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正月のTVで辻井伸行の自作自演を聴いたが、残念ながら期待外れだった。
いつかどこかで聞いたことのあるメロディ、
たとえばショパンの練習曲やフォーレのシシリエンヌがちらほら顔を出し、
同じパターンの繰り返しが何度も続く。
そこに変奏曲のような発展や変化が施されていないので、聴いていると退屈するのだ。
「ショパンへのオマージュ」と題した曲には、
意外にも日本の「演歌」の雰囲気が感じられるし、
どの曲にも情感の高まりやタメがなく、凡庸で、
そのためみな同じような曲にしかきこえてこない。
ただ水のように風のように流れるだけで、ドラマ性がなく、私には物足りなかった。
それらを「癒し系音楽」と好意的に捉えたとしても、
バッハのゴルドベルグや平均律、サティの優雅で物憂い音楽には到底及ばない。
大作曲家ならずともプロの作曲家の音楽には
メロディの中にさまざまな思いや情感の自然な移り変わり、
さらには工夫された遊びがあって、聴き手の心の琴線に触れてくる「何か」があるのだが、
彼の曲には外に対する意志的な説得力すら感じられない。
クライバーン・コンクールでショパンやリストの難曲を、
あれほどカラフルでダイナミックに演奏したかつての力強さや躍動感は、
一体どこに消えたのか。
彼の魅力はさらさらと優しく流れる「春の小川」にあるのではなく、
力強く歯切れのいい音にあったのではなかろうか。
つまるところ、好い演奏家は必ずしも好い作曲家となり得ないという事なのだろうか。
小学校唱歌のような音楽を聞きながら、私は残念でならなかった。
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