2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全8件 (8件中 1-8件目)
1
母が診察を受けてそのまま入院となったとき、どうしようと思ったのは・・・父への報告。いつも隣りに寝ている人がいなくなれば認知症の父とはいえ嫌でも分かる。ディーサービスから帰ってきた父。「おかえりぃ~ あのね・・・婆ちゃんなんだけど・・・・ ちょっと入院することになったんだよ。」驚いている父。「どうして・・・?」「ほら・・・ずっと、熱出てたじゃない?だから・・・」「ほう・・・」母がいなくなると元気がなくなるのだ。また寂しそうな父をみるのがつらい。昨日、父は食事をあまりとれなかった。いつも残すことはない。半分も食べていない。ちょっとおかしいなぁ・・・父の食欲をみては母はいつもげんなりしていた。自分は食べられないのに、なんでこんなに動かない人が食べられるのかと・・・「考えられないよっ!」吐き捨ているように言っていた母。私にはあなたのデリカシーのない発言が考えられない。父は必死で食べていたのだと思う。食べないと動けなくなると思って、口に合わなくても文句ひとつ言わず・・・「いただきます・・」「ごちそうさま・・」娘の私に会釈をして必ず・・・そんな父が可愛くてたまらない。私がそう思う気持ちが母にはおもしろくないのであろう。父が来て1ヶ月と3週間。父のトイレの度に後をついていく。夜中、多いときは5,6回。それが苦痛かと言えば、そうでもない。自然と目が開くのである。たしかに私自身も熟睡はできていない。その分、昼間に寝ていることもあった。父と母も寝ているし・・・介護とまではいっていないような気がする。トイレに行ってたもんな、ふたりとも。だが、母が入院をしてからのこの数日。父の中で何かがかわった。父も無理してがんばっていたのだ。隣で、「あれして、これして・・・」そう言っている母に「子どもの家に来て、十分な事を言うな・・・」そう言っていたこともあった。いつも遠慮していたのだ、父は・・・「爺ちゃん、何が食べたい?わがまま言っていいんだよ!」「わがまま・・・なんて・・・言う資格がない。」そんなことを言う。どこまでもこの人は・・・・「ごめんねぇ・・・ 子ども達もうるさいし、ほんとはうちに帰りたいよね・・・?!」「子どもの声は・・・ うるさくなんてない。こどもは大事だ・・・」そう言ってくれることが嬉しい。父は実家に帰りたかった。毎日のように言っていたこともあった。「もう随分長いこと世話になった・・・そろそろ帰ろうと思う。」来て3日目くらいから・・・(≧∇≦)それが母が具合がかんばしくなくなって母が「帰って草むしりする!」なんて言うと父はだまるようになった。どこまで空気を読んでいるのかと思う。対照的すぎるふたり。「婆は病院に長くいないと思う・・・」「えっ?!なんで?」一瞬ぎょっとした。「事故にあったわけでもないから、すぐに帰るだろう。」ああ~、そういうことか・・・びっくりした。でも、この言葉の意味・・・・父って鋭い人だからなぁ・・・潜在意識が言わせてるんじゃないのか・・・そして父も何となく準備を始めているのではないだろうか。「寂しい?」きくと「うん。」そう答える父が可愛い。「あんなに恐い顔して怒る婆ちゃんのどこがいいの?」「・・・コンビだから。」(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!夫婦ではなくコンビなのか・・・涙が出そうになる。ふたりとも・・・苦しまないでね。あんまり、がんばらないでね・・・そう思いながら弱っていく二人を見ていくのがつらい。これを越えないと楽にはならないのだから・・・その時・・・・もうすぐそこまできているのかもしれない。
2009年03月28日
コメント(2)
