大学が有名大学でなかったため、学歴社会を痛切に感じたという。26歳のときに、政治を変えたいと思い、都議会選挙に初出馬。見事落選!いったんテレビ製作会社に就職し、その後、統一地方選挙で練馬区議会議員に初当選。現在、政党に属さず無所属で活動中。オレは、このおもしろい男がいたく気に入り、ぜひ次の映画に出演をしてくれと頼んだのである。そして、オンリーワンクルーの主催者、ペット大田さんにお願いして、『お仕事大図鑑』で語ってもらい、それを収録するという一石二鳥をたくらんだのであった。オレのたくらみを、ペット大田さんは快諾してくださり、5月7日に、ゲスト野崎孝男さんが、若者たちの前で熱く語ってくれたのである。野崎さんは忙しい人で、ゴールデンウイーク中だというのに、その日は、3件ほど人と会う用事を済ませてやってきてくれた。「実は、『お仕事大図鑑』のあと、都庁でまた人を会わないといけないんですよ」と笑っていたのだが、結局4件目はキャンセルして、若者たちを相手に語りまくってくれたのである。それまで政治、特に地方政治に興味がなかった人も、野崎さんの話しを聞いて、興味を持ったという人もいたようだ。オレの実感として「人間は人間によってのみ磨かれる」と思っているのだが、『お仕事大図鑑』という企画は、そういった意味でも実にいい企画だと思う。また、野崎さんのような魅力のある人物が、若者と膝をつき合わせて仕事や自分の経験を語るというのは、ひきこもりやニートに関らず実に有意義なことであろう。撮影の途中、オレと助監督アベは、少し離れた喫煙場でデレッとしながらタバコをふかしていたら、オレたちの姿を見かけた野崎さんがニヤリと笑っていった。「巨椋さんが、この中で一番不良ですねえ」うん、まったくだと思う巨椋であった。
2005年05月19日
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休憩時間のときに、助監督アベがそっとオレにつぶやいた。 「カメラのバッテリーが、無くなりそうなんです!」 なんでも、朝充電しておいたバッテリーがなぜか急速に減り、あと5分くらいしか持たないというのだ! 撮影予定は、まだ3分の2くらいしかこなしていない。 オレは自らを励ますようにいった。 「で、でも予備のバッテリーはあるだろ?」 「あ……、ある……、と、思います……」 「思いますって……」 「多分入れたと思うんですけどね……」 「じゃあ確かめてください」 「カメラバックは、フリースペースの中に置いてきているんです。 それに……」 「それに?」 「予備バッテリーは、充電していなかったかも……」 「ま、まあどうせ屋内撮影だから、コンセントがあればいいよね」 「コンセントは、荷物になるので家に置いてきました!!」 ここだけキッパリ! 「す……、すると、いまのバッテリーがあがってしまうと……」 「今日の撮影は、これまでということになります」 「し、信じよう、きっと予備のバテリーはあるさ」 「し、信じましょう、きっと予備のバッテリーは、ありますよ。しかも充電した状態で」 オレと助監督アベは、パッピーを司る星に向かって、手を合わせてお祈りをした。 お祈りの文句は、今回の映画の題名(仮題)である。 「大丈夫 だいじょうぶ」 「大丈夫 だいじょうぶ」 ダンスレッスンが終わると、残りわずかなバッテリーを使い切るギリギリまで、インタビューをすると、慌ててフリースペースへと歩いた。 予備バッテリーは…… あった。 それも、充電してあった。 オレたちはその後、予備バッテリーを使って、夜の食事会を撮影し、さらにインタビューを撮ったのである。 撮影は無事終了した。 バッテリーの急速な減りは、新しく購入したマイクが、大量の電気を消費するということらしい。 そして我々は確信した。 この映画は、「大丈夫 だいじょうぶ」なのだ。
2005年05月10日
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さて、このフリースペースのメンバーが、明るいというのは、一つには、主催者の気配り、努力が一番であるということを昨日書いた。 どのような団体でも、中心人物の“精神”がメンバーに強く影響するというのは、事実である。 ひきこもりの自助グループなどの場合、主催者が 「深刻でなければならない」 と、思っていると自然とメンバーも深刻な考えになっていくものだ。 また、「そうあらねば不謹慎である」と思っている団体や、深刻であることが大好きな人たちがいるのも事実といえよう。 ここのフリースペースの場合、主催者がゆるやかな関係と自由。 そして自由に付随する責任とルールを明文化することで、いい人間関係を構築していくような場を提供している。 つまり何でも「いいよいいよ」と、認めるのではなく、最低限のルールを明文化し、各自がそれをよく理解しているということだろう。 ときとして、誰かがルールを外しそうになると 「それってルール違反じゃ~ん」 と、笑いながら制止し、相手も「あ、ごめんごめん」と、笑ってそれを認める文化がある。 