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父がとうとう永眠した。昨日までこの部屋でベッドをおいていたのに・・・今は畳の上で眠っている。ありがとう。呼吸がおかしくなって救急車を呼んだ。家でとても苦しそうにしている父を見てうろたえた私。しばらく様子をみればまたいつものように戻る・・・?!でもいつもと違っていた。朦朧としていた父。「爺ちゃん爺ちゃん!!」私の呼びかけにも応答はない。28日の23時頃に容態がおかしくなった。夫と義母と子ども達が外食して帰ってきて1時間もたたない時だった。父に水を飲ませたあとの出来事だった。むせて苦しそうにしていた。朝から食欲もあまりなく、脱水症状をおこしている?!まったくたべものを受け付けないわけではなかった。痰が切れにくいので普段から水分もなるべくとらせていた。でもこのところ水を飲むのはつらそうだった。抗生物質を処方されていたが、それを呑み込むのも正直ここ数日は父にとって苦痛であった。食べられないときは何とかして点滴をうけさせなくては・・・脱水症状がでないようにと心がけていた。それが仇となった。咳をしてむせることは今まで何度もあった。今回もそうだと思っていたが、いつもと違っていた。そして救急車が来てしばらくして心臓がとまった。私に後悔の波が押し寄せた。救急車の中で私は父にあやまるしかなかった。「このままマッサージを続けます。」消防隊員の人の声を聞いて震えがきた。何とう愚かなことを・・・・そして10分足らずで病院に到着した。待合いで姉と姪っ子に水を飲ませてそうなったことを伝えた。「ごめん。。。私のせい。 やってしまった・・・」肩を落とす私。「そうじゃない!それは違う!何も間違っていない!」姉と姪は励ましてくれた。医師達は蘇生するようにがんばってくれていた。たとえ呼吸がもどっても以前の父の姿はもう見られない。もう瞳孔が開いてしまっていたというのに父の心臓は復活した。「信じられません! 大変、心臓が立派な方ですね。 元の状態に戻ると言うことはないでしょうが自力で呼吸されています。 このまま病室にうつります。」父の口から管が入れられていた。「いまのうちにどなたかお知らせになりたい方を呼んでください。」日付がかわっていた。義母と義兄。父方の伯母夫婦。姉のだんなさん。主治医から説明を受けているときに揃っていた。集中治療室にうつった父に2,3人ずつ顔をみてもらう。「爺ちゃん・・・」さわっていいのか・・・・?!肩をさすってみた。「安定されたようですし、これで皆さん、いったんお帰りください。」親戚に帰ってもらって、しばらくいて自分たちも帰ろうとしたその時だった。「ご家族の方、容態が急変しました!すぐにこちらにいらっしゃってください!」父の目はあいていた。「爺ちゃん・・・ごめんね・・・ほんと、つらいおもいさせてごめん。」何十回と私、くり返していた。何か話そうとしているが管がはいっているのでわからない。何か答えてくれている・・・その後、父の心臓はとまった。29日の午前2時40分だった。みんなが帰るのを待って逝ってしまった・・・・最後までなんとサービス精神旺盛な人か・・・そして一度は還ってきたのは・・・私が自分を責めたから・・・・?!優しいひとだった。「気にするな! 泣くな! あやまるな!」そう言ってくれていたような気がした。温かい人だった・・・・「何か言いたそうだったよね・・・」と私。姉が言った・「そんなん、いつもの あ・り・が・と に決まってるやろ!」 涙が溢れ出た。 ほんと、未熟な介護でごめん。 いつも幸せいっぱいもらったよ。 あなたがますます好きになった。 本当にありがとう。 あなたの娘でよかった。 あなたの美しい穏やかな顔をみて少しほっとする。 もう苦しみから解放されたんだよね。 これで良かったんだよね。 あのままでいるほうが父にとってはつらかったんだよね。 おつかれさま。 今晩は通夜。 問題は母。 実は母も容態が良くない。 母が逝くのも近いのは分かっている。 父の葬儀は私の結婚記念日となった。 忘れられないように、やってくれたね、父ちゃん。
2009年04月29日
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昨日、ものすごい雨風だった。家の前には女の子のサンダルがとんできていた。実家の向かいのおばちゃんから電話があった。「hossyちゃん、家の雪囲いがとんで戸が開いてたよ!」げげっ!いつまで雪囲いしとくって話しだが・・・うちの実家は雪が多いので屋根の雪がおちてもガラス戸が割れないように家の周りを囲っている。もう春なのに・・・いつもの年なら父が春先にはずしていたもんな~昨年ははずし終わった頃に病気が発覚。それから寝たきり生活がはじまった。外すときも身体がしんどくて、やっとはずしたのだと母が言っていた。しかし風が吹いて引き戸が開くなんてどんなんや?!っていうか・・・鍵かかってなかったってこと?!異常なほど家の鍵をかけまくっていた母。今思えば、母はやっぱり精神的に病気なんだと思った。みんなが自分を襲ってくるていう被害妄想?!だから家の鍵は厳重だった。田舎の家なんて鍵のない家もいっぱいあるのに。。。我が家は近所でも玄関にかぎがかかっていると評判だった。あの人は誰にも心を許せていなかったのだな・・・人を見れば敵。さぞかしつらい人生だったと思う。「父ちゃん、母ちゃん元気か?」「うーん・・・まあまあ・・・」そう・・・ご近所だけど、母が具合が悪くなって父の介護ができなくなって私が一時的にあずかっていると思っている。母が最初の入院で一週間で退院してからは家で自宅療養していると思っているのだろう。母の病気が癌であるとは言ってはいない。が、父の姉がばらしたかもしれない・・・そのあたり、本当のところ分からない。相手のおばちゃんもとぼけて話しているのか・・・母が叔母の口から「病気のことを言わずにはいられなかった。」