母が入院して3日目。昨日はまた子ども達に在宅療養している父をみてもらって、病院に向かった。病院までは車で10分。母はどんな様子だろうか・・・点滴を受けていた。家にいた頃よりは顔色も良かった。病院にいれば安心なのだと思う。「どう・・?」「ここはいい・・・・ しずかで・・・ 狭いところに、子ども達もうるさくて・・・・ 静かにひとりでいたかった・・・ 朝から晩まで・・・ 本当にうるさくて、もう帰りたくない。」そこまで言う?!確かに家は狭いよ・・・子ども達だって、けんかもしたけど・・・本当に、そんな嫌なことだけだったの・・・・?!私たちが良かろうと思って母を病院から呼び寄せたことは母を苦しめるだけのことだったのか・・・・悲しいを通り越して、少し母が憎いと思えた。私はいいよ。娘だから・・・だけど夫は婿養子だ。最初の母の入院をきっかけに実家で療養していた父を呼び寄せた。それだけでも夫には申し訳ないと思った。母だって、もう病院はこりごりだと言っていた。結局母は常に現状に満足できない人なのだ。人間、どっかの時点で気がつくと思うのだが・・・もともと人も気持ちを思いやることができなかった母。末期の癌では人を思いやる気持ちなどもてるはずもないか・・・でも、これで実家で父と過ごした日々はどんなに幸せだったかわかったのではないか?いや、もうそんな余裕もないか・・・私がいる間、ずっとこの1ヶ月ちょっとの生活のつらかったことを話した。「お願いだから・・・ だんなには言わないでちょうだい・・・ 婆ちゃんに良かれと思ってやったことだから・・・」「だから・・・ 何も言ってないじゃないか・・・」言ってはいない。孫の前では優しい婆ちゃんでいたかった。義理の息子の前では遠慮深い母の姿でいたかった。結局、娘の私につらくあたるしかなかったのだな。そう思えば、母の暴言も理解できなくはない。認知症もかなりひどかったし。春休みにはいって子ども達が1日家にいたことは母には苦痛だったのだろう。もう、これでいい。本人が病院を心地よいと言うなら・・・もしかしたら一時退院もあるかもしれないと主治医は言った。母にはいつも理想の生活があった。他人をみてはその生活を羨ましく思い自分もああなりたいと願う。今の自分はいつも不幸なのだ。これが私の母なのだ。人生をつらく生きたいと思う人は我が母に学べばいい。私の思いは母には届くこともなかったようだ。私は病室を後にした。私がいると、辛かった1ヶ月あまりの生活が思い出されるようで、母にとって辛いのではないかと思った。在宅療養中の父と病院にいる母。父も放っておくことは出来ない。でも完全に母は父の病状を追い越してゴールに向かおうとしている。こんな人だから・・・父は先だっては逝けなかったのだね。よーく分かった。母は私を恨みながら逝くのだろう。どうすることが良かったのだろう。化学療法をして、うまくいけば数ヶ月長らえた命かもしれない。でも、もしかしたら・・・今ほどいられなかったかもしれない。その方が母には良かったのかもしれない。考えても仕方のないことだ。夫には母の不満など口がさけても言いたくない。私は夫に感謝している。本人に面と向かって言わなかったことだけは褒めてあげたい。母なりに我慢したのだ。母も核家族が長かったからなぁ・・・同居はもともと無理だったと思う。病気になったから、一緒に暮らしても良いと思った。母にとっては自分だけが我慢している生活に思えたのだろう。子ども達だって、どこにも連れていってやれなかったんだけどね。世の中の同居されている人々を尊敬してしまう。私も我が儘なんだよね。病人に腹をたてるなんて、心が狭いよね。あの日、母を看取ると決心したのに・・・結局、何もしてあげられなかった。むしろ苦しめた。恨まれてもしかたないな・・・
2009年03月28日
コメント(0)
癌告知されてから1ヶ月と2週間たった母。余命まで本当に2週間?!やっぱりアテにならんもんだなぁ・・・先日も母の奇行を日記に書き、母の食事を部屋まで運んだ私。やっぱりだるそう・・・「病人じゃないから食べに行くよっ!!」「いや、立派な病人だよ。ここまでもってくるよ。」ものすごい不満げな母。もともと父はベッドの側で食べていた。母もベッドにテーブルを備え付けた。あいかわらずの暴言は続いた。二日前、一日母は寝ていた。ものすごい唸っていた。「どうしたん・・?」「だるい・・・こんなだるさは初めてだ・・・もう、殺してくれ・・・」隣りにおいてあるポータブルトイレにも行けなくなった。「いやだろうけど、オムツの中でおしっこしてね・・・ 起き上がるのも無理だよね?!」無意識のうちにおきあがってトイレに行こうとするが間に合わない。その次の日、つまり昨日が診察日だった。この分では母を連れてはいけないかも・・・母のお腹は腹水でパンパンになっている。