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人間の子供なんかだと、一歳半検診だとか三歳児検診って言うのがあるでしょ?言語の発達状況や、身体能力、呼びかけに対する反応やおもちゃに対する反応を見たり、絵を見せたときに、それをどのように判断するか?というのを調べたりする、あれ。我が一人娘の三歳児検診。思い出すたび、子供ってのは、なんでああいうこと言うかなぁ?とか、よりによって。。。とかって思う。呼びかけに対する受け答えの反応を見ようと保健婦さんが話しかけるが、普段やかましいくらいの娘なのに、場の雰囲気がそうさせたのか?訊ねる保健婦さんに臆したのかはわからないが、俯いたまま黙っている。そこで、保健婦さんが、家族の絵が描かれている紙を持ってきて、この人は誰?とか訊ねるがだんまりの娘は相変わらず俯いて回答を拒否。次に保健婦さんが娘に示した絵は、食卓の上に食器がセットされているこれから食事の時間ですよ~な絵だった。その絵の中のひとつ、茶碗を指差し、保健婦さんは、だんまりの娘に、これは、な~に? ・ ・ ・娘は、応えない。保健婦さん、娘から、反応を引き出そうと、ほら、○○ちゃん、ご飯を食べるときに○○ちゃんも使っているでしょう?これ、なにかなぁ?解る?小首を傾げて、優しく訊ねる保健婦さんに、初めて娘はうん、解るよ。。。と初めて口を開いた。が、しかし、ここですんなり答えを発するような娘ではなかった。解るよのその後に、その品物の名まえは、続いて口を出ては来なかった。保健婦さん、なんとか答えさせようとして、さらに続ける。ほら○○ちゃんちでもこれでご飯を食べるでしょう?保健婦さんの更なる問いかけにそれまで俯いてばかりいた娘、やおら顔を上げてニッコリしたかと思ったら、うん、どんぶりっ!自信たっぷり、おもいっきし、どんぶりとか言いやがった!うちは、どんぶりメシかよ!?テーブル三つ並べて行なわれていた三歳児検診。他の二つのテーブルでやっていた保健婦さんと母子だけじゃなく、テーブルの後ろで順番待ちしていたお母さん達までその部屋に居た大人と言う大人が一斉に爆笑だよ!なんたって、保健婦さんの問いかけにだんまり決め込んで保健婦さんを困らせていた子供だもの。他のお母さんも他の保健婦さんも、見るとはなしに注目していたのさ。そこにいきなり『どんぶり!』だもの。顔から火が出るほど恥ずかしかった思い出さ。
Jan 31, 2008
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。。。って、友人が言った。なんのこと?。。。ってこれ↓飼い主が、その子を撫でると、飼い主の腕の中からすり抜けるために、いきなりドタンと倒れて死んだフリをして、触られる事を拒否していました。普通だったら、それくらい触られる事が嫌だったら牙を行使するだろうに、そうしないのは、人間には絶対に歯を当ててはいけないということが刷り込まれていた子だったからですね。私は、この光景を見たとき、なんて律儀で、なんて哀れなんだろうと思ったのだけど、その様子を友人に話したときの友人の反応は、勝手に他人の犬を撫でる迷惑な人が多いから、撫でられたら、バタンッ!と倒れて死んだふりするって犬に教えとくと、勝手に撫でた人は、自分が撫でた途端、犬が死んじゃったってのに驚いて、他人の犬に勝手に触らなく成るんじゃない?って言うのね。曲芸だからね、教えれば教えられるけど、それってなんかさ~。。。
Jan 31, 2008
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アレスに関して言えば、見た目の大きさに対して、頭の中の鷹揚さが欠けている。。。理解力がないとか、回りで生じる刺激に対して無条件に受けいれる柔軟さが欠けているのだなと感じる。極々幼い時期に、負荷が無く暮してしまうとそういうことになりやすい。前に、グリペンを引き取りに伺った時だったか、ブリーダーさんの所に居た子犬にこちらで勝手に、稲妻君とかって名前をつけて呼んでいた子が居た。その子だけ、別にして置かれていたんだよね。で、その時、ブリーダーさんは、精神発達が遅い子だから、刺激が必要なため、そのように離してあるのだとおっしゃって、人間が強く関われる場所に連れて来て過ごさせていた。そういう配慮が必要なんだよね。おっとりしているからそれでいいってもんじゃあなくて、精神活動が活発なはずの時期におっとりしているというのは正しい発達をしていないんだということを認識しなくてはいけないんだと思う。