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2026年04月12日
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カテゴリ: 景勝地:秋田県
南部藩の根拠地である糠部郡から奥羽山脈を隔てた秋田側、菅江真澄が長い月日を過ごした鹿角の町に出ます。近代的な町割の中に、古くからの細い路地が点在する趣のある町で、今回紹介する寺院もそんな路地裏に境内を構えています。

2025.6.14
鳳林山 長年寺


長年寺が境内を構える路地には、赤石山 恩徳寺などの古刹や、神明社などの古社などが固まっており、どこか寺町のような風情が感じられます。
通りに張り出すような形で置かれている山門は、植え込みや桜の大木に飾られています。このまわりに駐車場もあるので、車でも安心。



山門をくぐると鐘楼。今でも造りは古いまま、かつての趣を残しているのです。



境内北側、子安地蔵や六地蔵が置かれています。



その奥には花輪南部氏(中野南部氏)累代の墓が置かれています。当地も16世紀の鹿角合戦を経て南部氏領となり、九戸南部氏の庶流 中野南部氏が入部し、花輪南部氏を名乗りました。
当寺院は最初九戸村に創建された鳳朝山 長興寺が、領主中野南部氏の移動と共に境内を遷すこと数度、最終的に当地に落ち着いたものです。現在はかつての移遷先の長岩寺・長徳寺の本尊や法具、中野南部氏の位牌などが集められています。



本堂です。やはり領主の菩提寺ともなれば、伽藍はかなり荘厳ですね



御由緒です。




鳳林山 長年寺

曹洞宗 龍光山宗徳寺(現在の​ 耕春山宗徳寺 )末寺
開山:長興寺十世雨外楚雲和尚
本尊:釈迦三尊

 當山は南部御三家、花輪南部(中野)氏の香華院(菩提寺)として建立されたもので、歴代の當主采地を転ずるに随い寺もその処を移し号を替え今日に歴史を伝えるものである。
 足利幕府の時代、加賀宗徳寺(廃寺、現在弘前の耕春山 宗徳寺に合併)四世大陰慧全禅師、衆生済度の為奥州九戸に到り、郡守九戸家の篤い帰依を蒙り、文亀2年(1502年)九戸村に長興寺を開創、開山禅師となる。是が当山薙草の因縁、宗徳寺を本寺と為す由縁なり。
 天正19年(1591年)五世岳翁林賀和尚の代、九戸家・南部家不和の間となり、九戸政實の乱が起こる。豊臣秀吉隷下中央軍の加勢を頂く南部軍の前に九戸城は落城、一族滅亡の悲劇となる。茲に九戸舎弟康實君、幼少より南部家に仕え采地を西中野・東中野に受けて中野吉兵衛康實を名のる。九戸の乱には、恩義に順じ兄政實公の暴挙を諫め開城に功を為す。後に南部公厚く是を賞するも康實君受けず。代わりに兄政實公の遺骸を請い長興寺に篤く葬る。又、林賀和尚を伴い長興寺を采地郡山に移して其の冥福を祈らんとするも、和尚是を辞し、代わりに弟子 梅岩嶺雪長老を使しむ。文禄2年(1593年)六世梅岩嶺雪和尚を伴い寺を采地郡山に移し、号を長岩寺と改め、自ら開基となりて先祖霊供養の菩提処と為す。
 中野三代元康君、采地を彦部に受けるとき長徳寺を菩提処と為す。
 中野四代康敬君、南部藩鎮花輪城代となり、この時長岩寺・長徳寺の本尊仏・古法・経典・法器・開基康實君の位牌を花輪に移し、十世雨外楚雲和尚を請して延宝2年(1674年)長年寺を建立す。爾来、花輪南部氏代々の香華院として尊崇を受け、又結縁の檀信、帰崇和睦の菩提寺として護持興隆、長興寺に始まる法灯は今日愈々増輝を見るものである。
慶応四年啄堂川村秀光記「長年寺由来記」より
平成11年11月三十三世覚圓直行代拝建