はけるズボンないか・・・?!かろうじてひとつだけ入った。「明日は病院だけど、行けるかな?」「行くよっ!」さすが病院好き。夜中に水をひとりで飲むこともできず、起こして飲ませる。異常な喉の渇きをうったえる。どっかの名水も飲み干してしまっていた。こんなんじゃ無理かもね・・・ところが朝になると、母は自分で準備を始めていた。自分で着替えをしている。ただ顔つきはものすごく恐い。「スカーフがないっ!」やばっ!この前、母の着られそうになくなった服を少し処分した。もしかしたら捨てちゃったか・・・・?!私も探すのだがみつからない。一度私が荷物を全部納めたのに、腹をたてる度に荷造りの準備をしていた。母自身も何がどこにあるかなど憶えてはいない。認知症だからね。見つからなければ全部私が捨てたことになる。今度は捨てちゃったかも・・・・まずい!「私のスカーフ、かしてあげるよ。」「やだよ!こんな派出なの!」全然地味だと思うけど・・・・とにかく文句を言う元気はあった。動作はかなり鈍い。抱きかかえるように車に乗せた。母は無表情である。そして病院に到着。血液検査と尿検査の結果が分かるのに1時間待つ。そしてまずいことに母の主治医が突然のお休みをとったため、内科の医師が少ないため長く待たされた。教授の肩書きのある医師だった。「大変ですね~お腹、痛くない? 胆嚢が炎症おこしてますよ! あとだるいでしょう・・・ 肺に水がたまってます。 これは・・・入院ってことでいいかな?」膵臓癌、肝臓癌が分かった時点で何も治療しないことを選択した私たち姉妹。積極的治療なしだから、入院を拒否するかと医師は思ったらしい。「家では肺の水はぬけませんからね・・・」「婆ちゃん、どうする・・・?! 入院・・・する?」「もう、だるい・・・ する・・・」そうか・・・もともと病院が好きだしね。そのまま点滴で肺の水をぬくことになった。何も食べたくなさそうだった。とにかく家でも咳はひどかった。熱も頻繁にあった。昼は元気なのだが魔物は夜にやってきた。熱に悩まされていた母。やはり病魔は母の身体をむしばんでいた。午後から入院の準備に走り回る。父がディサービスから帰ってくる。それまでに何とかして、戻らなければ・・・最悪は子ども達に見ていてもらうか・・・と言っても何ができるわけではない。ただ見守るだけ・・・そこに姪っ子からメールが来た。「今から遊びにいっていい?」すぐに電話する。「いいよいいよ~、お願い! 婆ちゃんが入院したから、爺ちゃんをみててもらえる?」「え?だったらもっと早く連絡すればよかったね。わかったよ!」そして私は安心して入院の準備の買い物をし終えた。夕方になり姉がやってきた。姉は少しションボリしていた。「もう仕方ないね・・・ 私も肺に水がたまった時、つらかったよ・・・」「お前達・・・もう暗くなるから帰れ。」母は点滴を打って少しらくになっていたようだった。帰り道、私はまた考え込んでいた。母には何もしてあげられなかった。ただケンカをしてただけ・・・なんでやさしくしてあげられなかったんだろ・・・このまま母はいつ何時逝ってしまっても不思議ではない。父に母の入院を伝えるのがつらい。昨日まで、私は本当に母に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。そう、昨日まで・・・・
2009年03月27日
コメント(0)
私と病気の母とのやりとりを見ていた姉が言った。「お前、どうして婆ちゃんのいうことに、そうかそうかって言えないのかなぁ?!」えっ?!だって、常識外れな事を言うんだもの。そりゃーあとわずかの命と思ったときには可哀想に感じたよ。でもね・・・毎日、けんかをふっかけられるのだよ。たまには買いたくもなるでしょ・・・姉は本当に良くしてくれていた。この1ヶ月半。先週、ぶち切れちゃったけど。私は逆らったらダメな立場らしい。姉に怒られてもだまるだけの母。私がちょっと注意しただけなのに「ものっすごい怒られた~っ!」そう姉に泣きつくのである。姉も寛大になったもんだ・・・そして昨日姉の娘(私の姪っ子)が休みで遊びに来た。「聞いてよ~!!hossyちゃん! おかあさん、ものすっごい私にケンカを売るんだよ! すごいつっかかってくるから思わず買っちゃったよ!」え・・・そうなの?!