そう聞いたことが母得意の幻覚なのか、それとも真実なのかは定かではない。そもそも叔母が実の弟が癌であとどれくらい生きられるのかも分からないというのに顔も見に来ない。車で10分もかからないのに・・・実家にいたときには、叔父さんに無理をいって車で連れていったもらっていたのに・・・よ~わからん・・・向かいのおばちゃんは我が実家をよくチェックしてくれているようで何度も電話をくれている。「郵便物がいっぱいだよ!」「郵便物がなくなっていたけど、きていったの?」「みんな元気?」などなど。。。とても心苦しい。電話口で声を聞かすわけにもいかず、いつも話しをはぐらかすのに苦労する。母がどうしても入院して弱っている姿を見られたくないと言っていた。それに今となって寝ているだけ・・・向かいのおばちゃん、もしもの時、驚くだろうなぁ・・・何で言わなかったのかと責められるかもしれない。長いつきあいだもんな・・・気にかけてもらっているのだと思う。それが母に言わせれば「おもしろがっているんだよ!」ってなことになる。どこまで卑屈なのか・・・私も足を運びたいのはやまやまなのだが、父をひとりでおいては行けない。行けば、おばちゃんと顔をあわして話さなければならない。向かいのおばちゃん、子どもの頃からかわいがってもらっただけに騙すようでつらい。結局だましているんだけど。最近、ケアマネージャーさんもシビアな話しをする。もしも母が危篤になったら父をどうするか・・・それで遺体をどこに運ぶかということまで心配してくれる。そうか・・・考えとかなきゃいけないのか・・・なんか実感わかない。私は実家に行くのがいいのかと思って姉に言うと姉は驚いていた。「え?!あそこに行くの?」え・・・行かないの・・・?!「んまぁ~、お前がしたいようにすればいい話なんだけどね。 それはまかすよ。」でもよくよく考えれば生活できる状態ではない。やっぱり無理なのか・・・?!そして話しは仏壇にまでいった。実家の仏壇はかなり古く、持ってきてつかえる状態ではない。しかもでっかくて置けないし・・・(´^`)ンン―‥「やっぱり・・・仏壇っているかね?」と私。「いるよ!!!」姉、声を大にして言った。「あのね、そういうものは粗末にしたら怖いのよ!」まあ・・・そうかも・・・「でもごらんの通り、うちには置けないよね・・・」「そんなのちっこいのでいいから、買えばいいのよ。 タンスの上にでも置くようなのでいいの!」ふーん・・・・大きい仏壇なんて買うお金もないしスペースもない。親不孝と言われるかもしれないがここはミニチュアサイズになりそうだ・・・こんな話しをするようになってしまった。当人達はがんばっているというのに・・・本当に複雑な気持ち。このまま永遠に続くような気もするし今にも終わってしまうような気もする。こればかりは本人達次第なのだ。二人とも具合が悪いだけに・・・「もう楽になって・・・」つぶやいてしまう。本当に言っているから怖い娘だ。そして二人とも「うんうん・・・」そう言いながらがんばっている。どうなるんだろ・・・
2009年04月27日
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肺ガンの父と膵臓癌の母。母は余命宣告からいくと2週間生き延びている。父もこのところ咳が続く。30分から40分とまらない。そのあと呻く。「こんなつらいことはない・・・」普段つらくても、決して弱音を吐かない父が言うのだから相当つらいと思う。母のおしっこの赤さに驚いた。管をいれているのだ。人って、こんな状態になっても死ねないんだ・・・モルヒネも段々強くなっているのだと思う。幻覚がすごい。姉にはいつも足袋をはかせてくれと頼むらしい。どこにいくのかと聞けば「爺の葬式じゃないか・・・支えてくれないと行けない。」そう答えるらしい。私には「Kちゃん(夫)元気か?」「元気だよ・・・Kちゃん、憶えてるの?」「あたりまえじゃないかっ!Kちゃん、大事な人だ!」あいかわらず夫はそんな存在らしい。そのあと、私に、薬局に行ってかゆみ止めを買ってこい!とか、新しいちゃんとした寝間着を買ってこいと怒る。母はかゆさで服をぬぐので現在つなぎを着ている。けっこうお高いのよ・・・主治医の予想を大きく裏切っているようだ。母の生命力、おそるべし!!昨日は姉が家に来てくれていた。寝ている父のベッドにふたりで顔を揃えて父をみる。父、なんか、驚いてますけど・・・?!「あはは~、そんなに驚かなくていいよ!爺ちゃん。」姉が笑って言う。そう・・・忘れてるんだよね・・・ちょっと身体の位置が下の方にあったので頭の方から私がひっぱりあげた。姉も手伝ってくれた。「おらを・・・どっかにすてに行くのか・・・?」((( ̄□ ̄;ガーン)「何言ってるのよ!捨てになんかいかないよ!!」と私。「そうよ!捨てるなら、とっくに捨ててるわよ!」と姉。完全に私たちは父にとって他人のようだ。まだ不思議そうにみていた父。「器量の良い人だねぇ・・・」「え?!どっちが?」私と姉がお互い興味を示す。父、空気をよんでだまった・・・?!(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!「ここは爺ちゃんの家だからいてもいいんだよ。」なんだか納得のいかない父。「爺ちゃん、ふたり娘がいたのをおぼえてる?」「おぼえてない・・・」(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!そっか~「おら、生んだ憶えがない・・・」(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!「爺ちゃんの嫁さんが生んだんだよ~ 嫁さん、憶えてない?」「ひとりおった・・・」そうそう・・・今もおるんやけどね・・・婆ちゃんの中では、爺ちゃん殺されてるけど・・・爺ちゃんも似たようなものかな。「ここはKちゃんの家だからね!」顔色が変わった父。