人間の子供なんかだと、一歳半検診って言うのがあるでしょ?言語の発達状況や、身体能力、呼びかけに対する反応を見たり、絵を見せたときに、それをどのように判断するか?というのを調べたりする、あれ。犬の場合にも、やはり、社会化期だとか、臨界期だとか、刷り込み期という言い方をするけれど、それぞれの発達段階で、体得しなくてはいけない事って言うのがあって、子犬というのは生後二ヶ月までの間にかなりの情報を必要としているんだと思う。そこで必要な刺激が与えられず、不必要な刺激が与えられていたりすると、後々厄介ごとが増えるって言う事だよ。私なども、リズのときにはそこらへんの必要なことと不必要な事の具体的な内容がよく解っていなかったのと、最初の子犬の性格診断による見誤りがあったということが問題を大きくしてしまったわけなんだけど、そういうのって、やっぱり数こなしてみて初めて理解できる事柄だったりする。だからね、繁殖がし難いような社会情勢になりつつある現在、犬に関する知識と言うのはどんどん後退していくんだろうなって思ったりする。
Jan 31, 2008
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とりあえず、アレスは、昨年に比べると数段向上したなと言うのは感じられる。。。が、他の子達のレベルに比べると、まだまだだなというのが、今日、例の猟犬訓練の本で得た小手先の業をアレスに行なったときと同様にヤマトで試してみてはっきり見えた気がした。ヤマトだと、ヒャン!とちょっと驚いて、反射的に口を使いそうな感じで顔をこちらの手に一瞬向けはしたけれど、それもほんの一瞬の事で、自分で、ああ、これはなんでもないことだし、口使っちゃあいけないんだよねと自分で気づいて顔を正面に向き直した。うちでは、てんでなっちゃない状態(作っていないのだから、なっちゃないのは当たり前)のヤマトでさえ、驚いて「ヒャン!」の一声で済んだというのに、アレスのときなんてギャンギャンギャンギャン吠えまくった挙句こちらの手に歯を立てようとしていたくらいだからね、この差は大きいです!で、こういうことと言うのは、自分で身震いしておきながら、それでリードで不本意な制約を受けるとさも誰かに何かされてでもいるかのような嘘鳴きの大げさな悲鳴を上げるという部分にとてもその本性が現れていると思うんだな。基本、人間が嫌いなんだよね。信用していないとか、拘束されることがご不満だったりするわけよ。もちろん、ボーダーとオゥシーの理解力の違いってのはあるとは思うよ。だけど、反応の殆どは、犬種の差と言うより最初の人間不信、人間嫌い、生意気さの問題であって、個体の違いとしかいえない。何故なら、他のオゥシーに試してもそうはならないからさ。
Jan 31, 2008
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昨夜一晩外で過ごしたアレス。昨日、夕方から犬達を運動のために外に出していたときに、アレスの顔が、とても穏やかで優しい目をしているようになったなと感じていた。以前だと、外に出しっぱなしにしていると、野生動物だの、猫だのに反応して、偉そう吠えをしたりするため、夜間に出しっぱなしにしておく事が憚られたし、何より、そうした状態を放置する事は絶対本人の状態を悪化させるだけだというのがあって、外に置き続けるわけには行かない部分があった。昨夏、猛暑にあっても、それまでのような酷い掻き毟りをしなくなっていた事で、成長段階の体温の高さだとか、興奮による皮脂分泌の過剰状態などが緩和してきたのだなと言うのは解っていたが、ケージの中で夜中にときどき何かに警戒して、威嚇吠えをしようとする状況がまだあったりしていた。そんなだったから、完全に、芯が落ち着いているというわけではないなと思っていたのだけれど、今年に入り、そうしたケージの中での(安全圏ゆえの強気吠え)おかしな警戒吠えもなりを潜め始めていた。係留中、野生動物に対して、動きが活発になることはあるけれど、それが吠えには繋がらないところを見れば、芯の興奮や、生意気がなくなってきたのだなと言うのが解る。昨夕、顔が穏やかではあるけれど、高鼻使いは結構頻繁で、そういう部分では、まだまだではあるんだけど、此処最近の激的な変化は、きっと、あの、猟犬訓練の本に載っていた事を一度だけ試したことから始まっているのだと思う。