「ん~ もしかしたら、お母さん、お婆ちゃんに気を遣ってるからあんたにまで 気を遣えないのかもしれないね。。。 ごめんね・・・うちのせいかもね・・・」「ちがうって!!昔からそうなのっ! 本当につっかかってくるんだよ!」そうか・・・私と母がそうなるように、こちらも同じか・・・姪っ子は仕事が終わって帰って姉に言われて家を飛び出したそうだ。「どこに行ったの?」「映画!レイトショーをみたの。終わったら2時でそれから家に帰った。」そう言えば昨日、姉が言ってたな・・・「○○子、もう仕事に行った時間だから帰ろうっと・・・」二人は家で顔を合わせないようにしてるようだ。「もうお母さんとは口をききたくないっ!」そうなんよ・・・親子ってそうなんだよね。近すぎる存在。でも自分じゃない。私の場合は母が病人だからね・・・やっぱり私は怒っちゃいけないんだよな。でもやってもないことをしたとか、殺意があるなんて言われるとカッとなる。よし!これからは心の耳栓をしよう。← おそい?!もう母を徹底的に病人としてあつかう。少し大事にしてあげよう。歩くこともよかれと思ってさせていたけど、本当は負担なのだ。今日からはベッドまで食事を運ぶことにした。夜のおしっこもひどいのだったらオムツにしてグッスリ寝させてあげよう。寝られないから母の中の魔物が顔をだすのかもしれない。ちょっと優しく接してみるか・・・よけい不気味がるだろうけどね。認知症があるから、何もおぼえちゃいないだろうけど。ただ母の中で私はいつも憎い敵なのである。自分から自由を取り上げていくから。それでもいいや・・・家の中の空気が重くなっている。これは浄化しないとね・・・
2009年03月24日
コメント(1)
肝臓癌、膵臓癌と診断されている母。最初の診断からいくと・・・あと2週間である。まだ食事もとれる。歩ける。認知症は進んでいるかなぁ・・・おいおい~誤診?!本当にそう思えてきた。痛いとすれば、ベッドで寝起きするときに筋をちがえたのだろうか・・・脇の下あたりが痛いらしい。「この家の戸は重いんだよ!!おかげで、脇腹がいたいよっ!!」またモノにあたっている。「実家の戸なんて、もっと重いじゃないのよ!」私がひとこと言ったから大変。「私が元々の家にいれば、こんなに弱くならなかった! こんなところに押し込めたから身体が弱くなったんだ! お前が私を連れてきたんじゃないかっ!!」そう言ってぷりぷり怒る。ちょっとしたヤ○ザだな・・・誰か(何か)のせいにしたくて仕方ないらしい。こんなに元気なら、まだまだ生きそうだね・・・姉とそんな話しをする。姉は毎週、甲斐甲斐しく母の言うことも「うんうん・・・」と流し世話をしている。姉に頼めても私には頼むことがでいないことが母にはたくさんあるらしい。ラッキー!私は助かるけどねぇ~「どこどこの水をくんできてくれ~」もう医者は信用していないらしい。それは正解かもね!癌だと言われ、医者にサジをなげられた人たちが入りにいくお風呂がある。そこの水を買ってこいとうるさい。数ヶ月前に私はポリに入れて買ってきた。今は私には言えないらしい。私に弱みを握られたくないようだ。熱を出して具合が悪いときは、あれこれしろとうるさいが、少し元気になると私には言いたくないらしい。「あいつは何もしてくれない!」姉にそう言いたいからだろうか・・・今日は子どもの用事で家をあけなければならなかった。朝から姉に来てもらっていた。「今日も愚痴を聞いてあげてね・・・ いっぱいたまってそうだから(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!」昨晩は脇腹の痛みで眠れないらしくどこどこの名水ではきかなかったらしい。「○○△××!!」何やら大声で叫んでいた。うめき声は無視している私。いちいち反応してられませんって~冷たいようだが、こっちの身体ももたないよ~昼間は父の便秘で摘便までして3時間格闘したんだから・・・あんまり怒鳴るので見にいく。「なに?」「救急車よんでくれっ!!」「なんで・・・?」「熱がでる!」熱くらいで呼べますか・・・「本当に呼んでい~の~?熱で?」「背中、湿布貼ればいいんだよっ!!はやくはってくれ!」はいはい・・・人の気をひくのに必死のようだ。「痛み止めをくれ!眠り薬も・・・」ここまで言うから仕方ない。