「ほう・・・ ここがKちゃんの家か・・・ Kちゃんは大事な人だ。 Kちゃんは○○(職場)にいたときに、縁があって家にきてくれたんやった・・・」当時のことをしっかりと憶えていた。でも私が娘だというのは分からない。「あんたたち、おらはもうKちゃんの力にはなれん・・・ あんたたち、Kちゃんを助けてやってな・・・」父と養子縁組をしてくれたのがよほど嬉しかったのだろうなぁ・・・過疎地に住んでいたため同居はしなくて良い!こどもの世話になんてならない!よくそう言っていたっけか・・・まさか自分達がこうなるとは思っていなかったであろう。夫だってそうは言われていても、しっかり養子縁組をしたのは義母がそうするように言った。本当にお前にその覚悟があるのかという確認の意味もあったと思うのだ。それでも夫はそうしてくれた。何のお得な話しではなかった。それだけに父母は嬉しかったんだろう。娘を忘れていても夫のことだけは忘れていない。。。夫が父に「ただいま~。」と言うと「おかえりなさい。。。」ニッコリ笑っている。夫も悪い気はしないであろう。昨日は母の病室にも顔をだしてくれた。「すぐに分かった?」「うん、あいかわらず何だか話していたけど80パーセントは分からなかったなぁ (≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!」そうなんよね。。。夫は母のあの会話、理解できていない。私はなんとか分かる。どこの方言?ってかんじだもんな。子どもの頃から聞いているから分かる。とにかく夫のことが分かってくれたようでホッとした。しかし母、割と元気なようだ。ほんと、つらいだろうに・・・母にとっては死は恐怖でしかない。今の状態の方が死よりもつらいのではないか・・・と思ってしまう。私が何を思ってもこればかりは(寿命)二人にまかせるしかないのだが・・・これほど苦しまないと人は逝けないものなのかねぇ・・・姉としみじみ語り合う。あーポックリ逝きたい誰もがそう願う。宝くじに当たる確率よりも難しいらしい。死に方はその人の生き方。私はそう思っている。普通に日々を送っている私。これでいいのか・・・これでいいんだよね・・・このくり返し。自分ができることを今する。それしかない。外はものすごい雨。コインランドリーいかなくっちゃ!!
2009年04月26日
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夫は未だに椎間板ヘルニアの痛みと闘っている。家の中でも杖をついている。「ステキなステッキ(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!」なんて笑っている場合ではなくなった。朝方痛みで起きてくるうちはまだ良い。ひどいときは痛み止めの効きが切れ、夜中に2階から下りてくる。いででで~っ苦しそうですな・・・癌の痛みで苦しんでいた母の後なだけに私の感覚、少し鈍っている?!まして夫の場合はどこが悪いのかわかっているからね。。。「ほらほら。。。ここで宣言しちゃったら~?10キロ痩せますから、神様、この痛みをとってください~っ!」って。「そんなこと言って痛みとれなかったら嫌だ!」ふん。やせられないだろーが・・・その前に。痛みでは死にません。もっと早くから生活を改めよ!って言ってたじゃないか!きっとその痛みは夫を改心させるための大事なことなんだよ。。。そう思っている。しかし今回の痛みはずっとひきずっている。いつもなら数日なのだが。左足の感覚がないらしい。しびれもある。よかったね~右足だったら運転できないところだったよ!そういう問題ではない?!肺ガンで寝たきりの父。朝起きてひとこと。「ここは誰の家?」「Kちゃん(夫)の家だよ。」「Kちゃん?!そうか・・・・Kちゃんはいい人だ~。」「そうだねぇ・・・いい人だよね。 Kちゃん、脚が痛くて今ね、泣いてるよ。 杖ついて仕事に行ってるよ。」「かわいそうに・・・ おらの脚とかえてあげてもいいよ」かわいく父が言った。「ありがとね~。」でも、自分、寝たきりだって忘れてるでしょ?!(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!」入院している母は今モルヒネガンガン打っているせいか幻覚がすごい。「みんな死んで私だけが生き残った~。」私の顔をみるなり泣き出す。「大丈夫!誰も死んでないよ!」「え?!そうなん?爺はいつ死んだんだ?」「だから死んでないって!家で寝てるよ!」「でもKちゃん、全然来ないし・・・死んだんだろ?」勝手に人のだんな、殺さないでよ!!「生きてるよ! 脚が痛くて杖ついて仕事に行ってるよ!」「かわいそうに・・・ 私とかわってあげたいよ・・・」やめて~っ!!夫、先がなくなるじゃないか!!なんで二人揃って同じ事をいうんだろ・・・ここは笑うところではないが・・・笑えてしまう。夫は想われているなぁ・・・私なんて母には良く想われてないのにね。「なんで入院してるかわかる?」そう母に聞いてみた。「おまえが入院させたんじゃないかっ!」ちがうじゃん・・・家にいても痛いのに耐えられなくて自分で静かな病院に入院するのを選んだんでしょ?!まあ、認知症で幻覚みえてる母に何を言っても仕方ないか・・・本当に二人ともがんばっている。私のことは時々忘れているけど、一時でもひきとってくれた夫のことは忘れていない。そのことは私も嬉しい。私のことは正直、忘れてくれてもいい。夫のことを憶えてくれている方が嬉しい。特に優しい言葉をかける夫でもないが・・・人はやっぱり行いだと思うのだ。だから忘れてないんだよね。夫が幸せと言うより夫に幸せにしてもらったんだな。だからどんなに忘れっぽくなってもそのことだけは忘れていない。なのに夫には痛みがある。それとこれは別なんだな。。。ほんと、自己管理してほしいものだ。痛みとつきあうってのも覚悟がいるだろうに・・・3人ともどうなっちゃうのかねぇ。人ごとのように言う私。やっぱ、冷たいよねぇ・・・?!