我家にやって来た当初呼びつけのギャウギャウ犬だったことで、こいつは吠えて人に命令する事をたった生後二ヶ月の身でありながら既に覚えてしまっている生意気仔犬かよと思ったし、その段階で身につけてしまった悪癖というのは刷り込みの時期であっただけにとても根が深いところに刷り込まれている部分があるため非常に厄介だなと感じていた。それは、本当に、予想通りであって、意識の奥深いところに根ざしてしまった興奮や緊張を取り去るというのは脳の一部分を修正するようなもので、普通に言うところの犬の直しとは桁外れの大変さが含まれているわけでやっていても効果があるのかないのか解らないほどの微々たる進歩でしかなかったりする。それでも、粘り続けていれば、ちゃんと、昨夕のような冷静で穏やかな品の在る顔に成れるものなんだなと結果が物語ってくれるし、一晩外で過ごさせてみて、問題が無く終わったことについて継続する事の効果、粘り続ける事の重要性を強く感じた朝だった。でもね、臨界期の破壊と言うのは、とんでもない罪作りだという事実は変らない。多くの人は、そういう仔犬を手にすると、運動によってストレスを解放する形で収まりつけるしかなかったりする。しかし、一時難を逃れたかのように見えるそうした収め方が、後々理解力を開発しなかったツケがドカンと回ってくる事に気づいていないというだけで、そうした問題がクローズアップしてくるのが、介護が必要になる高齢犬となったときなんだって事は知る由もない。もっとも、そういう犬は老いるのが早い分、寿命も短かったり、ガンなんかで亡くなったりする部分があるから、そこまで心配する必要もないのかも知れないけどさ。とりあえず、我家のアレスは、やっと精神状態がまともになってきたかなっていうところで、『愛犬』の仲間入りが出来たかって所だ。繁殖者が入れ込んでいた子ほど、それによって問題が含まれている可能性は高いっていう部分は、海外のブリーダーでもありがちだし、それは、他人事ではなくて、かつての自分がリズに対してやっていた事でもある。また、以前ピレのブリーダーから入手した仔犬でも、そのブリーダーが、手元に残そうと思っていたほど骨量がある子だったことで、その仔犬も、生後52日の段階で壊れてしまっていたから、やっぱり、繁殖者が入れ込んでいる子というのは危険が含まれていると思っていたほうが正解なのかもしれない。それは、初回の繁殖だったりすると余計にそういう危険は高いのだろうな。それでも、最終的に、ちゃんと治まりつけられたというところで、アレスに強い想いを持っていらっしゃった彼をこの世に生み出した繁殖者の方への義理は、飼い主として半分は果たせたと思うし、今後、アレスが我家でまともな活躍をしてくれるようになれば、その方も、我家に譲渡したことを苦々しく感じていた事も結果、良かったと感じてくれる事だろうと思う。なんにしても、今回、こうした結果をもたらしてくれたのは例の猟犬訓練の本のおかげで、最終的な一歩の決め手が無く、これまで見送っていたアレスについて、そこを踏み込んでいけた陰には、あの本のおかげなくしてはなしえなかったわけで、私としても、1つ勉強になったなと思うんだな。。。で、面白いのは、あの本の中に出ている内容と言うのが、そうした意味合いが在る行為だとはしらずにこれまで何気なくやっていたことというのが沢山あって、ああ、きっと、普通の飼い主さんだと、こういうことをやらないから犬のテンションが知らずと上がってしまう形になるのだろうなと思ったりした。今回、アレスに試したことは、以前、グリペンやルガー、ヴァルキリー、アテナに対して別の目的で試していたことだった。意図していなかったというだけで、別の目的のために自然とそうした行為が施されていたわけだ。今後は、そこに含まれる意味合いがわかったことで、もっと計画的な使い方が出来るなと思っている。
Jan 31, 2008
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零時 8度3時 6度6時 5度な~んだ、明日は結構あったかいんじゃん♪心配して損した。なら、暑がりのあいつは外だ。
Jan 30, 2008
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水面下でごそごそ密かに活動する。
Jan 30, 2008
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この犬種は、可愛い可愛いだけやっていたのでは飼いきれなくなる。。。と言う人たちが、可愛い可愛いだけしかやらない人たち同士で集っていたりする。なんなんだろう???