でも命、縮まるよ・・・・痛みに弱い人なので仕方ない。でもね・・・これって癌の痛みとはちがうと思う。本当の痛みがきたら、この人、どうなるんやろか・・・その数時間後・・・「いたいっ!!お前、何を飲ませたんだ!! いつもの薬とちがだろう! まちがえただろう!」まちがえてませんから・・・「名水ばっかり飲んでるから強くあたったんじゃね~の~?!」冗談っぽく言ったが、本当に痛そうだった。「石の上に寝かされている! なんだ、これは・・・ 石の上に・・・」何十回と同じ事を言っていた。また姉に報告するんだろう・・・ってことで姉に前もって言っておいた。「ということで、今日はまた言いたいことがあるらしいのでよろしく・・・」「うーん。気が重い。 なんか・・・いやだよ~またお前がいなくなった瞬間、スリスリよってくるんだから!」「悪いね~。言いたい人だから(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!」そう言っているうちは身体は元気なのよね。そして私がでかけたあと姉から電話があった。「やってもーた。 怒鳴ってしまったわ。 今、婆さん、荷造りしてるわ。。。」(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!恒例の荷造りですかぁ・・・心のよりどころだった姉につきはなされ、今度は自分の妹に連絡しろと言ったらしい。確か、妹のことではプンプン怒っていたはずだが・・・?!認知症なのでもう忘れているのだな。結局、叔母がやってくることになったらしい。きっと自分がこの家で待遇が悪いのだとチクリたいのであろう。姉のいないところでコソコソ言いたいらしい。私のことを姉に言っていたように、私たちがやってもないことをやったように叔母に話したいらしい。「いらんこと、言うなよっ!」姉は思いっきりドスをきかせて言ったらしい。姉の監視の下、叔母と話していたらしい。姉の鋭い視線・・・こわか~~~「誰を怒らせたらこわいのか・・・ 思い出させてやったわ(* ̄▽ ̄)ニヤリ」私が言うと、またキーキー言うのだが姉だとだまる母。この違いはなんやのっ!!ま、いいんですけど。認知症がはいっていると、病気は意外にすすまないのか?!だって病気だって事も忘れているから・・・これって良いことなのか・・・悪いことなのか・・・気持ちは複雑である。
2009年03月22日
コメント(0)
昨晩、父の様子がおかしかった。いつもは食べている以外はぐっすり寝ている父。肺ガンで呼吸するのもつらいんだろう・・・・トイレに行く時、食べる時くらいしか動くことはない。それが夕飯を食べても朦朧として起きている。ちょっと熱い?!熱を計るが、36度くらいしかない。なんだかつらそう・・・そんな父がトイレに行った後、ソファーで休んでいた夫に向かって言った。「おとうさん・・・ やっかいになって、すまんね。」認知症の父が一瞬まともになった。最近は子どもや夫がいても、眼中にはいらないのか素通りしていた。夫も驚いた様子。「えっ?!あ~っ、何を言ってるんだよ。父ちゃん・・・」昨日は料理などしたこともない姪っ子がカボチャの煮っ転がしを作ってきた。少しだけ作ったのだが、姉が是非とも我が家に持っていくようにと、姪っ子に持たせた。「これ、○○子(姪)が作ってきてくれたんだよ~。」そう言って父に出した。「おお~っ、○○子は料理が上手だなぁ」ものすごい普通の会話。最近は頷くだけのことが多かった父。姪っ子はとても喜んだ。「ほんと?!爺ちゃん、また作ってくるね!! 今度は何がいいっ?」姪っ子よ・・・おぬし、そんなにレパートリーないでしょ?!その夜に父はなんだか呻きだした。「どうしたの?」そう言っても首を横にふるだけである。母はやはり肝臓癌のせいだろうか、身体がだるくてたまらないようだ。最近はみていられないので、睡眠薬を飲ませている。ちっともぐっすり眠れていなかったのか、飲んだ次の日は機嫌が良い。眠れない夜が多い。そして暴言を吐く。私に殺されると、また姉に言っていたらしい。すべて病気のせいなのだと思うと仕方ないって思う。私を頼るようなことを言っていても姉に告げ口する母を憎いと思ってしまうこともある。今日は母の内科診察。昨晩の父の様子でデイサービスに預けてもいいものだろうか・・・朝方、父は爆睡した。