ほんで追加情報です。内容的には殆ど同じですが、↑には無い記載が有ったりします。




寺史


 室町幕府の時代、加賀堀川郡 龍光山 宗徳寺四世太陰惠全大和尚、奥州巡錫の折り南部郷九戸村に到り郡守九戸南部氏の篤い帰依を請け、文亀2年(1502年)鳳朝山 長興寺を建立し開山となり九戸南部一族菩提道場と致します。
 九戸南部氏十代信仲公に長子政実・末子康実の兄弟があり政実公は九戸南部十一代左近政実となり、康実公は幼少より九戸をはなれ三戸南部信直公の下にて仕え、後に紫波平定などの功を以て紫波郡中野村・高田村・片寄村三千五百石の領主となり中野南部吉兵衛康実を名乗ります。
 五世岳翁林賀大和尚の代、天正19年(1591年)九戸南部氏、三戸南部氏との間に九戸の乱が起りこれにより九戸南部氏滅亡に至ります。この折り康実公は九戸に加担することなく、又九戸平定の功により南部信直公より褒美を賜るもこれを固辞し、代わって兄政実公の遺骸を貰い請け長興寺に葬ります。
 更に文禄2年(1593年)岳翁林賀大和尚の弟子 六世梅岩嶺雪大和尚を議して采地紫波郷郡山に久保山 長岩寺を建立、開基となりて先祖菩提道場と致します。寛永6年(1602年)中野南部三代元康公、采地を紫波郷彦部村に転じこの時長岩寺を移して近城山 長徳寺を建立。
 十世雨外楚雲大和尚の代、延宝2年(1674年)中野南部四代康敬公、南部藩鎮花輪城代となり采地を鹿角郷花輪村に転ずる時、長岩・長徳寺の仏像・法器・中野家位牌等一切を花輪村に移して杉沢山 長年寺を建立致します。後に山号を鳳林山と改め中野南部家代々の菩提道場として尊崇を享けると共にその護持を頂き、又明治の後は結縁の檀信等しく集う菩提処として法輪増輝、長興寺に始まる法統は今日へと伝えられております。



延享度曹洞宗寺院本末牒 ​”の記載に従って宗徳寺末とします。
系統的には九戸村の長興寺から始まり、領主と共に九戸→紫波→鹿角と移動を繰り返し、山寺号が変わること数度、最終的に鳳林山 長年寺となりました。当地に落ち着いてからも、最初は杉沢山という山号だったようですが、後に現在の山号に変えています。

それでは御堂の装飾を見ていきましょう。
この通り、端々に金キラの装飾と古めかしい木彫がしてあります。







反対側も毛並みが分かるほどの精緻な表現です。



懸魚には鳳。風で翻った羽がすんばらしい!



向拝の天井部分には、火災除けか龍神が描かれています。もしや鳴き龍?



扁額には”法王閣”と刻まれています。法王=釈迦とすると、釈迦堂という意味になると思われますが、どうなんでしょうか。



次に堂内。




沙弥檀裏手には花輪南部氏の位牌が安置されています。特に中央のものは相当に古く、もしかすると長興寺開基 中野南部吉兵衛康実公のものかも知れません。



堂内左手には閻魔像と共に子安・延命の地蔵尊が脇侍として置かれていました。地蔵尊は閻魔大王と同一視されるので、異なる3つの姿を並立したものと言えるでしょうか。



位牌堂の方には八臂弁財天・千手観音・十一面観音などと共に三十三観音像が置かれていました。当寺院が、地域の信仰の根本道場となっていることが伺えますね!



斜めから。
数々の移遷を繰り返し、当地にたどり着いた長年寺。寺号の通り歴史は長く、南部諸氏の後援もあり、現在に続く繁栄を享受しています。寺の歴史と共に、奥州の名族 南部氏の歴史に想いを馳せずにはいられません。



以上です。

​​​





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最終更新日  2026年05月13日 22時07分38秒
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