Jan 30, 2008
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昨日は悪天候のため早仕舞い。で、『ペイチェック』を観ていた。以前は、音量が高くなるシーンでビビッテいたアクセルも、テレビの前のハウス内で、寝言や鼾をかいて寝ていられるようになったのには驚いている。この、ペイチェック、未来が見えたら、それはもう未来ではないなんていう結構聴かせる台詞があったりする。確かにねぇ、ふむふむ。。。未来は見えないから、希望や可能性を感じていられるんだよね~。そこに行き着いた段階では失望や挫折であったとしてもさ、見えていない現段階では、希望や可能性と捉えていられるわけだよね。だから、未来に向って努力するわけさ。
Jan 30, 2008
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リンク先『水月』にある☆○泥棒 の記事中の此処↓犬も飼い主が嫌でも、態度で示してくるうちはまだ更生の見込みがあるのだろうか。本当に一刻も早く飼い主との縁を切りたいと思っている犬なら飼い主には意思表示すらせずに内にこもったりチャンスが、あり次第何のまえぶれもなく、目の前から消えていくのかな。犬が態度で嫌悪感を示していたり抵抗を示しているうちは、まだ、犬の意識の中に飼い主の姿はたとえ悪い意味であっても存在しているわけだよね。でも、それが、限度を越えると、犬だって、見たくないものを意識から排除するように変ってしまう。飼い主「見限られ状態」というやつだ。そうなると、もう、犬は、飼い主がどれほどあがいてもなかなか飼い主の存在を見つめてこようとしなくなるから厄介。で、そういう状況と言うのは、『飼い殺し』状態によって出来上がるわけだけど、この『飼い殺し』とは、別に、餌・水だのを最低限しか与えないという事ではなくて、『犬の気持を考えてあげない暮らし』ということだ。犬の不安・不満・恐怖といった負の感情を排除してあげる関わりをしてあげないというだけでなく楽しみ・達成感・一体感というそういう、高等生物が生きていくのに必要とされる正の感情を持てる暮らし方をさせてあげないという事だったりする。犬も、生きる屍状態だとか、奴隷のように心を踏みにじられる暮らしにはどこかでケリをつけようと試みる。突然脱走してしまったり、もっと酷い場合には、心的ストレスが高じてポックリあの世に行くことで楽になれるという具合になることもあったりする。人間は、そういうことを犬が行なうっては知らないよね。でも、そういう犬、居たんだよ。悲しい事だけど。。。世間は、センターで処分される犬を可哀想だと哀れむけどね、私からすると、飼い主が居ながら、死んでいく方が楽だったという犬の方がよっぽど哀れだと思う。
Jan 29, 2008
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最近、メジロの風体に似て、非なる鳥を杉林跡地でよく見かけるようになった。わき腹の褐色部分が可愛らしいので、何と言う鳥かなぁと思っていたが、もしかして、これ?と思われる画像に出会った。http://yachouzukan.at.webry.info/200712/article_9.htmlルリビタキと言う鳥のメスらしいのだけど、そんな鳥、此処に来るのか???ちなみにオスは、こんな、鮮やかさん♪http://www.tbs.co.jp/seibutsu/zukan/bird/htmls/bird_46.htmlもしも、今ちょくちょく見かけるのがこの、ルリビタキのメスならば、オスを是非見てみたいものです。
Jan 29, 2008
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傷の痛みは無くなりつつある。。。が、問題は関節だ!昨日、フードの買出しに出かけ、18kg袋をあっちにやったり、こっちにやったりと傷の痛みがなくなりつつあった右手の親指を使うまでは行かずとも添える程度には使ってそれらを移動させていたら、今日は、指の関節が病んでいる。ピカソを排泄に連れ出す際、リードが親指に絡まっていたのに気づかず僅かに親指がリードで引かれてしまった。。。ら、関節の痛みで、脂汗が滲み出てきたョ!汗・汗やくざのリンチか戦時中の拷問か?ってな感じ。この関節の痛みがとれるのには、結構長くかかりそうな予感。憂鬱・・・特に、犬を扱うには、右手の親指ってのはリードの持ち手を引っ掛けるのに一番使用頻度、かかる力。。。共に大きいわけだから、こいつは完全に治しておかないと駄目な場所だよね。下手に中途半端に治った状態で使い始めると後で問題が発生するというのは右手の手首や左足首を負傷したときに経験済み。添え木でもして、感知するまで庇っておくかな?
