PR
カレンダー
キーワードサーチ
朧月夜の尚侍の君は、朱雀院と同じ御所に住んでいらっしゃいました。
静かに往時をお思い出しになってみますと、感慨深いことが多いのでした。
今でも然るべき折にはさりげなく、
源氏の大殿(おおいとの)に御文を差し上げていらっしゃるようなのです。
大后は、帝に奏上なさる折に、下賜される年官・年爵など何かにつけて
御心に叶わぬ時には「長生きしたばかりに、このような情けない目に会うことよ」と、
朱雀院の御代を懐かしんでは不機嫌になるのでした。
お歳を召すごとに意地悪さも一層ひどくなりますので、
朱雀院も耐え難く思召すほどでした。
ところで大学の君は、その日の詩文を見事にお作りになりまして、
進士(しんじ)におなりなされました。
帝が、長年学問を積んだ賢者たちを選ばせ給うたところ、
及第した人はこの若君を加えてわずかに三人しかいなかったのです。
秋の司召には従五位下に叙せられて、侍従におなりです。
かの姫君との恋を忘れた事はないのですが、
姫君の父・内大臣が厳しく監視していらっしゃいますので、
無理な工夫をしてまでもお逢いすることはないのです。
ただ御文だけは機会をとらえてお交わしになるという、
どちらにとってもお気の毒な間柄なのでした。
源氏の大殿は、
『どのみち静かな住いを造るなら、敷地が広く風情があり、
逢うにも困難な大井の人なども一所に住めるような邸にしたいものだ』
とお考えになり、六条京極の梅壺中宮(斎宮の女御)の古邸あたり四町を占めて
邸宅を造営なさいます。
紫の女君の父宮・式部卿の宮は、年が明けますと五十歳におなりですので、
対の上は今からその祝賀の準備をしていらっしゃいます。
源氏の大殿も『それは見過ごせぬ。できる事なら御祝賀も、新築した邸でしたいものだ』
とお思いになり、工事を急がせます。