2009年04月21日
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ここ数ヶ月、ほとんど父母の病気の報告のようになっている。父に至っては、やがて1年。母は2カ月。母の担当医に呼ばれた。「どこの数値をみても、まともなものがないくらいです。 このままだと本人さんもおつらいでしょうから、針で腹水を抜こうと思います。」はい・・・私は最初からそれを望んでいましたよ。とも言えず・・・その行為は少し危険らしい。「抜いた翌日にスーッと亡くなるケースがあります。」もう覚悟をしておけってことらしい。今となっては呼吸をするのもつらい母。身体をベッドにくくりつけられ、手にはミットのようなもの。そして寝間着は赤ちゃんのつなぎのようなものを着ている。身体があちこち痒いと言って病院の寝間着を脱いだときからそうなった。おしっこは管を入れている。元気なときの母なら言ったであろう。「あんな姿だけはなりたくない!」と・・・数日前までは看護師さんに「殺して・・・」そうお願いしていた。段々モルヒネの量がおおくなっているのであろう。幻覚もすごそうだ。「もう帰るね!」そういう私に「なんで・・・?」なんでって・・・もうひとり家には病人がいるのにね・・・「私が誰だかわかる?」「わからない・・・」「え~っ、分からない人に側にいてほしいの?」そうとう母は心細いらしい。ちょっとしっかりしていたときには「死ぬのがこわい・・・」そう言っていた。でも時には「殺して・・・」体調の変化で気持ちも変化する。認知症もあれば幻覚も見える。もう母にとっては自分がどういう立場なのか忘れてしまっているのかもしれない。父もこのところ夕方に熱を出すことが多くなった。ものすごくまともなこともあれば、歩けないのにトイレに行くときかないこともある。「もう、婆ちゃんは帰ってこれない。 今、やっと息をしているんだよ。」そう言ったときに「そうか・・・」正気になった。数日経ってから私に言った。「婆はもうだめなんやろ。 そのままおるのは可哀想や・・・ 死んだ方がいいかもしれん。」涙ぐんで話す父。うんうんと頷くだけの私。でもね・・・爺ちゃんこそ、今がつらくはないの?!呼吸だってつらそうだ。どんなにつらくても黙って寝ている。顔をしかめていることがあるし、実際熱は頻繁に出ている。少し前の母の状態を思い出す。余命2カ月の宣告をすぎて・・・姉がそろそろギブアップ気味?!「あの人達・・・・ 死ぬことを忘れているんじゃなかろーか・・・」ちょっと笑ってしまった。姉はよくやってくれていた。私よりもはるかに優しくあの母に接してくれていたのだから。ごくろーさんと言いたい。もう確実に母は近々旅立つだろう。そのほうが本人のためだと思う。最後まで病気を呪って、なんで私だけ・・・と思って逝くのか・・・ありがとうと感謝して逝くのか・・・どちらにしても、それが母の生き方だったと思う。どんな人でも自分の母だ。この母のもとに生まれた私。それは大きな意味があったように思う。父が肺ガンになり、看病していた母もまた肝臓膵臓の癌になった。父亡き後の人生を夢見ていた母であった。けれども夢は叶いそうにない。母はいつも今を生きていない人であった。楽しかった過去。いつか訪れるかもしれない幸福を夢見ていた。母にとって、今が幸せだと言えたときがあったのか・・・それは本人ではないから分からない。きっと本人だって分かってはいない。そんな母をみて私は学ぶべき事が多くあった。これはもしかしたら何よりも感謝すべき事だったのかもしれない。私を成長させるために、あなたはいてくれたのかもしれない。そう思ったら母を憎む気持ちはなくなった。態度であらわすことが出来なかったが、感謝すべき人なのだ。母は私なのだ。私の姿が母に映し出されている。そう、私も同じなのだ。醜い私の姿を映し出してくれたのが母の姿なのだ。誰よりも私の教師であった。もういなくなる。その日が近い。いなくなる・・・いや、いなくなんかならない。これからはもっと身近になっていくのだろう。いつも私の側にいるのだと思う。きっと私はこんな状態を苦しんでいると思われているだろうけど、それほどでもない。苦しかったのは今ではない。幻となった過去を苦しんでいた。それを手放す。今は受け止めるしかない。そう・・・そうするよりほかない。私は幸せだと言えるようになった。これが何より大事なことだと気づかせてもらえた。何十年もかかった。鈍い私に両親が命をもって教えてくれたことだった。ありがとう。
2009年04月15日
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「こんな所にいる場合ではないぞ!準備しないと・・・ 早く帰りなさい!」え?!なんで~?やっと、ここまで来たのにぃ~時間かけてきて帰れって?!って私、何の集いに来てるんだっけ?!えらい人を待っていて、その人が現れて私を見た瞬間にそう言った。「今晩から忙しくなるから帰って準備をしないと間に合わないぞ!」え?!まさか・・・父か母の身に何かあるの?それは急いで帰らなきゃ!なぜか同級生がいて、私の車の前を走ってくれるという・・・とりあえず、良かった~~~って思ったら目が覚めた。何だよ・・・気持ちの悪い夢だったな・・・・あれは父か母が亡くなるってことだったんだよな。どっちだ・・・?!私は何の集いにでていたんだろう(≧∇≦)母の余命宣告からとうとう2カ月が過ぎた。もしかしたら早まるかもしれないという医師の話は何だったのか・・・?!母の一時退院の話しがでるくらい母は元気のようだ。今朝の父も食欲ある。母が入院してからは食べる気力もなかったのだが最近は自分で意欲的に食べようとしている。うーん・・・そこに姉からメールが来た。「昨日、病室に寄ったら、来ている介護服がきつくて婆さんが文句を言っていたよ。」そうか・・・文句が言えるなら元気な証拠だ。看護師さんに確認して買ってきたのに・・・小さいなんてね・・・今日、買ってくるか。母の病室には夕方にでも行くか。昼は父と過ごす。こちらは寝ていることが多いので合間に家のことは出来る。寝ている姿もかわいいなぁ・・・オムツ替えも不思議と苦でもない。ただ着替えをさせるのが慣れていないので、時々父が悲鳴をあげる。ごめん、ごめん、腕折るところだったね!Σ( ̄□ ̄汗…)身体が起き上がれないって事は大変だよなぁ・・・寝ているのも楽じゃなかろーに。母はけっこうすっと起き上がる。立てないけど・・・とりあえず2人とも元気だ。逆夢だな。とは言っても父の血圧の低さは見逃せない。ディサービスでもシャワー浴だけである。ほんと、毎日がスリルだ。いつかはくると思っていても、実際そうなったらうろたえるだろう・・・自信がない。ありあり!!ってのも問題か・・・今日は天気がよい。陽気に誘われてどこかに行ってしまいそうだ。介護服、買ってこようっと・・・(≧∇≦)