Jan 29, 2008
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良い犬・悪い犬の画像をご要望の方にお答えするべくそれぞれを集めてみた。その方は、犬のことへの理解がかなり進んでいらっしゃるから、この違いははっきり解るだろうというので、その方だけにお送りした。犬への理解が進んでいる方でないと、悪犬画像でピックアップした犬達の悪口を言っているように誤解されてしまうからね。これまでは、こういう犬は駄目だなと解っていても、一同にそれらを集めるという事はしてこなかった。が、此処に来て、そうした画像を別々に集め、それらを左右に並べて比較対照とするとその違いを強く感じる。悪犬達の方は、憤怒や苛立ち、不安、興奮が酷かったり、逃避或いは、頭の中が空っぽで、動物でしかない。悪く言ってしまうと、精神的に『おかしい』状況にあるというのが解り易い。それは、飼い主の内面を反映しているものにだけに、彼等は犠牲者だなと思って見てしまう。一方、良い犬画像の犬達は、力が抜けて楽な状態にありながら不思議な活力を感じさせる。いわゆる『覇気』があるという状態。リラックスしているのが解るのに、活き活きとしている。この犬達、普段はゆったりと落ち着いた動きをしていながら、活動的な場面に変ったら、そこらの犬達よりもずっと活発に動くだろうなと言うのが解る。普段ゆったりしているから、活動的な場面でも発揮できないという風に考えるのは犬を知らない人たちで、そういう人たちと言うのは、普段ガチャガチャと興奮状態にある犬を良い犬と勘違いする。が、理屈コネまくっている頭でっかちさんたちには、そのような考え方をしている人たちが実に多い。我が侭さが無い犬だと、普段の行動をしっかり抑える訓練を施されていても、犬の中に流れている犬種の性質は捻じ曲げられないから、奥底には、ちゃんといつでも犬種の良い部分が生きている。しかし、理屈コネマクリの頭でっかちさんたちの場合、犬が非常に我が侭だったりするから、普段の行動を抑えられると、奥底の犬種の特徴も捻じ曲げられてしまうからだ。結局、自分たちがかかわっている犬がわがままなんだよと言うことに気づけていないと、普段の行動を「抑える」訓練に対して嫌悪感を抱くことになりやすい。だから、理屈先行の肯定強化に走りやすいのだしね。これまでも、理屈先行の人たちの犬というのが、野生で野蛮な内面を持っている、一見良い子でしかないというのはいろんな躾教室で感じていたけれど、今回画像を見比べてみて、そこら辺のことを強く感じるようになった。だって、一見落ち着いてそうに飼い主は思っているみたいなんだけどね、犬達は、苦しそうに喘いで呼吸をしているって言うのが画像にはとてもよく出ているんだよね。それでも、普段関わっている飼い主なのに、そこが見えないって言うのはさ、一体いつもどこ見て接しているんだろうか?って不思議に思う。喘いでいる顔も「生き生きとした笑顔」って思っちゃってんだよね。それは自分の「希望的観測」、或いは「願望」って言うんだけどね。
Jan 28, 2008
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苦しい思い見たくないもの認めたくないことそういう全てのものから逃げない事。意識から切り離して、蓋をしないこと。粘って粘って粘り続けていると、どこからか、フワッと答えが降りてくる貴重な瞬間に出会えることがある。
Jan 26, 2008
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犬はね 大抵の場合、我慢できないんじゃなくて我慢する気が無いだけなんだよね。でも、人間は、それを我慢できないんだと思い込む。ああ、これって、犬に限った事ではないね。人間もだ。頑張れば可能な能力を持つ相手に、貴方は出来るはずだからと進言しても、私には無理です、出来ませんと最初から頑張る努力(我慢だよね)をすることをせずに言い切る人ってのが居る。頑張れないんじゃないし、出来る能力が無いのでもなくて、頑張る努力をしたくないだけ。辛いのを我慢したくないっていうだけ。相手の言葉を信じることが出来て、自分が這い上がっていきたい気持が強ければ、示されたことに対しては積極的にじゃあ、試しにやってみようかと言う気持に成れる筈なんだけどね、相手の言葉を信じられなかったり、現状にとどまっている楽を選択するような心根の持ち主だと、到底そういう具合にはなっていかない。現状にとどまっていたいのなら、最初から、自分は変りたいんだなんていうそぶりをしなければ良いのに、そういう人は他人の同情心にもたれかかって話題の中心で居たいという心理があるから、いかにも頑張ってますというジェスチャアをする。でも、本当に頑張っていれば、ちゃんと結果は現れて、自分の可能性というものを実感できているはずなんだな。