ダイアモンド・ダスト
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田舎の農家やに引っ越しして周りからの意味不明な干渉に昨夏ちよっと閉口気味だったのだが、昨日、草取りをしているときああ!あれは、そういうことだったのかっ!!と昨夏の不快感が何を示唆していたのかを知った。【さとり】は突然降りてくる!嫌な相手が現れたときその人が自分の人生に登場した理由が何かを考えるようになったらそれまで見えなかったものが色々見えるようになってきてそれまで不快の種でしかなかった人が自分に大切なことを教えるために(時にはそれが「反面教師」という形で現れるかもしれないが)存在してくれていたのだなと感謝できるようになってきた。昨夏私を不快にさせていたことは広い敷地の草刈りについてだった。私は非建設的なことを繰り返すことに何の意味があるだろうと何ら進展が見られないどころかかえって脇枝を出させて株を頑丈にしてしまったり雑草の種まきをしているかのような上っ面を刈り取って綺麗になった「つもり」綺麗にした「つもり」という刈り払い機の使用が嫌いだ。商業的に広い農地を作付している農家の方々から見れば馬鹿げて見えるのだろうが自分が住まうだけの大して広くもない人間の手でなんとか出来そうなレベルの広さ故こつこつ人力でほじくって根っこから除去するということをやっていた。手作業が草の伸びに追いつかなくなる時だけ種の穂が出ないうちに機械を使うが基本は、抜根、移植、焼却という感じ。しかし、周りのベテランたちは根っこからほじくらなくても。。。とか機械を使え!とか自分の土地でもないのに色々干渉してくるのにはさすがにうんざりしていたのだ。しかし、それでも頑固者の私は進展性が無い繰り返しこそ馬鹿げている!その馬鹿馬鹿しさも感じず機械を使う楽に毒されてそれが正当だと思い込んでいる彼らこそ馬鹿だ!と思っていたし商業ベースの規模と庭先規模の違いも判らないのかな?と規模の違いによる作業量の差やかけられる経費の違いも考えない彼らにうんざりしていたのだ。ところで、私が以前から「消えてなくなりたい」病を持っていることは書いてあったが「幸せになる」ためには消えてなくなりたいという思いを抱くことはせっかく進んだ幸せ向けのパワーを後戻しすることにしかならない。。。ということは周りから再々言われていたことだった。が、精神的ストレスが大きかったここ数年の間にストレス耐性がレベルダウンしていて何か事があるたび消えてなくなりたいという思いがわいてくるようになっていた。実際のところ、幸せに向かって進んでいたのにまた元の木阿弥だぞ!と言われても幸せって何?それ、おいしいの?ってくらいに幸せが何を意味するのか?何をもって幸せというのかも解らないほど幸せが感じられなくなっていた私には後戻りだろうが何だろうが最初から進んだ気がしていないのだから何かがマイナスに変わるという感覚もなかった。周りがいっぱい頑張ってわたしを後押ししてくれているのが解っていてももう自分を持ち上げようと思う気になれなかったのだ。が、悟りは昨日、草取りしているときに突然下りてきた。ああ、草取りごときでさえ毎度同じことを繰り返す愚にどうして彼らは気づかないのだろう。。。と思った瞬間その言葉は自分の中に反響してああ、自分が「消えてなくなりたい」と思ったりしてせっかく前に進んだものをまた元に戻すことを繰り返していたのは刈り払い機を使って綺麗にした「つもり」になっているよりももっと愚か者だったな。。。なんたって「人生」という草刈りどころの騒ぎではないもっと重大なステージそのものを進展のないものに貶めていたのだから。。。と思った。そう思ったとたんそうか!昨年の夏、とても嫌な気持ちにさせられたあの人たちはそこに気づけよ!っていうことのために天が遣わしてくれた存在だったかもなぁ。。。って思ったよ。他人がやってる行動の愚は見えるけど同じことを自分がやっているときは気づかない。嫌なことを繰り返しやってくる人が居たらそこには何か意味がある。気づかなくてはいけない何かが秘められている。嫌なことを自分に仕掛けてくる人はその「何か」を伝えるために遣わされたのだという風に見ることを心がければ嫌な人にも後光がさして見えてくる。
Jan 22, 2016
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