2009年04月10日
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昨日から夫が大変だ。持病の椎間板ヘルニアがでた。爆弾もってますから(≧∇≦)最初に発病したのが・・・何年前?!忘れた。その頃は年に2,3回だった。梅雨時や寒くなったとき、忙しくなる時期とか・・・それが最近では2カ月に1回。いや3カ月に2回くらい?!どうも足が痛いらしい。3日前に痛いと言って朝に痛み止めを飲んでいた。帰ってきて、おもむろにビールを飲む。「あんた~!足、痛いんとちゃうんか~っ!!( ̄へ ̄; ムムム」「へへ・・・今日は痛み止め1回飲んで、そのあとおさまってるから~」ほう・・・ほんとに、それでいいんかい?!本当は飲んで欲しくない。家には寝たきり爺ちゃん。病院には寝たきり婆ちゃん。なんかあったら、どうする?!私は今、頸椎ヘルニアの恐れありで左腕に力が入らないのよ。。。情けないことだが。。。。先日も夜中に父が呻いた時、どうしようかと思った。夫は呑気に飲み会。しかも電源が切ってあるか、届かないところにいるってか~( ̄へ ̄; ムムムこんな時期に携帯身体から離すんじゃね~よ!!午前様で帰ってきた夫。一気に酔いが覚めたか、気まずかったのか父を車いすに乗せて病院までついて行ってくれた。車の中、酒くさいんですけど~私ひとりでは父を車に乗せるのは無理だと思っていた。本当に救急車呼んでしまおうかと思うくらいだった。今回の夫の足の痛みは、その時のものかもしれない。はっきりしないけど。だとしたら、可哀想な気もする。いや、でも、どんだけ言っても痩せないあの体型が問題かも。。。痛くないときに腰の筋肉を鍛えろや!もう言っても無駄だ。だから言わない。学習能力まるでなし!可哀想とおもうことはやめにした。手術をうけるなり、痛みに耐えるなりしてください。でも私はお見舞いにはいけませんよ~爺婆いるからね。とりあえず、義母に報告。最近、私が介護で家を離れられないのをいいことに子ども達と夫と義母で何度か食事に行った。それはありがたい。子ども達をどこにも連れて行ってあげられなかったから・・・・だけど、あの大食い人種。ストッパーである私がいないため、食べたい放題であったようだ。本当に食べ放題に行っていた。「ほらほら、ゆっくりよく噛んで!もういいんじゃない?!」そんな野暮な言葉をかける人などどこにもいない。いつも私は「まあまあ、たまにはいいじゃない。」義母に言われる。たまじゃないんだって~「お母さん、いつもいないとたくさん食べられていいね~。」夫があとで教えてくれた。長男、あんたも間違いなく将来メタボ道一直線だね?!義母から心配してメールが来る。どんな状況か詳しくおしえろって・・・痩せなきゃ、治らない病気です!言ってやった。もう40も過ぎていい加減、身体のことを気遣えよって話しだ。美味しいモノを少しだけ食べて欲しいモノだ。がっつくんだよな。。。普段、うまいもんを食べさせないからって?!それはあるかもしれんが。。。。とにかくビールを飲んだ次の日の早朝、夫はこれまでにワースト2くらいの痛みで目が覚めたらしい。ほれ見たか!そして今朝もハイハイしてトイレにむかう。大丈夫じゃないな・・・仕事は休めないと言って行ったが、仕事になるんかいって感じだ。炎症がおさまって神経をさわらなくなれば良いのだが・・・ほーんと、おばかさんだ。努力してだめってはなしではない。もう私はうるさくは言わない。義母から言ってもらおうじゃないの(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!もう言い飽きた。さて。今回はどうなるやら・・・
2009年04月09日
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昨日は長男の中学校の入学式であった。またもや、在宅で療養している父は姉にお願いした。卒業式の時から姉には本当に世話になっている。姉の勤めている会社も派遣切りからはじまって、正社員も依願退職者を募っている。そんな中、お休みをとってもらうのも気がひける。こういう時、母の弟妹(4人)父の姉(1人)もいるのだからひとりくらい看ててあげようかという声があってもいいのでは?!な~んて思うところもあるが・・・それぞれ大変だと言うことにしておこう。もう親戚なんかはアテにならないと言うことが、よ~く分かった。母の弟と妹には特にまいった。向こうは悪気など、これっぽっちもない。母が膵臓癌、肝臓癌で余命2カ月と分かった時、私と姉と夫は母の性格を思うと事実を伝えない方が良い、そう判断した。それなのに母の妹と弟は勝手に病室に押しかけて、母の前でしっかり事実を告げた。「お前はこのまま、この病院にいると2カ月の命だ。 お前の娘はお前を殺そうとしている。 ろくに治療もしないで見殺しにしようとしている。」そう告げたのは後で母の話から分かった。まあ、認知症のある母の話だから、多少は違っているかもしれないが・・・抗ガン剤治療をしない選択をした私たちに叔父や叔母はそうとう不満だったらしい。それまで、あなた達は母のために何かをしてくれていたのか?その答えがはっきりしているだけに、かき乱されていくことが悔しかった。母の認知症には気も付いていない。母の妄想を鵜呑みにしていたのだと思う。私だって母の妄想を真実だと思っていたことが多くあった。近所の人の不審な行動を聞かされ、そんなことをする人には見えないのだが。。。