PR
カレンダー
キーワードサーチ
若君はじっと東院に籠っていらして、気の晴れぬままに、
『父上はひどい仕打ちをなさる。
こんなに苦しい勉強をしなくても高い位にのぼり、
世に用いられる人はたくさんあるというのに』
と、源氏の大臣を恨めしくお思いになるのですが、
お人柄が真面目で浮ついたところがおありにならないので、
勉学の苦労をたいそうよく耐え忍び、
『何とかしてしかるべき漢籍を早く読み終え、朝廷に出仕もし、出世もしよう』
と努力なさいましたので、
たった四・五カ月のうちに百三十巻もある史書などという書物を読了なさったのでした。
今は大学寮の試験を受けさせようと、
まず父・源氏の大臣の御前にて試験をおさせになります。
伯父君でいらっしゃる右大将、左大弁、式部大輔(たいふ)、左中弁に、
御師の大内記をお召になり、史記の難しい巻々や寮試験で
文章博士がくり返し問いそうな箇所を引き出して、一通り読ませてごらんになるのですが、
どの箇所もすらすらとよどみなく、よく理解してお読みになる様子は
不審なところがありません。あきれるほど珍しいこととして人々は感嘆し、
「やはり天賦の才であることよ」
と、誰もがみな涙を落とし給うのです。
まして伯父君の右大将は、
「もし太政大臣がご存命でいらしたなら、どんなにお喜びであったことか」
とおっしゃって、お泣きになります。
源氏の大臣も堪える事がおできにならず、
「子が成長していくにつれ、親は耄碌していくものだと申しますが、
今まで私は『見苦しい』と他人事のように存じておりました。
私はまだそれほどの年令ではございませんが、
それが世のならいというものなのでございましょう」
と仰せになって、涙を押し拭っていらっしゃいます。
その様子を見る大内記は内心『嬉しく面目あり』と思うのでした。
右大将が盃をお勧めになりますので、たいそう酔いしれたその顔つきは、
ひどく痩せて見えました。
大内記は大変な偏屈者で、学才のわりには世間で用いられず、
人付き合いも悪く貧乏であったのですが、源氏の大臣が『見どころのある人物』
とお認めになって特にお召し寄せになったのでした。
それで大内記は身に余るほどのご恩顧を賜ったのです。
この若君のおかげで生まれ変わったようになったことを思いますと、
まして若君が出世なさるこれから先は、並ぶ人なき世評を得ることでございましょう。