さらに、主催者の奥さんがプロのダンサーということで、メンバーはダンスをやるのだ。 ダンスの前にストレッチをやり、腹筋など筋肉を鍛える。 それからダンスである。 ストレス症や、神経症の治療に運動療法というのがある。 体を動かし、汗を流すことによってストレスや、心にたまった澱のようなものは、ある程度解消する。 このフリースペースの特徴をまとめると ● 笑いがある。(笑いには、ストレスの解消、病気への免疫機能向上などが期待できる) ● 閉鎖的ではない。(いろいろな年代、職種の人が集まり会話をする) ● ルールがある(ルールがあることで、安心して人とコミュニケーションできる) ● ダンスレッスンを受けられる(ダンスにより、ストレスの解消、及び関係者以外の人も習いにくるため、そこでも新たなコミュニケーションが生まれる) ● 一緒に食事をする(一緒に食事をすることで新密度が増す) ● 主催者の努力と人徳(主催者の気配りと、特に奥さんのサポートが行き届いている) ということが挙げられるだろう。 さて、話しを撮影に戻す。 普段は鷹揚としている助監督アベが、この日とばかりにキビキビと動いている。 前回の撮影経験が生きており、オレは口を挟む必要もないくらいだ。 「きゃつも成長したものよ……」 オレは、助監督アベを見ながら心底そう思ったのである。 もうひとりのスタッフ、プロデューサーY・I氏も、助監督アベのサポートにあたっている。 カンタンな座談会と、インタビューの時間は過ぎ、そして次はダンスのレッスン風景の撮影である。 ダンスには十数名の人が参加してくれた。 オレもその中に交じって、一緒に踊るという設定だ。 ふと見ると、プロデューサーY・I氏は、ダンスに参加していないではないか! オレはウインクをしたりして、何とかダンスに参加するように促すのだが、 にやり!と笑うばかりで参加をしようとはしない。 こういうシーンは人が多い方が絵になるのだ。 それに1人でも多い方が一番ヘタクソなオレが目立たないですむではないか!! おのれっ! 計ったな!!と、悔しがってもときすでに遅し! すでにレッスンははじまっているのだ。 何とかバタバタと、動いてはみるのだが、どうにもオレの動きは“ダンス”というジャンルには収まっていないようなのだ! ふん! オレほどの天才だと、既成の動きに囚われはしないのさ!と、強がってみても、ようするに“踊れてない”という現実からは逃れられない。 そして休憩時間のときに、助監督アベがそっとオレにつぶやいた。そこにはとんでもない事態が!! 次回につづく
2005年05月09日
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4月24日、次の映画、(仮題)「大丈夫 だいじょうぶ」の、撮影を行ったのである。 4月2日にも、撮影はあったのだが、今回が本格的なもので、4月24日を正式なクランクインとしたい。 さて、今回のテーマは、「ひきこもり・ニート・不登校」であり、昨日は東京にあるフリースペースでの撮影である。 午後3時、オレと助監督アベ、プロデューサーY・I氏は、現場に到着。 現場のフリースペースには、約10人が集まっている。 オレたちは、映画進行について説明し、なるべくリラックスして話してもらうようお願いした。 そして、ひきこもり経験者の1人、Mさんにインタビューを始めたのだ。 Mさんは、ひきこもり歴3年。 いまは、ひきこもりから足を洗って、仕事に就いている。 とても頭のいい人で、流暢に自分の経験を語ってくれた…… しかし…… 固い…… Mさんだけでなく、周りの人も慣れないカメラのせいか、妙に固くなっている。 (いかん!) そう思ったオレは、 「カット!」と叫び、続いて 「かてぇよ~」 といったのである。 「もっといつもみたいにデラックスしてやりましょうよ~」 と、普段はいわないダジャレなどをいってみた。(ああ恥ずかしい!) 爆笑であった! 緊張やストレスを解きほぐすのに、もっとも効果的なものは、“笑い” なのである。 このような強度なストレスがある場合、くだらないダジャレでもよく効くのだ。 少し話しては、撮影を中断し“笑い”を入れる。 このフリースペースの主催者のSさんも、心得たもので率先してジョークを入れてくださり、場がだんだんと暖まってくる。 やがて、インタビューはMさんから、他のメンバーへと移っていく。 過去の暗い話しをしていただいているのだが、その合間に、休憩を入れると、誰かが冗談をいう。 その間は 爆笑、爆笑、大爆笑! なのであった。 またたくまに時間が過ぎ、インタビューの収録時間が終わった。 このフリースペースのメンバーには、他にはない特長がある。 とにかく明るいのだ。 それぞれ、暗い過去があるのかも知れない。 この日インタビューをした当事者たちの多くは、昔、コミュニケーション下手であったり、何らかの心身症、神経症に悩まされた経験があったりもするのだが、少なくともこの場では感じさせない。 彼らがそうなれたのには、主催者であるS夫妻の影響が強い。S氏いわく、「この場は人間関係の練習場」 であるらしい。そういった意味で、この場所は成功しているといえるだろう。 こういったグループは、時として閉鎖的になったりする場合も多いが、このサークルにはその閉鎖性がない。 メンバーの約半数が、ひきこもりなどと、無関係な人であり、人と人との交流を求めて集ってきている人なのである。 よって彼らの間に、お互いに『ひきこもりとそうでない人』という垣根はない。 彼らが、なぜこうにもノビノビしているのかは、主催者夫婦の気配りが最大の理由であろう。 さらにこのサークルの特長として、彼らを明るくさせるものが、ここにはあるのだ。 その特長とは!? 次回につづく