何度も感じていた。母に接することがすくないひとほど、それは見抜くことなどできない。叔父も叔母も母の認知症は未だにわかっていない。所詮、その程度のつきあいなのだ。 親戚など、あてにならない。ハッキリ言って、親戚と思いたくもない。母の病気で特に感じるようになった。でも私の中で本当に裏切られた思いをしたのは、そこだけではなかった。父の姉の存在だ。伯母は今の我が家から車で数分のところに住んでいる。実家(過疎地)までは車で30分くらいかかる。伯父に運転してもらって父のお見舞いには来てくれていた。あ~、この伯母は本当に父のことを可愛く思ってくれている。ずっと私はそう思っていた。母の病気が分かって、父といっしょに我が家にひきとることにした。その時、近所の人には一時的に私が引き取ることにしたので、何か連絡することがあればうちに連絡してくれるように頼んであった。母の病気のことは、母も知られたくないので伏せていた。入院していることも知られたくなかったので内緒で・・・私の家にいることになっていた。それがある時、我が家に向かいのおばちゃんから電話があった。母が入院しているのがばれていた。なんでだ?!出所は伯母だった。その近所のおばちゃんと伯母は同級生だったようで、電話で話をしていたそうだ。ほう・・・なんで、だまってられないの?!( ̄へ ̄; ムムムそのあと、伯母には何度か会ったが私は、そのことにふれないでいた。伯母は自分が母の病気のことを話したのがばれていないと思っていたようだ。私の中で伯母に対する信頼が音をたてて崩れはじめようとしていた。母が我が家で生活をしていた頃、自分が癌であると妹と弟から聞いたと私に言った。認知症なので、はぐらかすことは簡単にできる。はぐらかさなくても自分が病気であることを忘れていることもある。時々、正気になったとき母は落ち込んでいたのだと思う。認知症である意味、良かったのかもしれない。少し、まともで私と向き合って話し合えたときがあった。「自分の弟妹なんてあてには出来ない。 娘のお前のところに来るので正しいのだ・・・ あの子達がいつ、自分のために何かをしてくれたというのか・・・」えらく、まともなことを言っているなぁ・・・その後で母が信じられないことを口にした。何でも伯母(父の姉)が、自分がつらくて入院しているのにやってきて言ったのだそうだ。「義姉さん、びっくりしたわ~ 癌だなんて!あと2カ月だと聞いて驚いたわ! ○○さんに(実家の近所のおばちゃん)に聞かれて私、入院しているのも隠せなかったのよ。」そう言って、涙ながらに帰っていったというのだ。そこで母の疑問だ。なんで伯母が自分の病気を知っていたのか・・・それは・・・私が伝えた。母の実の弟妹よりも信頼していたから。よく家にも見舞いに来てくれていたし・・・でも本当に母に面と向かって言ったのだろうか・・・また母の妄想だろうか・・・母もうわべでは伯母と上手くやっているが、母の本音はちがっていたらしい。「あの人は信用ならない。」母はもともと人を疑うからね・・・親戚で母が知られたくないと分かっていながら、何で正直にベラベラ話すのであろうか・・・母もそこを言っていた。姉はもともと伯母のことを良く思っていなかった。子どもの頃から、それは感じ取っていた。姉はそういう事に敏感で、とても傷つきやすい子であった。大人に気を使いながら育った子だ。高校生の頃、伯母の家に下宿をしていたことがあった。姉は伯母にものすごい嫌悪感を抱いていて、私にはそのことが理解できなかった。でもわかった・・・そういうことか・・・人の不幸が好きなようだ。姉に話してみたら「あ~、やりそうだわ、あの人なら。」((( ̄□ ̄;ガーン)私は何十年間・・・わからなかった。ずっと伯母の言葉を信じていた。この伯母だけはまともな親戚だと思っていた。母にそんな癌宣告をして去った後、案の定、我が家にはやってこなくなった。よ~、わからん。実の弟にも会いたくなくなったのか?!過疎地に住んでいる弟夫婦に同情していたのかもしれない。子どもにひきとられて、おもしろくなくなったのか?!伯母にはこどもがいない。先妻の子とその嫁がいる。愚痴をこぼしていたのは聞いたが・・・・あれでは実の子だってうまくはいかないであろう。今回の母の入院は言ってない。自分が勝手に疎遠になっていったのだから・・・おかげで家族の絆は強まったよ。これも、みーんなアテにならない親戚さんのおかげだ。アテにするから腹が立つ。アテにしなければ問題にならない。まあ、もしもの時・・・考えたくはないが葬式の時には一波乱あるだろう。姉も夫もそう危惧している。何を言われても黙ろう。口答えはしない。そう私たちは決めた。母自体も不思議ちゃんなのだから、弟妹がそうであっても何も不思議ではない。おかしな血が自分にも流れているんだよな・・・父方はまともで良かった~と長年思っていたのに、それも崩れた。自分がとても怖い。私もああなってしまうのか・・・すでになっているのか・・・まさに呪われた血。勘弁して欲しい。自分もおかしいとは思うこともある。ただ・・・あの人達・・・「自分はおかしくないっ!周りがおかしい!」そう言い張る。こわっ。誰にも言えないような。。。。ここまで揃うと笑いになるかもしれない。ほんと、スキャンダラスな親戚もいっぱいだ。ネタはつきない(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!何か、信じられない話しばかり。退屈はしない。子どものめでたい入学式にこんなことを長々と・・・家のドタバタで子どものことはおろそかになっている。ほんと、申し訳ない。これを機会にしっかりしてくれ、息子達よ。これから、どうなるんだろうね。先のことを考えすぎない考えすぎない。。。なるようにしかならない精神でいくしかないな。外野は無視!しかし、母の病気は隠すな!ってメッセージだったのかもしれない。あんなに、あちこちからばらされるんだから。それはそれで良かったことにしよう。もう一眠りするか~
2009年04月07日