朝ご飯を食べられるようだったら、連れていってもらおう・・・母の診察は午前中。もし父の体調が悪いようだったら、少しだけおいてもらって迎えにいこう!まるで熱のでそうな子を保育園に預けるような心境だ。あ~身体が2つあればなぁ・・・姉は仕事を休めない。姪っ子は昨日がお休み。当分、休みはない。父と母の姉弟は頼れない。ほんと、困る。子ども達に朝ご飯を食べさせて学校に行かせる。そういえば。。。夫がのんびりしている。「いいの?!のんびりしてて・・・」「うん・・・身体がだるい・・・今日、やすむ・・」ええ~っ腰と背中が痛いらしい。風邪?それとも椎間板ヘルニア?お願いだから~みんな元気でいてよ~~~結局、父をディーサービスに送り出し、夫は置き去り。母を病院に連れて行く。さすがに病院好きな母もだるそうだ。余命1ヶ月だと誰が思おう・・・・最初の宣告からいけばの話しだが・・・肝臓の機能はとても衰えているようだ。だるさはそこからきている。よく歩いていると思う。車いすを拒否する母。「病人みたいでいやだよ!」病人だよ・・・立派な。尿検査で膀胱炎になっていることが分かった。おまるのおしっこ、臭いな~とおもっていたんだよね。もう母の身体はボロボロである。このまま睡眠薬を飲ませると、肝臓にはよくないという・・・眠れないっていうのはつらい。本当にこのまま母は逝ってしまうのだな・・・実感がわいた。病院の待合いではいつも元気だった母。知り合いも声をかけるのを躊躇するくらい母の顔色は悪かった。「爺もいっしょに連れて行けば?!私がひとりで内科にいるから・・・」無理だって~まだ母の方が強いつもりでいる。実際はどっちが良いんだろう・・・どっちも終わりが来ているようにしか思えないのである。終わらせてあげたい・・・痛みがこないうちに・・・小さな母を抱えるようにして待合いで待った。予約から1時間半も遅れての診察。これがどんなにつらいことか・・・「どうして足が前にでないのかなぁ・・・」何度も同じ事をいう母がかわいい・・・もうすぐ治ると信じている。数日前、母が憎いと思った。私に殺されるとか、私が母のお金をねらっていると思われているとわかって・・・でも、やっぱり愛しい。少しずつぼけていく母が愛しい。こうならないと私は母を愛しくなんか思えなかった。私が母を愛しく思うことが私の人生の目標だったのかもしれない。どうしても好きになれなかった。こんな母のもとに生まれたことで悩んだ。愛しいと思える日がくるなんて思いもしなかった。もう・・・終わりなのかもしれない。その時がやってくる。こどもの私にさようなら・・・
2009年03月10日
コメント(2)
一緒に暮らしてはじめて分かった。今までは癌になって家でボーッとしているから認知症になったと思っていたが・・・母はもっと前から認知症だったのだ。確かに思い当たる節はある。実家にいたときにキッチンにいくと同じゴミ袋が山ほどあった。きっと出掛ける度に購入していたのだ。何度言ってもゴミの分別はできない。しまいには全部同じ袋にいれる。お年寄りには分別は少々難しいかもね・・・なんて思っていた。あと、モノの置いた場所が分からなくなるからと言ってしまわずに手に届くところに置きっぱなし状態。私もモノを探すことが多いから整理整頓ができないから、その気持ち、わからなくもなかった。考えてみれば・・・父が数日間熱が出て入院したときのことだった。病院にいると携帯電話が鳴った。母が自宅からかけてきていた。「おまえ、向かいの人の付き添いの男がいるだろ? あの人、気をつけないとだめだぞ! 私が買ったおにぎりとパンがないんだよ! きっと、あいつがとったんだ! そして、私の後をつけてきてて気持ち悪かったよ。」え?! まじ?!電話を切ったあとで冷蔵庫の中をみると・・・あるじゃん!何言ってるんだか・・・でも、こういうのって・・・危なくないか?!でもって、そのあと電話して母に言った。「あったよ!冷蔵庫にしまったんじゃないの! 軽々しく人を疑わないでよ! 忘れっぽくなっちゃって大丈夫?!」その時、ブチッと電話を切ってしまった母。なんだよ?!その後、かけ直すがへそをまげて電話に出なかった。もしかしたら自分でも忘れることが多いのを気にしていたのかもしれない。あれは10月くらいだった。母が鬱ではないかとずっと疑っていた。