そういう人は、相手が、「自分は変りたい」という言葉を信じて、良い方向に向って行ける様にという思いからその人が、少なからず努力を必要とする内容を示したとすると、当人にとってそれは、相手の言葉が自分にとって辛いものになってしまうわけだ。本人、さほど変りたいとは思っていなかったり、相手の言葉を信じていないといった素地があると努力を強いられる内容に拒絶が強くなる。それは最初から、相手のことを信用していないというのが根底にあるからだね。今話題になっているこれ↓http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080125-00000004-jct-soci望まれていないカウンセリングか、望まれているカウンセリングかと言う問題はとても大きいと思う。カウンセリングを望んでいた相手の場合にはたとえ本人にとって口辛く聞こえる内容であっても、それをあえて発する側の真意と言うのは汲み取ってくれるものだけど、カウンセリングを望んでもいない人が相手だと、当人にとって口辛く聞こえる内容は、ただの意地悪だとか害の在る言葉にしか聞こえない。発する側にいくら愛が込められていたとしてもね。だから、自分を信じてもいない相手には当人にとって厳しく感じられる話と言うのはしないに限る。したところで、相手はそれを生かすはずないし、こちらが恨まれるだけで終るだけだからさ。だから、そういう人は放っておくに限るのだなというのが、ここ数年で体感している事。相手の言葉を信じられる人は、ちゃんと進歩しているからさ。
Jan 26, 2008
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先住犬が居るところに後続の仔犬を育てていると、後から来た子と言うのは、先住犬のやることを見て覚えるという利点がある。が、ここに大きな落とし穴があって、見て覚えたものは、あくまでも「真似ている」だけであるという事が見落とされがちで在る。先住犬が、その行動を取るようになったのは、真似たわけではなくて、自分の頭で考えた結果、そこに至ったわけなのだけれど、後から来た仔犬は、自分の頭を使って、理解したり思考したわけではなく、ただ何気なく、こうするものなんだなと体得しただけなのだ。日々、そうした模倣によって物事が片付いていってしまうものだから、飼い主としては、先住の犬におかしな悪癖が無ければ、新参者の教育を先住犬にお任せと言うことに成りやすい。飼い主としては、自分が一つ一つ教えていくよりも断然楽だからね。言ってみれば、教育を手抜きするわけさ。そのツケが後になって倍になって返って来ることを知らないから。。。が、日々、模倣だけで、自分の頭を使う習慣が無く大きくなってしまうと、自分の力で問題を解決する能力というものが育たない。結果、先住犬と離されたときにどう振舞って良いのかがわからなくなりパニックに陥りやすくなる。真似る相手が、いつの間にか、依存対象に変っていたりするんだな。そうした危険を回避するためには、先住犬にまかせっきりにするのではなくて、飼い主と一対一の関係を何処かでしっかり培っておく事が大切なのだけど、多頭飼育の場合、そこが疎かになりやすい。新参者の思考力・理解力を向上させることを意識的に行なっていないと、後から、それを伸ばそうと思っても、そうしたことと言うのは、仔犬期に伸ばしておかないと後から追いつかせるのには大変な苦労となる。が、仔犬の可愛さだとか、犬同士の絡みの愉しさだとかに、ついそのことを忘れがちで、大抵は、新参者の仔犬を、1頭連れと言う形で外に連れ出す相当遅い時期になってから、ハタと気づくというパターンが多かったりする。その頃には、仔犬はすっかり、先住犬に依存してしまっていて、外の世界が恐怖でしかなくなっていたりする。
Jan 25, 2008
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「男」として生きていたり「女」として生きていると、物事がとても歪んだ形となりやすい。基準が既にずれたところに設定されているからだなと思う。「人」としてどうだろう?そこに基準を置いて考えると、考え方は随分違うものになると思うんだけどね、みんな、「女」として生きてたり、「男」として生きているよねって思うこと多々。男の子は滅多やたらと弱音を吐いたり、泣いたりするもんじゃないとか、女の子なんだから、そんなはしたない事はしちゃ駄目とか、男は女を守るものだとか、女はいつでも身奇麗にしてろとかそういう風に育てられてしまうと、男は、自分の弱さを受け入れられなくなってその歪のはけ口に犬を慰み者にし易くなるし、女は、いつも、誰かに寄生虫のごとく依存し、自立しない(出来ない)飼い主になり、自己責任を負えない人間に成る。その結果、現在の自分が前向きでないというだけの単純な事実を過去の出来事だののせいにしてみたりと言い訳を考え出す名人に育つ。男はこうあるべきだの女はこういうものと言う風な狭い範疇で物を考えがちな了見の小さい人間が子育てすると、育てられた方の器が小さく出来上がるのは当たり前。。。てか?