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母が入院して11日。個室に移って5日目。さすがに大部屋だと周りの人にも気を遣うのが可哀想に思い個室に移らせた。モルヒネを打つようになって痛みの方はおさまっているが、だるさはどうしてもぬけないようだ。いつ行っても食欲はなく食事は手つかずの状態。腹水は思ったより抜けなかった。もう水分制限はなくなった。何でも食べたいモノをたべていいらしい。「みかんの缶詰がたべたいっ! ビスケットがたべたい! おかきがたべたい!」いいのか悪いのか・・・もう余命宣告の2カ月が経つ。先日は病室にいると「あそこにべっ甲が・・・ あ、グリンピースが・・・」歩いているとでも?!(≧∇≦)あ~、これが幻覚なんだな?!姉が顔を出したときにはものすごい驚いていた。「今朝、ものすっごい元気だったんだよ! でね、あそこの病院は○○(某宗教団体)の傘下で今に高いお布施を払わなければならないって!だから早く退院しないと!!って言うんだよ・・・真面目な顔して言うから驚いちゃったよ。」ほう・・・そういう時って身体が元気なんだよね?!その後、私が顔を出したときにはだるい顔をしてぐったりしていた。朝は比較的元気なようだ。そして今日のお昼に母の病室に顔をだした。父はディサービスに行っていた。あら?!なんかぐったりしていない・・・?!顔つきが少し恐いような・・・見ると母はいつもの寝間着と違う格好をしていた。「どうしたの?その服?」急に小声になった。「昨日、警察にひっぱられて縛られたんだよ!ほら、ここに青あざが!」え?!点滴の針のあとじゃないの?!「それよりhossyのバカはどこに行っているんだ!!」「え?!私だけど?!」またぼけちゃってるな?!前にもあったからね。もう驚かないけど・・・私の顔をジーッと見て言った。「おまえがhossy?おまえは違うだろう・・・」え?!じゃ、私は誰だよ!「なんで警察にひっぱられちゃったの?」ちょっと話しにのってみる。「それはお前が新聞に載ったからじゃないの!どうするんだよ!」あ、私を娘だと認めたのか?!もう、わけわからん。「お前、もう離婚だろ! お前のだんなは1回も顔を出さないし!」確かに夫は忙しくて顔をだしていない。それはあっている。夫にきて欲しいのか?!「あと6年しか生きられない・・・・」「え?!」「そしたら・・81か・・・」「けっこうなお歳だね!」「今日から面会が出来ないって先生が言ってたよ。 家族と話しをしないとって・・・」まじ?!いや、また幻覚か妄想?!でも家族に話しってのはあるかもしれない。うーん・・・この謎だらけの会話。看護師さん達にも言っているのだろうか・・・もしかして本当に暴れちゃって看護師さんに縛られちゃってるのか?ってことで確かめてみた。まず、母の寝間着は・・・なんでも裸になっていたそうで、脱げない服に交換したらしい。何で脱いじゃうのよ!!おかげで高い介護服を買わなくてはいかんじゃないか~暴れてはいないらしい。でもあと6年しか生きられないって話しはひとりの看護師さんが聞いたと言っていた。面会謝絶はないらしい。やっぱな・・・でも一時退院の話しは先生がしたらしい。今が元気なので帰るなら今がその時らしい・・・・こ、こまった・・・・父が今までのように食事もひとりでとれず、トイレにもいけなくなった。そこにきて、あの認知所のひどい母がくると・・・とてもじゃないが私ひとりでは無理だ。事情を話すと看護さん達も驚いていた。「お二人とも癌なんですか? それでお父さんは家にいらっしゃるの?」「はあ・・・」「最後まで家で看るつもりなの?」「ええ・・まあ・・・」「それじゃ、退院の話しはちょっと無理かもねぇ・・・」確かに母がくれば父は少しは元気になるかもしれない。でも、もう父は前のように回復はないだろう。母もこの入院で歩けなくなった。ずっとベッドに寝ているとそうなっちゃうんだな・・・母もきっと家に来れば、「また静かなところに行きたい!!こんなうるさいところに閉じこめて!私を殺す気だろう?」くり返すのはわかっている。父は何も言わないので夜中にオムツをかえたり水を飲ませたりしなければいけない。母は注文が多いので母の思うようにはしてあげられないだろう。でも、母が帰りたいと願っているのなら・・・残り少ないと思われる命なのに、私は悩んでしまう。本当なら退院を喜ぶべきなのかもしれないが・・・まあ、姉と相談だな。夫とも・・・認知症の上、幻覚がでるとすごいことになりそうだ。うーん。考えるだけでも怖い。やっぱり私は薄情な娘だのだ。とてもじゃないが自信がない。父も何を考えているのかわからない。苦しいとも痛いとも言わないから・・・お話ができない子どもをみているようなものだ。介護生活、10年やってる人とかを尊敬してしまう。私はまだ2カ月だよ。なんか・・・母の余命宣告がものすごい昔のように思える。いろんなことがありすぎて。。。おっと、父がディサービスから帰ってくる。そろそろ待機するとするか・・・
2009年04月06日
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今日、父はディサービス。明日から小5になる次男。新学期の準備、できてない~っ!!両親の病気でドタバタしていて、それどころではなかった。毎年、春休みがあけるのを心待ちにしていた。今年は子ども達に父をみてもらっていて、母の病院に出掛けたり、買い物に行っていたなぁ。とても助かった。長男は中学校1年生になる。入学式は7日。ほっ、まだ余裕あるな。なんて思っていたらあっという間になるんだよね~今日は買い物にいこう!そう思っていた。が、ここ数日私は肩が痛くて夜熟睡できない。最初は肩だけだったのが肩胛骨になったり、腕がだるかったり・・・・寝ていても苦痛なのである。父のオムツ替えと水分補給で2時間おきくらいに起きる。どっちみちグッスリも寝られない。寝不足ってけっこう慣れるものだなぁ・・・でも本当に左肩、左腕がだるい。父は左の腕が痛かったので肩を貸すときには私の左を貸していた。そのせいだろうか・・・ここ数日、父は寝たきりに近くなってしまったからそのせいだろう。無駄に力が入っている。今日は少し遠出をして買い物をしようと車に乗った。だめだ・・・ハンドルを持つ手がだるくて・・・しかも頭がしびれてきたような・・・やばっ!!