そんなことを言おうものなら「お前が病院にいけ!!お前の方が頭はおかしい!!」ものすごく怒った。一緒に生活をしていれば、分かったとは思う。一週間に数回ではわからない。1日の中でおかしい時とそうでない時がある。私が少し怒ったような口調になると母のスイッチがはいったような気がした。人の話を聞かなくなって、暴言を吐く。前回の続き・・・母が荷造りをして姪っ子に送ってもらおうとしていたその後・・・姪っ子に聞けば、ずっと実家まで送ってくれと言っていたらしい。「後でね・・・」そう言ってはぐらかしていたらしい。そして私が帰宅。「hossy! 家に帰って草むしりしなきゃ! 草が生えてた! こっちの家から行ったり来たりしたいんだよ。」「へっ。草むしり?! まだ外は寒いよ。もうちょっと暖かくなったらね!」姪っ子もそうだそうだと頷いていた。実際、外は寒い。その時また母が豹変した。「お前達!ばかにして!! 警察をよぶぞ!こんなところに私を監禁して! おっさん(母の弟)にも来てもらって話しを聞いてもらわないと!」もう完璧におかしい。民事に警察は入ってくれませんって・・・もう何を言っても怒る母には逆らわないようにして姪っ子と話しをしていた。母はそのうちベッドに行って寝てしまった。「婆ちゃんって、あんなに恐い顔してたっけ・・・」姪っ子にすれば、年に数回会うか会わないかで、もっと優しい人だと思っていたらしい。「ん~、あそこまで異常ではなかったけど・・・ 昔から言葉の暴力はあったよ・・・ 手をあげたことは一度もなかったことは、えらいって思うけど・・・ 言葉の暴力にはけっこう傷つけられたよ。」「かわいそう・・・・でも、お母さん(私の姉)はよく言うよ。 私の親は私の中でとっくに死んでるって・・・」「そうだね・・・お母さんの傷は深いんだと思うよ。 でも、そんな中、今とても優しく接してくれているからね・・・ みんな寂しい人たちなんだよ。 誰が悪いってわけじゃないんだけどね・・・」姪っ子と姉も実際、通じない部分があると言う。同性の親子ってそういうところがあるんじゃないかなって私は思う。私も母とはずっと合わないと思ってきたから。同性には厳しい目でみてしまうところがあるんじゃなかろうか・・・そうやって、姪っ子といろんな話しをしていると母がやってきた。一瞬緊張がはしる。「あんたら~、何、してんのよっ!」「いや、なにもしてないよ~。」ふんっ!という顔をして戻っていった。何を企んでいるんだ?!そう言いたかったようだ。その日の夕方、母は微熱が出た。少々体調が悪いと、もうひとりの母は出てこない。体調が良くなると別の人格のようになってしまう母。恐ろしい形相の母を見るのはイヤだ。だけど苦しんでいるときの母もかわいそうになる。何を言われても気にしなければいいのだ。特にその暴言は私にむけられている。せめて子どもや夫には言わないで欲しい。夜になって熱が下がって、何かを食べたくなったと言ってやってきた。その時は素直になっていた。「あんまり今、無理して動いちゃだめだよ。 すぐ熱がでちゃうからね・・・」「そうか・・・」しおらしくなっている。そして食べ終わってまた床についた。もともと被害妄想の気はある人だ。それが極端になってきている。父の認知症とは全然ちがう。父は誰にでもかわいがられる。かわいい風になっていった。なんで、こんなに対照的なのか?!気が合わなくていつもケンカしてたふたり。でも病気の時期も重なった。まあ、父の場合は何十年も育てていた癌だと思う。母は数ヶ月前の検査では何の異常がなかったのに一気に進行してしまったらしい。のんびりしている父とせっかちな母。病気にまであらわれちゃうわけ?!母は負けず嫌い。父より先に逝ってしうのではないかと思ってしまう。わからないが・・・母の余命、主治医の診断からいくと1ヶ月ないかも・・・未だに信じられないでいる。だって、母は歩いたり食べたりしているのに・・・来週は内科の診察がある。どうなっているんだろうか・・・そして、どうなっていくのか・・・考えても分からないこと。できることをするだけだ。それしかないよね・・・
2009年03月06日
コメント(6)