2005年05月07日
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人類史が始まって以来、親殺し子殺しは絶えたことがありません。そして最近多く目に付くのが、親による子どもの虐待、殺人事件です。さて、本日のテーマは「子どもの所有権は誰にあるのか?」というものです。このテーマを突き詰めていくと「自分を所有しているのは誰であるか?」という問いにもなります。子どもというのは親が存在しなければ、世に生まれてこなかったわけですから、ほとんどの人は 「親が子どもを所有している」 と、なんとなく思っているわけです。ちなみに“所有”という言葉は物品に対する呼び方ですから、人間には当てはめることはできません。すなわち「子どもを所有しているのは親ではない」ということになります。そこで質問を代えてみることにします。「子どもは誰のものか?」親は「自分の子どもは自分のものである」というかも知れません。他にも「子どもは社会のものである」「子どもは国のものである」などと言う人もいます。さて、親は子どもを所有しているわけではありませんが、親権は持っています。だから親権者はいう「この子はわたしの子だ」→「この子はわたしのものだ」 この意見に対して、法的な答えは「この子はあなたの子だが、あなたのもの(所有物)ではない」というのが正解。つまり「子どもは、子ども本人が所有している」大人であれば「自分本人を所有しているのは自分である」という答えになります。もし子どもが物品であれば法律ではどうなるか? 民法206条「所有者は法令の制限内において自由に其所有物の使用、収益および処分をなす権利を有す」つまり所有者は、その物品を使用しようがしまいが、壊そうが売ろうが処分すなわち殺そうが自由なわけです。ところが子どもも人間も物品ではない。子どもにもアナタにも“人権”なるものがある。人権とは「人が人として生きる権利」ですね。だから親とはいえ「子どもを売ったり処分(殺し)したりしてはいけない」ということになっています。では親権とは何か?法律にはこうある。 第820条「親権を行う者は、子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う」 (監護とは子供を育てその子が成人するまで子ども育て教育し財産や利益を管理することができるということ) 第8022条「親権を行う者は、必要な範囲内で自らその子を懲戒し、又は家庭裁判所の許可を得て、これを懲戒場に入れることができる……」(懲戒とは文字通り“懲らしめたり戒めたり”すること)つまり親権とは、子どもを養育し、教育を与える権利と義務があり、子どもの財産(例えば子どもの持ち物、働いて稼いたお金)をいかようにも“管理”でき、子どもを“懲らしめる”ことができる権利ということのです。おそるべし憲法。おそるべし法律。 おまけに法律には「法、家庭に入らず」という大原則があります。昨年、ある有名な女優さんの息子が、親である有名女優の留守中に押し入り金品を盗もうとして警察の連行されるという事件がありました。他人なら即逮捕となる所が、警察は親子ということで、親である有名女優に連絡、女優さんが「逮捕してくれ」という強い希望によって、ようやく息子が逮捕されたそうです。「法、家庭に入らず」という原則はそれほど強い。つまり家庭内での強盗、強姦、傷害という凶悪犯罪であっても、家族が許すのであればOKというのが現実と言えるでしょう。許されないのは“殺人”くらいなものです。放火も他に害を及ぼさなければOK。大人であっても家族ならこうなのですから、親権を持っている親なら子どもをどうにでもできると思ってもおかしくはない。悪意・無責任な親が相手の場合、子どもを守ってくれるのは、「人権」のみ。子どものもつ「人権」のみが、親からの暴力から唯一抵抗できる武器、法的根拠。ちなみにわたしは、この「人権」なるものなど、本当は存在しないと思っているのですが、とりあえず子どもを守るためには、この“方便”を使うしかないのですよ。いま一度いいます。 子どもを所有しているのは“親ではない”さらに、子どもを所有しているのは“社会でも国でもない”子どもを所有しているのは、その子ども本人である。なぜならば子どもにだって人権があり、物ではないからである。 ということですね。
2005年05月03日
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