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師観氏のコメントでは李相軒先生の「霊界の実相と地上生活」からの引用を用いては、祝福を受けたとしても天国どころか地獄へ行く、とまで書いていた。 全体のごく一部分(P.37のみの記述)を引用してそれがあたかも全てであるかのような主張の展開は差し控えるべきと考える。と書いていたが、その実際の箇所(P.37)が以下。

堕落性とは、神様が本来願われる原理軌道から脱線した心理状態を言います。……完全復帰とは、それほどやさしいものではありません。……堕落の血が流れているので、その血統を整理しなくてはいけないのです。すなわち、人間は、再び生まれなければなりません。……重生の価値基準を知らなければなりません。……その仲保者が真の御父母様であられます。……我々はサタンから堕落性を受けましたが、自分自らの努力によって堕落性を脱ぐということは、誤った考えです。真の御父母様から受けた祝福の価値を悟るようになるとき、はじめて堕落性を脱ぐことが可能になります。それゆえ、祝福の価値基準は、いろいろなみ旨を内包しています。真の父母の価値もまた、驚くべき事実です。そのことを、この国、霊界に来て初めて深く悟るようになるのです。と、霊界から見た祝福結婚による重生の価値と真の父母様の価値について紹介していたのだが。
アボジが主催する様々な超宗教的会議がありましたが、God Conferenceは有名でした。ここで、師観氏は「超宗教」といっても宗教間はそれぞれに社交辞令でほどほどにといった関係以上には進まない、ということを言いたいのだろう。しかし、こんにちを見てみればお母様の「独生女」を置いて世界が静かな「うねり」となっていく気配を感じているはずだ。
原理講論によれば、すべての宗教は神から出て来たものであり、善を説くという。再臨主が来た時には、霊界の働きでそれぞれの宗教がそれを求めて一つになるという。
事実、そのようなことも多少はありましたが大きなうねりにはなりませんでした。
原理は内的真理も論理的、科学的、実証的にも解明されねばならないと説いていますので、宗教学者が集まりやすいのです。彼らは客観的、学問的観点から原理だけでなく、様々な宗教も例外はありますがほとんど和やかに論じていました。
それは客観的に自分と自分の信仰を観ることが出来るもう1人の自分がいるからです。超宗教において、Unity in Diversityがキーワードになっていたかと思います。
「多様性の中の一致」とでも和訳しておきましょう。一致点は善であり、人々を幸せにすることです。霊界では、内容(善)がない状態で天国に行くとそこは地獄よりも苦しいところだという(霊界の実相)。
UC内部の分派(?)においても、お互いに裁き合うのではなく、「多様性の中の一致」を和気藹々と語れることが必要です。超宗教活動ではそれが出来るのですが、いざ自分達の内部のこととなると神山氏を除名したり、H1やH2の影響を警戒し、ピリピリして見張るというまるで昔の共産主義の社会のようです。
一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
世界平和を願う 奇知の外の凡人
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