予定変更で近場で買い物をすまし、子どもを家におき、接骨院にとびこんだ。完全予約のところ。前にも五十肩で治療してもらった。「パンパンですね~!!」「いっで~っ!!」「僕ね!80代位の方を揉むくらいの力でやってるんですよ!」「え~っ!ものすっごく痛いんですけど!!」何の恨みがあるのかと思うくらい・・・「頭にもツボがあるので・・・ここも痛くてもがまんね!」「運動不足ですね!」運動する暇なんてないさ~かつては週に4,5日なんちゃってテニスをしていたこともあったが・・・いまじゃ~何もしちゃいない。揉みほぐされてちょっと軽くなった・・・?!「そうだ・・・最後にちょっと矯正していい?」「え・・・?!はぁ・・・」次ぎの瞬間バキッ!!と私の背中がなった。ンギャーッ!!数回叫んだろうか・・・・ありえないくらい痛いんですけど・・・・それでも少しだけ楽になったような・・・?!同じようなことばかりしているから仕方ないのだろう。ちょっと体操するように言われた。多少、楽にはなった。これはしばらく通うしかないかも・・・長男に留守番を頼もう。ふう・・・背中に湿布はってもらった。今晩、背中を下にして寝られるだろうか・・・ここで寝込むわけにもいかない。接骨院、くせになるんだよね~しばらく行かないとこっちがもたないかも。吐き気までしたもんな。ひどい肩こりってことで終わった。背中はバキバキされて・・・・明日、さらに痛いってことにならなければいいが・・・は~ちかれた。。。。
2009年04月02日
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明日で母が入院して一週間が経つ。我が家とは違って静かな病室は母にとって心地よかった。それも数日間のことだった・・・身体がとてつもなくだるい。そして胆嚢が痛み出してきた。家では喉が渇くので水をよく摂っていた。そのせいか母のお腹はレントゲン写真では水で真っ白にうつっていた。もう横隔膜を圧迫しているので相当つらいらしい。点滴で水をぬこうとしたが思ったよりも水がぬけず、毎日看護師さんをつかまえ死にたいと訴えていたそうだ。ドクターから連絡があったのは、そんな話しだった。「どうしましょうか・・・?もうモルヒネをうちますか? ご本人さんは相当辛いんだと思います。」家にいれば水も飲めた。病院では水分制限はされるし、母が思うほど楽にはなれないことで苛立ちを感じている。家ではできないことを病院に望む為の入院だった。だるさや痛みから解放してあげてほしい。悩むことなく私は「お願いします。」とひとこと言った。自分だったら・・・そうして欲しいから。また親戚からはクレームがでるだろう。でも母が望んでいるのはもうモノではない。お金でもない。ただ楽になりたいと願っている。「モルヒネをうつと意識が朦朧とすることが多くなります。」それでもいい。その時はそう思った。その日の朝、父をたまたま父を病院に連れていった。ディサービスの日で、その前に母に会わせたいと思った。ふぬけていた父が寝ている母の足下をバンバンたたいた。「ばあ、ばあ!!」いつも父はそう言って母を呼んでいた。今まで私や姉のことを忘れていたのに・・・母はわかるんだね?!母はだるい顔をして車いすの父とみつめあった。父は何やら話しかけているが聞き取れない。ぐったりしている母が言った。「ちゃんと、ご飯食べて元気だしてや・・・」すでに父の食欲がおちていることを母に言っていた。父はうんうんと頷いて満足したのか「行くわ。ばいばい。」手を振った。ほんの一瞬の出来事だった。その日のうちに夕方に病院にきてドクターと話しをしてほしいと連絡があったのだ。会わせておいて良かった・・・夜中に父のねている側でひとりでふとんを敷いて寝ている私。明日から母はもう眠って目を覚ましていることがないかもしれない。もう会話が出来ないかもしれない。私は・・・母とちゃんと向き合って会話してないのに・・・そう思ったら泣けてきた。声をあげて、こどものようにワンワン泣いてしまった。本当に子どもの頃に母がいなくて不安で泣いていたあの頃を思い出した。私の声に目を覚ました父が言った。「どうした?!夢をみたのか?なんで泣くんだ?なくなよ。」しっかりした父だった。身体の不自由な父が私に泣くなと言っている。子どもになってしまった私をなぐさめてくれていた。何もしてあげていない・・・私は母に・・・その後悔が私を襲った。そして次の日、父は立ち上がれなくなった。トイレに行こうとするのだが、途中で座り込む。父にも限界がきたのか・・・今もベッドでトイレに行こうと必死で起き上がろうとする父。夜中に何度もくり返す。でも自分の力では起き上がれない。「もういいよ!がんばらないで!」オムツの交換くらい何でもない!私がする!父にもプライドがある。生きている以上は自力でトイレをすると言っていた。父も白血球の値が多くなっている。身体の中で何かが始まっているとしか思えない。こんな父を置き去りにして母のところに向かうわけにもいかない。なぜ二人は同じ時期だったのか・・・・何のメッセージなのか・・・私が思う以上に二人の結びつきが強かったとしか思えない。がんばろうとする父。もう終わりたい母。ゴールをいっしょにしようと調整中なのかとも思ってしまう。気持ちだけはまだ父は元気なのだ。1日1日が勝負だ。母にも父にも満足した生活はさせてあげられなかった。後悔が残らないようにと思って呼び寄せたが、なかなか思うようにいかないものだ。病人相手にキレていたもんなぁ・・・母は今、眠っている姿が子どものようにみえる。この姿をみると後悔することが多い。病院に行くとそう思わずにいられないので、つらくなる。むしろ今は父の下の世話を出来ている分、ホッとすることもある。父はとても嫌だろうけど。いつか私の気持ちが晴れることがあるんだろうか・・・後悔しないってことはないだろうな・・・いや、そんなことより今しかできないことを精一杯するしかないな。最近、内容がいつも同じだ。いかんな・・・こんな時こそ、明るいお母さんにならなくちゃ。ちょっと切り替えが必要だわ・・・
2009年04月01日
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