母を病院から連れてきて早2週間。早いっていうか・・・わがままである。とにかく母にはないくらい私以外の家族には気を遣っている。なので休み明けの朝、起きてくる姿はちんぴら?!そう思えるくらいの態度である。「こおりっ!」とか「水っ!」すこぶる機嫌が悪いのである。なんだか食欲もまあまあなのである。やっぱり、父の介護で疲れていたのがこちらで何もしない生活だと元気になるのね?!孫の前では「おかえり~」なんてやってはいるが・・・余命2カ月って信じられない!計算からいくとあと1ヶ月だよ~数日前に「フロに入りたいからY子(私の姪っ子)を呼んで!」Y子は看護師である。お風呂に入れるなんてお手のもの。結局、私と姉が一緒に入れたのだが、その次の日に急に実家に帰って取ってきたいモノがあるという。それを私には言わず、姉に言ったらしい。認知症の父が毎日のように「そろそろ帰ろうか・・・」なんて言っているので、こっそり行ってきた。その晩である。熱があると大騒ぎ。聞けばお腹も3日前から痛いと言うではないか・・・・「我慢してたんだよ・・・」3日目の痛みが強いモノに変わったらしく、いよいよ我慢できなくなったらしい。「何、変な気を遣ってるの!そんな我慢するなら、ずっと我慢しなよ!んも~っ!何で、そんな時にフロに入ったり出掛けたりするの!!」と私。「だって・・・これでいよいよ終わりかと思って・・・」いやいや・・・そんな我慢できる位の痛みではないと思うのだよ・・・終わる頃の痛みって・・・夜中に軽い痛み止めを飲ませただけで次の日はケロッとしている。「病院につれていけ!」何というモノの言い方・・・毎晩グズグズ言うからさすったり氷枕持っていったりと日々寝不足の私。母が来てから爆睡なんてしたこともない。父のトイレも頻繁なので毎日2,3時間あるかなぁ・・・「あのぉ・・・そんなに元気なのに行ってどうするの?」これから飲み食い出来なくなったときや痛みが出たときに来るように言われているのに・・・誤診?!疑ってしまう。「お前も人ごとだ!また痛くなったらどうするんだ!」毎晩、「コロッと死にたい。殺してくれ・・・」そう言っておきながら、あんたなんだかんだ死にたくないのね?!「だったら二度と、死にたいとか殺して!とか言うんじゃないよっ!!」この2週間、私なりに寝ないで献身的にやってきたつもりでいた。それが姪っ子の発言でショックをうけることとなる。「hossyちゃんがいない時にね、婆ちゃん、くどいてたんだよ。 私、思わず怒ったよ!」聞けば・・・・「年金、全部とられてサイダー一本ものめない。」はぁ~~~?!サイダーいっぱいおいてありますけどぉ・・・しかも年金は自分から手帳を差し出したんだよっ!!持ってるけど、中味のない通帳には興味ないって・・・・「あれはぼけてるね!」姪っ子、確信している。やはり・・・・母らしい。そもそも猫をかぶった生活、続くとは思えなかった。そしてモノがなくなれば私が捨てたと疑っている。暇してて完全にぼけたみたい・・・もともと危ないとは思っていたが、一緒に暮らすとひどさがわかる。今までは母の言うことも何かと信じてきていたが・・・あぶねぇ・・・・とにかく私は評判の鬼娘らしい(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!だから母の兄弟から冷たい態度をとられるのね。なっとくである。このところ、毎日ケンカを売ってくる。1回買ってやったが、あまり後味がよくなかったので無視することにした。今日は朝から荷造り。姪っ子が来るとききつけて、どうやら実家にひとり連れて帰ってもらうらしい。残念~今日は私がお出かけなので認知の2人をお守りしてもらうのよ~ん。ばかだね・・・最後は自分の兄弟をあてにしている。病院に殴り込みにいくような兄弟か、お見舞いもこないひと達に何を期待しているのか・・・あなた、それほど姉弟のために動いたことないでしょ?勝手に帰る計算でいる。もうすぐ夜勤明けの姪っ子が我が家に来て爆睡していくであろう。しかし、最近母は私にだまされるものかと元気である。母は私が母を殺そうと思っているようだ。私の作る料理もあまり食べない。毒が入っていると思っているのか・・・どっかのおばちゃんの作った総菜のほうがいいらしい。身体が元気な証拠だね。頭が元気でないのがいただけない。もともと危ない人ではあったが・・・さてさて。。。どうなるかな。
2009年03月04日
コメント(0)
全8件 (8件中 1-8件目)
1