Jan 24, 2008
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昨日は穏やかに晴だったから、久しぶりに半日以上犬達を外に出してあげる事が出来た。もちろん、彼等は元気一杯で、活発に動いていた。今日は、生憎明け方からこっち、雨。今も雨。昨日、アレだけ解放されていた犬達だから、生意気な犬達だったら、今日ハウスの中だけの生活に、ブーたれていたっておかしくない。けれども、排泄が一通り終って、みんなを見回すと、すんごいお寛ぎモードで横になっている。雨だから、気候からだるさもあるとは思うけど、昔、素人時代のヨーキーなんてそんなことはお構いナシで、サークルから出せ!出せ!と騒いでいたよな~と、改めて、今の連中が都度、与えられた環境の中で充分納得していてくれるのが、今では当たり前のように思ってしまっているけれど、それは決して当たり前のことではないんだよなと感心する。自分なんか、ちょっと楽になったりする事があると、次からその楽が基準に摩り替わっていたりする。彼等は、基準が摩り替わるという事が無い。そりゃあ、他所の家に暮らすようになれば、きっと昔のヨーキーのようにどんどん基準はエスカレートしていくのだろうけどね。今、ここに居る限りは与えられた環境で足ることを知っている。これって、見習うべき事だよなぁと感じる朝だった。
Jan 23, 2008
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http://www.sheep.jp/v_about.htmlからhttp://sheepfarm.exblog.jp/6215836/こんなところを見たりしています。リアルだ。
Jan 22, 2008
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排泄の帰り道、ズン!ズン!ズン!ズ・ズン!と口でリズムを刻みながら大きく一歩一歩の幅を取り口から出るリズムに脚の動きをあわせる。それだけで、横に居るツェッペリンは、なに?なに?なにが始まるの?おかあさん♪という期待のまなざしでこちらを見上げながらズン!ズン!ズン!ズ・ズン!のリズムに合わせて動く。ご期待に応えるべく、次のズン!ズン!の後の『ズ・ズン!』を『ズ・ズ~ン!』に変えて跳躍すると、何の打ち合わせも練習も無いアドリブなのに、『ズ・ズ~ン!』の声と同時に、ツェッペリンも飛び上がる。飛び上がる。。。と言うよりは、無意識に飛んでしまうのだろうな。。。こちらの「気」に触発されて。^^たったそれだけの一体感なんだけど、この僅か一回の跳躍による一体感が、負傷と悪天候によって遊んであげられなくなっている彼等には、ずっとケージの中に居る退屈を補うだけの喜びに換わって満足してくれているわけで、そのときの嬉しそうな顔がたまらなく可愛いんだ♪排泄の帰り道。ハウスまでの間の出来事なんだけどね。ドッグダンスなんかやったことの無い連中だけどさ、一緒に呼吸があってこちらが刻むリズムに動きを合わせて動きながら、期待一杯の顔している彼等がほんと可愛い♪って思う。たった一回の跳躍で、後は満足しきった顔してハウスに戻っていくよ。一体感と心が動く感動があれば健康維持と言う筋肉的なことは別にして犬というのはたかがこれくらいのことでも喜びと満足を得られるものなんだよね。なのに、みんな、一体何をやっているんだろう?何か、勘違いしているよなって思う。
Jan 21, 2008
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里親募集の条件として、自分が飼い続けていられなくなったときのために「フォスターファミリーを決めておいてください」という項目があったりする。あれを見るたび、ふ~ん、自分の代替えが簡単に出来る程度の飼い方しかしないような人に里子に出すんだ~?って思うのさ。飼い主として、自分が、いつでも精一杯の飼い方をしていたのだったら、代替えの飼い主なんて、そうそう存在しないんじゃね?誰でも代わりが勤まってしまう程度の飼い方で良い訳ね。。。ふ~ん。。。
Jan 13, 2008
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昔はね、成犬だからといって懐かないなんてことは無いって。。。そんな風に思っていた。それはね、保護犬たちが、最初は酷い人間不信だったのが、徐々に心を開いていった事からそう思ったんだ。だから、飼育放棄された子が仔犬でなくても、高齢の犬であっても、躾け直しは可能だし、里親を探すことは無意味じゃないって思ったものだった。でもね、今は、そういう風には思わなくなった。保護犬たちの心が開いていったのは、以前の飼い主がその子達にとってくだらない飼い主だったからさ。素敵な飼い主だったら、その子達にとって、魅力ある飼い主だったら、きっと、あの子達は、何時までも、元飼い主が迎えに来てくれる事を待っていて、こちらに心を開く事にはならなかっただろうなって思う。くだらない飼い方をしていた人たちだったから、簡単に飼育を放棄したり捨てられるんだと思う。捨てられるほど程度の悪さが染み付いている子を再教育できる素人さんていうのはそんなに多くない。程度の悪い犬を、苦労に耐えてとか、厄介者に我慢して飼い続ける里親さんを想像したり、何時までも、頭が狂ったまま、恐怖の世界で怯えて暮らし続ける犬達。そういうのって、果たして意味があるんだろうか?そういう程度の悪い犬であっても、直す必要も感じない元飼い主以下の感覚の里親の手に渡って、里親さんは、この子に出会えて幸せだと思っていても、犬にしてみたら、あのくだらない飼い主の下からやっと離れられたと思ったのに、今度は、アレよりもっと酷いところに連れてこられちまった!ってノイローゼ状態で暮らすわけよね。それとか、犬がまともな子だった場合には、何時までも元飼い主を思い続けていたり、まともな子が、鈍い里親の下に譲渡された場合には、理解力があるだけに、何ナノこれ?って戸惑うことばかりで、やっぱり頭が狂ってしまう事になるっていうのを保護団体なんかの里親募集画像を当初から流れで見ていたりすると、そこら辺のことが見えちゃったりする。そんなことを考えるとね、昔、成犬であっても、充分里親宅に馴染めるって思っていたのは、くだらない飼い主に飼われていた犬がまともな里親の下に出たという場合だとか、まともな子が、まともな家に行った場合だけなんだっていうかなり限定されたケースでしか成り立たない事なんだよねって訂正するべきだって今は思っている。だから、里親探しって言うのは、ただ、犬を飼いたいと言う人と、飼い主の居ない犬がめぐり合えば良いって言うことではなくて、もっと、ずっと、確率の低い出会いに期待する形のものでしかないんじゃないの?って思うようになったよ。実際のところ、周りを見回してみたって、ちゃんと理解されて飼われている犬なんてのは皆無だし(←自分のところを含めてね)、そんなことを考えたら、『信じていた飼い主から見捨てられたり、裏切られた、可哀想な犬達』というフレーズに関していうと、最初から信頼関係なんて成立していなかったでしょ?って思うし、そういう意味では、可哀想な犬なんてのは犬の大半が可哀想な犬なのであって、どこかに貰われたからと言って幸せになれるということではなくて、下らない人間から離れていられたつかの間の平和がまた、失われる形でしかないって事だよなって。。。元飼い主が、その子にとって、何時までも思慕の念を捨てられないくらいに魅力のある飼い主だったら、早い時期に、虹の橋で再開させてあげた方が幸せなんじゃないの~?って思うわけ。虹の橋と言う話が実際の所どうなのよって言う話は別としてもね。。。だって、何時までも、元飼い主が迎えに来てくれるのを待ち続けて周りの世界に馴染めないってのは、それこそ「可哀想」な事ではないの?ってなことをね、以前から思っていたところに年明けアメリカンドリームを読んで、やっぱ、そうだよねぇ。。。って思ったわけ。そういうの、切な過ぎるでしょ?!で、西山ゆう子Drは、もっと早くに安楽死してあげるべきだったんじゃね?って思うよ。Dr.西山の決断力の無さがムカツク下らない本だったけどね、巻末の「安楽死」の手段の説明は素人にはなかなかお目にかかれない貴重な?資料ではないかな?
Jan 13, 2008
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人間というのは、思い込みの激しい生き物だなぁといつも感じる。犬は犬同士で過ごす事が愉しいものと思い込んでいる。逆に、人間は、人間同士が愉しいか?と考えてみれば良いのにね。同種の生き物の中では、案外相手に気を使ったりして疲れるものなんだぜ!飼い主は、自分のことを良く見てくれたり、気遣ってくれるくれるけど、犬はそんな気遣いなんてのは、殆ど無い。それぞれが、勝手に振舞ったりするわけだからさ、結構、周りに対して神経使うんだってことがなんで解らないんだろう。会社や家族の中で、自分は、気を使ったりしていないんだろうか?おなじ気を使ってあげるのであっても、人間同士の場合には、使ってあげるんじゃなくて、使わざるを得ないって感じでしょ?でも、相手が犬の場合には、使ってあげる。。。って、余裕があるでしょ?それは、犬同士であっても同じなんだよね。
Jan 6, 2008
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